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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

駿府城址 《駿府公園》 (2014年2月1日)(静岡県静岡市) 

2月1日 公休日


POCKETをあとにして向かった先は

      駿府城址


せっかく静岡市に来たのだから、せめて城址の一つぐらい見て帰りたいな。
そんな個人的な欲望に勝てず、訪れてみました。

本当は徳川家康の墓所である久能山東照宮(久能城址)や蒲原城址と
行きたい所はあるんだけれど、それは次回の楽しみに取って置きましょう。


駿府城はご存知、徳川家康が築いた城。

もっと詳しく調べて見ると.......


14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、
この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となっていた。
今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行ったが、
16世紀には甲斐を中心に領国拡大を行っていた武田氏との同盟関係が解消され、
武田氏の駿河侵攻により今川氏は駆逐され、城館は失われた。

今川領国が武田領国化されると支配拠点のひとつとなるが、
武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、
甲斐・駿河の武田遺領は三河の徳川家康が領有した。
徳川氏時代に駿府城は近世城郭として築城し直され、この時に初めて天守が築造されたという。
その後1590年(天正18年)には、豊臣政権による後北条氏滅亡に伴う家康の関東移封が行われ、
徳川領国と接する駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入城する
(甲斐の甲府城にも、同様に豊臣系大名が配置されている)。

江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、
大御所となって江戸から駿府に隠居した。
ただし名目上は家康の子の頼宣による駿府藩50万石、ということになっている。
このとき駿府城は天下普請によって大修築され、
ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。
天守台は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大の天守台であった。
しかし1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失した。
その後直ちに再建されたが、1610年(慶長15年)再建時の天守曲輪は、
7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となった。

1616年(元和2年)に駿府城で家康が没するまでの大御所政治時代、
駿府は江戸と並ぶ政治・経済の中心地として大いに繁栄した。

                    (Wikipedia より引用)



こちらが駿府城の縄張り図   ( 余湖くんのHP よりお借りいたしました)

     駿府城縄張り



縄張り図では三の丸堀まで描かれていますが
現在、そのほとんが埋められてしまっています。

かつてのこの地区の中心地にあった駿府城址。
その三の丸には静岡県庁が建ったり、市民体育館が建っていたりと
かなり変革をしていますが、二の丸堀より内側は駿府城公園として整備され
現在に至っています。

ちなみにこの駿府城は(財)日本城郭協会が 日本100名 の一つに選定しています。




さて、その駿府城址ですが市街地にある城址のため車で行くとちょっと不便。
と言うのも近隣には公共施設の駐車場しかなく
この日は土曜日。かろうじて体育館の有料駐車場に車を入れることができました。

帯域感のある辺りはかつての三の丸。

二の丸堀に架かる橋を渡り、北御門から場内に入ります。

      20140201駿府城址01


こちらが北御門跡。

近世に(家康の隠居時)改修されたから、その当時の石垣。
中世の白が多い関東ではあまり見慣れない石垣は立派です。

      20140201駿府城址03


      20140201駿府城址04


北御門からの二の丸掘

      20140201駿府城址41


      20140201駿府城址42


北御門から城内に入ります。


縄張り図ではありませんが、現在の駿府城公園の案内図

      20140201駿府城址05


公園として憩いのひととき
紅葉山庭園前の広場

      20140201駿府城址06


ここは、かつての二の丸
現在は紅葉山庭園前の広場として広く解放されています。

      20140201駿府城址07


      20140201駿府城址08



二の丸堀の土塁

      20140201駿府城址09


土塁は堀沿いの周遊路(散策路)となっています。

      20140201駿府城址10


こちらは、駿府城の説明看板

      20140201駿府城址11





こちらが本丸跡

城址碑(本丸跡碑)と徳川家康公の像

      20140201駿府城址12


      20140201駿府城址13



家康公の左腕には鷹

鷹狩りが好きだった家康公らしい像です。

      20140201駿府城址14


      20140201駿府城址15



家康公の像に隣接して家康公お手植えの蜜柑の木があります。

      20140201駿府城址16


      20140201駿府城址17



さらにその脇には、徳川恒孝(徳川宗家第十八代当主)書の東照神君御遺訓の碑があります。

      20140201駿府城址18


人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思へば不足なし。
心に望おこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。
勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば害その身に到る。
己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり



う~ん、考えさせられますね........

さすが、天下を取った徳川家康が遺した言葉。
徳川家の家訓でもあります。




本丸から二の丸へ向けてさらに散策(散歩)は続きます。

      20140201駿府城址19



この先に、二の丸東御門 巽櫓があります。

      20140201駿府城址20


東御門 巽櫓を眺めます
この場所からは、まだちょっと距離があります。


ゆっくり歩いてみましょう。

      20140201駿府城址21



東御門 巽櫓の前には本丸堀。

かつて駿府城は三の丸堀、二の丸掘、本丸掘と3重の堀で囲まれた城郭でした。

三の丸堀と本丸掘はほとんどが埋められてしまいましたが
この本丸掘は、発掘・復元されたものです。

本丸堀(内堀)はこの一部のみ復元されています。

      20140201駿府城址22


こちらが本丸堀の説明版。

      20140201駿府城址23



二の丸から本丸堀を眺めてみます

      20140201駿府城址24



二の丸にある駿府城公園の碑

      20140201駿府城址25



こちらが復元・東御門 

枡形も立派。

枡形とは
枡状の四角い形に土塁や石垣を配置して、その一辺に開けられた開口部から出入りし、
四角い空間のなかのもう一辺から郭内に入るように、
最初の入口を入った敵は、郭の入口との間にある空間(桝形)で、
四方から攻撃にさらされるように、防備を強化した虎口


      20140201駿府城址26


      20140201駿府城址27


東御門に架かる橋

      20140201駿府城址28


      20140201駿府城址30



橋から眺める二の丸掘

      20140201駿府城址29



二の丸掘前にて
背後に見えるのは巽櫓
そしてさらに奥に見えるビルが静岡県庁。

      20140201駿府城址31



再び、城内に戻ります

二の丸にある駿府城下町の絵図の碑

これを見ていると、いかに駿府城下が繁栄していたかがわかります。

      20140201駿府城址32



二の丸堀沿いには土塁の散策路があり、
双葉葵の小路なんてお洒落な名前がついています。

      20140201駿府城址33


双葉葵の小路をぐいぐいとリードを引っ張り、先を急ぐ びいすけ 。

      20140201駿府城址34



こちらが水路。
本丸堀(内堀)と二の丸堀(中堀)は水路で結ばれており、
本丸堀の水位を一定に保つような構造になっていたそうです。

      20140201駿府城址35


      20140201駿府城址36


説明板にもしっかり堀と水路の関係について記載されています

      20140201駿府城址37



こちらは復元された本丸堀。
しっかり水路に繋がっています。

      20140201駿府城址38




ぐるっと駿府城址を散策したから、そろそろ帰りましょう。
体育館の駐車場に戻ります。

来た道を戻るように二の丸から北御門へと向かいます


現在は駿府城公園となっている駿府城址。
静岡市民の憩いの場となっているようです。

ワンコの散歩で訪れる人も多いようで
この日も何頭かのワンちゃんに会いました。

      20140201駿府城址02


      20140201駿府城址39


      20140201駿府城址40



市街地にある駿府城址。
正直たいしたことがないと思っていたけれど
やっぱり徳川家康の隠居城だけあって見ごたえはありました
ただ遺構が少ないと言えば少なく、それが残念と言えば残念。

ただ市街地にある城址だけど、駿府城公園としてその敷地が残されていることは
本当に喜ばしいことだと思ったりもします。
三の丸跡地には県庁があったり、市民体育館があったりと
下手すれば城址そのものが、開発という名の下で堀も埋められ
石垣も崩されて跡形もなくなっていたかもしれない.........

家康の隠居城でもあり、三河の戦国大名だった家康が
関東に進出(秀吉の策略によするが後にり江戸へ移封)する直前まで
駿河の地の拠点とした駿府城。

またいつか訪れてみたいものです...........。


 
 
 


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2014/02/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit