五所駒滝神社 (2017年2月6日)(茨城県桜川市)
2月6日 公休日
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
真壁氏累代墓地及び墓碑群をあとにして、向かった先は...............五所駒瀧神社
まぁ、向かったと言っても、すぐ隣なんですけどね(笑)。
五所駒瀧神社は、
創建は1014年(長和3年)、三条天皇の御代と伝えられます。
真壁富士権現山の山懐に一条の瀧があり、地元の村人らが、
五穀豊穣を願ってこの瀧の近くに祠を祀ったのが始まりと言われています。
村人からは明神様としてあがめられ、この瀧に馬がたびたび現れたことから
駒下瀧と呼ばれるようになり、この祠も駒下瀧明神と呼ばれるようになったそうです。
1172年(承安2年)、初代真壁城主・真壁六郎長幹が駒下瀧明神を真壁の総社としました。
地元では厄除けの神社として知られています。
五所駒瀧神社の祭礼は、「真壁祇園祭」とも呼ばれ、
京都の祇園京都の祇園祭とはルーツの違う祭礼で、独自の伝統を持っています。
また、同じく「かったて祭」は、権現山の神様に火を奉納する祭りで、
多くの氏子らが松明をもって権現山に登る独自の祭りです。
五所駒瀧神社の入口には、こんな石碑。
『千年の風』
俳優の川津祐介氏の寄稿による碑文です。
こちらは、『百世清風』の碑。
『百世清風』とは「高麗国王が中国・南宋の学者、朱子に求めた書」で、
「永遠に続く清い国づくり」を願う心を示したものだそうです。
なぜか、風にまつわる碑が多い?
一の鳥居の脇に建つ社号標。
こちらには、 『 祈願所 五所神社 』となっています。
こちらが、一の鳥居。
割と新しく見える神額も『五所神社』の表記。
あれ?
『五所駒瀧神社』じゃなかったっけ?
五所駒瀧神社は『真壁のひなまつり』の会場でもあるようです。
参道に木々が茂り、厳かな雰囲気が漂います。
画像だと木洩れ陽が強くて、そんな風には見えないけれど
曇りの日ならば、違った感じに映るんだろうなぁ。
参道には石碑類が多い。
こちらは、『駒鳴石』。
この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。
こちらは、二の鳥居。
こちらの神額には『五所駒瀧神社』の文字。
『千年の森』の碑。
五所駒瀧神社は、1014年の創建。すなわち1000年を超える歴史を持ち
その境内や周辺の森は1000年の森ど呼ばれているそうです。
まさに、鎮守の森と言ったところです。
さらに参道を進めば、三の鳥居。
こちらの神額は、『五所駒瀧神社』と読むのだろうか...............?
達筆すぎて(?)判読不明。
こちらは『さざれ石』。
日本の国家『君が代』にも出てくる『さざれ石』。
あの『さざれ石』は、岐阜県春日村にある天然記念物の石ですが
こちらにも、『さざれ石』がありました。
まぁ、『さざれ石』は、漢字で表すと『細石』となり
細かい小さな石と言う意味です。
君が代では、細かい小さな石が長い年月をかけて、
巌という大きな石になるまでの大きな年月を示すものとして
引き合いにされているようです。
こちらは、百度石。
>
算盤の珠のように、リングが動くようになっていて
お百度参りの時に回数を数えていくのでしょう。
やがて、目の前に現れる拝殿。
拝殿に掲げられた神額。
そして、境内。
深い森に囲まれ、陽射しも遮られ、季節柄冷んやりとします。
その冷んやり感が、厳かな感覚を高めます。
まさにパワースポット、ここに在り!
こちらの建物は、神輿の格納庫。
毎年旧暦6月13日~15日に催される『祇園祭り』に使われる神輿が保管されています。
『景勝地 五所駒瀧神社』と記された社号標。
確かに景勝地と呼ぶに相応しい場所かもしれない。
素朴な疑問なんですが...............
なぜ、この五所駒瀧神社が茨城百景の包括地に入らなかったんだろう?
おっと、忘れていた。
肝心の『真壁のひなまつり』のひな人形ですが、
藁葺きの屋根の社務所に飾られています。
さすがに、 びいすけ を連れて社務所の庭に入って行くのには気が引けましたが
せっかくだから、声を掛けて中に入ります。
こちらが、ひな人形。
びいすけ は、ここまで。
父さんは、さらに一歩、また一歩踏み込んで...............。
目的のひな人形も見たことだし、
ゆっくり参道を歩きながら、駐車場に戻りましょう。
参道脇で見つけた案内板。
五所駒瀧神社は、富士権現山の登山口でもあるようです。
残念ながら、現在は整備中?
イノシシの被害もあるようなので、電流ワイヤーが敷かれ、立ち入り禁止。
知らずに突き進んでいたら、感電しちゃったかもしれません。
あ〜くわばら、くわばら(笑)。
この日は、茨城県の桜川市に出かけました。
真壁氏累代墓地及び墓碑群をあとにして、向かった先は...............五所駒瀧神社
まぁ、向かったと言っても、すぐ隣なんですけどね(笑)。
五所駒瀧神社は、
創建は1014年(長和3年)、三条天皇の御代と伝えられます。
真壁富士権現山の山懐に一条の瀧があり、地元の村人らが、
五穀豊穣を願ってこの瀧の近くに祠を祀ったのが始まりと言われています。
村人からは明神様としてあがめられ、この瀧に馬がたびたび現れたことから
駒下瀧と呼ばれるようになり、この祠も駒下瀧明神と呼ばれるようになったそうです。
1172年(承安2年)、初代真壁城主・真壁六郎長幹が駒下瀧明神を真壁の総社としました。
地元では厄除けの神社として知られています。
五所駒瀧神社の祭礼は、「真壁祇園祭」とも呼ばれ、
京都の祇園京都の祇園祭とはルーツの違う祭礼で、独自の伝統を持っています。
また、同じく「かったて祭」は、権現山の神様に火を奉納する祭りで、
多くの氏子らが松明をもって権現山に登る独自の祭りです。
五所駒瀧神社の入口には、こんな石碑。
『千年の風』
俳優の川津祐介氏の寄稿による碑文です。
こちらは、『百世清風』の碑。
『百世清風』とは「高麗国王が中国・南宋の学者、朱子に求めた書」で、
「永遠に続く清い国づくり」を願う心を示したものだそうです。
なぜか、風にまつわる碑が多い?
一の鳥居の脇に建つ社号標。
こちらには、 『 祈願所 五所神社 』となっています。
こちらが、一の鳥居。
割と新しく見える神額も『五所神社』の表記。
あれ?
『五所駒瀧神社』じゃなかったっけ?
五所駒瀧神社は『真壁のひなまつり』の会場でもあるようです。
参道に木々が茂り、厳かな雰囲気が漂います。
画像だと木洩れ陽が強くて、そんな風には見えないけれど
曇りの日ならば、違った感じに映るんだろうなぁ。
参道には石碑類が多い。
こちらは、『駒鳴石』。
この神社の社より芦毛の駒が現れ出て、石を踏み嘶いたと言われ
その蹄の跡が残った岩だと伝えられているそうです。
こちらは、二の鳥居。
こちらの神額には『五所駒瀧神社』の文字。
『千年の森』の碑。
五所駒瀧神社は、1014年の創建。すなわち1000年を超える歴史を持ち
その境内や周辺の森は1000年の森ど呼ばれているそうです。
まさに、鎮守の森と言ったところです。
さらに参道を進めば、三の鳥居。
こちらの神額は、『五所駒瀧神社』と読むのだろうか...............?
達筆すぎて(?)判読不明。
こちらは『さざれ石』。
日本の国家『君が代』にも出てくる『さざれ石』。
あの『さざれ石』は、岐阜県春日村にある天然記念物の石ですが
こちらにも、『さざれ石』がありました。
まぁ、『さざれ石』は、漢字で表すと『細石』となり
細かい小さな石と言う意味です。
君が代では、細かい小さな石が長い年月をかけて、
巌という大きな石になるまでの大きな年月を示すものとして
引き合いにされているようです。
こちらは、百度石。
>
算盤の珠のように、リングが動くようになっていて
お百度参りの時に回数を数えていくのでしょう。
やがて、目の前に現れる拝殿。
拝殿に掲げられた神額。
そして、境内。
深い森に囲まれ、陽射しも遮られ、季節柄冷んやりとします。
その冷んやり感が、厳かな感覚を高めます。
まさにパワースポット、ここに在り!
こちらの建物は、神輿の格納庫。
毎年旧暦6月13日~15日に催される『祇園祭り』に使われる神輿が保管されています。
『景勝地 五所駒瀧神社』と記された社号標。
確かに景勝地と呼ぶに相応しい場所かもしれない。
素朴な疑問なんですが...............
なぜ、この五所駒瀧神社が茨城百景の包括地に入らなかったんだろう?
おっと、忘れていた。
肝心の『真壁のひなまつり』のひな人形ですが、
藁葺きの屋根の社務所に飾られています。
さすがに、 びいすけ を連れて社務所の庭に入って行くのには気が引けましたが
せっかくだから、声を掛けて中に入ります。
こちらが、ひな人形。
びいすけ は、ここまで。
父さんは、さらに一歩、また一歩踏み込んで...............。
目的のひな人形も見たことだし、
ゆっくり参道を歩きながら、駐車場に戻りましょう。
参道脇で見つけた案内板。
五所駒瀧神社は、富士権現山の登山口でもあるようです。
残念ながら、現在は整備中?
イノシシの被害もあるようなので、電流ワイヤーが敷かれ、立ち入り禁止。
知らずに突き進んでいたら、感電しちゃったかもしれません。
あ〜くわばら、くわばら(笑)。
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2017/03/08 Wed. 00:00 |
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