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び・び・びのびいすけ

三田氏館跡  (2013年12月16日)(東京都国立市) 

12月16日 公休日

この日は八王子市に用事があったため、朝早くからの外出となりました。
平日の朝に都内を通過する事は渋滞を極力避けるか?
渋滞を覚悟して行くか?
選択肢は二つですが、避けるために朝早くとなってしまいます。

5:30過ぎに、佐倉の自宅を出発。
東関道〜京葉道〜首都高速〜中央道と乗り継ぎ
向かった先は、

        三田氏館跡

中央道国立府中IC近くの谷保天満宮よりちょっと多摩川沿いに奥まった辺りに
城山公園があります。
その城山公園が三田氏館跡になります。


三田氏館は

中世に造られた城館ではあるが、成立年代・館主については諸説あり、
「新編武蔵風土記稿」では鎌倉時代初期にこの地を治めていた津戸三郎為守の居館とし、
また「江戸名所図会」では菅原道武朝臣の居館と伝えてい増す。
その他、大正年間に編纂された谷保郷土史では三田県主貞盛が館主だったとしている。
しかし、いずれも館主を確定するには証拠不充分であるとされています。

諸説がある故に、三田氏館は別名、谷保城、津戸三郎館、三田城とも呼ばれています。


こちらは、三田氏館の概念図


      三田氏館

                        (余湖くんのHPよりお借りしました)



そもそも、この辺りは国立市の環境保全地区となっているようです。

      20131216三田氏館跡01


さっそく、散策開始です。

      20131216三田氏館跡02


雑木林の森のようにも見えますが、いきなり空堀が現れました。

      20131216三田氏館跡03



こちらは、東京都教育委員会が準備した説明看板。

      20131216三田氏館跡04


すぐ近くには、負けじと国立市教育委員会が準備した説明看板。
こちらは「城山」として紹介しているようです。

      20131216三田氏館跡05




かつての空堀が堀底道として公園の散策道(周回路)となっているようです。

      20131216三田氏館跡06



土塁もそれなりに残されています。

      20131216三田氏館跡07


城館跡でなくても、こう言った武蔵野の面影を残す雑木林の道って好きです。
特にこの時期は枯れ落ち葉をサクサクと踏みしめて歩くのって
本当に心地良い。

何故だか、飼い主に似たんでしょうか?
びいすけ も好きなようで、特にトイレ散歩では好評です(笑)。

      20131216三田氏館跡08






竹のフェンスがあって、登れません(入れません)が
どうやら虎口のようにも見える土塁の切れ目。

      20131216三田氏館跡09



どうやら、公園の裏側から入って来たようで
こんな説明板もありました。
こちらには、しっかりと縄張り図も描かれています。


      20131216三田氏館跡10


      20131216三田氏館跡11



以前は、湿地帯であったであろう辺り。
自然の小川が堀の役目をしていたのでしょう。

もっとも、その小川は今や枯れ状態ですが..............。


この先の画像右側の木立の奥が急斜面。
まよわず、果敢に斜面を登ります。

      20131216三田氏館跡12


登った先が、こちら。

土壇があって、土壇の上には社があります。

      20131216三田氏館跡13


      20131216三田氏館跡14


辺りは竹林に覆われ、どうやら個人宅の庭先のようなので
急いで撤収。
本当は位置的に、この竹藪の奥が先ほどの虎口っぽく見えた辺りなんだけどなぁ………。

      20131216三田氏館跡15



こちらは、井戸跡。

      20131216三田氏館跡16



おそらく、こちらが本来の虎口でしょう。
城内(居館内)から眺める形になりますが……………………。

      20131216三田氏館跡17


それにしても立派な土塁です。

      20131216三田氏館跡18



こちらは、虎口手前にある竪堀。

      20131216三田氏館跡19



先ほどの土塁を逆方向から眺めて見ます。

      20131216三田氏館跡20



この城山は個人の所有物らしく
現在2軒の民家が建っています
いずれも、三田氏の末裔とのことです


玄関には三田さんの表札が掲げられていましたが
門柱には 城山 と記されていました。

      20131216三田氏館跡21



城山の片隅には神明宮が祀られています
こちらもこの三田氏館と何か関係があるのでしょうか?

      20131216三田氏館跡22





もう一度、城山のちょっとした坂を下って城山公園に戻ります。

      20131216三田氏館跡23



公園の案内看板もしっかりしています

      20131216三田氏館跡24



こちらは、咲ほどの水堀跡を逆方向から見たところ。
と言うか、かつての湿地帯。
この時期だからだろうか? 小さな小川(?)も枯れています

      20131216三田氏館跡25



半月ほど早く訪れれば、この紅葉ももっと鮮やかだったでしょう。

      20131216三田氏館跡26



こちらの土壇は公園整備時の土盛りなのか?
形状から言えば、かつての土塁のような気がします。

      20131216三田氏館跡27


広い公園ではないので、車を停めた空き地の方へ
もう一度ぐるっと城山を反対方向に回ってみます。

気づかずに見逃した説明板もありました。

      20131216三田氏館跡28



公園内から眺める城山

      20131216三田氏館跡29



そして、別なアングルの最初に見た空堀。
枯葉や腐葉土でが堆積してかなり埋もれているけれど
きっと往時はそれなりの深さを誇っていたのでしょう

      20131216三田氏館跡30


      20131216三田氏館跡31


      20131216三田氏館跡32


方形の単館跡ですが、東京都内でこれだけの形で残されているのは貴重です。
文教地区である国立市であるのと、国道20号線から多摩川方向という
昭和の躍動期に開発から取り残されていた地域というのも
その要因かもしれないけれど、個人所有の城山を守り続けた三田氏末裔の方々の
その思いが今日に至っているのかもしれない

いつまでもこの城山が、このままの形で残されることを期待します..........。



 
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2013/12/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit