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び・び・びのびいすけ

佐是城址 (佐瀬城址)  (2013年11月19日)(千葉県市原市) 

11月19日 公休日


この日は千葉県の市原市に足を伸ばしてみました。


今年の夏は異常に暑く、そのせいなのか?
今年の秋はスズメ蜂が多く発生したっていう話も聞いていたから
しばらくは城址巡りって言うか、山の中を徘徊するのを極力抑えていました。

寒さだけで言えば、秋も本番をちょっと過ぎ
一気に冬の到来を感じさせる今日この頃。

そろそろ城址巡り、山の中の徘徊も解禁!!


という訳で、向かった先は.......佐是城址



本当を言えば、たまたま走っていた国道297号線
国道沿いにこんな看板を見かけました。


      20131119佐是城址01


まるで、『お城があるから、おいで~』と誘っているようです(笑)

ここまで親切に誘ってくれているのに
断る理由は無い

という訳で、予定外でしたが佐是城址の攻略と相成りました.......

事前情報も縄張り図も持っていないので
どんな城址なのかわわからないけれど
行けば何とかなるでしょう.....(笑)

どうやら光福禅寺の敷地が佐是城址のようなので
光福禅寺へと向かいます


      20131119佐是城址02



光福禅寺の表参道を上っていきます。


      20131119佐是城址03



参道から小湊鉄道の列車が見えました。
確か1両の小さな電車ってイメージがあったんだけれど
何故か2両の列車

ひょっとして、朝の通勤・通学の時間帯だから2両編成なのかなぁ?


      20131119佐是城址04



参道を上っていくと、それらしい雰囲気が出てきます。


      20131119佐是城址05



こちらが、光福禅寺の本堂。


      20131119佐是城址06


本道の脇、境内の片隅に石碑を発見!

佐瀬城址内戦国末期の館跡 と記されています。

何やら素直じゃない。
単純に 佐是(佐瀬)城址 で良いんじゃないの?


      20131119佐是城址07


      20131119佐是城址08



羅漢の森 という看板に誘われて森の中に入っていきます。


      20131119佐是城址09




おそらく往時の土塁でしょう


      20131119佐是城址10



      20131119佐是城址11


羅漢の森と命名されていますが
さすがに土塁の上の羅漢像はちょっと異様な気がします。

     20131119佐是城址12


光福禅寺の境内が主郭だと思い切り勘違いして
(この時点では完全に信じこんでいました)
境内の遺構を確認しようと散策しています。


      20131119佐是城址13



とうやら、こちらのお寺では警察犬を飼育しているようです。


      20131119佐是城址14


境内て見かけた愚痴観音

思い切り、仕事の愚痴を呟いちゃいました。(笑)


      20131119佐是城址15


境内には、縄張り図が描かれた別な城址碑もありました。


      20131119佐是城址16


この縄張り図を見て、主郭の場所の勘違いに気付き、
光福禅寺周辺が佐是城址の内曲輪だと知りました



しっかり、手製の標柱もありました。


      20131119佐是城址17



そして、説明看板もありました。


      20131119佐是城址18


      20131119佐是城址19

佐是城の初めは、鎌倉時代に、佐是禅師円阿(佐是四郎祥師説もある)が
堀の内地籍に「館」を構えたことによるといわれています。
主郭や妙性院のまわりの地は、館が襲われた時に、
一族の身を守る為に造られた砦の役目をした所のようです。
 
ずっと時代が下がって、武田三郎国信が戦国時代の初めに佐是城主を命じられました。

                        (現地 説明看板より抜粋)

さらに自宅へ戻ってからネットで調べて見ると

康生2年(1456年)、古河公方足利成氏の密命によって
上総に侵攻した武田信長は真里谷城・庁南城の2城を攻略して足場を固め、
その子上総介信高の第3子国信を佐是に配備して築城(改造ともいわれる)したとされる。
上総武田氏は足利義氏を小弓公方として立て、上総・安房の諸将と同盟して
下総進出をはかるが天文7年(1538年)の国府台合戦で後北条氏に敗れて上総に撤退した。
その後天文21年(1552年)、椎津城主武田信政が北条方に内通したかどで里見軍の猛攻を受け、
援軍として赴いた佐是三郎国信は討死、佐是城もこのとき落城したと言う事らしい。





改めて説明看板の縄張り図を見て本来の城郭、そして主郭を目指します。


こちらが市原市の教育委員会が建てた標柱
錆がひどくて文字が読み取れませんが
うっすらと佐是城跡と記載されています。



      20131119佐是城址20



実はこの標柱の右側の藪の中を入って行けば本丸跡
そこには説明看板が立っているとのことですが(ネットで調べて後で判りました)
そんなことは知らなかったので、左方向(北の丸)へと足を向けてしまいました。




こちらは北の丸、妙性院(廃寺)前の土塁


      20131119佐是城址21



そして妙性院


      20131119佐是城址22



この奥が主郭と言われるところですが
完全な藪状態。
そして竹がうっそうと茂っています。


      20131119佐是城址23


意を決して竹藪に侵入。


二郭(?)空堀


      20131119佐是城址24



1.5mほどの土塁も確認できます


      20131119佐是城址25



こちらは主郭と思われる竹林内部


      20131119佐是城址26



とにかく竹がすごい。
これ以上先は無理と判断し、撤収


      20131119佐是城址27




妙性院に戻ると、近所のおじさんでしょうか?
大きなイチョウの木から落ちている銀杏の実を拾っていました


      20131119佐是城址28




北の丸の虎口を目指して、妙性院手前を左に
竹林へと続く道(?)を歩きます


      20131119佐是城址29


竹林の中を下っていきましたが
途中から犬の激吠え

どうやら、警察犬の飼育をしているのか?
数等のワンちゃんの大きな吠え声で........

堀の向こうにきっと飼育舎があるんでしょうね
迷惑をかけそうだから、やっぱりここで撤収(笑)


      20131119佐是城址30



車を光福禅寺下の空き地に停めていたので
光福禅寺まで戻ることに........


光福禅寺へと上がる虎口
いわゆる堀之内から内曲輪へと向かう虎口


      20131119佐是城址31


      20131119佐是城址32



しっかりと標柱もありました


      20131119佐是城址33


      20131119佐是城址34



堀之内地区の民家の土塁
このあたりの民家には、こんな土塁が多い


      20131119佐是城址35
 
いかにも中世の城下っていう感じがします。



事前の情報もなく、偶然見つけた佐是城址
40分ほどの道草(?)になってしまいましたが
意外に穴場っていうか、もうちょっと時間をかけてじっくりと見たかった
そんな気持ちが本音です............



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2013/12/02 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit