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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

島穴神社 (2018年3月4日)(千葉県市原市) 

3月4日

この日は、御朱印をいただく為に、市原市の神社巡りをしていました。


椎津にある八坂神社をあとにして、向った先は..................島穴神社



島穴神社は、上総五社の内の一社であり、
古くからこの地方の格式ある名社として崇められてきたそうです。

今からおよそ1800年前の景行天皇四十年(114年)に日本武尊が東征の折に
相模国走水より上総国へ航行中に、暴風に遇い
危うく船が覆りそうになった時、妃君の弟橘姫命が
大和国の風鎮めの神・龍田大社を遙かに拝み、海中に身を投せられました。
するとたちまち暴風は止み、無事上総国へ着くことが出来たそうです。
日本武尊が志那都比古尊を祀る宮を創建したのが、この島穴神社だと言うことです。
そののち景行天皇が当地へ行幸の折(127年)に
日本武尊と倭比売尊を合祀されたそうです。


房総半島の神社を巡ると、由緒書きに
幾度となく日本武尊と弟橘姫命の話を目にします
日本神話に基づくこの逸話(?)に因む神社が多い。






正直言って、この島穴神社に辿り着くまでか大変でした。
かなり狭い道を車で走るため、対向車が来ないか?
ヒヤヒヤものでした。


こちらが、島穴神社の社号標。

      20180304島穴神社01



その脇には一の鳥居。

      20180304島穴神社02



一の鳥居に掲げられた神額。

      20180304島穴神社03



参道を社殿に向かって歩きます。

      20180304島穴神社04



この橋の先、森に見える所が島穴神社。

      20180304島穴神社05


この橋の名は、ズバリ! 島穴神橋。

      20180304島穴神社06



さらに小さな橋があり、この橋を渡れば境内地。

      20180304島穴神社07



この橋は、宮之橋と言うみたい。

      20180304島穴神社08



こちらも社号標。

      20180304島穴神社09


二の鳥居。

      20180304島穴神社10


鳥居の脇に、立て看板。

      20180304島穴神社11

残念ですが、 びいすけ はココまで。
車の中で留守番して貰います。

犬の立ち入り禁止の看板は、あまり見たくは無いですが
こんな感じで、境内に入る前に表示があれば
のちのちトラブルにはならないから、良いでしょう。


でも 『定』 には書かれていないんだよなぁ。

      20180304島穴神社12




鳥居をくぐって境内に入ります。

      20180304島穴神社13



手水舎。

      20180304島穴神社14



由緒書き。

      20180304島穴神社15



拝殿前の狛犬。

      20180304島穴神社16


      20180304島穴神社17



こちらが、拝殿。

      20180304島穴神社18


      20180304島穴神社19


拝殿に掲げられた扁額。

      20180304島穴神社20


      20180304島穴神社21



島穴神社の提灯。

      20180304島穴神社22



別アングルからの拝殿。

      20180304島穴神社23



こちらが、本殿。

      20180304島穴神社24



島穴神社には境内社が多い。


御神木かと思ったら違っていました。

      20180304島穴神社25


木の下に『祓神』。

      20180304島穴神社26



こちらは、浅間神社。

      20180304島穴神社27



八雲神社。

      20180304島穴神社28



子安神社、愛宕神社、淡島神社。

      20180304島穴神社29



こちらは、疱瘡神社。

      20180304島穴神社30


病気除けの神さまです。

      20180304島穴神社31



第六天神社

      20180304島穴神社32


天神社。

      20180304島穴神社33



こちらが、御神木のようです。

      20180304島穴神社35



こちらが、社務所。

      20180304島穴神社34

無人のため、御朱印を頂くことは出来ませんでした。







房総半島の神社を巡ると、由緒書きに
幾度となく日本武尊と弟橘姫命の海難の話を目にします
日本神話に基づくこの逸話(?)に因む神社が多い。
でも弟橘姫命を祀っているのが茂原市の橘樹神社です。
なぜ弟橘姫命ではなく、志那都比古尊なのか?
個人的に疑問が消えない島穴神社。
いずれ、御朱印を頂くために、再訪することになるでしょう。







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2018/04/21 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

椎津城址 (2018年3月4日)(千葉県市原市) 

3月4日

この日は袖ヶ浦市に出かけ、その帰りに市原市の神社を巡っていました。
市原市の椎津にある八坂神社の裏山には、
兼ねてから攻略したいと思っていた椎津城址があります。

誰かのブログを拝見したら、椎津城址は私有地の為
フェンスが設けられて、立ち入り禁止になっているとの情報だったから
訪城(登城)は諦めていました。

今回、八坂神社に訪れた際に八坂神社の近くで、こんな幟を見かけました。

       20180304椎津城址01


これって、史跡案内用の幟だよね?
って言うことは、一般に解放されたの?

詳しい情報は無いけれど、とりあえず向かってみましょう。
八坂神社の宮司さんとの待ち合わせには、まだ1時間近くあるからね。




椎津城は築城については諸説があるようです。

千葉氏の一族の椎名胤仲が1319年~1330年頃に椎津三郎と称して居城し、
有木城 、小野山城、海保城、要害山城、万台城、高坂城を勢力下に置いていたと言う説。

建武2年(1335年 )三浦高継が椎津を所領し、
応仁年間(1467〜1469)に三浦定勝が築城したと言う説。

明応年間(1492〜1501)に甲斐武田氏の一族である真里谷武田氏が
上総の北方の備えとして築城とする説。

と、このような諸説がありますが、いずれにしても、1456年(康正2年)に甲斐武田氏の一族・武田信長が
上総国に真里谷城(現在の千葉県木更津市)を築城し本拠とすると、
椎津も上総武田氏(真里谷氏)が治めることになります。


中世の上総及び、東京湾の水上交通にとって要衝の地であり、
小弓公方・足利義明と古河公方・足利高基の対立、
そして小田原北条氏と安房・里見氏の争いにおいても重要な地となりました。
第二次国府台合戦で里見氏に大勝した北条氏は、余勢をかって上総に侵攻し、
椎津城を攻略して奪い、城代として白幡六郎を置きましたが
天正十八(1590)年の小田原の役で、浅野長政率いる別働隊の攻撃を受け
椎津城は落城したそうです。




椎津城の縄張り図

      椎津城址縄張り図

                               ( 余胡さんのHPよりお借りしました。 )



前方の山が椎津城址。

       20180304椎津城址02



この場所は主郭の北側。
八坂神社の裏手になります。
主郭への登城路のようです。
確かに、フェンスが在って立ち入り禁止。
なのに、その先には案内板(説明板)が建っている。
かつては、中に入れたようですね。

       20180304椎津城址03



270mmのズームをフル活用。

       20180304椎津城址04

説明板には、縄張り図も記されているようです。



仕方ないので、別な登城路を探し西側へと移動します。

       20180304椎津城址05


この台地が主郭。

       20180304椎津城址06



下から眺めるだけの史跡なのか?
この時点では半分くらい諦めていました。

      20180304椎津城址07


主郭を左手側に、移動します。

      20180304椎津城址08



怪しげな道を発見。
でもコンクリート敷き。
どこかの民家の庭先が玄関に入るのかな?

      20180304椎津城址09


そんな事を思いながら、進んで行くと..................


土塁らしき土壇。

      20180304椎津城址10


そして、目の前に現れた説明板。

      20180304椎津城址11


      20180304椎津城址12



まさしく、ここが椎津城址。

      20180304椎津城址13


以前は立ち入り禁止だったはずだけど
土地の所有者が開放してくれたみたいですね。

調べてみたら、椎津城址は宅地化がすすみ消滅の危機にあり、
市原市は、平成27年7月3日に市の指定文化財史跡に指定したそうです。
(城の主要部である「主郭」を中心とする約1万1千平方メートルを指定範囲とした)
その後、平成28年3月28日、椎津城跡主郭部北側 1,623.13 ㎡について追加指定を行い、
さらには平成29年2月15日、千葉県指定史跡へ昇格したそうです。

なるほど、そう言うことだったのね。



余分なたけが伐採されて、はっきりと確認出来る土塁。

      20180304椎津城址14


      20180304椎津城址15


      20180304椎津城址16



主郭中央部には、先ほど(主郭下で見た)と同じ説明板。

      20180304椎津城址17

縄張り図も確認出来ます。


そして、その近くには城址の標柱。

      20180304椎津城址18



下部の錆具合から、昨日今日建てられたモノじゃない。

      20180304椎津城址19

と言うことは、以前から在る標柱。

椎津城を攻略した先人ブロガーさんたちは
この標柱をみていたんですね。



主郭は、余分な木々がきれいに伐採されていて
しっかり管理されている感じがします。

      20180304椎津城址20



主郭虎口。

      20180304椎津城址21



虎口の先は、フェンスで立ち入り禁止となり諦めていた登城路。

      20180304椎津城址22



せっかくだから、降りてみます。

      20180304椎津城址23


説明板も確認出来ます。

      20180304椎津城址24


必至になって後を追いて来た びいすけ 。

      20180304椎津城址25


振り返ってみると.........
そこには主郭の虎口。

      20180304椎津城址26



さて、そろそろ八坂神社の宮司さんとの待ち合わせ時間。
椎津城址をあとにいたしましょう。


立ち入り禁止と聞いていて諦めていた椎津城址。
攻略することが出来て、本当に良かった。

史跡を保護しようとした市原市。
そしてその活動に賛同していただいた土地の所有者。
千葉県の指定文化財に向けて御尽力いただいた関係者に感謝です。









2018/04/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit