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び・び・びのびいすけ

岩戸城址     (2014年9月10日)(千葉県印西市) 

9月10日 公休日


北総のドッグランの帰り道。
まっすぐ自宅へ帰るのも芸がないから、ちょっぴり寄り道。

道草として、立ち寄ったのは............

          岩戸城址



岩戸城は

「印旛村史」などによれば、鎌倉時代末期に千葉氏一族の臼井氏に仕えた
岩戸五郎胤安の居館(居城)とされています。

師戸城、志津城に並ぶ臼井城の支城として位置付けられていましたが、
正和3年(1314年)に臼井氏の家督相続争いに巻き込まれ、
臼井一族の家督を狙う志津次郎胤氏により攻められ、
城主・岩戸五郎胤安は岩戸城内で自刃したとされています。

そもそも、その臼井氏の家督争いとは............

臼井常康の子孫であり、
臼井の領地を回復していた頃の当主である臼井太郎祐胤は、
正和3年(1314)に25才で亡くなりました。
その時、祐胤には3才の竹若丸という子がありました。
祐胤の弟には志津次郎胤氏がいて、臼井城の支城である志津城の城主でありました。
祐胤の生前の頼みで、志津胤氏が、竹若丸を養育し、成人するまで後見していくことになったのですが、
しかし、胤氏はやがて竹若丸を殺し、自分が臼井氏の当主になるとの野心を抱き、
その野心を知った竹若丸の保母・阿多津が忠臣である岩戸城主、岩戸五郎胤安に危急を告げます。
岩戸胤安は、ひそかに竹若丸を隠して臼井城を脱出、居城岩戸城に一旦かくまった後、
鎌倉建長寺の仏国禅師に竹若丸を託しました。
この岩戸胤安の行動を知った志津胤氏は、まず阿多津を捕らえて殺し、
岩戸胤安、胤親父子の籠る岩戸城を攻め落とし、岩戸氏父子は自刃しました。

志津胤氏は、結果的に事実上の臼井城主となり、臼井領を押領しました。

時は流れ、やがて成人した竹若丸は元服し、臼井興胤となり、臼井に復帰します。
同時に千葉介貞胤(千葉氏12代当主)は、志津胤氏を志津に退けます。
それを不満に思った志津胤氏は、なお興胤に本心から臣従しなかったため、
臼井興胤は、暦応3年(1340)8月14日、臼井城の堀の工事の使役と称し、
胤氏に命じて志津城の兵を臼井に呼び寄せて、志津城を手薄にし、
その隙を狙って志津城を奇襲し、攻め落していまいました。

そして、志津胤氏は城を臼井勢に囲まれて自刃し、
その妻も胤氏の遺骸の後始末をし、自ら長刀を振るって勇戦した後に自決したと伝えられています。


そんな臼井氏の家督争いに巻きこまれ、哀しい最期を迎えてしまった岩戸氏の居城が
この岩戸城です。







こちらが、岩戸城の縄張り図


                   岩戸城址縄張り図


                    (余胡くんのホームページ からお借りしました。)



元来は、臼井城の支城であったため、それなりの広さを有していたようですが、
周辺が宅地開発され、城址の雰囲気を残すのは、西福寺周辺となっています。



こちらが、西福寺。


      20140910 岩戸城址01



山門の奥には土塁。


      20140910 岩戸城址02



何気にこの土塁は、この辺りで2mほどの高さがあります。


      20140910 岩戸城址03



土塁は東方向へと続いています。


      20140910 岩戸城址04



この先で一旦、土塁は切れます。
おそらく後世に改変されたのでしょう。


      20140910 岩戸城址05



ここら辺りの土塁が一番高くなり、高さは悠に3mほどになります。


      20140910 岩戸城址06

そして、土塁の右奥には空堀。


しかしながら、かなり埋れています。
そして、無造作に捨てられたゴミも多い。


      20140910 岩戸城址07


      20140910 岩戸城址08



その土塁には階段が設けられて、祠が祀られています。


      20140910 岩戸城址09


      20140910 岩戸城址10



西福寺西側の虎口。


      20140910 岩戸城址11

かなりの雑草に覆われていますが、土塁の高さがわかります。


虎口の奥には空堀。
こちらも雑草に覆われ、空堀の深さがイマイチ分かりにくい。
と、言うことは、空堀の規模も把握しづらい。


      20140910 岩戸城址12

せめて、雑草が無ければ!とおもうのだが、この時期では無理を言えません。


ただ、この虎口と土塁。
そして、虎口奥の空堀。
これが、この岩戸城址の見所だから、ちょっぴり残念。


      20140910 岩戸城址13



やっぱり、雑草が無くなる頃に来るのが正解?



      20140910 岩戸城址14



西福寺の境内に建つ、岩戸胤安の碑。


      20140910 岩戸城址16


      20140910 岩戸城址17



物凄く立派な石碑です。


石碑の裏面には建立者の名が刻まれています。


『臼井町 臼井義胤 建』と刻まれています。

旧・臼井町(現・佐倉市)の臼井氏って言うことは、
おそらくは臼井興胤の末裔なのでしょう。
命を張って祖先を護ってくれた岩戸胤安に石碑と言う形で
精一杯の感謝を表しているのでしょう。


      20140910 岩戸城址18


      20140910 岩戸城址19



石仏や石碑の多い西福寺。


      20140910 岩戸城址15


      20140910 岩戸城址23


      20140910 岩戸城址24




当然、お寺だから古い墓碑も多い。


      20140910 岩戸城址20



千葉一族の臼井氏の家臣でもあり、当然千葉一族の関連した城郭である。
その城址に建った西福寺には、千葉一族の墓碑も多いようです。

月星紋は確認できませんでしたが
九曜紋はしっかりと確認できました。


      20140910 岩戸城址21


      20140910 岩戸城址22



城郭遺構は土塁ぐらいしか残っていなくて
城址としては、ちょっぴり面白味に欠けますが、
城主である岩戸胤安なる人物が自刃して数百年経った後でも
こうして、石碑まで建てて貰える............。

武士の道は『義』で有ることを改めて認識させられたような気がします。







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2014/10/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit