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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

父さんの都内散歩.............御朱印巡り  《 初音森神社 》 (2020年1月7日)(東京都中央区) 

1月7日  

この日は、年に1回の健康診断。
都内・御茶ノ水にある健保の指定医療機関に出かけました。
そんな訳で、びいすけ は留守番となります。

2時間ほどで健康診断も終わり、
まっすぐ自宅に帰るのも芸がない。
御茶ノ水から黄色い総武線に乗り、2駅先の浅草橋で下車。

向かった先は...............初音森神社。


初音森神社は、中央区東日本橋に鎮座する神社です。

元弘2年(1332年)に藤原師賢により奉斎されたと伝えられ、
旧・馬喰町および横山町の鎮守だったそうです。

当初の鎮座地は、馬喰町初音之里(現・中央区東日本橋)で、
鶯が多く棲んでいた森があり、この鶯の鳴き声を初音と称したのが
旧地名および社号の由来であるとされています。
万治2年(1659年)社地を関東郡代屋敷用地とされたため替地を拝領し、
現: 墨田区千歳 へ遷座しました。
昭和49年、旧社地であった東日本橋にSRC造地上13階建てのビルが建てられ、
その2階部分に神殿及び儀式殿が設けられました。
墨田区千歳の本殿に対し、こちらは儀式殿の位置付けとされています。
しかしながら、元の氏子地域であり社務もこちらで行っているそうです。

御祭神は、豊受比売命(宇迦之御魂神)。





御茶ノ水駅。

     20200107初音森神社01

朝9:00に集合。
千葉の佐倉からだと、ちょっぴり大変。


定刻に健保会館に到着。

     20200107初音森神社02


     20200107初音森神社03

1時間半後、健康診断は終わりました。



と言う事で、浅草橋駅から徒歩数分。
神田川を渡った先のビル。

     20200107初音森神社16



こちらが、初音森神社です。

     20200107初音森神社04



朱色の鳥居の脇には神社幟。

     20200107初音森神社05


2階が儀式殿。
小さな赤い幟がお出迎え?

     20200107初音森神社06



鳥居に掲げられた神額。

     20200107初音森神社07



2階の儀式殿に上る階段脇の摂末社。

     20200107初音森神社11



2階に上る階段踊り場には、由緒書き。

     20200107初音森神社12



社号標の代わりか?
2階の庇部分には、初音森神社の社号。

     20200107初音森神社08



この奥が儀式殿。

     20200107初音森神社09

さすがに、この先は写真は遠慮いたしましょう。



境内社と言う表現が適切か?
摂末社の稲荷神社。

     20200107初音森神社10



儀式殿入口に置かれた御朱印。

     20200107初音森神社13

墨田区の千歳に本社があり、こちらは儀式殿となっていますが
御朱印は、こちらで頒布されているようです。
この日は時期的からか? 書置き対応でした。

いえいえ、書置きでも構いません。



こちらが、初音森神社の御朱印。

通常版。

     20200107初音森神社14


正月限定版。

     20200107初音森神社15


いずれにしても、本社である墨田区の初音森神社にも
いつか参拝に行きたいものです。



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2020/02/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............日本の道百選  《 中央通り 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

とりあえず、この日参拝に巡る神社は全部廻り終え
日本橋茅場町から、神田駅まで歩いて行きます。
そう言えば、ここは日本橋........................


日本橋。
書いて字の如く、東京都中央区日本橋川に架かる橋で、
江戸時代から「江戸の中央にして諸国よりの行程もここより定められる故、
日本橋の名あり」と言われ、日本の道路網の始点となり、
『日本の道路元標』が建てられています。

かつて五街道と呼ばれた東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中)は、いずれもその起点は日本橋となっています。

その日本橋を東西に貫く『中央通り』。

明治近代化のシンボル・銀座の道として整備された道路で、「銀座通り」や「銀座中央通り」の愛称で呼ばれることもあります。
起点が新橋駅北東側の十字路で、終点は上野駅南側の三叉路までの道路。
日本の道百選にも選ばれています。

本来は車で走り、百選の碑の前で びいすけ と一緒に写真を撮りたかったのですが
なかなか都内に びいすけ を連れて車で出かけるのは厳しいモノがありますので、今回は びいすけ は無し。



日本橋茅場町から、昭和通りを横切り
中央通りへと向かいます。



中央通り、日本橋交差点。
上野方面へと向かいます。

     20200105日本道百選03



背後は銀座、新橋方面。

     20200105日本道百選02


     20200105日本道百選08



やがて、視界に入るのは日本橋。
そして頭上を走る首都高速。

     20200105日本道百選01
  

 
一時期、この首都高があるせいで、
日本橋の景観が優れないと言う話が盛り上がっていたけれど
最近は、そんな話も収まってきたのでしょうか?

     20200105日本道百選07




日本橋の袂に、探している標柱を発見。

     20200105日本道百選06



そうです、コレを探しに来たんです。

     20200105日本道百選04


『日本の道百選 中央通り』のプレートです。

     20200105日本道百選05





では、中央通りを歩き、日本橋を渡りましょう。

     20200105日本道百選09



橋の欄干の装飾もちょっぴり他の橋とは違う。

     20200105日本道百選10

やっぱり、日本橋。


橋を渡った先に、道路元標が在りました。

     20200105日本道百選11



ここが日本の道路(道)の原点ですね。

     20200105日本道百選12



こちらの碑には、各都市までの距離も刻まれています。

     20200105日本道百選13


日本橋を振り返ってみます。

     20200105日本道百選14


ここが日本の道の原点。
とりあえず、神田駅まで中央通りを歩いて行こう..................



2020/02/17 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............御朱印巡り  《 兜神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

日本橋日枝神社 山王御旅所をあとにして、向かった先は...............兜神社。

兜神社は、中央区日本橋兜町に鎮座する神社です。

明治11年、ここ兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当たり、
取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として
兜神社を造営したのが始まりです。

御祭神は、倉稲魂命。
相殿神として、大国主神・事代主命。



東京証券取引所の前、運河沿いに鎮座する兜神社。
その社号標。

     20200105兜神社01

なぜか、デジカメのモードがオートのはずが、マニュアルモード。
ピントが思い切りズレています。


神社そのものは、小さな神社です。

     20200105兜神社02



由緒書き。

     20200105兜神社03


社殿。

     20200105兜神社04


手水鉢。

     20200105兜神社05



社殿正面。

     20200105兜神社06


社殿に掲げられた扁額。

     20200105兜神社07



別アングルからの社殿。

     20200105兜神社08


     20200105兜神社09



石碑。

     20200105兜神社10


兜石と刻まれた石。

     20200105兜神社12

この兜石に気を取られ、写真を撮り忘れてしまいましたが
この石の近くには、『兜岩』と呼ばれる岩があり
平将門、源義家の兜にまつわる兜塚跡だと言われているそうです。



そして、こちらが兜神社の御朱印。

     20200105兜神社13


本務社である日本橋日枝神社にて拝受いたしました。




2020/02/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............御朱印巡り  《 日本橋日枝神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

小網神社にて日本橋七福神巡りも完了。
小網神社をあとにして、向かった先は...............日本橋日枝神社 山王御旅所。

日本橋日枝神社は、中央区日本橋茅場町に鎮座する神社です。


天正十八年(1590)、徳川家康公が江戸城に入城し、
日枝大神を崇敬されて以来、御旅所のある「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで
神輿が船で神幸された事に始まります。

元々は独立した神社でしたが、「山王日枝神社」(千代田区永田町)が
官幣大社に昇格した際に「山王日枝神社」の摂社に指定されました。

古くは「山王御旅所」と称されていましたが、「日本橋日枝神社」の他、
「摂社日枝神社」「日枝神社日本橋摂社」などと称される事も多いようです。



御祭神は、日枝大神(大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊)
相殿神として、菅原大神(菅原道真公)・稲荷大神(宇氣母智神)・浅間大神(木花佐久夜比売命)。



神社社頭。

     20200105日本橋日枝神社01



参道口に建つ由緒書き。

     20200105日本橋日枝神社02



参道の鳥居。

     20200105日本橋日枝神社03
 


手水舎。

     20200105日本橋日枝神社04



狛犬。

     20200105日本橋日枝神社05


     20200105日本橋日枝神社06




神社社頭ではなく境内、それも拝殿の斜め前に建つ社号標。

     20200105日本橋日枝神社14



戦前に建てられた社号標には、
「官幣大社日枝神社 摂社日枝神社」の文字が刻まれています。

     20200105日本橋日枝神社07



そして、こちらが拝殿。

     20200105日本橋日枝神社08



拝殿正面。

     20200105日本橋日枝神社09


     20200105日本橋日枝神社10



別アングルからの拝殿。

     20200105日本橋日枝神社11



そして、こちらが本殿。

     20200105日本橋日枝神社12



拝殿前の天水桶。

     20200105日本橋日枝神社13





境内社・明徳稲荷神社。

     20200105日本橋日枝神社15


     20200105日本橋日枝神社16




社殿と御神木。

     20200105日本橋日枝神社17
     20200105日本橋日枝神社18
     20200105日本橋日枝神社19


御朱印は、授与所にて拝受出来ます。

     20200105日本橋日枝神社20



こちらが、日枝神社の御朱印。

     20200105日本橋日枝神社21

赤坂の日枝神社もそうですが、御朱印込みで御朱印帳が千円の初穂料。
当然、御朱印帳を頂きました。


2020/02/16 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  弁財天 福禄寿 小網神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

茶の木神社をあとにして七福神巡りも終盤。
その最後の神社へと向かいます。
日本橋七福神巡り、その最終章。

向かった先は..............小網神社。

小網神社は、中央区日本橋小網町に鎮座する神社です。

社伝によると、文正元年(1466年)の創建と伝わります。


社地には、古くから恵心僧都の開基と伝わる「万福庵」と云う寺院があったとされ、
「万福庵」は、観世音菩薩と弁財天を安置していて、後に「万福寺」と号されました。
文正元年(1466年)に「万福庵」の周辺で悪疫が流行しました。
その頃、網師の翁が海上で網に掛かった稲穂を持ち「万福庵」を訪問し、数日滞在したそうです。
ある夜「万福庵」の庵主の夢枕に、庵の開基である恵心僧都が現れ、
「網師の翁を稲荷大神として崇めるように」と告げたため、
翌朝になって翁を訪ねると、既にその姿はなかったそうです。
そこで網師の翁を「小網稲荷大明神」として祀ったところ、
暫くして村の悪疫が鎮まったと云うことです。
この網師の翁を小網稲荷大明神として祀ったのが、「小網稲荷社」であり、
のちに小網神社と改称したそうです。


御祭神は、倉稲魂神・市杵島比売神・福禄寿


また、日本橋七福神の弁財天と福禄寿が祀られています。


日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。

その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。

弁財天は、七福神の中で、唯一の女神です。
元々はインド河(水)の神でしたが、やがて音楽の神、言語の神となり、
日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれていました。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収されて、弁財天と呼ばれるようになり、
財宝を授けてくださる神へとなったとされています。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があると言われています。

また、福禄寿は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、
中国、道教の長寿神です。南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、
人々の信仰を集めたと言われる仙人です。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢は千歳と言われ、長寿、幸福の徳を持ち、
鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴です。
招徳人望の神様として信仰されています。



茶の木神社から小網神社へと向かい、
小網神社に近付き、曲がり角を曲がるといきなりの行列。

目の前には参拝のために並ぶ長い列が出来ていました。

     20200105小網神社01


しかも、その列は半端ない。
神社の前からまっすぐにここまで並び、
ここで、画面右側に列が移動します。

     20200105小網神社02


さらに列は伸びて、次の(手前の)交差点でまた右に移動する。

     20200105小網神社03


さらに列は続き...............

     20200105小網神社04


こちらが、最後尾。

     20200105小網神社05

最後尾まで、ざっと300mほど。



この小網神社。
参拝用の列の他にも列が出来ている。


こちらが、お守りや札を拝受する為の人の列。

     20200105小網神社06

参拝用の列よりは短い。


そして、こちらが七福神巡り(色紙)と御朱印の列。

     20200105小網神社07

実は、この列の並びが1番短い。



それでも、御朱印待ちは10分ぐらい。

     20200105小網神社08



本来は、参拝用の列に並んで参拝するのが筋ですが
この行列に並ぶ勇気と言うか、根性は既に失せています。
列の奥に見えるのが拝殿。

     20200105小網神社09

通りから拝殿を眺め、手を合わせて参拝といたします。



鳥居に飾られた神額。

     20200105小網神社10



鳥居脇に飾られた提灯。

     20200105小網神社11



参拝者の奥に見えるのが神楽殿。

     20200105小網神社13



列の奥が授与所。

     20200105小網神社12

御朱印は、こちらで頒布されています。



そして、こちらが御朱印。

こちらが通常版。

     20200105小網神社14


正月限定。

     20200105小網神社15


正月限定の見開き。

     20200105小網神社16


日本橋七福神 弁財天。

     20200105小網神社17



日本橋七福神 福禄寿。

     20200105小網神社18


いずれも正月のこの時期ですから、書置き対応となります。
まあ、あの列を見たら、書置き対応も仕方がないでしょう。

日本橋七福神巡り、これにて満願となりました。



2020/02/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  布袋尊 茶の木神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

末廣神社をあとにして七福神巡りは続きます。
日本橋七福神巡り、その第7弾。

向かった先は..............茶の木神社。

茶の木神社は、中央区日本橋人形町に鎮座する神社です。

社地は、下総佐倉藩大名や幕府大老を務めた堀田家の中屋敷地であり、
その守護神として祀られたものだそうです。
社の周囲に植え込まれた茶の木の緑が実に見事であったと伝えられ、
これが社号の由来となったとされています。

堀田家では年一回初午祭の日のみ開門し、一般の参拝を許可していたそうです。
明治維新後は、色々と管理者が変遷し、関東大震災後は喜誠会により社が造営管理され、1現在の茶ノ木神社世話人会へ受け継がれているそうです。

御祭神は、倉稲魂大神。


日本橋七福神の布袋尊となっています。



日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。

その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。

また、布袋尊は、弥勒菩薩の化身と言われ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたということです。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰されています。



水天宮を参拝する(御朱印拝受までの時間を含めて)のに小一時間掛かってしまい、
時刻はお昼を回ったしまいました。
この辺りから、日本橋七福神の神社にも人が多く集まる(並ぶ)ようになってきたようです。


茶の木神社の前にも列が出来ています。

     20200105茶ノ木稲荷神社01



列の最後尾に並び、参拝の順番待ち。

     20200105茶ノ木稲荷神社02



ゆっくりと列が動いて行きます。

     20200105茶ノ木稲荷神社16


     20200105茶ノ木稲荷神社03

10分ほど並んで順番がやって来ます。


鳥居に近づきました。

     20200105茶ノ木稲荷神社04


鳥居に飾られた神額。

     20200105茶ノ木稲荷神社05



手水舎。
     20200105茶ノ木稲荷神社06

この場合は、手水鉢でしょうか?



社殿前には神使いの狐。

     20200105茶ノ木稲荷神社07


     20200105茶ノ木稲荷神社08


社殿正面。

     20200105茶ノ木稲荷神社09



別アングルから。

     20200105茶ノ木稲荷神社10



社殿前には由緒書き。

     20200105茶ノ木稲荷神社11


『日本橋七福神 布袋尊』の幟もはためく。

     20200105茶ノ木稲荷神社12


仮設テントの授与所。

     20200105茶ノ木稲荷神社13

御朱印はこちらで頒布。
順番待ちの番号札。


そか、拝受した御朱印がこちら。

     20200105茶ノ木稲荷神社14



こちらは、『日本橋七福神 布袋尊』の御朱印。

     20200105茶ノ木稲荷神社15


日本橋七福神巡り、あと少しで結願となります。





     
2020/02/15 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  弁財天 水天宮 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

笠間稲荷神社東別社をあとにして七福神巡りは続きます。
日本橋七福神巡り、その第6弾。

向かった先は..............水天宮。


水天宮は、中央区日本橋蛎殻町に鎮座する神社です。
福岡県久留米市に鎮座する久留米水天宮の分社とされています。

文政元年(1818年)久留米藩9代藩主・有馬頼徳が
江戸・三田赤羽の久留米藩・江戸上屋敷に邸内社として、
福岡・久留米水天宮の分霊を勧請したのが始まりとされています。

邸内社であったため、一般町民の参拝が許されていませんでしたが、
塀越しに賽銭を投げ入れる人が後を絶たず、ついには、毎月五の日には参拝を願う庶民のため門戸を開放したそうです。

明治4年(1871年)有馬家屋敷の移転とともに赤坂に遷座し、
翌年の明治5年に、有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町2丁目に遷座しました。


御祭神は、天御中主大神 安徳天皇 建礼門院 二位ノ尼


日本橋七福神として、弁財天が祀られています。


日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。

その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。

弁財天は、七福神の中で、唯一の女神です。
元々はインド河(水)の神でしたが、やがて音楽の神、言語の神となり、
日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれていました。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収されて、弁財天と呼ばれるようになり、
財宝を授けてくださる神へとなったとされています。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があると言われています。



地下鉄の駅前、その名も『水天宮前』駅のすぐそば。
新大橋通りの「水天宮前」交差点。

     20200105水天宮39

立派な社が見えます。



社号標。

     20200105水天宮01



こちらも都内の一等地の神社。
それなりの敷地を有するが社殿以外は、ほぼ4階建て(?)のビル。
境内は2階相当部になります。

ビルの階段のような参道を上がります。

     20200105水天宮02


水天宮の提灯がお出迎え。

     20200105水天宮03



単なる階段だと思っていたら、随身門のようでした。
壁に見える両脇に随身像が鎮座しています。

     20200105水天宮04


     20200105水天宮05


階段を上がれば鳥居。

     20200105水天宮06


そして狛犬。

     20200105水天宮07


     20200105水天宮08

この狛犬は、タイヤで有名なブリジストンの創業者一族である石橋家が奉納したものらしい。


手水舎。

     20200105水天宮09



定番の龍の吐出口。

     20200105水天宮10


こちらが、拝殿。

     20200105水天宮11



やはり、著名な神社。
初詣の参拝者が多い。
5列に並んで参拝の順番待ち。

     20200105水天宮12


拝殿正面。

     20200105水天宮13


     20200105水天宮14


拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200105水天宮15


5列に並んでも、列進みは遅い。

     20200105水天宮16

都心のメジャーな神社は、この時期コレだから
正直言って苦手です。



別アングルからの拝殿。

     20200105水天宮17



そして、こちらが本殿。

     20200105水天宮18



拝殿正面から飾られた提灯。

     20200105水天宮19



境内には、拝殿の参拝者土橋べな列も出来ています。

     20200105水天宮20

境内社の宝生辨財天に並ぶ列です。


日本橋七福神巡りに来たんだから、
宝生辨財天も参拝しなくちゃ片手落ち。

     20200105水天宮21


こちらも、それなりに長い列。

     20200105水天宮23


それでも、何とか宝生辨財天も参拝出来ました。

     20200105水天宮24


     20200105水天宮25



宝生辨財天の由緒書きと言うか、説明板。

     20200105水天宮26


社の正面に飾られた提灯。

     20200105水天宮27



境内社。

     20200105水天宮28


     20200105水天宮29



安産子育河童

     20200105水天宮30




こちらが、子宝いぬ

     20200105水天宮31

台座の周囲を取り巻く十二支から自分の干支を撫でると、
安産、子授け、無事成長など様々なご利益があると言われているらしい。


境内に、仮設の授与所(テント)がありましたが、
御朱印は4階の授与所で頒布されています。

     20200105水天宮32



こちらが、水天宮の御朱印。

     20200105水天宮33



期間限定の見開きの御朱印が2種。

     20200105水天宮34


     20200105水天宮35



戌の御朱印。

     20200105水天宮36



宝生辨財天の御朱印。

     20200105水天宮37


そして、日本橋七福神 弁財天 の御朱印。

     20200105水天宮38


拝受した御朱印は、合計6体。
初穂料は4000円。

いやぁ、安くはないですねぇ。



2020/02/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  大黒天 松島神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

末廣神社をあとにして七福神巡りは続きます。
日本橋七福神巡り、その第5弾。

向かった先は..............松島神社。

松島神社は、中央区日本橋人形町に鎮座する神社です。

創建時期は不詳ですが、
鎌倉時代の元享年間(1321~1323年)以前と推定されています。
かつて、この一帯は入り江であり、小島が存在していました。
下総国から柴田家の祖先がこの小島に移り住み、その邸内に諸神を勧請し、
掲げられた燈火が夜間航行の目標とされ、航海の安全を得ていたと伝えられています。

正中元年(1324年)3月2日夜、
柴田家三男柴田権太に百難救助すべしとの神示があり、
この奇得を遠近の諸人が信仰するところとなり、
これにより正一位稲荷大明神の位記を奉られたとされています。
また、天正13年(1585年)には、近隣の住民の希望に従い、
邸宅を公開し参拝の自由を許容すると、
島内には松が鬱蒼と生い茂っていたことに由来し松島稲荷大明神と称されました。
また、権太の木像を安置したことから権太大明神とも俗称されたという事です。
周辺は旧・吉原遊廓を中心とした歓楽街を形成したため、
多くの庶民の参拝により賑わい、
町の中心に位置した松島稲荷に各々が出身地の氏神の合祀を依頼したため、
御祭神が14柱になってしまったそうです。

御祭神は、稲荷大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、日前大神(天照大神)
     北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神
     猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)
     大国主神(だいこくさま)。

日本橋七福神では、大黒天として崇拝されています。

日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。
その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。


大黒天は、大自在天の化身とも言われ、大国主命と神仏習合したものです。
一度仏となりましたが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたとされています。
大地を掌握する神様(農業)でもあり、大きな袋を背負い、打出小槌をもち、
頭巾をかぶられた姿が一般によく知られています。
財宝、福徳開運の神様として信仰されています。




神社社頭。

     20200105松島神社01



鳥居に掲げられた神額。

     20200105松島神社02



鳥居に飾られた提灯。

     20200105松島神社03



こちらには、境内社の大鳥神社の名が連なっています。

     20200105松島神社04



手水舎。

     20200105松島神社05



定番の龍の吐出口。

     20200105松島神社06




こちらが社殿。

     20200105松島神社07


この松島神社も都会の神社。
社地はビルの1階。

     20200105松島神社08



その名もズバリ、松島ビルの1階が神社になります。

     20200105松島神社09


外から別アングルで見ると、こんな感じです。

     20200105松島神社11



社殿の隣に授与所。

     20200105松島神社10

御朱印は、この時期だけだと思うんですが、この時期だけだと思うんですが......................
授与所の裏口で頒布されていました。



拝受した御朱印がこちら。


松島神社の御朱印。

     20200105松島神社12



そして、こちらが『日本橋七福神 大黒天』の御朱印。

     20200105松島神社13


先ほど、鳥居にぶら下がっていた大鳥神社の提灯。
気になっていたから訊いてみたら、境内社らしい。
11月の1ヶ月間だけ、大鳥神社の御朱印も頒布されるそうです。

今年の秋は要チェックですね。




2020/02/14 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  毘沙門天 末廣神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

笠間稲荷神社東別社をあとにして七福神巡りは続きます。
日本橋七福神巡り、その第4弾。

向かった先は..............末廣神社。


末廣神社は、中央区日本橋人形町に鎮座する神社です。

江戸時代初期に幕府公認の遊郭街である吉原(葭原)が当地に置かれ、葭原八ヶ町の地主神・産土神として信仰されていました。
社号は延宝3年(1675年)の社殿修復時に古い扇の一種の末廣が発見され、氏子達がこれを祝い末廣の二字を冠したとされています。

御祭神は、宇賀之美多摩命・武甕槌命(毘沙門天)。

日本橋七福神では、毘沙門天として崇拝されています。

日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。
その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。

毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、
七福神の中で、唯一の武将の姿をしています。
右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけています。
七福神では、融通招福の神として信仰されています。



笠間稲荷神社から、さほど離れていない距離に鎮座する末廣神社。


こちらが、その社頭。

      20200105末広神社01

こちらも、都心の古くからの住宅街に鎮座する神社。
お世辞にも敷地は広くはない。



社頭に飾られた提灯。

      20200105末広神社02



そして、『日本橋七福神 毘沙門天』の幟。

      20200105末広神社17



そのすぐ脇には、由緒書き。

      20200105末広神社03



手水舎。

      20200105末広神社04



狛犬。

      20200105末広神社05


      20200105末広神社06


さすが、日本橋七福神の1社。
七福神巡りの参拝客が多い。

      20200105末広神社07



社殿。

      20200105末広神社08


社殿正面。

      20200105末広神社09



正面中央には、この時期だけご開帳の『毘沙門天』の像。

      20200105末広神社10



境内には、こんな小さな祠や
小さな毘沙門天の像が祀られています。

      20200105末広神社11


      20200105末広神社12



狭い境内だけど、授与所前には御朱印待ちの列も出来る。

      20200105末広神社13


順番待ちの整理番号の札を持って
参拝者の邪魔にならないように隅っこに移動。

      20200105末広神社14



社頭では、樽酒が振る舞われています。

      20200105末広神社15



会津若松市にある末廣酒造の酒ですね。

      20200105末広神社16

日本酒は得意じゃないし、夕方に車で買い物に行くから
やっぱり丁重に辞退いたしました。




そして、こちらが末廣神社の御朱印。

      20200105末広神社18



そして、こちらが『日本橋七福神 毘沙門天』の御朱印です。

      20200105末広神社19


日本橋七福神巡り、まだまだ続きます。




2020/02/14 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  寿老神 笠間稲荷神社 東京別社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

三光稲荷神社神社をあとにして七福神巡りを復活します。
日本橋七福神巡り、その第3弾。

向かった先は..............笠間稲荷神社 東京別社。

笠間稲荷神社 東京別社は、中央区日本橋浜町に鎮座する神社です。

『えっ!? 笠間稲荷神社って茨城県じゃ無いの?』
って思っちゃいますが、東京にも笠間稲荷神社は在ります。

笠間稲荷神社東京別社は、紋三郎稲荷とも称せられ、旧笠間藩主牧野氏の邸内社でした。
今から三百二十五年前の延宝九年に、牧野成貞が五代将軍綱吉から、
下屋敷として拝領した土地になります。

延享4年(1747年)に成貞の長男・牧野貞通が京都所司代から常陸笠間に転封されると、
先例にならい胡桃下稲荷神社(笠間稲荷神社の別称)を祈願所としました。
笠間藩第8代藩主・牧野貞直は1859(安政6)年(1859年)笠間稲荷の御分霊を
江戸下屋敷内の現在地に合祀奉斎し、
初午の日には日本橋界隈の市民に参拝を許可したとされています。

御祭神は、宇迦之御魂神・寿老神。

また、日本橋七福神の寿老人として崇拝されています。

日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。

その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。

さて、笠間市にある本社の笠間稲荷神社は常陸七福神の大黒天ですが、
こちらは日本橋七福神の寿老人。


寿老人は星の化身で、にこやかな微笑みを称え、
手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、
鹿を従えた姿が一般的に知られています。
団扇は難を払い、桃は長寿の証しで、鹿もまた長寿の象徴てされています。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。



三光稲荷神社からしばらく歩けば、人形町の交差点。

      20200105笠間稲荷神社01


交差点を左折して、笠間稲荷神社へと向かいます。



こちらが社号標。

      20200105笠間稲荷神社02

わざわざ、別社 と記しているところが憎めない。




神社社頭。

      20200105笠間稲荷神社03


鳥居の脇には、幟もはためく。

      20200105笠間稲荷神社15



鳥居に掲げられた神額。

      20200105笠間稲荷神社04



手水舎。

      20200105笠間稲荷神社05



笠間の笠間稲荷神社と比べると、小ぶりな社殿。

      20200105笠間稲荷神社06



社殿正面。

      20200105笠間稲荷神社07


こちらは、社殿右側。
位置的には北側(になる参道口。)

      20200105笠間稲荷神社08

日本橋人形町から笠間市の方を向いているのでしょうか?



その鳥居に掲げられた神額。

      20200105笠間稲荷神社09



社務所の脇には、多くの狐。

      20200105笠間稲荷神社10

確か、茨城の笠間稲荷神社に本殿裏手にも
多くのキツネが居たんじゃなかったっけ?



こちらは、臨時の授与所。

      20200105笠間稲荷神社12


本来の授与所には、数人の御朱印待ち。

      20200105笠間稲荷神社13



御朱印は、こちらで授与出来ます。

      20200105笠間稲荷神社14



こちらが、笠間稲荷神社 東京別社 の御朱印。

      20200105笠間稲荷神社16



そして、こちらが日本橋七福神 寿老神 の御朱印。

      20200105笠間稲荷神社17


そう言えば、今気づいたんだけど
日本橋七福神では、寿老人ではなく、寿老神なんですね。
やっぱり、神社だけの七福神に展開すると、こうなっちゃうのかな?
恵比寿尊も恵比寿神だしね。



2020/02/13 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............御朱印巡り  《 三光稲荷神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日 

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。
日本橋七福神巡りをしていますが、その順路途中に鎮座する神社も参拝いたします。

椙森神社をあとにして、向かった先は...............三光稲荷神社。


三光稲荷神社は、中央区日本橋掘留町に鎮座する神社です。

慶長8年(1603年)、当時の長谷川町に居住された絹布問屋の田原屋村越庄左衛門、
木綿問屋の建石三蔵の両家が、海岸を埋立てて貸家をたて大地主となり、
その土地の鎮守として祀ったのが創建とされるそうです。

大正12年(1923年)の関東大震災で社殿を焼失しましたが、
翌年に再建されます。その時に区画整理によって長谷川町と田所町が合併して
堀留町二丁目となり、その際に田所稲荷が合祀されたそうです。


御祭神は、三光稲荷大神・田所稲荷大明神。



大通り(人形町通り)に面した参道口には、社号標代わり
『三光稲荷神社』参道と記された碑が建っている。

      20200105三光稲荷神社01



鳥居の形を模した看板。
この先左側に三光稲荷神社は鎮座しています。

      20200105三光稲荷神社02



看板の傍には由緒書き。

      20200105三光稲荷神社03



こちらが三光稲荷神社。

      20200105三光稲荷神社04


やはり、中央区という都心の一等地の神社。
敷地も狭く小さな神社です。

      20200105三光稲荷神社05

でも小さいからって言っても、こちらも歴史ある神社には違いない。



鳥居に掲げられた神額。

      20200105三光稲荷神社06



鳥居の脇には狛犬。
あれ? 稲荷神社だから狐じゃないの?

      20200105三光稲荷神社07

そんな疑問も湧きますが、
この際細かいことは気にしない事にしよう。



手水鉢。

      20200105三光稲荷神社08



こちらが社殿。

      20200105三光稲荷神社09



社殿に飾られた獅子頭。

      20200105三光稲荷神社10



社殿正面に掲げられた扁額。

      20200105三光稲荷神社11



その隣には、別な扁額。

      20200105三光稲荷神社12

こちらの扁額は、神田神社の宮司であられる平田盛胤氏の揮毫だとされています。

普段は無人の神社ですが、この七福神の時期は氏子さんが交代で対応をされています。
この日当番の氏子さんから、
『是非、この扁額の写真を撮って帰ってください』と言われちゃいました。

長谷川町と記された扁額にこだわりを持っていらっしゃるようですね。



社殿正面に飾られた提灯。

      20200105三光稲荷神社13



こちらが社務所。

      20200105三光稲荷神社14

先ほど述べたように、普段は無人の神社ですが
この時期だけは特別。
テーブルを置かれて、氏子さんが応対してくれます。
お神酒を勧められましたが、夕方に車を運転するので
丁重に辞退致しました。


こちらが、御朱印。

      20200105三光稲荷神社15

書き置きですが、今や500円の初穂料が多い中、
(って言うか、都内は500円が相場になりつつある。)
300円と言う良心的な初穂料。

嬉しいですねぇ..................。




2020/02/13 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神  恵比寿神 椙森神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

寳田恵比寿神社をあとにして七福神巡りは続きます。

日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。

その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが
8社を巡っての七福神となります。


日本橋七福神巡り、その第2弾。

向かった先は...............椙森神社。


椙森神社は、中央区日本橋掘留町に鎮座する神社です。

平安時代前期の931(承平元)年頃の創建とされる。
940(天慶3)年、俵藤太秀郷が平将門追討の折、当社に祈願したのち討伐を果たし、その報賓の証しとして白銀の狐像を奉納したという。
1466(文正元)年には太田道灌が雨乞いの祈願をしたところ霊験があり、京都伏見稲荷の伍社大神を勧請し配祠した。
さらに1661(寛文元)年、恵比寿大神を合祀している。


江戸時代には、烏森神社、柳森神社ともに江戸三森のひとつに数えられた稲荷神社で、
日本橋七福神の恵比寿を祀ります。
江戸時代には富くじ興行が多く行われ、これを記念した富塚碑があります。

御祭神は、倉稲魂大神・素盞鳴大神・大市姫大神・大己貴大神・四大神・恵比寿大神。


日本橋七福神では、寳田恵比寿神社と重複しますが恵比寿神を祀っています。

恵比寿神は、七福神の中で唯一の日本の神様とされています。
イザナミノミコト、イザナギノミコトの二神の第三子と言われ、
満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、
やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、
信仰の始まりと伝えられています。
左手に鯛を抱え、右手に釣竿を持った漁業の神ですが、
特に商売繁昌の神様としても信仰が厚いとされています。



日本橋七福神はいずれも徒歩圏内に点在するので
ウォーキングを兼ねての散歩にもなります。
寳田恵比寿神社からも程よい距離。


こちらが椙森神社の社号標。

     20200105椙森神社01



神社社頭。

     20200105椙森神社02



社号の幟も良い感じ。

     20200105椙森神社03



参道の狛犬。

     20200105椙森神社04


     20200105椙森神社05



手水舎。

     20200105椙森神社06



こちらが拝殿。

     20200105椙森神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200105椙森神社08



別アングルからの拝殿。

     20200105椙森神社09



そして、こちらが本殿。

     20200105椙森神社10



拝殿正面に飾られた提灯。

     20200105椙森神社11



拝殿前の天水桶。

     20200105椙森神社12



中央区教育委員会の設置した説明板。

     20200105椙森神社13

って言うか、もはや由緒書きのようなもの。




神輿庫。

     20200105椙森神社14



神楽殿。

     20200105椙森神社15



こちらが、富塚。

     20200105椙森神社16

こっそりと、『ロト6が当たるように!!』と、お願いしちゃいました。



社殿の右側、東側(?)の参道口。

     20200105椙森神社17


日本橋七福神の幟。

     20200105椙森神社18


     20200105椙森神社19



そして、こちらが椙森神社の御朱印。

     20200105椙森神社20



こちらは、日本橋七福神 恵比寿神の御朱印。

     20200105椙森神社21



日本橋七福神巡り、まだまだ続木ますよ...................。



2020/02/12 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 日本橋七福神 恵比寿  宝田恵比寿神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

ここ何年か正月期間に七福神巡りを行っています。
以前は びいすけ を連れて、境内に七福神の像のある社寺仏閣を中心に巡っていましたが、御朱印を受けるようになってからは御朱印の頒布されている七福神巡りへと変わりつつあります。

今回は、びいすけ は留守番。日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。

福徳神社をあとにして、日本橋七福神巡りを始めます。
向かった先は...............寳田恵比寿神社。


寳田恵比寿神社は、中央区日本橋本町に鎮座する神社です。

社伝によれば、創建年代は不詳ですが、
徳川家康が江戸入府以前は、宝田村の鎮守として「宝田稲荷」と称され崇敬を集めていたそうです。
元は稲荷信仰の神社でありましたが、慶長11年(1606年)、江戸城拡張のため、宝田村・祝田村・千代田村の三か村が移転を命じられ、馬込勘解由と云う人物が当社を遷座させ、住民を引率して大伝馬町に集団移動したと伝えられています。

御祭神は、宇迦之御魂神・事代主命・少彦名命・大国主神・大己貴命・素盞嗚命


そもそも日本橋七福神は、東京の中央区にある神社8社で構成される七福神巡りです。
多くの七福神めぐりは神社とお寺が混ざっていますが、
神社だけで構成される日本でも珍しい「七福神巡りです。

      20200105宝田恵比寿神社16

その構成は

恵比寿神    寳田恵比寿神社
恵比寿神    椙森神社
布袋尊     茶の木神社
大黒天     松島神社
毘沙門天    末廣神社
弁財天     水天宮
弁財天     小網神社
福禄寿     小網神社
寿老人     笠間稲荷神社

と、恵比寿神と弁財天が重複していますが8社を巡っての七福神となります。


その日本橋七福神の第1弾が寳田恵比寿神社の恵比寿神です。


恵比寿神は、七福神の中で唯一の日本の神様とされています。
イザナミノミコト、イザナギノミコトの二神の第三子と言われ、
満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、
やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、
信仰の始まりと伝えられています。
左手に鯛を抱え、右手に釣竿を持った漁業の神ですが、
特に商売繁昌の神様としても信仰が厚いとされています。



こちらが、社号標。

      20200105宝田恵比寿神社01


社号標の前に、御朱印の初穂料が堂々と掲げられていると
若干の興醒めを感じてしまう。

      20200105宝田恵比寿神社02

昨今の御朱印ブームを反映しての事だとは思うけれど、
単純に、七福神巡りをしたい人もいるはず。

まあ、御朱印ブームに乗っかっている私が言う事でもないのかも知れないけどね。





アスファルトの道路とコンクリートの駐車場に囲まれた一角に
ポツンと鎮座している神社。

      20200105宝田恵比寿神社03

意外に小振りな神社。
でも神社は、お社の大きさや、敷地の広さが全てでは無い。
そんなものは関係ないと思っている。



社殿の脇に掲げられた由緒書き。

      20200105宝田恵比寿神社04



改めて、鳥居と社殿。

      20200105宝田恵比寿神社05





鳥居に掲げられた神額。

      20200105宝田恵比寿神社07



社殿正面。

      20200105宝田恵比寿神社06




別アングルから。

      20200105宝田恵比寿神社08


      20200105宝田恵比寿神社09



正面に飾られた提灯。

      20200105宝田恵比寿神社10


      20200105宝田恵比寿神社11



確かに、祭事ではあるが、本来あるべき案内板や説明板を
ポスター等で覆ってしまうのも如何なものか?

      20200105宝田恵比寿神社12

ちょっぴり、こだわり過ぎなのかなぁ?


社殿の奥に恵比寿像がこの期間は御開帳しているそうですが
御朱印の筆耕される氏子さんが居て、中に入るのも躊躇してしまいました。



仮設のテントも張られ、氏子さんたちの七福神巡りの準備も万全のようです。

      20200105宝田恵比寿神社13


      20200105宝田恵比寿神社14



こちらが、拝受した御朱印。

      20200105宝田恵比寿神社15


正月のこの七福神の期間と10月の『べったら市』の時にしか
御朱印は頒布されないようです。

ある意味、貴重な御朱印ですね。
そんな訳で、日本橋七福神巡りは続きます...................。







2020/02/12 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............御朱印巡り  《 福徳神社 》 (2020年1月5日)(東京都中央区) 

1月5日

個人的な連休2日目。
この日は、都内に出かけました。

ここ何年か正月期間に七福神巡りを行っています。
以前は びいすけ を連れて、
境内に七福神の像のある社寺仏閣を中心に巡っていましたが、
御朱印を受けるようになってからは、
御朱印の頒布されている七福神巡りへと変わりつつあります。

今回は、びいすけ は留守番。
日本橋七福神巡りをメインに都内・日本橋への散歩です。


JR神田駅から日本橋方面へと向かいます。
向かった先は...............福徳神社。



福徳神社は、中央区日本橋室町に鎮座する神社です。

創建時期等の詳細は不明ですが、
平安時代前期の貞観年間(859~876年)には
創建されていたと推測されています。
旧福徳村の稲荷神社として奉斎され、
社号もこの村名に由来しています。
古くは源義家が深く崇敬していたとされ、
江戸城を築城した太田道灌も狩の帰路に
しばしば参詣していたと言われています。

江戸幕府が出来る以前に太田道灌が合祀され、
その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わり、
また、徳川家康も数度にわたり参拝されたと言うことです。
二代将軍・徳川秀忠が樹皮付きの椚製の鳥居に若芽が萌え出ているのを見て、
「芽吹神社」との別称を命名したとされています。

幕府より社殿・施設修復費用捻出のため、
富くじ興行が許された社寺の一つでもあったことから、
社号「福徳」は縁起が良いとして大層賑わったと言われています。


御祭神は、倉稲魂命。
相殿神として、天穂日命・大己貴命・少名彦命・事代主命
       三穂津媛命・太田道灌公・弁財天・徳川家康公。


JR神田駅前を含め、私の頭の中には20年以上の日本橋のイメージしかありませんでした。
中央通りを歩いていて、新日本橋駅付近がかなり変貌しているのに
ちょっぴり驚かされました。

小さいながらも社号標。

      20200105福徳神社01



参道口のモニュメントは、よく見ると鳥居の形をしているんですね。

      20200105福徳神社02


モニュメントの提灯には、福徳神社の名があります。

      20200105福徳神社03



ビルとはビルの間を抜けると、そこにはこんな空間が存りました。

      20200105福徳神社04


      20200105福徳神社20

確か、この場所ってTVのCMで何度か見た場所だと思う。



神社社頭。

      20200105福徳神社05



鳥居に掲げられた神額。

      20200105福徳神社06


手水舎。

      20200105福徳神社07



拝殿。
この時、午前9時少し前だったけど
ビルの谷間だから、周りは薄暗い。

      20200105福徳神社08



拝殿正面。

      20200105福徳神社10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200105福徳神社11



別アングルからの拝殿。

      20200105福徳神社12


      20200105福徳神社13



狛犬かと思ったら、神使いの狐。
   
      20200105福徳神社14


      20200105福徳神社15

少し、違和感を感じたけど、よくよく考えたら
福徳神社って、元々は福徳村の稲荷神社。
神使いの狐が居てもおかしくはない。




境内社・薬祖神社。

      20200105福徳神社21


      20200105福徳神社22




境内には、石造りの一里塚が置かれています。     

      20200105福徳神社23

江戸時代には、「稲荷の森塚」と呼ばれていたそうです。   

 


こちらは、社務所のようです。

      20200105福徳神社16



何やら掲示されているようです、

      20200105福徳神社17


どうやら、御朱印は10時からの頒布で
かつ、この正月期間は書置き対応らしい。

      20200105福徳神社19



御朱印が頒布される授与所。
当然、まだ開いていません。

      20200105福徳神社18

書置きは、構わないけれど、授与所が開くまでまだ1時間ある。
1時間、ぼけ〜っと待っているのも芸がないから
先に七福神巡りをしちゃいましょう。





それから数時間後、再び福徳神社に戻って来ました。
朝と比べると、拝殿も陽が射して明るく見える。

      20200105福徳神社09



そして。こちらが福徳神社の御朱印。

      20200105福徳神社24

『奉拝』の二文字が無いと、何となく質素な御朱印に見えてしまうのは.............気のせい?



2020/02/11 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 しもつま (2020年1月4日)(茨城県下妻市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市、桜川市へと出かけました。

桜川市の門毛分校をあとにして、千葉県の自宅へと向けて車を走らせます。
自分の頭の中のイメージでは、旧岩瀬町から、国道50号線を走り、途中で左折。
真壁を抜けて、つくば、牛久と抜けていくイメージでしたが
車のナビは、50号線をまっすぐ走れと案内している。

頭の中に『?』が浮かぶまま、左手方向に筑波山を確認しながらも
国道50号線を走ります。

やがて、『下館』と言う文字が目立つようになります。
どう考えたっておかしいでしょ?
うちの車のナビは本当にお馬鹿さん。

下館から国道294号線を走らされ、今度は『下妻』とか『常総』と言う文字が目立ってきます。


そうこうしているうちに、こんな看板が目に留まりました。

      20200104道の駅しもつま01


全く予定外でしたが、せっかく道の駅に遭遇したんだから
立ち寄らない理由がない。

と言う事で、道の駅に立ち寄ります。

      20200104道の駅しもつま02


      20200104道の駅しもつま03


『しもつま』って、ずいぶん前に深田恭子主演の映画『下妻物語』の舞台の下妻だよね?
そんなことを自問自答で確認します。



駐車場は意外に広い。

      20200104道の駅しもつま04



こちらが、道の駅の施設。
横長の建物ですね。

      20200104道の駅しもつま05


向かって右側奥。
横長の建物とは別棟なりますが、
飲食店『下妻食堂 陽陽』。

      20200104道の駅しもつま08


      20200104道の駅しもつま06



その隣は、蕎麦店『そば打ちめいじん亭』。

      20200104道の駅しもつま07




別棟があるから、こちらは本館(?)になるのか?

      20200104道の駅しもつま09


本館(?)の農産物直売所の入口。

      20200104道の駅しもつま10

店内はペットNGだから、びいすけ は車で留守番してもらいましょう。



さすが、茨城県の道の駅。
農産物が豊富。

      20200104道の駅しもつま11


      20200104道の駅しもつま12


      20200104道の駅しもつま13

折角だから、白菜とキャベツとネギを買いました。


地元の名産品も置かれています。

      20200104道の駅しもつま14


      20200104道の駅しもつま15


      20200104道の駅しもつま16



道の駅のスタンプはこちら。

      20200104道の駅しもつま17

スタンプを情報コーナーに設置する道の駅が多いけれど
こちらは、農産物直売所の一角に置かれています。


ちなみに、道の駅の切符は、
併設されているコンビニのレジで購入出来ます。



本館(?)内の飲食店『しもん亭』。

      20200104道の駅しもつま18

別棟に飲食店が2軒有るんだけど、こちらでも飲食できます。





こちらが、情報コーナー。

      20200104道の駅しもつま19


思ったほど、パンフレット当然も無く
あまり、観光には力を入れていないんだろうか?

      20200104道の駅しもつま20

ちょっびり期待倒れ。
個人的には下妻市にも行きたいところ、見たい所は
結構有るんだけどなぁ。



こちらが、道の駅の切符。

      20200104道の駅しもつま21


      20200104道の駅しもつま22



こちらが、道の駅のスタンプ。

      20200104道の駅しもつま23



1月4日。まだまだ新年の休み期間中だからでしょうか?
意外に買い物に来ている人も多く、人気のある道の駅のようです。




2020/02/11 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・岩瀬町立南飯田小学校門毛分校 (2020年1月4日)(茨城県桜川市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市・桜川市へと出かけました。

二所神社をあとにして、向かった先は......... 旧・岩瀬町立 南飯田小学校門毛分校。




門毛分校は、明治6年12月に創設された門毛小学校がその始まりとされています。

明治6年     門毛村の洞源寺本堂に門毛小学校創立。
明治9年     亀岡村の亀岡小学校の分校となる。
明治19年     南飯田尋常小学校の分教場となる。
明治23年     北那珂尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     学制改革により北那珂村立南飯田小学校門毛分校と改称する。
昭和30年     北那珂村が岩瀬町、東那珂村と合併し新たな岩瀬町が発足。
          岩瀬町立南飯田小学校門毛分校と改称する。
昭和60年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、正門跡。

      20200104門毛分校01

二所神社からはすぐそこ。
距離にしたら200mぐらいでしょうか?

実は、二所神社には駐車場がなかったので
こちらに車を停めて二所神社に参拝していました。




石造りの古い門柱。
残念ながら、表札は残っていません。

      20200104門毛分校02



この門柱は大正4年に建立されたモノのようです。

      20200104門毛分校03



正面に聳える古木。

      20200104門毛分校04

きっとシンボルツリーだったんでしょうね。




学校関連の石碑かと思ったら違っていました。

      20200104門毛分校05

集会所建築の寄付金の芳名碑でした。


門毛分校は廃校後、門毛多目的集会施設と称する施設となっています。
いわゆる、公民館ですね。
芳名碑が建立されたのは昭和61年。
分校の廃校は昭和60年。

つまり、廃校の翌年に校舎は解体されて
多目的集会所が建てられたんですね。


こちらの碑も学校とは関係ない碑。

      20200104門毛分校06

どうやら、正門の門柱以外には学校遺構は無いようですね。



多目的集会施設の建物。

      20200104門毛分校07



      20200104門毛分校11


      20200104門毛分校10

きっと、往時の分校の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。。




遊具もない校庭跡。

      20200104門毛分校08


勿論、二宮像や廃校記念碑などありません。

      20200104門毛分校09




昨年の秋の対台風で倒れたんでしょうか?
大きな木が切り刻まれています。

     20200104門毛分校12



集会所の前に置かれた錆びついた小さな椅子。

      20200104門毛分校13


      20200104門毛分校14

きっと分校時代の椅子なんでしょうね。


この椅子を見ると、遠い思い出、ここに在り。
そんな事を思ってしまう人がいるんだろうなぁ................



2020/02/10 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.............二所神社  (2020年1月4日)(茨城県桜川市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけ、その足を桜川市まで伸ばしてみました。

東山香取神社をあとにして、向かった先は.............二所神社。

二所神社は、桜川市門毛に鎮座する神社です。

日月社(延暦十年十月十五日創建)、
八幡社(大同四年八月十五日創建)として鎮座されていましたが、
明治時代の合併により二所神社となり、現在地に鎮座されました。

御祭神は、大日漏女命、月読命、誉田別命。


この日、笠間市から桜川市に足を伸ばした最たる理由と言うか、
目的が実はこちらの神社でした。

以前、電話で御朱印について問い合わせをしたら
年に1回、正月期間(1月1日〜5日まで)に御朱印を頒布していると聞いていたので
機会があれば、訪れたいと思っていました。
でも機会って待っていても来ない事が多いから
自分から出かけなくっちゃ!!



社号標。

      20200104二所神社01



神社社頭。

      20200104二所神社02



鳥居には、立派な注連縄。

      20200104二所神社03



境内の狛犬。

      20200104二所神社04


      20200104二所神社05


      20200104二所神社06


手水鉢。

      20200104二所神社07



由緒の刻まれた碑。

      20200104二所神社09




拝殿。

      20200104二所神社08



拝殿内部。

      20200104二所神社10


      20200104二所神社11


      20200104二所神社12



別アングルからの拝殿。

      20200104二所神社13


      20200104二所神社14



そして、こちらが本殿。

      20200104二所神社15



鳥居脇の御神木。

      20200104二所神社16
        20200104二所神社17


こちらが、二所神社の御朱印。

      20200104二所神社18

女性の宮司さんでしたが、以前、電話で問い合わせをした事を覚えていてくれて
折角だからと、拝殿の中まで入れて頂き、
その間、外でびいすけ の面倒を見てもらっちゃいました。
さらには、正月に拝殿にお供えしていた物の御下りを
御土産として戴いてしまいました。

後日、美味しく頂きました。
ありがとうございました。



2020/02/10 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

東山香取神社   (2020年1月4日)(茨城県桜川市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市・桜川市へと出かけました。

稲田神社をあとにして、向かった先は.........東山香取神社。

東山香取神社は、桜川市友部に鎮座する神社です。


神亀元年(774)、下総国の香取神宮の御分霊を奉還祭祀したと伝えられています。
後に国民が悪病を患い、大いに困難したため、中郡荘司藤原友実公が、
社殿において祈願いたところ、悪病が平除されたと言われています。

御祭神は、経津主命。



今回、笠間市から桜川市へ足を伸ばしたのは
こちらの神社に来るのも目的の一つ。

以前、電話で問い合わせをした時に
御朱印を拝受できる神社だと聞いていたので
もう一つの神社とあわせて、正月明けのこの時期に訪れてみました。



神社社頭。

      20200104東山香取神社01


由緒書き。

      20200104東山香取神社02



手水舎。

      20200104東山香取神社03



拝殿。

      20200104東山香取神社04



拝殿前の狛犬。

      20200104東山香取神社05


      20200104東山香取神社06



拝殿正面。

      20200104東山香取神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104東山香取神社08



別アングルからの拝殿。

      20200104東山香取神社09


      20200104東山香取神社10



そして、こちらが本殿。

      20200104東山香取神社11



びいすけも参拝。

      20200104東山香取神社12



境内社の祖霊神社。

      20200104東山香取神社13



小さな祠も建ち並ぶ。

      20200104東山香取神社14


      20200104東山香取神社15


      20200104東山香取神社16



こちらは、神輿殿かと思ったら違っていました。

      20200104東山香取神社17

考古資料館らしい。


実は、花園古墳群の石室の復元物が保存されているらしい。

      20200104東山香取神社18

なぜ、ここに?
疑問は消えない。

ちなみに花園古墳群の3号墳 5号墳、6号墳、7号墳は
現在は隠滅してしまったそうです。



板碑。

      20200104東山香取神社19



社務所はあるものの、この日は誰も居ない。
境内で写真を撮っていたら、バイクが1台やって来た。

宮司さんかと思ったら、近所の氏子のオバちゃんでした。
色々と話をしていたら、宮司さんのお宅がが近くという事で
教えてもらって尋ねてみたけれど、留守でした。

残念ながら、この日は御朱印を拝受することはできませんでした。

まぁ、こんな事もあるでしょう。
真壁のひな祭りの時にでも、ちょっと足を伸ばして
再訪することにいたしましょう



2020/02/09 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 番外編...............稲田神社元宮跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

旧・稲田小学校をあとにして、桜川市に向けて国道50号線を移動。
信号で停止したら、こんな石碑を目に留まりました。


      20200104稲田神社奥の院01



茨城百景............稲田神社本宮跡....?

      20200104稲田神社奥の院02


あれ?
茨城百景に稲田神社本宮跡ってあったっけ?



確かに、笠間市には茨城百景は幾つかあるけれど
稲田神社本宮跡って聞いた事がない。

調べてみると、『茨城百景 笠間附近国宝社寺巡り』の中に包括風景として
楞厳寺,弥勒寺,大日堂,仏頂山,岩谷寺,稲田神社が挙げられている。

稲田神社があるから、本宮跡があっても良いのかな?
ならば、その本宮跡を訪ねてみましょう。


この道を上がって行ったところが本宮跡らしい。
民家の庭先を通るけれど、気にしなくて良いらしい。
(稲田神社の宮司さんに訊いちゃいました。)

      20200104稲田神社奥の院03



すると、こんな標柱が目に留まります。

      20200104稲田神社奥の院04


      20200104稲田神社奥の院05


      20200104稲田神社奥の院06

案内板によれば、かつての稲田神社の神宮寺ということもあり、
奇稲田姫命の本地仏聖観音と伝えられる平安時代中期製作の木造観音菩薩立像と、
素戔嗚命の本地仏かは定かではないが、同時期に製作された木造毘沙門天立像が
神宮寺観音堂に安置されています。



この地は稲田神社の御祭神である奇稲田姫命の垂迹地とされており、
祭神降臨伝説の舞台地でもあります。
通称、稲田姫奥の院と呼ばれる所です。

「稲田姫奥の院」とは、稲田神社の本宮跡地のことを指します。
跡地ですので、稲田神社とは全く別のところに位置しています。
森のなかにひっそりと存在している、知る人ぞ知る秘密のスポットとなります。
「稲田」という地名のもとになった神話が生まれた場所でもあります。

      20200104稲田神社奥の院07



小さいながらも、『稲田神社奥の院』の碑も建っている。

      20200104稲田神社奥の院08


石段の上には、社。

      20200104稲田神社奥の院09


扁額は文字がカスれて読みづらい。

      20200104稲田神社奥の院10



しかし、こちらが紛れもなく奥の院。

      20200104稲田神社奥の院11



そして、こちらが観音堂。

      20200104稲田神社奥の院12






手摩乳の祠。

      20200104稲田神社奥の院13


脚摩乳の祠。

      20200104稲田神社奥の院14





奥の院(本宮跡)に行ったのだから
稲田神社を素通りする訳にはいきません。

改めて、稲田神社にも参拝いたします。


社号標。

      20200104稲田神社奥の院15



手水舎。

      20200104稲田神社奥の院16



二の鳥居。

      20200104稲田神社奥の院17

今回は、奥の院から来たため、一の鳥居はパス。



拝殿。

      20200104稲田神社奥の院18



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104稲田神社奥の院20


別アングルからの拝殿。

      20200104稲田神社奥の院21



そして、こちらが本殿。

      20200104稲田神社奥の院22



びいすけ も参拝。

      20200104稲田神社奥の院19

稲田神社は、コレで2回目の参拝だけど
奥の院もお参りしたから、今回は完璧でしょう(笑)。

茨城県百景 番外編(?)  稲田神社の本宮跡、
コレにて完了です。





2020/02/09 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・稲田小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
佐志能神社(笠間城址)をあとにして、向かった先は...............笠間市立 旧・稲田小学校跡。


《始めにお断り》

稲田小学校は、現存する小学校で廃校ではありませんが、
かつての稲田小学校だった校地を訪れました。


明治18年(1885年)に旧・稲田小学校が誕生しました。
昭和54年に旧・稲田小学校と福原小学校が統合して、
新たに笠間市立稲田小学校として新校舎を新校地に建設して移転しました。

すなわち、昭和54年までこの地に稲田小学校が在ったと言うことになります。



こちらが、旧・稲田小学校の正門。

      20200104旧・稲田小学校01



石造りの門柱に表札は埋め込み式ではなく、ぶら下げられていたんですね。

      20200104旧・稲田小学校02



正門の先には、大きな2本の木。

      20200104旧・稲田小学校03

シンボルツリーだっんでしょう。


その木の下に碑らしきモノがある。

      20200104旧・稲田小学校04


      20200104旧・稲田小学校08

てっきり、旧・稲田小学校関連の碑だと思ったら
『いなだ保育園』と表札が埋め込まれでいました。


どうやら、校地移転後、この場所は『いなだ保育園』として利用されていたようです。


保育園の園舎。

      20200104旧・稲田小学校05



園庭。

      20200104旧・稲田小学校06


雑草が伸びて、枯れた状態。
園庭が、きちんと管理されていないみたい。

      20200104旧・稲田小学校07


ひょっとしたら、廃園になっているのか?

      20200104旧・稲田小学校16


ネットで笠間市のHPを見ても『いなだ保育園』、『いなだ保育所』では
この住所ではヒットしないようです。


隣接する建物は『稲田公民館』。

      20200104旧・稲田小学校09



公民館の前はゲートボール場。

      20200104旧・稲田小学校10

でも、久しく使われていないようです。


公民館の駐車場がかつての校庭の一部になるのでしょう。

      20200104旧・稲田小学校11


ゲートボール場の脇に、碑がありました。


旧・稲田小学校の校歌の碑です。

      20200104旧・稲田小学校12



昭和49年度の卒業生から贈られたモノのようです。

      20200104旧・稲田小学校13


その近くには、別な碑。

      20200104旧・稲田小学校14



そして、敷地の片隅に申し訳なさそうに建つ消防倉庫。

      20200104旧・稲田小学校15

やっぱり、笠間市の廃校、学校跡には、コレがなくっちゃ!!(笑)。






2020/02/08 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit