父さんの都内散歩・御朱印巡り.................赤城神社 (2019年2月22日)(東京都新宿区)
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷から始まった都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
筑土八幡神社をあとにして、向かった先は............赤城神社。
赤城神社は、東京都新宿区赤城元町に鎮座する神社です。
明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた神社で
その創建は古く、鎌倉時代の正安2年(1300年)に
上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、
牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わります。
文安元年(1444年)には、大般若経が奉納され、
寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に遷座されました。
その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移され、
江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。
御祭神は、岩筒雄命(いわつつおのみこと)。
相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀ります。
社号標。
社号標には、旧・社号である赤城大明神となっています。
社頭の鳥居。
鳥居に掲げられた神額。
鳥居の足部分には、境内に併設されたカフェの案内。
手水舎。
こちらが、拝殿。
拝殿正面。
拝殿正面に掲げられた扁額。
拝殿正面に飾られた提灯。
時期的なモノなのか?
拝殿には雛人形も飾らせている。
別アングルからの拝殿。
そして、こちらが本殿。
拝殿前の狛犬。
こちらは、境内社。
蛍雪天神。
祭神は菅原大神。
戦災で焼失した北野神社を、旺文社の寄付により再興したものです。
蛍雪天神の名は『螢雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願するそうです。
社殿正面。
社殿正面に掲げられた扁額。
同じく、社殿正面に飾られた提灯。
こちらも境内社・出世稲荷神社。
社殿は相殿となり、
右から『八耳神社』・『出世稲荷神社』・『東照宮(葵神社)』となっています。
各々の由緒が記された説明板。
神仏習合の名残り。
敷地の一部には観音像。
隣接すると言うか、敷地内にあるマンション。
実は、赤城神社再生プロジェクトと称して、平成21年(2009年)から22年にかけて、
老朽化した社殿全体を建て替える工事が行われました。
神社境内に隣接していた幼稚園(私立赤城幼稚園)は少子化などの理由により閉園し、
その跡地を再開発するにあたり、建築コストを神社側で全て賄うのは難しい状況にあったため
三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を設定して神社から土地を借りて、
神社の建て替えとともに敷地内に分譲マンションを建設し、
建物内にホールやギャラリーなどの施設を併設するというものでした。
そして地代や賃貸による収入を神社の運営に充てるとともに、
借地権の期限が来たら、マンションを解体し神社の杜に戻す予定だと言うことです。
1階にあるカフェも実はそのプロジェクトの賜物。
こちらが、そのカフェ。
社務所もマンションの1階エリアとなる。
御朱印は、こちらで拝受出来ます。
無事、御朱印も手に入れました。
こちらが、赤城神社の御朱印。
こちらが、蛍雪天神の御朱印。
初穂料は、今日初めての都内価格の500円。
都内から御朱印の初穂料の相場が上がって来ているんだよなぁ。
まあ、これも時代の流れでしょうねぇ。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷から始まった都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
筑土八幡神社をあとにして、向かった先は............赤城神社。
赤城神社は、東京都新宿区赤城元町に鎮座する神社です。
明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた神社で
その創建は古く、鎌倉時代の正安2年(1300年)に
上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、
牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わります。
文安元年(1444年)には、大般若経が奉納され、
寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に遷座されました。
その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移され、
江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。
御祭神は、岩筒雄命(いわつつおのみこと)。
相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀ります。
社号標。
社号標には、旧・社号である赤城大明神となっています。
社頭の鳥居。
鳥居に掲げられた神額。
鳥居の足部分には、境内に併設されたカフェの案内。
手水舎。
こちらが、拝殿。
拝殿正面。
拝殿正面に掲げられた扁額。
拝殿正面に飾られた提灯。
時期的なモノなのか?
拝殿には雛人形も飾らせている。
別アングルからの拝殿。
そして、こちらが本殿。
拝殿前の狛犬。
こちらは、境内社。
蛍雪天神。
祭神は菅原大神。
戦災で焼失した北野神社を、旺文社の寄付により再興したものです。
蛍雪天神の名は『螢雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願するそうです。
社殿正面。
社殿正面に掲げられた扁額。
同じく、社殿正面に飾られた提灯。
こちらも境内社・出世稲荷神社。
社殿は相殿となり、
右から『八耳神社』・『出世稲荷神社』・『東照宮(葵神社)』となっています。
各々の由緒が記された説明板。
神仏習合の名残り。
敷地の一部には観音像。
隣接すると言うか、敷地内にあるマンション。
実は、赤城神社再生プロジェクトと称して、平成21年(2009年)から22年にかけて、
老朽化した社殿全体を建て替える工事が行われました。
神社境内に隣接していた幼稚園(私立赤城幼稚園)は少子化などの理由により閉園し、
その跡地を再開発するにあたり、建築コストを神社側で全て賄うのは難しい状況にあったため
三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を設定して神社から土地を借りて、
神社の建て替えとともに敷地内に分譲マンションを建設し、
建物内にホールやギャラリーなどの施設を併設するというものでした。
そして地代や賃貸による収入を神社の運営に充てるとともに、
借地権の期限が来たら、マンションを解体し神社の杜に戻す予定だと言うことです。
1階にあるカフェも実はそのプロジェクトの賜物。
こちらが、そのカフェ。
社務所もマンションの1階エリアとなる。
御朱印は、こちらで拝受出来ます。
無事、御朱印も手に入れました。
こちらが、赤城神社の御朱印。
こちらが、蛍雪天神の御朱印。
初穂料は、今日初めての都内価格の500円。
都内から御朱印の初穂料の相場が上がって来ているんだよなぁ。
まあ、これも時代の流れでしょうねぇ。
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2019/04/13 Sat. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................筑土八幡神社 (2019年2月22日)(東京都新宿区)
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
神楽坂若宮八幡神社をあとにして、向かった先は............筑土八幡神社。
筑土八幡神社は、東京都新宿区筑土八幡町に鎮座する神社です。
嵯峨天皇の時代(809年〜823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に
八幡神がお告げに現れ、それにより祀ったのが始まりであるとされています。
その後、850年前後に円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を建て、
伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという事です。
文明年間(1469年〜1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、
この地の鎮守としたそうです。
元和2年(1616年)に、江戸城田安門付近にあった田安明神が
筑土八幡神社の隣に遷座し、津久戸明神社と称しました。
しかし、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦による戦災で全焼してしまいます。
その後、津久戸明神社は千代田区九段北に遷座し、築土神社と改称したそうです。
御祭神は、応神天皇
神功皇后
仲哀天皇
こちらが、社号標。
社頭の鳥居。
一の鳥居になるのか?
しかし、石段の途中にも鳥居がある。
石段途中に建てられた由緒書き。
こちらが、二の鳥居(?)
石造りの鳥居。
説明板はないけれど、新宿区登録有形文化財らしい。
新宿区内最古の鳥居となり、享保11年(1726年)に
常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納されたモノだと言うことです。
その鳥居に掲げられた神額。
手水舎。
こちらが、拝殿。
拝殿正面。
拝殿正面に掲げられた扁額。
別アングルからの拝殿。
そして、こちらが本殿。
拝殿前の狛犬。
拝殿前の天水桶。
境内社の宮比神社。
下宮比町一番地にあった旗本屋敷の邸内社が
明治40年にこの地に遷されたもの。
庚申塔。
寛文4年(1664年)造立された物です。
太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。
三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現され
極めて珍しいとされ、新宿区の有形民俗文化財に指定されています。
神楽殿。
奉納御神酒。
神輿庫。
御神木。
御朱印は、社務所にて拝受しました。
こちらが、その御朱印。
書き置き対応ですが、初穂料は頂いていないと断られました。
流石に申し訳ないので、賽銭箱に相場の金額を納めさせて貰いました。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
神楽坂若宮八幡神社をあとにして、向かった先は............筑土八幡神社。
筑土八幡神社は、東京都新宿区筑土八幡町に鎮座する神社です。
嵯峨天皇の時代(809年〜823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に
八幡神がお告げに現れ、それにより祀ったのが始まりであるとされています。
その後、850年前後に円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を建て、
伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという事です。
文明年間(1469年〜1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、
この地の鎮守としたそうです。
元和2年(1616年)に、江戸城田安門付近にあった田安明神が
筑土八幡神社の隣に遷座し、津久戸明神社と称しました。
しかし、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦による戦災で全焼してしまいます。
その後、津久戸明神社は千代田区九段北に遷座し、築土神社と改称したそうです。
御祭神は、応神天皇
神功皇后
仲哀天皇
こちらが、社号標。
社頭の鳥居。
一の鳥居になるのか?
しかし、石段の途中にも鳥居がある。
石段途中に建てられた由緒書き。
こちらが、二の鳥居(?)
石造りの鳥居。
説明板はないけれど、新宿区登録有形文化財らしい。
新宿区内最古の鳥居となり、享保11年(1726年)に
常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納されたモノだと言うことです。
その鳥居に掲げられた神額。
手水舎。
こちらが、拝殿。
拝殿正面。
拝殿正面に掲げられた扁額。
別アングルからの拝殿。
そして、こちらが本殿。
拝殿前の狛犬。
拝殿前の天水桶。
境内社の宮比神社。
下宮比町一番地にあった旗本屋敷の邸内社が
明治40年にこの地に遷されたもの。
庚申塔。
寛文4年(1664年)造立された物です。
太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。
三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現され
極めて珍しいとされ、新宿区の有形民俗文化財に指定されています。
神楽殿。
奉納御神酒。
神輿庫。
御神木。
御朱印は、社務所にて拝受しました。
こちらが、その御朱印。
書き置き対応ですが、初穂料は頂いていないと断られました。
流石に申し訳ないので、賽銭箱に相場の金額を納めさせて貰いました。
2019/04/13 Sat. 00:00 |
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