FC2ブログ

03 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り..................御宿春日神社 (2019年3月9日)(千葉県夷隅郡御宿町) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市に隣接する御宿町。
その御宿町の内陸部に春日神社が鎮座しています。


以前、参拝した事がありますが( その時の記事は こちら
その時に拝受した御朱印。当時は、まだ御朱印を集め始めた頃だったので
本来の御朱印(いわゆる神社印、宮司印)よりも、
墨で書かれている文字の方を重要視していて、
拝受した書置きの御朱印が御朱印帳よりも大きくて
御朱印帳のサイズに合わせて文字を残すようにカットしたら
肝心の印影が欠けてしまってしまい...................

いつか、御朱印を改めて拝受したいと思っていました。

今回、いすみ市に来たついでに、ちょっぴり足を伸ばして
改めて、参拝に来てみました。


御宿春日神社は、御宿町高山田に鎮座する神社です。





こちらが一の鳥居。

      20190309御宿春日神社01


  
一の鳥居の背後には狛犬。

      20190309御宿春日神社02


      20190309御宿春日神社03



参道の梅の花もちらほらと咲いている。

      20190309御宿春日神社04



二の鳥居。

      20190309御宿春日神社05



二の鳥居に掲げられた神額。

      20190309御宿春日神社06



神橋と石段。

      20190309御宿春日神社07



手水舎。

      20190309御宿春日神社08



石段を上って、社殿へと向かいましょう。

      20190309御宿春日神社09


      20190309御宿春日神社10



石段を上がれば、そこには拝殿。

      20190309御宿春日神社11


      20190309御宿春日神社12



拝殿正面。

       20190309御宿春日神社13



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190309御宿春日神社14



別アングルからの拝殿。

      20190309御宿春日神社15


      20190309御宿春日神社16



そして、こちらが本殿。

      20190309御宿春日神社17



境内社。

      20190309御宿春日神社18



重軽石。

      20190309御宿春日神社19

持ち上げて、その日の運勢を占います。
重く感じたら、その日は『凶』らしい。

持ち上げて見ると、重くは感じない。
軽いということになるんでしょうね。



こちらも境内社。

      20190309御宿春日神社20



こちらが社務所。

      20190309御宿春日神社21

無人のことが多い神社のようですが、
この日は、たまたま禰宜さんが境内を掃き掃除していて
御朱印をお願いしたら、快く御朱印帳に墨書きしてくれました。


社務所が授与所を兼ねています。

      20190309御宿春日神社22



平素は、こちらの書き置き版が拝受されるようです。
(前回は、そのパターンでした)

      20190309御宿春日神社23



こちらが、御宿春日神社の御朱印。

      20190309御宿春日神社24


書き置き版は宮司さんが書かれているのでしょう。
書体が違いますが、これも貴重な御朱印です。



スポンサーサイト



2019/04/30 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................国吉小学校 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

平成29年に、いすみ市の中川小学校と国吉小学校が統合して
新たにいすみ市立夷隅小学校が設立され、
中川小学校と国吉小学校は廃校となりました。
その2校の廃校に訪れるためにやって来たいすみ市。

訪れたのは............いすみ市立国吉小学校。


国吉小学校は、

明治7年      深谷村の円蔵寺に深谷小学校を設置される。
           同時期に苅谷小学校,萬木小学校が開設される。
明治11年     深谷小学校が楽町村へ移転
明治20年     萬木小学校を合併する。
明治22年     苅谷村・弥正村・深谷村・今関村・島村・楽町村・万木村・国府台村が合併して国吉村誕生。
           小学校の組織を変更して、深谷小学校は北尋常小学校、苅谷小学校を南尋常小学校と改称する。
明治24年     国吉村が町制施行して国吉町となる。
明治32年     南北の両小学校を合併して国吉小学校を設置する。
            教場は従来通り南、北教場の名をもって存置する
明治35年     新校舎建築落成により現在地に移転する。
昭和22年     学制改革により国吉町立国吉小学校と改称する。
昭和29年     国吉町、千町村、中川村が合併して夷隅町誕生。
           夷隅町立国吉小学校と改称する。
平成18年     夷隅町、大原町,岬町が合併していすみ市誕生。
           いすみ市立国吉小学校と改称
平成29年     中川小学校と合併して、いすみ市立夷隅小学校が設立。
           国吉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


統合して誕生した夷隅小学校。
新たな校地を準備した訳ではなく
国吉小学校の校舎を解体して、跡地に新校舎を建設する。
新校舎完成までは、中川小学校の施設を流用して仮校舎とする。
こんな流れで平成29年度よりスタートしています。


こちらが、国吉小学校の正門。

      20190309国吉小学校01

門扉は、しっかりと閉ざされ、中に立ち入る事は出来ません。


広い校庭も整備されているようです。

      20190309国吉小学校02


新しい校舎も完成間近でしょうか?

      20190309国吉小学校03



夷隅小学校のHPを覗くと、3月6日から
新校舎への引っ越し作業が始まったようです。

      20190309国吉小学校04


一部、まだ工事は残っているみたいですが............

      20190309国吉小学校05

どうやら、新学期は新しい校舎で迎えるようになりそうですね。



と、なると春からは現役の小学校となる。

こちらは、裏門のようです。

      20190309国吉小学校06

この門扉の先に行くのは難しくなりますね。


新しい校舎。

      20190309国吉小学校08



新しい体育館。

      20190309国吉小学校07


国吉小学校は、その役目を終えて
夷隅小学校として生まれ変わって行く。

これも時代の流れなんですね。






ここからは、おまけ。




校地に入れないから、ぐるっと校地を正門から裏門まで回っていると
こんな場所に遭遇しました。
      
      20190309国吉小学校09

私有地のようですが、立ち入り禁止でもない。
四阿も設けられている。


そして、数基の碑も建てられている。
その中の1基には『深谷 大曽根 本家の沿革』と記されている。

      20190309国吉小学校10


碑文を読むと、深谷大曽根 本家は上総萬喜城主 土岐氏の重臣だったそうです。
天正十八年の秀吉の小田原攻めにて北条氏は滅亡し、
北条氏に与した萬喜城主・土岐氏も側近と共に他国に逃げ延びましたが
多くの家臣はこの地にて帰農することが許されました。
土岐氏の重臣だった大曽根伊勢守重行の嫡孫の道相(金十郎)も
深谷村で帰農し、深谷大曽根氏の始祖となったそうです。



その大曽根氏の碑。

      20190309国吉小学校11


      20190309国吉小学校12



ちょっとした塀もあって、それっぽく見せている。

      20190309国吉小学校13



近隣の民家の表札をみると、確かに大曽根さん。。

      20190309国吉小学校14


立派な家(屋敷?)が建っている。
きっと、地元の名士になるんでしょうね。


きっと、この国吉小学校も大曽根さんの御尽力があって
この地に建てられたのかもしれない。



2019/04/30 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大野城址   (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。


松尾神社をあとにして、向かった先は...............大野城址。



大野城は、1400年代に伊北荘を支配した上総狩野氏の居城と言われてます。
上総狩野氏は伊豆の豪族で、狩野城主であった狩野氏の一族です。
安土桃山時代に画壇を牛耳ることとなった狩野派の始祖である狩野正信を輩出したとされます。

戦国時代には、この地域は大多喜城主である正木氏の支配下になったと考えられます。
従って、大野城も大多喜城の支城となったと推測されているようです。

こうした背景から、大野城には狩野氏の居城としての時代と
正木氏の城郭として戦国末期に取り立てられた時代と二つの時代が存在しており、
現存する大野城の遺構からは、戦国末期に築城、
又は大幅な改修を受けた城とされているようです。



こちらか、大野城の縄張り図。

      20190309大野城縄張り図

( 余湖さんのHP よりお借りしました )





先人さんたちのブログを拝見すると、以前には無かった説明板が
公民館の近くに建っています。

      20190309大野城址01


その近くには、『狩野派始祖 狩野正信 生誕地』 の碑。

      20190309大野城址02


大野城址は台地の上に鎮座する八幡神社を目指せば良い。


こちらが、八幡神社への参道口。
この石段を上がって行けば、八幡神社になります。

      20190309大野城址24

でも、それじゃツマらない。


ここは敢えて、こちらから登城いたしましょう。

      20190309大野城址03



大野城址の見所の一つである堀切。

      20190309大野城址04


      20190309大野城址05


堀切の先は、堀ノ田。

      20190309大野城址06

水堀跡になります。



堀ノ田の右側。
四郭になります。

      20190309大野城址07


耕地化されて、果樹園跡のようですが、
奥にはソーラーパネルが設置されています。

      20190309大野城址08

最近、城跡にソーラーパネルってパターンも多いんだよね。



さらに進んで行きましょう。
右手に三郭を眺めながら進んで行きます。

      20190309大野城址09



そして、鳥居がお出迎え。
先程の八幡神社への石段を上がった所に合流します。

      20190309大野城址10



八幡神社への参道。

      20190309大野城址11



八幡神社への参道は自然の土壇か?
はたまた人工的な土塁なのか?
城址の雰囲気は満載。

      20190309大野城址12


      20190309大野城址13



こちらが、八幡神社。

      20190309大野城址14


八幡神社の先は、二郭への登城路。

      20190309大野城址15



二郭虎口。

      20190309大野城址16


こちらが、二郭。

      20190309大野城址17


耕地化されているけれど、見た感じ休耕中のように感じてます。

      20190309大野城址18


      20190309大野城址19



二郭と主郭を隔てる空堀跡。

      20190309大野城址20



そして、こちらが主郭。

      20190309大野城址21



台地麓から眺める大野城址。

      20190309大野城址22



この真上が二郭になるようです。

      20190309大野城址23


      
こちらは、根古屋地区。

      20190309大野城址25

土塁の跡のような土壇が確認出来ます。



3月も中旬となると、随分と暖かくなって
少しずつ緑も増えてきた。
これから先は下草も増えてきて、城址、城郭巡りには辛くなる季節になりますね。

最近は、城址巡りも機会が減ってきちゃったけれど、
やっぱり、城址・城郭巡りは楽しいものです。




2019/04/29 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

松尾神社 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

廃校巡りで訪れた中川小学校。
敷地内に入れないので、フェンス越しに歩いていると
中川小学校(現:夷隅小学校仮校舎)に隣接して社が鎮座していました。

せっかくだから、参拝していきましょう。

と言うことで、訪れたのは.................松尾神社。


松尾神社は、いすみ市行川に鎮座する神社です。


創建時期や由緒は不詳。
ネットで調べても分かりませんでした。

御祭神は、大山咋神。



社号標を探したけれど見つからない。

      20190309松尾神社01



こちらが、一の鳥居。

      20190309松尾神社02



一の鳥居の先には狛犬。

      20190309松尾神社03


      20190309松尾神社04


      20190309松尾神社05




さらに参道を進みましょう。

      20190309松尾神社06



二の鳥居。

      20190309松尾神社07



手水舎。

      20190309松尾神社08



こちらが、拝殿。

      20190309松尾神社09



拝殿正面。

      20190309松尾神社11


      20190309松尾神社10


      
拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190309松尾神社12



別アングルからの拝殿。

      20190309松尾神社13


      20190309松尾神社14



そして、こちらが本殿。

      20190309松尾神社15



びいすけ も参拝。

      20190309松尾神社16


境内社。

      20190309松尾神社17



廃校巡りの途中で遭遇した神社。
由緒ある神社に見えちゃうんだけど違うのかな?

調べてみると、大多喜町の夷隅神社が本務社になるようです。
いつか機会があったら夷隅神社の宮司さんに訊いてみよう。






2019/04/29 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

桜花43乙特攻基地跡 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

平成29年の春に廃校となった中川小学校(現:夷隅小学校仮校舎)に訪れた際に、
敷地内に入れないので、フェンス沿いに校舎裏手に向けて歩いていると、
目の前に何やら案内板が見えてきた。

      20190309桜花43乙特攻基地跡01



いすみ市教育委員会が設置した説明板でした。

      20190309桜花43乙特攻基地跡02



中川小学校の裏手は山になる。
地形的に、そして雰囲気的に、てっきり城址の案内板かと思ったら違っていた。

      20190309桜花43乙特攻基地跡03

『特攻機 「桜花四三乙型」行方基地跡』とあります。



基地跡は60m先に在ると言う。

      20190309桜花43乙特攻基地跡04



ここで、『桜花』とは?

特攻機・桜花は、機首部に爆弾を載せた小型航空特攻兵器です。
当初は、母機に吊るされて目標物付近でミサイルのように発射されて、
搭乗員が誘導して目標に体当たりさせるものとして開発投入されました。
片道分の燃料を積み、帰還する事も想定されない。
まさに、人間爆弾と言う特攻機です。

しかし発射前に母機が撃墜されてしまい、その戦果を発揮することが出来ず、
連合軍の本土侵攻に備え、ジェットエンジンで地上からのカタパルト発進方式に改められた
桜花四三乙型が開発されました。

内陸部より発射され、機体の軽量化などが図られ、
ジェットエンジンの推進力を利用して300kmの航続距離を得て
目標物に向かうミサイルのようなものです。

桜花四三乙型の発射基地は、全国に数ヶ所設置され
その一つが、ここになります。




正直、個人的には先の(と言っても、もう70年以上も前の方が話しですが)大戦を含め
戦争そのものには否定的で、関心はありませんが
目の前にいきなり戦争遺構が現れると..................


誘惑には勝てません。
ちょっと覗きに行きましょう。


説明板の60m先と言う言葉を信じ、森の中に入って行きます。

      20190309桜花43乙特攻基地跡05



まぁ、森の中(どちらかと言うと山の中?)に入るのは
城址巡りで慣れているからね(笑)。

      20190309桜花43乙特攻基地06



奥へと続く道と言うか、進路。

      20190309桜花43乙特攻基地跡08



この先は、まるで城址の虎口のようにも見える。

      20190309桜花43乙特攻基地跡09


      20190309桜花43乙特攻基地跡10


先に進んで、振り返って見ると............

      20190309桜花43乙特攻基地跡07

『桜花』は、ここから発射台へと向かう計画だったのでは?
中世の城郭で言えば、『馬出し』のようなものだったのか?




コンクリート製の造形物。

      20190309桜花43乙特攻基地跡11

これは、『桜花』の転回台の跡のようです。



転回台の右側には洞窟。

      20190309桜花43乙特攻基地跡12



こちらが、『桜花』の格納庫。

      20190309桜花43乙特攻基地跡13


      20190309桜花43乙特攻基地跡14



その長さは30mにも及ぶ。

      20190309桜花43乙特攻基地跡15


戦後生まれで、戦争を知らない世代だし
戦争を否定する考えは変わらないけれど
実際に、こうやって戦争遺構を見ると考えさせられるモノがある。

ましてや、特攻機と言う今の時代では考えられない感覚の遺構。
時代がそう言った感覚、精神を作ってしまったのか?
よくは分からないが、少なくても悲しい歴史であることには違いない。

同じ過ちをすることなく、こう言った過去の悲しい遺産を遺す事で
平和な時代が末永く続くことに期待するしかない。





2019/04/28 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................中川小学校 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。


当初、平成29年に廃校となった中川小学校に向かっていましたが
直前に、昭和53年に移転する前の旧・中川小学校を見つけてしまいました。

その後、向かった先は..................いすみ市立中川小学校。





中川小学校は、明治6年(1873年)の行川尋常小学校の誕生から始まります。
翌年の明治7年に大野尋常小学校が設立されました。


明治6年      行川尋常小学校設立
明治7年      大野尋常小学校設立。
明治22年     増田村・引田村・大野村・札森村・柿和田村・正立寺村
           作田村・八乙女村が合併して中川村誕生。
大正4年      行川尋常小学校と大野尋常小学校を統合して中川尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により、中川村立中川小学校と改称する。
昭和29年      国吉町・中川村・千町村が合併し、夷隅町が誕生。
           夷隅町立中川小学校と改称する。
昭和53年     新校舎落成。学校移転する。
平成17年     夷隅町・大原町・岬町が合併しいすみ市が発足。
           いすみ市立中川小学校と改称する。               
平成29年     国吉小学校と統合して、いすみ市立夷隅小学校が設立される。
           中川小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




旧・中川小学校からはすぐ近く。
150mほどの距離でしょうか?

この台地の上が中川小学校。

      20190309中川小学校01




こちらが、正門。

      20190309中川小学校02



門柱には表札。

      20190309中川小学校03

そこには『夷隅小学校』の文字が.....................


実は、平成29年に国吉小学校と合併して夷隅小学校が誕生しましたが
校地は、国吉小学校跡地に新校舎を建設していますが
信仰者が出来上がるまで、中川小学校の施設を流用し
夷隅小学校として運用しています。


土曜日で学校は休みと言えども
現役の小学校。
勝手に敷地内に入るわけには行きません。

仕方ないので。門の外、フェンス周りから眺めていきます。

      20190309中川小学校04


      20190309中川小学校05



玄関ロータリーの植え込みの中に建てられている校訓の碑。

      20190309中川小学校06



百葉箱。

      20190309中川小学校07



フェンス沿いの道を歩いて校舎の脇を移動し
校舎の裏手へと回って行きます。

      20190309中川小学校09



こちらは、体育館。

      20190309中川小学校08


      20190309中川小学校10




プール。

      20190309中川小学校11



校庭。

      20190309中川小学校12


      20190309中川小学校14


      20190309中川小学校15




中川小学校と記された標柱。

      20190309中川小学校13

何かの記念のモノだろうか?
近寄って確認したいのですが、やっぱり今回は諦めましょう。


いずれ、国吉小学校跡地に建設中の夷隅小学校の新校舎も完成して
そちらに移転するだろうから、その時に改めて訪れる事にしよう。

その時を楽しみとしたい.............。






      
2019/04/28 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................旧・中川小学校跡 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。


平成29年の春、いすみ市の旧・夷隅町域にある中川小学校と国吉小学校が統合して
新たに夷隅小学校が設立され、中川小学校、国吉小学校は廃校となりました。
その2校を訪れるためにいすみ市内を移動していると、
いすみ鉄道の上総中川駅近くで、目の前にいかにも学校跡らしい場所が視界に入って来ました。

大きな石碑も見えます。

       20190309旧・中川小学校01



いかにも、学校の正門跡っぽく見える。

      20190309旧・中川小学校02


先程の石碑は、忠魂碑。

      20190309旧・中川小学校03

益々、学校跡らしく見えてくる。



そして、忠魂碑の奥のフェンスに囲まれた場所は、何とプール。

      20190309旧・中川小学校04


      20190309旧・中川小学校05

間違いない!
学校跡地と確信!!



たまたま、こちらに来ていたご婦人に尋ねてみたら
この場所は、かつての中川小学校の跡地と言う事でした。

往時の名称で言えば、この地は.........夷隅郡 旧・夷隅町立 旧・中川小学校跡。





中川小学校は、

明治6年      行川尋常小学校設立
明治7年      大野尋常小学校設立。
明治22年     増田村・引田村・大野村・札森村・柿和田村・正立寺村
           作田村・八乙女村が合併して中川村誕生。
大正4年      行川尋常小学校と大野尋常小学校を統合して中川尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により、中川村立中川小学校と改称する。
昭和29年      国吉町・中川村・千町村が合併し、夷隅町が誕生。
           夷隅町立中川小学校と改称する。
昭和53年     新校舎落成。学校移転する。
平成17年     夷隅町・大原町・岬町が合併しいすみ市が発足。
           いすみ市立中川小学校と改称する。               
平成29年     国吉小学校と統合して、いすみ市立夷隅小学校が設立される。
           中川小学校は廃校となる。

と、このような沿革ですが
昭和53年まで、この地に中川小学校が在ったと言う事です。



校地移転後、校舎は取り壊され、
跡地は夷隅地区多目的研修センターとなっています。


校門跡のように見えますが、多目的研修センターの駐車場入口として
新たに作られた通用口です。

      20190309旧・中川小学校06



駐車場。

      20190309旧・中川小学校07

かつての中川小学校の校庭です。



多目的研修センター。

      20190309旧・中川小学校08



奥は体育館。

      20190309旧・中川小学校09

いずれも旧・中川小学校の校舎を解体後建てられたモノです。



体育館前の芝生広場。
かつては、校庭だった場所。

      20190309旧・中川小学校10


      20190309旧・中川小学校11


      20190309旧・中川小学校12



敷地の外周には桜の木が植えられている。

      20190309旧・中川小学校13



移転から約40年。
この大きさだと、移転後に植えられたモノかもしれない。

      20190309旧・中川小学校14


廃校跡地、学校跡地と言えば、
お約束とも言える消防倉庫。

      20190309旧・中川小学校15


偶然とは言え、中川小学校の旧・校地に辿り着く事が出来ました。
中川小学校の移転は約40年前の事だから、
この場所がかつての小学校跡地だったと言う事を知っている人は、
地元でも少ないのかも知れない。

ほんのちょっと、この地の歴史に触れたような気がします、




2019/04/27 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ.......................SEIKO 5ACTUS SS (2019年3月5日) 

3月4日

毎週、月曜日に着け替えている腕時計。


今週は、こちら ↓

      201903045ACTUS01



SEIKO 5ACTUS SS

ご存知、SEIKOが生んだ世界の名機『SEIKO 5』
10年近く前に、ヤフオクで手に入れたモノ。


日本の高度経済成長とともに成長し続けていた1960年~70年代。
当時爆発的な人気を誇った時計である『SEIKO 5』
その『SEIKO 5』より、若干スポーティで、
若者向けのデザインをしたモデルが『SEIKO 5 ACUTS』

SSとさらに二文字増えていますが、正直、SSの意味は分かりません。

時間を合わせるため、竜頭を引くと秒針がストップするハック機能を有し
4時位置にある竜頭を浅く押すと、日付だけが変わり、
深く押すと、曜日と日付が両方変わる仕組みとなっています。


ref は、6106-7580。
Cal.6106A 23石。
61系グランドセイコー系譜の祖となった61系のキャリパーを搭載しています。
18,000振動の当然、自動巻き 諏訪精工舎製。
低価格ながらそれなりのスペックを持ち、名機と言われてきました。

シリアルNo.は454986。
即ち、1974年5月に作られたものです。
何と、今から45年前。
半世紀近くの歴史があるんですね。


ベルトも5 ACTUS純正品。

      201903045ACTUS06
      



でも、全体的にちょっぴりくたびれている感は否めない。

      201903045ACTUS02


      201903045ACTUS03



4時位置にセットされた竜頭はハック機能付き

      201903045ACTUS04

(ハック機能とは、竜頭を引き上げた時に秒針が停止する機能です。)



ケース裏蓋は傷が多いけれど、ref.とシリアルNo.が確認出来る。

      201903045ACTUS05

最近、SEIKOのref.やシリアルNo.について
ちょっぴり知識を得たから、SEIKOの古い時計が気になります。



      
それでは、腕に着けてみましょう。

      201903045ACTUS07


      201903045ACTUS08


この時代のSEIKO 5 ACUTS にはカットガラスのモデルもあったりして
バリエーションは豊富だったようです。

ついつい、カットガラスのモデルも欲しくなりつつある今日この頃。

さぁ、今週も頑張りましょう!!




2019/04/27 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!..............山倉ダム (2019年2月27日)(千葉県市原市) 

2月27日

数年前から集めているダムカード。

千葉県内のダムカードは、コンプリートしていると思ったら
いつの間にか新しいダムカードが発行されて、
手に入れていないダムカードが2種ある事に気付きました。

その一つである市原市にある山倉ダムに行って来ました。


山倉ダムは、市原市山倉にある千葉県が所有する工業用水専用のダムです。
昭和34年に工事着工、昭和39年に竣工したアース式ダムで、
市原市の五井・市原地区に送水しています。
ダム周辺には『キッズランド』という観光施設があり、
ダム湖の一部がこの施設となっています。

堤体および、ダム湖のほとんどが立入禁止となっていますが、
一部は公園として解放されていて、ダム湖の周りをぐるっと回る事も出来ます。
(一部分は『キッズランド』のため通れない)

このダムには流入する河川が無く、近隣にある養老川から導水している。
洪水時には、導水を止め、水位調節をしているそうです。


観光施設としてのダムではないから、車を停めるのも一苦労。
実は、遠く離れたコンビニの駐車場に車を停めて、ダム湖へと向かいます。

      20190227山倉ダム01


これが意外に遠い。

      20190227山倉ダム02



この先がダム湖。

      20190227山倉ダム03

正直、ここに辿り着くまでで疲れ果てました(笑)。




ダム湖です。

      20190227山倉ダム04



山倉ダムのダム湖は、特に名称が無いようです。

      20190227山倉ダム05



意外に広いダム湖。

      20190227山倉ダム06

視界の先には、ダム湖に架かる橋もあります。



ベンチも有って、ダム湖の周りは周遊路。

      20190227山倉ダム07


ちょっとした散策路。
右回りはこちら。

      20190227山倉ダム08



左回りは、こちら。

      20190227山倉ダム03



位置的には『キッズランド』の対岸。
左回りで進みましょう。

      20190227山倉ダム12



一応、ダム湖の周りは散策路になっているけど
散策するモノ好きは居ないようです。

      20190227山倉ダム10



びいすけ のペースで進みましょう。

      20190227山倉ダム11


      
遥か先には取水口が見えます。

      20190227山倉ダム13

少なくとも、取水口近くがダム堤体だから
取水口近くまでは、行かなくっちゃ!



しかし、意外に取水口までは遠い。

      20190227山倉ダム14



曇っていた天候も時折、雲の間から陽が射してくる。

      20190227山倉ダム15


散策路を歩くと言うよりは、
フェンス沿いに匂いを嗅ぐと言う行動の びいすけ 。

      20190227山倉ダム16

    

それでも、結構歩いて来たような気がします。

      20190227山倉ダム19



やっと、取水口近くに到着。

      20190227山倉ダム20



こちらが、ダム堤体。

      20190227山倉ダム21

どう見ても、この場所で堰き止めているようには見えない。



位置的に、こちらが天端になるようです。

      20190227山倉ダム22



肝心のダムカードは、この場所から数km離れた場所にある
郡本浄水場が配布場所となっています。


こちらが、郡本浄水場。

      20190227山倉ダム26



2階の事務所でスマホで撮った山倉ダムのダム湖の写真を見せて
ダムカードをゲットです。

      20190227山倉ダム25





こちらが、そのダムカード。

      20190227山倉ダム23


      20190227山倉ダム24


ダムカード、また1枚コレクションが増えました。
千葉県内のダムカード、残すは三島ダムのみとなりました。



2019/04/26 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............勝間日枝神社    (2019年2月27日)(千葉県市原市) 

2月27日

この日は、市原市に出かけました。


市原市の白幡神社の約30ほどある兼務社の中で、
御朱印が拝受出来る神社が有ると聞き、
御朱印拝受の参拝となりました。

その第2弾は..............................勝間日枝神社。


勝間日枝神社は、市原市勝間に鎮座する神社です。

じつは、勝間日枝神社に訪れるのもコレで2回目。
(前回の訪問記は こちら )。

小田部分校を訪れる(探す)際に、偶然通りかかって参拝した神社。
立派な社殿や、特徴ある神使いの猿にちょっぴり気を引かれ
気になる神社の一つでした。

色々と調べてみると白幡神社の兼務社の一つだと判り、
宮司さんと連絡を取ったら御朱印を頂ける神社だと判り、
改めての参拝となります。


こちらが社号標。

      20190227勝間日枝神社01


神社社頭。
一際目立つ朱色の鳥居。

      20190227勝間日枝神社02



鳥居に掲げられた神額。

      20190227勝間日枝神社03



では、参拝いたしましょう。

      20190227勝間日枝神社04


石段をテンポ良く駆け上がり.........でも息は切れ切れ(笑)。
幟がお出迎え。

      20190227勝間日枝神社05



石段を上がれば、目の前には拝殿。

      20190227勝間日枝神社06



手水舎。

      20190227勝間日枝神社07



朱色の拝殿。

      20190227勝間日枝神社08



拝殿正面。

      20190227勝間日枝神社03


      20190227勝間日枝神社10



別アングルからの拝殿。

      20190227勝間日枝神社11



そして、こちらが本殿。

      20190227勝間日枝神社12



神使いの猿。

      20190227勝間日枝神社13


竹藪の中に道は続き、さらに奥に行けそうですが
今日はパスといたします。

      20190227勝間日枝神社14



本殿裏手。

      20190227勝間日枝神社15


そもそも、勝間日枝神社は台地の上に鎮座している、
背後の山は、見るからに城郭跡っぽい。

      20190227勝間日枝神社16



竹藪の中に道は続き、さらに奥に行けそうですが
今日はパスといたします。

      20190227勝間日枝神社17



こちらが、勝間日枝神社の御朱印。

      20190227勝間日枝神社18

宮司さん宅にて拝受いたしました。



2019/04/26 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............新堀八幡神社    (2019年2月27日)(千葉県市原市) 

2月27日

この日は市原市に出かけました。

市原市の白幡神社の兼務社を巡っていましたが
併せて、建市神社の兼務社も巡ってみました。


訪れたのは..................新堀八幡神社。


新堀八幡神社は、市原市新堀に鎮座する神社です。

創建年代は不詳ですが、相模国鶴岡八幡宮の霊を勧請したとされています。
治承四年(1180年)に源頼朝の祈願があり、その際に神殿を造営したとされています。
少なくとも創建時期はそれ以前と考えられるようです。

御祭神は、譽田別命(ホンダワケノミコト)。


神社社頭。

      20190227新堀八幡神社01


鳥居。

      20190227新堀八幡神社02



鳥居に掲げられた神額。

      20190227新堀八幡神社03



手水舎。

      20190227新堀八幡神社04



拝殿。

      20190227新堀八幡神社05


      20190227新堀八幡神社06



拝殿正面。

      20190227新堀八幡神社07


      20190227新堀八幡神社08



向拝の彫刻。

      20190227新堀八幡神社03



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190227新堀八幡神社10



別アングルからの拝殿。

      20190227新堀八幡神社11


      20190227新堀八幡神社12



そして、こちらが本殿。

      20190227新堀八幡神社13



拝殿前の狛犬。

      20190227新堀八幡神社14


      20190227新堀八幡神社15



境内社。

      20190227新堀八幡神社16


      20190227新堀八幡神社17


神輿庫。

      20190227新堀八幡神社18



青面金剛刻像

      20190227新堀八幡神社20

意外に、神仏習合の名残りを引きずっている?



何と、忠魂碑まである。

      20190227新堀八幡神社19

ひょっとして、境内の一画は、学校跡地か?

     

この辺りが学校跡地っぽく見えてくる。

      20190227新堀八幡神社21

廃校マニアの悲しい性(さが)ですね。



こちらが新堀八幡神社の御朱印。

      20190227新堀八幡神社22

宮司さんの自宅にて拝受いたしました。
でも、宮司さん日付け間違えているし..................
(この日は、2月27日ですよ〜!)

まあ、こんな事もあるでしょう(笑)。


あっ! 宮司さんに学校跡地(?)の事を尋ねてみたら
学校が在ったと言う話は聞いた事がないとのことでした。

廃校馬鹿な一面が垣間見えた瞬間でした..................。




2019/04/25 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............小田部熊野神社    (2019年2月27日)(千葉県市原市) 

2月27日


この日は、市原市に出かけました。


市原市の白幡神社の約30ほどある兼務社の中で、
御朱印が拝受出来る神社が有ると聞き、
御朱印拝受の参拝となりました。

その第2弾は..............................小田部熊野神社。


小田部熊野神社は、市原市小田部に鎮座する神社です。

社伝によれば.........
和銅四年(711年) 、烏 来りて神妙を題すにより、
紀伊の国に座す熊野神社の御分霊を乞い奉遷すとされているそうです。

御祭神は、伊邪那美命、速玉之男命



社号標。

      20190227小田部熊野神社01



朱色の鳥居。

      20190227小田部熊野神社02


      20190227小田部熊野神社03


鳥居に掲げられた神額。

      20190227小田部熊野神社04

『熊野大神』と刻まれています。



55段あると言われる石段。
(実際には数えていないから、その実数は不明。)

      20190227小田部熊野神社05


      20190227小田部熊野神社06



その石段を上れば、目の前には社伝。

      20190227小田部熊野神社07


振り返れば、急な石段だと分かる。

      20190227小田部熊野神社19



手水舎。

      20190227小田部熊野神社08



こちらが社殿。

      20190227小田部熊野神社09


社殿正面。

      20190227小田部熊野神社10



社殿正面に掲げられた扁額。

      20190227小田部熊野神社11



別アングルからの社殿。

      20190227小田部熊野神社12


      20190227小田部熊野神社13



びいすけ も参拝。

      20190227小田部熊野神社14



狛犬。

      20190227小田部熊野神社15


      20190227小田部熊野神社16



境内社。

      20190227小田部熊野神社17


      20190227小田部熊野神社18



鳥居脇の板碑。

      20190227小田部熊野神社20



そして、こちらが小田部熊野神社の御朱印。

      20190227小田部熊野神社21


近くに住む宮司さん宅にて拝受いたしました。


後で調べたら、この小田部熊野神社の鎮座する高台一帯は
その昔、小田部館と言う城館跡だったらしい。

知らなかった..................

いずれ、また機会があれば周辺を探索してみよう。





2019/04/25 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............郡本八幡神社    (2019年2月27日)(千葉県市原市) 

2月27日

この日は、市原市に出かけました。


市原市の白幡神社の約30ほどある兼務社の中で、
御朱印が拝受出来る神社が3社有ると聞き、
御朱印拝受の参拝となりました。

その第1弾は..............................郡本八幡神社。


郡本八幡神社は、市原市郡本に鎮座する神社です。


創建時期等、詳細は不詳ながらも
奈良時代の上総國市原郡家の地であるとされ、
付近では郡衙と見られる遺跡も発見されているそうです。


御祭神は、譽田別命(ホンダワケノミコト)。



神社社頭。

      20190227郡本八幡神社01



鳥居に掲げられた神額。

      20190227郡本八幡神社02



神社幟の旗杭には、八幡神社と刻まれています。

      20190227郡本八幡神社03



参道。

      20190227郡本八幡神社04

奥に見えるは社殿。




参道の手水鉢。

      20190227郡本八幡神社05



こちらが、拝殿。

      20190227郡本八幡神社06


      20190227郡本八幡神社07



拝殿正面。

      20190227郡本八幡神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190227郡本八幡神社09



別アングルからの拝殿。

      20190227郡本八幡神社10


      20190227郡本八幡神社11



そして、こちらが本殿。

      20190227郡本八幡神社12

本殿だけ真っ赤だから、少し違和感を感じたけれど
それもその筈、以前は真っ赤な拝殿だったそうです。



びいすけ も参拝。

      20190227郡本八幡神社13



拝殿前の狛犬。

      20190227郡本八幡神社14


      20190227郡本八幡神社15



境内社。

      20190227郡本八幡神社16


      20190227郡本八幡神社17



こちらの神社で目を引くのが、社頭右側の古墳跡(?)

      20190227郡本八幡神社18



石段が設けられ、まるで富士塚?

      20190227郡本八幡神社19


頂部には、富士嶽大神の碑。

      20190227郡本八幡神社20



さらには、出羽三山の碑。

      20190227郡本八幡神社21


      20190227郡本八幡神社22

この一画は山岳信仰の深さを感じ取れますね。



境内の御神木。

      20190227郡本八幡神社23
      20190227郡本八幡神社24



記念碑。

      20190227郡本八幡神社25


      20190227郡本八幡神社26





こちらが、郡本八幡神社の御朱印。

      20190227郡本八幡神社27


地域の集会所を兼ねた社務所があるけれど、普段は無人。
御朱印は、遠く離れた宮司さん宅にて拝受いたしました。





2019/04/24 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

月読神社    (2019年2月26日)(茨城県つくば市) 

2月26日 

この日は、つくば市に出かけました。


洞峰公園をあとにして、向かった先は..........................月読神社。



月読神社は、つくば市樋の沢に鎮座する神社です。



天慶8年(945年)の創建と伝えられ、
平将門の護持仏であった勢至菩薩が本尊で、
別名「三夜様」と呼ばれています。
当時は神仏習合でしたが、明治時代に入ると分離され、
勢至菩薩は月読命として祀られました。
農業・開運の神として広く人々の信仰を集めています。

現在の社殿は、寛永5年(1628年)に建立されたものになるそうです。
また、境内の本殿裏手には、樹齢約700年とされる
樹高約30m、樹の太さ約8mの椎の木があり、御神木とされています。


御祭神は、月読命。


神社社頭。

      20190226月読神社01



参道の石灯篭?

      20190226月読神社02



どことなく違和感を感じますが、
先人のブログを拝見すると8年前の東日本大震災で石灯篭が倒れたようです。
ひょっとしたら、倒れて破損した部分が短くなった石灯篭かもしれません。

      20190226月読神社03



手水舎。

      20190226月読神社04

春が近づいたとは言え、午後4時近く。
既に陽も傾き、西陽になっている。


こちらが、拝殿。

      20190226月読神社05

ちょっと雰囲気ぐ違う。
パッと見、お寺のお堂の様に見えなくもない。

寛永5年(1628年)に建立されたモノだから、
神仏習合の名残りを感じると言うか、
そもそも、平将門の護持仏である勢至菩薩を祀っていたのだから
寺院の雰囲気が残っているのも当たり前かもしれません。



拝殿正面。

      20190226月読神社06



拝殿正面の扁額。

      20190226月読神社07



こちらも扁額。

      20190226月読神社08



さらに、もう一枚の扁額。

      20190226月読神社09



別アングルからの拝殿。

      20190226月読神社10


      20190226月読神社11



そして、こちらが本殿。

      20190226月読神社12



本殿背面。
こちらは、摂社だろうか?

      20190226月読神社13



それにしても本殿の真裏と言うのも珍しい。

      20190226月読神社14


圧巻なのは、屋根の神紋。

      20190226月読神社15

こちらの神社は、三日月が神紋のようですが
千葉氏の『月星紋』と似ているから、
ちょっぴりテンションが上がっちゃいます。

やっぱり、千葉(県)に住んでいると、
『千葉氏』を意識しちゃうんだよなぁ。

      20190226月読神社16




鬼瓦にも三日月紋。

      20190226月読神社19



こちらには、三日月はない。

      20190226月読神社17



境内に狛犬の姿は無かったけど、屋根の上には跳び狛犬。

      20190226月読神社18

良く見ると、倒れている?
      



こちらは、神楽殿。

      20190226月読神社21


こちらの鬼瓦にも三日月紋。

      20190226月読神社20


神楽殿の幕。

      20190226月読神社25



境内には、柱がいっぱいの建物。

      20190226月読神社22

居住スペースがあまり無い。
一体、これは何?



境内社。

      20190226月読神社23


      20190226月読神社24



本殿裏手の御神木。

      20190226月読神社26
  20190226月読神社27



肝心の御朱印ですが、本殿裏手の社務所を兼ねた宮司宅にて
拝受出来るようですが、この日は書き手が居なくて拝受出来ませんでした。

どうやら、毎週火曜日・金曜日以外の日に拝受出来るようです。
火曜日と金曜日を避けて、次回リベンジいたしましょう。



2019/04/24 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

洞峰公園    (2019年2月26日)(茨城県つくば市) 

2月26日

この日は、つくば市に出かけました。


つくば市には、多くの公園があります。
その中から洞峰公園に立ち寄ってみました。




つくば市は、学園都市として、昭和40年代後半から開発されてきました。
いわゆる新しい街ですね。
多摩ニュータウンや千葉ニュータウンなど、新しく造成された街は
鉄筋の建物と区画された街並み。そして公園も整備されています。
当然、つくば市の学園都市も同じような形で造成されてきました。
つくば市の学園都市には、多くの公園が整備されていて洞峰公園もその一つです。

洞峰公園は、昭和47年に筑波研究学園都市の建設に伴い造成が始まり、
江戸時代初期に天然の池を人工の灌漑用の水源に造り直した洞峰池周辺に建設され、
昭和55年に開園した公園です。
元々、洞峰池は二つあり(上池、下池)、下池は埋め立てられ、
上池を縮小造成して洞峰沼として、公園内のベンチマークとしています。

プール、体育館、テニスコート、野球場、多目的フィールドの芝生の広場などがあり、
また、緑に囲まれた公園でもあり、学園都市つくばの市民の憩いの場となっているそうです。



以前から、この公園の脇を通って桜川市方面に行ったりしていたから
この公園の存在は知っていたし、ナビに表示されるたびに気になっていました。


こちらが、公園入口。

      20190226洞峰公園01



プロムナード。

      20190226洞峰公園02



初めての公園だから、案内板は必需品。
しっかりと公園の位置関係を把握いたしましょう。

      20190226洞峰公園03



公園案内図。

      20190226洞峰公園04



案内図でも分かるけれど、やはり洞峰公園のランドマークは洞峰沼。
洞峰沼をグルッと一周する散歩に入りましょう。


こちらは、多目的広場。

      20190226洞峰公園05


広い芝生広場になっていて、サッカーのゴールも置かれているから
サッカー場として利用されているようです。

      20190226洞峰公園06

びいすけ は走り回ることより、匂い嗅ぎに夢中。



洞峰沼を一周すると約1km。

      20190226洞峰公園07



正確には、1050mの周回コースが設定されているから
頑張って歩きましょう。

      20190226洞峰公園08



ワンちゃんの散歩で訪れる人も多いようで、
あちこちで気になる匂いがあるのか?
匂い嗅ぎに夢中な びいすけ 。

      20190226洞峰公園09


      20190226洞峰公園10


      20190226洞峰公園11


      20190226洞峰公園12


     20190226洞峰公園13



確かに、犬連れで散歩に来ている人が多い。

      20190226洞峰公園14


      20190226洞峰公園15



洞峰沼の周りを回るのも意外に面白い。

      20190226洞峰公園16



ただ、漠然と公園内を歩くよりは、洞峰沼を一周(1050m)歩くという目的が
有るのと無いのとでは、全然違う。

      20190226洞峰公園17



洞峰沼もポイントが変われば、洞峰沼表情も変わってくる。

      20190226洞峰公園18


      20190226洞峰公園19


      20190226洞峰公園20



ポイントが変わっても、 びいすけ の匂い嗅ぎは変わらない。
芝生の中の残り香を一心に嗅ぎ分けて進んでいる。

     20190226洞峰公園21


      20190226洞峰公園22


      20190226洞峰公園23


      20190226洞峰公園24


      20190226洞峰公園25


      20190226洞峰公園27




前方に異様な光景。


洞峰沼の水鳥たちに餌をあげているのか?
水鳥が芝生に上がって餌を啄んでいます。

      20190226洞峰公園26


      
水鳥に吠えるかな? と思ったけれど
吠える素振りもない びいすけ 。

      20190226洞峰公園28



一瞬、水鳥の大群に躊躇したようですが
その後は、我関せず!とばかりに知らん顔。

      20190226洞峰公園29

芝生に残る臭い香を追いかけています。


しかし、来園者が餌付けたとは言え、
ちょっとこの水鳥の大群は驚きました。


そして、犬が近寄れば、羽ばたいて逃げ逃げていくと思ったら
平然と餌を啄ばむ水鳥にも驚きです。

      20190226洞峰公園30



とりあえずは、水鳥たちを追い回さなかった びいすけ 。

      20190226洞峰公園31


      20190226洞峰公園32


今日は、『 お利口さん! 』褒めてあげよう。





2019/04/23 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............田水山小学校   (2019年2月26日)((茨城県つくば市) 

2月26日 

この日は、つくば市に出かけました。


つくば市には、平成30年の春に廃校になった小学校が7校あります。
いずれもつくば市の北部、旧・筑波町域にあたります。

今回、その7つの小学校を順次訪れています。

つくば市北部の廃校巡り、そのオーラス第7弾は....................つくば市立田水山小学校。


田水山小学校は、

明治10年      西田中村に小学校を創立。田中小学校と称する
明治18年      水守小学校と合併する。
明治19年      西田中小学校と改称する。
明治22年      町村制の施行に伴い、西田中村、水守村、山木村が合併して田水山村が発足。
            田水山尋常小学校と改称する。
明治43年      田水山尋常高等小学校と改称する。
大正6年       田水山村立農業補習学校設立。
大正15年      田水山農業公民学校と改称。
昭和16年      田水山尋常高等小学校を改め田水山国民学校となる
昭和22年      学制改革により、田水山村立田水山小学校となる
昭和30年      田水山村は筑波町に編入される。
            筑波町立田水山小学校と改称する
昭和48年      筑波町大字水守620番地へ移転する。
昭和63年      筑波町がつくば市に編入される。
            つくば市立田水山小学校と改称する。
平成30年      秀峰筑波義務教育学校(小中一貫教育校)が開校し、廃校となる。


と、このような沿革となっています。



こちらが、田水山小学校の正門。

      20190226田水山小学校 01


門柱には表札がまだ嵌め込まれています。

      20190226田水山小学校02



立派な玄関。

      20190226田水山小学校03


とても小学校の玄関には見えない、斬新なデザイン。
美術館とか、音楽ホールの玄関に見える。

      20190226田水山小学校05




校舎もこのアングルだと、洒落たマンションのように見えなくもない。

      20190226田水山小学校04


      

こちらも、地域の避難場所に指定されていたようです。

      20190226田水山小学校06



誰も居ない校庭のから、校舎を眺めます。
       
      20190226田水山小学校07


別アングルから。

      20190226田水山小学校08


やっぱり、お洒落な校舎。

      20190226田水山小学校09


      20190226田水山小学校10



校庭奥に見える高台。

      20190226田水山小学校11



実は、田水山小学校のある場所はかつての城址。

      20190226田水山小学校12


水守城と言う鎌倉時代以前の城で、
実は、以前こちらに訪れた事が有ります。
( その時の記事は こちら )。

その時から、この田水山小学校の事は知っていて
お洒落な校舎の小学校だと思っていましたが、
まさか廃校になるとは思ってもいませんでした。



水守城と常陸大掾氏について記された碑。

      20190226田水山小学校13


この高台は、かつての古墳跡。
水守城の見張り台として活用されていたそうです。

      20190226田水山小学校14



なぜか、その高台の麓に無造作に置かれたローラー。

      20190226田水山小学校15

雑草に埋もれかかっています。



城址と言うだけあって、校庭の一部にもそれらしい雰囲気はある。

      20190226田水山小学校16


      20190226田水山小学校17



校庭の遊具類。

      20190226田水山小学校18


      20190226田水山小学校19


      20190226田水山小学校20



こちらは、体育館。

      20190226田水山小学校21

現在は、地域の体育館として解放されているようです。



体育館の玄関脇には、廃校のお約束(?)。
防災倉庫が置かれています。

      20190226田水山小学校22


かつての城が廃城になり、その跡地を学校として利用する。
これは、今までよくあるパターン。
そして、近年はその学校も少子化諸々の事情で廃校となる。

今後、益々このパターンが増えていくんだろうなぁ...........................。


2019/04/23 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田水山小学校跡   (2019年2月26日)((茨城県つくば市) 

2月26日

この日は、つくば市に出かけました。

主たる目的は、平成30年に廃校となった7つの小学校をグルッと巡る廃校巡り。

作岡小学校をあとにして、次なる目的地を目指していると
視界にこんな建物が入って来た。

      20190226旧・田水山小学校04


えっ! これって、学校じゃない?
しかも、木造校舎じゃない?


慌てて、敷地内に車を乗り入れて、探索開始です。


Yahoo!マップで確認すると『下田中児童館』と言う事です。

      20190226旧・田水山小学校03



中を覗きこむと...............

      20190226旧・田水山小学校07

うむ、間違いない!


近くに誰か居ないか?
3軒ほど先に道路に初老の男性が居たので尋ねてみたら
確かに小学校の跡地でした。

それも当初の目的地である田水山小学校の跡地でした。


田水山小学校は、

明治10年      西田中村に小学校を創立。田中小学校と称する
明治18年      水守小学校と合併する。
明治19年      西田中小学校と改称する。
明治22年      町村制の施行に伴い、西田中村、水守村、山木村が合併して田水山村が発足。
          田水山尋常小学校と改称する。
明治43年      田水山尋常高等小学校と改称する。
大正6年       田水山村立農業補習学校設立。
大正15年      田水山農業公民学校と改称。
昭和16年      田水山尋常高等小学校を改め田水山国民学校となる
昭和22年      学制改革により、田水山村立田水山小学校となる
昭和30年      田水山村は筑波町に編入される。
          筑波町立田水山小学校と改称する
昭和48年      筑波町大字水守620番地へ移転する。


その後、

昭和63年      筑波町がつくば市に編入される。
            つくば市立田水山小学校と改称する。
平成30年      秀峰筑波義務教育学校(小中一貫教育校)が開校し、廃校となる。


と、このような沿革となっていますが
昭和48年まで、この地に筑波町立田水山小学校が在ったことになります。



改めて...............

こちらが、旧・筑波町立 旧田水山小学校。

      20190226旧・田水山小学校01


      20190226旧・田水山小学校02


      
小ぶりな校舎ですが、つくば市内に木造校舎が残っていたとは驚きです。

      20190226旧・田水山小学校05



淡いピンクにパステルカラーも嫌味が無く、お洒落。

      20190226旧・田水山小学校06




校庭の遊具類。      

      20190226旧・田水山小学校08


      20190226旧・田水山小学校09

児童館として活用しているから、後から設置されたモノかも知れない。




先程のオジさんに色々と訊いたら、
往時は、びいすけ の立っている道路も無く、
この辺りも校庭だったらしい。

      20190226旧・田水山小学校10


言われてみると、ビニールハウスの建つ場所も校跡っぽく見える。

      20190226旧・田水山小学校11


      20190226旧・田水山小学校12



このアングルが廃校らしさを一番感じます。

      20190226旧・田水山小学校13



お約束とも言える消防倉庫。

      20190226旧・田水山小学校14


偶然見つけた、旧・田水山小学校。
やっぱり木造校舎の学校跡地は良い。
この醍醐味は堪らない。

偶然とは言え、素敵な出会いに乾杯ですね。




2019/04/22 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............作岡小学校   (2019年2月26日)((茨城県つくば市) 

2月26日 

この日は、つくば市出かけました。

つくば市には、平成30年の春に廃校になった小学校が7校あります。
いずれもつくば市の北部、旧・筑波町域にあたります。

今回、その7つの小学校を順次訪れています。

つくば市北部の廃校巡り、その第6弾は....................つくば市立作岡小学校。


作岡小学校は、

明治9年      作谷村に作岡小学校設立される。
明治22年     作谷村、安食村、寺具村、明石村、高野原新田が合併して発足
大正3年      作岡尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、作岡村立作岡小学校と改称する。
昭和31年     作岡村の一部が筑波町に編入する。
           筑波町立作岡小学校と改称する。
昭和63年     筑波町がつくば市に編入する。
           つくば市立作岡小学校と改称する。
平成30年     秀峰筑波義務教育学校(小中一貫教育校)が開校し、廃校となる。

と、このような沿革となっています。



この地区の避難場所であった作岡小学校。

      20190226作岡小学校07




こちらが、作岡小学校の校庭側の門。
かつては、こちらが正門だったのでは?

      20190226作岡小学校 01


門柱に掲げられた表札。

      20190226作岡小学校02



こちらが、現在の正門になるのか?

      20190226作岡小学校03

門扉は閉ざされていて、こちらからでは出入り出来ない。



金属プレートの表札。

      20190226作岡小学校04



校舎正面玄関。

      20190226作岡小学校08


      20190226作岡小学校09




校舎の窓ガラスには、『ありがとう』と感謝の言葉。

      20190226作岡小学校05


     

校庭側からの校舎。
    
      20190226作岡小学校10



別アングルから。

      20190226作岡小学校11


      20190226作岡小学校12


      20190226作岡小学校13


      20190226作岡小学校14



校庭側の玄関。

      20190226作岡小学校15




玄関の庇には、作岡小学校の校章。

      20190226作岡小学校17



ポツンと置かれた朝礼台。

      20190226作岡小学校27



校舎前には校歌の碑。

      20190226作岡小学校23



方位計。

      20190226作岡小学校25



なぜか、銅像まで建っている。

      20190226作岡小学校26




こちらは、体育館。

      20190226作岡小学校18


      20190226作岡小学校34



こちらか、校庭。

      20190226作岡小学校28



校庭のフェンス沿いには、各年の卒業製作品が建ち並ぶ。

      20190226作岡小学校19


      20190226作岡小学校20


      20190226作岡小学校21


      20190226作岡小学校22


      20190226作岡小学校24




校庭に残された遊具類。

      20190226作岡小学校29


      20190226作岡小学校30


      20190226作岡小学校31


      20190226作岡小学校32


      20190226作岡小学校33



校庭の一画。
フェンスで囲まれたエリアは忠魂碑。

      20190226作岡小学校35

やはり、この作岡小学校も歴史のある小学校の証し。


校庭を闊歩する びいすけ。

      20190226作岡小学校36


そして、匂い嗅ぎに夢中になる びいすけ 。

      20190226作岡小学校37



もう1年近く、子供たちはこの校庭で遊んでいないから
この場所に残る匂いは野鳥?
はたまた野生生物?

      20190226作岡小学校38


      20190226作岡小学校39


      20190226作岡小学校40


      20190226作岡小学校41


黄土色の枯れ芝生。
ほどよく荒れ果てているのも好都合。
びいすけ も芝生の感触を堪能したようです。


2019/04/22 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............菅間小学校   (2019年2月22日)((茨城県つくば市) 

2月26日  

この日は、つくば市に出かけました。

つくば市には、平成30年の春に廃校になった小学校が7校あります。
いずれもつくば市の北部、旧・筑波町域にあたります。

今回、その7つの小学校を順次訪れています。

つくば市北部の廃校巡り、その第5弾は....................つくば市立菅間小学校。



菅間小学校は、

明治6年      民家を借用して、菅間小学校が創立される。
明治11年     現在地に校舎を建築する。
明治19年     中菅間尋常小学校と改称する。
明治26年     高等小学校を併置する。
昭和22年     学制改革により、菅間村立菅間小学校となる。
昭和32年     菅間村が筑波町に編入され、筑波町立菅間小学校と改称する。
昭和63年     筑波町がつくば市に編入され、つくば市立菅間小学校となる。
平成30年     秀峰筑波義務教育学校(小中一貫教育校)が開校し、廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、菅間小学校の正門。

      20190226菅間小学校 01




校庭側から敷地内に入ります。

鉄筋コンクリート製の校舎は二棟。

      20190226菅間小学校02


      20190226菅間小学校03



校舎をバックに びいすけ 。

      20190226菅間小学校04


      20190226菅間小学校05



別アングルからの校舎。

      20190226菅間小学校06


      20190226菅間小学校07



そして、校庭。

      20190226菅間小学校25



門ではないけれど、こちらからも校庭に入れます。

      20190226菅間小学校08



こちらが、体育館。

      20190226菅間小学校09



体育館の玄関の庇には、菅間小学校の校章。

      20190226菅間小学校10


      20190226菅間小学校11



校舎前には校歌の碑。

      20190226菅間小学校12


少年のブロンズ像。

      20190226菅間小学校13

『信じあい なかよく 学び 遊べ 』
泣かせる言葉ですねぇ。



校庭の片隅に置かれたオブジェ。

      20190226菅間小学校14

おそらく、子供たちの作品。


こちらも、卒業記念製作の一品か?

      20190226菅間小学校16




朝礼台。

      20190226菅間小学校15


      
百葉箱。

      20190226菅間小学校17



校庭の遊具類。

      20190226菅間小学校18


      20190226菅間小学校19


      20190226菅間小学校20


      20190226菅間小学校21


      20190226菅間小学校22



校庭の一画。
フェンスで囲まれた忠魂碑。

      20190226菅間小学校23

古くから、この地が地域のランドマークだった証し。
歴史ある小学校の敷地には、この忠魂碑が多い。


そして、こちらもお約束。

      20190226菅間小学校24

廃校ではよく見かける防災倉庫。



毎年、この時期に桜川市(真壁町)に行く際に
菅間小学校の前を通っていました。
道沿いに建つ小学校の存在は知っていたから、
いつの間にか廃校になってしまったことに
ちょっぴり驚きました..............................。


  



2019/04/21 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................筑波小学校 (2019年2月26日)(茨城県つくば市) 

2月26日

この日は、つくば市に出かけました。


平成30年の春に廃校になったつくば市北部、旧・筑波町域の7つの小学校。
その7つの小学校を順次巡っています。

その第4弾は..............................つくば市立筑波小学校。


筑波小学校は、

明治8年      上大島小学校が善照寺に設立される。
           沼田、国松、筑波、臼井連合の筑波学校が西山来迎寺に設置される。
明治13年     性山寺に国松小学校が設立される。
明治14年     国松、沼田が併合して沼田小学校が設立される。
明治19年     沼田尋常小学校と改称される。
明治34年     組合立北条高等小学校より分離し、筑波高等小学校が開校する。
明治41年     沼田の両尋常高等小学校を合併して沼田尋常高等小学校となる。
明治43年     筑波尋常高等小学校と改称する。
大正12年     上大島尋常小学校と筑波尋常高等小学校が統合して現在地に移転する。
昭和22年     学制改革により、筑波町立筑波小学校と改称する。
昭和63年     筑波町がつくば市に編入されつくば市となる。
           つくば市立筑波小学校と改称する。
平成30年     秀峰筑波義務教育学校(小中一貫教育校)が開校し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、筑波小学校の正門。

      20190226筑波小学校01



石造りの門柱。

      20190226筑波小学校02


門柱には、校章も刻まれています。

      20190226筑波小学校03



掲示板。

      20190226筑波小学校04



校庭より眺める校舎。

      20190226筑波小学校05



別アングルから。

     20190226筑波小学校06


     20190226筑波小学校07


     20190226筑波小学校08



校舎の背後に聳えるのは、筑波山。

     20190226筑波小学校09

まさに、筑波山の麓にある学校でした。



校舎の前の記念碑。

      20190226筑波小学校10

創立百周年記念の碑です。


碑の背面には沿革が刻まれています。

      20190226筑波小学校11



こちらは、希望の碑。

      20190226筑波小学校12



その隣には、子供たちが作った卒業記念の製作品?

      20190226筑波小学校13



校庭。

      20190226筑波小学校14



校庭の片隅には、百葉箱。

      20190226筑波小学校15



校庭の遊具類。
      
      20190226筑波小学校17


      20190226筑波小学校18


      20190226筑波小学校19


      20190226筑波小学校20


      20190226筑波小学校21


      20190226筑波小学校22


      20190226筑波小学校23


      20190226筑波小学校24



こちらが、体育館。

      20190226筑波小学校25


      20190226筑波小学校26


残念ながら、二宮像は見つかりませんでした。





2019/04/21 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit