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び・び・びのびいすけ

岡城址 (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県の取手市の廃校巡りに出かけました。

廃校巡りのついでに、取手市内に在る城址にも立ち寄ることにしました。
白山西小学校をあとにして、向かった先は...............岡城址


小貝川の近く、取手市の岡地区には『岡の台地』と呼ばれる高台があります。
その『岡の台』の一角に『岡神社』があり、その岡神社のある辺りが岡城址とされています。


岡城の城主等歴史については不詳ですが、
岡神社のある高台には、茨城県指定史跡である『大日山古墳』があり
その『大日山古墳』が中世に岡城の櫓台として用いられていたようです。



これは中世から近世に盛んになった大日信仰の名残で、大日山の名もそこからきていると考えられています。


こちらが、岡神社の鳥居。

     20170131岡城址01


鳥居の神額。

      20170131岡城址02



この石段を上がった先が岡神社の境内であり、岡城址とされています。

      20170131岡城址03



びいすけ の背後に建つ拝殿。

      20170131岡城址04

拝殿の建つ高台が『大日山古墳』。


こちらが、拝殿。

      20170131岡城址05



この位置からだと、拝殿のある土壇(高台)が古墳なのが良く分かります。

      20170131岡城址06

土壇脇に建つ説明板。

『大日山古墳』については触れていますが
岡城址については触れていない。

      20170131岡城址07



中世から近世にかけて、盛んになった大日信仰の名残りで
岡神社の境内には石塔が多い。
大日山の名も大日信仰からきていると考えられています。

      20170131岡城址08


      20170131岡城址09



こちらは、祭礼記念碑。

      20170131岡城址10


      20170131岡城址12



実は、岡城址のある一帯は『朝日御殿跡』といい、
平将門の妾桔梗の御殿の跡と伝えられているそうです。

祭礼記念碑の碑文にも記されています。

      20170131岡城址11



こちらが、その『朝日御殿跡』
岡城址の郭ともされている。

      20170131岡城址13


      20170131岡城址14


      20170131岡城址15



『岡の台』は平将門の所縁の地で、将門伝説の残る所。
この『岡の台』の地に将門が城を造ったとも言われています。

台地には、こんな感じで城址の雰囲気満載の場所も多い。

      20170131岡城址16


先ほどのばしょから上がって行くと、削平地。
畑と改変されています。
      20170131岡城址17




『岡の台』の外れには、こんな標柱も建っています。

      20170131岡城址18


      20170131岡城址19


『岡台地と平将門』と表題の付いた標柱には
『将門伝説が残り』『平将門にまつわる史跡として
朝日御殿跡(城跡)、延命寺、仏島山古墳』 と記されています。

ひょっとしたら、岡城は朝日御殿の事を言うんのだろうか?


良く分からない...............謎です(笑)。

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2017/02/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........白山西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

井野小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立白山西小学校
白山西小学校は

昭和48年  取手市立白山西小学校設置
平成28年  稲小学校と統合して新たに取手西小学校が開校(敷地は稲小学校を流用)。
        白山西小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。
開校からたった43年で廃校になってしまったようです。



キャノン取手工場の近くの住宅街の一角に在る白山西小学校。
住宅街の空き地は駐車場となり、
キャノンに通勤する人々の駐車場になっている地区。
大通りからは少し奥まった場所に、白山西小学校は在りました。


こちらが、白山西小学校の正門。

      20170131白山西小学校01


比較的新しい小学校だから、門柱も近代的。
表札は外されずに残っていました。

      20170131白山西小学校02

正門の扉は閉まっているので、一段下がった場所にはある校庭(グランド)から
敷地内に入らせてもらいます。


こちらが、校庭。

      20170131白山西小学校03



校庭の片隅に在る築山。

      20170131白山西小学校04


トンネルを匂い嗅ぎする びいすけ 。

      20170131白山西小学校05



校庭に残る遊具類。

      20170131白山西小学校06


      20170131白山西小学校07


      20170131白山西小学校08


      20170131白山西小学校09


      20170131白山西小学校10


      20170131白山西小学校11



こちらは、魚の形をしたオブジェ。

      20170131白山西小学校12

おそらく、子供たちの手による卒業製作だと思われます。


朝礼台。

      20170131白山西小学校13

もう、この朝礼台に上がって挨拶する子供たちも居ないので
今日は、 びいすけ が代わりにご挨拶。

『 ワン! 』


校庭から見上げる校舎と体育館。

      20170131白山西小学校14



こちらが校舎。

      20170131白山西小学校15


こちらが体育館。

      20170131白山西小学校16



校舎の建つ高台と校庭との擁壁には、子供たちの手によって描かれた絵。

      20170131白山西小学校17


      20170131白山西小学校18

所々、かすれて色褪せているのは
この小学校の歴史だと思いましょう。



鉄筋の校舎は二棟あり、それぞれの玄関。

      20170131白山西小学校19


      20170131白山西小学校20


玄関脇には、石碑。

      20170131白山西小学校21

『みんなで伸びよう 白山西小学校』



校舎全景。

      20170131白山西小学校22


体育館。

      20170131白山西小学校23




校舎の壁面には、子供たちの顔。
昭和55年度の卒業製作です。

      20170131白山西小学校24


      20170131白山西小学校25

昭和55年度に卒業したこの子たちも、今年49歳になる計算になる。
中年街道まっしぐら。

素敵な大人たちになっているんだろうか...............?





2017/02/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........井野小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

偶然見つけることが出来た『茨城百景 大利根の展望』をあとにして
向かった先は...............取手市立井野小学校

井野小学校の詳しい沿革は不明ですが
取手市のHPの『わがまち取手市のあゆみ』によれば...............

昭和33年に取手町立取手第一小学校と統合した取手第二小学校が
その前身となっているようです。

昭和33年に廃校となっていますが、井野団地の造成等による人口増の対応により
昭和44年取手町立井野小学校として開校しました。

昭和45年取手町が市制施行し取手市となり
取手市立井野小学校と改称する。
平成27年に小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
新たに取手東小学校が開校し(吉田小学校の敷地を流用)
廃校となりました。

と、このような沿革になるようです。



一度廃校になった地区に再び小学校が出来る。
今では考えられない事ですが、昭和30年代、40年代の高度成長期に
首都圏近隣の都市がそうであったように、団地が次々に建てられ、
人口は加速度的に増えていきました。
この取手市井野地区でも同じような事が言えるのではないでしょうか?

昭和44年に開発された井野団地の一等地に井野小学校はあります。
(住所も取手市井野団地1-1)

こちらが、井野小学校の校門。

      20170131井野小学校01

バス通りに面した校門ですが、正門は別にあるようです。


程良い色合いに風化した金属製の表札。

      20170131井野小学校02


門は閉ざされていますが、門越しに井野小学校の校舎をパチリ☆。

      20170131井野小学校03



バス通りから一本入った路地沿いにある校門。
こちらが、正門のようです。

      20170131井野小学校04


こちらは石造りの表札。

      20170131井野小学校05



こちらの門は脇にある通用口が開いていたので
遠慮がちに、でもしっかりと大きな声で『失礼しま〜す!』と声を掛けて
敷地内に入らせてもらいます。

まあ、廃校だから誰も居ないとは思うけれど
地方都市の場合、周辺住民の目がうるさいって言うのもあるから
それなりに気を使います(笑)。

こちらが、校舎玄関。

      20170131井野小学校07

いっぷ、変わった形をしています。


とりあえず、校庭から学校全体を眺めてみます。

      20170131井野小学校26


      20170131井野小学校08



校舎は二棟のようです。

      20170131井野小学校09


      20170131井野小学校11



こちらは体育館。

      20170131井野小学校10

ピンク色の外壁です。



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20170131井野小学校12



校舎の壁面には校章。

      20170131井野小学校13



校歌の碑と像と時計。

      20170131井野小学校14

時計はちょうど1時間進んでいました。



こちらが、校歌の碑。

      20170131井野小学校15



ブロンズ(?)像。

      20170131井野小学校16

タイトルは『元気な子』。


使われなくなってまもなく1年。
校舎の前には朝礼台。

      20170131井野小学校17


校庭に残る遊具類。

      20170131井野小学校18


      20170131井野小学校19


      20170131井野小学校20


      20170131井野小学校21


      20170131井野小学校22


      20170131井野小学校24


花壇と日時計。

      20170131井野小学校25

花壇には花はありません。



卒業製作のモノなんでしょうか?

      20170131井野小学校23
     

平成27年に、小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
吉田小学校に取手東小学校が出来た。
地域性を考えれば井野小学校に統合した方が良かったかもしれないけれど
校舎の耐震性や色々なしがらみがあったのだろう。

私が高校生の時に過ごした街は多摩ニュータウン。
住まいも学校も広い多摩ニュータウンの中にありました。      
団地の中にガッがあるって言うのが当たり前だったから
この井野団地に学校がなくなってしまったのは
地元の人にとっては辛いことなんだろうなぁ...............。




2017/02/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 大利根の展望② 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。


取手市の小文間地区にある小文間小学校をあとにして
次なる廃校に向おうとしていましたが、
小文間公民館の前で、こんな地図を見かけました。

      20170131利根川の眺望②01

『 昔・今 小文間街道マップ 』

小文間地区の名所等が記されている地図です。


その地図に 旧・茨城百景、茨城百景 の記載がある。

『こんな所に茨城百景ってあったっけ?』

素朴な疑問が頭をよぎります。
もし本当に茨城百景ならば、素通りは出来ません。
と言うことで地図の案内を頼りに、その茨城百景なる場所に向かってみました。


県道11号線の馬坂近くに、茨城百景があります。

      20170131利根川の眺望②02


こちらが、その茨城百景の碑。

      20170131利根川の眺望②03



碑には『 茨城百景 大利根の展望 』と刻まれています。

      20170131利根川の眺望②04

あれっ?
『 茨城百景 大利根の展望 』って、確か利根町の布川にある徳満寺の境内に碑がなかったっけ?


よ〜く考えてみたら、茨城百景って包括地区があるから
こちらの茨城百景は包括地区の面足神社からの利根川の展望のようです。
涸沼の時も茨城百景の碑は2ヶ所に在ったから
この場所に在ってもおかしくはない。


この階段を上がっていけば、面足神社。

      20170131利根川の眺望②05

ここまで来て、その展望を確認しないわけにはいきません。


テンポ良く、階段を上がって行く びいすけ 。

      20170131利根川の眺望②06



面足神社の鳥居脇が拓けていて、展望が利く。
ここが 茨城百景 大利根の展望 です。

      20170131利根川の眺望②07



こちらが、面足神社の鳥居。

      20170131利根川の眺望②08


鳥居に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②09


鳥居脇には、利根川や印旛沼に近い集落に多い庚申塔と二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②10



面足神社の参道。
正面が面足神社の拝殿。

      20170131利根川の眺望②11



こちらが、拝殿。

      20170131利根川の眺望②12



拝殿に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②13



拝殿脇にも庚申塔や二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②14



鳥居から県道へと続く未舗装の道には、こんな説明板。

      20170131利根川の眺望②16

説明板によれば、面足神社は通称『大六天』と呼ばれていたらしい。
確かに大六天は茨城百景の包括地区になっている。

      20170131利根川の眺望②17




この辺りが、旧・茨城百景の地。

      20170131利根川の眺望②18

県道が拡張された時に、ひょっとしたら百景の碑を移転したのかな?


確かに木々が邪魔して、利根川の眺望は今一歩。

      20170131利根川の眺望②19



思いもしない場所で、偶然見つけた『茨城百景』と百景の碑。
なんか、すごく得した気分です。




2017/02/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........小文間小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高須小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立小文間小学校



小文間小学校の詳しい沿革は不明です
しかしながら、明治6年に小文間村戸田井の西光院に創立された
取手市の中では歴史のあった小学校の一つです。

明治37年現在地に移転。この頃に小文間村立尋常小学校と改称します。
昭和22年学制改革により、小文間村立小文間小学校と改称する。
昭和30年小文間村が取手町に合併し、取手町立小文間小学校と改称する。
昭和45年取手町が市制施行。取手市立小文間小学校と改称する。
平成27年 吉田小学校、井野小学校、小文間小学校が統合して取手東小学校が発足。(敷地は吉田小学校を流用)
小文間小学校は廃校となる。

と、このような沿革のようです。


こちらが、小文間小学校の校門。

      20170131小文間小学校01

かつての正門のようですが、石造りの古い門柱。
ちなみに、廃校時までの正門は別な場所にあります。



門柱には、『取手市立小文間小学校』と刻まれた表札か嵌め込まれています。

      20170131小文間小学校02


      20170131小文間小学校03



校門の脇には『頌徳碑』。

      20170131小文間小学校05

中村熊次郎と言う人が小文間小学校の移転の際に畑を寄付してくれて
この場所に小文間小学校が建てることが出来たらしい。
熊次郎氏は、後に小文間村の村長にもなられた方らしい。


こちらが正門。

      20170131小文間小学校04



正門から敷地内に入ると、すぐ目に入ってくる二ノ宮像。

      20170131小文間小学校06


      20170131小文間小学校07


      20170131小文間小学校08



そして、二ノ宮像の脇には『友愛』の碑。

      20170131小文間小学校09



少し離れた場所には、別な石碑。
廃校記念の碑かと思ったら、小文間小学校の校歌の碑でした。

      20170131小文間小学校10



こちらが校舎。

      20170131小文間小学校11

小文間小学校には、旧・校舎と新・校舎が在って
こちらは新・校舎。鉄筋3階建。
ちなみに、旧・校舎は平屋建。


こちらは体育館。

      20170131小文間小学校12



体育館と校舎の背面。

      20170131小文間小学校13


正門脇には、避難場所の案内板。
『旧小文間小』と明記されています。

      20170131小文間小学校14



中庭にあるオブジェ。
おそらく、こどもたちの卒業製作の一つでしょう。

      20170131小文間小学校15


旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校16

昭和43年度卒業生の製作品。


こちらも旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校17

タイルを使って描かれています。



中庭にあった朝礼台。

      20170131小文間小学校18

おそらく、校庭から移動されたんでしょう。


校庭脇の百葉箱。

      20170131小文間小学校19



こちらが校庭。

      20170131小文間小学校20


別アングルから。

      20170131小文間小学校21



平屋建ての旧・校舎とシンボルツリー。
そして、国旗掲揚ポール。

      20170131小文間小学校22



校庭に残る遊具類。

      20170131小文間小学校23


      20170131小文間小学校24


      20170131小文間小学校25



校庭の片隅にそっと置かれた防災倉庫。

      20170131小文間小学校26

廃校の定番となっています。



取手市の学校統廃合の案が出た時に、
小文間小学校の学区の方はかなりもう反対して
陳情書も提出した(?)らしいが、結局は時代の流れ、
少子化の波には勝てず、統合という形で廃校の道を歩んだ小文間小学校。

歴史のある小学校だったのに、ちょっぴり残念です。






2017/02/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............旧・藤代町立 高須小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


まず、最初に訪れたのは取手市合併直前に廃校となった

旧・藤代町立 高須小学校



高須小学校は、

明治5年押平学校創立。
明治6年高須学校創立。
明治12年 高須小学校と改称する。
明治22年高須村立高須尋常小学校と改称する。
昭和22年高須村立高須小学校と改称する。
昭和30年藤代町立高須小学校と改称する。
平成17年桜が丘小学校に統合となり廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが高須小学校の正門。

      20170131高須小学校01



門柱には、校名の表札が残っていました。

      20170131高須小学校02

『北相馬郡 藤代町立高須小学校』

北相馬郡って、今ではもう『利根町』時間にはないから大変貴重(?)。


地方の小学校に多い、幼稚園が併設された小学校でした。

      20170131高須小学校03

反対側の門柱には、『北相馬郡 藤代町立高須幼稚園』の表札が残っています。



こちらが、幼稚園の敷地。

      20170131高須小学校04

幼稚園も既に廃園となり、園舎も解体され
現在、その敷地は『身障者ポニーの会』と言う福祉施設になっています。



正門前には、避難場所の表示。

      20170131高須小学校05



こちらが、高須小学校の校舎。

      20170131高須小学校06


校舎を別にアングルから。

敷地と校舎、体育館とのバランスから見て
こちらの校舎以外にも校舎が在ったように見受けられます。

      20170131高須小学校07



校舎の隣の更地。

      20170131高須小学校08

おそらく、この辺りに別な校舎が建っていたのでしょう。



校舎前から見るグランド。

      20170131高須小学校09

立ち入り禁止の規制ロープが張られています。



体育館脇には、高須小学校の校歌の碑。

      20170131高須小学校10


      20170131高須小学校11


裏面には簡単な沿革が刻まれていました。
今や高須小学校のHPもないから、沿革が確認できてラッキーでした。



こちらが体育館。

      20170131高須小学校12



体育館と校舎。

      20170131高須小学校13

どうみても、校舎が小さすぎる。



校庭から旧・幼稚園側を見てみると、
やっぱり福祉施設の建物は新しい。
そして、その奥に古い園舎らしき建物も見えます。

      20170131高須小学校14

外構工事をしていたから、つい最近建てられたんでしょうね。



正門から校庭に少し入った所には二ノ宮像。

      20170131高須小学校15


      20170131高須小学校16


      20170131高須小学校17


二ノ宮像に見守られながら
この校庭を子供たちが走り回ることは
もう無いんだよなぁ...............。



2017/02/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

源頼 朝上陸の地  (2017年1月26日)(千葉県安房郡鋸南町) 

1月26日  公休日

この日は、南房総市に出かけ出かけました。

本当は、宮本城址のあと、滝田城址へと足を伸ばす予定でしたが
里見氏の山城は、なかなか攻略も手強い。
岡本城址、宮本城址と回ると、さすがに足がパンパン。
予定を切り上げ、鋸南町を抜けて帰ることにしました。


そう言えば、諸説はあるけれど、鋸南町って、
伊豆の石橋山の合戦で敗けた源頼朝が真鶴岬体を船で房総半島に渡った時に
上陸した場所がなかったっけ?

iPhoneで検索。
向かった先は...............源頼朝 上陸の地



源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、
相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し、
安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に上陸しました。
竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。
源氏にゆかりのある安房の武将・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招き入れ、
頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。

安房国に着いた頼朝は、上総介広常など房総の武将の加勢を得て、
安房・上総・下総と順次支配下にしました。
房総で勢力を蓄え態勢を整えた頼朝は、源氏再興を目指し再び平氏討伐に乗り出します。
そして頼朝は、やがて平氏を倒し鎌倉に幕府を開設して征夷大将軍となりました。


頼朝の安房の国への上陸については諸説があるようですが、
その頼朝が上陸したとされる場所の一つが鋸南町。
その場所には碑が建てられており、頼朝の再起再生の地とされています。

( 頼朝の敗戦した 石橋山合戦場跡 は こちら
( 頼朝が伊豆山中を逃げ回り、隠れていた しとどの窟 は こちら
( 頼朝が安房に脱出した 真鶴岬の岩海岸 は こちら



鋸南町の竜島海岸。
勝山海水浴場の北端に『源頼朝上陸の地』の碑は建っています。

      20170126頼朝上陸地01


説明板があり...............

      20170126頼朝上陸地02


石碑も建ち...............

      20170126頼朝上陸地03


      20170126頼朝上陸地04



さらに、別の石碑もあり...............

      20170126頼朝上陸地05



朽ち果てかけた説明板も建つ。

      20170126頼朝上陸地06

まさに、頼朝の上陸のオンパレード。



そんなに仰々しくしなくても
この碑がひっそりと建っていれば良いんじゃないの?

      20170126頼朝上陸地07



で、頼朝が上陸した浜はと言えば...............


こんな感じの浜辺です。

      20170126頼朝上陸地08


      20170126頼朝上陸地09



びいすけ の背後に見えるのは『浮島』。

      20170126頼朝上陸地10

ちなみに無人島ですが、私有地の立ち入りできません。



この海岸に犬を連れて散歩に来る人も多い。
逆光で見づらいですが、浜辺をワンちゃんと歩く人。

      20170126頼朝上陸地11



浜辺のコンクリートにワンちゃんと一緒に座り込む人。

      20170126頼朝上陸地12



少し、この浜辺を散策してみましょう。

      20170126頼朝上陸地13



展望デッキみたいなエリアには四阿もある。

      20170126頼朝上陸地14

でも先客がいるから、今日は素通り。


その先は、沖へと向かう桟橋。

      20170126頼朝上陸地15



桟橋脇の岩場で、はいポーズ ☆パチリ。

      20170126頼朝上陸地16


      20170126頼朝上陸地17


桟橋はやっぱり苦手な びいすけ 。

      20170126頼朝上陸地18

どうしても逃げ腰な体勢。



それでも何とか桟橋の先端近くまて行きました。

      20170126頼朝上陸地19



桟橋から眺める、漁船の船着場。

      20170126頼朝上陸地20

考えてみれば、鋸南町って思い切り漁業の町。
保田漁港や勝山漁港も近い。



この日みたいに天気が良ければ
東京湾(浦賀水道)に掛かる夕日が綺麗だろうけど
夕日の時間にはまだまだ先。

      20170126頼朝上陸地21


平日だから通勤時間帯にも重なっちゃうから
道路も混みそう。
暫し、この海岸を眺め、
その光景をしっかりと瞼に焼き付けておこう。

      20170126頼朝上陸地22


      20170126頼朝上陸地23


      20170126頼朝上陸地24


本当は、富士山さえ見えていれば
夕日を待っても良かったんだけど...................

どうも富士山とは相性が良くないんだなぁ。
やっぱり、それって日頃の行いのせい?(笑)



2017/02/22 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宮本城址  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日  公休日

この日は、南房総市に出かけました。


岡本城址をあとにして、向かった先は...............宮本城址


宮本城は、房総里見氏の二代目成義(近年の研究によると、その存在が疑問視されています。)が
延徳3年(1491年)に稲村城の支城として築いたものです。 
城域は、山頂一帯を主郭とし、東へ延びた尾根と南北に派生する支尾根に、
連続して竪堀、土橋、掘切を組み合せ、敵の取り付きを困難にする技巧的な構造になっています。
特に、城の北側の防御に力が注がれているのを見ると、
当時の里見氏が、上総方面を意識していたことがよく解ります。
成義の三男・実堯(現在では、初代・義実の子という説が主流です。)が初代城主となり、
宮本城は、天文2年(1533年)に起こった里見氏一族の内紛(天文の内乱)で当主の義豊が敗死した後、
稲村城とともに廃城となったと伝えられていますが、遺構の形式から見て、従来考えられていた年代よりも後まで使用されていたことが伺えます。 当時の文献からも、義豊を滅ぼした義堯が宮本城を居城としたことが明らかになっています。





こちらが宮本城の縄張り図

      宮本城縄張り
                     ( 余胡さんのHP  よりお借りしました )



宮本城址のアプローチは、道の駅『おおつの里花倶楽部』を目指します。
道の駅の駐車場に車を置いて100ほど歩けば、この案内板。

      20170126宮本城址01



案内通りに進んで行けば、曲がり角には矢印に案内。

      20170126宮本城址02


親切この上ない。

      20170126宮本城址03

実は、道の駅にパンフレットが置いてありましたが
宮本城址へのハイキングも道の駅がお勧めするコースらしい。
ただ、難所コースだから、それなりの装備(靴、上着)が必要って書かれています。


矢印の案内に混じって、こんな立て札。

      20170126宮本城址04

何だか怖そう。


とにかく登城路に至るまでが長い。
再び曲がり角。

      20170126宮本城址05



左に枇杷畑を眺めながら進軍します。

      20170126宮本城址06



アスファルト(コンクリート)の地面がなくなった辺りから
宮本城址への登城路となります。

      20170126宮本城址07



この辺りから道幅も狭くなり、いかにも山城への登城路って感じです。

      20170126宮本城址08


なかなか、上り勾配もキツく、ついつい息が上がってしまいますが
根性で進軍いたしましょう。

      20170126宮本城址09



主郭虎口。

      20170126宮本城址10



ちょっぴり、額に汗を浮かべながら主郭に到着。

      20170126宮本城址16


      20170126宮本城址17


主郭に建っている説明板。

      20170126宮本城址15


そして、主郭に建つ石碑と城址の標柱。

      20170126宮本城址11



標柱。

      20170126宮本城址12


石碑は二基ありました。

こちらの石碑は判読不明。

      20170126宮本城址13


こちらも判読不明と思ったら...............

      20170126宮本城址14


反対側を覗いたら、読みづらいですが、
『宮本城址』と刻まれています。

      20170126宮本城址21



宮本城址の碑になります。

      20170126宮本城址22    



説明板の傍らには、以前に建てられていた四阿だろうか?
朽ち果てて倒壊していました。

      20170126宮本城址18



主郭の片隅に建てられた小さな句碑。

      20170126宮本城址19

戦国を勝ち抜く夢の
若武者の
恋もまじわる 宮本の城

う〜む、なかなか良い句ですね。
きっと、里見氏当主を夢見た義豊の事を詠んでいるんですね。




そして、句碑の傍らには、小さな看板。

      20170126宮本城址20

確かに、房総半島には高い山がないけれど、
183mの山でも登るのはキツかった...............。




主郭からの眺め。

      20170126宮本城址30
     
この景色は、数百年前の義豊の時代から変わらないんだろう。



主郭東部にある井戸跡。

      20170126宮本城址23


主郭から東側にも尾根が伸びていて、宮本城の城域は広がっているようですが
縄張り図を持って来なかったため、東側に尾根の先を探索するのは諦め
一気に下山しました。

 

麓に辿り着くと、そこには菜の花畑。
    
      20170126宮本城址24


まだ1月の下旬なのに、菜の花が咲いている。

      20170126宮本城址25



道の傍らには、小さなタンポポの花。

      20170126宮本城址26

南房総市って、本当に暖かいんだ。
ちょっぴり驚き。



道の駅に戻り、疲れた体を癒すソフトクリームのじかんです。

      20170126宮本城址27

大人しく『待て!』をして、ソフトクリームを貰おうとする びいすけ 。


仕方ないなぁ〜! とダメ飼い主はついつい甘くなります。

      20170126宮本城址28


まぁ、ソフトクリームだから、甘いのは当然か(笑)。

      20170126宮本城址29


  
本当は、このあともう一つ山城へチャレンジする予定でしたが
さすがに宮本城址の攻略は疲れました。

鋸南町を抜けて、帰ることにいたしましょう。



    
2017/02/21 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡本城址  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。


岡本桟橋をあとにして、向かった先は...............岡本城址


岡本城は、元々は里見氏家臣であるの岡本豊前守氏元の居城でした。
元亀元年(1570年)に佐貫城に在城していた里見義弘に召し上げられ、
安房の守りとして後の里見氏8代当主である里見義頼に与えられ、
大修復され、居城とされたと言うことです。

里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代、約170年にわたって房総半島南部を拠点とした一族です。
『里見氏代々記』、『房総里見軍記』などの軍記物によると、
水軍を編成し敵対する後北条氏を攻めるため相模へ侵攻したと伝えられ、
関東では数少ない水軍を擁した一族としても知られています。

天正8年(1580年)、弟の梅王丸との後継者争いに勝利した里見義頼が
東京湾を望む丘陵上に造られ、城の規模は東西600m、南北300mにも及び、
この地域の城としては非常に大きな規模と複雑な構造を誇っています。
中心部分は3つの郭から構成され、斜面下から海に向かって広がる郭は
港としての機能を持っていたとされています。



こちらが、岡本城の縄張り図。

      岡本城縄張り

( 余胡さんのHP からお借りしました )



こちらの台地が岡本城址。

      20170126岡本城址01

国道127号にも案内板が建っているからわかりやすい。

ただし、駐車場は無いから、路駐覚悟で訪れましょう。


岡本城址のアプローチはこちらから。

      20170126岡本城址02

トンネル手前右手の狭い登り道が登城路。


実は、この登城路と案内板に気付かず、
トンネルの先をぐるぐると回って探しまくってました(笑)。

      20170126岡本城址03



狭い登り道を上がって行きます。
右手側には枇杷畑。
立ち入り禁止のネットがしっかり張られています。

      20170126岡本城址04


斜面には埋もれかけているけど、房総半島に多いやぐら(横穴墳墓)跡。

      20170126岡本城址05



登城路を上りきった先は、主郭虎口。

      20170126岡本城址06



こちらが主郭。

      20170126岡本城址07



主郭は里見公園として整備されたようですが
公園といっても何も無く、ベンチが一脚あるのみ。
訪れる人も余りいないのでしょう。

      20170126岡本城址08



主郭に建てられた説明板。

      20170126岡本城址09

知らなかったんだけど、岡本城址って国指定の史跡だったんですね。


主郭の一角には岡本城址の碑。

      20170126岡本城址10


      20170126岡本城址11


城址碑の隣には、それなりの月日を経た石碑。

      20170126岡本城址12

碑文は風化していて、判読不明。


城址碑の奥に尾根沿いへと続く道がある。

      20170126岡本城址13


どうやら、この先にも郭があるみたい(?)です。

      20170126岡本城址14



しばらく行くと、岩の高台。
物見台の跡かもしれない。

      20170126岡本城址15


その場所からの眺望。

      20170126岡本城址16

大房岬もはっきりと見える。

この場所なら、浦賀水道を船で渡ってくる北条軍も確認できるだろう。
やっぱり里見氏の要の城なんですね。


さらに尾根伝いに道は続いていそうだけど...............

      20170126岡本城址17


縄張り図を持ってきていないから、この先は不明。
このあとにも、もう一つ山城にチャレンジするつもりだから
無理はいたしません。

里見氏って軽く見ていたけれど、しっかりした山城を構築しているから
意外に侮れない。
北条びいきの身ですが、ちょっぴり見直しました。






2017/02/20 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡本桟橋  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

大房岬自然公園をあとにして、向かった先は...............岡本桟橋


岡本桟橋は、正式には原岡桟橋と言い、
原岡海岸にある全国でも数少ない木製の桟橋です。
テレビCMやロケの舞台にもなっている知る人ぞ知る穴場的スポットです。

美しい夕焼けとシルエットで浮かび上がる富士山を眺ることができ、
隠れた穴場となっているようです。




こちらが、原岡海岸。

      20170126岡本桟橋01

背後に見えるのが岡本桟橋。
さらにその奥に見えるのが大房岬。


目的は岡本桟橋。

      20170126岡本桟橋02

富士見の丘とも呼ばれているようです。



運が良ければ、こんな風に富士山が見えるようです。

      20170126岡本桟橋03



残念ながら、この日は富士山は見えません。

      20170126岡本桟橋04



この辺りまでは桟橋はコンクリート製。

      20170126岡本桟橋05

青山学院大学のお墨付き?
コンクリートにはめ込まれた青山学院大学のプレート。



木製の桟橋は意外に狭い。

      20170126岡本桟橋06



波が怖い びいすけ は拒否行動(笑)。

      20170126岡本桟橋07



宥めすかし、オヤツで釣って何とか桟橋の先端に着きます。

      20170126岡本桟橋08

桟橋の先端部もコンクリート。


コンクリートの桟橋なら怖くはないみたいで
びいすけ の表情も穏やかになります。

      20170126岡本桟橋09


      20170126岡本桟橋10


      20170126岡本桟橋11



浜の方に戻ろうとすると、なぜか尻尾は下がっている。

      20170126岡本桟橋12



岡本桟橋から眺める大房岬。

      20170126岡本桟橋13



重ね重ね、富士山が見えないのが残念。
どうも富士山とは相性が悪いようで、なかなかお目にかかれない。

いつか、この桟橋で夕景の富士山を見てみたいものです。











2017/02/19 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit