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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

山木兼隆館跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。
今回は伊豆の国市旧・韮山町)を中心に色々と巡ってみました。


奈古谷分校をあとにして、向かった先は............

          山木兼隆館跡

山木 兼隆(やまき かねたか)は、
平安時代末期の武将。
平兼隆(たいら の かねたか)または、大掾兼隆(だいじょう かねたか)ともいう。
桓武平氏大掾氏の庶流和泉守・平信兼の子。

検非違使少尉(判官)だったが、父の訴えにより罪を得て(理由は不明)、
伊豆国山木郷に流される。
治承三年の政変の後、懇意があった伊豆知行国主・平時忠により伊豆国目代に任ぜられた。
そのために兼隆は伊豆で勢力を持つようになっていた。

治承4年(1180年)8月、頼朝は以仁王の令旨を受け挙兵、兼隆の館を急襲する。
三島大社の祭礼のために郎党の多くが留守だったため兼隆は満足に戦うことができず、
加藤景廉によって討たれた(山木館襲撃)。



実は、こちらに来るまで、この山木兼隆の事は全く知りませんでした。

源頼朝が少年期に伊豆に流され、伊豆で平家への反旗を翻し挙兵したのは知っていましたが、
その挙兵先が山木兼隆館だったんですね。


韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに場所を尋ねたら
『私有地だから中には入れないよ!』と言われましたが
それでま構わないと言って教えてもらいました。


教えてもらった通りに歩いて行くと
親切な案内板。

      20141125山木兼隆館跡01



どうやら、この辺りは『山木』と言う地名らしい。
消火ホースの収納箱にも大きく『山木』と記されています。

      20141125山木兼隆館02



程なく、次なる案内板。

      20141125山木兼隆館03



この先の台地一帯が山木兼隆館跡のようです。

      20141125山木兼隆館04

いつの間にか、ポツリポツリと冷たい雨が降ってきました。




こちらが、山木兼隆館跡。
完全な民家の敷地なので、中には入れません。

画面左側の木の下に石碑があるらしい。

      20141125山木兼隆館05



思いきりズーム(200mm)で寄ってみましたが
刻まれている文字、文面まで確認出来ませんでした。

      20141125山木兼隆館06



私有地のため、門から先へは入れません。

      20141125山木兼隆館07

それっぽい雰囲気の庭(?)のようです。



仕方がないので、石碑をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館08



民家の門をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館09

韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに
『行っても何もないから、つまらないよ!』とは言われていましたが
本当に何もない。

ただ、源頼朝が兵を挙げ、この地から平家との熱き戦いが始まったかと思うと
何か胸に来るものがある。

9月に伊豆に旅行に来た時に、湯河原町の頼朝の所縁の地を訪ねた。
この韮山の地にも幾つかの頼朝の所縁の地があるようだから
このあとが楽しみです..................。




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2014/12/13 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit