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び・び・びのびいすけ

葛山城址 (2013年12月24日)(静岡県裾野市) 

12月24日 公休日

東名高速を裾野ICで降り、向かった先は

葛山城址      


葛山城は

築城時期は定かではないが、
室町期に駿東一帯を支配した大森氏が小田原城に本拠を移した際に、
一族の葛山氏が居住したと言われています。
葛山氏は国人衆として駿河守護職の今川氏の被官となっていましたが、
富士川以東は今川氏の直接支配は及ばず、葛山氏は半独立勢力であったようです。

延徳三(1491)年、興国寺城にいた伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆に討ち入り
堀越御所を急襲、足利茶々丸を討った際にも、
葛山氏は今川氏に命じられて援軍として参加しています。
その後、葛山氏は早雲の次男、氏時を養子として迎えています。
永正十一(1514)年には今川氏親が甲斐の内紛に介入し、葛山氏も甲斐に出陣しました。
大永六(1526)年に北条氏綱と武田信虎が籠坂峠で争った際も北条方に与していたと見られ、
葛山氏元はのちに北条氏綱の息女を娶っている。
天文五(1536)年、今川義元が武田信虎と和睦したことに怒った北条氏綱が
駿東に侵出(河東一乱)した際には、北条に与していたと思われます。

永禄十一(1568)年、武田信玄が駿河に侵攻すると、
葛山氏元は朝比奈・三浦・瀬名氏らと武田氏に内通しました。
永禄十二(1569)年には北条方の富士兵部少輔信忠の大宮城を包囲し、開城させています。
その後の蒲原城攻撃でも先方の一翼を担いましたが、武田氏の恩賞に不満を持った氏元は
武田氏に反旗を翻す企てを察知され、幽閉の後、諏訪の地で斬られてしまったということです。
氏元の死後は信玄の六男・信貞が葛山氏を嗣いだが、
天正十(1582)年二月に武田氏は滅び、信貞も甲斐善光寺で自刃し、
葛山氏は滅び、葛山城も廃城となったと言われています。




こちらが、葛山城址の縄張り図
余胡くんのホームページ よりお借りしました。)

      葛山城址縄張り図



縄張り図の下の位置、ちょうど集会所の前に
葛山城址の碑が建っています。

この場所は仙年寺への入り口でもあり、
仙年寺の裏山が葛山城址になります。

      20131224葛山城址01


      20131224葛山城址02


この葛山城址のある一帯の里山を裾野市が
『もののふの里 葛山』と銘し、観光資源として力を入れているようです。

      20131224葛山城址03



幾つかの登城ルートがあるようですが
仙年寺の左手の墓地の奥に続く山道を選び散策開始です。

墓地を右方向に見ながら、ひたすら斜度のある山道を歩きます。
ヒイヒイ言いながら、歩くこと10分ほどで二郭の下辺りに辿り着けます。
このコースは西側の郭から主郭へと続くようです。

目の前にいきなり、こんな堀切が現れます。(六号堀)

      20131224葛山城址04


さらに、もう1本、堀切が並びます。(五合堀)

      20131224葛山城址05


この辺りから、城址の雰囲気満載。
びいすけ の背後にも竪堀が確認できます。(四号堀)

      20131224葛山城址06


西の堀切に登ってみます。
堀切って言ってもこのレベルと傾斜は、もはや竪堀。

      20131224葛山城址07


こちらは西の出丸。
そして西の出丸に鎮座する雷神社。

      20131224葛山城址08



西の出丸から北方向に降りたところが水の手。
山から湧き出る清水がここから沢となり流れていたらしい。

      20131224葛山城址09


今は渇れてしまったが、かつては天然の沢が堀となり
葛山城の要害性を高めていたと言うことです。

      20131224葛山城址10


かつての沢も、今は見事な空堀の様に見えます。

      20131224葛山城址11


      20131224葛山城址12


沢の水を塞き止めていたと思われる水堀堰跡。

      20131224葛山城址13


水の手から沢に沿って10分ほど歩けば
葛山城址の大手口に辿り着けます。

立派な看板も建てられ、本来はこちらが正当な登城口かも知れません。

      20131224葛山城址14


こちらは、大手曲輪。

      20131224葛山城址15



大手曲輪から東曲輪に至る坂道は紅葉の並木道。
紅葉の時期は過ぎてしまったけれど、かなりの落ち葉の量から推測すれば
絶景の紅葉のトンネルだろう。
来年は秋に訪れてみたいものです。

      20131224葛山城址16



こちらは東曲輪。

      20131224葛山城址17



東曲輪の先には、見事な堀切。(一号堀)

      20131224葛山城址18


さらに、もう一本の堀切。

西側だけで無く、東側も二重堀切です。

      20131224葛山城址19



それにしても、見事な堀切てす。

      20131224葛山城址20






こちらが、葛山城址の主郭。

      20131224葛山城址21


こんな看板が有ったり

      20131224葛山城址22


四阿が有ったりします。

      20131224葛山城址23


主郭から眺める富士山は別格らしいが、
残念な事に、早朝ははっきりと見えていた富士山も
雲がかかって見えなくなってしまいました。

      20131224葛山城址24


こちらは、主郭から眺める裾野市街。
確かに眺望は良い。

      20131224葛山城址25



二郭から見上げる主郭虎口。

      20131224葛山城址26


そして、こちらが二郭。

      20131224葛山城址27



こちらは、二郭虎口。

      20131224葛山城址28


      20131224葛山城址29


      20131224葛山城址30


二郭から見る西の堀切。
この位置からだと、はっきりと二重堀切なのが分かります。

      20131224葛山城址31




三号堀(竪堀)の階段を下り、下山します。

堀を下って行けば、葛山城址の南麓。
仙年寺の裏手には葛山氏の墓所があります。

      20131224葛山城址32

今川、北条、武田と戦国の歴史の流れに乗り切れず
悲運の末路をたどった葛山氏の墓所です



こちらは仙年寺の山門。

      20131224葛山城址33



仙年寺越しに見る葛山城址。

      20131224葛山城址34



正直、あまり期待していなくて、
30分位でささぁ〜っと散策して帰るつもりでいましたが
西の出丸から水の手、大手曲輪、東曲輪、主郭、二郭とぐる〜っと廻ったら
何と1時間半もかかってしまいました。
上ったり、下ったりと山城は疲れます。
しかしながら、心地よい疲れと、うっすら額に浮かんだ汗が
充実感を感じさせてくれます。

確かに手応えのあった城址でした。

そして、 びいすけ にも良い散歩になったことでしょう………………。


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2014/01/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit