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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り...............柴崎神社 (2018年5月18日)(千葉県我孫子市) 

5月18日

この日は、我孫子市の神社の御朱印巡りに出かけました。


葺不合神社をあとにして、向かった先は...............柴崎神社


柴崎神社は、我孫子市柴崎に鎮座している神社です。

日本武尊が、征途の安全と武運長久を祈願するため御幣立したと言われています。
創建は、天慶元年(938年)。
御祭神は、天御中主神を祀っています
平将門の祈願と崇敬が篤かったと言われ、
さらには、千葉氏一族の相馬一門の守護神とされてきたとされています。
明治4年(1862年)に妙見社の号を北星社と称し、
明治13年(1880年)に柴崎神社と改称されたそうです。



こちらが、柴崎神社の社号標。

      20180518柴崎神社01



柴崎神社の鳥居。

      20180518柴崎神社02


鳥居に掲げられた神額。

      20180518柴崎神社03



道路沿いに建てられた柴崎神社の看板。

      20180518柴崎神社04



鳥居をくぐって石段を上がります。

      20180518柴崎神社05

石段の先に社殿が見えます。


石段の上には、庚申塔と青面金剛像。
神仏習合時代の名残りでしょうか?

      20180518柴崎神社06



こちらは、手水舎。

      20180518柴崎神社07


こちらには、龍ではなく亀。

      20180518柴崎神社08

神社に亀と言うことは.........
実は亀ではなく、玄武でしょう。



参道の狛犬。
狛犬の手前に玄武が並んでいます。
これは、妙見神社の証しですね。

      20180518柴崎神社09



狛犬。

      20180518柴崎神社10


      20180518柴崎神社11



玄武。

      20180518柴崎神社12



社殿が見えてきました。

      20180518柴崎神社13



こちらが、拝殿。

      20180518柴崎神社14


拝殿前の狛犬。

      20180518柴崎神社15


      20180518柴崎神社16



拝殿正面。

      20180518柴崎神社17


      20180518柴崎神社18



拝殿正面の扉には九曜紋。

      20180518柴崎神社19



拝殿正面に掲げられた神額。

      20180518柴崎神社20



別アングルからの拝殿。

      20180518柴崎神社21



こちらは、本殿。

      20180518柴崎神社22


      20180518柴崎神社23


      20180518柴崎神社24



こちらは、社務所。

      20180518柴崎神社25

御朱印は、こちらで拝受出来ます。



境内社。

      20180518柴崎神社26


      20180518柴崎神社27


      20180518柴崎神社28


      20180518柴崎神社29



小さな祠も建ち並びます。

      20180518柴崎神社30



こちらは、神輿庫でしょうか?

      20180518柴崎神社31



神武天皇の石碑。

      20180518柴崎神社32



不明の石碑。

      20180518柴崎神社33



境内には立派な木々があります。

      20180518柴崎神社34

かつて、この辺りに柴崎城なる城が在ったらしい。
この柴崎神社の鎮座する台地も城址の一部だと言う説もあるようですが
そう言われてみると、駐車場裏は堀跡のように見えなくない。

柴崎城址そのものは、宅地開発されて隠滅してしまったようで
生活な場所は不明とされているようです。


こちらが、柴崎神社の御朱印。

      20180518柴崎神社35

九曜紋もしっかり押されていて、千葉氏所縁の神社である事は間違いない。
何となく嬉しく感じてしまいます。




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2018/06/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............葺不合神社 (2018年5月18日)(千葉県我孫子市) 

5月18日

この日は、我孫子市の神社の御朱印巡りに出かけました。

最初に訪れたのは................葺不合神社



葺不合神社は、我孫子市新木に鎮座する神社です。

葺不合神社は、明治39年(1906年)に当地にあった厳島神社に、
字宮前にあった葺不合神社、白山神社、三峰神社を合祀して、
鵜葺草葺不合尊を主祭神とする葺不合神社となったと言われています。

厳島神社は元暦3年(1186)の創建と伝えられ、
沖田弁財天として著名だったといい、
現在の葺不合神社の拝殿に祀られていたといいます。
一方、字宮前の葺不合神社は、奈良期の創祀とも伝えられ、
字宮前にあった社殿を合祀の際に遷して、現本殿となっていると言われています。

また、葺不合神社の鎮座する場所は、柴崎城主・荒木三河守の発祥の地で、
かつては新木城があり、配下の田口内蔵助を留守として守らせ、
天正18年(1590年)に廃城になったと言う伝承があります。
ただ、新木城の実在性は確かなものではなく、
あくまでも伝承であるとのことです。



国道沿いに建つ、葺不合神社の社号標。

      20180518葺不合神社01



一の鳥居。

      20180518葺不合神社02



一の鳥居に掲げられた神額。

      20180518葺不合神社03



こちらは、旧・一の鳥居跡?

      20180518葺不合神社04



一の鳥居脇には庚申塔も建ち並びます。

      20180518葺不合神社05

神仏習合の名残りでしょうか?


板碑も幾つが建ち並びます。

      20180518葺不合神社06



鳥居の先は下りの石段。

      20180518葺不合神社07


石段を下った先の参道の敷石はうっすらと苔が生え
人を避けてきたような雰囲気が漂う。

      20180518葺不合神社08


      20180518葺不合神社37



上部が倒れた石灯籠。

      20180518葺不合神社09

東日本大震災の爪痕でしょうか?



手水舎。

      20180518葺不合神社10



二の鳥居。

      20180518葺不合神社11



二の鳥居の神額。

      20180518葺不合神社12



葺不合神社の説明板。

      20180518葺不合神社13



こちらは、伊勢神宮の記念碑か?

      20180518葺不合神社14


境内は三方が高台になっているすり鉢状の削平地。

      20180518葺不合神社38



確かに城郭の雰囲気はある。

      20180518葺不合神社15



拝殿改修記念碑。

      20180518葺不合神社16



拝殿前の石段にて。

      20180518葺不合神社17



拝殿前の狛犬。

      20180518葺不合神社18


      20180518葺不合神社19



こちらが、拝殿。

      20180518葺不合神社20

元々の厳島神社の地に在った弁天堂。



拝殿の扁額。

      20180518葺不合神社21


      20180518葺不合神社22



『天女像』の絵馬。

      20180518葺不合神社23



拝殿正面。

      20180518葺不合神社24



拝殿の彫刻。

      20180518葺不合神社25


      20180518葺不合神社26


      20180518葺不合神社27



拝殿背後の高台(本殿脇)からの拝殿。

      20180518葺不合神社28



こちらが、本殿。

      20180518葺不合神社29



本殿の彫刻。

      20180518葺不合神社30





本殿裏にある鵜葺草葺不合尊の石碑。

      20180518葺不合神社31

明治二十五年の銘があり、旧五郎地にあったものを移したと言われています。



拝殿前の手水鉢。

      20180518葺不合神社32



境内の片隅には、新四国相馬霊場第77番札所。

      20180518葺不合神社33



こちらは、社務所のようですが、無人で閉ざされています。

      20180518葺不合神社34



御神木。

      20180518葺不合神社35
      20180518葺不合神社36



こちらが、葺不合神社の御朱印。

      20180518葺不合神社39

本務社の竹内神社で拝受出来ます。
他の兼務社と併せて墨書きしていただきました。



2018/06/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ!...............ENICAR(2018年5月14日) 

5月14日

毎週、月曜日に着け変えている腕時計。


今週はこちら ↓

      20180513ENICAR01


ENICAR。


ENICARは、スイスの老舗ブランドです。
土星のマークが印象的なENICAR(エニカ)ですが、歴史は意外と古く
1854年にスイスのレングナウでラシン家によって創設されました。

19世紀前半のスイス北西部の小さな町であるLa Chaux-de-Fondsと
Grangesがスイス時計製造の中心地でした。

当時、Grangesを拠点とするラシン家は有名な時計製造者でした。
創業者のAriste Racineは、苗字を逆さに綴ったブランド、「Enicar」を設立。
以来、彼は高品質の時計製造に献身的に取り組みました。
特に彼が革新した懐中時計は読みやすく、第一次世界大戦中には
欧州の兵士や鉄道の乗組員に最も愛されたそうです。

その後アメリカ空軍に軍用時計を供給し、
大戦後の1951年には日本にも正式に輸入され
人気を博し、その名を広めました。



この腕時計も、10年ほど前の腕時計収集にハマっていた時期に
ヤフオクでゲットした中古品。

クッション型のケース。
ちょっぴり丸みを帯びたケースは好きな形状。

      20180513ENICAR02



金色のケースは、ちょっぴりオジさんチック。

      20180513ENICAR03



長年使われてきた時計のようですが
ケース裏蓋は、まだまだ輝きがある。

      20180513ENICAR04



土星とイルカのマークもはっきりしている。

      20180513ENICAR05



では、腕に着けてみましょう。

      20180513ENICAR06



ケースとマッチングしたゴールドの文字盤が、何となく良い。

      20180513ENICAR07


さあ、今週も頑張りましょう!!



2018/06/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............検見川神社 (2018年5月8日)(千葉県千葉市) 

5月8日

この日は、佐倉市近郊の神社の御朱印巡りに出かけました。
子守神社をあとにして、向かった先は...............検見川神社



検見川神社は千葉市花見川区検見川町に鎮座する神社です。

かつて打瀬船で知られた漁港の町検見川の航海安全の守護神としての御神徳から
千葉県唯一の八方除の神社とされています。
その創建は、貞観11年(869年)素盞嗚尊が疫病退散のためこの地に祀られました。
その後、この地の領主で幕府旗本の金田正明が1616年(元和2年)に宇迦之御魂神を祀りました。
さらには、寛永年間(1624年~1644年)に伊弉冉尊を祀りました。
三柱の神を総称して神祇三社検見川大明神と総称しています。



こちらが、検見川神社の社号標。

      20180508検見川神社01



検見川神社の鳥居。

      20180508検見川神社02


      20180508検見川神社03



鳥居に掲げられた扁額。

      20180508検見川神社04



それでは、検見川神社をお参りいたしましょう。

      20180508検見川神社05



参道脇の境内社の市神之社。

      20180508検見川神社06



石段を上った先は社殿。

      20180508検見川神社07



手水舎。

      20180508検見川神社08



拝殿。

      20180508検見川神社09



びいすけ も御参拝。

      20180508検見川神社10



拝殿正面の扁額。

      20180508検見川神社11



拝殿の行灯には、九曜紋。

      20180508検見川神社12



別アングルからの拝殿。

      20180508検見川神社13


      20180508検見川神社14


      20180508検見川神社15



拝殿正面の鬼瓦。

     20180508検見川神社17

こちらには、菊の御紋。



こちらは、本殿。

      20180508検見川神社16


     
拝殿前の狛犬。

      20180508検見川神社18



こちらは、社務所。
その奥が授与所。

      20180508検見川神社19

御朱印は、こちらで拝受出来ます。



境内には、臨時の授与所も設けられています。

      20180508検見川神社20

それだけ参拝者が多いと言うことでしょうか?



拝殿脇の祓戸大神。

      20180508検見川神社21



境内社の三峰神社。

      20180508検見川神社22



寄宮社(五社堂殿)。

      20180508検見川神社23

左から下総天満宮、嵯峨大地主神社、天地神集神社、難波塞神社、江戸湾金刀比羅宮。



同じく、境内社の古峯神社。

      20180508検見川神社24



由緒書き。

      20180508検見川神社25



御神水。

      20180508検見川神社26



宮間宮司の顕彰銅像。

      20180508検見川神社27

実は、検見川神社は、かつては八坂神社と呼ばれていたそうです。
昭和62年に八坂神社から検見川神社に改称し、現在に至っていますが
この像は、八坂神社から検見川神社の発揚に尽力された宮間宮司の像です。




御神石の「君が代石」。

      20180508検見川神社28


同じく、御神石の「真石」。

      20180508検見川神社29



東参道口。

      20180508検見川神社30



東参道口にも立派な手水舎がありました。

      20180508検見川神社31



こちらが、検見川神社の御朱印。

      20180508検見川神社32


検見川神社には、多くの神職さんが居られました。
御朱印の書き手の方も多く、待ち時間はほとんどない状態。
でも参拝者よりも神職さんのほうが多いと、
厳かな雰囲気がさらに増して来ます。
私にとっては、ちょっと敷居が高いかな?



2018/06/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............子守神社 (2018年5月8日)(千葉県千葉市) 

5月8日

この日は、佐倉市近郊の神社の御朱印巡り。

子安神社をあとにして、向かった先は...............子守神社



子守神社は、千葉市花見川区幕張町に鎮座する神社です。


建久5年(1194年)、大須賀胤信によって創建されたと伝えられています。

御祭神は稲田姫命,素盞嗚命,大己貴命。
かつて幕張町が素加の庄と言われていた頃は、
素加天王神社と称していましたが、
御祭神の三柱の大神を奉斎し、安産子育の社として
幕張地区の総鎮守の神社であるそうです。

御祭神は稲田姫命,素盞嗚命,大己貴命。

7年に1度行われる下総三山の七年祭りでは、
子守神社が子守役として参加しています。



こちらが、子守神社の社号標。

      20180508子守神社01

社号標には九曜に月星紋。
ひょっとして...............



期待を胸にアスファルトの参道を進みます。

      20180508子守神社02



こちらが鳥居。

      20180508子守神社03



鳥居に掲げられた神額。

      20180508子守神社04



拝殿前にて。

      20180508子守神社05



狛犬。

      20180508子守神社06


      20180508子守神社07



手水舎。

       20180508子守神社08



定番の龍の吐出口。

      20180508子守神社09


      20180508子守神社10



こちらが、拝殿。

      20180508子守神社11



拝殿正面の鬼瓦にも、九曜に月星の紋。

      20180508子守神社12

これは、千葉氏に所縁のある神社に違いない。



拝殿正面の飾りの彫刻。

      20180508子守神社13



別アングルからの拝殿。

      20180508子守神社14


      20180508子守神社15



再び、『九曜に月星』の紋。

      20180508子守神社16

どんよりとした曇り空に『九曜に月星』の紋が輝いています。



こちらが、本殿。

      20180508子守神社17



境内社の厳島神社。

      20180508子守神社18


同じく、境内社の天神社。

      20180508子守神社25



末社。

      20180508子守神社19



こちらは授与所。

      20180508子守神社20

普段は無人のようです。



御輿殿。

      20180508子守神社21



力石。

      20180508子守神社22



壁沿いに建ち並ぶ板碑群。

      20180508子守神社23



厳島神社の脇に飾られている錨。
実際に幕張の海で使われていた錨だそうです。

      20180508子守神社24


      
こちらは、御神木。

      20180508子守神社28



肝心の御朱印ですが、
神社前の社務所(宮司宅?)にて拝受して出来ます。

      20180508子守神社26



こちらが、子守神社の御朱印。

      20180508子守神社27

特徴のある力強い書体。
『九曜に月星』の紋の印も押されています。


宮司さんに話を伺ったところ、
やはり千葉氏に所縁のある神社だそうです。

九曜紋や月星紋は知っていたけど、
『九曜に月星』の紋は知らなかったなぁ。






2018/06/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

子安神社 (2018年5月8日)(千葉県千葉市) 

5月8日

佐倉市周辺の御朱印巡りに出かけたこの日。

向かった先は...............子安神社。


子安神社は、千葉市花見川区畑町に鎮座する神社です。

子安神社の創建は、第50代桓武天皇の平安時代初期の延暦年間(782年〜806年)に
この一帯を支配する豪族により築かれた子安古墳のお山を御神体として、
五穀豊穣の神として創祀されました。
当初は、子安大明神として祀られていましたが、
第60代醍醐天皇の延喜年間(901年〜923年)に
奇稲田姫命を勧進して祀りました。

左大臣藤原時平が特に深く崇敬し、
霊験著しく安産の守護神として多くの尊崇を得たと言われています。

また、600年ほどの歴史がある下総三山の七年祭り(七年祭)に
二宮神社、子守神社、三代王神社とともに最初から参加していた一社で、
今でも母役で参加しています。


こちらが、子安神社の社号標。

      20180508子安神社01



こちらが鳥居。

      20180508子安神社02



鳥居に掲げられた神額。

      20180508子安神社03



鳥居の脇には、こんな立て看板。

      20180508子安神社04

残念だけど びいすけ には、ちょっとの間だけ
車の中で待機してもらいましょう。



社殿へと続く参道。

      20180508子安神社05



参道脇の看板。

      20180508子安神社06

何と、九曜紋が描かれています。


参道の片隅には、青面金剛像。
神仏習合時代の名残りでしょうか?

      20180508子安神社07



この一画には、板碑が建ち並びます。

      20180508子安神社08



子安神社の由緒書き。

      20180508子安神社09



社殿が見えてきました。

      20180508子安神社10



境内入口の狛犬。

      20180508子安神社11


      20180508子安神社12



こちらにも、千葉県神社庁の規範神社の碑がありました。

      20180508子安神社13



こちらは、手水舎。

      20180508子安神社14


定番の龍の吐出口。

      20180508子安神社15



こちらが、拝殿。

      20180508子安神社16


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20180508子安神社17



拝殿正面の彫刻。

      20180508子安神社18



拝殿正面。

      20180508子安神社19



賽銭箱には九曜紋。

      20180508子安神社20



画面が暗くて見づらいですが、鬼瓦にも九曜紋。

      20180508子安神社21



別アングルからの拝殿。

      20180508子安神社22



こちらは、本殿。

      20180508子安神社23



こちらは、授与所ですが、閉まっています。

      20180508子安神社24



授与所。(正面から)

      20180508子安神社25



こちらは、参集殿でしょうか?

      20180508子安神社26



神楽殿。

      20180508子安神社27



神輿殿。

      20180508子安神社28


境内社の稲荷大明神。

      20180508子安神社29



同じく境内社の金毘羅神社。

      20180508子安神社30



子宝地蔵。

      20180508子安神社31



妙見宮。

      20180508子安神社32


他にも祠が多い。

      20180508子安神社33


      20180508子安神社34


      20180508子安神社35


      20180508子安神社37


で、肝心の御朱印ですが...............

この日は、誰も居らず社務所にも人の気配はありません。
念のため、携帯から電話してみましたが、
空しい呼び出し音が授与所の奥から響いてきます。

まあ、こんな事もあるでしょう。




2018/06/25 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう 千葉県八千代市 (2018年5月8日)(千葉県八千代市) 

5月8日

昨年から集めているマンホールカード。

3月に袖ヶ浦市のマンホールカードをゲットして
千葉県内で発行されているマンホールカードをコンプリートしたと思っていたら
4月29日に、新たに八千代市と銚子市のマンホールカードが発行されました。

ならば、貰いに行きましょう。

と言うことで、向かった先は.........八千代市上下水道局


マンホールカードの配布場所は、こちらの2階。

      20180508マンホールカード八千代市01



正面玄関を入ってすぐに、カラーマンホールの見本が飾られています。

      20180508マンホールカード八千代市02



2階の事務所でマンホールカード、ゲット!
見本と一緒にパチリ☆。

      20180508マンホールカード八千代市03



建物の中に入れない びいすけ は車の中で留守番。
ゲットしたカードとパチリ☆。

      20180508マンホールカード八千代市11



歩いて、5〜6分の所に、カラーマンホールの現物が
設置されていると言う事なので、探しに行きましょう。

      20180508マンホールカード八千代市04



真新しいアスファルト。
明らかに道路を掘削した跡が感じ取れます。
どうやら、マンホールが見えてきました。

      20180508マンホールカード八千代市06



こちらが、八千代市のカラーマンホールです。

      20180508マンホールカード八千代市07


      20180508マンホールカード八千代市08



そして、こちらが八千代市のマンホールカード。

      20180508マンホールカード八千代市09


      20180508マンホールカード八千代市10

八千代市の下水道事業着手50周年を記念して製作したカラーマンホール蓋です。
そのデザインは、八千代市を縦断する「新川」の景観を主題にしたもので、
沿岸に植栽された「千本桜」の花、新川にかかる「村上橋」と同橋に設置された「ブロンズ像」、
八千代市の花「バラ」が描かれています。

さあ、千葉県内のマンホールカードも、あと銚子市でコンプリートです。
近い内に銚子にでも行こうかな.........?


2018/06/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............臼井八幡社 (2018年5月8日) 

5月8日


この日は、佐倉市近郊の神社の御朱印巡りに出かけました。


最初に向かったのは...............臼井 八幡社


臼井八幡社は、佐倉市八幡台に鎮座する神社です。

古くはこの地は臼井と呼ばれ、中世の武家である臼井氏の領地でした。
臼井氏中興の祖、臼井興胤が足利尊氏に随って筑前の多々良浜で戦った折に、
宇佐八幡を念じ力戦奮斗し菊池武敏の軍を破り、臼井の地に凱旋しました。
暦応元年(1338年)臼井興胤が領内の総鎮守として、
この地に祀られたのが創建とされています。

御祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)。




こちらが、社号標。

      20180508 臼井八幡社01

社号標の奥の台地が鎮座地。
この辺りは八幡台と呼ばれています。



こちらは、鳥居脇の社号標。

      20180508 臼井八幡社33



こちらが、八幡社の一の鳥居。

      20180508 臼井八幡社003



鳥居に掲げられた神額。

      20180508 臼井八幡社04


参道には、お決まりの『定』が記された掲示板。

      20180508 臼井八幡社05


そして、由緒書き。

      20180508 臼井八幡社06



参道を進んで行きましょう。

      20180508 臼井八幡社07



社殿へと続く参道。

      20180508 臼井八幡社02



八幡台の鎮守。
参道には、古木も多い。

      20180508 臼井八幡社08
     20180508 臼井八幡社09



手水舎。

      20180508 臼井八幡社10



定番の龍の吐出口。

      20180508 臼井八幡社11



こちらが、二の鳥居。

      20180508 臼井八幡社12



二の鳥居前の狛犬。

      20180508 臼井八幡社13


      20180508 臼井八幡社14



こちらが、拝殿。

      20180508 臼井八幡社15



拝殿正面。

      20180508 臼井八幡社16


      20180508 臼井八幡社17



別アングルからの拝殿。

      20180508 臼井八幡社25



こちらが、本殿。

      20180508 臼井八幡社19


      20180508 臼井八幡社20



拝殿前の狛犬。

      20180508 臼井八幡社21


      20180508 臼井八幡社22



拝殿前の天水桶。

      20180508 臼井八幡社23



こちらは、何の建物でしょう?

      20180508 臼井八幡社24

参集殿か何かでしょうか?



こちらが、社務所。   

      20180508 臼井八幡社26

普段も常駐しているのでしょうか?
たまたま、この日は宮司さんが居らして御朱印を頂く事が出来ました。



境内社。

      20180508 臼井八幡社28


祠の中には、天狗像。

      20180508 臼井八幡社29



小さな祠もいっぱい。

      20180508 臼井八幡社27



板碑も建ち並びます。

      20180508 臼井八幡社30



本殿脇の御神木。

                 20180508 臼井八幡社31
      20180508 臼井八幡社32



こちらが、臼井八幡社の御朱印。

      20180508臼井八幡社34


御朱印の書き手は女性の神職さん。
力強い書体ですね。





2018/06/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............洗心小学校 (2018年5月7日)(千葉県富里市) 

5月7日

この日は、富里市に出かけました。


富里香取神社をあとにして、向かった先は.................富里市立洗心小学校


洗心小学校は、

大正10年      仮教場として設置される。
            (児童30余名、1学年から4学年まで)
昭和9年       富里南小学校の分校となる。
            (1・2学年、3・4学年の複式2学級)
昭和26年     富里村立洗心小学校として独立する。
           (1学年から6学年、複式 3学級)
昭和60年     富里村が町制施行し、富里町となる。
           富里町立洗心小学校と改称する。
平成14年     富里町が市制施行し、富里市となる。
           富里市立洗心小学校と改称する。
平成29年     富里南小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



県道沿いにある洗心小学校。

      20180507洗心小学校01



富里市の避難場所でもあるようです。

      20180507洗心小学校02



こちらが、洗心小学校の正門。

      20180507洗心小学校03



門扉は閉じられていますが、
門柱には洗心小学校の表札が残っています。

      20180507洗心小学校04


      20180507洗心小学校05



門扉は閉まっていても、
正門脇の駐車場から敷地内に入ることが出来ます。


こちらが、校舎。

      20180507洗心小学校06



校舎の壁に描かれたキャッチフレーズ。

      20180507洗心小学校07

富里市の花であるサルビアをモジっているんですね。


校舎の壁面前には、廃校記念碑(閉校記念碑)。

      20180507洗心小学校08



表面には、洗心小学校の校歌が刻まれています。

      20180507洗心小学校09



台座には子供たちの手形。

      20180507洗心小学校10



校舎玄関。

      20180507洗心小学校11



別アングルからの校舎。

      20180507洗心小学校12

なぜか敷地内に信号機がある。
きっと交通安全の指導に利用していたんでしょう。



校舎正面の壁面には、校章と時計。

      20180507洗心小学校13



こちらは、体育館。

      20180507洗心小学校14



校庭前には、記念碑。
『 はばたけ 洗心っ子 』

      20180507洗心小学校15



こちらが、校庭。

      20180507洗心小学校16



校庭からの校舎。

      20180507洗心小学校17



      20180507洗心小学校34



校庭に残る遊具類。

      20180507洗心小学校18


      20180507洗心小学校19


      20180507洗心小学校20


      20180507洗心小学校21


      20180507洗心小学校22


      20180507洗心小学校23


      20180507洗心小学校24


      20180507洗心小学校25


      20180507洗心小学校26


      20180507洗心小学校27


      20180507洗心小学校28


      20180507洗心小学校29



故櫻井先生の記念碑。

      20180507洗心小学校30

櫻井先生は、洗心小学校の教育に尽力をされた方なんでしょう。



こちらが、シンボルツリーだったのか?

      20180507洗心小学校31



朽ちかけた百葉箱。

      20180507洗心小学校32



国旗掲揚ポール。

      20180507洗心小学校33



そして、廃校でよく見かける防災倉庫。

      20180507洗心小学校35



平成の大合併で新しい自治体が誕生し、
旧自治体単位で、少子化と合理化の名の下に
かなりの学校が廃校になりました。

しかし、富里市は、富里村から富里町、富里市と変遷していく中で
他の市町村と合併することなく、単独で富里村から富里市へと変わって行きました。
日本の高度成長期に宅地が開発され、多くの人口が増えて発展し
洗心小学校も分校から独立校となりました。
しかし、過疎と言えるのかは分からないけれど
少子化の波をかぶって、ついに廃校となったようです。

地方都市における少子化って、やっぱり深刻な問題なんだなぁ.........。


2018/06/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............富里香取神社 (2018年5月7日)(千葉県富里市) 

5月7日

この日は、富里市に出かけました。


高松入神社をあとにして、向かった先は.............富里香取神社



富里香取神社は富里市高松に鎮座する神社です。

御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。

香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでいて、
広く尊崇をあつめています。
一般からは家内安全、産業(農業・商工業)指導の神、海上守護、
心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されています。
さらに、その武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、
災難除けの神としても有名です。

富里の豊かな自然の中の木々に囲まれた静かな場所に鎮座するのが
富里香取神社です。



社号標は見当たらなかったけれど
看板や幟がありました。

      20180507富里香取神社01


      20180507富里香取神社02


      20180507富里香取神社03



こちらが、富里香取神社の鳥居。

      20180507富里香取神社04



鳥居の先には社殿。

      20180507富里香取神社05



こちらは、手水舎。

      20180507富里香取神社06



拝殿。

      20180507富里香取神社07


      20180507富里香取神社08



拝殿正面。

      20180507富里香取神社11



拝殿の屋根。

      20180507富里香取神社12



拝殿の賽銭箱の上には、授与品。
書置きの御朱印も用意されています。

      20180507富里香取神社13

事前に宮司さんに連絡を入れておいたから
御朱印は御朱印帳に墨書きをお願いしてあります。
でも、宮司さんと連絡が取れない場合もあるから
こう言った配慮は嬉しいですね。



こちらは、本殿。

      20180507富里香取神社14



本殿に描かれている絵。

      20180507富里香取神社15



本殿の彫刻。

      20180507富里香取神社16



狛犬。

      20180507富里香取神社17


      20180507富里香取神社18


こちらは、境内社。
左側は三峰神社、右側は浅間神社。

      20180507富里香取神社19



小さな祠や板碑も建ち並びます。

      20180507富里香取神社20


      20180507富里香取神社21



御朱印は、宮司さん宅にて拝受します。

      20180507富里香取神社22



神社の前の田んぼは、御神田。

      20180507富里香取神社23


      20180507富里香取神社24


こちらが宮司さん宅。
黄色い幟には、『御朱印』の文字。

      20180507富里香取神社25



こちらが、富里香取神社の御朱印。

      20180507富里香取神社26



こちらが通常版。

      20180507富里香取神社27



こちらは、この時期限定の御朱印。

      20180507富里香取神社28


貴重な御朱印、ありがとうございました。



2018/06/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............高松入神社 (2018年5月7日)(千葉県富里市) 

5月7日

この日は、富里市に出かけました。


旧・富里小学校跡をあとにして、向かった先は...............高松入神社


高松入神社は、富里市十倉に鎮座する神社です。
鎮座している場所から十倉香取神社とも呼ばれていたそうです。

創建時期等は不明です。


こちらが、高松入神社。

      20180507高松入神社01

県道沿いに鎮座している小さな神社。
赤い鳥居が目に止まらなければ、ここが神社だとは気づかない。


こちらが、高松入神社の鳥居。

      20180507高松入神社02



こちらが、社殿。

      20180507高松入神社03



屋根の鬼瓦を見ると、社殿っぽく見えるけど
見ようによっては、公民館等の建物に見えなくもない。

      20180507高松入神社04


      20180507高松入神社05


      20180507高松入神社06


      20180507高松入神社07


      20180507高松入神社08



手水鉢も水が枯れていて、
しばらく使われた形跡は無さそうです。

      20180507高松入神社09


      20180507高松入神社10



こちらは、境内社でしょうか?

      20180507高松入神社11



こちらが、高松入神社の御朱印。

      20180507高松入神社12

近くにある富里香取神社の宮司さん宅にて拝受しました。
富里香取神社の宮司さんの兼務社になるそうです。


敷地内に消防倉庫なんかが在ると、
一瞬、ここは廃校跡.........?
なんて思ってしまったりする悲しい性です。(笑)










2018/06/21 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

旧・富里小学校跡 (2018年5月7日)(千葉県富里市) 

5月7日

この日は、富里市に出かけました。

富里市には、昨年廃校になった小学校がありますが
それとは別に、昭和30年代に廃校になった分校が2校在ったようです。
残念ながら、その分校については、あまり情報が無く
未だにその場所が不明です。

その分校を調べている内に、本校である小学校が
昭和48年に移転している事が分かりました。

ひょっとしたら、何か記念碑のようなモノが残っていないか?
そんな期待を胸に訪れたのは.........旧・富里村立 旧・富里小学校跡。


富里小学校は、現役の小学校ですが.........

明治13年七栄村に七栄小学校を設置
明治18年七栄村外12か村の連合村内学校を七栄村に設立 印東小学校と称す
明治20年教育令に基づき印東小学校を廃し七栄小学校とする
明治41年勅令に基づき七栄148番地富里農業補習学校敷地内に創立 富里尋常小学校と称す
村内既存の5尋常小学校をそれぞれ、第二、第三、第四、第五、分教場として吸収する
昭和22年学校教育補施行により富里村立富里小学校と称す 第三分教場独立 富里第一小学校と称す
昭和31年第一分教場(久能)を廃し本校に統合
昭和38年第二分教場(根木名)を廃し本校に統合
昭和48年新校舎落成 旧校地(七栄448番地1)から現在地へ移転

昭和60年富里村が町制施行して富里町となる。
富里町立富里小学校と改称する
平成14年富里町が市制施行して富里市となる。
富里市立富里小学校と改称する。

と、このような沿革となっています。


たまたま、知り合いの母親が富里小学校の卒業生で
旧・校地に通学していたことから、旧・校地の場所を知ることが出来ました。


こちらが、旧・富里小学校跡地。

      20180507 旧・富里小学校跡01



昭和48年に移転後、校舎は解体され更地となり、
民間に売却されて、現在はショッピングモールとなっています。

      0180507 旧・富里小学校跡02



ファミレス、眼鏡店、リサイクルショップ等があるようです。

      0180507 旧・富里小学校跡03



最近良く見かける郊外型の専門店舗街ですね。

      0180507 旧・富里小学校跡04


      0180507 旧・富里小学校跡05


      0180507 旧・富里小学校跡06


ひとしきり、敷地内を歩き何か碑のようなモノが無いか?
目を凝らして探してみましたが、学校遺構は皆無。

どうみても、この場所が学校跡地だったとは..................
私も知り合いから教えて貰わなければ分からなかった。

きっと、この場所が富里小学校の原点だったことは
いつしか忘れ去られてしまうんだろうなぁ。


2018/06/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ!...............ZUAN SHI (2018年5月7日) 

5月7日

毎週月曜日に着け替えている腕時計。
今週は、こちら ↓

      20180506ZuanShi01


ZUAN SHI

聞き慣れないブランドです。

実は、中国の国営の時計メーカーです。
そもそも中国初の国産腕時計は、昭和30年(1955年)3月に
『天津公私合営華威鐘表廠』(後の天津手表廠)で製造されたそうです。
そのモデルは「五星牌15石機械式腕時計」だと言われています。
その後、中国の各省の国営時計工場で多数のブランド、バリエーションが作られ、
独自の発展をしていったそうです。

その中の一つが、こちらの ZUAN SHI 。
中国語で 『ダイヤモンド』を意味するそうです。

ちなみに、17ZUAN とは、17石を意味します。



以前、ヤフオクで手に入れた機械式手巻きの腕時計。
それなりに使い込まれていて、文字盤もかなり汚れています。

      20180506ZuanShi02



ベルトもNATO式のモノに取り替えられています。

      20180506ZuanShi03

(このベルトのへたり具合いも愛嬌の一つ)



竜頭にも三角のダイヤモンドのマーク。

      20180506ZuanShi04



ケース裏蓋には、様々な刻印。

      20180506ZuanShi05

この刻印の意味することを紐解いていくのも面白い。


ケース中央の 『 钻石 』→ ダイヤモンド

QUAN GANG  → 全鋼
FANG ZHEN   → 防震
手表   → 腕時計
上海手表四廠 → 国営会社名
(国営の上海の4番目の腕時計製造会社ということになります。)

文字盤とケース裏蓋の文字・刻印を合わせると

中国の上海にある上海手表四廠と言う会社(工場)で作られた腕時計で、
ダイヤモンドと言うブランドで、17石で、全鋼(一枚の鋼材のみで製作したもの)で、
防振機能を備えた腕時計と言うことになります。

む、む、むっ、こいつは奥が深い。
って言うか、分かり辛そうで分かり易い。

残念ながら、中国国内向けの各旧型機械式腕時計は、
平成7年(1995年)前後にいずれも生産中止となってしまったそうです。



それでは、腕に着けてみましょう。

      20180506ZuanShi06


      20180506ZuanShi07


う〜んむ、なかなか良い感じ。

さてさて、今週も頑張りましょう!!




2018/06/20 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今宵の びいすけ (2018年5月3日) 

5月3日

世の中が、ゴールデンウィーク真っ只中のこの日。
たまたま、仕事が休み。

かと言っても、どこへ行っても混みそうな日は
大人しくしているのが賢い選択。


録り貯めしていたドラマを何本も観て、ほぼ1日は終わります。


午後8時過ぎ。

テレビを観ていると、ソファの上の びいすけ は夢心地。

      20180503びいすけ01



イビキかいて、寝ています。

      20180503びいすけ02



シャッター音で薄目を開けて、
『何か用?』とでも言いたげな雰囲気。

      20180503びいすけ03


起こしてしまったんなら申し訳ない。
お詫びの気持ちで、クッキーをあげましょう。
(犬用のクッキーだから、御安心を!)


『 欲しい〜っ! 』

      20180503びいすけ04

って要らない訳がない。



美味しそうに、クッキーを食べる びいすけ 。

      20180503びいすけ05



二個目も美味しそうに食べます。

      20180503びいすけ06



食感を味わっているのか?
クシャクシャと小気味良い音を立てて
クッキーを堪能する びいすけ 。

      20180503びいすけ07


こうやって、世の中がゴールデンウィークと騒いでいる中
我が家の宵は過ぎて行くのでありました...............。





2018/06/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週はコレ!...............OMAX (2018年4月30日) 

4月30日

毎週月曜日に着け変えている腕時計。

今週は、こちら ↓

      20180520OMAX01


OMAX

聞き慣れないブランドですね。
1940年代にスイスで創業したブランドで、
1970年代には『SPACE MAN(スペースマン)』というデザインウォッチで
一躍その名前を知らしめた腕時計メーカーです。

そのOMAXの機械式(自動巻)の腕時計です。
25石、インカブロックと言う耐震装置を備えたモデル。
ケース裏蓋には『3506』と記載があるから、
モデルNo.なのか、シリーズNo.でしょうか?




新品ではないけれど、ヤフオクでゲットしたモノ。
手に入れてから7〜8年経っている。

      20180520OMAX02



革のベルトは経年劣化でかなりくたびれていますが
そこはご愛嬌。

      20180520OMAX03



竜頭の刻印もカスれてしまい判別不能。

      20180520OMAX04



ケース裏の細かな傷は、長い年月を物語る。

      20180520OMAX05



グレーの文字盤に波模様が他とは異彩を放っています。

      20180520OMAX06



久しぶりに腕に着けてみます。

      20180520OMAX07


      20180520OMAX08



機械式腕時計のちょっとした重さを左腕が感じてくれます。
この感覚が心地良い。


さあ、今週も頑張りましょう!!





2018/06/19 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

白河ラーメン@とら食堂 (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島県の旅行。

そのシメは、白河ラーメンの名店、『 とら食堂 』。


福島県でラーメンと言えば、喜多方ラーメンが浮かんでくる人が多いですが、
実は白河市もラーメンの激戦区。
現在、白河市内には、白河ラーメンを提供するお店は100店を超えるそうです。
中でも「とら食堂」は、行列の絶えない人気の名店だそうです。

そもそも、東北の玄関口・福島県白河市の白河ラーメンは
とら食堂が発祥と言われています。
その味に魅せられた人々がこぞって弟子入りを志願し、
多くのラーメン店が開業したとも言われているそうです。


実は、とら食堂には以前来たことがあります。
今から10数年前、白河市に遊びたいに来た時に
地元の友人に連れて来てもらいました。


田んぼと畑が広がる集落。

      20180427とら食堂01


午後の営業は16時から。
時刻は16時ちょっと前。
既に駐車場には車がいっぱい。

      20180427とら食堂02

お店の前には15〜6人ほどの行列が出来ていました。


この日の開店は16時15分。
車の中で留守番させる びいすけ を大人しくさせるために
ぐるっと周辺を散歩(5分ほど)していたら
その間に、店はオープンしてしまい、それに合わせてお客さんもさらに来店して
結局、順番待ちになっちゃいました。

      20180427とら食堂03


      20180427とら食堂04


お客さんが1回転する間、約30分の順番待ち。



カウンターに座り、オーダーしたのは、手打ち中華そば(大)。

      20180427とら食堂05


すっきりしたスープにコシのあるちぢれ麺が深い味わいを醸し出す逸品。

大変美味しいいただきました。




2018/06/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............鹿島神社 (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島県への旅行。


白河鹿島神社は、白河市大鹿島に鎮座する神社です。

宝亀年間(770~780年)光仁天皇の頃、創建した由緒ある神社です。
弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際に、
改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、
白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、
戦勝を祈願したと言われています。
延喜式神名帳(成立927年)に残る式内社でもあり、
歴代の小峰城主の尊崇も厚く、城主自ら奉幣、参籠し、
祭田や社殿の寄進もあったそうです。

御祭神として、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が祀られています。




こちらが、鹿島神社の社号標。

      20180427鹿島神社01



社号標の建つ場所から参道は始まります。

      20180427鹿島神社02



社号標脇の神橋。

      20180427鹿島神社03



神社の参道口でよく見かける『定』?

      20180427鹿島神社04

これって何て言うんだろう?
案内板? 掲示板?



こちらが、一の鳥居。

      20180427鹿島神社05



一の鳥居の神額。

      20180427鹿島神社06



一の鳥居の手前の狛犬。

      20180427鹿島神社07


      20180427鹿島神社08



一の鳥居の先にも狛犬。

      20180427鹿島神社09


      20180427鹿島神社10



さらに参道は続きます。

      20180427鹿島神社11



二の鳥居。

      20180427鹿島神社12



二の鳥居の先の狛犬。

      20180427鹿島神社13


      20180427鹿島神社14



さらには、太鼓橋。

      20180427鹿島神社15



太鼓橋を渡れば手水舎。

      20180427鹿島神社16



定番の龍の吐出口。

      20180427鹿島神社18



手水舎で清めを済ませれば、随身門がお出迎え。

      20180427鹿島神社19



随身門脇の回廊前には、御神酒が並びます。

      20180427鹿島神社20



随身門の扁額。

      20180427鹿島神社21



神を守るとされる随身(随神)。
向かって左側だから矢大臣。

      20180427鹿島神社22



向かって右側。
右側なのに左大臣。

      20180427鹿島神社23



回廊。

      20180427鹿島神社24


      20180427鹿島神社25

随身門があって、回廊まである。
こちらの神社は侮れない。


随身門をくぐれば、目の前には社殿(拝殿)。

      20180427鹿島神社26



拝殿正面。

      20180427鹿島神社27



拝殿正面の彫刻。

      20180427鹿島神社29


      20180427鹿島神社28




この時点で、すでに鹿島神社の厳かさに圧倒されています。
     

厳かに参拝いたします。

      20180427鹿島神社30



拝殿前の天水桶。

      20180427鹿島神社31



拝殿前の狛犬。

      20180427鹿島神社32


      20180427鹿島神社33



こちらが、本殿。

      20180427鹿島神社35


      20180427鹿島神社44



こちらは、祈祷殿。

      20180427鹿島神社36




境内社。

      20180427鹿島神社34

左から、稲荷神社、神明神社、天津神社。


      
境内社の松尾神社。

      20180427鹿島神社37



境内にそびえる立派な木。

      20180427鹿島神社38
      20180427鹿島神社39

御神木と思ったら違っていました。



こちらが、御神木。

      20180427鹿島神社40
      20180427鹿島神社41

本殿脇に在りました。
とにかく、その存在感が凄い!



別アングルからの御神木。

       20180427鹿島神社42
      20180427鹿島神社43


      
本殿の裏山にパワースポットがあるらしい。

      20180427鹿島神社45

せっかくだから、行きましょう。



階段を上がり.........

      20180427鹿島神社46


狭い山道を歩き.........

      20180427鹿島神社47

まるで、城址にチャレンジしている気分。




こちらが、パワースポットの磐座

      20180427鹿島神社48

古代からの祭祀が行われ聖地と云われる大岩です。




神仏習合の名残でしょうか?
境内には、観音堂と弥勒堂が在ります。

こちらが、観音堂。

      20180427鹿島神社49



そして、弥勒堂。

      20180427鹿島神社50



こちらが、鹿島神社の御朱印。

      20180427鹿島神社51



正直、鹿嶋神社と言う名前から、
そこいらにある鹿島神社と同じレベルだと思っていましたが、
ここまで、格式高い神社だとは思っていませんでした。

本家の鹿島神宮は未だ参拝していませんが、
(鳥居の前までは行ったことがある)
本家に劣らない(?)んじゃないかな?

久しぶりに身の引き締まる神社に参拝した気分になりました。


しかし、御朱印にQRコードって...............?
そんな時代なんでしょうか.........?



2018/06/18 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第三小学校   (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

ここまで、第一小学校、第二小学校、第四小学校、第三小学校河東田分校と
何とか辿り着く事が出来ました。
表郷第五小学校は、新設統合校である表郷小学校2なったから
残すは、表郷第三小学校のみ。
場所が分からなかったんですが、
耕運機に乗っていたオジさんに教えてもらいました。


こちらが、第三小学校の正門跡。

      20180427表郷第三小学校01



フェンスの先に見えるのは、第三小学校の門柱。

      0180427表郷第三小学校02



表札もしっかり残っています。

      0180427表郷第三小学校03



裏には門柱の建立時期が刻まれています。

      0180427表郷第三小学校04

昭和27年の建立のようです。


建立にあたり、寄付した方の名が刻まれています。

      0180427表郷第三小学校05



門をくぐり、敷地内に入ります。
第三小学校跡地は、一部が八幡集会所。
残りは民間企業に売却されたのか? 工場が建っています。


集会所前には、創立百周年記念碑。

      0180427表郷第三小学校06

『体 徳 知』と刻まれています。



裏面には、創立百周年記念際の実行委員会の方々の名が刻まれています。

      0180427表郷第三小学校07




こちらが、八幡集会所。

      0180427表郷第三小学校08



敷地奥は、民間企業の工場。

      0180427表郷第三小学校09




集会所と工場の間には、公園のような空間。


遊具が一ヶ所にまとまっています。

      0180427表郷第三小学校13



この木は、第三小学校の時からこの場所にあるのだろう。

      0180427表郷第三小学校10




こちらの木も同じでしょう。

      0180427表郷第三小学校11



びいすけ は、草の匂いを嗅ぎまわっています。

      0180427表郷第三小学校12

      
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近所のワンちゃんの散歩コースなのか?
ちょっぴりテンションも高め。

      0180427表郷第三小学校17


      0180427表郷第三小学校18




工場の周りにも葉桜になった桜の木もチラホラ。

      0180427表郷第三小学校15


      0180427表郷第三小学校16



正直、探し出すのを諦めていた第三小学校。

何とか辿り着けて良かった。

これで、旧・表郷村の廃校となった小学校を制覇出来ました。



      
2018/06/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第三小学校 河東田分校  (2018年4月27日)(福島県白河市 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

ここまで、第一小学校、第二小学校、第四小学校と巡って来ましたが
残る、表郷第三小学校、表郷第三小学校河東田分校、表郷第五小学校の場所が分かりません。
かくなる上は、なるべく年配の方に訊きまくる。
最初に尋ねたのがオバさん。
その方の話だと、第五小学校の跡地に統合校である表郷小学校が建てられたらしい。
となると第五小学校が現在の表郷小学校。

次に尋ねたが、耕運機を運転していたオジさん。
その方の話では、
3kmほど先のビニールハウスがいっぱいある辺りの
さらに奥まった所と言う情報を頼りに移動します。


言われた辺りを適当にグルグルと走り回り、
突如、目の前に現れた河東田分校。

      20180427表郷第三小学校河東田分校01

正門はフェンスで塞がれていました。


フェンス越しに見る河東田分校。

      20180427表郷第三小学校河東田分校02

かろうじて(?)木造プレハブ(?)の校舎は残っていました。


全面フェンスに囲まれているかと思ったら、
東側から簡単に敷地内に入れます。

      20180427表郷第三小学校河東田分校03



平屋建ての小さな校舎。
まさに分校の校舎ですね。

      20180427表郷第三小学校河東田分校04


      20180427表郷第三小学校河東田分校05


      20180427表郷第三小学校河東田分校06



門柱の裏側。

      20180427表郷第三小学校河東田分校07

画面では見にくいですが、大正時代に建てられたもののようです。




敷地の隅に建つ碑。

      20180427表郷第三小学校河東田分校09

河東田分校跡の碑ですね。



裏面には何かが刻まれています。

      20180427表郷第三小学校河東田分校08



よく見ると、校歌と分校の沿革。

      20180427表郷第三小学校河東田分校10


碑文によれば、

明治7年7月  杜村河東田小学校開校
明治34年6月 杜村第二小学校と改称
昭和22年4月 杜小学校河東田分校と改称
昭和26年2月 表郷第三小学校河東田分校と改称
昭和55年4月 表郷小学校河東田分校と改称
昭和56年3月 表郷小学校に統合のため閉校

と言うような沿革となっているようです。



なぜか、門柱が無造作に転がっている。

      20180427表郷第三小学校河東田分校11

別な門もあったのでしょうか?



正直、見つけ出すのを半分諦めていた河東田分校。
辿り着けて良かった...............。



2018/06/16 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第四小学校   (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

そんな旧・表郷村の廃校巡り。
次なる目的地は、旧・表郷村立 表郷第四小学校です。


表郷第四小学校に関する情報も乏しく、
いつも拝見しているブログを参考に
それらしき場所を探します。
道路沿いの更地と言う情報を元に、
国道289号線を表郷金山方面へと移動します。


国道沿いに門柱を発見。

      20180427表郷第四小学校01



表札には、『表郷村立表郷第四小学校』の名が刻まれています。

      20180427表郷第四小学校02



事前情報通り、跡地は更地で何も無い。

      20180427表郷第四小学校03



敷地の一画に木が茂り、何かがあります。

      20180427表郷第四小学校04


近づいてみると、記念碑が在りました。

      20180427表郷第四小学校05



表郷第四小学校創立百周年の記念碑です。

      20180427表郷第四小学校06

表面には表郷第四小学校の校歌が刻まれています。



裏面には表郷第四小学校の沿革が刻まれています。

      20180427表郷第四小学校07

碑に刻まれた沿革によれば.........

明治12年高木小学校創設
明治17年金山尋常小学校高木分校となる
明治25年金山村高木尋常小学校となる
昭和22年金山村立高木小学校となる
昭和30年表郷村立第四小学校となる

そして、昭和55年に旧・表郷村の5つの小学校と
1つの分校が統合されて、廃校となりました。




記念碑の脇には二宮像。

      20180427表郷第四小学校08

台座は無く、地面に直接置かれています。


一応、基礎は打たれていますが、大きな地震が来たら倒れてしまいそう。

      20180427表郷第四小学校09




国道を挟んだ向かいに何かの碑が建っています。

      20180427表郷第四小学校10



近づいて確認します。

      20180427表郷第四小学校11


高木小学校運動場と記されています。

表郷第四小学校の祖である高木小学校。
明治期に創設された小学校の運動場だったようです。

おそらく、その後に国道が整備されて、
小学校の敷地を分断するような形になってしまったんでしょう。


校舎も無いけれど、門柱や記念碑、二宮像。
そしてこの運動場の碑。
これらの学校遺構がこの地に残されている限り
この小学校の卒業生は、第四小学校の事を忘れないだろう...............。




2018/06/16 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit