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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

沼津城址 《三枚橋城址》 (2013年12月3日)(静岡県沼津市) 

12月3日 公休日

この日は、静岡県沼津市経由で伊豆方面へ出かけてみました。


沼津市内を走る国道1号線。
昔の東海道です。
その国道1号線が市内中心部を走る沼津市ですが
JR沼津駅南側一帯、国道1号線沿いにかつては城が建っていました。

それが沼津城址です。
その沼津城も、かつては同じ場所にあった三枚橋城跡に建てられたものです。

すなわち、沼津城を語る上では、
三枚橋城はなくてはならないものとなります。




三枚橋城とは

天正7年(1579年)武田勝頼により築城された。永禄12年(1569年)、甲斐武田氏と相模北条氏との甲相同盟が破綻し、駿河・伊豆国境付近が緊張した際に北条氏により砦が築かれていたが、その跡地に建設された。御館の乱により敵対することになった北条氏に対する、武田氏の駿河・伊豆国境の最前線の拠点である。城将は高坂源五郎(春日昌元)、曽根昌長、堀内政豊等。武田氏滅亡の直前の天正10年(1582年)2月29日、近傍の武田氏の城戸倉城が北条氏の攻撃により落城したことを受け、守備兵が動揺し自落した。

天正18年(1590年)3月津軽為信は小田原征伐で東下する途上の豊臣秀吉にこの城で謁見し所領を安堵される。

慶長6年(1601年)に大久保治右衛門忠佐が城主となったが、慶長18年(1613年)忠佐死去後は大久保家断絶となり、翌慶長19年(1614年)に廃城となる。

旧国道1号沿いに位置していたが、今日では当時の姿を偲ばせるものはほとんどない。但し石垣等の遺構が見つかっていることから、武田氏滅亡後も整備が続けられ使用されたようである。

なお、同地付近での建築工事時に見つかった石垣用の石が、沼津リバーサイドホテル前、アゴラ沼津前、沼津城本丸址で見ることができる。

                     (Wikipedia より引用)







そして、沼津城とは

安永6年(1777年)に、水野忠友が2万石で沼津に城地を与えられ、廃城後荒れていた三枚橋城の跡地に築城。梯郭式平山城で狩野川に隣接して本丸、その北西に二の丸三ノ丸が造られていた。天守に相当する三層の櫓を本丸に建て、二の丸に御殿を置いた。最終的には、水野家8代の5万石の城下町として栄えた。

一時期沼津兵学校が置かれたものの、明治5年には東京に移転し、明治6年廃城令を待たずして破却されることになった。敷地は民間に払い下げられ、度重なる大火や道路の新設、堀の埋め立て等を経て、城郭は失われた。現在は大手町という地名が残るだけであるが、本丸跡は中央公園として整備され「沼津城本丸址」の碑が建つ。ここまでほぼ完全に破壊された城も珍しいといわれるが、数少ない現存する遺構として、市内の光長寺辻之坊山門が、城門(中庭門とも)が移築されたものと伝えられている。また、市内香貫の民家に奥座敷があったとの事だが、現在では取り壊されている。
                         (Wikipedia より引用)


市内の中心部と言うこともあって
沼津城址は、ほとんどその姿を残さず、
城郭遺構も皆無の状態です。



狩野川沿いに面した沼津城址。
かつての外郭として川廓がありました。
そして外郭沿いに旧・東海道がありました。

      20131203沼津城址01


      20131203沼津城址02



沼津城址の本丸(主郭)は現在、中央公園となっています。

      20131203沼津城址03



公園の一角に沼津城址の説明看板と城址碑が建っています。


      20131203沼津城址04


      20131203沼津城址05


こちらが城址碑。

      20131203沼津城址06

      20131203沼津城址07


かつての本丸跡も、今やコンクリートやアスファルトで固められた広場。

      20131203沼津城址08


季節柄なのか?
敷き詰められたインターロックの敷石も
何故か、寒々しさを感じます。

やっぱり、中世の城には土が似合う。

      20131203沼津城址09



この公園には何も無さそうなので、
ぐるっと周辺を散策します。



静岡銀行敷地内にある復元石垣。
沼津城の発掘調査の際、沼津城の下から出てきたらしい。

      20131203沼津城址10


もっと大きいかと思っていたら
意外に小さかった。

      20131203沼津城址11


この歩道を写真上方面に歩けは
大手町の交差点。
かつての大手門があった所と言われているようです。

      20131203沼津城址12


敷石の敷かれた旧・東海道を歩き、中央公園の裏手に出ました。
同じ本丸跡ですが、一段低くなっていて
ひょっとしたら、かつての堀跡なのかなぁ?

      20131203沼津城址13


      20131203沼津城址14

でも、ここまで改変されてしまうと、当時の姿を偲ぶことも
思い描くこともできません。

地方都市の開発、都市計画による区画整備等々によって
見事なまでに破壊されてしまった典型的な見本とも言えます。

ただ、残念なのはすぐ近くにあるアーケードの商店街も
今一歩、活気が無いように見えたのは気のせいなんだろうか?
世の中はアベノミクスと騒いで(?)いるようだが
本当に景気は良くなっていくのだろうか?

沼津の街に、まだまだ先の見えない日本の姿がオーバーラップして
しまったような気がしました。

 






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2013/12/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit