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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

得月院   (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走していました。
牛久城址の御城印を手に入れ、牛久城址も再訪し
牛久城址の大手門跡にも立ち寄りました。

牛久城址の大手門跡に隣接するのか、得月院。


得月院は、文禄三年(1594年)牛久城に移り住んだ
妙印尼輝子が開基した寺院で、曹洞宗の古刹です。


こちらが得月院の山門。

     20200212得月院01
  


こちらは、四脚門。

     20200212得月院02


得月院は、近代日本画壇の巨匠 小川芋銭の菩提寺としても知られています。

     20200212得月院03



手水舎。

     20200212得月院15



本堂。

     20200212得月院04



本堂に掲げられた扁額。     

     20200212得月院05



こちらの得月院には閻魔堂があり、
閻魔王座像が安置されています。

     20200212得月院06



山門(四脚門)をくぐって左側に閻魔堂。

     20200212得月院07



隙間から覗き込むと、閻魔王座像。

     20200212得月院08



境内には妙見菩薩像も祀られています。

     20200212得月院09



亀の化身(?)、玄武の上に乗る妙見菩薩。
頭巾をかぶっているから、それっぽく見えない。

     20200212得月院10

パッと見、単なるお地蔵さんにしか見えない。



得月院五輪塔。

     20200212得月院11

得月院開基妙尼(当時の牛久城主・由良国繁の母)の墓碑になります。
文禄3年(1954年)に死去しました。

五輪塔は下から四角・円・三角・半円・如意珠形の五輪を積み上げ、
それぞれ『地』・『水』・『火』・『風』・『空』の五大を表しています。



こちらは、小川芋銭の墓碑。

     20200212得月院12




     

牛久市指定天然記念物の榧の木。

     20200212得月院14

樹齢500年を超える古木になるそうです。


寺務所は閉まっています。

     20200212得月院13

連絡先の貼り紙があり、電話をしてみると
地域の区長さんが出られました。
どうやら、現在は無住の寺院となってしまったそうです。
御朱印についての問い合わせも多く、
いずれ対応も考えたいとの事でした。

楽しみに待ちましょう。





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2020/03/29 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《牛久城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。

     20200212牛久城址27




牛久城址、東林寺城址のいずれも訪れてはいますが
御城印を手にしたからには、城址も再攻略いたしましょう。

と言うことで、先ずは牛久城址へと向かいます。

牛久城址も以前訪れた事があり、これで2回目の訪問となります。
( その時の攻城記は こちら )



牛久城の城域も広く、主郭や二郭と大手門との距離はかなり有る。


こちらが、大手門跡。

     20200212牛久城址01


     20200212牛久城址02


     20200212牛久城址03



大手門近くに鎮座する社。

     20200212牛久城址04

古くから、この場所に鎮座していたようです。



大手門跡から根古屋を抜けて、三の丸近くまで車で侵入する事が出来ます。

     20200212牛久城址05



牛久城址の説明板。

     20200212牛久城址06


     20200212牛久城址29


ここから車を離れ、自分の足で進軍です。

     20200212牛久城址08


大きく口を開けるかのようには待ち構える空堀。

     20200212牛久城址07




空堀に掛かる土橋。
     
     20200212牛久城址09



土橋の先には虎口が待ち構える。
 
     20200212牛久城址11


虎口の土塁。

     20200212牛久城址12




さらに進みます。

     20200212牛久城址10

     20200212牛久城址13


二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200212牛久城址14


     20200212牛久城址15 



右側が二の丸、左側が本丸。

     20200212牛久城址25


     20200212牛久城址26



二の丸の空堀な掛かる土橋。

     20200212牛久城址16



竹藪の先が、二の丸の虎口。

     20200212牛久城址17



こちらが、二の丸曲輪。

     20200212牛久城址18



てっきり、こちらが本丸曲輪だと勘違いして
御城印のバックに写真撮り。

     20200212牛久城址19


     20200212牛久城址20


     20200212牛久城址21


こちらが、本丸虎口。

     20200212牛久城址22


虎口の土塁。

     20200212牛久城址23



自宅に帰ってくるまで、てっきりこちらは二の丸曲輪と勘違いしていました。


     20200212牛久城址24



こちらが、牛久城(址)の御城印。

     20200212牛久城址28


約6年振りに再訪した牛久城址。
連郭式、小田原北条氏の城の特徴を持つ牛久城址。
これぞ戦国時代の山城、関東の土の城。

やっぱり、『土の城は良い』と思うのは私だけ...............?





2020/03/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit