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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

松虫寺  (2014年3月15日)(千葉県印西市) 

3月15日 公休日

個人的な連休初日


この日は印西市に用事があったので
朝から(と言っても9時過ぎですが)印西市に出かけました。


せっかくだから、以前から行きたかった場所にも立ち寄りました。

最初に立ち寄ったのは 松虫寺



今から30年ほど前、京都に住んで居ました。
京都と言っても限りなく大阪に近い長岡京市。
そちらに住んでいた時、知り合いから教えてもらったのが
桂あたりだったと思うけど、鈴虫寺と言う珍しい名前のお寺。
真冬の時期外れに訪れたけど、お寺の中に鈴虫がいた。
正確には、鈴虫が飼育されていて、季節外れの鈴虫の鳴き声を聞いた。

そんな遠い記憶を思い出すような、松虫寺。
はたして松虫が飼育されているんだろうか?

多少の興味を抱いて、やって来ました松虫寺。




この坂を登れば、やがて松虫寺の門前に出ます。


      20140315松虫寺01



駐車場に建つ、案内看板。
印西市はこの辺りを『松虫寺といにしえの田園』として、
観光に力を入れたいみたいです。


      20140315松虫寺02



近くには松虫城址(松虫陣屋跡)があります。


      20140315松虫寺03




こちらが、松虫寺の山門。


      20140315松虫寺04




松虫寺は、千葉県印西市(旧・印旛村地区)にある真言宗豊山派の寺院。
山号は摩尼珠山。院号は医王院。本尊は七仏薬師瑠璃光如来。
建立は天平17年(745年)といわれる。
言い伝えによれば、聖武天皇の第3皇女松虫姫(不破内親王のこととされている)が
病にかかってこの地を訪れ、その没後行基が開山となって創建したと言われています。



詳しく語れば..............
この地域には松虫姫の伝説が残されています。


今から1300年ほど前の奈良時代。
東大寺を建立した聖武天皇の第三皇女に松虫姫(不破内親王)という美しい姫君がいました。
年頃になって重い難病にかかり、姫はもとより父帝や母の后の嘆きはひとかたではなく、
あらゆる治療の手を尽くしましたが、病は重くなるばかりでした。

ところがある夜、坂東の下総に効験あらたかな薬師如来があるという夢のお告げがあり、
天皇は藁にもすがる思いで松虫姫を下総に下向させました。
板東は聞くもおそろしい化外(けがい)の地であったので心ぼそいことかぎりなく、
従者は一人逃げ二人去りして、下総の国府に着いたときには、
杉自という乳母と数人の従者だけになっていました。

ともあれ、一行は国府をあとに疲れた足を引きずるようにして、
印旛沼のほとりの萩原郷にたどり着きました。
すでに陽は西に傾き、訪ねる薬師堂は満々と水をたたえた湖沼を見下ろす丘の上にありました。
都を遠く離れて、見知らぬ板東の、人家もまばらな貧しい村里にたたずむ心ぼそさはたとえようもなく、
人々はただ呆然と立ち尽くすばかりでしたが、今の松虫姫にとっては、
この薬師仏にすがりつくほかに生きる望みもありませんでした。

必死に祈ることだけが、ただひとつの生きる証しなのでした。
姫は心をとりなおして、薬師堂のかたわらに草庵を結びました。
その草庵で雨の日も風の日も、粉雪が舞い乱れて寒風吹きすさぶ冬の日も、
朝夕一心に祈り続けました。

乳母や従者たちも、思い思いに近くに小屋をかけて、
姫と行を共にしながら、都で習い覚えた機織りや裁縫、養蚕などを村人に伝え、
生活の糧としながらかしづいていました。

数年の歳月はまたたくまに流れ、姫の一念は御仏に通じて、
さすがの難病もあとかたもなく全快しました。

姫はもとより従者たちの喜びは一方でなく、また都の技術を教わった里の女房や娘たちも、
今はすっかり松虫姫を慕って共に喜んで、病気全快の報せはただちに都へ届けられました。

都からはさっそく迎えの人々が差し向けられましたが、
松虫姫は、見知らぬ下総の地で途方にくれる自分達を親切にいたわってくれた淳朴な村人たちに報いるため、
乳母の杉自をこの地に残し、都の技術を広めよと命じて、名残を惜しむ村人たちに見送られて都へ帰って行きました。

このとき、都から姫を乗せてきた牛は年老いて乗用にたえられなくなっていましたので、
乳母と共に残して行くことにしましたが、これを悲しんだ老牛は自ら近くの池に身を投じて果てたといいます。
村人はその牛の心根を哀れみ、今も「牛むぐりの池」と呼んで語り伝えています。

松虫姫から詳しいようすを聞いた聖武天皇は、効験あらたかな尊い薬師佛を
野末の街道にさらしておくのは畏れ多いとして、僧行基に命じ、
七仏薬師群像を刻して献じ、一寺を建立して松虫寺と名付けました。

その後、松虫姫は異母兄塩焼王の妃となりましたが、皇位継承にからむ藤原一族の政争にまきこまれ、
二度にわたる流刑の悲運に見舞われながら、数奇な生涯を終えました。

遺骨は遺言によって松虫寺に分骨され、村人は境内に墳(つか)を建てて丁重に葬り、
松虫姫御廟と呼んで現在に伝えています。





そんな伝説の残る松虫寺を散策してみましょう。


      20140315松虫寺05


先ずは、仁王門前にて。


      20140315松虫寺06


      20140315松虫寺07



仁王門の仁王が物凄い形相で出迎えてくれます。


      20140315松虫寺26


      20140315松虫寺27




房総の魅力 500選 の碑もありました。


      20140315松虫寺08



松虫寺の由緒の記された碑。
そして碑の脇にずっしりと根を張る樹齢数百年の巨木。

この木を見ただけでも松虫寺の歴史重さを感じさせてくれます。


      20140315松虫寺09


こちらが松虫姫御廟。
本堂の裏手に、石の柵に囲まれた墳(つか)。
一本の老樹が亭々とそびえています。


      20140315松虫寺10


      20140315松虫寺11


      20140315松虫寺12




こちらが、松虫寺に隣接する(って言うか、松虫寺の境内にある)松虫姫神社。


      20140315松虫寺16



左奥に見えるのが拝殿。


      20140315松虫寺15


こちらが、その拝殿。


      20140315松虫寺14


拝殿に掲げられた扁額(神額)。


      20140315松虫寺13






こちらが、松虫寺の薬師堂。


      20140315松虫寺17


薬師堂の扁額(寺額)。

      20140315松虫寺24


扁額と並んで掲げられた絵画。
かなりの時代もの。
色褪せ感が半端なく、これまた月日の流れの重さを感じます。


      20140315松虫寺25






薬師堂脇の梅の木も恥ずかしそうに花を咲かせ始め
何処と無く、春の到来を感じさせてくれます。


      20140315松虫寺21


      20140315松虫寺22


      20140315松虫寺23



こちらは、梵鐘。


      20140315松虫寺18


      20140315松虫寺19




おそらく松虫寺関係者の住居の前に建つ山門。
これだって時代掛かっていて味がある。


      20140315松虫寺20



松虫寺から、ちょっぴり足を伸ばします。


この地方も庚申塔が多く建ち並ぶ地域です。


      20140315松虫寺28


      20140315松虫寺29


      20140315松虫寺30


これらの石碑、石仏群は一体どれぐらいの月日を
この場所で、この松虫姫の伝説の残る里で建ち並んでいるのだろうか?


数百mも歩けば、近代的な分譲住宅が建ち並ぶ印西市の一画。
まだまだこんなに魅力のある場所が残っているんですね。



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2014/03/24 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit