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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて................間明野分校(2019年11月7日)(山梨県大月市) 

11月7日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

大月市には、廃校・学校跡地が20近くあり
以前から、その全てを巡って見たいと思っていました。
何年か前に、大月市内の幾つかの廃校を巡りましたが
まだまだ制覇できておりません。

今回、再チャレンジで大月市内の廃校巡り。
その第3弾は............大月市立大月西小学校間明野分校。


間明野分校の沿革は不明です。
って言うか、その存在もWikipediaを見るまでは知りませんでした。
とうぜん、その場所も分かりません。

Wikipediaによれば、昭和39年に廃校となっています。

いつものように、場所が解らない時は、『間明野』と言う字名を頼りに
その地区の公民館や集会所にあたりを付けて
あとは現地でご年配の人を探して尋ねてみる。

今回もこの作戦で、『間明野集会所』にあたりを付けて、
国道20号の真木交差点から、山の方へと進路を決めて進みます。


こちらが、間明野集会所。

      20191107間明野分校01


  

この地区の指定避難所にもなっています。

      20191107間明野分校02



近くで大工仕事をしていた初老の男性に訊いてみると
間明野集会所の建っている敷地が、かつての分校跡地と言うことです。

      20191107間明野分校03



こんな感じで校舎が建っていたのでしょうか?

      20191107間明野分校04

当時の校舎は解体されて、今は集会所が建てられています。

      20191107間明野分校06




集会所の建物の前に石碑が建っています。
分校跡碑と思ったら違っていました。

      20191107間明野分校05

後藤伊作先生の頌徳碑でした。
地域に貢献した教育関連の方でしょうか?


残念ながら、学校関連の碑は無く、
門柱や二宮像などの学校遺構も残っていない。

      20191107間明野分校07




これらの遊具は往時のモノだろうか?

      20191107間明野分校08


      20191107間明野分校09


      20191107間明野分校10


      20191107間明野分校12

廃校から55年。      
流石に往時のモノじゃないんでしょうね。


敷地の裏にあたる場所には古い桜の木。

      20191107間明野分校13

毎年花を咲かせ、子供たちを迎え入れていたんでしょうね。




2019/12/21 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................旧・初狩小学校 (2019年11月7日)(山梨県大月市) 

11月7日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

大月市には多くの廃校や学校跡地があり、その廃校巡りにやって来ました。


大月市の廃校巡り、その第2弾..................大月市立 旧・初狩小学校跡 。


初めにお断りしておきますが.................
廃校を訪れに来ていますが、初狩小学校は廃校ではなく
現役の小学校です。


初狩小学校の詳しい沿革は不明ですが
明治6年10月に下初狩・中初狩・白野・阿弥陀海・黒野田の五か村組合小学校が、
白野地区宝林寺境内の禅堂を仮校舎として開校しましたのが始まりのようです。
(第一大学区第四十五中学区、第二番白の小学校と称する。)

しかし、明治6年11月に笹子地区と初狩地区がそれぞれの地区のお寺に分離します。

明治40年に初狩地区はこの地に校舎建て、
明治42年に笹子地区は笹子小学校の場所に校舎を建てたそうです。

それから時は流れ、分離した笹子小学校と初狩小学校は
平成22年に笹子小学校が初狩小学校に統合されて、再び一緒になりました。

そして、平成27年、旧・大月第一中学校の敷地に新たな校舎を建て移転しました。


甲州街道(国道20号線)沿いに建つ門柱。
かつての正門です。

      20191107旧・初狩小学校01




向かって左側の門柱。

      20191107旧・初狩小学校02



初狩小学校の表札が掲げられています。

      20191107旧・初狩小学校03



向かって右側の門柱。

      20191107旧・初狩小学校04



こちらには、初狩中学校の表札が掲げられています。

      20191107旧・初狩小学校05


初狩中学校もすでに廃校。
昭和62年に笹子中学校と統合して大月第一中学校になりました。
その大月第一中学校も平成26年に大月東中学校に統合されて廃校となり
その跡地に翌年の平成27年に初狩小学校が移転しました。


今から4年前までは、この地が初狩小学校でした。

      20191107旧・初狩小学校06



校舎全景。

      20191107旧・初狩小学校07


      20191107旧・初狩小学校08



別アングルから。

      20191107旧・初狩小学校10


      20191107旧・初狩小学校11


      20191107旧・初狩小学校12



正面玄関。

      20191107旧・初狩小学校13


玄関には木製の大きな表札も残っている。

      20191107旧・初狩小学校15



校舎の脇には、初狩中学校の学校跡碑。

      20191107旧・初狩小学校16

そう言えば、笹子小学校にも笹子中学校跡の碑があった。
この辺りでは小学校と中学校が併設されていたんですね。
戦前の尋常高等小学校の名残りでしょうか?



こちらは、体育館。

      20191107旧・初狩小学校09



朝礼台。

      20191107旧・初狩小学校17



唯一、確認できた遊具。

      20191107旧・初狩小学校18

他の遊具は全て新しい校地に持って行ってしまったんでしょうか?


廃校や学校跡地ではお約束とも言える防災倉庫。

      20191107旧・初狩小学校19

ここにもしっかり在りました。


廃校では無いけれど、学校跡地。
でも、初狩中学校としてみれば、廃校になる。


いずれにしても。この先この地はどうなってしまうんでしょうか?


2019/12/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................笹子小学校 (2019年11月7日)(山梨県大月市) 

11月7日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

大月市には、現在5つの小学校がありますが
かつては分校を含めると20近くの小学校が在りました。
多くの小学校が統合により廃校となってしまいました。

今回、その統廃合された廃校、学校跡地巡ってみました。


その第一弾..................大月市立笹子小学校。


笹子小学校は、

明治6年     宝林寺に白野小学校を開設する。
         その後、阿弥陀堂に移り吉久保小学校と改称する。
明治8年     黒野田村・吉ヶ久保村・白野村が合併して笹子村となる
明治20年     笹子尋常小学校と改称する。
明治45年     笹子尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、笹子村立笹子小学校と改称する。
昭和29年     笹子村が・大月町・七保町・猿橋町・梁川村・初狩村
         ・賑岡村と合併して大月市が発足する。
         大月市立笹子小学校と改称する。
平成22年     初狩小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




正門跡。

      20191107笹子小学校01



石造りの古い門柱。

      20191107笹子小学校02



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20191107笹子小学校03



校舎全景。

      20191107笹子小学校04


校舎は二棟あります。
こちらは、ちょっと高台になる位置の校舎。

      20191107笹子小学校05



一段下がった位置の校舎。

      20191107笹子小学校06

でも、校庭と同じレベルの位置だから
元々の校舎はこちらになるのでしょう。


別アングルからの校舎。

      20191107笹子小学校07


      20191107笹子小学校08


      20191107笹子小学校09





こちらは、体育館。

      20191107笹子小学校10



時代を感じさせるカマボコ屋根。

      20191107笹子小学校11



校舎の前には閉校記念碑。

      20191107笹子小学校12



裏面には、校歌と沿革が刻まれています。

      20191107笹子小学校13


笹子小学校創立百周年の記念碑。

      20191107笹子小学校14

この形の創立百周年記念碑は山梨県の学校に多い。



こちらは、笹子中学校の跡碑。

      20191107笹子小学校15

高台の校舎の前に建っていました。
同じ敷地に中学校も在って、
高台の校舎が中学校の校舎だったようですね。


経緯度に記された碑。

      20191107笹子小学校16

これも山梨県の学校に多い。



校庭。

      20191107笹子小学校17


      20191107笹子小学校18

廃校から9年。
遊具らしきモノは残っていない。



木製の長椅子。

      20191107笹子小学校19



朝礼台。
      20191107笹子小学校20



校庭のフェンス沿いには桜の木が立ち並ぶ。

      20191107笹子小学校21



学校のとしての機能は無くなったけれど
地域の避難場所とされている。

      20191107笹子小学校22

大月市の初狩地区では台風19号で甲州街道(国道20号)の一部が通行止め。
もう少しで陸の孤島となるところだったみたい。
でも避難場所として現実に活用される事がない事を祈りたい。





2019/12/20 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し.............埼玉・春日部編 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は埼玉県の春日部市にやって来ました。

春日部市には、9基の丸ポストが現存しています。
今回、その9基の丸ポストを探してみました。



最初の1基は、イオンモール春日部の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部01



分かりにくい場所にその丸ポストは在りました。
てっきり正面玄関かと思いきや、まるで裏口に見える入り口。
立体駐車場脇の出入り口。

      20191103丸ポスト春日部02


一瞬、従業員出入り口かと思った
E出入り口の脇に置かれた丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部04



この場所なら、 びいすけ もギリギリ、セーフ。

      20191103丸ポスト春日部05


店内だと犬は入れませんからね。
この場所で良かったぁ。

      20191103丸ポスト春日部06


      20191103丸ポスト春日部07




2基目の丸ポストは、樋籠の遠藤商店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部08


      20191103丸ポスト春日部09


      20191103丸ポスト春日部10


      20191103丸ポスト春日部11


      20191103丸ポスト春日部12





3基目の丸ポストは、南中曽根の八百清前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部13


      20191103丸ポスト春日部14


      20191103丸ポスト春日部15


      20191103丸ポスト春日部16


      20191103丸ポスト春日部17






4基目の丸ポストは、大場の中野屋商店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部18


      20191103丸ポスト春日部19


      20191103丸ポスト春日部20


      20191103丸ポスト春日部21


      20191103丸ポスト春日部22




5基目の丸ポストは、備後東の伊野瀬酒店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部23


      20191103丸ポスト春日部24


      20191103丸ポスト春日部25



      20191103丸ポスト春日部26


      20191103丸ポスト春日部27




6基目の丸ポストは、粕壁のサロンドだるま横の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部28


      20191103丸ポスト春日部29


      20191103丸ポスト春日部30


      20191103丸ポスト春日部31


      20191103丸ポスト春日部32




7基目の丸ポスト。
粕壁宿にあたる『かすかべ大通り』沿い、
粕壁二丁目の丸八酒店横の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部33


      20191103丸ポスト春日部34


      20191103丸ポスト春日部35


      20191103丸ポスト春日部36


      20191103丸ポスト春日部37





8基目の丸ポストは、同じく粕壁宿。
『かすかべ大通り』沿いの粕壁東二丁目、
田村本店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部38


      20191103丸ポスト春日部39


      20191103丸ポスト春日部40


      20191103丸ポスト春日部41


      20191103丸ポスト春日部42




9基目の丸ポストは、粕壁東一丁目。
粕壁小学校前、粕壁小前交差点の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部43


      20191103丸ポスト春日部44


      20191103丸ポスト春日部45


      20191103丸ポスト春日部46


      20191103丸ポスト春日部47





これで、春日部市に現存する現役の丸ポスト9基を確認できました。

埼玉県には、108基の丸ポストが現存するそうです。(2019年11月3日現在)


いずれ、1つ、2つと撤去されたり、最新の角形ポストに置き換えられたりと
その数は減っていく事でしょう。

数多くの丸ポストに出逢っていきたいモノですね。





2019/12/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう.............日光街道 《 粕壁宿 》 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市にでかけました。


春日部市は、かつては粕壁宿と言う宿場町でした。

粕壁宿は、江戸時代の日光街道及び奥州街道の宿場町です。
南北朝時代(14世紀)、新田義貞の家臣春日部氏が当地を領地としたことから
「春日部」の地名が生まれたとされています。
「かすかべ」の表記は何度か変更されており、
粕壁は江戸・元禄期から記されている地名です。

天正18年(1590年)小田原征伐後、徳川家康は関東移封となり、
江戸城に入城し、五街道の整備が進められました。
元和2年(1616年)には、粕壁宿が日光街道及び奥州街道の宿場町となりました。
江戸・日本橋から数えて4番目の宿場町で、現在の春日部駅東口の旧街道一帯です。
江戸・日本橋から一日歩き通すと、ちょうど1泊目となる宿場町がこの粕壁であったことから、
旅人の多くはここで宿を取りました。
また、岩槻宿と関宿を結ぶ道が通ることからも商業・交通の要地として
商人や旅人でにぎわったとされています。



実は、春日部市で丸ポストを探している時に
宿場町を前面に観光化している事を知りました。


春日部の駅前から一本離れたメイン通り、
かすかべ大通りに、かつての粕壁宿がありました。

宿場内の通りの長さは24町35間(約2.7km)。
道幅4間(約7.3m)で、町並みは通りに沿って
南北10町25間(約1.1km)にわたる広さとなっていたそうです。




メイン通りの 『かすかべ大通り』には、
こんな立派な案内板が設けられています。

      20191103粕壁宿01


      20191103粕壁宿02



宿場町って言うと、古い街並みがついつい浮かんでしまいますが
春日部(粕壁)の町は再開発で、道路も整備拡張され
立派な街並みとなっています。

      20191103粕壁宿03


      20191103粕壁宿04


      20191103粕壁宿05

かつての古い商家や蔵などは少なくなり、
中小のビルやマンションが並ぶ通りとなっているようです。


それでも、それなりの雰囲気を残す商家も在るようです。

      20191103粕壁宿06


      20191103粕壁宿07



せっかくの案内板も、カスれて読めない。

      20191103粕壁宿08


      20191103粕壁宿09


メイン通りから一本入った場所にある公衆トイレも
宿場町を意識した造りとなっている。

      20191103粕壁宿10


      20191103粕壁宿11



蔵を持つ民家もある。

      20191103粕壁宿12


      20191103粕壁宿13



この石碑(標柱)は宿場町に関するモノなんだろうか?

      20191103粕壁宿14



再開発で電柱もなく、電線は地下埋設。
歩道の配電盤にも、宿場町を意識したペイント。

      20191103粕壁宿15



地元の商店もまけてはいない。
お店のシャッターに粕壁宿のイラスト。

      20191103粕壁宿16



ここは、かつての本陣跡。

      20191103粕壁宿17


      20191103粕壁宿18



気になるのは、この日は11月3日。
文化の日。
国民の祝日です。
いわゆる休日になるわけなんだけど
閉まっているお店が多い。

      20191103粕壁宿19


      20191103粕壁宿20


      20191103粕壁宿21


だからなのか?
歩いている人が少ない。

      20191103粕壁宿22

春日部の住人じゃないから、現在の春日部の中心街を知らないけれど
人の流れが変わってしまったのだろうか。

同じように粕壁と言う宿場町も
変わっていってしまったのかも知れないね...............





2019/12/19 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

春日部氏館跡 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市にやって来ました。

春日部市に鎮座する春日部八幡神社、並びに隣接する春日部稲荷神社。
この二つの神社に隣接するのが八幡公園。
裏を返せば、神社のある一帯が八幡公園となっていて
そこは、かつての春日部氏の城館跡と言われています。


春日部氏は、かつて現在の埼玉県春日部市周辺を拠点とした武家です。
鎌倉幕府の御家人であり、春日部市の市名の由来となりました。

長谷雄の流れを汲む紀氏一族(長谷雄流)の実直が、
12世紀始め、国衙の関係者として武蔵国に土着したのが始まりです。
実直の子である実高は、春日部氏の始祖になります。
現在の春日部市浜川戸地区周辺を拠点とし、春日部氏を名乗りました。
そして、その孫にあたる実景が伏見稲荷大社から勧請し屋敷神として祀ったものが
春日部稲荷神社になります。
さらに実景の孫になる春日部重行が鶴岡八幡宮より勧請して
創建したのが隣に鎮座するのが春日部八幡神社になります。

重行は、新田義貞に随い、南朝方として戦い名を馳せます。
この事から春日部市では、重行が「春日部の市祖」とも称されているようです。



こちらが、春日部氏館の縄張り図。

      20191103春日部氏館縄張り図

( 余湖さんのHPよりお借りしました。)



八幡公園の案内図。

      20191103春日部氏館01



公園なのに、犬の散歩禁止。

      20191103春日部氏館02

隣接するの八幡神社は犬の散歩可なのに、おかしくない?
と思わず突っ込みたくなります。



びいすけ を連れて公園に入れないので、
入口近くで公園の雰囲気を味わいます。

      20191103春日部氏館03


      20191103春日部氏館04



八幡公園の裏手、春日部稲荷神社の奥から散策を開始です。

この辺りは、八幡公園との微妙な境界線。
この辺りなら犬連れでも問題なさそうな感じです。

    20191103春日部氏館05



この先は、古墳と言われている場所。
台地になっています。
バカじゃ無いし、煙でも無いけれど高いところを目指します(笑)。

      20191103春日部氏館06



頂部には鳥居があって、なにやら祀られています。

      20191103春日部氏館07



『不弐大神』ときされています。

      20191103春日部氏館08

  
不弐大神=不二大神=富士山。
すなわ富士山信仰の象徴である浅間神社ですね。



台地頂部の木がポッキリと折れている。
先日の台風の影響でしょうね。

      20191103春日部氏館09

こんな所にも台風の爪痕は残っていました。



神社として整備されているからなのか?
はたまた公園化によって隠滅してしまったのか?

はっきりと分かる遺構は残されていないようです。

微妙に土壇が土塁っぽく見えたりするし
遊歩道が空堀跡見えたりもしなくはない。

どちらとかと言えば、八幡神社の境内社が点在する台地が
一番、城館跡っぽく感じてしまいます。

      20191103春日部氏館10


      20191103春日部氏館11


      20191103春日部氏館12


      20191103春日部氏館13


      20191103春日部氏館14


あくまでも伝承でしか無いのですが
この地は春日部氏の居館跡だと言われてきた。

その言葉を信じることにしよう...................




2019/12/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................春日部稲荷神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。

春日部八幡神社を参拝したあとは、お隣と言うか、
敷地続きになる春日部稲荷神社向かいます。


春日部稲荷神社は、春日部市粕壁に鎮座する神社です。

春日部八幡神社の北東の位置に鎮座するのが春日部稲荷神社です。

鎌倉幕府の御家人である春日部実景が伏見稲荷大社から勧請し、
屋敷神として祀ったものとされています。
もともと、春日部八幡神社や春日部稲荷神社の鎮座する地は
春日部しの居館だったされているようです。

春日部実景の孫である春日部重行が鶴岡八幡宮より勧請して創建したのが
隣接する春日部八幡神社です。


御祭神は、倉稲魂神。



春日部八幡神社と八幡公園の間にある参道。
右隣は八幡公園。

      20191103春日部稲荷神社01

稲荷神社は鳥居がいっぱい建っているから
一の鳥居って言う表現が適切か?



赤い幟が立ち並ぶ参道。

      20191103春日部稲荷神社02



順番から言えば、二の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社03



その鳥居に掲げられた神額。

      20191103春日部稲荷神社04



手水鉢。   

      20191103春日部稲荷神社05



由緒書き。

      20191103春日部稲荷神社06



そして、三の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社07



石段途中の四の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社08



そして、社殿前の五の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社09



神使いの狐がお出迎え。

      20191103春日部稲荷神社10


      20191103春日部稲荷神社11



こちらが社殿。

      20191103春日部稲荷神社12

びいすけ も参拝します。



別アングルからの社殿。

      20191103春日部稲荷神社13


      20191103春日部稲荷神社14

この社殿の鎮座する辺りはちょっとした高台となり、
古墳跡? それとも土塁跡?
城館、城郭っぽい雰囲気がある。


こちらは、八幡公園側の参道口。

      20191103春日部稲荷神社15



そして、こちらが春日部稲荷神社の御朱印。

      20191103春日部稲荷神社16

春日部八幡神社の授与所にていただきました。




2019/12/18 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................春日部八幡神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。


鷲香取神社をあとにして、向かった先は...............春日部八幡神社。


春日部八幡神社は、春日部市粕壁に鎮座する神社です。

創建年度は不詳ですが、一説では、元弘年間(1331年〜1334年)に、
新田義貞の武将、春日部治部少輔時賢が
鶴岡八幡宮から勧請したことが始まりとされています。

彼は長い間、相州(現在の神奈川県)にある鶴岡八幡宮を敬信していて、
しばしばの合戦にもその霊護を蒙ったので、遥拝のため
鎌倉時代の元弘年間(1330年代)に鶴岡八幡宮を模して、
この八幡神社を造営したと伝えられており、森の一部は彼の館跡と言われています。

昔は、新方四十余郷の総鎮守で代々領主の守護神社てあり、
その後の栄枯盛衰もありましたか、現在は春日部の総鎮守となっています。


御祭神は、誉田別尊(ほんんだわけのみこと)
     息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
     竹内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)
     豊受姫命(とようけひめのみこと)



神社社頭。

      20191103春日部八幡神社01



社号標。

      20191103春日部八幡神社02



参道入口には、「都鳥の碑」。

      20191103春日部八幡神社03



一の鳥居。

      20191103春日部八幡神社04



一の鳥居に掲げられた神額。

      20191103春日部八幡神社05



参道。

      20191103春日部八幡神社06



参道の獅子山と狛犬。

      20191103春日部八幡神社07


      20191103春日部八幡神社08


 

こちらは、二の鳥居。

      20191103春日部八幡神社09



二の鳥居に掲げられた神額。

      20191103春日部八幡神社10



手水舎。

      20191103春日部八幡神社11



拝殿が見えてきました。

      20191103春日部八幡神社12



境内に立てられた看板。

      20191103春日部八幡神社29

気兼ねなく、びいすけ と参拝できます。




こちらが、拝殿。

      20191103春日部八幡神社13




拝殿正面。

      20191103春日部八幡神社19


      20191103春日部八幡神社16



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191103春日部八幡神社14



向拝。

      20191103春日部八幡神社15




別アングルからの拝殿。

      20191103春日部八幡神社17


      20191103春日部八幡神社18



そして、こちらが本殿。

      20191103春日部八幡神社20



拝殿前の狛犬。

      20191103春日部八幡神社21


      20191103春日部八幡神社22



拝殿右側面には大きな絵馬が奉納されています。

      20191103春日部八幡神社23



本殿背後には奥の院。

      20191103春日部八幡神社24


      20191103春日部八幡神社25



奥の院の社殿は、春日部八幡神社の旧・本殿です。

      20191103春日部八幡神社34



そして拝殿脇には3つの境内社。

境内社・鹿島神社。

      20191103春日部八幡神社26



境内社・愛宕神社。

      20191103春日部八幡神社27



境内社・香取神社。

      20191103春日部八幡神社28




拝殿右手の台地にも境内社は鎮座する。

境内社・天神社。

      20191103春日部八幡神社30



境内社・弁天社。

      20191103春日部八幡神社31



境内社・御嶽社。

      20191103春日部八幡神社32



境内社・氷川神社。

      20191103春日部八幡神社33



神楽殿。

      20191103春日部八幡神社35



神輿庫。

      20191103春日部八幡神社36



御神木。

      20191103春日部八幡神社37
      20191103春日部八幡神社38
      20191103春日部八幡神社39



境内の力石。

      20191103春日部八幡神社43



こちらが社務所と授与所。

      20191103春日部八幡神社40



御朱印は授与所で拝受となります。

      20191103春日部八幡神社41

他に待っている人は居ませんが、一応順番待ちの札。
今日の17番目になるのかな?


こちらが、春日部八幡神社の御朱印。

      20191103春日部八幡神社42


こちらの授与所では、境内社(と言っても別格扱いが正解かも?)の
春日部稲荷神社の御朱印も拝受出来ます。
当然、参拝して拝受しましたが、そちらは別の機会にでも........................



2019/12/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................鷲香取神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。


立野天満宮をあとにして、向かって先は,.............鷲香取神社。


鷲香取神社は、春日部市内牧に鎮神社です。

仁和年中(885年)下総国一宮香取神社の神馬が逸走してきて、
この地に来たことをきっかけに、香取神社を勧請し、内牧村の鎮守としました。

また、内牧村は源頼朝の崇敬が厚かった鷲宮神社を総鎮守とする太田庄に属し、
毎年、鷲宮神社の御輿渡御の休息地でもあったとこから、
建久2年(1191年)頃に、分霊を祀ったとも言われています。
二つの神社の名前がついているとても珍しい神社です。


御祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)
     天穂日命(あめのほのひのみこと)



神社社頭。

      20191103鷲香取神社01



獅子山の狛犬。

      20191103鷲香取神社02


      20191103鷲香取神社03



社号標。

      20191103鷲香取神社04
     


参道の由緒書き。

      20191103鷲香取神社05



鳥居。

      20191103鷲香取神社06



拝殿。

      20191103鷲香取神社07



手水舎。

      20191103鷲香取神社08



拝殿正面。

      20191103鷲香取神社09


      20191103鷲香取神社10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191103鷲香取神社11



別アングルからの拝殿。

      20191103鷲香取神社12


      20191103鷲香取神社13



そして、こちらが本殿。

      20191103鷲香取神社14



拝殿前の天水桶。

      20191103鷲香取神社15



境内社。
天満宮。

      20191103鷲香取神社16


      20191103鷲香取神社21




同じく境内社。
稲荷神社。

      20191103鷲香取神社17


      20191103鷲香取神社18



こちらは、浅間神社。

      20191103鷲香取神社19



神楽殿。

      20191103鷲香取神社20



御神木。

      20191103鷲香取神社22
      20191103鷲香取神社23
      20191103鷲香取神社24



こちらは、本殿脇の以前の御神木。
枯れてしまいましたが切り株が残っています。

      20191103鷲香取神社25



こちらが社務所ですが、普段は閉まっていて無人のようです。

      20191103鷲香取神社26



こちらが、御朱印。

      20191103鷲香取神社27

本殿裏手の宮司さんの自宅にて拝受いたしました。


2019/12/17 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................立野天満宮 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。

富田神社をあとにして、向かった先は...............立野天満宮。



立野天満宮は春日部市立野に鎮座する神社です。

社伝によれば、創建は元久年間(1204年〜1206年)に下総国東葛飾郡の
金野井城主・野本将監没落後、一族が逃れてこの地に移住し、
松ノ木(現:千葉県野田市関宿町)の天満宮を勧請したのに始まるとされています。
鎮座地の辺りが低地で、水害を蒙りやすかったことを理由に、
隣接していた別当延命院とともに500m東北の現在地に遷座したとされています。


御祭神は、菅原道真公。




神社社頭。

      20191103立野天満宮01

朱色の鳥居が一際目立っています。


鳥居に掲げられた神額。

      20191103立野天満宮02



神社幟の基台には、昔この辺りが立野村だったことを物語っています。

      20191103立野天満宮03



石段を上がった先には二の鳥居。

      20191103立野天満宮04



手水鉢。

      20191103立野天満宮05


拝殿。

      20191103立野天満宮06



別アングルからの拝殿。

      20191103立野天満宮07


      20191103立野天満宮08



そして、本殿。

      20191103立野天満宮09



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191103立野天満宮10



拝殿前には撫で牛。

      20191103立野天満宮11


雨風にさらされ、文字の読みづらい由緒書き。

      20191103立野天満宮12



こちらは、本殿の説明板。

      20191103立野天満宮13

どうやら、立野天満宮の本殿は春日部市の有形文化財に指定されているようです。



境内社。

      20191103立野天満宮14


      20191103立野天満宮15



狭い境内ですが、祠も並ぶ。

      20191103立野天満宮16



板碑も並ぶ。

      20191103立野天満宮17



そして、こちらが立野天満宮の御朱印。

      20191103立野天満宮18

こちらの立野天満宮。
普段は無人の神社で、富多神社の兼務社になります。

富多神社の宮司さん宅にて拝受いたしました。



2019/12/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................富多神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、春日部市に出かけました。

道の駅 庄和 をあとにして、向かった先は.................富多神社。


富多神社は、春日部市神間に鎮座する神社です。


富多村内に鎮座していた十二社を合祀して
大正4年に新設され、富多神社と称したそうです。

元々、合祀した稲荷神社の境内地(現在地)が
富多村の中心地である神間であったことから、
周りの田に土を盛り境内地を広げて、この場所に遷座されました。
本殿は旧椚村の石神神社のものが移築されました。
ちなみに石神神社の創建は徳治元年(1306年)ということらしい。

御祭神は、
倉稲魂命、石凝主命、応神天皇、別雷命、
迦具土神、市杵島姫命、素盞鳴命。


こちらが、社号標。

      20191102富多神社01



神社社頭。

      20191102富多神社02



一の鳥居。

      20191102富多神社03



二の鳥居。

      20191102富多神社04



二の鳥居に掲げられた神額。

      20191102富多神社05



そして、三の鳥居。

      20191102富多神社08
      


三の鳥居の神額。

      20191102富多神社09



手水舎。

      20191102富多神社07



三の鳥居前の狛犬。

      20191102富多神社10


      20191102富多神社11



こちらが拝殿。

      20191102富多神社12



別アングルからの拝殿。

      20191102富多神社13


      20191102富多神社14



そして、本殿。

      20191102富多神社15



本殿裏手の板碑。

      20191102富多神社16



これも狛犬でしょうか?

      20191102富多神社17

狼のように見えなくもない。
はたまた、稲荷神社の狐でしょうか?



こちらは、狐のようですね。

      20191102富多神社18



ひときわ大きな境内社?

      20191102富多神社19

合祀した多くの神様が祀られているのでしょうか?



神楽殿。

      20191102富多神社20



境内の板碑。

      20191102富多神社21



こちらは忠魂碑。

      20191102富多神社22

実は、隣が小学校。
忠魂碑が建てられそうな場所ですね。




こちらが社務所ですが、普段は無人の神社のようです。

      20191102富多神社23




こちらが、富多神社の御朱印。

      20191102富多神社24


1kmほど離れた場所にある宮司さんの自宅で拝受いたしました。



2019/12/16 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 庄和 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。


千葉県民にとって、埼玉県って意外に遠く感じてしまったりします。
その一番近い埼玉が春日部市になるようです。

国道16号を走り、野田市から江戸川を渡った先が埼玉県春日部市。
以前は庄和町でしたが、平成の大合併で春日部市になりました。

その庄和町の名を残す道の駅が春日部市に在りました。

その名もズバリ、『道の駅 庄和』。

16号をひたすら走っていると、結構渋滞にハマったりする。
渋滞にハマると結構、これが疲れます。
そんな時に道の駅があったりすると、ちょっと休憩したりと重宝します。
ざんねんながら、16号からはほんの少し中に入りますが
どちらかと言うと4号線沿いにある道の駅。

      20191103道の駅 庄和01


      20191103道の駅 庄和02



駐車場も数ヶ所あっって、それなりの台数が駐車できるようです。

      20191103道の駅 庄和03


      20191103道の駅 庄和04



この日は日曜日。
朝9時過ぎですが、訪れる人も多い。

      20191103道の駅 庄和05


      20191103道の駅 庄和06



そういえば、庄和町って大凧で有名だったんだよね。
道の駅でもしっかりと大凧をPRしているようです。

      20191103道の駅 庄和07


      20191103道の駅 庄和08


      20191103道の駅 庄和09



こちらが情報館。

      20191103道の駅 庄和10



パンフレットはあまり置かれておらず、
モニターで情報を得るといったところでしようか。

      20191103道の駅 庄和11



こちらが物産品の販売所。

      20191103道の駅 庄和12


道の駅のスタンプもこちらにありました。

      20191103道の駅 庄和13



春日部って言えば、『クレヨンしんちゃん』ですよね。

      20191103道の駅 庄和14

絵はがきセットも売られていました。



農産物直売所を覗いて見ましょう。

      20191103道の駅 庄和15



地元産の野菜が並びます。

      20191103道の駅 庄和16


      20191103道の駅 庄和17


      20191103道の駅 庄和18


      20191103道の駅 庄和19


      20191103道の駅 庄和20

カレーライス用にニンジンとタマネギを買いました。




こちらは特産品。

      20191103道の駅 庄和21


      20191103道の駅 庄和22



レジは野菜も特産品も共通だから混んでます。
さすが日曜日。

      20191103道の駅 庄和23




こちらは、飲食エリア。

      20191103道の駅 庄和24

食の専門街らしいが、ペット同伴はNGなので,ほぼ素通り状態。



ちょっとした芝生の広場もあって、わんこの用足しに使えそう。

      20191103道の駅 庄和25


      20191103道の駅 庄和26



こちらが、道の駅の切符。

      20191103道の駅 庄和27


      20191103道の駅 庄和28



そして、道の駅のスタンプ。

      20191103道の駅 庄和29


考えてみたら、道の駅を意識しだしてから
初めて入った埼玉県の道の駅になります。

埼玉県には20ヶ所の道の駅があるらしい。
機会があれば、多くの埼玉県内の道の駅に立ち寄ってみたいモノです。



2019/12/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 にらさき (2019年10月25日)(山梨県韮崎市) 

10月25日

1泊2日の山梨旅行。
2日目の韮崎市。

穴山小学校をあとにして、向かった先は.............道の駅 にらさき。



本当は、初日の昨日に立ち寄る予定だったのをうっかり忘れちゃって.........
何せ、昨日は車を擦って、左前フェンダーに大きな傷を付けちゃったりして
ちょっと落ち込んでいたからねぇ(笑)。


山梨県内には、21ヶ所の道の駅があるらしい。
せっかく韮崎市にいるんだから、『道の駅 にらさき』にも立ち寄らなきゃ!!

      20191025道の駅にらさき01


      20191025道の駅にらさき02


しかし、相変わらずの雨。

平日だし、雨も降ってるからあまり来場者は居ません。
駐車場も空いている。

      20191025道の駅にらさき03



テントが張られていると言うことは
土日祝日には、ちょっとした催事やイベントもあるのかな?
なんて思っていたら................

      20191025道の駅にらさき04


どうやら、喫煙所と軽く休憩出来るスペースとして
利用されているみたいです。

      20191025道の駅にらさき05



こちらが情報エリア。

      20191025道の駅にらさき06

周辺観光地のパンフレットが置かれています。


道の駅のスタンプもこちらに置かれています。

      20191025道の駅にらさき07



その奥が飲食エリア。

      20191025道の駅にらさき08

軽い食事が出来るようです。




そして、物産販売所。


地域の名産品。

      20191025道の駅にらさき09


      20191025道の駅にらさき10


      20191025道の駅にらさき13




そして、地元産の野菜。

      20191025道の駅にらさき11


      20191025道の駅にらさき12

キャベツとレタスが安かったから
しっかり買って帰ります。


道の駅の切符もレジで購入出来ます。


こちらが道の駅の切符。

      20191025道の駅にらさき14


      20191025道の駅にらさき15



そして、道の駅のスタンプ。

      20191025道の駅にらさき16


道の駅の切符とスタンプ。
また一つ増えました。



2019/12/15 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................穴山小学校 (2019年10月25日)(山梨県韮崎市) 

10月25日

1泊2日の山梨旅行。
その2日目、清里から韮崎市へと向かいます。


昨日、ほぼ一日韮崎市を巡っていましたが
当初の予定から行きそびれてしまった廃校があり
急遽、韮崎市へと向かいました。

向かった先は................韮崎市立穴山小学校。


穴山小学校の詳しい沿革は不明です。
現地に創立百周年の記念碑があったので、
そちらに沿革が記されていて、参考になりました。

敷地には、明治11年の校舎新築記念として植樹した
『ヒイラギ』の木があるそうです。


明治6年泉竜寺を仮校舎として穴山小学校が開設する。
明治11年藤村様式の新校舎が竣工する。
明治25年高等科を併置する。
大正11年現在地に校舎を新築し移転。
昭和16年火災により校舎消失。
昭和18年新校舎竣工。
昭和22年学制改革により穴山小学校と改称する。(昭和26年まで穴山中学校を併設する)
昭和26年新府中学校が開設され、穴山小学校単独となる。
昭和29年韮崎市立穴山小学校と改称する。
平成2年藤井小学校、中田小学校、穴山小学校が統合し
新たに韮崎市立北東小学校が開校する。
穴山小学校は廃校となる。


と、このような沿革となるようです。




こちらが、正門跡。

      20191025穴山小学校01


石造りの古い門柱です。

      20191025穴山小学校02



廃校後、校舎は解体されてしまったようです。

      20191025穴山小学校03



敷地の一部に『穴山町ふれあいホール』と言う施設が平成9年に建てられてそうです。

      20191025穴山小学校04

いわゆる、地域のコミュニティセンターですね。


体育館は健在と言うか、その姿を遺しています。

      20191025穴山小学校05



雨の廃校。

      20191025穴山小学校06



校庭は水たまり状態。

      20191025穴山小学校07



体育館の前に、国旗掲揚ポール。

      20191025穴山小学校08



カマボコ屋根の体育館。

      20191025穴山小学校09

時代を感じさせる形ですね。
昔は体育館の屋根って言う言ったら、
このカマボコ屋根が定番だったんだよねぇ。


体育館の前には碑が並ぶ。

創立百周年の記念碑。

      20191025穴山小学校12



その裏面。
刻まれているのは沿革でした。

      20191025穴山小学校10




こちらは、『穴山小学校閉校之碑』

      20191025穴山小学校11

一応、閉校記念の碑なんだから『記念』って言う二文字が欲しいよね。


こちらは経緯度標柱。

      20191025穴山小学校13

山梨県の小学校では、よく見かけます。



タイムカプセルの碑。

      20191025穴山小学校14

埋められたのは1972年のようです。
2000年に開ける と碑文が刻まれている。
もう開封されちゃったんでしょね。



こちらは、校歌の碑。

      20191025穴山小学校15



こちらは、明治百年の記念碑。

      20191025穴山小学校17


体育館は明治百年の記念で建てられたもののようです。



石膏の像。

      20191025穴山小学校16



朝礼台。

      20191025穴山小学校18



校庭には遊具も残る。

      20191025穴山小学校19


      20191025穴山小学校20


      20191025穴山小学校21


      20191025穴山小学校22



校庭の片隅には小さな碑。

      20191025穴山小学校23



卒業生の作詞者であり、童謡詩人である『権藤はなよ』の碑です。

      20191025穴山小学校24




明治11年の校舎新築記念として植樹した『ヒイラギ』の木。

      20191025穴山小学校25


      20191025穴山小学校26


校舎は無くなっても、このヒイラギの木は
いつまでも、この地に残る事でしょう。





2019/12/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 南きよさと (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

1泊2日の山梨旅行。
その2日目は清里です。


と言いながらも清里高原から国道141号線を南下します。
立ち寄った先は.................道の駅 南きよさと。

      20191025道の駅南きよさと01



国道141号線沿いにある道の駅 南きよさと。

      20191025道の駅南きよさと02

中央道の須玉ICから清里高原や野辺山高原へ移動する際に
休憩で立ち寄る人も多い 道の駅。
駐車場もそれなりの台数がある。



平日の雨降り。
訪れる人は少ない。

      20191025道の駅南きよさと03


      20191025道の駅南きよさと04


      20191025道の駅南きよさと05



こんな芝生広場もあって、晴れた休日なら多くの人がいる事でしょう。

      20191025道の駅南きよさと06



道の駅 南きよさと は、『南八ヶ岳 花の森公園』に隣接する道の駅。

      20191025道の駅南きよさと07


ケーブルカーで展望台に行くこともできます。

      20191025道の駅南きよさと08



道の駅と言ったら、何と言っても直売所。
直売所は二つのエリアに分かれていて
こちらは、特産品コーナー。

      20191025道の駅南きよさと09



道の駅のスタンプは、その入り口に置かれています。

      20191025道の駅南きよさと10



八ヶ岳南麓の特産品がメインのようです。

      20191025道の駅南きよさと11


      20191025道の駅南きよさと12

道の駅の切符もこちらで販売されていました。



こちらが、農産物直売所。

      20191025道の駅南きよさと13

ある意味、道の駅の原点です。



地元で採れた野菜が並べられています。

      20191025道の駅南きよさと14


      20191025道の駅南きよさと15


      20191025道の駅南きよさと16


      20191025道の駅南きよさと17




こちらは、食事処『レストラン ほたる』。

      20191025道の駅南きよさと18



こちらの売店では、コーヒーやソフトクリームも味わえます。

      20191025道の駅南きよさと19



生憎の雨ですが、屋外野テーブルも有って
わんこ連れでも楽しめそうです。

      20191025道の駅南きよさと20

雨だから足を伸ばしませんでしたが 、敷地内にはドッグランも有るようです。



周辺観光地のパンフレットが置かれた情報コーナー。

      20191025道の駅南きよさと21



こちらがm、道の駅の切符。

      20191025道の駅南きよさと22


      20191025道の駅南きよさと23



そして、スタンプ。

      20191025道の駅南きよさと24


天気さえ良ければ、色々と楽しめる道の駅なんですけどね.........。



2019/12/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................高根北小学校 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残しましょう。

大門ダムをあとにして、向かった先は............北杜市立高根北小学校。


高根北小学校は、

明治6年     長沢寺にて授業開始
明治8年     長沢学校創設
明治13年    現在地に移転 校舎新築
明治18年    玉那学校の分校となる
明治20年    安都尋常小学校の分校となる
明治25年    長沢尋常小学校となる
大正12年    安都尋常小学校長沢分校となる
昭和22年    学制改革により安都玉村立安都小学校長沢分校と改称する
昭和29年    安都玉村・安都那村・熱見村・甲村が合併して高根村が発足。
         高根村立高根東小学校長沢分校と改称する
昭和31年     独立して高根村立高根北小学校となる。
昭和37年    高根村が町制施行して高根町となる。
        高根町立高根北小学校と改称する。
平成16年    須玉町・長坂町・白州町・大泉村・武川村・明野村と合併して北杜市が発足。
        北杜市立高根北小学校と改称する。
平成31年    高根東小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



正門跡。


      20191025高根北小学校01



校舎全景。

      20191025高根北小学校02



別アングルからの校舎。

      20191025高根北小学校03


      20191025高根北小学校04



校舎前には国旗掲揚ポール。

      20191025高根北小学校05



校舎の庇には、校章が掲げられている。

      20191025高根北小学校06



フェンスには、こんな看板が貼られている。

      20191025高根北小学校07

びいすけ にはちょっとの間、外で待機してもらいましょう。



校舎前には閉校記念碑。

      20191025高根北小学校10



こちらは児童憲章の碑。

      20191025高根北小学校08



二宮像かと思ったら違っていた。

      20191025高根北小学校09

ロダンの『考える人』。


草に埋もれかけている校歌の碑。

      20191025高根北小学校11



校庭の片隅には、創立九十周年の碑。

      20191025高根北小学校12

普通、こう言う記念碑ってキリの良い百周年じゃないの?



皇紀二千年(?)の記念碑。

      20191025高根北小学校13

安都小学校の同窓会とあるから、かなり古い碑ですね。



雨に煙る校庭。

      20191025高根北小学校14


      20191025高根北小学校15




校庭の片隅には、熊(?)のオブジェ。

      20191025高根北小学校16




校庭の遊具類。

      20191025高根北小学校17


      20191025高根北小学校18


      20191025高根北小学校19


      20191025高根北小学校20



朝礼台。

      20191025高根北小学校21



この小学校も歴史のあった学校でした。
こう言った歴史のある学校が廃校になっていくのは寂しいモノですね。


2019/12/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!...............《 大門ダム 》 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残さなきゃ!

高根清里小学校をあとにして、、向かった先は............大門ダム。


実は、本当は大門ダムに来る前に、
『大滝』と言う滝に立ち寄ってみたのですが
何と、大滝の遊歩道には規制線が張られ、立ち入り禁止。
台風15号、もしくは19号で遊歩道が崩壊しちゃったんでしょうか?
前夜から激しい雨が降っていたから、水量もそれなりにありそうだったので
楽しみにしていたんですが、残念でした。



大門ダムは、山梨県北杜市の富士川水系大門川に建設されたダムです。
洪水調節・不特定利水・上水道・発電を目的とした高さ65.5mの重力式コンクリートダムで、
山梨県営の多目的ダムです。

昭和43年4月に建設工事に着工し、総事業費173億円が投じられ
昭和63年)3月に完成を迎えました。
平成10年には塩川ダムが完成し、両ダムは連携して北杜市や
下流の韮崎市の水害抑止という大役を果たしています。

ダム湖(人造湖)の名は清里湖と言うそうです。



こちらが、大門ダム管理事務所。

      20191025大門ダム01

ダムカードはこちらで貰えます。

実はこの管理事務所に至るの道が細い道。
幾らか小降りになってきたものの、
先ほどまで降っていた激しい雨で
斜面から流れてくる水が滝のようになり
道は川のようになっている。

いっしゅん、ヤバイかな?って思ったりもしました。



とりあえず、管理事務所で大門ダムのダムカード、ゲットです。

      20191025大門ダム02



せっかくだから、小雨(?)が降っていますが、大門ダムを見学いたしましょう。

  

大門ダムの案内図。

      20191025大門ダム03



大門ダムの碑。

      20191025大門ダム04



大門ダムの天端。

      20191025大門ダム05



堤体(上流側)に埋め込まれた大門ダムのプレート。

      20191025大門ダム06



ダム湖である清里湖。
雨に煙っています。

      20191025大門ダム07



大門ダム、下流側。

      20191025大門ダム08



発電用に排水しているんでしょうか?

      20191025大門ダム09



管理事務所の庭には水の神様を祀っている。

      20191025大門ダム10



管理事務所下の公園内の記念碑。

      20191025大門ダム11

大門ダム建設地点が火山噴出物の堆積した台地であることから、
特にダム湖右岸側は漏水を抑えるため、約4.2ヘクタールに渡って
アスファルトで舗装し遮水工としてあるそうです。

土木学会はこの工事を評価し、昭和61年に山梨県土木部に技術賞が贈ったそうです。
こちらが、その記念碑になるそうです。



そして、こちらが大門ダムのダムカード。

      20191025大門ダム12


      20191025大門ダム13


2019年10月25日げんざい、山梨県下でダムカードが配布されているダムは6ヶ所。
これで3ヶ所目のダムを訪れたことになる。

残り3ヶ所もいずれ訪れたいモノです。



2019/12/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................高根清里小学校 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残さなきゃ!

という事で、マッキンをチェックアウトして、
向かった先は............北杜市立高根清里小学校。


高根清里小学校は、

明治6年に開校した津金学校清里分校を前身とする高根東北小学校と
昭和15年に開校した清里小学校八ヶ岳分教場を前身とする八ヶ岳小学校が
昭和49年に合併して誕生した小学校です。


明治 6年     津金学校清里分校を千福寺( 樫山)で開校する
昭和15年     清里尋常小学校に八ヶ岳分教場(念場ヶ原) を開設する
昭和22年     学制改革により、清里小学校( 同校八ヶ岳分教場)と改称する
昭和31年     町村合併により、高根東北小学校( 同校八ヶ岳分教場) と改称する
昭和34年     高根東北小学校八ヶ岳分教場は、本校より分離し八ヶ岳小学校( 現在地) として独立する

昭和49年     高根東北小学校と八ヶ岳小学校を統合し高根清里小学校( 旧八ヶ岳小学校跡地) となる
平成16年     7ヶ町村が合併して「北杜市」が誕生「北杜市立高根清里小学校」となる
平成31年     高根東小学校に統合されて廃校となる


と、このような沿革となっています。



こちらが、高根清里小学校の正門。

      20191025高根清里小学校01



今年に春に廃校になった小学校。
まだ、廃校になって1年も経っていない。
門柱には表札が残っています。

      20191025高根清里小学校02



校門の先には校舎正面玄関。

      0191025高根清里小学校03

特徴のある玄関ですね。


正面庇には校名と校章が掲げられています。

      0191025高根清里小学校04


      0191025高根清里小学校05



生憎の天気。
小雨の高根清里小学校。

校舎全景。

      0191025高根清里小学校06



ちょっとだけ寄ってみる。

      0191025高根清里小学校15



校舎全景と びいすけ 。

      0191025高根清里小学校07



別アングルの校舎。

      0191025高根清里小学校08


      0191025高根清里小学校09



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      0191025高根清里小学校10



校舎の定礎盤。
昭和49年竣工。

      0191025高根清里小学校11

玄関のデザインといい、当時としては画期的なデザインだったのでしょう。
この奥に図面等が隠されているんでしょうか?



こちらは、体育館。

      0191025高根清里小学校12



校庭。

      0191025高根清里小学校13



降りしきる雨で足元もぐちゃぐちゃ。

      0191025高根清里小学校14




校庭に残る遊具類。

      0191025高根清里小学校16


      0191025高根清里小学校17


      0191025高根清里小学校18


      0191025高根清里小学校19


      0191025高根清里小学校20


      0191025高根清里小学校21




朝礼台。

      0191025高根清里小学校22



百葉箱。

      0191025高根清里小学校23



緯度経度の碑。

      0191025高根清里小学校25

韮崎市の廃校にも多かったけれど
実は山梨県の小学校には、緯度経度を示す標柱や碑が設置されている事が多い。
上野原市や道志村の廃校にも多かったような記憶があります。




玄関の脇に置かれたオブジェ。

      0191025高根清里小学校24


これって馬ですよね?

子供たちの作品なんだろうか?
それとも先生が作ったものだろうか?

ちょっぴり気になります。





2019/12/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日のお泊り@マッキントッシュ (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。この日も駆け巡りました。
清里のある北杜市の手前の韮崎市の廃校、神社を巡り
そして、北杜市へ移動。
北杜市では、ダムカードを貰いに行き、旧・須玉町地区の廃校を2校巡り
一日を十分に堪能して本日の宿屋に向かいます。

ビーグルを飼っている身としては、清里はビーグルの聖地とも言えるでしょう。
と言うのも、マッキントッシュがあるからです。

清里で泊まるなら、やっぱりマッキンですね。
という事で本日の宿泊先は...............マッキントッシュ。

      20191024マッキン01


      20191024マッキン02


      20191024マッキン03



マッキンにお世話になるのは、これで3回目。
でも前回から、かなりの月姫が経ち、お久しぶりになります。

      20191024マッキン04


      20191024マッキン05



今回のお部屋は3階の303号室。

      20191024マッキン06


      20191024マッキン07


      20191024マッキン08



室内はこんな感じです。

      20191024マッキン09



びいすけがベットの上で暴れ回る(?)前にベットにカバーを掛けて................


さぁ、どうぞ!!

      20191024マッキン10


      20191024マッキン11


      20191024マッキン12



夕食は19時から。
それまで2時間以上あるから............

軽く(?)、『お疲れさん!』の乾杯。

      20191024マッキン13



『僕のは無いんですか?』

      20191024マッキン14

はい、君のはありません!(きっぱり)。



先ずは、乾杯です。

      20191024マッキン15



可哀想だから、びいすけ は、晩御飯にしましょう。

      20191024マッキン16


『待て!』

      20191024マッキン17



からの『良し!』

      20191024マッキン18



この日も、朝早かったから
ご飯を食べてお腹いっぱいになったら、ベットに移動。

      20191024マッキン19


もう寝る態勢に入っています(笑)。

      20191024マッキン20



夕食前にお風呂に入って、またまた軽くビールを飲んだりしていると
時刻は19時になりました。


楽しみな夕食の時間です。



前菜。

      20191024マッキン21



本日のスープ。
ジャガイモのポタージュスープ。

      20191024マッキン22



シーフードグラタン。

      20191024マッキン23

これが、超美味い。



メインディッシュのビーフストロガノフ。
   
      20191024マッキン24


      20191024マッキン25

これまた美味。
どちらかと言うと肉料理が苦手ですが、
美味しくいただきました。



サラダ。
      20191024マッキン26


テーブルの下でおこぼれを待つ びいすけ 。

      20191024マッキン27

ごめん、ごめん。
今日はお肉も食べちゃったから...............


デザートです。
   
      20191024マッキン28


      20191024マッキン29

本日もしっかり完食。
美味しくいただきました。



部屋に戻って、テレビを見ていると
びいすけ の鼾が聞こえてくる。

      20191024マッキン30

      
      20191024マッキン31

今日も一日動き回ったから、疲れちゃったんだね。
おやすみ...............


この日は、22時過ぎにいつのまにか寝落ちしていました。



明けて25日。
この日、関東では大雨で凄い事になってしまいましたが
清里でも朝から雨。

びいすけ の朝の散歩も軽く済ませ
かと言って、コレと言ってすることもないから、
再びベットに潜り込みます。


しっかりと二度寝をして7時半過ぎに起きて、8時からの朝食に備えます。

する事もないから、早めにパッキングして
早めにチェックアウトして、早めに帰るのもてかも?
何せ1日中雨が降るって言う天気予報だからねぇ。
(この時点で、我が地元の佐倉市で高崎川が氾濫するなんて想像もしていませんでした。)



8時になり、朝食の時間です。
まぁ、旅行中の宿泊先の食事も楽しみの一つですからねぇ。


林檎ジュース。

      20191024マッキン32


  
フルーツ。

      20191024マッキン33



サラダ。

      20191024マッキン34



ピザトースト。

      20191024マッキン35

マッキンの朝食といったらピザトースト。
そして、コレがまた美味。



テーブルの下でおこぼれを待つ可愛いヤツ。

      20191024マッキン38



仕方がないから、ピザトーストの耳とチーズを千切ってあげちゃいます。

      20191024マッキン39

今日だけだよ。


   
デザート。
 
      20191024マッキン36



紅茶でシメとなります。

      20191024マッキン37

意外にボリュームあって、充実した朝食。
お腹いっぱいです。




外は雨。
意外に雨足も強い。

散歩に出るわけにもいかず、部屋の中でぼお〜っとしています。

      20191024マッキン40


      20191024マッキン41



チェックアウトは10時だけど、この雨で高速が通行止めになっても嫌だし、
つい先日まで中央道は台風19号の影響で八王子←→大月 間が通行止めだったし、
当初は小淵沢方面へ足を延ばす計画だったけど、
清里から韮崎市へと向かって帰る事にしよう。

と言う事で9時にチェックアウト。


久しぶりのマッキン。
以前に比べマッキンビーグルも少なくなって、
現在は6頭になっちゃったらしい。

少し淋しい気もするけれど、これも時の流れ。

お世話になりました。
また遊びに来ます。





2019/12/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................多麻小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


岩下小学校をあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 多麻小学校。



多麻小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地の校歌の碑に簡略した沿革が記載されていました。

校名の由来となった多麻村の沿革も一緒に紐解けはば.............


明治23年     豊田村と東向村が合併して多麻村となる。
         中小倉に民家を借りて尋常小学校とした。
大正4年      現在地に校舎を新築して開校。
大正5年      高等科を設置して多麻尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により多麻村立多麻小学校と改称する。
昭和30年     多麻村が若神子村、穂足村、津金村と合併して須玉町となる。
         須玉町立多麻小学校と改称する。
昭和60年     旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
         穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
         新たに須玉町立須玉小学校が開校し、多麻小学校は廃校となる。

と、このような沿革になるようです。





こちらが、かつての正門。

      20191024多麻小学校01



石造りの門柱は健在ですが、表札はありません。

      20191024多麻小学校02



多麻小学校は廃校後、校舎は解体され
その敷地は、多麻公民館として活用されているようです。

      20191024多麻小学校03


      20191024多麻小学校04



その公民館。

      20191024多麻小学校05


      20191024多麻小学校06



校庭は、地域のグランドとして利用されているのか?

      20191024多麻小学校07

思ったほど荒れてはいないようです。

公民館の建物から数十m離れた所に建つ校歌の碑。

      20191024多麻小学校08



実は、この校歌の碑の裏面に沿革が刻まれています。

      20191024多麻小学校09

たいへん参考になりました。




公民館脇には忠魂碑。

      20191024多麻小学校10




野ざらしに置かれているローラー。

      20191024多麻小学校11



敷地のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024多麻小学校12



校庭の奥には赤茶色に錆びた朝礼台。

      20191024多麻小学校13




雑草もなく、適度に管理されている(と思われる)校庭跡。

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残念ながら遊具類は残っていない。

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学校遺構は、門柱と校歌の碑と朝礼台ぐらいしか残っていない。
二宮像を期待したんだけど....................

でも沿革が刻まれた校歌の碑があったから、良しとしなくちゃね。


2019/12/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit