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び・び・びのびいすけ

興国寺城址 (2013年12月3日)(静岡県沼津市) 

12月3日 公休日


この日は、静岡県沼津市経由で伊豆方面へ出かけてみました。


沼津市には兼ねてから訪れたかった城址があります
小田原北条氏の始祖、北条早雲(伊勢新九郎盛時)がこの地に居を構え
やがて伊豆の韮山へ進出し、その後の小田原北条氏の繁栄の礎となった城。

その城址とは.......興国寺城址


興国寺城とは

正確な築城年は不明だが文明年間(1469年 - 1487年)には築城されていたと推定される。文献上の初出は、『北条五代記』における長享元年(1487年)である。この年、室町幕府官僚であり今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍によりこの城を与えられた。盛時は、この後再び室町幕府官僚として京を中心に活動していたので、常在はしていない。その後盛時は、幕府管領・細川政元の足利義澄の将軍擁立と連動して伊豆に侵入し、伊豆国を治めていた堀越公方の子、足利茶々丸を将軍足利義澄の母と弟の仇として討つという大義名分のもとに滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移った。

この城のある駿東郡の地は、これより先、今川・武田・北条各氏が奪い合うことになる。天文5年(1536)年、当時北条氏と敵対関係にあった武田信虎と今川義元が和睦したことに不満をもった北条氏綱が駿東郡に侵出、北条氏の支配下に入った。それに対し天文14年(1545年)今川義元は、武田信玄、上杉憲政らと連合し、駿河と武蔵で同時に北条氏に対して軍事行動を起こす(河越城の戦い、第2次河東一乱)。北条氏の駿河の拠点・長久保城を包囲して攻撃し、武田氏仲介の和睦によって駿東郡を取り戻した。その後、天文20年(1551年)、北条氏康は駿河へ侵入し今川義元から興国寺城を一時奪取するも、義元は再び奪い返している。

永禄11年(1568年)、今川氏が滅亡し甲相駿三国同盟が破棄されると、武田氏の駿河侵攻に対抗して北条氏政・北条氏邦も駿河に侵出、葛山城などと共に興国寺城を奪回している。元亀2年(1571年)に甲相同盟が再び成立すると、武田氏に引き渡され天正10年(1582年)まで武田氏の支配下におかれる。武田氏滅亡後に領有した徳川家康は、竹谷松平家の松平玄蕃允清宗を2,000貫で配した。

天正18年(1590年)、家康の関東入封後は豊臣氏の家臣中村一氏が在城。

関ヶ原の戦い後は天野康景が、1万石で入封するも後の問題で責めを負う。しかも、その裁定に不満を募らせて出奔。そのため興国寺藩は改易となり慶長12年(1607年)3月に廃城となった。

平成7年(1995年)3月17日、国の史跡に指定された。 沼津市根古屋にあり、現在復元工事が行われている。

                      (Wikipedia より引用)


通勤時間帯の地元の車の渋滞に巻き込まれながらも
何とか興国寺城址に到着


      20131203興国寺城址01



主郭の一部が駐車場になっているのだけれど
駐車場のすぐそばに、ど~んと構える土塁。
圧巻です。


      20131203興国寺城址02



主郭中心部には、穂見神社が鎮座し、
その周りには石碑や案内板が並んでいます。

こちらは、興国寺城址の説明看板。

      20131203興国寺城址03



こちらは、北条早雲の石碑。
初代城主と記されているのがいいですねぇ。

      20131203興国寺城址04


こちらは、最後の城主、天野康景の碑。

      20131203興国寺城址05

絶対に意識的に初代城主と最後の城主の碑を並べているんでしょう。


北条早雲はそれなりに知名度があるけれど、
天野康景はそんなに知れ渡った人物でもないから
改めて、説明看板を設けているのしょうか?


      20131203興国寺城址06


そしてこちらが興国寺城の縄張り図と航空写真の載った説明看板。

      20131203興国寺城址07



まあ、こんな感じで並んでいます。

      20131203興国寺城址08



そして、主郭の中心部に鎮座する穂見神社。


      20131203興国寺城址09


こちらは主郭。
背後にしっかりと土塁が確認出来ます。

      20131203興国寺城址10


別なアングルから、土塁越しに見る主郭。
こうやって見ても土塁の高さが分かります。

      20131203興国寺城址11


こちらは天守跡。
二階建てほどの櫓が建っていたと言われています。

      20131203興国寺城址12


天守の礎石。
紛れもなく、ここに天守があった証しです。

      20131203興国寺城址13


天守跡から眺める空堀。
主郭と北の郭を隔てる大空堀。
その深さは凄い!の一言に尽きます。

      20131203興国寺城址14


      20131203興国寺城址15


天守西側の西櫓台から見た主郭。
こうして見てみると、櫓台も高い位置にあります。

      20131203興国寺城址16


西櫓台から見た穂見神社背後。
主郭の土塁の高さが分かります。

      20131203興国寺城址17


天守台から見た主郭西側の土塁。
本当に見事と言うしかない。

      20131203興国寺城址18


案内板に導かれるまま、大空堀をめざします。

      20131203興国寺城址19


こちらが大空堀。
夏だときっと下草が茫々状態でしょう。

城歩きは、やっぱりこの時期が大正解。

      20131203興国寺城址20


大空堀を歩いてみます。

      20131203興国寺城址21


      20131203興国寺城址22


この穴はヤグラなのかなぁ?

      20131203興国寺城址23



大空堀にも横矢が掛かってます。

      20131203興国寺城址24


      20131203興国寺城址25



大空堀から北の郭に移動します。

すぐ近くを東海道新幹線が走っているためって言うか
北の郭の一部が東海道新幹線の用地にされてしまったと言うほうが正解。

それでも北の郭は広い。

      20131203興国寺城址26


北の郭から眺める富士山。
思い切り望遠で寄ってみました。

数百年前、早雲もこの富士山を眺めていたのだろうか?

      20131203興国寺城址27


こちらも北の郭。
手前が空堀跡。
空堀があるから出丸の様に見えなくもない。

      20131203興国寺城址28


北の郭から眺める大空堀
やっぱり見事な大空堀です。


      20131203興国寺城址29





再び主郭に戻ります

主郭は広い芝生広場のようです。


     20131203興国寺城址30



広い主郭の芝生も びいすけ は気に入ったようです。


      20131203興国寺城址31


      20131203興国寺城址32



主郭から眺める二郭


      20131203興国寺城址33



二郭から見る主郭の西土塁


      20131203興国寺城址34



こちらが二郭


      20131203興国寺城址35


二郭もきれいに整備されています


      20131203興国寺城址36



こちらは三郭

      20131203興国寺城址37



三郭からの登城路、今は穂見神社の参道となりつつある。
かつての大手口になるのだろうか?

      20131203興国寺城址38



三郭あたりは、まだまだ発掘調査中でもあり、整備中でもある。


     20131203興国寺城址39

これから、もっともっと整備されていくのでしょう。



小田原北条氏の始祖、北条早雲
彼はこの地を拠点に、この地を足がかりにその勢力を伸ばし
やがてその子孫は関東一円にその勢力を拡大し、名を轟かせた。

小田原北条氏ここに在り!! 

そんなことを沸々と彷彿させる城郭でした。

北条早雲の足跡をたどって
彼の居城を巡ってみるのも面白いかもしれない...........。


 



   
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2013/12/21 Sat. 18:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit