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び・び・びのびいすけ

廿里古戦場跡 (2013年12月16日)(東京都八王子市) 

12月16日 公休日


八王子城址の近く。
都道61号線から高尾街道に合流してJR高尾駅方面に向かう途中に
小田原北条氏と武田信玄が争った古戦場があります。

先日、愛川町にある 三増古戦場跡 に訪れた時に
武田信玄と小田原北条氏の因縁の争いが
幾度とこの地方であったことを知り、立ち寄ったのは………

廿里古戦場跡


廿里古戦場(とどりこせんじょう)は、

戦国時代の1569年(永禄12年)10月1日に武田軍と後北条軍とが戦った古戦場。十十里原古戦場、十々里古戦場とも書く。現在の八王子市廿里町、廿里山(戸取山・鳥取山とも)の南側。現在は、独立行政法人森林総合研究所・多摩森林科学園(サクラの遺伝子保存や森林・林業に関する試験研究機関)がある付近。

後北条氏の本拠・小田原城攻撃に向かう武田信玄率いる甲州勢2万は碓井峠を越え、北条方の支城を攻撃しながら南下し、滝山城の北、拝島に陣を敷いた。一方、武田軍の別動隊で岩殿城主・小山田信茂隊1千は小仏峠から侵入した。これに対し、北条氏照は、家臣の横地監物、中山勘解由、布施出羽守ら2千の兵を派遣し、1569年(永禄12年)10月1日、廿里防塁跡で小山田軍を迎撃したが、待ち伏せの奇計を謀った小山田隊に敗北を喫したとされる。この後、武田軍により、滝山城は三の丸まで攻め込まれたが、かろうじて落城は免れた。北条方は小仏峠からの侵入を予想しておらず、意表をつかれたという。また、加住丘陵を利用した滝山城は南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり、小仏峠を睨んだ強力な防衛拠点の構築を急ぎ、急峻な深沢山に八王子城を築き、本拠を滝山城から移転したという。

                               (Wikipedia より引用)
                          




       20131216廿里合戦跡01


『廿里』と書いて『とどり』と読むそうです。

      0131216廿里合戦跡02



残念ながら、現在は独立行政法人森林総合研究所・多摩森林科学園の敷地となっているため
自由気ままに見学する訳にはいかないようです。

      0131216廿里合戦跡03


こちらが、多摩森林科学園。
この日は月曜日で休園日でした。

      0131216廿里合戦跡04

落ち葉の掃き掃除をさしていた、女性職員の方に聞いたら

園内に犬は入れない。
古戦場の事は何も知らない。

と、つれない返事でした。



この台地の奥が古戦場跡なんですけどねぇ………。

      0131216廿里合戦跡05




仕方ないので周辺を散策します。

道路を挟んだ反対側の台地にも、それらしい雰囲気は残ります。

とは、言っても中世の遺構ではなく
近世に改変されたものだとは思いますが………。

      0131216廿里合戦跡06


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      0131216廿里合戦跡09



こちらは削平地。
住宅地に改変された時のものなのか?
はたまた、この地で『もののふ』たちが争った跡なのか?

      0131216廿里合戦跡07



かつて、この地で武田信玄と戦った北条氏照、そして小田原北条氏。
関東制覇を成し遂げたものの、秀吉によって滅亡された北条氏。
そして織田信長によって滅亡へと追いやられた甲斐・武田氏。

つわものどもの夢の跡

ともにこの地で天下を取ろうという野望を抱いた武者(むさ)が争った。
しかし、その野望はいずれも儚い夢だったようです..............。



 
 
 


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2014/01/05 Sun. 06:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit