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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............旧・ 友部小学校跡 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


宍戸城址をあとにして向かった先は...........旧・友部町立 友部小学校跡。


お断り: 友部小学校は現役の小学校であり、廃校ではありません。



友部小学校は、

明治34年     宍戸尋常小学校の分教場として開校する。
明治37年     友部尋常小学校として開校する。
昭和22年     学制改革により、宍戸町立友部小学校と改称する。
昭和30年     宍戸町・大原村・北川根村と鯉渕村の一部が合併して友部町が誕生。
         友部町立友部小学校と改称する。
昭和48年     校地を移転する。

と、このような沿革となっています。


跡地は、JR友部駅近く,
友部駅前児童公園となっているようです。

      20191116旧・友部小学校跡01




確かに、学校跡の雰囲気を感じなくはない。

      20191116旧・友部小学校跡04



しかしながら、記念碑等の学校跡を示すものは無い。

      20191116旧・友部小学校跡05




でも、敷地境界のフェンス沿いの桜の木々が学校跡を彷彿されてくれる。

      20191116旧・友部小学校跡03



確固たる証しが無いから、『ここが本当に学校跡か?』と疑問符が浮かぶ中、
お孫さんを連れて、この公園に遊びにきた御老人がいた。


失礼を承知で、地元の人か?と訊ねると
地元の人だと言う。
その方に訊いてみると、間違いなくこの場所が
かつての友部小学校跡だと言う事です。



今は、近隣の避難場所でもある。

      20191116旧・友部小学校跡02




昭和48年に移転だから、今から46年前の事。
約半世紀前に移転したことになる。

      20191116旧・友部小学校跡06
   

      20191116旧・友部小学校跡08


      20191116旧・友部小学校跡09


      20191116旧・友部小学校跡10


友部町も平成18年に旧・笠間市と岩間町と合併して新しい笠間市となり
今は令和の時代を迎えることとなった。

この場所が学校だった事、
そして、かつては友部町と呼ばれていた事も
いつしか、忘れ去られてしまうんでしょうね。




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2020/01/11 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宍戸城址 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

第二分校をあとにして、向かった先は...................宍戸城址。


宍戸城は、宍戸氏により、建仁3年(1203年)築城されました。

小田城主・八田知家の四男、家政が常陸国宍戸荘地頭職となり、
宍戸氏を称し、建仁3年(1203年)築城したのが宍戸城です。

宍戸氏は当初、小田氏に従っていましたが、佐竹氏の勢力が拡大し、
小田氏が衰退すると、佐竹氏の配下となります。
天正18年(1590年)小田原征伐に参陣した佐竹氏は、
秀吉より常陸大半の領有権を安堵されます。

関ヶ原合戦後の慶長7年(1602年)、佐竹氏は出羽国秋田へ転封となり
宍戸氏も帯同し、変わって秋田(安東)実李が五万石に減封され宍戸城に移されます。

この実季によって近世宍戸城が築かれたものとされています。

その後、秋田俊季が正保2年(1645年)に三春へ転封されると幕府直轄領となり、
さらに天和2年(1682年)に水戸藩主・徳川頼房の七男で、
徳川光圀の弟である松平頼雄が一万石を与えられると、城を陣屋に改めて支配しました
以後、松平氏が代々続き、元治元年(1864年)9代頼徳の時、天狗党の乱の鎮圧に失敗し、
藩主自ら幕府より責任を問われて切腹を言いわたされ、廃藩となります。




こちらが、中世の宍戸城の縄張り図。

      宍戸城址縄張り図15

              ( 余湖さんのHPからお借りしました )




末廣稲荷神社が鎮座する一帯が、宍戸城の本丸(主郭)跡となるようです。

      20191116宍戸城址01


平城であった宍戸城。
土塁と堀に守られた城でした。

城址は宅地へと開発され、
遺構は本丸跡に土塁が僅かに残るだけと言われています。

      20191116宍戸城址02


      20191116宍戸城址03


      20191116宍戸城址14



本丸跡の末広稲荷神社。

      20191116宍戸城址04


社号標。

      20191116宍戸城址05


鳥居。

      20191116宍戸城址06


由緒書き。

      20191116宍戸城址07



拝殿。


      20191116宍戸城址08


本殿。

      20191116宍戸城址09



本殿裏手に残る土塁。

      20191116宍戸城址12


      20191116宍戸城址13




土塁跡には、『宍戸の歴史』と称した説明板。

      20191116宍戸城址10

冒頭に綴ったような、宍戸の歴史が記されてている。


広大な宍戸城の縄張り図も記されている。

      20191116宍戸城址11



末廣稲荷神社の隣は、『旧陣屋コミュニティセンター』。
その奥は、民家となっているけれど
フェンスの向こうの民家の庭にも土塁が確認できる。

      20191116宍戸城址15


本丸跡地であるこの周辺にしか土塁跡と言う遺構しか残っていない。
宍戸城、その全貌が見たかった...............。



2020/01/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit