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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............青梅市立第十小学校 (2018年6月26日)(東京都青梅市) 

6月26日

この日は、青梅市に出かけました。

二俣尾分校跡地をあとにして、向かった先は.........青梅市立第十小学校。


第十小学校は、明治6年に北小曽木村の正澤寺に
「正澤学舎」が創設されたのが始まりとされています。

明治8年      北小曽木学校と改称する。
明治19年     現在地に新校舎を建て、北小曽木村立北小曽木小学校と改称する。
明治22年     北小曽木村が上成木村下分、上成木村上分、下成木村上分、下成木村下分と合併し、
           成木村が成立する。
           成木村立北小曽木小学校と改称する。
昭和30年     成木村、吉野村、三田村、小曽木村が青梅市へ編入され
           青梅市立第十小学校と改称する。
平成8年      第八小学校、第九小学校と統合し、廃校となる。
           (統合先は第八小学校跡地に成木小学校が開校。)

と、このような沿革となっているようです。



青梅市から旧・名栗村(現:飯能市)へと続く街道沿いに建つ第十小学校。

      20180626第十小学校01

場所柄、採石場が多いからなのか?
ダンプな通行量が多い街道。


小学校入口は、街道から1本入った旧道沿い。

      20180626第十小学校02



地域の避難所にもなっています。

      20180626第十小学校03



廃校後は、北小曽木ふれあいセンターとして活用されていたようですが
その北小曽木ふれあいセンターも現在は、閉鎖されてしまいました。

      20180626第十小学校04



正門は閉ざされています。

      20180626第十小学校05


が、駐車場側の入口は開いている。
奥に見えるのは体育館のようです。

      20180626第十小学校06


誰も居そうも無いけれど、一応『失礼しま〜す!』と声をかけます。

      20180626第十小学校07

当然、反応は無いんですけどね。


さくさくっと見学させてもらいましょう。

鉄筋コンクリートの校舎。

      20180626第十小学校08


      20180626第十小学校09


校舎前には、改築記念の碑。

      20180626第十小学校10


不明の碑。

      20180626第十小学校11


こちらは、生徒達が創ったオブジェでしょうか?

      20180626第十小学校12

校舎周辺には、二宮像も廃校記念碑の類いは在りませんでした。


旧道を挟んだ先には、校庭。

      20180626第十小学校13


朝礼台がポツンとフェンスの中に残されていました。

      20180626第十小学校14


ちょうど、校庭跡が工事中。
作業の方に話を聞いたら、校庭跡は元々借地で
地権者が校庭跡を再利用(?)するのに整地作業をしているらしい。


こんな感じで、学校跡地はその姿を消して行くんだろうなぁ...............。




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2018/08/15 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............第六小学校二俣尾分校 (2018年6月26日)(東京都青梅市) 

6月26日

この日は、青梅市に出かけました。

第六小学校跡をあとにして、向かった先は.........青梅市立第六小学校二俣尾分校。


二俣尾分校は、明治7年に二俣尾村に開設された桃林学舎が
その始まりのようです。

明治11年      近隣各校(5校)を統合し、沢井村下分に江北学校を新設し、
            桃林学舎は第1分校となる。
明治16年      二俣尾学校(後の二俣尾尋常小学校)として分離独立する。
明治42年      二俣尾尋常小学校は、耕習尋常小学校、御岳尋常小学校と共に
            江北尋常小学校に統合し、三田尋常小学校と改称して二俣尾分教場と称す。
昭和22年      学制改革により、三田村立三田小学校二俣尾分校と改称する。
昭和30年      三田村が青梅市と合併し、青梅市立第六小学校二俣尾分校と改称する
昭和51年      本校である第六小学校が二俣尾(第五中学校跡地)に移転し、
            二俣尾分校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、二俣尾分校の正門跡。

      20180626二俣尾分校01

現在、分校跡地は二俣尾保育園として活用されています。



かつての門柱には、二俣尾分校の表札が残されていました。

      20180626二俣尾分校02



平日の午前中。
保育園は通常に稼動しています。
当然、敷地内には入れません。

ましてや、こんな看板が掲げられていると
近寄ることも気が引けます。

      20180626二俣尾分校03


別に悪い事をする訳じゃないけれど
廃校後に児童施設等に活用されていると、
なかなか敷地内には入れません。


フェンス越しに、ぐるっと様子を窺うことしか出来ません。

      20180626二俣尾分校04


まあ、様子を窺うと言っても二宮像とか
廃校記念碑の類が残っていないか? ぐらいですけれど。

      20180626二俣尾分校05



周りが畑だから、あまり近寄ることも出来ない。

      20180626二俣尾分校06


まあ、門柱に表札が残っていたから
それだけでも良しといたしましょう。
(でも、ちょっぴり不完全燃焼状態なのは仕方ない。)






2018/08/15 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit