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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............塩原小学校新湯分校(2019年6月25日)(栃木県那須塩原市市) 

6月25日

福島県旅行の2日目。
福島県から栃木県へと南下しなからの移動。

日光市から那須塩原市へとやって来ました。

辿り着いた先は...............旧・塩原町立 塩原小学校新湯分校。



これまた、超マイナーな廃校です。
この分校の存在を知ったのはつい最近。
4月に訪れた 上塩原小学校 の事を調べていて
たまたま覗いた 塩原小中学校 のHPの沿革に
こちらの分校の記載がありました。


新湯分校は、

昭和22年塩原町立塩原小学校新湯分校として開校する。
昭和43年本校に統合されて、廃校となる。

と、たった2行の沿革ですが
間違い無く新湯分校はその名を塩原小学校の沿革の中に残しています。

塩原温泉郷の中でも、再奥に当たる奥塩原新湯温泉に作られた分校。
おそらく新湯温泉の温泉宿の子女が通った分校だったのでしょう。
僅か、21年間の分校だったんですね。


こちらが、分校跡。

      20190625新湯分校01


近くの民家の方に訊いたら、建物は往時の校舎で
屋根を貼り替えたらしい。

      20190625新湯分校02



現在は、地域の公民館として利用されています。

      20190625新湯分校03


確かに、山の分校のイメージにぴったり。

      20190625新湯分校04



校庭もそれなりのヒロさがあります。

      20190625新湯分校05


      20190625新湯分校06


校舎に隣接するこの建物は、教員用の宿舎だったそうです。

      20190625新湯分校07

先生は、この分校で寝食共にしていたんですね。



廃校のお約束?
消防倉庫が敷地内にありました。

      20190625新湯分校08


塩原小中学校のHPを覗かなければ、その存在を知らなかった新湯分校。
間違いなく、その存在を確認いたしました。






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2019/08/23 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............三依小学校上三依分校 (2019年6月25日)(栃木県日光市) 

6月25日

福島県旅行の2日目。
南会津町から国道121号を南下して栃木県を移動します。
栃木県の北端の日光市。
平成の大合併前までは塩谷郡の旧・藤原町。

平成26年に三依小学校が廃校になりましたが(三依小学校の記事は こちら )、
かつて、三依小学校には幾つかの分校がありました。
その中の一つ、三依小学校上三依分校を探してみました。


上三依分校の情報も乏しく、その存在を知ったのはWikipediaの記事と
三依小学校の沿革からでした。
上三依分校の名を初めて目にするのは大正12年です。
三依村立三依尋常小学校が、三依村立三依尋常高等小学校と改称し、
その際に五十里、上三依、横川の3校が分教場となったようです。

昭和22年     学制改革により、三依村立三依小学校上三依分校と改称する。
昭和30年     三依村が藤原町との合併により、藤原町立三依小学校上と改称する。
昭和36年     三依小学校五十里分校が川治小学校に統合される。
昭和41年     三依小学校上三依分校を本校に統合する。

と、このような沿革となっているようです。


上三依分校の情報も乏しく、その存在を知ったのはWikipediaの記事と
三依小学校の沿革からでした。
そもそも、分校の場所も分からず、もう行き当たりバッタリ。
上三依と言う地名を頼りに、野岩鉄道の『上三依塩原温泉口』駅周辺、
そして、国道121号線沿いの上三依集落にて御老人を探して尋ねます。

上三依集落で尋ねた御老人が、何と上三依分校の出身者。
その方の話では、分校も二つ在って、いわゆる廃校じゃの分校(新校舎)と
それ以前の分校(旧・分校)の二つ。
その御老人は旧・分校の出身で、御老人の甥御さん(それなりに歳を召されています)は、
新分校の出身らしい。
旧・分校は、今は道も無くなって上手く場所を説明出来ないと言う事で
新分校の場所を教えてもらいました。

実は、この御老人の家が地主さんで、三依分校に土地を貸していたらしい。
あるいみ、ラッキーな出会いでした。

廃校後、校舎は解体して、畑に転用したらしい。
野岩鉄道の工事の際に、工事事務所に貸していたらしく
その事務所として使っていたプレハブ小屋が残っているらしい。



こちらが、三依分校跡。

      20190625上三依分校01


確かに、畑。

      20190625上三依分校94


      20190625上三依分校05



そして、プレハブ小屋が在る。

      20190625上三依分校02


      20190625上三依分校03

学校跡地の雰囲気は全く無い。
当然、廃校遺構も全く無い。


敷地の端に残る木々は、分校時からこの場所にあったのだろうか?

      20190625上三依分校06


この場所も忘れ去られることは間違い無い。
こうやって無名な廃校跡は、
人々の記憶の中から忘れ去られていくんだろうなぁ.......................。



2019/08/23 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit