FC2ブログ

02 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 04

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

茨城百景 《 砂沼 》  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

多賀谷城址をあとにして、
向かった先は...............茨城百景  《 砂沼 》


茨城県には『茨城百景』と言う、昭和25年に選定された
県内100ヶ所の景勝地があります。
下妻市には、茨城百景の選定地が2ヶ所あり、
その一つが『砂沼』になります。

そもそも『砂沼』とは、周囲6km・面積55ha、
満水時の水深約3mの農業用ため池です。
しかしながら、平成22年に砂沼湖として、
日本のため池百選にも選ばれているらしい。

周辺は「砂沼広域公園」として整備されています。
かつてはプールもありましたが、
施設の老朽化で平成30年廃止されました。
カモ類の絶好の生息地であり、
コガモ・マガモ・カルガモなどが良く見られるそうです。 



砂沼の看板。

     20200210砂沼01

茨城百景とは記されているけれど
目的はこれじゃない。

探すのは、茨城百景の碑。



こちらが砂沼。

     20200210砂沼02



沼沿いにぐるっと一周できる遊歩道が整備されているみたいです。

     20200210砂沼03

一周、約6km。
根性があれば、1時間ちょいで回って来れるとは思うけれど
今日は、その根性がない。
とりあえずは、湖畔に建っているとされる茨城百景の碑を探します。


遊歩道沿いに案内看板を発見。

     20200210砂沼04



そして、その近くに茨城百景の碑を見つけました。

     20200210砂沼05


     20200210砂沼06



とりあえず、これで目的の50%は達成。
砂沼の遊歩道を軽く散策してみましょう。

     20200210砂沼07




ベンチを見つけだから、ちょっぴり『もぐもぐタイム』といたしましょう。

     20200210砂沼11


     20200210砂沼08



『待て!』からの.........

     20200210砂沼09


『良し!!』。

     20200210砂沼10


     

「下妻市観光交流センターさん歩の駅サン・SUNさぬま」
(なんで、こんなに長い名称なんでしょう?)
のテラス席は、恋人の聖地としてPR中。

     20200210砂沼12

そう言えば、この手の『恋人な聖地』って増えたよね。



恋人の聖地に長居をすることもなく
砂沼の湖畔を散策します。

     20200210砂沼13


     20200210砂沼15


     20200210砂沼16



今年は暖冬だから少ないのか?
期待していた水鳥の姿はあまり無い。

     20200210砂沼14


天気が良いから、筑波山もはっきり見える。

     20200210砂沼17



この風景が、茨城百景なんだろうなぁ...............



スポンサーサイト



2020/03/22 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

多賀谷城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

宗任神社をあとにして、、向かった先は.............多賀谷城址。

多賀谷城は、常陸国関郡下妻庄に在ったことから別名を下妻城と称しますが、
多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城と呼ぶのが一般的なようです。

康正元年(1455年)から多賀谷氏家が下妻荘に築城を開始し、
6年後の寛正2年(1461年)完成したとされ、
下妻荘を含む関三十三郷と大名の地位を得ました。

15世紀中頃は東西両館からなり、
東館を本丸とする2廓の単純な構造でした。
その後、多賀谷氏の勢力拡大に伴い城を北方向へ拡張していき、
16世紀から17世紀初頭の多賀谷氏7代・多賀谷重経の頃には、
城は館沼によって東西に分断され、
沼の東側に本城(本丸)・中城(二の丸)・三の丸・北城・南館(姫曲輪)を、
沼の西側に西城を置き、城域は南北1500m×東西900mと言う広大なモノでした。

この時代の下妻は常陸国西部最大の都市であり、
城郭・城下町の規模や充実度の面でも優れ、
その下妻に君臨する多賀谷氏は、常陸国屈指の存在でもあったようです。



こちらが、多賀谷城の縄張り図。

     多賀谷城址縄張り図

   ( 余湖さんのHPからお借りしました。 )



広大な広さを誇った多賀谷城址。
城郭は広大で旧・真壁郡下妻町の領域がすっぽりと収まるほどであり、
1950年代までは曲輪・濠・土塁跡が残っていたと言う事です。
1961年(昭和36年)に始まった都市計画事業を経て、
現在では、多賀谷城跡公園内にわずかに痕跡を残すのみとなってしまいました。


こちらが、その多賀谷城跡公園。

     20200210多賀谷城址01


     20200210多賀谷城址02



せめてもと、多賀谷城跡公園でその痕跡を探します。

     20200210多賀谷城址03


 
さすがに市街地に整備されて出来た公園。
なかなか、城跡の痕跡は見つかりません。
    
     20200210多賀谷城址04


     20200210多賀谷城址05


     20200210多賀谷城址06


     20200210多賀谷城址07


     20200210多賀谷城址08



公園の隅っちょ。
ちょっとした土壇があります。

     20200210多賀谷城址09



土壇の前には『多賀谷城本丸跡』と記された標柱。

     20200210多賀谷城址10



石段を挟んだ先には、『多賀谷城本丸跡』の説明板。

     20200210多賀谷城址11


     20200210多賀谷城址12



この土壇周辺が僅かに痕跡を残す場所のようです。

     20200210多賀谷城址13


     20200210多賀谷城址14


     20200210多賀谷城址15


     20200210多賀谷城址16


土壇の脇には平和塔。

     20200210多賀谷城址17

第二次世界大戦の戦没者慰霊の塔ですね。
かつての下妻の城郭は昭和の時代になっても
この地区のランドマークだったんですね。





2020/03/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit