北条氏館跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市)
11月25日 公休日
11月25日、26日と個人的な連休を利用して伊豆に旅行に行きました。
今回は伊豆の国市を中心に色々と巡ってみました。
堀越御所跡から歩いて向かった先は.............北条氏館跡
北条氏館(北条氏邸)は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。
元弘ニ(1333)年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心になって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、江戸時代まで続いたことが分かっています。
北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、北条氏の興亡を物語る遺跡として国指定史跡に指定されました。
堀越御所跡の入口の向いに建つ、北条政子産湯の井の碑。

民家脇の道を100mも歩けば、北条政子産湯の井があります。


井戸を覗いて見ましたが、草が生えてて、よく見えませんでした。

北条政子の産湯の井から300mほど歩けば、北条氏館跡。
こちらにも、説明板や案内板が建ち並んでます。

北条氏館(北条氏邸)跡の碑。

城郭ファンのサイトを見てみると、この碑の紹介がないから
どうやら、最近建てられたモノのようです。

元々は、源頼朝の妻、北条政子の父である北条時政

こちらも広大な敷地だったようですが、一部は民家となっていて
遺構らしきモノは皆無と言っていいようです。

堀っぽく見えるけれど、単なる小川かもしれません。

秋深し。
こちらも銀杏の葉が艶やかに黄色く色づいています。

びいすけ の背後は守山。

堀越御所の詰めの城とも言われた守山城址となります。

鎌倉幕府を興した源頼朝。
14歳で伊豆に流刑にされ、蛭ケ小島で17年が過ぎ、
地元の豪族である北条氏の嫁をもらいます。
この嫁がのちの尼将軍北条政子です。
その政子の父親が北条時政。
韮山の目代山木兼隆に政子を嫁がせようとしていましたが、
これを嫌った政子は館を抜けだし、頼朝のもとに行ってしまいます。
山木判官の追求を恐れた二人は伊豆山権現に逃げ込み保護を受けます。
一方の時政は、平家の行く末を鑑み、山木兼隆から頼朝に鞍替えし結婚を許します。
その後、頼朝は北条氏館に住み、政子は子を授かります。
やがて期は熟し頼朝が挙兵し、山木兼隆を討つことになります。
平家討伐に頼朝の家臣として奔走し、また鎌倉幕府では有力御家人として参画し、
頼朝死後は幕府の執権として活躍した北条氏。
その北条氏の原点がここにあったのでしょう。
この地もそう言った意味では源頼朝の所縁の地のようです。
最近は、頼朝にハマっているなぁ............(笑)。
11月25日、26日と個人的な連休を利用して伊豆に旅行に行きました。
今回は伊豆の国市を中心に色々と巡ってみました。
堀越御所跡から歩いて向かった先は.............北条氏館跡
北条氏館(北条氏邸)は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。
元弘ニ(1333)年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心になって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、江戸時代まで続いたことが分かっています。
北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、北条氏の興亡を物語る遺跡として国指定史跡に指定されました。
堀越御所跡の入口の向いに建つ、北条政子産湯の井の碑。

民家脇の道を100mも歩けば、北条政子産湯の井があります。


井戸を覗いて見ましたが、草が生えてて、よく見えませんでした。

北条政子の産湯の井から300mほど歩けば、北条氏館跡。
こちらにも、説明板や案内板が建ち並んでます。

北条氏館(北条氏邸)跡の碑。

城郭ファンのサイトを見てみると、この碑の紹介がないから
どうやら、最近建てられたモノのようです。

元々は、源頼朝の妻、北条政子の父である北条時政

こちらも広大な敷地だったようですが、一部は民家となっていて
遺構らしきモノは皆無と言っていいようです。

堀っぽく見えるけれど、単なる小川かもしれません。

秋深し。
こちらも銀杏の葉が艶やかに黄色く色づいています。

びいすけ の背後は守山。

堀越御所の詰めの城とも言われた守山城址となります。

鎌倉幕府を興した源頼朝。
14歳で伊豆に流刑にされ、蛭ケ小島で17年が過ぎ、
地元の豪族である北条氏の嫁をもらいます。
この嫁がのちの尼将軍北条政子です。
その政子の父親が北条時政。
韮山の目代山木兼隆に政子を嫁がせようとしていましたが、
これを嫌った政子は館を抜けだし、頼朝のもとに行ってしまいます。
山木判官の追求を恐れた二人は伊豆山権現に逃げ込み保護を受けます。
一方の時政は、平家の行く末を鑑み、山木兼隆から頼朝に鞍替えし結婚を許します。
その後、頼朝は北条氏館に住み、政子は子を授かります。
やがて期は熟し頼朝が挙兵し、山木兼隆を討つことになります。
平家討伐に頼朝の家臣として奔走し、また鎌倉幕府では有力御家人として参画し、
頼朝死後は幕府の執権として活躍した北条氏。
その北条氏の原点がここにあったのでしょう。
この地もそう言った意味では源頼朝の所縁の地のようです。
最近は、頼朝にハマっているなぁ............(笑)。
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2014/12/16 Tue. 15:00 |
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