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び・び・びのびいすけ

小坂城址  (2014年3月19日)(茨城県牛久市) 

3月19日 公休日


この日は茨城県の牛久市に出掛けていました。

岡見城址をあとにして、向かった先は 小坂城址




小坂城は

この城は小田氏から分流した岡見弾正忠治資が
牛久城を築城する少し前につくったとされる。

小田家風記には「小坂城主が岡見備中守であり、
一万石の小田一族大名」として記録されている。

新編常陸国誌には、「天文17年(1548年)に小野川の対岸の泉城から攻撃を受け、
小坂岡見勢が泉城主の東条重定を討って撃退した」とされている。

この小坂合戦には、東条氏に味方する江戸崎の土岐氏と
岡見氏に味方する小田氏も参戦したとされている。

小坂城は、小規模ではあるが技巧的な城館として残されている。
南端Ⅰにある主郭は、県道の改修時に発掘調査が行われ、
三分の一程度が削り取られている。
主郭の周りは土塁と空堀がめぐっており、曲輪Ⅱも土塁が全周し、
その外側は大規模な空掘で囲まれている。
北面中央の開口部は櫓門の虎口跡と思われる。曲輪Ⅲは大規模な土塁が全周し、
東北部には破壊された土橋で城外と接続されていたことが考えられる。  
小坂城の主廓の発掘調査では、堀の城内側が柵で囲まれ、
南西の堀底には、三ヶ所の障子堀の遺構が発掘されている。

小坂城は、岡見城との間にある深い谷津に阻まれている。
この谷津を境に西側が河内郡で東側が信太荘に分断されていた。
そして、小野川の南側の対岸は東条荘であり、
小坂城は敵対する土岐氏との境目に築かれた城と位置づけられる。

            (Wikipedia より引用)





こちらが、小坂城の縄張り図。

      小坂城址縄張り図

           (余胡くんのホームページ からお借りしました。)


岡見城址からも、さほど遠くなく
車であれば5分ちょっとで移動できる距離。

小坂城址は公園として整備されたと聞いていましたが
3台ほど停められる駐車場まで準備されていました。


駐車場だけではありません。
説明看板もしっかり入口に準備されていました。
それも2枚。この説明看板を読めば小坂城址の歴史は何となく判ります。
そして城主であった岡見氏についても触れています。

      20140319小坂城址01


      20140319小坂城址02


そして、立派な石碑。


      20140319小坂城址04


      20140319小坂城址03


新しい木の階段を登って城内に入ります。


こちらが、三郭手前の削平地。
一見、郭のように見えるけれど郭ではないようです。

      20140319小坂城址05


削平地には、小坂城址にまつわる逸話の説明板が建っています。

      20140319小坂城址06

この話は、牛久地方の昔話として語り継がれているそうです。


小坂城に下女として働いていた「きく」という若い娘がいた。
きくは働き者で、毎朝早くから水汲みをしていた。
ある日、きくがいつものように水を汲みに出ると、
遠くに煙が上がっているのがみえた。それは敵が兵糧を炊いている煙だった。
きくがそのことを殿様に注進すると、殿様は急いで家来たちを集めて備えを立て、
そのお陰で小坂城は敵の攻撃から城を守りぬくことができたという。
 
この攻城戦の後、きくは殿様から褒められ、
褒美として美しい笄(こうがい・・・くしのようなもの)を貰った。
それは殿様からの拝領品でとても大事なものであった。
ところがある日、きくは洗濯をしているときに誤って、この笄を井戸に落としてしまったのであった。
殿様から貰った大事なものを失くしたと分かったら、どんな罰を受けるかもしれない。
そう思ったきくは、お城での勤めを辞め、実家に帰った。
そして、笄をなくしたことを家族だけに話して、他人には知られないように過ごしていた。
しかしそんなある日、実家からきくの姿が突然消えてしまった。
家人たちが心配して探したが、きくの行方は、わからなかった。
「笄をなくしたことがショックでどこかにい行ってしまったのか?」と家族は囁きあったという。

そんなある日、城の井戸の水を汲もうとしていた下女の一人が、
井戸の底に着物のようなのが見えるのに気がついた。
驚いて引き上げてもいると、それはきくだった。
きくが笄をなくした話を家族から聞いた人々は
「かわいそうに、きくは笄を取り戻そうとして井戸に入って死んでしまったのだ」と噂した。
その後、きくを偲んで、井戸の脇に小さな松が植えられた。
その松はすくすく育ち、何年か経つと笄のような形になっていった。
後にそれを見た人はみな「ごらん、あれはきくの魂が乗り移ったものだよ」と噂をするようになったという。
その後、小坂城は廃城になったが、井戸は変わらず水をたたえ、松も以前のままで残っているという。
 





この奥にあるのは三郭。
手前が空堀。


      20140319小坂城址07


各郭には説明板が建っていて、親切この上ない。

      20140319小坂城址08



こちらが、三郭。
思ったより広くはありません。

      20140319小坂城址09



こちらが、三郭の虎口。

      20140319小坂城址10



こちらが、三郭の空堀。
三郭をぐるっと取り囲むように空堀が張り巡らせています。

      20140319小坂城址11


      20140319小坂城址12


こちらが、四郭。
こちらも広くはありません。

      20140319小坂城址13


四郭とニ郭を隔てる空堀。
二重空堀になっています。

左側が四郭、右側がニ郭。


      20140319小坂城址14



こちらは、三郭とニ郭を繋ぐ土橋。
右側が三郭、左側がニ郭。


      20140319小坂城址15


空堀もしっかり残っています。

      20140319小坂城址16



こちらは、二郭虎口。

      20140319小坂城址17



こちらが二郭。
三郭、四郭に比べると、それなりに広い。

画面右側には空堀。
さして、そらに右側の土壇が主郭の物見台。


      20140319小坂城址18


二郭と主郭を隔てる空堀。
しっかりと横矢が掛かっています。

      20140319小坂城址19


こちらは、主郭に至る土橋。

土橋を渡れば主郭。
いよいよ、小坂城の本丸に突入します。

      20140319小坂城址20



こちらが、主郭。

      20140319小坂城址21



主郭からの展望。

この方角に、江戸崎土岐氏の支城である泉城があります。
岡見城との距離は直線でおよそ2kmほどで、
江戸崎城を本拠とする土岐氏 と敵対する岡見氏は
この小坂城を最前線の守備の要としていたのでしょう。


      20140319小坂城址22



こちらは、主郭にある物見台(櫓台)。

      20140319小坂城址23


小坂城址で一番高い地になります。

      20140319小坂城址24



平成の武将犬 びいすけ。
小坂城を制覇した瞬間です。(笑)

      20140319小坂城址25


      20140319小坂城址26


主郭物見台から眺める二郭虎口。

      20140319小坂城址27

この位置からでもしっかりと確認できます。



全体的に小ぶりながらも、しっかりと数多くの遺構が残され
非常に見応えのある城址です。
国道408号線を整備する際に、主郭の三分の一程度が破壊されたと言うことですが
そのまま残されていたのなら、もっと素晴らしかったかもしれません。
しかしながら、隣接するように小坂団地と言う分譲住宅街が出来たにも関わらず
よく、この素晴らしい史跡を残してくれました。
そして、さらに整備して史跡公園として後世に残す努力をしている牛久市には脱帽モノです。

良いモノを見せていただきました。


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2014/04/04 Fri. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit