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び・び・びのびいすけ

山中城址 (2013年12月24日)(静岡県三島市) 

12月24日 公休日


この日、駿東地区から伊豆へ出かけた最大の目的は
三島市にある国史跡の城址の見学です


向かった先は..........

     山中城址


山中城は

永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城される。
北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、
城は東海道を取り込む形で造られていた。

北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、
山中城は改修し防備を固めることになるが、
結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。
1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、
守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4千は奮戦し、
豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、
猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。
戦後、城は廃止された。

1930年(昭和5年)に国の史跡に指定された。
1973年(昭和48年)から三島市が公園として整備をはじめ、合わせて学術的な調査もなされた。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(40番)に選定された。

                     (Wikipedia より引用)




こちらが山中城の縄張り図


      山中城祉縄張り図




こちらが山中城址

ちょうど国道一号線沿いにあり、駐車場も完備されています。
駐車場のある辺りが三の丸にあたります。

駐車場に車を停めて、山中城址の攻略開始です

      20131224山中城址01


さすがは、国指定史跡。
説明板が充分過ぎるぐらい準備されています。

山中城址について記されているこの説明板を
10枚近く見たような気がします。

      20131224山中城址02


こちらは、三の丸空堀。

      20131224山中城址03


      20131224山中城址04


こちらは田尻池。
山城だったために、こう言った水の手は必要不可欠なもの
しかし、今も渇れずに残っています。

      20131224山中城址05


田尻池から西の丸を目指します。



こちらは、元西櫓下の堀

      20131224山中城址06


      20131224山中城址07



こちらが、西の丸の空堀。

      20131224山中城址08

この辺りから、山中城址の見所が始まります。

西の丸の空堀は畝堀

空堀内に進入した敵の動きを鈍くさせるため
このように畝を設けています。

      20131224山中城址09

また、堀底に雨を溜めることも出来、
水が貴重な山城での水の補充の役割をしていたとも言われています。

      20131224山中城址10




こちらは、西櫓堀

      20131224山中城址17


9m感覚で8本の畝が堀に対して直角に作られています。

      20131224山中城址11





そして、こちらが障子堀。



手前が西櫓
奥が西の丸
2つの郭をこの障子堀が隔てています

      20131224山中城址12


これぞまさに北条氏の築城の証とも言えるモノ。

      20131224山中城址13


それくらい、小田原北条氏の支城には
畝堀、障子堀の空堀を持つ城は多い。

北条流築城、ここに在り!




こちらは、角馬出。

      20131224山中城址14


馬出とは虎口(曲輪の出入口)に的土という盛土を土塁外側(又は内側)に施し
外側から郭内を覗きにくくしたり、敵の侵入に対し、
城内(郭内)から攻撃しやすくするために設けられたものです。


戦国時代の城は2つの虎口に1つの広場を組み合わせ馬出を構成しています。
甲斐・武田氏は馬出の土塁と堀を丸く造ったので、『丸馬出』と呼ばれ
堀が丸く円弧を描くので『三日月堀』と呼ばれています。

対する小田原北条氏は四角い広場(この場合は西櫓)を構築しているため
『角馬出』と呼ばれています。




この西櫓の芝生は気持ち良さそうだなと思っていたら......

      20131224山中城址15




案の定、芝生にごろ~んと転がっています。

      20131224山中城址16




西櫓の堀沿いに建つ山中城址の碑

      20131224山中城址18



西櫓からは富士山が見えるはずなんですが
この日はあいにく富士山は雲がかかって見えませんでした。
天気はいいんですがねぇ...........

      20131224山中城址19



障子堀を先ほどとは別角度から見ます

やっぱり、美しい
そしてやっぱり、こんな堀を考えるなんて
北条流築城はすごいって思っちゃいます。

      20131224山中城址20



西の丸の畝堀
西の丸はこんな畝堀が三方を取り囲んでいます

      20131224山中城址21



こちらは西の丸

      20131224山中城址22



西の丸の虎口

      20131224山中城址23



山中城は曲輪の四方を土塁が取り囲み、それが綺麗に残されています。

      20131224山中城址24




西の丸と西櫓は架け橋が架けられていたようで
こんな形の橋だったようです

      20131224山中城址25



西の丸の芝生も気持ち良いのか?

目を離すと、いつの間にか芝生にごろ~んと転がっています

      20131224山中城址26



西の丸側からみる障子堀
やっぱり素晴らしい

その言葉しか出てきません

      20131224山中城址27<



西の丸から眺める富士山方面
本当ならバッチリ見えるはずなんですけど.........

      
20131224山中城址28



西の丸見晴台

      20131224山中城址29


      20131224山中城址30



西の丸から北の丸方面へ移動します


西の丸の下にある溜池跡

      20131224山中城址31



溜池の上の空堀(畝堀)は整備中

      20131224山中城址32


北の丸手前の空堀
こちらも畝堀ですが、今一歩畝の状態が確認しづらい。

      20131224山中城址33



北の丸虎口付近

      20131224山中城址34



虎口の土塁もしっかりしています。

      20131224山中城址35



北の丸と本丸を繋ぐ木橋
もちろん復元されたものですが
往時もこんな感じで畝堀に架けられていたようです。

      20131224山中城址36


こちらは、北の丸堀
畝堀ではないけれど、広さ、深さはかなり有り
北側からの敵の侵入を阻みます

      20131224山中城址37


北の丸もそれなりに広い

      20131224山中城址38



秀吉軍との最後の攻防の舞台がこの北の丸であったということで
城将・松田康長は奮戦の末、ここで戦死したと言われています。

      20131224山中城址39



北の丸と本丸・天守台を隔てる空堀

      20131224山中城址40



北の丸も曲輪の周囲を土塁で囲われています

      20131224山中城址41



北の丸から木橋を渡り、本丸へ突入いたします

      20131224山中城址42




こちらは、本丸・天守台

      20131224山中城址43

二層くらいの櫓だ建てられていたと言われています




本丸脇にある 矢立の杉

出陣の際に杉に矢を射立てて勝敗を占っていたと言われています

      20131224山中城址44





本丸は3段の曲輪となっています。


3段曲輪の1番下段には、樹齢約600年のカシの木があります。

      20131224山中城址45



山中城の歴史を今日まで見届けて来たカシの木です。

      20131224山中城址46


カシの木の脇には、駒形諏訪神社がひっそりと鎮座しています。

      20131224山中城址47



本丸と二の丸を隔てる障子堀。

      20131224山中城址48


見事!! っ言うしかない。

      20131224山中城址49




こちらは、二の丸。

奥に見える高台は二の丸櫓台。

      20131224山中城址50


      20131224山中城址51


二の丸櫓台から見下ろす二の丸と架け橋。
さらには畝堀。

      20131224山中城址52


架け橋と畝堀。

      20131224山中城址53


こちらは、二の丸虎口。

手前側の架け橋を渡れば元西櫓。

      20131224山中城址54


二の丸虎口を別角度から

      20131224山中城址55



二の丸から三の丸へと移動します。



こちらは上から見下ろす、田尻の池。

      20131224山中城址56


この辺りの下り道(階段)で、 びいすけ がリードをグイグイ引っ張り
階段の滑り止めの土嚢に足を取られ(って言うか、濡れていた土嚢に滑った)、
すってんコロリン………………
思い切り転んじゃいました。

デジイチカメラ、壊れなくて良かった。
って言うか、カメラを守って思い切りお尻を打って
尾骶骨が痛かったぁ………………。




三の丸の一角には宗閑寺があり、
戦死した将兵の菩提を弔っています。

      20131224山中城址58


宗閑寺には、山中城主・松田兵衛大夫康長、
援軍の将・間宮豊前守康俊、箕輪城主・多米出羽守平長定の墓があります。

      20131224山中城址57

また、北条方だけではなく、討ち死にした豊臣方の武将・一柳直末らの墓が並んでいます。




こちらが、三の丸にある駐車場入口。
目の前を国道1号線が走り抜け、アクセスは抜群。

      20131224山中城址59

裏を返せば、国道1号線が城址を分断している。
良く言えば、国道1号線を城址が取り込んでいる。



こちらは、旧・東海道(旧・箱根街道)
こちらも山中城址は一部として取り込んでいます。

      20131224山中城址60

この石畳みの街道を豊臣軍3万5千の兵が、山中城を目指して、
さらには、小田原を目指して進軍してきたそうです。



国道1号線を挟んで旧東海道の奥には袋先出丸があります。


秀吉との対決が決定的となった天正十五年(1587年)頃から、
三の丸から旧東海道を挟んだ岱先の地を出丸として取り込み
大改築が実施されましたが、普請半ばで秀吉の小田原攻めとなり
未完成のまま秀吉軍の攻撃を受けたと言われます。

出丸と言えば、ちょっとした郭があって、土塁があってというイメージですが
この袋先出丸は規模が違う。
さすがに秀吉の小田原攻めに北条氏が備えようとしただけがあります。
ちょっとした一つの城郭と言っても過言ではありません。




こちらは御馬場曲輪。
確かに広い曲輪です。

      20131224山中城址61


袋先出丸のすり鉢曲輪手前の見張り台

      20131224山中城址62

ここも富士山がバッチリ見えるはずなんですが........
あいにくの雲が恨めしい。
富士山の裾野は何となく確認できるんだけどなぁ......



御馬場曲輪の土塁の上から見下ろす一の堀
これも見事な畝堀

おの畝堀の奥に旧東海道が走っています
さらに奥には国道1号線。

      20131224山中城址63



等間隔に設けられた畝
まさしく北条流築城術の結集とも言えます

      20131224山中城址64


      20131224山中城址65


      20131224山中城址66



こちらが、すり鉢曲輪

廓が中心部に向けてすり鉢状になっています。

      20131224山中城址67



すり鉢部から、御馬場曲輪の見張り台を見上げてみます

      20131224山中城址68



すり鉢曲輪の奥には武者溜り

豊臣軍に備え、ここに多くの兵が待機していたのでしょうか?


      20131224山中城址69



すり鉢曲輪の虎口

      20131224山中城址70



この辺りが袋先出丸の未完成部分と言われています。
ここにも曲輪を構築中だったようです。

      20131224山中城址71



御馬場曲輪の南側の堀
ここも畝堀だったようですが、今は畝がなくなっています
画像では見にくいのですが、わずかに畝跡が一本残っています。

      20131224山中城址72




再び、御馬場曲輪にて

      20131224山中城址73



高くはありませんが北側の土塁
この土塁の下には一の堀
見事な畝堀が待ち構えています。

      20131224山中城址75


      20131224山中城址74




御馬場曲輪から山中城址の本丸方向を眺めます

      20131224山中城址76



何だかんだと山中城址をぐるっと散策したら
駐車場に車を停めてから、2時間が経っていました。

それほど見応えのあった山中城址。

3万5千と言われる秀吉軍の攻撃にたった半日しか持ち堪えられなかったけれど
この城は紛れもなく名城だったと思います。

やっばり、小田原北条氏直轄の支城は味があって面白い。

冬のこの時期、芝生は枯れて茶一色だけど
新緑の時季に緑一色の曲輪や畝堀、障子掘を見に来たいと思います。











  
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2014/01/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit