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び・び・びのびいすけ

田代城址 (2013年11月23日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

11月23日 公休日

この日は神奈川県愛川町に遠征していました。


旗立の松を後にして、向かった先は…………

田代城址

田代城は
 
小田原北条氏の家臣であった内藤氏が弘治年間(1555~58年)頃に築いた城で、
内藤下野守秀勝、その子三郎兵衛秀行の2代の居城であったとされています。
田代城主・内藤氏は、津久井城主内藤氏の一族であったと考えられ。
1569年の武田氏との三増合戦で、田代城は武田勢に攻め落とされたと伝えられています。
歴史の表舞台にあまり登場していないようで、その他の歴史は不明であるが、
小田原北条氏が武田信玄に敗れた三増合戦の際、廃城となったとされています。




愛川町立愛川中学校のある辺りが城址とされていて
中学校の土手に説明看板が建てられています。


      20131123田代城址01


しかし、ここも場所が悪いというか、
説明看板を読む人のことを考えているのだろうか?
と思える位置にありました。
近視で老眼が最近現れ出した私には、文面を読むのがちょっと辛い。


      20131123田代城址02



中学校前の民家の庭?
それとも畑?
削平地は郭跡の様にも見えますが、気のせい?

     20131123田代城址03


      20131123田代城址04


こちらが、愛川中学校の正門。

      20131123田代城址05


田代城の居館があったのが、この中学校だとも言われています。
すなわち、愛川中学校が田代城の居館跡。

中学校の背後の山が、かつての田代城。

中学校の背後に回ると、いかにも!って感じの道があるので
寸分の迷いもなく、突入します。


      20131123田代城址06


墓地の周りに土塁っぽい土壇。
城郭遺構なのでしょうか?


      20131123田代城址07


さらに進めば、いきなりの平地。
おそらく、郭跡でしょうが、畑として転用されていたようで
これと言った遺構は残されていません。

      20131123田代城址08


      20131123田代城址09


      20131123田代城址10


      20131123田代城址11



田代城址は歴史の表舞台には殆ど登場しないのですが
中学校や民家の開発で遺構も殆ど残っていないとされています。

これ以上奥に入り混んでも何もなさそうなので
すぐさま、撤収開始。

中学校に戻る途中、左奥の森に土塁っぽい土壇を発見。

      20131123田代城址12

往時の遺構ではないかもしれないけれど
元々遺構は残されていないって言うことで
全く期待をしていなかったから、
ちょっとした発見?がちょっぴり嬉しくなったりして………

そんな事を思いながら、車に戻り
次なる目的地へと向かいます…………。


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2013/12/13 Fri. 18:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit