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び・び・びのびいすけ

古宮城址 (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市の城址巡りもしていました。

獅子吼城址に続き、北杜市城址巡り第3弾。

           古宮城址


津金小学校の敷地裏。
ちょうど明治校舎と大正校舎の間を歩いていくと諏訪神社があります
この諏訪神社がかつての古宮城にあたります。


古宮城は

源清光がここに館を築き、旧・大泉村の谷戸城に居館を移すまで
津金に居たと伝えられたことから「御所」の地名が付けられたといわれています。
清光の移住後に「古御屋(ふるみや)」と呼ばれるようになったとの説があります。
この古宮の地には武田信虎も居城したといわれ、
また、武田氏に仕えた津金衆の居館だとの説もあり、この説が有力視されているようです。

源平合戦の50年以上前の時代に平安時代の武将である源清光は
当初、常陸国(茨城県)を本拠としていたが、
朝廷より大治5年(1130年)、甲斐市河荘に流罪となったため
八ヶ岳南麓に土着し、子孫らが甲斐国各地を勢力基盤とし、
逸見氏・武田氏・加賀美氏・安田氏・浅利氏といった甲斐源氏の各有力支族の祖となったとされています





こちらが、諏訪神社。
すなわち、古宮城址であります。

神社という割には鳥居が見つかりません。


      20140730 古宮城址01



こちらが城址碑


      20140730 古宮城址02


      20140730 古宮城址03


城址碑の裏面には、古宮城の説明が記されていますが
読みづらい。


      20140730 古宮城址12

かなり年季の入った城址碑かと思いきや
意外に意外、平成4年の建立でした。
諏訪神社の氏子さんたちが建てられたもののようです。





こちらが、諏訪神社の拝殿。


      20140730 古宮城址11


そして、こちらが舞台。

江草に鎮座している根古屋神社にも有ったけれど、
この地方のそれなりの神社には舞台があるようです。


      20140730 古宮城址05



拝殿(本殿)背後から、津金小学校大正校舎に向けて空堀が広がります。


      20140730 古宮城址06



この空堀が古宮城址の唯一と言っても良い遺構。


      20140730 古宮城址07


拝殿背後からの空堀は、それなりの姿を留めてています。
諏訪神社の氏子さんたちが、きちんと管理しているようです。


      20140730 古宮城址08


大正校舎近くは雑草も生い茂り、管理区分の差がでるようです。

本当は、この空堀が大正校舎の床下まで続いているらしい。


      20140730 古宮城址04




こちらが、諏訪神社の境内。


      20140730 古宮城址09



拝殿脇の石像と祠。


      20140730 古宮城址10



諏訪神社そのものは、そんなに大きくないし、広くはない。
古宮城の廃城後、諏訪神社が祀られたと言うことから
津金小学校の明治校舎や大正校舎も古宮城跡に建てられたのかも知れない。

ひょっとしたら、津金小学校の敷地一体が、かつての古宮城だったのかも知れない。

数百年経った今では、それを知る人は居ない。
時代の流れの中で、そして歴史の流れの中で、
津金の地はかくも変貌していったのかも知れない..............。





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2014/08/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit