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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

本日のお泊り@エンゼルフォレスト那須白河 (2019年4月22日〜23日)(福島県岩瀬郡天栄村) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡りました。

我が家の会津でのベースキャンプとなるのが、エンゼルフォレスト那須白河。
( 旧・羽鳥湖高原 レッジーナの森 )

羽鳥湖高原にあり、白河市や会津若松市、下郷町からでも車で1時間と言う距離。
会津に来た時は、こちらでお世話になっています。
裏を返せば、エンゼルフォレストに泊まるから会津に行くと言った感じになります。

今回、平日限定ですが大人1名(夕・朝食付き)7800円と言う
格安の案内をメールで頂きました。
この料金なら利用しない手はない。
と言うことで、今回の会津旅行が決まりました。


猪苗代町、会津若松市と1日掛けて巡ったから
エンゼルフォレストに到着したのは、陽も傾きだした17時。
急いでチェックイン。

      20190422エンゼルフォレスト01



今回も宿泊するのは、ドームコテージ。

      20190422エンゼルフォレスト07


      20190422エンゼルフォレスト08      



部屋番号は248。

      20190422エンゼルフォレスト03



いつものように、持参したベッドカバーを掛けたら
速攻でベッドに飛び乗る びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト04


      20190422エンゼルフォレスト05



夕食は、18時から。
その前にひとっ風呂。
その間は、びいすけ は留守番となります。


お風呂で心地よい汗をかいて、時刻は18時。
さぁ、夕食に出かけましょう。

      20190422エンゼルフォレスト06



夕食は、ドームコテージの目の前にあるレストハウスでバイキング。
ワンちゃん用のご飯も準備されているのも魅力の一つ。

びいすけ もテーブルの下でスタンバイ。

      20190422エンゼルフォレスト09


こちらが、 びいすけ の本日の晩御飯。

      20190422エンゼルフォレスト10



ワンちゃんも食べ放題だから、いっぱい食べなさいね(笑)。

      20190422エンゼルフォレスト11



『待て!』のポーズから『良し!』の合図。

      20190422エンゼルフォレスト12



流石に、一日中動き回ったから、
びいすけ もお腹が空いたみたい。

      20190422エンゼルフォレスト13



夢中で食べてます。

      20190422エンゼルフォレスト14


あっという間に、食べ終えちゃいました。

      20190422エンゼルフォレスト15



とりあえず、 びいすけ もお腹を満たした(?)ようだから
父さんともっちゃの晩御飯の時間です。

      20190422エンゼルフォレスト16


『食べ放題』とくれば、『飲み放題』は付き物。

      20190422エンゼルフォレスト17

オプションで飲み放題を付けて、『乾杯〜ぃ!!』



もっちゃん から、おこぼれを授かる びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト20



「仕方がないなぁ!」とおかわりを持ってきます。

      20190422エンゼルフォレスト21



再び、『待て!』からの『良し!』

      20190422エンゼルフォレスト22



必死に貪りつく びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト23



力(?)いっぱい食べた びいすけ 。
食後の散歩を済ませ、部屋(ドームコテージ)に戻ると
ベッドを占拠。マッタリモードに突入です。

      20190422エンゼルフォレスト24



お腹も満たされて、満足そうな顔。

      20190422エンゼルフォレスト25



ついには、両足を伸ばして『くつろぎモード』に突入。

      20190422エンゼルフォレスト26



犬がこんなポーズするかぁ?(笑)

      20190422エンゼルフォレスト27



そろそろ、びいすけ もお疲れモード。
おネムちゃんタイムが近づいて来たようです。

      20190422エンゼルフォレスト28



ベッドに横たわり、やがて眠りの底に..................

      20190422エンゼルフォレスト29


      20190422エンゼルフォレスト30


      20190422エンゼルフォレスト31

こうして、羽鳥高原の夜は更けていきます..................





明けて、4月23日。

快晴の朝。
朝の散歩が始まります。

朝から元気いっぱいの びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト02



朝の5時過ぎに、オシッコとウンチの散歩は済ましているから
この時間は、朝食前の散歩。
しっかり歩いて、お腹を空かせましょう。

      20190422エンゼルフォレスト32



やっぱり、ランドマークなる池の周りの散歩になりますね。

      20190422エンゼルフォレスト33



芝生の匂いと言うよりも、
芝生に残ったワンちゃんの匂いを必死に嗅ぐ びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト34



やっぱり、気になっちゃうんでしょうね。

      20190422エンゼルフォレスト35



クンクンと匂いを嗅ぎながら、びいすけ の朝散歩は続きます。

      20190422エンゼルフォレスト36


池に流れ込む小川の水を嫌がるかと思ったけれど
小川も軽快に石越えでクリアします。

      20190422エンゼルフォレスト37


魚が飛び跳ねたのか?
池の水面をきにする びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト38



でも、何も無かったかのように、池の畔を闊歩する びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト39


      20190422エンゼルフォレスト40



やっぱり、この池はココのランドマーク。

      20190422エンゼルフォレスト41


画になりますね。

      20190422エンゼルフォレスト42


      20190422エンゼルフォレスト43



今年は、4月中旬に福島でも雪が降ったから
残雪が例年より多いみたいで、背後の山もまだ雪化粧。

      20190422エンゼルフォレスト44


      20190422エンゼルフォレスト45



朝8時。
朝食の時間です。
例のごとく、レストハウスへ移動。
朝食もバイキングスタイル。
ワンちゃん用のご飯も準備されています。


びいすけ は、早くも臨戦態勢。
『早くちょ〜だい!!』と催促顔。

      20190422エンゼルフォレスト46


      
『良し!』の合図で、貪りつく びいすけ 。

      20190422エンゼルフォレスト48


      20190422エンゼルフォレスト49


人間たちも朝食です。
今日も色々と動き回る予定だから
大事な栄養源、朝食はしっかり摂りましょう。

      20190422エンゼルフォレスト50

( 最近は、歳のせいか、和食を好むようになりました。)



フロント前の顔出しパネルの前で記念写真。

      20190422エンゼルフォレスト51
      

      20190422エンゼルフォレスト52


チェックアウト時間は11時のようですが
9時半過ぎにチェックアウト。

さあ、今日も一日楽しみましょう!!



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2019/06/30 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

七日町散歩 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町から会津若松市へと会津方面を巡ります。

会津若松市では、七日町地区を色々と巡りました。

『会津東軍墓地』、『田中稲荷神社』、『神明神社』と御朱印巡り、
そして、丸ポスト探し。
でも、七日町の魅力はコレだけじゃ無さそうです。


駐車場に苦労するかと思ったけど、七日町の町の中心部に
市営のコインパーキングがあって、30分100円と観光地の割にはリーズナブル。

      20190422七日町散歩01

『会津東軍墓地』も七日町観光案内所も市営駐車場のすぐ近くに在りました。



観光案内所もあるぐらいだから、七日町は観光地。

七日町は、若松城下の城郭外北部で下町に属し、
北小路町の北に並ぶ幅4間の通りでした。
江戸時代は会津藩の一部で、
この町名はかつて月々7日に市が開かれていたことによります。

古くから越後街道、米沢街道などに沿っていたため旅籠屋が多く、
江戸時代には旅籠の集積地でした。
明治時代以降は商店街となりましたが、昭和後半に近代化に立ち遅れ衰退します。
平成5年に、この状態から再生しようと有志が調査したところ、
明治時代などの古い建物が大量に確認されました。
これを生かしたまちづくりを進め、現在では会津若松を代表する観光地のひとつとなっています。



確かに町を歩いていても、古い建物が目を惹く。


明治とか大正を感じさせる建物ですね。

      20190422七日町散歩05


      20190422七日町散歩06


      20190422七日町散歩07



許される範囲で歩道も拡張され、インターロックも敷かれ
街並みの景観も変わったようですが、嫌味がない景観。

      20190422七日町散歩02


むしろ、古くからの木造建築が映えたり
古い土蔵造の蔵が独特の雰囲気を醸し出している。

      20190422七日町散歩03


      20190422七日町散歩04




コーラの自販機もご当地仕様。

      20190422七日町散歩08

側面の『会津』って言う文字が泣かせます。


忘れちゃならないのは赤べこ。

      20190422七日町散歩09



お土産屋さんの前に置かれていました。

      20190422七日町散歩10


見た目には、埼玉県の川越市みたいな感じもするから
会津の小江戸って言う感じでしょうか?

会津若松市の七日町周辺。
ぶらっと散策するのも楽しいものです。



2019/06/30 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

神明神社 (2019年4月4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町から会津若松市へと会津方面を巡ります。

会津若松市では、七日町地区を色々と巡ります。
当然、会津の神社の御朱印巡りも忘れません。

会津の神社の御朱印巡りとなります。
田中稲荷神社をあとにして、向かった先は..................神明神社。


神明神社は、会津若松市中町に鎮座する神社です。


神道流槍刀術の祖・飯篠山城守家直の勧請により
応安2年(1369年)に創建されました。
会津領主である葦名氏が深く信仰し、
飯篠家直の六代孫・盛枝を神職として社領を与えたのを皮切りに、
それ以降は、松平家までの歴代の会津領主から深く崇敬された神社です。

慶應2年(1866年)に遷座するものの、
戊辰戦争によってすべてを焼失してしまいます。
その後、明治2年に仮殿を建てて、現在地に遷座しました。
明治4年に.『伊勢宮』から『神明神社』に社号を改称したそうです。


御祭神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)



会津若松市の市街地、それも目抜通りである国道118号線沿いに鎮座する神明神社。
車で訪れるには、近くのコインパーキングのお世話になるのが無難です。


こちらが社号標。

      20190422神明神社01



神社社頭。

      20190422神明神社02



鳥居。

      20190422神明神社03



鳥居の奥には狛犬。

      20190422神明神社04


      20190422神明神社05



こちらは、古い社号標。

      20190422神明神社06

『天照皇大神宮』となっています。




手水舎。

      20190422神明神社07




こちらが拝殿。

      20190422神明神社08



拝殿正面。

      20190422神明神社09


      20190422神明神社10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190422神明神社11



別アングルからの拝殿。

      20190422神明神社12


      20190422神明神社13



そして、こちらが本殿。

      20190422神明神社14



境内社。

      20190422神明神社15


      20190422神明神社16


      20190422神明神社17



神楽殿。

      20190422神明神社18


こちらが社務所。

      20190422神明神社19

残念ながら、この日は神職さんが不在。
御留守のようでした。

御朱印を頂ける神社なのですが、これもまた縁。
タイミングの悪い時もあるモノです。

次回に期待いたしましょう。



2019/06/29 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................田中稲荷神社 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町から会津若松市へと会津方面を巡ります。

会津若松市では、七日町地区を色々と巡ります。
当然、会津の神社の御朱印巡りも忘れません。

会津の神社の御朱印巡り。その第4弾は、田中稲荷神社。


田中稲荷神社は、会津若松市大町に鎮座する神社です。


創建年代は不詳ですが、長久3年(1042年)に
稲荷神社の社殿が建てられたとも伝えられているそうです。

至徳元年(1384年)、会津の領主であった葦名直盛が城を築こうとしていて
何度も城の縄張りを検討するものの、心にかなうものは出来ませんでした。
そのため、葦名直盛はこの田中稲荷神社に祈願すると、夢の中でお告げを受けます。
目覚めてすぐに外を見ると、うっすらと雪が降り積もり、
その上に狐の足跡が残っていました。
葦名直盛は、この足跡をたよりに城の縄張りをおこなったところ、
比類なき名城が出来上がったと言う事です。
これに喜んだ蘆名直盛は、田中稲荷神社を勧請して
城の守護神として祀らせることとしました。
その守護神こそが、現在の鶴ヶ城稲荷神社になります。



御祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。



こちらが、社号標。

      20190422田中稲荷神社01



神社社頭。

      20190422田中稲荷神社02


由緒書き。

      20190422田中稲荷神社03



鳥居。

      20190422田中稲荷神社04



鳥居に掲げられた神額。

      20190422田中稲荷神社05


手水舎。

      20190422田中稲荷神社06



こちらが拝殿。

      20190422田中稲荷神社07

全国的にも珍しい土蔵造の拝殿です。



拝殿正面。

      20190422田中稲荷神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190422田中稲荷神社09



別アングルからの拝殿。

      20190422田中稲荷神社10



そして、こちらが本殿。

      20190422田中稲荷神社11



拝殿前の神使いの狐。

      20190422田中稲荷神社12


      20190422田中稲荷神社13



境内社。

      20190422田中稲荷神社14


敷地はそんなに広くはなく、会津若松市の市街地の神社。
でも、境内には祠が多い。

      20190422田中稲荷神社15


      20190422田中稲荷神社16


      20190422田中稲荷神社17


      20190422田中稲荷神社18



こちらが、社務所。

      20190422田中稲荷神社19

御朱印は、こちらで拝受出来ます。


そして、頂いた御朱印がこちら。

      20190422田中稲荷神社20

『土蔵造御社』の印。
押さえ所を心得ているようです。




2019/06/29 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し..................《 福島・会津若松市編②》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。
猪苗代町から移動し、会津若松市にやって来ました。


会津若松市には、7基の丸ポストが現存しています。
そして、その中の2基は昨年の秋に確認しています。
( その時の記事は こちら

『会津東軍墓地』で訪れた会津若松市の七日町地区。
実は、会津若松市で現存する丸ポスト7基の内、
3基がこの七日町地区に在ると言う事なので
七日町地区の散策ついでに、丸ポストを探してみました。


最初の1基は、国道252号線沿い。
会津東軍墓地からも100mほどの距離。
『一福・蔵茶廊』前の丸ポスト。

      20190422丸ポスト会津若松01


      20190422丸ポスト会津若松022


      20190422丸ポスト会津若松03


      20190422丸ポスト会津若松05



      20190422丸ポスト会津若松04




2基目の丸ポストは、やはり七日町。
霧島酒店前の丸ポスト。

      20190422丸ポスト会津若松06


      20190422丸ポスト会津若松07


      20190422丸ポスト会津若松08


      20190422丸ポスト会津若松09


      20190422丸ポスト会津若松10


 



3基目は、七日町からちょっと離れているけれど徒歩圏内。
大町1丁目の『すゞ信大町店』横の丸ポスト。

      20190422丸ポスト会津若松12


      20190422丸ポスト会津若松13


      20190422丸ポスト会津若松14


      20190422丸ポスト会津若松15


      20190422丸ポスト会津若松16


      20190422丸ポスト会津若松17


とりあえず、今回の会津若松市の丸ポストは、
この3基となります。



これまでに、

下郷町          1基
南会津町         1基
白河市          2基
猪苗代町①       1基
会津若松市①      2基
猪苗代町②       1基

そして、今回の会津若松市②としての3基と、
合計 11基の丸ポストに出会いました。

福島県内には、76基の丸ポストが現存しているようです。
全てを制覇するのは至難の技のようですが
少しづつ丸ポストに出会って行けたら良いですね。






2019/06/28 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................東軍墓地 《阿弥陀寺》 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡りました。
猪苗代町での予定を済ませ、会津若松市へと向かいます。

実は、昨年の秋に会津若松市に来た時に
白虎隊で有名な飯盛山で出会った人に、
会津若松市の七日町にある観光案内所でも
書置き版になるけれど、御朱印が頂けると言う話を聞きました。
その時は、予定が詰まっていたので、その御朱印は諦めましたが
今回、再び会津の地に来ることが出来たため、御朱印拝受の旅となります。


先ずは、先に参拝いたしましょう。

      20190422東軍墓地01


会津若松市七日町にある、阿弥陀寺。

      20190422東軍墓地02


この敷地内にある、『会津東軍墓地』。

      20190422東軍墓地03


会津東軍墓地.........?

と思う人もいるでしょう。


会津の歴史を語る上で、悲しい結末ではあれけれど
避けては通れないのが戊辰戦争。
旧幕府方の会津藩士は東軍となり、
新政府軍である薩摩・長州・土佐等の連合が西軍として戦いました。

会津東軍墓地は、東軍戦死者1281体の埋葬地でもあります。

激戦地であった会津若松には、1281体の遺体がありました。
9月22日の戊辰戦争終結後、西軍の命で放置され、
触るのも許されませんでした。
(西軍戦死者は戦争中に陣地である融通寺に葬られていました。)
会津の人々は烏につつかれたり、野犬に食べられたり、
腐敗していく戦死者を指をくわえて見ているしかなかったそうです。

幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのが、翌年の明治2年2月。
埋葬地は長命寺と阿弥陀寺に限られて許されましたが
あくまでも賊軍としての埋葬で『戦死墓』の文字以外は許されなかったそうです。


この話を聞いて、胸が詰まってしまいました。

      20190422東軍墓地04

東軍戦死者の魂が安らかに眠るようにに改めて祈ります。




白虎隊の悲話は知る人も多いですが、
この東軍墓地については余り知れ渡っていないようですね。


冒頭でも述べましたが、会津東軍墓地があるのは阿弥陀寺。

      20190422東軍墓地05


阿弥陀寺の梵鐘。

      20190422東軍墓地06



境内には、石碑、石仏が並びます。

      20190422東軍墓地07




こちらが、新選組三番隊組長の斎藤一(藤田五郎)の墓。

      20190422東軍墓地09


      20190422東軍墓地08

京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと、
京都の治安維持のために発足した新撰組。
会津藩とは切っても切れぬ関係から、戊辰戦争にも参加しています。
その新撰組の土方歳三副隊長が怪我をしていた時に
新撰組の指揮を執ったのが斎藤一です。
会津も侵攻され、敗戦の色が濃くなると、
新選組は北上することとなりますが、
斎藤一は「会津に受けた恩を返す」として新選組を離れ、
そのまま会津にとどまります。

敗戦後に藤田五郎と改名し、やがて東京で警察官となりますが
本人の遺言により没後、『会津東軍墓地』のある阿弥陀寺に埋葬されたそうです。





鶴ヶ城は新政府軍によって解体されてしまいましたが、
その一部がここ阿弥陀寺に残っています。

それが、こちら。

      20190422東軍墓地11

鶴ヶ城の小天守に当たる『御三階』という部分になります。



こちらは、その説明板。

      20190422東軍墓地10

昭和30年まで阿弥陀寺の本堂として使われていたそうです。


阿弥陀寺は、以前は御朱印を拝受出来ましたが
現在は、御朱印対応はなされていないそうです。      

その代わりに、飯盛山の白虎隊の墓守の末裔にあたる書道家が書かれた
御朱印(書置きの印刷版)が七日町観光案内所にて拝受出来ます。

通りを挟んだ向かいにある七日町観光案内所。

      20190422東軍墓地12



こちらが、会津東軍墓地の御朱印。

      20190422東軍墓地13

昨年秋から、ずっと気になっていた御朱印。
やっと拝受出来ました。




2019/06/28 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し..................《 福島・猪苗代町編②》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。

猪苗代町には、2基の現役の丸ポストが存在します。
その内の1基は、昨年になりますが偶然にも猪苗代町を車で通過中に
郵便局前に在るのを通りすがりに見つけちゃいました。
( その時の記事は こちら

残すはあと1基。
せっかく猪苗代町に来ているんだから
ついでに探しちゃいましょう!

と言う事で、残る1基。
猪苗代リゾートスキー場
グランドサンピア猪苗代リゾートホテル前の丸ポスト。

      20190422丸ポスト猪苗代01


      20190422丸ポスト猪苗代02


      20190422丸ポスト猪苗代03


      20190422丸ポスト猪苗代04


      20190422丸ポスト猪苗代05


      20190422丸ポスト猪苗代06


これで、猪苗代町の丸ポスト2基制覇。


これまでに、

下郷町1基
南会津町 1基
白河市 2基
猪苗代町1基
会津若松市2基

そして、今回の猪苗代町1基と、
合計 8基の丸ポストに出会いました。

福島県内には、76基の丸ポストが現存しているようです。
全てを制覇するのは至難の技のようですが
少しづつ丸ポストに出会って行けたら良いですね。




2019/06/27 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

いなわしろ新八景..................《 土津神社 》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。

この日、参拝に訪れた土津神社。
初代会津藩主であり、会津松平家の始祖である保科正之公を祀った神社ですが
『いなわしろ新八景』の一つでもある。


『いなわしろ新八景』は、猪苗代の四季折々の自然、
心やすらぐ里山の風景、歴史ある街並みなど、
魅力あるスポットを選び、平成23年に公募により選定されました。
その選定地には碑が建てられています。

その選定地は

天神浜
観音寺川
達沢渓谷
中津川渓谷(秋元湖を含む)
土津神社
天鏡台(町営牧場を含む)
亀ケ城跡
天鏡閣

の8ヶ所となっています。

御朱印拝受で訪れた土津神社ですが、自称、八景好きとなれば
知らん顔は出来ません。

と言う事で、『いなわしろ新八景』《土津神社》です。

簡単に土津神社を紹介すると..................
会津藩祖・保科正之を祀った神社です。
境内にある亀石に載った石碑は日本最大のもので
高さ7.3m、重量30tもあるそうです。




神社社頭に並ぶ説明板。

      20190422猪苗代新八景 土津神社01


      20190422猪苗代新八景 土津神社02



社号標。

      20190422猪苗代新八景 土津神社03



白い大鳥居。

      20190422猪苗代新八景 土津神社04



そして、参道口には、『いなわしろ新八景』の碑。

      20190422猪苗代新八景 土津神社05



こう言った碑があるのも嬉しいモノ。

      20190422猪苗代新八景 土津神社06

八景巡りの副産物ですが、ある意味この碑が目的でもある。



こちらは、土津霊神之碑。

      20190422猪苗代新八景 土津神社07

亀石に乗った石碑は、高さ7.3m、重量30トン。
日本最大の規模を誇るそうです。




さあ、拝殿でお詣りいたしましょう。

      20190422猪苗代新八景 土津神社08


      20190422猪苗代新八景 土津神社09



こちらが、拝殿。

      20190422猪苗代新八景 土津神社10


桜の季節ではありますが、桜にはまたちょっと早い。
でも、土津神社の真骨頂は秋の紅葉。
他の方のブログ等を拝見すると、やはり紅葉の時期の記事が多い。


いつか機会があったら、秋の時期にも訪れたいモノです。




2019/06/27 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................土津神社 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。


今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。


磐椅神社をあとにして、向かった先は..................土津神社。


土津神社は、猪苗代町見祢山に鎮座する神社です。

土津神社は、延宝3年(1675年)磐梯山麓見祢山の地に葬られた
会津藩初代藩主・保科正之の墓所に造営されました。
古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの
絢爛豪華な建物だったと言われています。

寛文12年(1673年)に正之が死去すると、
遺言通り見祢山の麓・磐椅神社の西方に葬られました。
正之は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって
永遠に神に奉仕したいと望んでいたという事です。

しかし、慶応4年(1868年)の戊辰戦争時に
母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、
猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、
土津神社の社殿は全焼してしまいました。
その後、御神体は一時、斗南(青森県)に遷されましたが
明治7年に土津神社は再建され御神体も戻り、現在に至っています。


御神体は、保科正之公。


御神体である『保科正之って? 』と思う人もいるでしょう。

徳川第2代将軍徳川秀忠の四男(庶子)になります。
すなわち、徳川家康の孫にあたります。
信濃高遠藩主、出羽山形藩主を経て、
陸奥会津藩初代藩主となり、会津松平家の始祖となります。
第3代将軍・徳川家光の異母弟になり、
第3代将軍・家光と第4代将軍・家綱を輔佐し、幕閣に重きをなしました。
また領民の崇拝も高く、屈指の名君との呼び声も高かったそうです。



こちらが、社号標。

      20190422土津神社01



社頭には、案内板が建ち並びます。


説明板。

      20190422土津神社02


周辺案内図。

      20190422土津神社03


こちらも説明板。

      20190422土津神社04



神社社頭。

      20190422土津神社05



鳥居。
   
      20190422土津神社06



では、参道を進んでお詣りいたしましょう。

      20190422土津神社08



参道の由緒書き。

      20190422土津神社07


     
手水舎。

      20190422土津神社09



この石段の先が拝殿になります。

      20190422土津神社10



拝殿。

      20190422土津神社11


      20190422土津神社12



拝殿正面。

      20190422土津神社13


      20190422土津神社14



別アングルからの拝殿。

      20190422土津神社15


      20190422土津神社16


そして、こちらが本殿。

      20190422土津神社17



拝殿正面向かって左側。
神楽殿のようです。

      20190422土津神社18




境内には、土津霊神之碑。

      20190422土津神社19

亀石に乗った石碑は、高さ7.3m、重量30トンで日本最大のモノになるそうです。


その説明板。

      20190422土津神社20


      20190422土津神社21



境内社。

本殿右側に並ぶ霊社。

      20190422土津神社22


      20190422土津神社23


      20190422土津神社24


      20190422土津神社25



鳥居脇の境内社。

      20190422土津神社26


      20190422土津神社27





こちらにも神楽殿。

      20190422土津神社28



こちらは、御輿庫のようです。

      20190422土津神社29



社務所。

      20190422土津神社30



社務所の一角は授与所。

      20190422土津神社31

御朱印は、こちらで拝受出来ます。



そして、こちらがその御朱印。

      20190422土津神社32

「丸に葵紋」、徳川本家とは、少しデザインの違う会津松平家の家紋。
(この家紋を見て、会津松平家と分かる人は歴史の通ですよ。)

その家紋が一際目立つ、土津神社の御朱印です。



2019/06/26 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................磐椅神社 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。

猪苗代城址(亀ヶ城跡)をあとにして、向かった先は..................磐椅神社。


磐椅神社は、猪苗代町西峰に鎮座する神社です。


創建は古く社伝によれば、応神天皇のとき、
武内宿禰が磐椅山の山頂に祭神を祀ったのが始まりとされ、
その後、聖武天皇のときに、現在地に遷座したとされています。

式内社として格式が高い神社で、郡内一の大社であったと伝わります。
社号は、磐梯山の古名「磐椅山(いわはしやま)」に由来し、
神体山崇拝の歴史を現在に伝えています。
境内には、村上天皇の時代の勅旨が参拝の折に
京都から移植したと伝わる大鹿桜(会津五桜の一つ)があります。
また、近くに鎮座する土津神社は末社とされています。


御祭神は、大山衹神(おおやまずみのかみ)
埴山姫命(はにやまひめのみこと)




磐椅神社の説明板。

      20190422磐椅神社01


由緒書き。

      20190422磐椅神社02



神社社頭には、大きな杉の木。
『鳥居杉』と言うらしい。

      20190422磐椅神社03



こちらが鳥居杉。

      20190422磐椅神社28
      20190422磐椅神社27

鳥居杉と言う割には1本しか無い。

元久2年(1205年)、猪苗代城主三浦経連から社領の寄進を受け、
その2年後にこの地に遷座した磐椅神社。
その際に鳥居の杉として植えられたのがこの大杉だそうです。
左右一対で2本杉の木でしたが、落雷にあったうえ、
昭和33年の台風により、地上15mで折れてしまいました。
さらに昭和61年に完全に倒壊してしまい、
今は1本が残るのみとなってしまったそうです。



その鳥居杉の幹には、こんな看板が掲げられています。

      20190422磐椅神社07



何と、杉の木から桜の枝が..................

      20190422磐椅神社08

まさに、縁結びの桜。
パワースポットと言われる証しです。



境内には、まだ桜の花は咲いていませんが
桜祭りの幟が立てられています。

      20190422磐椅神社09


      20190422磐椅神社10



こちらが鳥居。

      20190422磐椅神社11



どちらかと言えば、少し小振りな朱色の鳥居。

      20190422磐椅神社12



手水舎。

      20190422磐椅神社13



こちらが拝殿。

      20190422磐椅神社14



拝殿正面。

      20190422磐椅神社15


向拝の彫刻。

      20190422磐椅神社16


      20190422磐椅神社17



別アングルからの拝殿。

      20190422磐椅神社18


そして、こちらが本殿。

      20190422磐椅神社19


境内社。

      20190422磐椅神社20


      20190422磐椅神社21


      20190422磐椅神社22


      20190422磐椅神社23



こちらが、大鹿桜。
まだまだ、開花には早いようです。

      20190422磐椅神社24

別名『翁桜』とも称され、会津の五桜の一つに数えられる名木で、
花の色が白色から、次第にに鹿の毛の色に変化することから、
この名前がつけられたとされています。
     
社伝によれば、今より約千年前の天暦年中(947年~957年)に
村上天皇の勅使が参拝の時に京都から持ってきて植えたとされています。
現在はその子孫であり、樹の種類はサトザクラの一品種との事です。


残念ながら、まだ蕾。
まだまだ開花には早いようです。




こちらが、社務所。

      20190422磐椅神社25

この日は、当初不在でしたが、連絡を取ってみたら
13時に社務所に来られると言う事なので
改めて13時に訪問して、御朱印を拝受する事が出来ました。



こちらが、磐椅神社の御朱印。

      20190422磐椅神社26

気軽に訪れる事が出来る訳じゃないから
宮司さんに会う事も出来、御朱印も拝受出来た事は嬉しい事。

連絡が取れなければ、諦める所でしたが
やはり、これも縁なのでしょうね。


      
2019/06/26 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

いなわしろ新八景..................《 亀ケ城跡 》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。

城郭好きな私にとって、訪れた町に城址が在れば
ついつい足を向けてしまいます。
猪苗代町で訪れた猪苗代城(址)ですが、
別名を亀ヶ城(跡)と呼びます。

その亀ヶ城跡が、『いなわしろ新八景』に選定されていたりします。


『いなわしろ新八景』は、猪苗代の四季折々の自然、
心やすらぐ里山の風景、歴史ある街並みなど、
魅力あるスポットを選び、平成23年に公募により選定されました。
その選定地には碑が建てられています。

その選定地は

天神浜
観音寺川
達沢渓谷
中津川渓谷(秋元湖を含む)
土津神社
天鏡台(町営牧場を含む)
亀ケ城跡
天鏡閣

の8ヶ所となっています。

城郭好きですが、八景好きでもあります。
やっぱり、八景としても取り上げなくっちゃ片手落ち。

と言うわけで..................『いなわしろ新八景』 亀ヶ城跡 です。


亀ヶ城跡(猪苗代城址)は、現在 『亀ヶ城公園』として整備され
桜の名所としても、猪苗代町民の憩いの場所となっているようです。

      20190422亀ヶ城跡01


磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、
中世この地を支配した猪苗代氏の代々の居城でした。

会津の城と言えば会津若松の鶴ヶ城が有名ですが
その鶴ヶ城の支城として会津の東の要所と位置付けられ
歴代の鶴ヶ城主もこの亀ヶ城に城代を置いていました。


猪苗代町の文化財としても指定されています。

      20190422亀ヶ城跡02



そして、『いなわしろ新八景』の立派な碑も建てられています。

      20190422亀ヶ城跡03



こう言う碑が在ると、 びいすけ を連れて
一緒に探しまくりたくなってしまう悲しい性(笑)。

      20190422亀ヶ城跡04


大手枡形。

      20190422亀ヶ城跡05

ここから登城路が始まります。


二郭への登城路。

      20190422亀ヶ城跡06

正面は突き当たり。
主郭(本丸)の城壁になります。



二郭虎口。

      20190422亀ヶ城跡08

こちらに門が建てられていたそうです。


二郭から主郭(本丸)へと進みます。

      20190422亀ヶ城跡09


本丸土塁の上にて。

      20190422亀ヶ城跡07



びいすけ の背後に見えるのは磐梯山。

      20190422亀ヶ城跡10


      20190422亀ヶ城跡11


      20190422亀ヶ城跡12



本丸には多くの桜の木が植えられていて
花見の名所になっているようです。

しかし、残念ながらまだまだ蕾。

      20190422亀ヶ城跡13


花見の季節にはまだ早い。

      20190422亀ヶ城跡14

GW辺りが見頃のようです。


猪苗代は、春にはちょっとだけ早かったようです。



2019/06/25 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

猪苗代城址 (福島県摩耶郡猪苗代町)(2019年4月22日) 

4月22日

この日は、1泊2日で福島県に出かけました。
猪苗代湖のある猪苗代町を中心に会津方面への旅行です。

猪苗代町のマンホールカードを手に入れた後に向かった先は.................猪苗代城址。



猪苗代城は、別名を亀ヶ城とも呼ぶそうです。
奥州合戦によって会津を与えられた相模国の御家人佐原義連の孫・経連が
鎌倉時代初期に築城したとされていますが、どうも真偽は不明のようです。
しかしながら、経連の子孫は代々猪苗代氏を名乗り、地頭として一帯を治めていたため、
猪苗代氏が築城されたのは間違いないとされています。

小高い丘に築かれた平山城で南北250メートル、東西200メートル、
比高差30メートルの規模をもつ中世から近世にかけて長い歴史を持つ城郭でした。

会津盆地を治めていた蘆名氏も佐原義連の血統で、猪苗代氏とは同族であり、
本家筋にあたる蘆名氏に対しては、反逆と従属を何度も繰り返し
天正17年(1589年)の摺上原の戦いの直前に、当時の当主・猪苗代盛国が伊達政宗に内応し、
蘆名氏を滅亡に追い込むこととなりました。
豊臣秀吉の奥州仕置によって伊達氏が会津を離れると、盛国も猪苗代を離れ、
約400年にも及ぶ猪苗代氏の支配が終焉しました。


その後、会津領主は蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行、蒲生忠郷、加藤嘉明、加藤明成と続きますが、
猪苗代城は会津領の重要拠点として、江戸幕府の一国一城令発布の際もその例外として存続が認められ、
それぞれの家中の有力家臣が城代として差し置かれていました。
寛永20年(1643年)に保科正之が会津藩主となると、猪苗代城には城代が置かれ、
また、正之の死後はその墓所(正之は城の北、土津神社に葬られた)の守護という重要な役目も担いました。

しかし、幕末を迎え、慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には、母成峠の戦いで西軍(薩摩藩・長州藩など)が
東軍(会津藩・新撰組など)を破って、会津領へ侵入すると、往時の城代・高橋権大夫は城と土津神社を焼き払い、
鶴ヶ城へ撤退し、猪苗代城は廃城となりました。



こちらが、猪苗代城の縄張り図。

      猪苗代縄張り                    

         ( 余湖さんのHPよりお借りいたしました )



城址入口(登城口)付近には、数枚の案内板が建ち並ぶ。

その中の1枚。

      20190422猪苗代城址01


こちらも、その1枚。

      20190422猪苗代城址02


登城口脇の井戸跡。

      20190422猪苗代城址03


こちらが登城路。
石段を元気良く上がっていく びいすけ 。

      20190422猪苗代城址04



この辺りから、猪苗代城の見所である虎口。
両側に石垣のある石段。
その先はT字になっていて、突き当たりは主郭(本丸)の城壁。

      20190422猪苗代城址05


その右側。

      20190422猪苗代城址06


こちらは左側。

      20190422猪苗代城址07


左側に進路を取り、進みます。
この先は、大手側の二郭虎口。

      20190422猪苗代城址08


こちらが二郭。

      20190422猪苗代城址09


土塁もしっかりと確認出来ます。

      20190422猪苗代城址11


      20190422猪苗代城址12



こちらも二郭の虎口。
三郭から胴丸側への登城路の虎口。
すなわち、三郭からの東側の登城路。

      20190422猪苗代城址10
 
登城路にしては、狭い道だから往時にはなかったのかもしれない。
亀ヶ城公園として整備された時に作られた道かもしれません。 


こちらも二郭虎口。

      20190422猪苗代城址19

石垣が見事。


この場所に門が建ち、櫓も建てられていたそうです。

      20190422猪苗代城址18



こちらが、主郭(本丸)。

      20190422猪苗代城址13


      20190422猪苗代城址17





本丸の背後には磐梯山も見える。

      20190422猪苗代城址14


本丸広場には桜の木が植えられ、花見の名所となっているようです。
残念ながら、この日はまだ蕾の状態。
GW直前の4月27日辺りが満開と言う事らしいが
今年は10連休。
きっと多くの人が桜の花を目当てに訪れる事でしょう。



本丸土塁の上から眺める城塁。

      20190422猪苗代城址15


      20190422猪苗代城址16


かなりの防御力を持ったしろだった筈なのだが
戊辰戦争における新政府軍の力の前には、
城代である高橋権大夫も城を焼き払って
会津若松の鶴ヶ城に逃げる事しか出来なかったのだろう。



こちらは、三郭。

      20190422猪苗代城址20


三郭もぐるっと郭を土塁が巡っている。

      20190422猪苗代城址22



眼下には立派な大堀切。

      20190422猪苗代城址21

この大堀切も猪苗代城の見所の一つだと言われています。


    


会津藩の鶴ヶ城の支城として存在した猪苗代城。
廃城後は、しばらくそのままの状態で放置され荒れ果てていたそうです。

こちらも、悲しい会津の歴史を知る城郭だったようですね。


かなり急ぎ足で、巡っちゃったから、見落とした見所な場所もあるようです。
本来は、じっくり時間をかけて見るべき城郭のようですね。
鶴ヶ城とセットで丸一日かけて見るべき城郭なのかもしれない..................。


2019/06/25 Tue. 00:03 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう.........《 猪苗代町》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日で福島県に出かけました。
猪苗代湖のある猪苗代町を中心に会津方面への旅行です。

猪苗代町では、マンホールカード第8弾として
昨年の8月からマンホールカードを発行しています。
せっかく猪苗代町に来たんだから、マンホールカードをてにいれましょう!

という事でやって来たのは、猪苗代町役場。

2
町役場2階にある上下水道課。
こちらが、猪苗代町のマンホールカードの配布場所になります。

      20190422マンホールカード猪苗代01



アンケート用紙にちゃっちゃっと記入をして
マンホールカード、ゲットです。

      20190422マンホールカード猪苗代02


      20190422マンホールカード猪苗代03



どうやら、猪苗代町のマンホールカードのモデルになったのはカラーマンホールではないようですが
マンホールカードの発行に合わせて用意したものでしょうか?

設置されているのは、町役場から数百離れた建設中の道路の歩道に在りました。

      20190422マンホールカード猪苗代04



こちらが、そのマンホール。

      20190422マンホールカード猪苗代05



マンホールとマンホールカード。

      20190422マンホールカード猪苗代07



マンホールと びいすけ 。

      20190422マンホールカード猪苗代08



そして、コラボレーション。

      20190422マンホールカード猪苗代06




こちらが、猪苗代町のマンホールカード。

      20190422マンホールカード猪苗代09


      20190422マンホールカード猪苗代10


猪苗代町のマンホール蓋は、町を代表する4つでデザインされています。
会津富士とも呼ばれる秀峰「磐梯山」
中央分水界の東西に水を注ぎ下流域を潤す「猪苗代湖」
毎年、猪苗代湖畔で越冬するために飛来する「白鳥」
そして、町の名産品である米を表す「稲穂」の4つです。

このマンホール蓋は1994年に設置され始めているようですが
なぜ、現物の設置場所の紹介で、町役場から1km近く離れた場所を紹介するんだろう?

不思議です....................。






2019/06/24 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅に立ち寄ろう..................《 道の駅 猪苗代 》 (2019年4月4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日


この日は、1泊2日で福島県に出かけました。
猪苗代湖のある猪苗代町を中心に会津方面への旅行です。

車で旅行をすると、トイレ休憩やちょっとした休憩で
道の駅を利用する事があります。

数年前から可能な限り、旅先で道の駅に立ち寄って
『道の駅の切符』を購入したり、道の駅のスタンプを押して
旅の記念にしています。

という事で、今回立ち寄ったのは...............道の駅 猪苗代

      20190422道の駅猪苗代01


  

道の駅の看板と会津磐梯山。

      20190422道の駅猪苗代03


びいすけ も一緒にパチリ☆。

      20190422道の駅猪苗代02



『道の駅 猪苗代』は、磐越自動車道の猪苗代磐梯高原ICのすぐ近くにあり
また、国道115号線沿いに在り、国道49号線もすぐ近くを走ると言う立地。
まさに猪苗代湖観光の拠点とも言える場所に在ります。

実は、昨年秋の会津旅行の時にも立ち寄ったのですが、
朝8時半に着いてしまい(営業は9時から)、トイレ休憩だけで終わってしまいました。


今年は、到着時間も計算に入れ、立ち寄りました。
      
      20190422道の駅猪苗代04



駐車場も広く、普通車であれば、160台は停められるそうです。

      20190422道の駅猪苗代05



他県ナンバーも多く、やっぱり猪苗代観光の拠点になるんですね。

      20190422道の駅猪苗代06



建物外観。

      20190422道の駅猪苗代07


      20190422道の駅猪苗代08



平成28年5月にオープンしたようで、まだ3年しか経っていないから
とにかく建物は綺麗。

      20190422道の駅猪苗代09


ちなみに、2018年の道の駅人気ランキングでは全国4位。
東北・関東エリアでは断トツの1番人気の道の駅らしいです。


施設も充実しているようです。


こちらは、旅の情報源である情報エリア。

      20190422道の駅猪苗代10


      20190422道の駅猪苗代11


道の駅のスタンプは情報エリアに準備されています。

      20190422道の駅猪苗代12



こちらは、フードコート。
軽食エリアになるようです。

      20190422道の駅猪苗代13



レストランもフードコートとは別にありました。

      20190422道の駅猪苗代14




道の駅といったら、やっぱり産直の売店。
こちらは野菜コーナー。

      20190422道の駅猪苗代15


でも産直野菜は少なく、どちらかと言うと地域特産品、
いわゆる『お土産』といった商品が多いような気がする。

      20190422道の駅猪苗代16


      20190422道の駅猪苗代17

道の駅の切符は、こちらの売店で購入できます。


こちらが、道の駅の切符。

      20190422道の駅猪苗代19


      20190422道の駅猪苗代20

最近は、道の駅の切符の人気が良くないのか?
ダムカードのようなカードも販売されている。
でも、切符で集め始めちゃったから、今更カードと言われてねぇ。



こちらが、道の駅のスタンプ。

      20190422道の駅猪苗代21


やっぱり、こう来ましたか.......................
確かに、猪苗代って言えば、野口英世だもんなぁ。






2019/06/24 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

いなわしろ新八景..................《 天神浜 》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県へ出かけました。
福島県と言っても広い。
猪苗代湖のある猪苗代町を中心に会津方面へと向かいます。


猪苗代湖の湖畔に鎮座する小平潟天満宮。

      20190422天神浜01

この小平潟天満宮が鎮座する辺りを天神様の浜辺になるから
『天神浜』と称しているようです。


猪苗代町には、平成23年に公募により、
『いなわしろ新八景』なるものが制定されました。

実は、この『天神浜』も『いなわしろ新八景』の一つ。


『いなわしろ新八景』は、猪苗代の四季折々の自然、
心やすらぐ里山の風景、歴史ある街並みなど、
魅力あるスポットを選び、その選定地には碑が建てられています。

その選定地は

天神浜
観音寺川
達沢渓谷
中津川渓谷(秋元湖を含む)
土津神社
天鏡台(町営牧場を含む)
亀ケ城跡
天鏡閣

の8ヶ所となっています。



こちらが、『天神浜』の碑。

      20190422天神浜02


      20190422天神浜03


天神浜の辺りは『小平潟』と称し、多くの史跡が在るようです。

      20190422天神浜04



興味を惹きますが、先ずは猪苗代湖の湖畔へと向かいましょう。

      20190422天神浜05


猪苗代湖は、淡水湖としては日本第3位の大きさであり、
不凍湖で、冬は白鳥の飛来地ともなることでも有名です。

志田浜、長浜、天神浜という猪苗代湖三大湖水浴場がありますが
その中でも天神浜は最も美しい浜が広がっているとされ、
磐梯山を眺望する絶景の地にもなっています。





無料駐車場の前の湖畔の浜辺はオートキャンプ場。

      20190422天神浜06

実は、もう20年以上前になりますが
この天神浜のオートキャンプ場に来た事があります。
風が強くて火起こしに苦労した事を思い出しました。




浜辺を小気味良く闊歩する びいすけ 。

      20190422天神浜07



こちらが、猪苗代湖畔の天神浜。

      20190422天神浜10

そのバックに聳えるのは、会津磐梯山。


びいすけ と一緒にパチリ☆。

      20190422天神浜11

きっと、この風景も『いなわしろ新八景』に選ばれた理由の一つでもあるんだろうなぁ。


厳冬期に天神浜から南側の林を抜け、長瀬川の河口に向かうと
自然が作る氷の芸術『しぶき氷』が見られるそうです。
これは、湖水が強い西風にあおられて、岸辺の樹木に氷着したもので
国内ではきわめて珍しい現象だといわれているそうです。
『樹氷』に勝るとも劣らない美しさで見飽きることがないそうです。

残念ながら、今はその時期じゃないし、
極寒の時期にこの辺りに来るとは言う選択肢はありません(笑)。

湖面や渚では流氷や「御神渡り」に似た氷の隆起など、
さまざまな氷の変化を見ることができると言う事です。


厳寒期には、間違っても来ることはないから
この春の時期の猪苗代湖の天神浜を堪能する びいすけ家。

      20190422天神浜12


      20190422天神浜13


      20190422天神浜14


      20190422天神浜15



広い猪苗代湖。
遮るものが眼前にないから、湖からの風は、やはり強い。
春になったと言っても、やはり肌寒く感じます。
そろそろ撤収いたしましょう。

      20190422天神浜16



松林を抜けて、駐車場へ戻ります。

      20190422天神浜17



先程も少し触れましたが、天神浜周辺には史跡も多い。


天神浜のちょっと先、
小平潟八幡宮の大鳥居の脇には、蘆名兼載(猪苗代兼載)碑の説明板。

      20190422天神浜18


猪苗代氏は、猪苗代経連が鎌倉時代中期に陸奥国耶麻郡猪苗代を本貫とし、
猪苗代氏を称したのを始まりとされています。

猪苗代兼載は、猪苗代城主の家に生れましたが、早い時期に出家し、
19歳の時には「河越千句」に参加し連歌師心敬の教えを受け、
連歌界での活躍は目覚しく、38歳で北野連歌会所奉行及び師匠となっています。
50歳のとき関東に下り、各地を巡り、下総国古河で没したそうです。



こんな標柱も建てられています。

      20190422天神浜19

どうやら記念碑は、没後五百年のモノのようです。



こちらがその記念碑。

      20190422天神浜20


 
こちらにも説明板。

     20190422天神浜21



どうやら、こちらが猪苗代兼載碑。

      20190422天神浜22



そして、こちらが猪苗代兼載没後五百年碑。

      20190422天神浜23


そう言えば、小平潟天満宮の社頭に、
猪苗代兼載没後450年碑があったのを思い出しました。

猪苗代兼載って地元の人に慕われていたんだなぁ........................。






2019/06/23 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................小平潟天満宮 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。

山潟小学校をあとにして、向かった先は..................小平潟天満宮。


小平潟天満宮は猪苗代町中小松西浜甲に鎮座する神社です。

天暦2年(948年)、近江国比良神社の神主・神良種が
摂津国須磨で見つけた菅原道真の神像を持って旅をし、
猪苗代湖畔に辿り着きました。
良種はその地で休み、再び歩き出そうとして立ち上がりますが、
道真の神像が急に重くなり、動く事が出来なくなってしまいます。

よく見ると、その地は須磨とよく似た景色であり、
良種は、この地を神像の鎮座の地とすることにし、
耶麻郡大領上毛野陸奥臣に申し出て、この地に天満宮を勧請しました。
このとき、摂津国平潟にちなんで、
この地の地名を『小平潟』に改めたとされています。

その後、天神信仰が盛んになるにつれて、
会津をはじめ、仙道諸郡の領主領民より手厚い保護を受けるようになり、
小平潟天満宮は、大いに繁栄しました。
また、猪苗代兼載が小平潟天満宮の申し子であったという伝説は、
小平潟天満宮をさらに有名にしたとされています。

現在の社殿は、天和2年(1682年)に会津藩主松平正容によって造営されたものであり、
その社殿は、猪苗代湖の遥か先にある鶴ヶ城の方を向き、
鶴ヶ城を見守っているとされています。

ちなみに太宰府天満宮、北野天満宮と並んで
日本三大天神とする説があるそうです。

御祭神は、菅原道真公。



こちらが、小平潟天満宮の鳥居。

      20190422小平潟天満宮01

この鳥居の正面が猪苗代湖。
てっきり湖畔に鳥居や社殿が向いているのかと思ったら
その先の鶴ヶ城の方を向いていると、隣の売店のオバさんに教えてもらいました。



鳥居に掲げられた神額。

      20190422小平潟天満宮02



神社社頭には、由緒書き。

      20190422小平潟天満宮03


その隣には説明板。

      20190422小平潟天満宮04


さらに、その脇には句碑が建つ。

      20190422小平潟天満宮26


参道の手水舎。

      20190422小平潟天満宮05


参道の狛犬。
狛犬はニ対在って、こちらが一対目。

      20190422小平潟天満宮06


      20190422小平潟天満宮07



ニ対目の狛犬。

      20190422小平潟天満宮08


      20190422小平潟天満宮09

全然、表情が違う。


参道の先には拝殿が見えます。

      20190422小平潟天満宮27



こちらが、拝殿。

      20190422小平潟天満宮16



拝殿正面。

      20190422小平潟天満宮10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190422小平潟天満宮11


      20190422小平潟天満宮12



別アングルからの拝殿。

      20190422小平潟天満宮13


      20190422小平潟天満宮14


そして、こちらが本殿。

      20190422小平潟天満宮15



小平潟天満宮の本殿は

      20190422小平潟天満宮21




境内社。

      20190422小平潟天満宮17


      20190422小平潟天満宮18



神楽殿。

      20190422小平潟天満宮19


拝殿脇のこちらも神楽殿のように見える。

      20190422小平潟天満宮20



本殿から200mほど離れた位置に建つ大鳥居。

      20190422小平潟天満宮22

東日本大震災でも倒れなかった立派な鳥居。


その大鳥居に掲げられた神額。

      20190422小平潟天満宮23



こちらが、社務所。

      20190422小平潟天満宮24

日本三大天満宮と言うわりには、閉まっている。
平日だから、仕方がないのかな?



こちらが、小平潟天満宮の御朱印。

      20190422小平潟天満宮25

この日は、平日で社務所は無人。
神社の隣の食堂(?)が臨時の授与所。
書置きですが、こちらで拝受出来ます。

しかし、食堂のオバちゃんが外出していたようで
天神浜で30分くらい遊んでいたら、戻って来られたようです。
何とか、御朱印も手に入れることが出来て良かったです。
これも一つの縁。
この縁を大事にいたしましょう。




      





2019/06/23 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................山潟小学校 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、福島県にやって来ました。


途中、中山峠で寄り道をしたものの、
当初の目的地はこちら。

猪苗代町立山潟小学校です。

      20190422山潟小学校01

そして、その正門跡。


門柱。

      20190422山潟小学校02


門柱に残る表札。

      20190422山潟小学校03


山潟小学校は、

明治6年      山潟村の寿徳寺を借り、山潟小学校を開設する。
明治20年     山潟簡易小学校と改称する。
明治22年     山潟村が中小松村・金田村・関都村・壺楊村と合併して月輪村が誕生。
           月輪村山潟簡易小学校と改称する。
明治26年     月輪村山潟尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、月輪村立山潟小学校と改称する。
昭和30年     月輪村が翁島村・千里村・吾妻村とともに猪苗代町に合併し猪苗代町となる。
           猪苗代町立山潟小学校鳥居改称する。
平成18年     月輪小学校と統合して、新たに緑小学校が誕生。(敷地は月輪小学校を流用)。
           山潟小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


山潟小学校校舎。

      20190422山潟小学校04


      20190422山潟小学校05



校舎を別アングルから。

      20190422山潟小学校24


      20190422山潟小学校25



廃校後、他の施設に流用すべく貸し出しの公募もされていたようですが
具体的な流用策も決まっていないようですが
校庭を改装でもするのか? 所々に土盛りがありました。

      20190422山潟小学校06


こちらは、体育館。

      20190422山潟小学校07


校舎の時計は5分ほど狂っていたけれど
廃校からの年月を考えれば、ほぼ正確と言えるでしょう。

      20190422山潟小学校08



校庭の隅には、二宮像。

      20190422山潟小学校09


      20190422山潟小学校10



そして、在りました!
廃校記念碑。(閉校記念碑)

      20190422山潟小学校11


      20190422山潟小学校12



碑の裏面には貴重な沿革が刻まれている。

      20190422山潟小学校13

情報が無かったから、参考になりました。



その隣には、校歌の碑。

      20190422山潟小学校14



こちらは、校舎前の創立百周年記念碑。

      20190422山潟小学校15

この創立百周年記念碑って言うのは、多くの廃校で見てきました。
いずれの廃校でも、百周年の記念碑を建立した時には、
まさか、その後に廃校になるとは思わなかったでしょう。


こちらも、校庭の隅には置かれて碑。

      20190422山潟小学校16

『学びの庭』で学ぶ子供たちも居なくなってしまいました。


校庭に残された遊具類。

      20190422山潟小学校17


      20190422山潟小学校18


      20190422山潟小学校19


      20190422山潟小学校20



なぜか、滑り台に興味を示す びいすけ 。
階段を登り始めます。

      20190422山潟小学校26


仕方がないから、もっちゃん も発動。

      20190422山潟小学校27


仲良く 滑り台?

      20190422山潟小学校28


      20190422山潟小学校29


    
こちらは、プール。

      20190422山潟小学校23



プール脇からの校庭。

      20190422山潟小学校21

猪苗代町でも、他の活用法を模索しているようで
いずれ、こちらも取り壊されてしまうのか?

しっかりと、心の中に記憶しておこう...........................


2019/06/22 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................熱海小学校中山分校 (2019年4月22日)(福島県郡山市) 

4月22日

4月22日〜23日に会津方面に1泊2日で出かけました。

磐越道の磐梯熱海ICにて高速を降り、国道45号線で中山峠を越えていた時、
中山集落に立ち寄ってみました。
と言うのも、以前に郡山市の廃校を調べていたら、
中山分校なる廃校が在ったのを思い出した。
しかしながら、ネットで調べても詳しくは分からない。
当然、その場所すら分からない。
こう言う時は、現地で訊くしかない。
畑で農作業をしていたオジさんに教えてもらいました。


こちらが、中山分校跡。

       20190422中山分校01


中山分校の詳しい沿革は不明ですが、
明治7年に開校した中山小学校がその始まりとなるようです。

明治41年     高田玉小学校、中山小学校、横川小学校、石筵小学校が統合して
           高川尋常小学校がそうせつされ、中山分教場となる。

昭和22年     学制改革により、熱海町立熱海小学校中山分校と改称する。
昭和40年     熱海町が郡山市と合併して郡山市立熱海小学校中山分校と改称する。
昭和53年     本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校後、校舎は解体され、現在は熱海公民館中山分館となっています。

      20190422中山分校0113


       20190422中山分校0102



こちらが、公民館の建物ですが
きっと、往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょうね。

      20190422中山分校0103


      20190422中山分校0104



しかし、公民館の分館って、なかなか聞かないよね?

      20190422中山分校0105



そう言った所が地域性があって面白い。

      20190422中山分校0106


      20190422中山分校0107



公民館の玄関前に小さな門柱。

      20190422中山分校0108

きっと、これは中山分校時代のモノでしょう。



敷地内には、遊具も数基残されている。

      20190422中山分校0109



誰も居ない校庭跡の匂い嗅ぐために徘徊する びいすけ 。

      20190422中山分校0110

その先では、桜の花がお出迎え。


やっぱり、桜の花は学校に似合っている。

      20190422中山分校0111



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

      20190422中山分校0112

中山簡易水道記念碑。


水道も整備されていなかった山の中だったんですね。
裏を返せば、それだけ中山峠は難所だったと言うことになるのか?

当初の訪問予定の無かった中山分校。
中山峠の中山集落に存在した分校でした.........................。。






2019/06/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

旧・中山宿駅跡の桜 (2019年4月22日)(福島県郡山市) 

4月22日

この日は1泊2日で福島に出掛けました。

朝5時過ぎに八王子の実家を出発。
愛車の助手席には妹の もっちゃん。
そしてリアシートを倒した荷室のバリケンゲージには びいすけ。
いつものメンバーでの福島旅行です。

圏央道のあきる野ICから高速に乗り、圏央道、東北道、磐越道と乗り継ぎ、
磐梯熱海ICにて高速を降り、猪苗代町の山潟地区を目指します。
国道45号線で山越え、中山峠を越えて行く際に、
視界の右手高台に学校跡のような感じの雰囲気がある。
立ち寄ってみると、そこは駅の跡でした。


磐越西線 旧・中山宿駅跡でした。

      20190422旧・中山宿駅01

磐越西線は、福島県郡山市の郡山駅から会津若松駅を経由して、
新潟県新潟市秋葉区の新津駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線です。

磐梯熱海~上戸で郡山盆地と猪苗代湖の間にある山間部を走り、
連続勾配区間になっているため、中山宿駅は勾配型スイッチバック駅として
明治31年に開業しました。
長らくスイッチバック駅として存在していましたが、
鉄道が電化されて電車が主力になるとスイッチバックの必要性が薄れ、
開業99年後の平成9年に本線上へ駅が移転され、旧駅は廃止されました。
しかし、現在も保線用の設備が残存していて、ホーム跡も残っていて、
平成27年に旧駅は観光用に整備されて自由に探訪できるようになったそうです。


私は『鉄ちゃん』ではありませんが、廃線とか廃駅とかの言葉には
ノスタルジー(懐古・追憶)を感じてしまうのは何故でしょう。
この地に住んでいたわけでも無いし、かつて訪れたわけでも無いんですけどね。



線路と枕木は無くなってしまったけれど
ホームはしっかりと残っている。

      20190422旧・中山宿駅02


      20190422旧・中山宿駅03


      20190422旧・中山宿駅04



そして、かつての駅前には立派な桜の木。

      20190422旧・中山宿駅05



見事に花を咲かせている。

      20190422旧・中山宿駅06


      20190422旧・中山宿駅07

今年は昨年に比べたら春の到来が遅いのか?
それとも去年の春の到来が早すぎたのか?
昨年もこの時期に会津に旅行に来たんだけど、桜は終わっていた。

今年は、花満開の会津の旅になりそうです。


2019/06/21 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ.................Hong Qi  (2019年4月22日) 

4月22日   

毎週、月曜日に着け替えている腕時計。
今週は、こちら ↓


      20190422 HONG01

Hong Qi

聞き慣れないブランドと言うか、時計メーカーです。
こちらも、以前にヤフオクで手に入れた中古の腕時計。

機械式の手巻き式腕時計。

手巻き式の腕時計と言えば、2〜3年前からハマっている中国式の腕時計。
実は、こちらもその中国製の旧式の機械式手巻き腕時計です。
人民用に国策で作られた腕時計で、中国各地でいろいろなブランド名で
準・国営工場で生産されていました。

しかし、この『Hong Qi 』については情報が乏しい。
『Hong Qi 』(中国名称では『紅旗』と言うらしい。)
文字盤の下の方に 『 中国 辽宁 』と記されていることから
中国の遼寧省の工場で作られたもののようです。

文字盤からの情報では
『 SZLIA 』 この意味が不明
『 21600 』 21600ビート
『 17 ZUAN 』 17石

即ち、17石の21600振動のムーブメントを使用している
ちなみに、21600振動とか21600ビートと言うのは
秒針が1秒間に6回振動する、
つまり1時間に21600回振動すると言うこと。
6(1秒間の振動数)×60(秒)×60(分)=21600。

そもそも、こう言った旧式の機械式の手巻き腕時計は
1990年代に生産が終了されたモノ。。
文字盤の汚れ、経年劣化がその時代の流れを感じさせます。

ベルトは残念ながら、社外品の人工皮革品。

      20190422 HONG02


      20190422 HONG03



竜頭にも何か刻印されているけれど、よく分からない。

      20190422 HONG04


ケース裏蓋も情報の宝庫。

      20190422 HONG05


ケース中央には梅の花を形取った中に『紅旗』。
 こちらは、ブランド名になりますね。

左側から、
FANGZHEN(全鋼)、遼寧手表廠、FANGZHEN(防振)、3101。

これは、『全鋼』の『防振』の腕時計で、
中国の遼寧にある『遼寧手表廠』という工場で作られたモノ。
『3101』は、モデルNoなのか?
はたまたムーブメントNoなのか?
そこの所がちょっと不明ですね。


では、久しぶりに腕に着けてみましょう。

      20190422 HONG06


      20190422 HONG07

派手さは全く無い、中国製の腕時計。
中国国民のために中国国内向けとして作られた腕時計。
派手さよりは堅実さ。要するにそこそこの機能を有し
十分に実用性に耐え適う腕時計というわけです。

やっぱり、この時代の中国製の機械式腕時計は、
面白いと言うか、奥が深い……………。


2019/06/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit