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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り.........椎尾山薬王院   (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


椎尾不動滝をあとにして、向かった先は...............椎尾山薬王院。

椎尾山薬王院は、標高200mの椎尾山中にあり、
延歴元年(782年)最仙上人が開山したと伝えられる天台宗の古刹です。
県指定文化財天然記念物であるスダジイ(椎の木)の巨木群生地でもあります。
境内には名大工桜井一門の手による三重塔(県指定文化財)や
仁王門(市指定文化財)などが建造され、
古来より病気平癒の霊場で知られています。



薬王院の寺号標。

     20200217薬王院01



時期的に真壁のひなまつりの開催時期。
こちらの薬王院もひなまつりの会場の一つのようです。

     20200217薬王院02


     20200217薬王院03


薬王院の参拝順路ごあるようですが
とりあえず、駐車場から一番近い阿弥陀堂へ。


この石段の先が阿弥陀堂。

     20200217薬王院04

     20200217薬王院05


こちらが、阿弥陀堂。

     20200217薬王院25


阿弥陀堂前のお地蔵さん。

     20200217薬王院30


そして、その隣には『ふどうの水』。

     20200217薬王院29



では、順路に従って廻ってみましょう。



こちらは、楼門。

     20200217薬王院06


     20200217薬王院07



楼門の脇には大きな下駄と草鞋。

     20200217薬王院08



楼門脇に建つ説明板。

     20200217薬王院09


     20200217薬王院10



楼門の先は、勾配のきつい石段。

     20200217薬王院11

この石段の先には薬王院の本堂が待っています。


石段を上がりました。

     20200217薬王院12


手水舎。

     20200217薬王院13



本堂正面。

     20200217薬王院14


     20200217薬王院16



扁額。

     20200217薬王院15



本堂前の仏像。

     20200217薬王院17


仏像には詳しくありませんが、
どうやら、こちらが薬師如来像のようです。

     20200217薬王院21




鐘楼。

     20200217薬王院18



三重塔。

     20200217薬王院19



三重塔とスダジイ。

     20200217薬王院22


薬王院はスダジイの群生地。

     20200217薬王院20



     20200217薬王院23



樹齢500年とされる古木のスダジイは圧巻。

     20200217薬王院35


     20200217薬王院36


     20200217薬王院37
     20200217薬王院38



境内の池にはひな人形が飾られている。

     20200217薬王院26


     20200217薬王院27


     20200217薬王院28


 
こちらは、授与所。

     20200217薬王院31



授与所は閉まっているけど
授与所の中にも、ひな人形が飾られています。

     20200217薬王院32


     20200217薬王院33

まさに、『真壁のひなまつり』の会場である。


平良兼の碑。

     20200217薬王院34

平良兼って平将門の叔父ではあるけれど、
不仲で将門との一族の対立の中心に立った人物。

確か、伝承になるけれど平良兼館がこの近くに在ったらしい。




こちらが、薬王院の御朱印。

     20200217薬王院39

『真壁のひなまつり』の会場でなければ、
きっと訪れる事もなかったでしょう。

七福神とかでは無くて、単なる御朱印が欲しくて寺院に訪れるのって
個人的には余りないから...............

薬王院の御朱印は
私の中では、ある意味で貴重な御朱印になるようです。


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2020/03/31 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

椎尾不動滝   (2020年2月17日)(茨城県桜川市) 

2月17日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の椎尾山に小さいながらも滝が在ると言う事で
向かった先は...............椎尾不動の滝。


椎尾不動の滝は超マイナーな滝。
ネットで調べても詳細は分からない。

落差は4mの滝としか分かりません。
一部のサイトでは、『椎尾滝の入不動尊の滝』として
紹介されているようです。



民家脇の狭い道を進み、椎尾不動の滝に到着です。

     20200217椎尾不動滝01



思ってた以上に小さな滝。

     20200217椎尾不動滝02



前日は雨だっから、水量にちょっぴり期待していたんだけど
迫力は今一つ。

     20200217椎尾不動滝03


2〜3mの滝が間隔を開けて3段ぐらいになる滝。

     20200217椎尾不動滝04


     20200217椎尾不動滝05


     20200217椎尾不動滝06


     20200217椎尾不動滝07



川の対岸に小さなお堂がある。

     20200217椎尾不動滝08



赤いペンキの落書き(?)が気になるけど
中には不動像(?)

     20200217椎尾不動滝09


このお堂と像が不動滝の名の由来かも知れませんね。



2020/03/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう   《手賀沼》  (2020年2月12日)(千葉県柏市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市の御城印巡りに駆け回っていました。
予定の4城の御城印を手に入れ、各城址へも再訪出来、
満足な状態で帰途に着きました。

茨城県の牛久市から自宅の佐倉市へ帰るルートは多々ありますが
代表的なルートとして
①国道408号で牛久市から稲敷市、成田市経由で帰るルート。
②牛久市から龍ヶ崎市を抜けて、利根川を渡り印西市経由で帰るルート。
③国道6号線で牛久市から取手市、利根川ん渡って我孫子市から柏市、印西市と抜けて帰るルート。

その3つの選択肢から③を選び、国道6号を走っていると
前にはマイペースの軽自動車。
片道1車線区間で、センターラインは黄色。
気持ちよく追い越す事は出来ないので、我慢、我慢。

我孫子市に入って、6号線から千葉市方面へのバイパスがあったので
軽自動車とはお別れ、アクセルを強く踏んだ先で
お巡りさんに旗を振られて、路側帯へ誘導され.........................


はい、スピード違反で捕まってしまいました。

     20200212ダムカード手賀沼01


27km超過のスピード違反。

     20200212ダムカード手賀沼02


     20200212ダムカード手賀沼03

25km以上だから、1発免停かと思ったら
随分前に法改正して、今は3点減点になるらしい。

いずれにしても、今までゴールド免許でしたが
次の更新にはゴールド免許ではなくなってしまう事になりました。


はい、気持ちは一気に違反切符と同じ色、ブルーになりました。


こんな時には気持ちを落ち着かせましょう。
確か、我孫子市役所の先に手賀沼があって
そこには、対岸に道の駅もあった。

そして、その道の駅で『手賀沼』のダムカードを配布している。

と言う事で、急遽『道の駅 しょうなん』に立ち寄りました。


道の駅に着いて驚いたのは、何と道の駅の売店、食堂が定休日。
それも、毎月第2水曜日が定休日。
つまり、月1回の定休日に当たってしまった訳です。

ついていない時は、こんなモノです。


それでも、管理事務所でダムカードの事を訊いてみたら
管理事務所にて頂く事が出来ました。

     20200212ダムカード手賀沼04


     20200212ダムカード手賀沼05


ダムカードを手にした後は、
せっかくだから、手賀沼湖畔に足を向けてみます。

     20200212ダムカード手賀沼06



そもそも、手賀沼は、千葉県北部の柏市、我孫子市、白井市、印西市にまたがる
利根川水系の湖沼です。

もともと「つ」の形をした大きな沼でしたたが、
干拓事業によって約8割の水域が消滅し、
北と南に分離された形になっています。
南北の二つの水域は手賀川を介してつながっていて、
一般に北の水域を手賀沼(上沼)、南の水域を下手賀沼(下沼)と言われています。

     20200212ダムカード手賀沼09


     20200212ダムカード手賀沼10


ここで疑問が.........?

なぜ、手賀沼のダムカードが発行されたのか?

印旛沼もダムカードを発行しているけれど、西印旛沼、北印旛沼の水門を調整して
利根川への水量や花見川への水量を調整してダムみたいな役割をしているから
ダムカードの発行意義は分かるんだけど、手賀沼はそう言った機能を有していないみたいだし

利根川と江戸川を結ぶ『北千葉導水路』が手賀川の水量を調整していて、
また手賀沼の水質浄化にも一役買っています。
その『北千葉導水路』がダムカードを発行しているから
その流れで発行したのでしようか?


とりあえず、手賀沼をバックに、☆パチリ。

     20200212ダムカード手賀沼07


     20200212ダムカード手賀沼08


     

昔は、水質の悪さ全国1位だった手賀沼。

     20200212ダムカード手賀沼11


今は、水質も改善されて市民の憩いの場ですあり.............

     20200212ダムカード手賀沼12


水鳥にとっては、生きていく場所でもあります。

     20200212ダムカード手賀沼13



こちらが、手賀沼のダムカード。

     20200212ダムカード手賀沼14


     20200212ダムカード手賀沼15


千葉県内で発行されているダムカード。
ちょこちょこと出かけては、手に入れているので
君津市の三島ダムを残すだけとなりました。

いずれ、近い内に手に入れてみたいモノです。

( 新型コロナウイルスの影響で三島ダムのダムカードの配布が
2月28日〜3月15日まで中止になったそうです。)




 
2020/03/30 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《東林寺城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県鹿嶋市牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。
そして、牛久城を再攻略し、東林寺城址へと向かいます。

東林寺城址も以前に訪れた事がある城址です。
( その時の攻城記は こちら )



東林寺城址は、その名の如く 東林寺のある背後の台地が城域の城になります。
牛久城の北西に位置し、牛久沼に半島状に伸びた台地の南端に築かれていました。



その城郭の一部である東林寺は曹洞宗の寺院です。

     20200212東林寺城址01


     20200212東林寺城址02



山門。

     20200212東林寺城址03



本堂。

     20200212東林寺城址04



本堂の扁額。

     20200212東林寺城址05




本堂の裏手の墓地の一角に、東林寺城址から出土された五輪塔があります。

     20200212東林寺城址06


     20200212東林寺城址10


     20200212東林寺城址07



東林寺城址には城址碑や城址の説明板と言った類いのモノは無く
東林寺城址を示すモノは、この五輪塔の説明板のみ。

     20200212東林寺城址08



墓地の奥には、土壇。

     20200212東林寺城址09



墓地造成時に改変されているかとは思うけれど
土塁のようにも見える。

     20200212東林寺城址11



東林寺の墓地を抜けて、台地頂部を移動します。
東林寺の敷地奥の台地が三郭になります。


三郭から二郭への土橋。

     20200212東林寺城址12

空堀も一部分残っているけど、野生化していて藪状態。



二郭。

     20200212東林寺城址13

二郭を含め、東林寺城址の郭跡の多くは耕作化され、
畑となっています



残念ながら主郭のある台地先端は削られ、隠滅してしまいました。
二郭先端からの牛久沼の眺望。

     20200212東林寺城址14

対岸の台地が牛久城址になるようです。



三郭。

     20200212東林寺城址15


三郭の多くも耕作化され畑と化しています。

     20200212東林寺城址16


     20200212東林寺城址17



前回は三郭の先(四郭)には行かなかったので
今回は、四郭に向けて進軍いたしましょう。

     20200212東林寺城址18



三郭と四郭を隔てる空堀があり、土塁もあります。

     20200212東林寺城址19


空堀に掛かる土橋。

     20200212東林寺城址20



空堀は、それなりの深さはあるけれど、雑草や木々が伸びて藪状態。

     20200212東林寺城址21



この時期で、この状態ならば、夏の時期には凄い事になっているだろう。

     20200212東林寺城址22



土橋の上から眺める三郭の土塁。

     20200212東林寺城址23


     20200212東林寺城址24



土塁の一部は櫓台のような土台となっていて
その頂部には、祠が祀られている。

     20200212東林寺城址25

この辺りの土塁は見応えがありますね。



こちらが、東林寺城(址)の御城印。

     20200212東林寺城址26


この日、駆け足で『小坂城址』『岡見城址』『牛久城址』『東林寺城址』と巡ったけど久しぶりに城址巡りをしたと言う満足感に満たされました。

御城印巡りも悪く無いですね。




2020/03/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

得月院   (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走していました。
牛久城址の御城印を手に入れ、牛久城址も再訪し
牛久城址の大手門跡にも立ち寄りました。

牛久城址の大手門跡に隣接するのか、得月院。


得月院は、文禄三年(1594年)牛久城に移り住んだ
妙印尼輝子が開基した寺院で、曹洞宗の古刹です。


こちらが得月院の山門。

     20200212得月院01
  


こちらは、四脚門。

     20200212得月院02


得月院は、近代日本画壇の巨匠 小川芋銭の菩提寺としても知られています。

     20200212得月院03



手水舎。

     20200212得月院15



本堂。

     20200212得月院04



本堂に掲げられた扁額。     

     20200212得月院05



こちらの得月院には閻魔堂があり、
閻魔王座像が安置されています。

     20200212得月院06



山門(四脚門)をくぐって左側に閻魔堂。

     20200212得月院07



隙間から覗き込むと、閻魔王座像。

     20200212得月院08



境内には妙見菩薩像も祀られています。

     20200212得月院09



亀の化身(?)、玄武の上に乗る妙見菩薩。
頭巾をかぶっているから、それっぽく見えない。

     20200212得月院10

パッと見、単なるお地蔵さんにしか見えない。



得月院五輪塔。

     20200212得月院11

得月院開基妙尼(当時の牛久城主・由良国繁の母)の墓碑になります。
文禄3年(1954年)に死去しました。

五輪塔は下から四角・円・三角・半円・如意珠形の五輪を積み上げ、
それぞれ『地』・『水』・『火』・『風』・『空』の五大を表しています。



こちらは、小川芋銭の墓碑。

     20200212得月院12




     

牛久市指定天然記念物の榧の木。

     20200212得月院14

樹齢500年を超える古木になるそうです。


寺務所は閉まっています。

     20200212得月院13

連絡先の貼り紙があり、電話をしてみると
地域の区長さんが出られました。
どうやら、現在は無住の寺院となってしまったそうです。
御朱印についての問い合わせも多く、
いずれ対応も考えたいとの事でした。

楽しみに待ちましょう。





2020/03/29 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《牛久城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県牛久市に出かけました。

最近になって知ったのですが.........

牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、
この日は奔走しました。

小坂城、岡見城と御城印を手に入れ、
城址も攻略し更なる御城印を求めます。
JR牛久駅近くにある『芋千』にて、
牛久城、東林寺城の御城印を手に入れます。

     20200212牛久城址27




牛久城址、東林寺城址のいずれも訪れてはいますが
御城印を手にしたからには、城址も再攻略いたしましょう。

と言うことで、先ずは牛久城址へと向かいます。

牛久城址も以前訪れた事があり、これで2回目の訪問となります。
( その時の攻城記は こちら )



牛久城の城域も広く、主郭や二郭と大手門との距離はかなり有る。


こちらが、大手門跡。

     20200212牛久城址01


     20200212牛久城址02


     20200212牛久城址03



大手門近くに鎮座する社。

     20200212牛久城址04

古くから、この場所に鎮座していたようです。



大手門跡から根古屋を抜けて、三の丸近くまで車で侵入する事が出来ます。

     20200212牛久城址05



牛久城址の説明板。

     20200212牛久城址06


     20200212牛久城址29


ここから車を離れ、自分の足で進軍です。

     20200212牛久城址08


大きく口を開けるかのようには待ち構える空堀。

     20200212牛久城址07




空堀に掛かる土橋。
     
     20200212牛久城址09



土橋の先には虎口が待ち構える。
 
     20200212牛久城址11


虎口の土塁。

     20200212牛久城址12




さらに進みます。

     20200212牛久城址10

     20200212牛久城址13


二の丸と本丸を隔てる空堀。

     20200212牛久城址14


     20200212牛久城址15 



右側が二の丸、左側が本丸。

     20200212牛久城址25


     20200212牛久城址26



二の丸の空堀な掛かる土橋。

     20200212牛久城址16



竹藪の先が、二の丸の虎口。

     20200212牛久城址17



こちらが、二の丸曲輪。

     20200212牛久城址18



てっきり、こちらが本丸曲輪だと勘違いして
御城印のバックに写真撮り。

     20200212牛久城址19


     20200212牛久城址20


     20200212牛久城址21


こちらが、本丸虎口。

     20200212牛久城址22


虎口の土塁。

     20200212牛久城址23



自宅に帰ってくるまで、てっきりこちらは二の丸曲輪と勘違いしていました。


     20200212牛久城址24



こちらが、牛久城(址)の御城印。

     20200212牛久城址28


約6年振りに再訪した牛久城址。
連郭式、小田原北条氏の城の特徴を持つ牛久城址。
これぞ戦国時代の山城、関東の土の城。

やっぱり、『土の城は良い』と思うのは私だけ...............?





2020/03/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《岡見城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、牛久市内の城址の御城印が発行されていると知り、この日は奔走しました。

『ヤマイチ味噌』で、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。
小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
先ずは小坂城址も再攻略いたします。
更には岡見城址へと足を伸ばします。


岡見城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )

 

びいすけ の背後の森が岡見城址。

     20200212小坂城址29


では、岡見城へ進軍いたしましょう。




こちらが、登城口。

     20200212岡見城址01



竹藪の間の登城路を進みます。

     20200212岡見城址02



所々、倒木があって行手を遮ります。

     20200212岡見城址03


お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。
かろうじて、空堀が確認出来る。

     20200212岡見城址04



主郭へと足を進めるが、やはり倒木や竹藪が邪魔になる。

     20200212岡見城址05


主郭の土塁。

     20200212岡見城址08


主郭内部。
完全な藪状態。

     20200212岡見城址06



進軍する気が失せて来ます(笑)。

     20200212岡見城址07

まあ、過去に一度来ているし、この先何も無い事も知っているから
素直にこの場から撤収いたします(笑)。



先ほどの土塁の奥には、埋もれかけている空堀。

     20200212岡見城址09


     20200212岡見城址10



こんな祠も建っています。

     20200212岡見城址11



空堀に沿って進軍します。

     20200212岡見城址12


     20200212岡見城址13


     20200212岡見城址14


     20200212岡見城址15



空堀の先にちょっと拓けた場所になり
そこには城址碑と供養塔が並ぶ。

     20200212岡見城址16



岡見城址の碑。

     20200212岡見城址17


     20200212岡見城址18


     20200212岡見城址19



岡見家代々の供養塔。

     20200212岡見城址20



供養塔脇の土塁。

     20200212岡見城址21

土塁の奥は主郭になるけど、完全な藪状態。



土塁に沿って奥に進めば、虎口が現れます。

     20200212岡見城址22



虎口の先は、やはり藪状態。

     20200212岡見城址23


岡見氏の本城なんだけど、支城である小坂城址に比べ
整備が行き届いていない。残念です。



こちらが、岡見城(址)の御城印。

     20200212岡見城址24


牛久市の御城印巡り、まだまだ続きますよぉ〜!


2020/03/28 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《小坂城址》  (2020年2月12日)(茨城県牛久市) 

2月12日

この日は、茨城県の牛久市に出かけました。

最近、ネットにて得た情報なのですが、
牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して
『牛久市城跡めぐり』と称して、御城印を発行しているらしい。

御城印は、いわば城版の御朱印みたいなモノ。
城址巡りを趣味とし、また御朱印巡りを楽しむ物として
黙ってはいられません。

と言う事でこの日は、牛久市内の御城印を求めて奔走します。

最初に久野城の御城印を求めて、
落花生で有名な『味の老舗いしじま』に行くと、
何と定休日。

続いて向かったのは『ヤマイチ味噌』。
こちらで、小坂城と岡見城の御城印を手に入れます。

     20200212小坂城址01


小坂城も岡見城も訪れたことがありますが
せっかく御城印を手に入れたんだから
城址も再攻略いたしましょう。

と言う事で、向かった先は...............小坂城址。


小坂城址に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の攻城記は こちら )。

稲敷市(旧・江戸崎町)からつくば市へと続く国道408号線沿いの台地に在る小坂城址。
整備が良くて、遺構も多く残り、土塁や空堀、空堀に架かる土橋、
郭の虎口など、城址巡りの初心者でも
それらの遺構をはっきりと認識出来る整備のされた城址。
マイナーな城址ではありますが、個人的にはお気に入りの城址の一つです。


城址入口に建つ城址碑。

     20200212小坂城址02


     20200212小坂城址03


     20200212小坂城址04


その脇には2枚の説明板。

     20200212小坂城址05


     20200212小坂城址06



こちらは、小坂城址にまつわる逸話の説明板

     20200212小坂城址07


では、小坂城を攻略いたしましょう。



こちらは、四郭。

     20200212小坂城址10



光の加減で見づらいですが、三郭の空堀。

     20200212小坂城址08


三郭の土塁。

     20200212小坂城址28


土塁の奥には、三郭と二郭を隔てる空堀。

     20200212小坂城址09


その空堀に架かる土橋。

     20200212小坂城址11



二郭の虎口。

     20200212小坂城址12



二郭内部。

     20200212小坂城址13


     20200212小坂城址15

  

二郭と主郭の間の空堀。

     20200212小坂城址14



その空堀に架かる土橋(主郭側より)。

     20200212小坂城址16



主郭の虎口。

     20200212小坂城址17



主郭内部。

     20200212小坂城址21



主郭に建つ説明板。

     20200212小坂城址19


この方角に、江戸崎土岐氏の支城である泉城がありました。

     20200212小坂城址20

岡見城との距離は直線でおよそ2kmほどで、
岡見氏はこの小坂城を最前線の守備の要として
土岐氏と幾度となく争っていたようです。



主郭土壇。

     20200212小坂城址23


     20200212小坂城址24

この場所は物見台(櫓台)。
小坂城址で一番高い場所になる。



その土壇から二郭を見下ろしてみます。

     20200212小坂城址22

かなり埋もれているけれど、しっかりと空堀の姿を見ることが出来ます。



その空堀。

     20200212小坂城址25


     20200212小坂城址26



三郭と主郭の間は部分的に空堀が並び、二重空堀になっている。

     20200212小坂城址27

これは見応えありますね。


国道408号線は、ちょくちょく走るから
小坂城址の前をちょくちょく通ってはいるんだけど
城址に立ち寄ったのは約6年振り。
6年前と変わらず、整備が行き届き、
しっかりと管理されている小坂城址。
     
たしか、小坂城址保存会って言うのがあったと思うけど
その活動にあたまが下がります。

     



こちらが、小坂城(址)の御城印。

     20200212小坂城址30

牛久市城跡めぐり運営委員会が主催して行われた『牛久市城跡めぐり』。
茨城県内で初めて御城印を発行したイベント。
イベント終了後も継続的に頒布している御城印。

私にとっても茨城県内の初御城印。
今後の展開に期待です。


2020/03/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............明治神社   (2020年2月11日)(千葉県千葉市緑区) 

2月11日

この日は、九十九里方面へ出かけました。

松之郷八坂神社をあとにして、向かった先は...............明治神社。

明治神社は、千葉市緑区土気に鎮座する神社です。

明治45年(1912年)旧・土気本郷町に設立された遥拝所が基となり、
明治天皇崩御後の同年12月に御真影を掲げたのが始まりとされる。
約30年前、土地所有者と神社の間で土地をめぐるトラブルがあり、
しばらく立ち入り禁止となっていたそうです。
地元の小高さんが中心となって明治神社再建委員会を立ち上げられ、
平成22年(2010年)有志からの借入金で土地を購入。
雑木林のように荒れていた境内で、木の伐採や草刈りをボランティアが行い
本殿を白色や朱色に塗り直し、プレハブの仮社務所を設置して、再建されました。
昨年(令和元年)あたりから御朱印も対応されるようになったようです。

御祭神は、明治天皇。



最近は、ご無沙汰ですが.........
ドッグランの『すいらん』に行く時に
いつもこの神社の前の道を通っていました。
頻繁に『すいらん』に通っていたのは役7年前。
神社が在ったのは、薄ら記憶に残っているのですが
その時は、まだ整備されていなかったような気がします。


神社社頭。

     20200211明治神社01



鳥居。

     20200211明治神社02



参道。

     20200211明治神社03


参道の幟。

     20200211明治神社04



参道の由緒書き。

     20200211明治神社05


     20200211明治神社06



拝殿が見えてきました。

     20200211明治神社07



手水舎。

     20200211明治神社08



拝殿正面。

     20200211明治神社09


拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200211明治神社10



別アングルからの拝殿。

     20200211明治神社11


     20200211明治神社12



そして、こちらが本殿。

     20200211明治神社13


拝殿前の狛犬。

     20200211明治神社14


     20200211明治神社15



びいすけ も参拝。
 
     20200211明治神社16



境内の記念碑。

     20200211明治神社17


     20200211明治神社18



こちらは、御輿庫でしょうか?

     20200211明治神社19



こちらは、御神木。

        20200211明治神社22
     20200211明治神社23



こちらは社務所。

     20200211明治神社20

普段は無人の神社です。

実は昨日、本務社の方に電話で問い合わせをしたら
御朱印等は、本務社は関与せず、氏子さんが対応しているとの事で
本務社から氏子総代さんに連絡を取って頂き、
この日の14時〜15時の間で氏子総代さんど待ち合わせをさせて頂きました。

無事、氏子総代さんともお会いでき、御朱印をお願いする事が出来ました。

     20200211明治神社21



てっきり、書置きの御朱印かと思ったら
氏子総代さんが筆耕していただきました。

御朱印を待つ間、『これでもどうぞ!』と
小さな額に入って、書置きの御朱印を貰っちゃいました。

     20200211明治神社24


こちらが、額に入った書置きの御朱印。

     20200211明治神社26


そして、氏子総代さんの筆耕された御朱印。

     20200211明治神社25


ありがとうございました。



2020/03/27 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

再訪  松之郷八坂神社   (2020年2月11日)(千葉県東金市) 

2月11日

この日は、九十九里町から東金市へと移動。
やって来たのは、...............松之郷八坂神社。


こちらの神社に来るのは、これで4度目になるんだろうか?
東金市、山武市、大網白里市の神社を約30社ほど兼務しているらしいから
これからも、ちょくちょく立ち寄る事もあるでしょう。


社号標。

     20200211松之郷八坂神社01


神社社頭。

     20200211松之郷八坂神社02


説明板。

     20200211松之郷八坂神社03




参道。

     20200211松之郷八坂神社04
     20200211松之郷八坂神社05
     20200211松之郷八坂神社06



拝殿。

     20200211松之郷八坂神社07



拝殿の背後には立派な本殿。

     20200211松之郷八坂神社08
     20200211松之郷八坂神社09

こちらの八坂神社の本殿は、いつ見ても圧巻。




     20200211松之郷八坂神社10


     20200211松之郷八坂神社11


     20200211松之郷八坂神社12


     20200211松之郷八坂神社13


こちらが、社務所。

     20200211松之郷八坂神社14

多くの神社を兼務されているから、宮司さんが居られる機会は少ない。
この日、午前中は九十九里の神社を廻るから、
午後1時に約束をしていたけれど、どうやら遅れている模様。

1時半まで待ちますが.........

     20200211松之郷八坂神社15
     20200211松之郷八坂神社16

その間、参拝者が2組来られましたが
社務所が閉まっていたので、残念そうに帰って行かれました。


14時から15時の間で千葉市緑区土気で待ち合わせがあったので
一旦、ここを離れ、16時ごろに再訪。
無事、宮司さんともお会いでき、御朱印を頂く事が出来ました。



こちらが、松之郷八坂神社の御朱印。

     20200211松之郷八坂神社17


宮司さんも気を使われて、待たせてしまった事を申し訳なく思い
何と、お土産を戴いちゃいました。

     20200211松之郷八坂神社18


自宅に帰って開けてみたら、紅白饅頭。

     20200211松之郷八坂神社19

美味しく頂きました。
ありがとうございました。


2020/03/27 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............武射神社   (2020年2月11日)(千葉県東金市) 

2月11日
  
この日は、九十九里方面へ出かけました。

皇産霊神社をあとにして、向かった先は...............武射神社。

武射神社は、山武市上下武射田に鎮座する神社です。

武射国造長忍人命の勧請と伝えられ、
文亀2年(1502年)当時の領主である酒井定隆が当社へ参拝し、
以来酒井氏代々武運を祈り崇敬されたそうです。
慶長12年(1607年)社殿を再興し、
上下武射田の産土神として鎮斎し今日に至っています。

御祭神は、大己貴命・面足尊・惶根尊。




社号標。

     20200211武射神社01



神社社頭。

     20200211武射神社02


   

『夏越の神事』の説明板。

     20200211武射神社03

武射神社には古くから『夏越の神事』と称し、
毎年6月晦日、田植えが終り季節の交替に当たって、
邪神をはらい災を除く神事が執り行われます。



鳥居。

     20200211武射神社04



参道の狛犬。

     20200211武射神社05


     20200211武射神社06



手水舎。

     20200211武射神社07



こちらが拝殿。

     20200211武射神社08



拝殿正面。

     20200211武射神社09



別アングルからの拝殿。

     20200211武射神社10


     20200211武射神社11



本殿を拝もうと、拝殿の裏手に回ってびっくり!!

     20200211武射神社12

朱色の本殿が視界に飛び込んできました。



立派な本殿です。

     20200211武射神社13



こちらは、拝殿前の狛犬。

     20200211武射神社14


     20200211武射神社15



びいすけ も参拝。

     20200211武射神社16



こちらは、本殿裏手の裏参道口の鳥居。

     20200211武射神社17



その鳥居に掲げられた神額。

     20200211武射神社18




境内社。

     20200211武射神社19


     20200211武射神社20


     20200211武射神社21


     20200211武射神社22


     20200211武射神社23



頌徳碑。

     20200211武射神社24



こちらが社務所。

     20200211武射神社25

普段は無人の神社です。


そして、こちらが武射神社の御朱印。

     20200211武射神社26

本務社の松之郷八坂神社にて授与いたしました。

この武射神社の御朱印は今年の節分(2月3日)から
頒布されるようになったそうです。





2020/03/26 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............皇産霊神社   (2020年2月11日)(千葉市山武郡九十九里町) 

2月11日   

この日は九十九里町に出かけました。
向かった先は...............皇産霊神社。

皇産霊神社は、九十九里町片貝に鎮座する神社です。

天慶年間(938年〜946年)の創建とされ、
往時は第六天神宮と称していたとされます、
明治の神仏分離令で、天御中主神・高皇産靈神・神皇産靈神を祭神とし、
社号を皇産靈神社と称するようになったそうです。
氏子一同の丘万作・浜大漁の守護神として今日に至っています。

毎年2月11日には例祭である『関万歳』が執り行われます。
昔の3村から氏子が太鼓などを載せた山車を先頭に
囃子で囃しながら皇産靈神社へ向かい並列し、神官万歳を唱え福の種を撒きます。
寛政6年(1794年)小関村と片貝村の水争いから堰を作り、
水を分け合うようになったことを祝い漫才が行われたと言う伝承があり、
これが関万歳になったと伝えられています。

御祭神は、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神



以前は、片貝漁港の売店に行ったり、
海の幸を求めて『番屋』に食べに行ったりしていたけど
最近はご無沙汰。
九十九里町に来るのも久し振りになります。



県道沿いに建つ皇産霊神社の案内板。

     20200211皇産霊神社01



今日は年に一度の例祭日。

     20200211皇産霊神社02



遠くからでも笛や太鼓のお囃子が聞こえ、
神社に近付くにつれ、屋台の出店も見えてきた。

     20200211皇産霊神社03



神社社頭。

     20200211皇産霊神社04

時刻は11時過ぎ。
すでに、境内には多くの人で溢れている。



手水舎。

     20200211皇産霊神社05



定番の龍の吐出口。

     20200211皇産霊神社06



こちらが拝殿。

     20200211皇産霊神社07



拝殿正面。

     20200211皇産霊神社08


     20200211皇産霊神社09



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200211皇産霊神社10


別アングルからの拝殿。

     20200211皇産霊神社11


     20200211皇産霊神社12



そして、こちらが本殿。

     20200211皇産霊神社13



拝殿前の狛犬。

     20200211皇産霊神社14



びいすけ も参拝。

     20200211皇産霊神社15




こちらは、拝殿右手の参道口。

     20200211皇産霊神社17

位置的に西さんどうになるのか?


社号標。

     20200211皇産霊神社18



境内社・子安神社。

     20200211皇産霊神社19


     20200211皇産霊神社0



境内では、仮設の神楽殿にてお囃子に合わせた舞が披露。

     20200211皇産霊神社21



小さな子供達が一生懸命に舞っている。

     20200211皇産霊神社22



境内の記念碑。

     20200211皇産霊神社33



こちらが授与所。

     20200211皇産霊神社24


普段は無人の神社ですが、
この日は本務社の宮司さんがおられます。

     20200211皇産霊神社25




こちらが、御朱印。

     20200211皇産霊神社26


年に一度、この日しか頒布されない御朱印。
しっかり授与いたしました。





2020/03/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 大宝八幡 》 (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日 茨城百景 《 大宝八幡 》

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

この日参拝に訪れた大宝八幡宮。

南北朝時代の大宝城跡でもあり、
昭和25年に選定された茨城百景の地でもあります。

茨城百景は、昭和25年に選定された茨城県内の100ヶ所の景勝地。
その茨城百景の選定地には、茨城百景の碑が建てられています。
数年前から、茨城百景に訪れ、その碑を探すのも楽しみの一つにしています。

茨城百景は、下妻市には2ヶ所あり、その一つが大宝八幡宮。





社号標。

     20200210大宝八幡宮01



大宝八幡宮の大鳥居。

     20200210茨城百景大宝八幡03



大鳥居脇の由緒書き。

     20200210大宝八幡宮05



随身門。

     20200210大宝八幡宮07



多くの狛犬に出迎えられる参道。

     20200210大宝八幡宮13



こちらが拝殿。

     20200210大宝八幡宮17



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210大宝八幡宮20



国の文化財に指定されている本殿。

     20200210大宝八幡宮24


     20200210大宝八幡宮29


境内の詳細や、大宝城址については、別記事を参照してもらいましょう。



さて、肝心の茨城百景の碑ですが、
大宝八幡宮の境内には在りません。



こちらが、茨城百景の碑。

     20200210茨城百景大宝八幡01


     20200210茨城百景大宝八幡02

大宝駅から大砲八幡宮へ向かう道沿いの民家の陰に
隠れるように建っていました。


『茨城百景 大宝八幡宮』。
簡素な記事になりますが、これにて完了。




2020/03/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大宝城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。


この日、参拝に訪れた大宝八幡宮。
実は、大宝八幡宮を含む台地一帯が、
南北朝時代の大宝城跡になります。

大宝城は、貞永元年(1232年)に小山氏の一族である下妻長政が築城しました。
以後、代々下妻氏の持ち城でした。
南北朝時代、下妻政泰は南朝方に与し、
小田城・関城・下妻城と共に南朝方の拠点の城となりました。
このため、足利尊氏の重臣である高師冬にしばしば攻められていました。
そして康永2年(1343年)、小笠原貞宗の大軍によって攻められ、
大宝城は落城し、下妻氏も滅亡してしまいました。

城域は広く、大宝小学校の敷地~大宝八幡宮の境内にかけての台地一帯が
その城域にあたります。
宅地化がすすみ、また小学校の建設などにより、
城の遺構はかなり隠滅し、大宝保育園や大宝八幡宮の裏手に残る土塁を
微かに確認できるほど、遺構は少なくなってしまいました。




こちらが、大宝城の概略図。

     大宝城址縄張り図

    ( 余湖さんのHPよりお借りしました )





大宝八幡宮の社号標の奥に建つ標柱。

     20200210大宝城址01

  

『大宝城跡』の標柱です。

     20200210大宝城址02



社号標の奥、一の鳥居脇の土塁。
鳥居に向かって右側の土塁になります。

     20200210大宝城址03


見事な土塁。

     20200210大宝城址04



郭内から見る土塁。

     20200210大宝城址06



その土塁は長く伸びている。

     20200210大宝城址07



反対側の土塁。

     20200210大宝城址05



大宝小学校の手前。
縄張り図(概略図)でHの位置あたり。

     20200210大宝城址08


     20200210大宝城址09



大宝城跡の説明板も建つ。

     20200210大宝城址10


台地下部にも建つ標柱。

     20200210大宝城址11

こちらの標柱はかなり古いもの。



大宝駅前から、大宝八幡宮へ向かう道沿いの民家の庭先に建つ城址碑。

     20200210大宝城址12



こちらは、大宝八幡宮本殿裏手に建つ小さな看板。

     20200210大宝城址14


大宝八幡宮の本殿裏手に建つ、『下妻政康公』の碑。

     20200210大宝城址15

昭和18年(1943年)に建立されたモノ。


その近くには、『贈正四位下妻政康忠死之地』の碑

     20200210大宝城址16

こちらは、昭和6年(1931年)に建立されました。


康永2年(1343)11月22日に大宝城は落城し、
城主・下妻政康は討死したと言われています。



こちらは、大宝八幡宮の本殿裏手の最奥。
あじさい園のある辺り。

     20200210大宝城址17


この辺りが、大宝城址で遺構が多い場所になる。

     20200210大宝城址18



大宝保育園の裏手の土塁。

     20200210大宝城址19


     20200210大宝城址20


     20200210大宝城址21


     20200210大宝城址22


     20200210大宝城址23


     20200210大宝城址24
  

     20200210大宝城址25


少し気になったのは、
昨年の台風の影響だったのか?
重機が入って整備をした直後なのか?
ひょっとしたら、整備と言う名の元に
城址の一部が改変されてしまっているのでは...............?

あじさい園辺りをかなりいじっていたんじゃないか?
そんな風に感じてしまったのは、気のせいだろうか............?



2020/03/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............大宝八幡宮   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日  

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

駒城址をあとにして、向かった先は......................大宝八幡宮。

大宝八幡宮は、下妻市大宝に鎮座する神社です。

創建は大宝元年(701年)で、藤原時忠が常陸国河内郡へ下向の際、
東国平定のための鎮護の神として「宇佐八幡宮(現・宇佐神宮)」を勧請して
創建したとされています。
下妻市周辺の総鎮守であり、「関東最古の八幡さま」を称する古社です。
敷地内には南北朝時代に大宝城があったため、
境内自体が大宝城跡として国の史跡に指定されており、
本殿は戦国時代の下妻城主多賀谷氏による再建が現存していて、
国の重要文化財に指定されています。
古くは「大宝寺」「大宝寺八幡宮」などと称されたように、
神仏習合のもとで多大な崇敬を集めたそうです。
平将門や源頼朝の伝承などが残る地域を代表する大社です。

御祭神は、誉田別命、足仲彦命、気長足姫命。




社号標。

     20200210大宝八幡宮01



一の鳥居。

     20200210大宝八幡宮02



二の鳥居。

     20200210大宝八幡宮03



順番で言えば三の鳥居になる大鳥居。

     20200210大宝八幡宮04


鳥居脇に建つ由緒書き。

     20200210大宝八幡宮05



この大宝八幡宮の敷地は、南北朝時代の大宝城跡でもあります。

     20200210大宝八幡宮06



では、参道を進みましょう。


随身門。

     20200210大宝八幡宮07



随身像ではなく、仁王像がお出迎え。

     20200210大宝八幡宮08


     20200210大宝八幡宮09

このあたりが、神仏習合時代の色が濃い。


随身門脇にも由緒書き。

     20200210大宝八幡宮48



随身門をくぐれば、何対もの狛犬が現れる。

     20200210大宝八幡宮10


     20200210大宝八幡宮12



狛犬の中に一匹の犬。

   20200210大宝八幡宮13



由緒ある古社ですが、犬NGでは無い。

     20200210大宝八幡宮49

要は、いかに飼い主がマナーを守って参拝出来るかだと思います。
大宝八幡宮の寛大さに感謝です。



手水舎。

     20200210大宝八幡宮14



定番の龍の吐出口。

     20200210大宝八幡宮15



水盤脇には七福神の乗った宝船。

     20200210大宝八幡宮16



こちらが拝殿。

     20200210大宝八幡宮17



拝殿前の狛犬。

     20200210大宝八幡宮18


     20200210大宝八幡宮19




拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200210大宝八幡宮20



別アングルからの拝殿。

     20200210大宝八幡宮21


     20200210大宝八幡宮22



そして、こちらが本殿。

     20200210大宝八幡宮23


     20200210大宝八幡宮24


本殿は国の文化財に指定されているようです。

     20200210大宝八幡宮29




若宮八幡宮。

     20200210大宝八幡宮26

源頼朝が奥州征伐平定の日、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して創建されたそうです。



若宮八幡宮の前には神馬舎。
 
     20200210大宝八幡宮25



黒鳥神社。
          
     20200210大宝八幡宮27



祖霊殿。

     20200210大宝八幡宮28


     

関東最古の八幡宮と言われるだけあって境内社も多い。

     20200210大宝八幡宮30


     20200210大宝八幡宮31


     20200210大宝八幡宮32


     20200210大宝八幡宮33


     20200210大宝八幡宮34


     20200210大宝八幡宮47


     20200210大宝八幡宮35



こちらは、東門。

     20200210大宝八幡宮36



神楽殿。

     20200210大宝八幡宮37



寳物殿。

     20200210大宝八幡宮38


さざれ石。

     20200210大宝八幡宮39


記念碑。

     20200210大宝八幡宮40


祖霊殿近くの蛙の像。

     20200210大宝八幡宮41


 
ここにも七福神。
大宝七福神。

     20200210大宝八幡宮42



境内には立派な土俵もあります。

     20200210大宝八幡宮43



鐘楼。

     20200210大宝八幡宮44

これも神仏習合の名残りでしょう。



太古石。

     20200210大宝八幡宮45



何故か、窯も置かれている。

     20200210大宝八幡宮46



     
御神木。

      20200210大宝八幡宮50
     20200210大宝八幡宮51


こちらが、授与所。

     20200210大宝八幡宮52

御朱印は、こちらで頒布されています。



そして!こちらが大宝八幡宮の御朱印。

     20200210大宝八幡宮53


2020/03/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

駒城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

大木分教場をあとにして、向かった先は...............駒城址。


駒城は、南北朝時代に中御門少将・藤原実寛により築城されたとされています。
東西120メートル、南北180メートルの方形で、
周囲は沼に囲まれていたとされています。
藤原実寛は小田氏や結城氏らとともに南朝方に属しました。
つくば市の小田城、関城町の関城、下妻市の大宝城とともに、
南朝側の常陸国における重要な戦略的拠点でしたが、
1340年、北朝側の高師冬の猛攻にあって落城しました。

現在、城跡の大部分が宅地や耕地となっています



こちらが、駒城址の概略図。

     駒城址縄張り図

    ( 余湖さんのHPよりお借りしました )



城址の脇をアスファルトの道路が走る。

     20200210駒城址01



鎖に囲まれた一環に一際目立つ説明板。

     20200210駒城址02



駒城址の説明板です。

     20200210駒城址03


近くには、標柱も建つ。

     20200210駒城址04

文言は、『茨城県指定文化財 史跡 駒城跡』



鎖を越えて中に入れば、城址碑。

     20200210駒城址05


     20200210駒城址06



東西120メートル、南北180メートルの方形てあるが
現存する部分はそれよりも狭い。

     20200210駒城址07



遺構も少ない。

     20200210駒城址10


     20200210駒城址11





こちらが土塁のようにも見える土壇。

     20200210駒城址8


     20200210駒城址12



北側の空堀。

     20200210駒城址09



城跡と言うよりは、単なる森と言ったほうが適切か?

     20200210駒城址13

説明板や標柱、城址碑が無ければ、とても城址には見えない。
残念と言うか、今一歩、満足感が無い。
まあ、こればっかりは仕方が無いんだけど.............



2020/03/23 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............. 上妻小学校大木分教場  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

砂沼をあとにして、向かった先は.........上妻小学校大木分教場。

大木分教場は、明治6年に創設された大木小学校が
その始まりとされています。



明治6年     大木小学校創立。
明治34年    大木小学校を上妻尋常高等小学校の分教場とする。
昭和22年    学制改革により、上妻村立上妻小学校大木分教場と改称。
昭和34年    本校に統合して大木分教場は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




大木集落の幹線道路沿いにある分教場跡地。

     20200210大木分校01


現在は、『大木農村集落センター』として地域の集会所のような施設となっています。

     20200210大木分校09



廃校から既に60年。
校舎はとっくに解体され、
赤い屋根の農村集落センターが建てられています。

     20200210大木分校02



最初は、分教場時の建物(校舎)かと思いましたが
考えたら60年前に廃校の分教場。
とても60年+αの建物には見えません。

     20200210大木分校03


     20200210大木分校04



廃校記念碑かと思ったら、大きく『大木農村集落センター』と刻まれた碑。

     20200210大木分校05



敷地内に残る桜の古木が2本。
分教場時代のモノでしょう。

     20200210大木分校06


     20200210大木分校07

アスファルトで固められてしまった敷地ですが
分校時は土の地面を子供達が走り回っていたのでしょう。



定番の消防倉庫は見当たりませんでしたが
古紙回収、保管用の倉庫が置かれていました。

     20200210大木分校08

地方の廃校跡だと、地域の資源ゴミの回収場所に利用されることも多い。
この大木分校も集会所としての顔を持ち、
資源ゴミの回収場所としての顔も持つ分教場跡地でした。  


   



2020/03/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 砂沼 》  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

多賀谷城址をあとにして、
向かった先は...............茨城百景  《 砂沼 》


茨城県には『茨城百景』と言う、昭和25年に選定された
県内100ヶ所の景勝地があります。
下妻市には、茨城百景の選定地が2ヶ所あり、
その一つが『砂沼』になります。

そもそも『砂沼』とは、周囲6km・面積55ha、
満水時の水深約3mの農業用ため池です。
しかしながら、平成22年に砂沼湖として、
日本のため池百選にも選ばれているらしい。

周辺は「砂沼広域公園」として整備されています。
かつてはプールもありましたが、
施設の老朽化で平成30年廃止されました。
カモ類の絶好の生息地であり、
コガモ・マガモ・カルガモなどが良く見られるそうです。 



砂沼の看板。

     20200210砂沼01

茨城百景とは記されているけれど
目的はこれじゃない。

探すのは、茨城百景の碑。



こちらが砂沼。

     20200210砂沼02



沼沿いにぐるっと一周できる遊歩道が整備されているみたいです。

     20200210砂沼03

一周、約6km。
根性があれば、1時間ちょいで回って来れるとは思うけれど
今日は、その根性がない。
とりあえずは、湖畔に建っているとされる茨城百景の碑を探します。


遊歩道沿いに案内看板を発見。

     20200210砂沼04



そして、その近くに茨城百景の碑を見つけました。

     20200210砂沼05


     20200210砂沼06



とりあえず、これで目的の50%は達成。
砂沼の遊歩道を軽く散策してみましょう。

     20200210砂沼07




ベンチを見つけだから、ちょっぴり『もぐもぐタイム』といたしましょう。

     20200210砂沼11


     20200210砂沼08



『待て!』からの.........

     20200210砂沼09


『良し!!』。

     20200210砂沼10


     

「下妻市観光交流センターさん歩の駅サン・SUNさぬま」
(なんで、こんなに長い名称なんでしょう?)
のテラス席は、恋人の聖地としてPR中。

     20200210砂沼12

そう言えば、この手の『恋人な聖地』って増えたよね。



恋人の聖地に長居をすることもなく
砂沼の湖畔を散策します。

     20200210砂沼13


     20200210砂沼15


     20200210砂沼16



今年は暖冬だから少ないのか?
期待していた水鳥の姿はあまり無い。

     20200210砂沼14


天気が良いから、筑波山もはっきり見える。

     20200210砂沼17



この風景が、茨城百景なんだろうなぁ...............



2020/03/22 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

多賀谷城址  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

宗任神社をあとにして、、向かった先は.............多賀谷城址。

多賀谷城は、常陸国関郡下妻庄に在ったことから別名を下妻城と称しますが、
多賀谷氏の居城であったことから多賀谷城と呼ぶのが一般的なようです。

康正元年(1455年)から多賀谷氏家が下妻荘に築城を開始し、
6年後の寛正2年(1461年)完成したとされ、
下妻荘を含む関三十三郷と大名の地位を得ました。

15世紀中頃は東西両館からなり、
東館を本丸とする2廓の単純な構造でした。
その後、多賀谷氏の勢力拡大に伴い城を北方向へ拡張していき、
16世紀から17世紀初頭の多賀谷氏7代・多賀谷重経の頃には、
城は館沼によって東西に分断され、
沼の東側に本城(本丸)・中城(二の丸)・三の丸・北城・南館(姫曲輪)を、
沼の西側に西城を置き、城域は南北1500m×東西900mと言う広大なモノでした。

この時代の下妻は常陸国西部最大の都市であり、
城郭・城下町の規模や充実度の面でも優れ、
その下妻に君臨する多賀谷氏は、常陸国屈指の存在でもあったようです。



こちらが、多賀谷城の縄張り図。

     多賀谷城址縄張り図

   ( 余湖さんのHPからお借りしました。 )



広大な広さを誇った多賀谷城址。
城郭は広大で旧・真壁郡下妻町の領域がすっぽりと収まるほどであり、
1950年代までは曲輪・濠・土塁跡が残っていたと言う事です。
1961年(昭和36年)に始まった都市計画事業を経て、
現在では、多賀谷城跡公園内にわずかに痕跡を残すのみとなってしまいました。


こちらが、その多賀谷城跡公園。

     20200210多賀谷城址01


     20200210多賀谷城址02



せめてもと、多賀谷城跡公園でその痕跡を探します。

     20200210多賀谷城址03


 
さすがに市街地に整備されて出来た公園。
なかなか、城跡の痕跡は見つかりません。
    
     20200210多賀谷城址04


     20200210多賀谷城址05


     20200210多賀谷城址06


     20200210多賀谷城址07


     20200210多賀谷城址08



公園の隅っちょ。
ちょっとした土壇があります。

     20200210多賀谷城址09



土壇の前には『多賀谷城本丸跡』と記された標柱。

     20200210多賀谷城址10



石段を挟んだ先には、『多賀谷城本丸跡』の説明板。

     20200210多賀谷城址11


     20200210多賀谷城址12



この土壇周辺が僅かに痕跡を残す場所のようです。

     20200210多賀谷城址13


     20200210多賀谷城址14


     20200210多賀谷城址15


     20200210多賀谷城址16


土壇の脇には平和塔。

     20200210多賀谷城址17

第二次世界大戦の戦没者慰霊の塔ですね。
かつての下妻の城郭は昭和の時代になっても
この地区のランドマークだったんですね。





2020/03/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

江連用水旧溝宮裏両樋  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日  

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

参拝に訪れた宗任神社。
そちらで、兼務社を含めた10社の御朱印を頂きましたが
さすがに10体の御朱印を書いて頂くのに
それなりの時間が掛かると言うことで、
宮司さんから、『待つ間に是非見て欲しい』とも言われ
ちょっぴり覗きに行ったのが............... 江連用水旧溝宮裏両樋。

江連用水旧溝宮裏両樋は、栃木県真岡市上江連を水源とし、
鬼怒川と小貝川に挟まれた地域のかんがい用として
明治33年に設けられた分水施設です。

かつて、江連用水には多数のレンガ水門が存在しましたが、
現存するのはこの水門のみとなってしまいました。

レンガ造りの東西二つの水門と、湾曲する擁壁が一体となっており、
上流からの水を等分して下流に流すことができる構造になっています

農業施設の文化財としては、かなり珍しいものだと言う事です。



宗任神社の裏参道口に建つ説明板。

     20200210江連用水旧溝宮03


     20200210江連用水旧溝宮04



こちらが、その『江連用水旧溝宮裏両樋』。

     20200210江連用水旧溝宮05



記念の顕彰プレートの碑も建ち並ぶ。

     20200210江連用水旧溝宮06


     20200210江連用水旧溝宮07



レンガ造りの水門。

     20200210江連用水旧溝宮13


     20200210江連用水旧溝宮11


このような水門が2基左右に並んで分水しています。

     20200210江連用水旧溝宮08


     20200210江連用水旧溝宮09



水門の上の びいすけ 。

     20200210江連用水旧溝宮12



ちょっぴり、びびり顔(笑)

     20200210江連用水旧溝宮10



やっぱり、この位置の方が びいすけ は、落ち着くみたい。

     20200210江連用水旧溝宮02



水門の下流。

     20200210江連用水旧溝宮01

穏やかな流れです。



実際に流れている水量が少なくて、今イチ感が否めない。
農繁期の水量が多い時であれば、それなりに凄さを感じるのだろうか.........?








2020/03/21 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit