志津大口館跡  (2014年4月21日)(千葉県佐倉市)

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4月21日 公休日


志津城址をあとにして、向かった先は..............

          志津大口館跡



志津大口館は
詳細は不明ですが、館の規模から考えて土豪層か、
若しくは臼井城臼井氏の家臣の何者かの館であったと推測されています。
報恩寺の境内が館跡とされており、報恩寺のある土地は
東に突き出た台地の先端部で、東側は比高10mほどの高さがあります。

また、寺の西方には、低い土塁が残されており、
墓地付近が最も高くなっています。
この場所は櫓台であったと思われます。
さらに、報恩寺から奥に(台地先端部)にある春日神社の周囲も
土塁状の地形で囲まれています。


こちらが、志津大口館の縄張り図


      志津大口館縄張り図

       (余胡くんのホームページ よりお借りしました。)



こちらが、報恩寺の山門。


      20140421志津大口館11

 
そして、こちらが境内。


      20140421志津大口館07


墓地の背後にある土壇。
こちらは櫓台として利用されていたようです。


      20140421志津大口館02


報恩寺の本堂。


      20140421志津大口館08



何気に屋根を眺めてみると、
何と! 『九曜紋』。


      20140421志津大口館09


どうやら、報恩寺の寺院紋は『九曜紋』のようです。

扁額のすぐ近くにも『九曜紋』。


      20140421志津大口館10



ここにも、『九曜紋』。


      20140421志津大口館01

この報恩寺は千葉氏もしくは千葉一族の所縁の寺でしょうか?

報恩寺はホームページを覗いたら、何と!

創建は14世紀前半(1350年頃)で、開基は志津次郎胤氏でした。

一説には、この報恩寺の近くには千葉一族の末裔の方々が多く住まれているらしい。









こちらは、春日神社。
確かに土塁状の地形です。

      20140421志津大口館03



境内はいたって普通。
特に目を張るものはありません。

      20140421志津大口館04


      20140421志津大口館05


本殿背後の土壇(土塁)はちょっぴり見応えあり。
どう見ても虎口に見えてしまいます。


      20140421志津大口館06

報恩寺の由来や、春日神社あたりまで城域があることから
この志津大口館を志津城址とする説もあるようですが
多くの城郭サイトに記載されているように、
志津城とは別個のものと判断します。

しかし、報恩寺の『九曜紋』には、ちょっぴり興奮。
あまり期待していなかっただけに、ちょっぴり感動しちゃいました。

『月星紋』や『九曜紋』を探していると、何となく千葉氏ファンになってしまいそう..............。




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