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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...........................千町小学校萩原分校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。


今年の春(平成31年)に廃校になった、いすみ市立千町小学校。
その千町小学校には、かつて分校がありました。

昭和39年に廃校となった分校、
旧・夷隅町立 千町小学校萩原分校 を探し、訪ねてみました。


萩原分校は、


明治7年     荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
        萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀小学校と萩原小学校に分離する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                         須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校萩原分校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校萩原分校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)


と、このような沿革となっています。



沿革は分かっているものの、分校の場所はよく分からない。
いつもように、分校名の『萩原』を頼りに
萩原集落の公民館、集会所に当たりを付けて向かいます。
向かった先は、『萩原区農村公園』


こちらが、萩原区農村公園。

      20190711萩原分校01

隣家の御老人に話を伺うと、この場所がかつての萩原分校でした。
確かに、分校跡らしい雰囲気は感じられる。


ただし、この建物は廃校後建てられたものらしい。

      20190711萩原分校02


敷地内に入ってみます。
往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。

      20190711萩原分校03


      20190711萩原分校05


      20190711萩原分校06




敷地の一角には遊具が置かれているけれど
とても昭和30年代の遺構にはみえない。

      20190711萩原分校04



農村公園として整備された時に設置されたのでしょう。

      20190711萩原分校07


      20190711萩原分校08



残念なことに記念碑の類い、二宮像、忠魂碑等
学校跡を彷彿させる物は残っていない。



この井戸は、分校時から使われていたものでしょう。

      20190711萩原分校09



お約束とも言える消防倉庫。

      20190711萩原分校10


小さな分校跡には、消防倉庫が敷地内に建っていることが多い。
まぁ、ひとつのpsたーんですが、
そのパターンに見事にハマっていた萩原分校。

辿り着けて良かった.......................




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2019/08/31 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................千町小学校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

今年の春、いすみ市の千町小学校が廃校になりました。
千町小学校関連で3つの廃校があるという事で
この日はいすみ市の廃校巡り。

本丸である、いすみ市立千町小学校に訪れました。


千町小学校は、


明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年     萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
         荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年    学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年    千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年    荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年    新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年    夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年    夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、千町小学校の正門。

      20190711千町小学校01



正門越しの校舎。

      20190711千町小学校02


      20190711千町小学校03


正門側の正面玄関。

      20190711千町小学校04


庇には校章。

      20190711千町小学校05


そして、感謝の横断幕。

      20190711千町小学校06



中庭の二宮像。

      20190711千町小学校07


      20190711千町小学校08



校庭側からの校舎。

      20190711千町小学校09


      20190711千町小学校10



別アングルから。

      20190711千町小学校11


      20190711千町小学校12


      20190711千町小学校13


      20190711千町小学校26



こちらは、体育館。

      20190711千町小学校14



広い校庭。

      20190711千町小学校15



廃校からたった3ヶ月半。
すでに雑草に覆われ始めている。

      20190711千町小学校25




校庭に残る遊具類。

      20190711千町小学校16


      20190711千町小学校17


      20190711千町小学校18


      20190711千町小学校19


      20190711千町小学校20


      20190711千町小学校21



校庭にポツンと朝礼台。

      20190711千町小学校22



朝礼台の前に置かれたオブジェ。

      20190711千町小学校23



なぜか?  校舎の前に並んでいる椅子。

      20190711千町小学校24





お約束とも言える防災倉庫。

      20190711千町小学校27

体育館の前に目立たないように置かれていました。



残念ながら、廃校記念碑はありませんでした。


こうしてまた一つ、地域に長い時間の中で統廃合を経て
歴史を刻んで来た学校が廃校になってしまいました。





2019/08/31 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................旧・千町小学校跡 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市は、平成17年に夷隅町、岬町、大原町が合併して誕生しました。
そのいすみ市で、今年の3月(平成31年)に千町小学校が廃校になりました。

実は、その千町小学校関連で3つの廃校がいすみ市には存在します。
今回、その3つの廃校を巡ります。

最初に訪れたのは................旧・夷隅町立 旧・千町小学校跡


千町小学校は、

明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年    荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年   三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年   新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年   夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年   夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と言う沿革となっていますが、今回訪れたのは、旧・千町小学校跡。
沿革で言う所の昭和47年に移転するまで校地とされていた所です。

数年前に、いすみ市に来た時、偶然この校地の前を通ったのですが
『千町保育園前』と言う交差点にいかにも学校跡地っぽい場所がありました。
後ほど調べたら、どうやら千町小学校の跡地のようでした。

そのうちに行こう! と思いながら、ズルズルと月日が経ってしまいました。



こちらが、千町小学校跡。

      20190711旧・千町小学校01

如何にも学校跡っぽいですね。


正門に至るスロープ。

      20190711旧・千町小学校02

これまた、学校っぽい。


以前調べた時は、『つどいの家』と言う施設だったような気がしましたが
近年、『いすみ市土着菌完熟堆肥センター』になったようです。

      20190711旧・千町小学校03



こちらが正門跡。

      20190711旧・千町小学校04



門柱の表札。

      20190711旧・千町小学校05

『つどいの家』としても利用されているようですね。



実は、小学校が移転後、敷地は千町保育園として利用されていたよですが
保育園もいつしか閉園となり、『つどいの家』として利用されたようです。

この建物は、保育になった時に建てられたもので
千町小学校の校舎ではないそうです。

      20190711旧・千町小学校06


      20190711旧・千町小学校07


昭和の時代、特に40年〜50年代。
鉄筋校舎が普及する前の学校の校舎に見えるんだけどねぇ。

      20190711旧・千町小学校08


      20190711旧・千町小学校09


残念ながら、学校遺構は全く残っていない。

      20190711旧・千町小学校10


保育園として再利用されていた割には遊具類も残っていない。


ここから数百m離れた場所に千町小学校が在るから、
この場所が千町小学校だった事も憶えている人も少なくなっているんだろうなぁ。








2019/08/30 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.....................住吉神社 (2019年7月11日)(千葉県長生郡長生村) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市に向かう途中、長生村の住吉神社に立ち寄ってみました。
長生村の住吉神社に来るのは、これで2回目。
御朱印を頂ける神社と言う事で、昨年の春に一度参拝に来ています。
( その時の記事は こちら

その時は、宮司さんにお会いする事が出来なくて、御朱印も拝受出来ず
いずれ改めてと思っていたら、いつのまにか1年の月日が流れ、
時代も平成から令和に変わってしまいました。


こちらが、社号標。

      20190711住吉神社01



神社社頭の鳥居。

      20190711住吉神社02



参道。

      20190711住吉神社03


手水舎。

      20190711住吉神社04



そして、拝殿。

      20190711住吉神社05


      20190711住吉神社06

しっかりと参拝いたします。



こちらは、御神木。

      20190711住吉神社07
      20190711住吉神社08



お近くにお住まいの宮司さん宅にて御朱印を拝受いたしました。

      20190711住吉神社09



こちらが、御朱印。

      20190711住吉神社10


以前、電話した時は男性が応対してくれたので
その方が宮司さんだと思っていたら息子さんだそうで、
その方のお母様が宮司さんでした。

あまり、御朱印は書かないと言う事らしく
大変貴重な御朱印をありがとうございました。





2019/08/30 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............睦岡小学校戸田分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。

昭和30年代後半から40年代初頭、旧・山武町に在った分校が
3校廃校になりました。

今回、その3校を探し訪ねてみる事にしました。

苦労しながらも2校を探す事ができ、残るは1校。
何とか探す事が出来た木原分校跡をあとにして、
向かった先は...............旧・山武町立 睦岡小学校戸田分校。


戸田分校は、

明治7年      戸田小学校創立。
明治26年      戸田小学校を除く近隣3校が合併して、睦岡尋常小学校が発足する。
明治41年      睦岡尋常小学校に統合され、分教場となる。
昭和22年      学制改革により、睦岡村立睦岡小学校戸田分校と改称する。
昭和30年      睦岡村が日向村と合併して山武町が誕生。
          山武町立睦岡小学校戸田分校と改称する。
昭和38年      本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


戸田分校も情報がなくm頼りは分校の名である『戸田』。
山武市戸田集落の公民館、集会所に当たりをつけます。

候補は2つ。
1つは中上戸田集会所。

まずは、そちらに向かいます。
確かに集会所は廃校跡っぽく見える。
でも遺構が無いから、確信が持てない。
近くに歩いている人もいないから、またまた人を探します。
御年配の人に会えないかな〜っと思いながら民家の脇を通り過ぎると
農具の手入れをしていたオジさん発見!!

そのオジさんに訊いてみたら、違っていた。
そして、オジさんは分校の場所を教えてくれました。

中上戸田集会所から1kmほど離れた所にある中戸田下公民館。
こちらが、戸田分校跡地でした。
そして、当たりを付けていたもう1ヶ所の場所でもありました。



こちらが、戸田分校跡地。

      20190708戸田分校01

この緩やかなスロープが如何にも学校っぽい。


そして、ありました。
門柱です。

      20190708戸田分校02


対の門柱。
もう一方は半分折れていて、無残な状態。

      20190708戸田分校03



いっしゅん、往時の校舎かと思いましたが
隣家のオバちゃんの話では、公民館として建てられたものらしい。

      20190708戸田分校04


てっきり、校舎だと思っていたから、
実は、いろんなアングルで写真を撮っていました(笑)。

      20190708戸田分校05


      20190708戸田分校06


      20190708戸田分校07


      20190708戸田分校08



敷地の片隅にポツンと建つ建物。

      20190708戸田分校09

そうです、お約束とも言えるあの建物。


消防倉庫でした〜(笑)。

      20190708戸田分校10



門柱のすぐ側に残る桜の木。

      20190708戸田分校11

これも分校時代のモノでしょう。



何とか、昭和30年代後半から昭和40年代前半に廃校となった分校を
探し当て訪れる事が出来ました。
やっぱり、廃校巡りは楽しいものです。



2019/08/29 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............日向小学校木原分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。

昭和30年代後半から40年代初頭、旧・山武町に在った分校が
3校廃校になりました。

今回、その3校を探し訪ねてみる事にしました。

無事、辿り着けた森分校をあとにして、向かった先は...............旧・山武町立 日向小学校木原分校。



木原分校は、

明治7年     木原村に木原小学校が開校する。
明治37年     日向高等小学校が創立。
明治41年     日向尋常高等小学校に統合され、木原分校となる
昭和22年     学制改革により日向村立日向小学校木原分校に改称する。
昭和39年     日向村が、睦岡村と合併して山武町が発足。
         山武町立日向小学校木原分校に改称する。
昭和43年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



これまた、木原分校の情報はほとんどない。
分校名の『木原』を頼りに木原集落の公民館、
集会所に当たりを付けて、木原集落に向かいます。

当たりを付けたのは、木原共同館。
でもそこに行くと、建物はなく完全な更地。
これじゃ分からないから、誰かに聞かなくちゃ!

周辺を車で走り回り、たまたま歩いていたおばあちゃんに
声をかけて訊いてみると、どうやら別の場所らしい。
高台に分校は有ったらしいが、校舎も解体されて何もなくなり
荒地になって道も無くなってしまったらしい。

さらに別なオジさんに訊いたら、
何とそのオジサさんが、廃校跡まで案内してくれました。



こちらが、木原分校跡地。

      20190708木原分校01


この台地の頂部に分校は在ったそうです。

      20190708木原分校02



元々、借地で分校時には地主さんから借りていたそうです。

      20190708木原分校03



廃校後、地主さんに返却されましたが、特に他に転用もせず
そのまま荒れ果ててしまったそうです。

      20190708木原分校04



この辺りに、台地に上がっていく道が在ったそうです。

      20190708木原分校05

道もなく、尾根を渡るように斜面を登ってみます。



台地頂部。
ここに、木原分校が在りました。

      20190708木原分校06



確かに削平地ではあるけれど、ブッシュ状態。
とても、学校跡地には見えない。

      20190708木原分校07




しかし、台地頂部だから、ちょっぴり見晴らしは良い。
分校跡地の台地下部には太陽光発電のソーラーパネルが並んでいる。

      20190708木原分校08



そして、周りは緑豊かな自然。

      20190708木原分校09


きっと、分校に通っていた子供たちも、こんな風景を毎日見ていたんだろう.....................。




2019/08/29 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............日向小学校森分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市出かけました。

山武市には、昭和30年代後半から昭和40年代始めにかけて
廃校となった分校が3校あります。

今では、山武市と呼ばれていますが、
その当時は山武町と呼ばれていました。

その中の1校である、旧・山武町立 日向小学校森分校 を探してみました。


たまたま、山武市の市街地の方へ足を伸ばしていたので
山武市役所に隣接する山武市教育委員会立ち寄って
廃校となった3校の事を尋ねますが、
おそらく廃校後に生まれ育った年代者が
職員のため、当時の事を知る人が居なくて、情報は得られませんでした。
こう言う時は、まず地域の公民館、集会所に当たりを付けて現地へと向かいます。


向かった先は...............旧・山武町立 日向小学校森分校。


森分校は、

明治6年      森村に森学校として創立される。
明治22年     矢部村、森村、椎崎村、木原村、大木村が合併して日向村が発足。
明治25年     森尋常小学校と改称する。
明治41年     日向尋常高等小学校森分校となる。
昭和22年     学制改革により日向村立日向小学校森分校と改称する。
昭和30年     日向村と睦岡村が合併して山武町が発足。
          山武町立日向小学校森分校と改称する
昭和41年     本校に統合されて廃校となる


昭和56年     校舎解体される。

となっています。


詳しい場所は分からないから、分校名の『森』を頼りに
山武市の森地区へと向かいます。
当たりを付けたのは、森地区にある『本郷生活研修センター』。

コレがズバリ、大正解でした。


こちらが、森分校跡地。

      20190708森分校01


昭和56年に校舎は解体され、本郷生活研修センターが建ちました。

      20190708森分校02



きっと、分校の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20190708森分校03


      20190708森分校04


      20190708森分校05



敷地の一角に建つ石碑。

      20190708森分校06

『学びのふるさと』と刻まれています。


森分校跡碑です。
裏面には沿革が刻まれています。

      20190708森分校07

冒頭の一文。

『 伝えんとして由縁を記す 』と刻まれている。


いやぁ、泣かせる文言ですね。
でも、この刻まれた沿革は役に建ちました。

      20190708森分校08


碑の脇に建つのは、三峯神社。

      20190708森分校09

正確には、鎮座すると言った方が良いでしょう。


おそらく、分校時に使われていた井戸。

      20190708森分校10


そして、お約束とも言える消防倉庫。

      20190708森分校11


とにかく3校の廃校の一つに無事辿り着けました。
良かったぁ..............................。




2019/08/28 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

賀茂神社の大杉 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。


成東八幡神社から、日向小学校のかつての分校跡地へと
車を走らせていると、こんな看板が視界に入ってきた。

      20190708賀茂神社の大杉01



『 賀茂神社の大杉 』?

      20190708賀茂神社の大杉02

ちょっと気になる...............


気になってしまうと、通り過ぎてる事が出来ない............。
と、言う事で急遽立ち寄ることになった賀茂神社。


賀茂神社は、山武市森に鎮座する神社です。

詳しい由緒は不明。
ネットっ調べてみても、賀茂神社の由緒よりも、
大杉についての記述が多く、よく分かりませんでした。

その大杉については...............

室町時代の将軍・足利義政のころに植樹されたと伝えられ、
樹齢約500年と推定されるそうです。
山武市下最大の大杉(高さ35m、太さ6m35cm)と称され、
御神木として氏子の信仰を集めているそうです。


こちらが、賀茂神社の参道。

      20190708賀茂神社の大杉03


石段を上がって行きます。

      20190708賀茂神社の大杉04



鳥居が見えてきました。

      20190708賀茂神社の大杉05



鳥居前にて。

      20190708賀茂神社の大杉06


鳥居の前には大杉の説明板。

      20190708賀茂神社の大杉07



大杉は、鳥居の脇に『どぉ〜ん』と聳えています。

      20190708賀茂神社の大杉08
      20190708賀茂神社の大杉09



確かに、立派な幹。

      20190708賀茂神社の大杉10



別アングルから。

      20190708賀茂神社の大杉11
      20190708賀茂神社の大杉12


これが、山武市一の杉の巨木なんですね。




賀茂神社の拝殿。

      20190708賀茂神社の大杉13



拝殿正面。

      20190708賀茂神社の大杉14


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190708賀茂神社の大杉15



別アングルからの拝殿。

      20190708賀茂神社の大杉16


      20190708賀茂神社の大杉17



手水舎。

      20190708賀茂神社の大杉18



境内社。

      20190708賀茂神社の大杉19


      20190708賀茂神社の大杉20




拝殿前から眺める大杉。

      20190708賀茂神社の大杉21
      20190708賀茂神社の大杉22



気になったのは、この賀茂神社が鎮座する台地。
まるで、昔の城郭跡のように見える。


土塁があって...............

      20190708賀茂神社の大杉23


削平地。

      20190708賀茂神社の大杉24


またまた土塁があって...............

      20190708賀茂神社の大杉25


空堀もある。

      20190708賀茂神社の大杉26


ネットで調べてみても、この場所が城郭だったと言う記述はない。
でも、それっぽく見えちゃうだけどなぁ。

最近、城郭巡りをしていないから、その反動なのかなぁ?(笑)





2019/08/28 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

成東八幡神社 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。

以前からその存在を知っていて、気になっていた成東八幡神社。
山武市の市街地に来たついでに、足を伸ばしてみました。


成東八幡神社は、山武市成東に鎮座する神社です。

成東八幡神社の詳細な由緒は不明ですが、
葛原親王が勧請したとされています。

御祭神は、誉田別尊・気長足姫命・比咩大神。



社号標。

      20190708成東八幡神社01



朱色の一の鳥居。

      20190708成東八幡神社02



一の鳥居に掲げられた神額。

      20190708成東八幡神社03



石灯篭の並ぶ参道。

      20190708成東八幡神社04


杉の木立の中の参道。

      20190708成東八幡神社05
      20190708成東八幡神社06
      20190708成東八幡神社07



手水舎。

      20190708成東八幡神社08


二の鳥居脇の社号標。

      20190708成東八幡神社09



ニの鳥居。

      20190708成東八幡神社10



暗くて見えないけれど、ニの鳥居に掲げられた神額。

      20190708成東八幡神社11


由来記。

      20190708成東八幡神社12

詳しい由緒を期待したんだけど、触れていない。
由緒書きを建てて欲しいなぁ。



狛犬。

      20190708成東八幡神社13


      20190708成東八幡神社14



拝殿。

      20190708成東八幡神社15



拝殿正面。

      20190708成東八幡神社16



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190708成東八幡神社17


別アングルからの拝殿。

      20190708成東八幡神社18


      20190708成東八幡神社19



そして、こちらが本殿。

      20190708成東八幡神社20

緑濃い社業に映える朱色の拝殿と本殿です。



拝殿前には、もう一組の狛犬。

      20190708成東八幡神社21


      20190708成東八幡神社22


境内社。

      20190708成東八幡神社23


      20190708成東八幡神社25


      20190708成東八幡神社26


      20190708成東八幡神社27



こちらは、宝物殿?
それとも御輿庫?

      20190708成東八幡神社28



東参道口。

      20190708成東八幡神社29

かつては、この場所にも丸い石の柱の鳥居が建っていたようです。
倒壊した残骸が無造作に置かれていました。


その近くには、道祖神。

      20190708成東八幡神社30


その脇には、将門堤の記念碑。

      20190708成東八幡神社31

『延長六戊子年(928年)、平将門此の地に堤を築く、是れを将門堤と言う』

と、刻まれています。
この地にも将門の伝説が残っていたんですね。



ニの鳥居脇の社務所。

      20190708成東八幡神社32

普段は無人の神社。
どうやら、御朱印の対応はされていないようです。






2019/08/27 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............豊岡小学校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、富里市から山武市へ出かけました。
今年の春に廃校になってしまった山武市立豊岡小学校へ行ってきました。



豊岡小学校は、

明治20年     古和尋常小学校設置が許可される
          元金尾・山室小学校の一部を引き継ぎ開校する。
明治22年     豊岡尋常小学校開校。
大正元年     大蔵尋常小学校と合併 
         金尾龍ノ口に移転認可
大正2年      金尾441(現在地)に校地移転
昭和22年     学制改革により、豊岡村立豊岡小学校と改称する。
昭和30年     豊岡村が松尾町、太平村と合併し新たな松尾町となる。
         松尾町立豊岡小学校と改称する。
平成18年     松尾町が山武町、成東町、蓮沼村と合併して山武市が誕生。
          山武市立豊岡小学校と改称する。
平成31年     松尾小学校と統合して廃校となる

と、このような沿革となっています。



こちらが、豊岡小学校の正門。

      20190708豊岡小学校01



門柱にはシンプルな校名だけの表札。

      20190708豊岡小学校02



正門脇には掲示板。

      20190708豊岡小学校03

そこには、廃校時の児童たちの集合写真が飾られていました。


正門は閉ざされていたので、フェンス沿いに移動します。


古くからの小学校で目にする事が多い忠魂碑。

      20190708豊岡小学校04

豊岡小学校も歴史のある小学校なんですね。


以前の教職員の駐車場出入り口。

      20190708豊岡小学校05

工事車両の出入り口となっています。

工事の方に話を訊いたら、校舎を改築して保育園にするらしい。
そのための工事を進めているらしい。


工事の邪魔にならないように、工事関係者に一声かけて
豊岡小学校を見学させてもらいます。



校庭から眺める校舎。

      20190708豊岡小学校06


      20190708豊岡小学校07



別アングルから。

      20190708豊岡小学校08


      20190708豊岡小学校09


      20190708豊岡小学校10



校舎正面玄関。

      20190708豊岡小学校11



その庇上部には、豊岡小学校の校章。

      20190708豊岡小学校12



こちらは、体育館。

      20190708豊岡小学校13


      20190708豊岡小学校14



それなりの広さの校庭。

      20190708豊岡小学校15



校庭の片隅には、百葉箱。

      20190708豊岡小学校16



校庭に残る遊具類。

      20190708豊岡小学校17


      20190708豊岡小学校18


      20190708豊岡小学校19


      20190708豊岡小学校20


      20190708豊岡小学校21


      20190708豊岡小学校22



最近は見かける事も少なくなったトーテムポール。

      20190708豊岡小学校23



正門脇には校地を寄贈された方の記念碑。

      20190708豊岡小学校24



こちらは、創立百周年記念碑。

      20190708豊岡小学校25


裏面には沿革が刻まれています。

      20190708豊岡小学校26



こちらは、校歌の碑。

      20190708豊岡小学校27



そして、校歌の碑の側にはオブジェ。

      20190708豊岡小学校28

緯度・経度が刻まれていて、校地の場所を明記しています。


来年度になるのか?
はたまた数年後になるのか?
いずれにしても、保育園に転用される豊岡小学校。
廃校後すぐに転用が決まり、解体されずに済みそうで良かった...............。








2019/08/27 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

再訪 高松入神社 (2019年7月8日)(千葉県富里市) 

7月8日

富里香取神社の月詣に出かけたこの日。
兼務社の高松入神社にも立ち寄ってみました。



鳥居。

      20190708高松入神社01


手水鉢。

      20190708高松入神社03




拝殿。

      20190708高松入神社02



拝殿正面。
しっかりと参拝いたしましょう。

      20190708高松入神社04


      20190708高松入神社05



別アングルからの拝殿。

      20190708高松入神社06



境内社。

      20190708高松入神社07


      20190708高松入神社08



扁額には『大願成就』。

      20190708高松入神社09



時代は令和に変わりました。
せっかくだから、御朱印も頂きました。

      20190708高松入神社10


夏詣の特別バージョンの御朱印も頂きました。

      20190708高松入神社11



2019/08/26 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

月詣 《 富里香取神社 》 (2019年7月8日)(千葉県富里市) 

7月8日

もう何ヶ月も行なっている富里香取神社の月詣。

7月になったので、今月も月詣に行って来ました。

      20190708富里香取神社01



鳥居前にて。

      20190708富里香取神社02



いつもの干支の看板前にて。

      20190708富里香取神社03



参道の狛犬と拝殿。

      20190708富里香取神社04



愛犬と拝殿。

      20190708富里香取神社06



最近は(数年前から)都内を含め、各地の神社で
『夏詣』と称して、この時期の参拝を促しています。

      20190708富里香取神社07

ネットで調べてみると、この富里香取神社も初期から
このキャンペーン(?)に賛同されているようです。



拝殿正面。

      20190708富里香取神社08

しっかりとお参りいたしました。


こちらが、月替わりの御朱印。

      20190708富里香取神社09


この月替わりの御朱印も月詣の楽しみの一つ。
来月も忘れずにお参りに来る事にいたしましょう。





2019/08/26 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ.................TEACHER  (2019年7月8日) 

7月8日 TEACHER

毎週、月曜日に着け替えている腕時計。

今週は、こちら ↓

      20190708TEACHER01


TEACHER ......................?

聞いた事がないメーカー ? ブランド ? ですね。

ネットで調べてみても、ヒットしません。

今から10年ほど前にヤフオクで『自動巻』と言う検索ワードと
『TEACHER』と言う聞き慣れない名前に、ポチッと落差しちゃって腕時計。


文字盤をよく見ると、『毛沢東 誕生百周年記念 一八九三〜一九九三』と記されています。
どうやら、中国製の腕時計のようです。

12時位置の人物像は、毛沢東なんですね。
でも、こんな顔だったっけ?



金色(金色メッキ)のフルーテッドベゼル。
そして、安物感は否めないコンビの7連ベルト。

      20190708TEACHER02



外観は、ROLEXのコンビを意識しているようです(笑)。

      20190708TEACHER03



竜頭には、特に刻印もない。

      20190708TEACHER04



今まで、中国製の時計の場合、ケース裏蓋に色々と情報が刻まれていたけれど
こちらの裏蓋には情報が乏しい。

      20190708TEACHER05

真ん中に刻まれたマークと読みづらいアルファベットの刻印が
この時計のメーカーなのだろうか?

毛沢東の生誕百年が1993年だから、
少なくとも1993年以降に作られた腕時計になるようになるようです。
丁度、中国の国営時計工場が民営化された頃ですね。



それでは、腕に着けてみましょう。

      20190708TEACHER06



どうも、このゴールドのコンビって言うのが
成金趣味みたいで苦手。

      20190708TEACHER07

まあ、1週間。
たまには成金感覚で頑張ってみましょうか...............?(笑)



2019/08/25 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ.................SEIKO   (2019年7月1日) 

7月1日

毎週、月曜日に着け替えている腕時計。
今週は、こちら ↓ 。

      20190701SEIKO501


日本が世界に誇れる腕時計メーカー SEIKO 。
そのSEIKO の代表的かつ大ヒットしたモデルであるSEIKO 5。
このブログでも何回も登場したSEIKO 5。

ヤフオクで手に入れたこの時計。
SEIKO 5と言う触れ込みでした。


こちらのモデルは、ケースは通称『クッション型』。
いわゆる座布団型ですね。

      20190701SEIKO502

何気に、このクッション型と言うのが味があると言うか、好みでもある。
もじばは、完全なリダン。
そもそも、いくら現在は海外で生産されているとは言え、
ライセンスの兼ね合いがあるから、
純正なミッキーマウスの文字盤はまずあり得ない。
カレンダー機能の曜日が英字とアラビマ文字の併記だから
中東仕様の中古モデルを大量に集めて、専門業者が文字盤をリダンして
ヤフオク等に出品しているんでしょう。




ベルトは社外品の合皮ベルト。

      20190701SEIKO503


クッション型のケースと黒い革ベルト(本当は合皮だから革じゃない)の組み合わせが
昭和の匂いがプンプン。

      20190701SEIKO504

あえて、令和の時代にこの昭和の機械式腕時計を持ち出します。


竜頭には特に刻印はない。

      20190701SEIKO505


ケース裏蓋には、モデル名とシリアルNo.。

      20190701SEIKO506

モデル名は光の反射で見えないけれど 7006-7120
調べてみると、よく分からない。
唯一辿り着いた、とあるHPでの情報では
どうやら通称で『70AC』と言われる
1968年から発売された『70オートマチックカレンダー』のようですね。

シリアルNo. は 650163
この番号から西暦の下一桁が6。
即ち、76年? 86年 96年?
そして、その年の5月に作られたモノ。
発売時期との兼ね合いから、1976年(昭和51年)5月に
製造されたモノのようですね。


SEIKO 5では無かったようですね。


では、腕に嵌めてみましょう。

      20190701SEIKO507


      20190701SEIKO508


正直言って、キャラクター時計って馬鹿にしていたけれど
中身は一応『SEIKO』 だし、年代モノの割にはしっかり動いてくれる。
文字盤がリダンされていて、オリジナルじゃないから
生粋の時計好きには邪道扱いされちゃうかもしれないけど
こう言った遊び心を持った腕時計も嫌いじゃない。


さぁ、今週も頑張りましょう。




2019/08/25 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの出勤前の途中下車...............大原神社 (2019年6月27日)(千葉県習志野市) 

6月27日

この日は遅番勤務。
13時10分からの仕事だから出勤前の途中下車。
京成実籾駅で途中下車して、大原神社へ向かいました。


5月から月詣と称し、大原神社にも参拝することにしました。



神社社頭。

      20190627大原神社01


鳥居に掲げられた神額。

      20190627大原神社02



参道の狛犬。

      20190627大原神社03


      20190627大原神社04



手水舎。

      20190627大原神社05


そして、拝殿。

      20190627大原神社06

しっかりと参拝いたしました。



昨今の御朱印ブームで、ここ大原神社も参拝客が多い。
ましてや、月替わり、季節替わりの御朱印を拝受しているから
その御朱印の種類も多い。

      20190627大原神社07


この日は平日。
それでも御朱印待ちの人が多い。

      20190627大原神社08


受付番号は104番。

      20190627大原神社09



15分ほど待って、頂いた御朱印がこちら。


月替わり 6月の御朱印。

      20190627大原神社10



『梅雨まいり』の限定御朱印。

      20190627大原神社11


見開きの『宮の杜』。

      20190627大原神社12


また、来月も忘れずに参拝に来ることにいたしましょう。








2019/08/24 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

塩原八幡宮 (2019年6月25日)(栃木県那須塩原市) 

6月25日

福島旅行の2日目。
福島県から南下して、栃木県の那須塩原市へ移動してきました。

新湯分校をあとにして、向かった先は...............塩原八幡宮。



塩原八幡宮は、那須塩原市中塩原に鎮座する神社です。


創建は大同2年(807年)とされています。
康平元年(1058年)、源頼義と嫡子の義家が前九年の役にあたり、
奥州の安部貞任征伐のため、この八幡宮に立ち寄り戦勝祈願をして、
社殿を再興したとされています。

また、治承4年(1180年)に源頼政一族が、神前に鎧兜を奉納し、
文治3年(1187年)には源有綱(源義経腹心の武将)が訪れ、
八幡宮に参拝したと伝えられています。
その後、源有綱は塩原八幡宮の側神として祀られ、
地域の人々に尊敬され、塩原領主や藩主により代々守られ、
村内安全、五穀豊穣の神様として崇敬されています。

中世には宇都宮氏・小山氏等の祈願所として崇められ、
江戸時代に入り、宇都宮代々の藩主により寛政10年(1798年)に再興され、
温泉神社を司る村社として、崇敬されています。


御祭神は、譽田別命・素盞嗚命・大山祇命・源有綱公。




こちらが、社号標。

      20190626塩原八幡宮01



神社社頭。

      20190626塩原八幡宮02



鳥居。

      20190626塩原八幡宮03



参道の狛犬。

      20190626塩原八幡宮04


      20190626塩原八幡宮05



由緒書き。

      20190626塩原八幡宮06



手水舎。

      20190626塩原八幡宮07


定番の龍の吐出口。

      20190626塩原八幡宮08



参道。

      20190626塩原八幡宮09
      20190626塩原八幡宮10
      20190626塩原八幡宮11
      20190626塩原八幡宮12



こちらが、拝殿。

      20190626塩原八幡宮13



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190626塩原八幡宮14



別アングルからの拝殿。

      20190626塩原八幡宮15


      20190626塩原八幡宮16



そして、こちらが本殿。

      20190626塩原八幡宮17



拝殿正面に飾られた提灯。

      20190626塩原八幡宮20



拝殿前の狛犬。

      20190626塩原八幡宮18


      20190626塩原八幡宮19



境内社。

      20190626塩原八幡宮21



境内社の若水神社。

      20190626塩原八幡宮22




そして、こちらが御神木。
『逆杉』と言われる二本の杉。
別名『夫婦杉』とも呼ばれています。

      20190626塩原八幡宮23
      20190626塩原八幡宮24
      20190626塩原八幡宮25

戦勝を祈願するため、しめ竹の代わりにスギ苗2本を植えたのが
この逆杉であるとの言い伝えがあります。


別アングルから。

      20190626塩原八幡宮26
      20190626塩原八幡宮27
      20190626塩原八幡宮28



説明板。

      20190626塩原八幡宮29



さらに、別アングルから。

      20190626塩原八幡宮30
      20190626塩原八幡宮31




境内の神橋。

      20190626塩原八幡宮32


橋の欄干から びいすけが池を覗いています。

      20190626塩原八幡宮33



橋の下の池には、鯉がいっぱい泳いでいる。

      20190626塩原八幡宮34



なかなか訪れないシャッターチャンス。
ここぞとばかりに撮りまくります。

      20190626塩原八幡宮35


      20190626塩原八幡宮36



こちらに気が付いたようです。

      20190626塩原八幡宮37



サービス精神旺盛?
身を乗り出す びいすけ 。

      20190626塩原八幡宮38



危ないよ!
落っこちゃうよ!


      20190626塩原八幡宮39



鯉の泳ぐ池の水は澄み渡っている。

      20190626塩原八幡宮40


池には湧き水が流れ込んでいる。
その湧き水は御神水として汲みに来られる方もいるそうです。

      20190626塩原八幡宮41

逆杉だけではなく、この湧き水も塩原八幡宮のパワースポット。




こちらが、社務所。

      20190626塩原八幡宮42

この日は閉まっていて無人。
残念ながら、御朱印を拝受する事は出来ませんでした。

次の機会に期待いたしましょう。



2019/08/24 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............塩原小学校新湯分校(2019年6月25日)(栃木県那須塩原市市) 

6月25日

福島県旅行の2日目。
福島県から栃木県へと南下しなからの移動。

日光市から那須塩原市へとやって来ました。

辿り着いた先は...............旧・塩原町立 塩原小学校新湯分校。



これまた、超マイナーな廃校です。
この分校の存在を知ったのはつい最近。
4月に訪れた 上塩原小学校 の事を調べていて
たまたま覗いた 塩原小中学校 のHPの沿革に
こちらの分校の記載がありました。


新湯分校は、

昭和22年塩原町立塩原小学校新湯分校として開校する。
昭和43年本校に統合されて、廃校となる。

と、たった2行の沿革ですが
間違い無く新湯分校はその名を塩原小学校の沿革の中に残しています。

塩原温泉郷の中でも、再奥に当たる奥塩原新湯温泉に作られた分校。
おそらく新湯温泉の温泉宿の子女が通った分校だったのでしょう。
僅か、21年間の分校だったんですね。


こちらが、分校跡。

      20190625新湯分校01


近くの民家の方に訊いたら、建物は往時の校舎で
屋根を貼り替えたらしい。

      20190625新湯分校02



現在は、地域の公民館として利用されています。

      20190625新湯分校03


確かに、山の分校のイメージにぴったり。

      20190625新湯分校04



校庭もそれなりのヒロさがあります。

      20190625新湯分校05


      20190625新湯分校06


校舎に隣接するこの建物は、教員用の宿舎だったそうです。

      20190625新湯分校07

先生は、この分校で寝食共にしていたんですね。



廃校のお約束?
消防倉庫が敷地内にありました。

      20190625新湯分校08


塩原小中学校のHPを覗かなければ、その存在を知らなかった新湯分校。
間違いなく、その存在を確認いたしました。






2019/08/23 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............三依小学校上三依分校 (2019年6月25日)(栃木県日光市) 

6月25日

福島県旅行の2日目。
南会津町から国道121号を南下して栃木県を移動します。
栃木県の北端の日光市。
平成の大合併前までは塩谷郡の旧・藤原町。

平成26年に三依小学校が廃校になりましたが(三依小学校の記事は こちら )、
かつて、三依小学校には幾つかの分校がありました。
その中の一つ、三依小学校上三依分校を探してみました。


上三依分校の情報も乏しく、その存在を知ったのはWikipediaの記事と
三依小学校の沿革からでした。
上三依分校の名を初めて目にするのは大正12年です。
三依村立三依尋常小学校が、三依村立三依尋常高等小学校と改称し、
その際に五十里、上三依、横川の3校が分教場となったようです。

昭和22年     学制改革により、三依村立三依小学校上三依分校と改称する。
昭和30年     三依村が藤原町との合併により、藤原町立三依小学校上と改称する。
昭和36年     三依小学校五十里分校が川治小学校に統合される。
昭和41年     三依小学校上三依分校を本校に統合する。

と、このような沿革となっているようです。


上三依分校の情報も乏しく、その存在を知ったのはWikipediaの記事と
三依小学校の沿革からでした。
そもそも、分校の場所も分からず、もう行き当たりバッタリ。
上三依と言う地名を頼りに、野岩鉄道の『上三依塩原温泉口』駅周辺、
そして、国道121号線沿いの上三依集落にて御老人を探して尋ねます。

上三依集落で尋ねた御老人が、何と上三依分校の出身者。
その方の話では、分校も二つ在って、いわゆる廃校じゃの分校(新校舎)と
それ以前の分校(旧・分校)の二つ。
その御老人は旧・分校の出身で、御老人の甥御さん(それなりに歳を召されています)は、
新分校の出身らしい。
旧・分校は、今は道も無くなって上手く場所を説明出来ないと言う事で
新分校の場所を教えてもらいました。

実は、この御老人の家が地主さんで、三依分校に土地を貸していたらしい。
あるいみ、ラッキーな出会いでした。

廃校後、校舎は解体して、畑に転用したらしい。
野岩鉄道の工事の際に、工事事務所に貸していたらしく
その事務所として使っていたプレハブ小屋が残っているらしい。



こちらが、三依分校跡。

      20190625上三依分校01


確かに、畑。

      20190625上三依分校94


      20190625上三依分校05



そして、プレハブ小屋が在る。

      20190625上三依分校02


      20190625上三依分校03

学校跡地の雰囲気は全く無い。
当然、廃校遺構も全く無い。


敷地の端に残る木々は、分校時からこの場所にあったのだろうか?

      20190625上三依分校06


この場所も忘れ去られることは間違い無い。
こうやって無名な廃校跡は、
人々の記憶の中から忘れ去られていくんだろうなぁ.......................。



2019/08/23 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............横川小学校(2019年6月25日)(栃木県日光市) 

6月25日       

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

その2日目。
南会津町を駆け巡り、当初の予定は無事消化。
福島県から栃木県へと抜けて帰途に着きます。

ただ、そのまま帰っても能が無いので
栃木県内でも何ヶ所か立ち寄って帰ります。

南会津町の旧舘岩村域から国道352号で田島町域に向かい
国道121号に合流したら、そのまま南下。
県境の山王峠を越えて、栃木県へと向かいます。

県境になる山王トンネルを抜けると、栃木県日光市。
平成の大合併前は、藤原町でした。

国道121号線沿いに在った、旧・藤原町立 横川小学校 に立ち寄ってみました。


と、言っても横川小学校の情報も乏しい。
ただ、三依小学校の沿革に度々登場していたので
その沿革を知る事が出来ました。


明治11年 三依小学校の横川分校として設立される。
明治26年     三依村立三依尋常小学校横川分校となる。
大正12年     三依村立三依尋常高等小学校横川分校と改称する。
昭和22年     学制改革により、三依村立三依小学校横川分校と改称する。
昭和26年     三依小学校横川分校が独立し、三依村立横川小学校となる。
昭和30年     三依村が藤原町との合併により、三依村立横川小学校と改称する。
平成2年三依小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



しかしながら、その横川小学校あとの場所が分からない。
仕方がないので、トンネルを出て日光市に入ると右側にある
『横川パーキング』の売店のオバちゃんに訊いて、その場所を教えて貰いました。



こちらが、横川小学校の正門跡。

     20190625横川小学校01

校舎は既に解体されてしまっているので
この正門跡だけじゃ、通り過ぎてしまいます。


こちらが、その敷地。

     20190625横川小学校02



廃校後、校舎は解体されたとは聞いていましたが
何も残っていない更地。

     20190625横川小学校03


その更地を匂い嗅ぎで闊歩する びいすけ 。

     20190625横川小学校04


     20190625横川小学校07


     20190625横川小学校08




敷地の端から端を見渡しても、学校遺構は見当たらない。

     20190625横川小学校05



古タイヤが3本転がっていました。

     20190625横川小学校06

その内の1本がペンキで塗られていたから
ひょっとしたら遊具の一部だったのだろうか?



正門から入ってすぐ左の藪の中。
入った時には気付かなかったけれど、
そこには、校歌の碑が建っていました。

     20190625横川小学校09



そして、校歌の碑の前には、
正門から外された表札が置かれていました。

     20190625横川小学校10

そこには、『栃木県塩谷郡 藤原町立横川小学校』と記されています。


ほとんど、ペンキも掠れてしまい文字が読めない看板。

     20190625横川小学校11

藤原町の看板です。


何とか、校歌の碑と校名の記された表札を見つける事が出来て良かった。
ここが横川小学校跡地だと言う事を改めて認識出来ました。




2019/08/22 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して.............福島・南会津町編② (2019年6月25日)(福島県南会津郡南会津町) 

6月25日

6月24日〜25日に1泊2日で福島県に遊びに行って来ました。

その2日目は、南会津町を巡ります。

南会津町には、現役の赤い丸ポストが3基現存しています。
その内の1基は、旧・田島町域に在り、その姿を確認しています。
残る2基は、旧・舘岩村域と旧・伊南村域に1基づつ残っているようです。

この日、訪れた上郷小学校は、旧・舘岩村。
旧・舘岩村域に現存する丸ポストは、上郷小学校からそんなに遠くは無い。
(それでも距離にしたら4〜5kmは離れていますが...............)

せっかく近くに来ているんだから、ちょっと足を伸ばしちゃえ!!
と言う事で、急遽丸ポスト探し。
向かった先は...............会津高原高杖スキー場 会津アストリアホテル。


スキー場に向かい山道をアクセルを力強く踏み込み
一気に上がって行きます。

程なくして、会津アストリアホテルに到着。

      20190625丸ポスト01


丸ポストは、何処に在るのでしょう?


在りました!

      20190625丸ポスト02


      20190625丸ポスト03



階段脇にひっそりと建つ丸ポスト。

      20190625丸ポスト04



水道ホースが近くに置かれ、
掃除道具置き場の一角になってしまったのか?

      20190625丸ポスト05


      20190625丸ポスト06


ひょっとして、もう使われていない?


大丈夫!
ポストの側面には集荷予定の時刻も記されています。

      20190625丸ポスト07

実は、ここ高杖スキー場。
オープンの年にこのアストリアホテルに泊まってスキー楽しんだ事があります。
その時に勤めていた会社の親睦会のスキーツアーでしたが
こんな遠くに来ていたんですね。

ほとんどホテルの事は記憶の中から消えかけていますが
アストリアホテルの名前だけは、しっかりと覚えていました。




これまでに、

下郷町          1基
南会津町         1基
白河市          2基
猪苗代町①       1基
会津若松市①      2基
猪苗代町②       1基
会津若松市②      3基     
郡山市①         1基


そして、今回の南会津町②としての1基と、
合計 13基の福島県内の丸ポストに出会いました。
南会津町の丸ポストはあと1基。
旧・伊南村域だから、なかなか足を伸ばせないけれど
(アストリアホテルから20kmほど離れている。)
いつか、訪れる機会はあるのだろうか?

福島県内の丸ポスト。
現存するのが76基らしい(郡山市で1基撤去されたから75基?)
あと、どれだけの丸ポストに出会えるのだろう...............






2019/08/22 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit