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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

心の駅 外房七福神⑥ 《 三光寺 弁財天 》  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日 公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。


そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第6弾。
三光寺の弁財天です。

弁財天とは唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。


三光寺は戦国時代には土岐氏の居城である万木城があった小高い山の麓付近に位置する寺社です。
万木のお願い薬師、占いの妙見様として地元の信仰が厚いお寺です。
また、三光寺は「万木城鎮守妙見社の別当となす」と社伝にあり、
本堂から切り通し道をはさんだ向かい側には妙見堂があり、
妙見大菩薩を中心に飯綱大権現、愛宕大権現が祀られています。
妙見大菩薩は万喜城の守護神、愛宕大権現は城主の守り本尊として
常に戦場に持参したと言われています。



実は、この三光寺にも以前訪れたことがあります。
その時は、三光寺が最たる目的では無く、
山城である万木城址に来た時に、その麓の三光寺にも足を伸ばしました。

今回は、三光寺そのものが目的地。

      20170121三光寺 弁財天01


こちらが、三光寺の山門(四脚門)。

      20170121三光寺 弁財天02


この山門はいすみ市の文化財に指定されています。

      20170121三光寺 弁財天03



扁額は掲げられていなく、正面には三光寺の表札。

      20170121三光寺 弁財天04


こちらが、三光寺の本殿。

      20170121三光寺 弁財天05

天台宗のお寺で、妙見山三光寺と言うのが正式名称らしい。


本堂に掲げられた扁額。

      20170121三光寺 弁財天06



境内をぐるっと一回りして、お目当の七福神を探しましたが見つからない。
お寺の方に尋ねたら、本堂の中に七福神の弁財天が鎮座していると言われ
諦めて帰ろうとしたら、本堂の扉を勝手に開けて構わないと言われ
すぐさまチェック。

ちょっと暗くて見づらいですが...............

こちらが、『心の駅 外房七福神』の弁財天。

      20170121三光寺 弁財天07


扉を開けると、すぐに立派な弁財天がありました。

      20170121三光寺 弁財天08

1月後半と言えども、まだまだ七福神の時期だから
扉の近くに置いてあるのだろうか?




三光寺には、七福神の弁財天の他に、七福神が一緒になった石碑があります。

      20170121三光寺 弁財天09

これだけでは、なんと無く有り難みが薄い気がするのは気のせい?



切り通しを挟んだ反対側の高台が妙見堂。

      20170121三光寺 弁財天10



石段には三光寺の寺号標。

      20170121三光寺 弁財天11

寺紋は七曜紋。


妙見堂も七曜紋。

      20170121三光寺 弁財天12



こちらが、妙見堂。

      20170121三光寺 弁財天13


妙見堂の扁額。

      20170121三光寺 弁財天14


万木城守護神 北辰妙見大菩薩 と記されています。

      20170121三光寺 弁財天15



賽銭箱や至る所に七曜紋。

      20170121三光寺 弁財天16


      20170121三光寺 弁財天17


      20170121三光寺 弁財天18


      20170121三光寺 弁財天19

万木城って土岐氏の居城だったはず...............

千葉氏の家紋でもある『七曜紋』が多いのはなぜ?
土岐氏の家紋って、確か『土岐桔梗』だったはず。
素朴な疑問が浮かびます。


三光寺の脇にはため池があり、四阿もあります。

      20170121三光寺 弁財天20



四阿から眺める妙見堂。

      20170121三光寺 弁財天21


先ほどの素朴な疑問は解決しませんが、
とりあえず『心の駅 外房七福神』の弁財天を制覇です。



2017/02/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神⑤  《 行元寺 毘沙門天 》  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日  公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市


と、このような構成になっています。



そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第5弾。
行元寺の毘沙門天です。


行元寺は、嘉祥2年(849年)に慈覚大師によって伊東大山(大多喜町)に草創されました。
300余年隆盛を極めていましたが、幾度となく戦禍に遭遇して、
その都度、冷泉家や二階堂氏、武田氏、土岐氏などにより再興されています。
天正14年(1586年)に大多喜から現在地に移築しました。
本多氏の信仰を集め、徳川家の庇護のもと10万石の処遇を受けました。
檀林として末寺が100寺を有し人材育成と芸術、文化向上に努めてきた寺として知られています。

毘沙門天はインド出身の神様です。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。


行元寺は外房七福神よりも、波の伊八の彫刻のあるお寺として著名なようです。

      20170121行元寺 毘沙門天01

ここで、波の伊八に触れてみましょう。

波の伊八とは、初代「波の伊八」のことで、
武志伊八郎信由は1752年(宝暦2年)に、現在の鴨川市打墨で生まれました。
子どもの頃から手先が器用であったようで、彫刻師である嶋村貞亮に弟子入りをし、
腕を磨き、安房・上総をはじめ、江戸や相模など、南関東を中心に50点余りの彫刻を残しています。
伊八は若いころから才能を発揮し、次第にその腕を買われ、数多くの仕事をこなしていきますが、
別名「波の伊八」と呼ばれるように、大小に関わらず多くの波を彫っています。
彼の彫る彫刻は、立体感や奥行きがあり非常に優れていますが、
特に波は躍動感に満ちています。
そして、彼の彫る波の彫刻は、かの葛飾北斎の代表作「神奈川沖浪裏」に影響を与えているとされているようです。




こちらが、行元寺の寺号標。

      20170121行元寺 毘沙門天02


参道をひたすら上がって行きます。

      20170121行元寺 毘沙門天03



参道には行元寺の説明板、案内板が並んでいます。

      20170121行元寺 毘沙門天04


      20170121行元寺 毘沙門天05


      20170121行元寺 毘沙門天06



こちらが、行元寺の山門である『慈雲閣』。

      20170121行元寺 毘沙門天07

朱色の外装と、華麗な彫刻が印象的です。
いすみ市の文化財に指定されているようです。



慈雲閣に掲げられた扁額。

      20170121行元寺 毘沙門天08


欄干に飾られた彫物が貴重なモノのようです。

      20170121行元寺 毘沙門天09


      20170121行元寺 毘沙門天10


      20170121行元寺 毘沙門天11


慈雲閣をくぐり、先へと進めば新たな案内板。

      20170121行元寺 毘沙門天12

波の伊八の作品と葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を並べ
比較し、類似している様を案内しています。


この門の先が本殿。

      20170121行元寺 毘沙門天13



こちらが本堂 

      20170121行元寺 毘沙門天14

建立されたのは安土桃山時代と言うから驚きです。
元禄時代に 拡張改造した大建造物です。  


閉まっていた扉を開けてもらい、扁額を確認します。

      20170121行元寺 毘沙門天15

『無量寿院』と記されています。



境内にも行元寺の説明板がありました。

      20170121行元寺 毘沙門天16



そして、本堂前にはお目当の七福神。

      20170121行元寺 毘沙門天17


『心の駅 外房七福神』の毘沙門天です。

      20170121行元寺 毘沙門天18



境内には、こんなモノもあります。

      20170121行元寺 毘沙門天19


『母さんたずねて』の歌碑。

      20170121行元寺 毘沙門天20



多羅葉の木。

      20170121行元寺 毘沙門天21


      20170121行元寺 毘沙門天22



亮運僧正の石塔篭。

      20170121行元寺 毘沙門天23


      20170121行元寺 毘沙門天24



本堂の鬼瓦。

      20170121行元寺 毘沙門天25



供養半鐘

      20170121行元寺 毘沙門天26


どうやら、複製品のようです。

      20170121行元寺 毘沙門天27


徳川家康の家臣の四天王の1人であった大多喜城主・本田忠勝の信仰を集め、
徳川家の庇護を得ていたことから、徳川家の家紋も見受けられます。

      20170121行元寺 毘沙門天28

御存知、三つ葉葵。


本堂の屋根にも三つ葉葵。

      20170121行元寺 毘沙門天29


こちらが、行元寺の寺紋のようです。

      20170121行元寺 毘沙門天30


そして、こちらが鐘楼。

      20170121行元寺 毘沙門天31

1日に2回、この鐘は突かれているようです。


本殿隣の客殿で波の伊八の作品が土・日に限り拝見出来るようですが
びいすけ を連れては見学出来ないから、諦めます。

って言うか、余りにも波の伊八を強調しずぎる感があって
ちょっぴり興醒めの感もある。


いすみ市が建てた伊八関連の説明板。

      20170121行元寺 毘沙門天32


そして、四阿ならぬ休憩所には『伊八亭』と看板が掲げられています。

      20170121行元寺 毘沙門天33


おいおい、ちょっとやり過ぎじゃないのかい?(笑)


そんなこんなで、『心の駅 外房七福神』の毘沙門天も制覇です。





2017/02/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神④  《 法興寺 大黒天 》  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日 公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。


そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第4弾。
法興寺の大黒天です。

法興寺は、境内の西方の水田より古代の伽藍跡(旧法興寺浄土型伽藍址)が発見されていて、
岩熊廃寺とも呼ばれています。
ここからは奈良時代の瓦や法華経を刻んだ平安時代の瓦経も出土し、
千葉県でも有数の古代寺院跡として知られています。
かつて法興寺では、この寺院跡がある水田のところで晋山式を行っていたそうで、
このことから法興寺は古代寺院の法灯を受け継ぐお寺であると考えられています。
残念ながら16世紀後半の火災によって法興寺には古記録が残っておらず、
岩熊廃寺から現法興寺への具体的な変遷は不明となっています。


大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています




こちらが、法興寺の寺号標

      20170121法興寺 大黒天01



てっきり、寺号標の背後の建物が法興寺の本堂かと思ったら
何と、地域の集会所。

      20170121法興寺 大黒天02


寺号標脇の狭い道が法興寺の参道。

      20170121法興寺 大黒天03

切り通しの先に見えるのが法興寺。


上総地区に多い、やぐら(横穴式の納骨窟または供養堂)跡?

      20170121法興寺 大黒天04



今はいすみ市に在る法興寺。
かつては、夷隅郡岬町でした。

その岬町時代の文化財も多いようです。

      20170121法興寺 大黒天05


こちらは仁王門。

      20170121法興寺 大黒天06



仁王像。
向かって右側だから阿形像。

      20170121法興寺 大黒天07


こちらは、向かって左側。
吽形像になります。

      20170121法興寺 大黒天08



こちらが、客殿(阿弥陀堂)。

      20170121法興寺 大黒天09

てっきり本殿かと思っていたら、薬師堂が本殿になるらしい。


客殿に掲げられた扁額。

      20170121法興寺 大黒天10



お目当の七福神はこちら。

      20170121法興寺 大黒天11



『心の駅 外房七福神』大黒天です。

      20170121法興寺 大黒天12



大黒天の説明板。

      20170121法興寺 大黒天13



こちらが薬師堂。
小さいながらも、法興寺の本殿です。

      20170121法興寺 大黒天14


薬師堂前の大カヤ。

      20170121法興寺 大黒天15

樹齢400年を超える巨木です。
もちろん法興寺の御神木。
でも寺院に御神木って、おかしくない?

岬町時代の文化財の一つです。

      20170121法興寺 大黒天16



こちらが鐘楼。

      20170121法興寺 大黒天17



鐘楼の建つ場所は、一段高い切り通しの上。

      20170121法興寺 大黒天18

まるで、城郭に櫓台のような場所。
この地も城址に見えてきてしまう。

いすみ市の城郭、城址の一覧を見ても載っていないから
やっぱり違うのかな?


まぁ、とりあえずは...............
これで『心の駅 外房七福神』の大黒天も制覇です。。





2017/02/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神③  《 遍照寺 恵比寿 》  (2017年1月21日)(千葉県長生郡一宮町) 

1月21日  公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。



そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第3弾。
遍照寺の恵比寿です。


遍照寺は、仁寿2年(852年)に慈覚大師が開基したと伝えられ、
本尊は阿弥陀如来です。
もとは神明山福聚院東照寺と称していましたが、
徳川家康が東照大権現として祀られたので寺号を光明山遍照寺に改めました。
地元では「ホウエンさま」とよばれ親しまれています。

恵比寿とは
日本の神様で、漁業、商売繁盛の神として、信仰されています。
日本古来の神様でご神名は小彦名命(疱瘡神社)。
海の守護と商売繁盛、医療医薬、庶民救済の神として、崇敬されています。



この遍照寺に辿り着くまでに苦労しました。
とにかく、住所をナビに入力してナビの案内に従うと...............

狭い道を走らされ、周りが田んぼだらけの線路脇の行き止まりを案内します。

住所を間違えて入力したと思い、再入力しても
案内するのは、やっぱり線路脇の田んぼの中の行き止まり。

線路の向こうに遍照寺が在るのは間違いないから
踏み切りを探し、やっと辿り着けました。


こちらが寺号標。

      20170121遍照寺 恵比寿01


寺号標の先には、『心の駅 外房七福神』の幟。

      20170121遍照寺 恵比寿02

この七福神の幟は、今回の七福神巡りでは初めて目にしました。


参道(車道)には、梅の花がポツリポツリと咲き始めています。

      20170121遍照寺 恵比寿03


      20170121遍照寺 恵比寿04


      20170121遍照寺 恵比寿05



さらに先に進むと、新たな幟。

こちらは『七福神』。

      20170121遍照寺 恵比寿06


さらにもう一本。
こちらは『えびす神』

      20170121遍照寺 恵比寿07



客殿背後の台地に七福神は祀られているようです。

      20170121遍照寺 恵比寿08


こちらが、お目当の『心の駅 外房七福神』の恵比寿です。

      20170121遍照寺 恵比寿09


      20170121遍照寺 恵比寿10



この恵比寿の置かれているから台地が
城郭の郭跡っぽい。

      20170121遍照寺 恵比寿11


贔屓目じゃないけれど、城塁っぽく見えてしまう。

     20170121遍照寺 恵比寿12


      20170121遍照寺 恵比寿13

やっぱり、城址巡りに行っていない反動なのかな?(笑)



こちらが、遍照寺の本堂。

      20170121遍照寺 恵比寿14



本堂に掲げられた扁額。

      20170121遍照寺 恵比寿15

山号である『光明山』の文字が確認出来ます。


本堂を別アングルにて。

      20170121遍照寺 恵比寿16



本堂再建記念碑には、遍照寺の由緒が記されています。

      20170121遍照寺 恵比寿17



こちらが、遍照寺の客殿。

      20170121遍照寺 恵比寿18

この背後の台地に七福神の恵比寿は祀られています。



境内に建つ碑。

      20170121遍照寺 恵比寿19

『白鳥省吾 旧居跡』 とあります。

白鳥省吾って誰?


調べて見ると...............

日本の詩人らしい。彼の著作する詩は、民衆の内面を描いた物であり、
『民衆派詩人』と称されていたようです。
詩人であり文人でもあり、晩年は千葉県で過ごしたらしい。
この地には、千昌夫のヒット曲『星影のワルツ』は
白鳥省吾の二女である白鳥園枝が作詞したらしい。

太平洋戦争が激化した昭和19年に、この遍照寺に疎開し
昭和30年まで、居を構えていたと言うことらしい。

なるほど、そう言うことなのね。



こちらは句碑。

      20170121遍照寺 恵比寿20

残念ながら、誰の句なのか分かりません。




本堂の正面に苔むした古い石段が在り、
それを降りて行くと、もう一つの門があります。

      20170121遍照寺 恵比寿21


線路脇に建つ門。

      20170121遍照寺 恵比寿22


危ないから、線路内立ち入り禁止の看板もある。

      20170121遍照寺 恵比寿23


昔の参道って言うか、本来はこちらが正規の参道だったんだろうが
車社会になって、車でお詣りに来るようになり、
この参道は利用されなくなっちゃったんでしょうね。

線路と山門、そして行き止まりの道.この関係から、
ナビがあの場所を案内した理由が少し分かったけど
もう少し賢いナビになってくれないかあ...............?



2017/02/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神②  《 東漸寺 布袋尊 》  (2017年1月21日)(千葉県長生郡一宮町) 

1月21日 公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。



そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第2弾。
東漸寺の布袋尊です。


東漸寺は曹洞宗の古刹です。本尊は不動明王(秘仏)です。
開山は慶長17年(1612年)7月、光室恵珍によってなされました。
慶安2年(1649年)には将軍家光により寺領18石の寄進を受け御朱印寺となりました。
寺で所有する駕籠は旧一宮藩主加納久徴が、
徳川家(14代将軍家茂)に降臨された孝明天皇の妹にあたる皇女和宮より
拝領の駕籠であるとして、一宮町の文化財に指定されています。

布袋尊は、笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物と言うことです。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。


こちらが東漸寺の参道入口。
寺号標の前にて。

      20170121東漸寺 布袋尊01



山門前。

      20170121東漸寺 布袋尊02



山門から眺める東漸寺の全景。

      20170121東漸寺 布袋尊03

本堂背後には台地が広がります。


こちらが本堂。

      20170121東漸寺 布袋尊04


      20170121東漸寺 布袋尊05



扁額は扉の奥。
扁額を写真に収めるため、ちょっとだけ扉を開けてもらいました。

      20170121東漸寺 布袋尊06



別アングルからの本堂。

      20170121東漸寺 布袋尊07


本堂裏には墓地があり、さらにその奥は台地が広がり
何となく城址っぽく見えてしまう。

      20170121東漸寺 布袋尊08

最近、城址巡りをしていない反動だろうか...............?(笑)




本堂の庇(?)に飾られた龍の彫物。

      20170121東漸寺 布袋尊11


こちらは本堂の鬼瓦。

      20170121東漸寺 布袋尊12




さてさて、お目当の七福神はと言えば...............


本堂前に、どぉ〜んと鎮座していました。


心の駅 外房七福神の布袋尊です。

      20170121東漸寺 布袋尊09


      20170121東漸寺 布袋尊10



こちらは閻魔堂。

      20170121東漸寺 布袋尊13

閻魔堂は東漸寺で最も古い建造物らしい。



門前の枝垂れ桜。

      20170121東漸寺 布袋尊14

春にはきっと綺麗な花を咲かすことでしょう。



とりあえず、これで『心の駅 外房七福神』の布袋尊を
制覇です。






2017/02/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神①  《 観明寺 寿老人 》  (2017年1月21日)(千葉県長生郡一宮町) 

1月21日 公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。



そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第1弾。
観明寺の寿老人です。

観明寺は天台宗派に属する古刹です。
天平6年(734年)僧行基の開基、慈覚大師の中興と伝えられています。
江戸時代には朱印十二石がありました。
本尊は十一面観音で、寺伝の文書によると海上より出現した伝えられています。

そして、七福神の寿老人とは
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。


観明寺は『心の駅 外房七福神』ね一つでもありますが
『九十九里七福神』の一つでもあります。
実は、以前に九十九里七福神巡りをした時に、この観明寺にも訪れているので
こちらに来るのは、これで2回目になります。


背後に見えるのが観明寺。

実はこの場所も観明寺に所縁のある場所。

      20170121観明寺 寿老人01



路地の傍に建つ小さな碑。

      20170121観明寺 寿老人02

観明寺四脚門跡の碑です。


路地に残る四角い穴跡が四脚門の跡だろうか?

      20170121観明寺 寿老人03



こちらが、現在の観明寺の山門(四脚門)。

      20170121観明寺 寿老人04


      20170121観明寺 寿老人05


扁額の代わりに看板。

      20170121観明寺 寿老人06



こちらが、本殿。

      20170121観明寺 寿老人07


      20170121観明寺 寿老人08


      20170121観明寺 寿老人10



本殿に掲げられた扁額。

      20170121観明寺 寿老人09


      
本殿脇にお目当の七福神が鎮座しています。

      20170121観明寺 寿老人11



心の駅 外房七福神の寿老人です。

      20170121観明寺 寿老人12


      20170121観明寺 寿老人13



ちなみに、こちらが『九十九里七福神』の福禄寿。

      20170121観明寺 寿老人14

違う七福神の神を祀っているところが面白い。



こちらが鐘楼。

      20170121観明寺 寿老人15



鐘楼の奥には、台地へと上がっていく道。

      20170121観明寺 寿老人16

竹に覆われた台地の奥は、何となく城址っぽく見える。
ひょっとしたら?...............と興味が湧くけれど、今日は七福神巡りがメイン。
今度、城址か否か? じっくり調べましょう。



境内に建つ碑。

句碑かと思ったら違っていた。
住職さんの有難い言葉なのだろうか?

『鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ』

      20170121観明寺 寿老人17


こちらには『念ずれば 花ひらく』

      20170121観明寺 寿老人18

確かに言い言葉です。



こちらは経堂。

      20170121観明寺 寿老人19

釈迦石像を安置し、一切経が奉安されていたそうです。


こちらは、金毘羅堂。

      20170121観明寺 寿老人20

金毘羅堂は金毘羅大将を祀っていて、元々は安養寺にあったそうです。
明治二年に現在の地に移し、明治十二年にお堂を建立したそうです。


以前訪れたことがあるから、新鮮味には欠けるけど
心の駅 外房七福神のスタートだから致し方ない。

とりあえず、『心の駅 外房七福神』の寿老人、これにて制覇です。




2017/02/06 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

松伏総合公園  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町) 

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の松伏町に出かけました。
松伏町の廃校及び学校跡を探索したあとは、
ゆっくりと公園散歩と洒落込みましょう。

と、言うことで立ち寄った先は...............松伏総合公園


松伏総合公園は、松伏町の「ゆめみのニュータウン」の東端に整備して作られた公園で、
松伏記念公園の南側に隣接しています。
園内には、釣りをして楽しむことが出来る大きな池を中心に、
公園北側にある公園のシンボルで展望台設備の整った風車、
そして公園東側には多目的広場があります。
春になると桜が綺麗に咲く池周辺をお花見からピクニック、
そして散歩などを楽しむのに適している公園です。
特に風車周辺は、桜が多く植えられているのでお花見スポットとしても知られているようです。


こちらが、公園入口。

      20170111松伏記念公園01



すぐ隣にも公園があって、そちらを松伏記念公園と言うのか?

      20170111松伏記念公園02

でも公園案内板には、しっかりと松伏記念公園なんて書かれている。
ましてや、松伏総合公園と言う記載はどこにもない。

ひょっとしたら、公園名を改称さたけれど、案内板までは気が回らなかったのかな?


案内板による多目的調整池をぐるっと回ってみましょう。
何せ、こちらの公園はこの調整池がある意味、メインだったりします。

池の前の芝生に大きなモニュメント。

      20170111松伏記念公園03

ひょっとして、スーパーマン?(笑)
そんな訳はない。


調整池と言うだけあって水位は変動するようです。
なぜか、立ち入り防止のフェンスを超える水位。

      20170111松伏記念公園04

ひょっとして、ちょっぴり水が多いんじゃない?



足元が濡れていない、要はフェンスを水が超えて来ていない場所を選んで
池沿いを歩いて行きましょう。

      20170111松伏記念公園05


四阿もありますが、こちらの四阿は素通り。

      20170111松伏記念公園06


他のワンちゃんの匂い(残り香)が有るのか?
匂い嗅ぎに夢中な びいすけ 。

      20170111松伏記念公園07


      20170111松伏記念公園08



ロングリードに付け替えてくれば良かったのに...............
ちょっぴり後悔。

      20170111松伏記念公園09

って言うか、車に戻って付け替えれば済むんだけど
そんな元気は無い(笑)。


クンクンと匂い嗅ぎが激しい びいすけ 。

      20170111松伏記念公園10


      20170111松伏記念公園11


その理由がわかりました。

ノラ猫の匂いですね。

      20170111松伏記念公園12


意外に、この公園ノラ猫が多かった。

ノラ猫に遭遇する度に、 びいすけ が興奮するから
宥めるのが大変です。

      20170111松伏記念公園13



ノラ猫のいない水辺を選んで歩きましょう。

      20170111松伏記念公園14


      20170111松伏記念公園15


      20170111松伏記念公園16


      20170111松伏記念公園17


      20170111松伏記念公園18


      20170111松伏記念公園19


      20170111松伏記念公園20


      20170111松伏記念公園21



池の周りをほぼ半周すると、いきなり視界に現れた風車。

      20170111松伏記念公園22


スペイン風らしい。

      20170111松伏記念公園23

って、何処がスペイン風なんだろう?(笑)


取り敢えず高いモノには上りたがる びいすけ 。
『お前は煙か?』と思いながらも、風車の上部へと上がってみます。

      20170111松伏記念公園24

かく言う私も、こう言った展望台みたいなモノは嫌いじゃ無い。




風車最上部(展望台)からの眺め。

こちらが調整池。

      20170111松伏記念公園25



こちらはグランド。

      20170111松伏記念公園26



そのグランドに立ってみます。

      20170111松伏記念公園27



グランドって言っても人間用。
ドッグランじゃないから走らせる訳にも行かないし。

      20170111松伏記念公園28



そもそもドッグランじゃ走らないし...............
まぁ、もっとも今日は七福神巡りや廃校巡りをして
いっぱい歩いているから、走る元気もそんなに残っていないんじゃないかな?

      20170111松伏記念公園29


30〜40分ぐらいの松伏総合公園の散策。
そんなに近いわけじゃないから、おそらく次回は無いと思うけれど
ノラ猫さえ居なければ、犬連れで散歩するには良い公園じゃないかな?

そんな感想を胸にこの地をあとにしました...............。




2017/02/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校赤岩分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第4弾。

旧・松伏小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校赤岩分校


赤岩分校は

明治25年     赤磐尋常小学校として設立。
明治41年     松伏尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     松伏小学校赤岩分校となる。         
昭和48年     本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、赤岩分校。

      20170111赤岩分校01

分校と言うだけあって、敷地は狭い。

廃校時には周りが田んぼや畑だらけだったか否かは知らないけれど
現在は、住宅街の一画です。

      20170111赤岩分校02


分校の校舎はおそらく建て替えられているのでしょう。
現在は、赤岩農村センターの建物が建っています。

      20170111赤岩分校03



敷地の一角に在る石碑。

      20170111赤岩分校04



『赤岩分校跡地』の碑です。

      20170111赤岩分校05


碑の側面には沿革が刻まれています。

      20170111赤岩分校06


      20170111赤岩分校07

既に廃校となってしまった学校は、なかなか情報も少ないので
こう言う形で沿革が残されているのは貴重な情報源です。



とにかく狭い敷地だから、限られたアングルでしか撮影できない。

そして、遊具等の遺構も全く残されていない。

      20170111赤岩分校08


      20170111赤岩分校09


      20170111赤岩分校10


廃校から、もうすぐ44年。
あの赤岩分校跡地の碑が無ければ、
誰もこの地が廃校跡地だとは思わないだろうなぁ...............。


2017/02/04 Sat. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・松伏小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第3弾。

大川戸分校をあとにして、
向かった先は...............松伏町立 旧・松伏小学校跡

松伏小学校は廃校ではなく、現存する小学校です。
ただ、現在の校地は48年に校舎を新築された際に移転したもので
昭和48年までは、別な場所に学び舎は在りました。


松伏小学校は、

明治6年      松伏領村立大川戸小学校として西福寺に開校
明治6年      松伏領村立松伏小学校が宝珠院を校舎として開校
明治9年      第四学区の本校として広大なる校舎を新築する   
           分校は郁文学校(旭村),周知学校(豊野村),
           樋籠学校(幸松村),向畑学校(新方村)とする
明治12年     新教育令により従来の学区を廃して町村毎に学区を設置することになり,
           本校の広大な校舎を縮小する。残余の校舎は本郡々役所の庁舎に献納する
明治19年     分教場を下赤岩の東陽時に置き,同年9月に廃止する
明治22年     町村制実施に伴い,松伏領村になった大川戸藤聯小学校分教室は本校の分教室となる
明治25年     赤岩尋常小学校を設立(旧赤岩分教場)
           本校に補習科を設置
明治34年     二カ年制高等科を設置
           松伏領尋常小学校と称する
昭和4年      大川戸尋常小学校と合併し,松伏領尋常高等小学校と称し,大川戸に分校を置く
昭和22年     六三制実施に伴い,松伏領村立松伏領小学校と改称
昭和31年     町村合併による新松伏村設置に伴い,校名を松伏村立松伏小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立松伏小学校と改称
昭和47年     大川戸,赤岩両分校を廃止し,松伏小学校に名目統合する
昭和48年     新校舎完成に伴い松伏町大字村松伏1609番地に移転する





こちらが、旧・松伏小学校跡地。

      20170111旧・松伏小学校跡01

旧・松伏小学校の跡地は現在の松伏町役場です。



この広い駐車場は、かつての校庭跡なのだろうか?

      20170111旧・松伏小学校02



庁舎と庁舎の間に何やら石碑らしきモノがある。

      20170111旧・松伏小学校03



近寄ってみましょう。

      20170111旧・松伏小学校04


石碑は松伏小学校跡の碑です。

      20170111旧・松伏小学校05



しっかりと『松伏小学校跡地』と刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校06



裏面には、沿革も刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校07


この石碑以外、学校跡を彷彿させるモノは無い。
いわゆる、遺構が全く残っていない。

学校跡地の碑の脇に、どぉ〜んと庁舎がそびえ立っている。

      20170111旧・松伏小学校08

はたして、この庁舎を訪れる人たちが、この碑に気付いているのだろうか?



そう言えば、先日テレビで芸能人、著名人の同級生を探すって言う類いの番組で
作家の羽田圭介が松伏小学校の卒業生だと言う事を知りました。
彼はまだ31歳だから約44年前には、まだ生まれていない。
昭和48年に移転した松伏小学校が学び舎になる。
松伏町の役場が昔の母校跡だと言う事を知っているのだろうか...............?


2017/02/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校大川戸分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけ、そのあとに松伏町の廃校巡りに出かけました。

旧・金杉小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校大川戸分校



大川戸分校は

明治6年     大川戸小学校として開校する。
明治22年    町村制施行と同時に松伏領村となり 
          松伏小学校分教室となる。
明治25年    松伏領村立第一学区大川戸尋常小学校となる。    
昭和4年     松伏領尋常高等小学校の分校として開校する。    
昭和22年    松伏領村立松伏領小学校大川戸分校と改称する。
昭和48年    松伏小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大川戸分校跡。

石造りの門柱が残っています。

      20170111大川戸分校01



残念ながら、造られた時期は不明。

      20170111大川戸分校02


大川戸分校跡の敷地は、地域の集会所として再活用されているようです。


かつての校庭跡になるのでしょう。

      20170111大川戸分校03



敷地の一角に建っている石碑。

      20170111大川戸分校04



『大川戸分校跡地』の碑です。

      20170111大川戸分校05



側面には、沿革が刻まれています。

      20170111大川戸分校06


なかなか情報が少ない分校だから、創立時の経緯も分かるから
貴重な情報です。

      20170111大川戸分校07



校庭跡の奥に建つのは集会所。

      20170111大川戸分校08



校庭跡は、集会所を利用する人の駐車場と化しているようです。

      20170111大川戸分校09

残念ながら、遊具等の遺構は全く無し。
二ノ宮像もありません。



校庭跡の端っこには、廃校ではお約束(?)の消防倉庫。

      20170111大川戸分校10




かつての校舎跡(?)には、新しく自治会館が建てられています。

      20170111大川戸分校11


その名も『本田自治会館』。

      20170111大川戸分校12



そして、自治会館の隣には小さな神社。

      20170111大川戸分校13


元々は、神社の敷地の一画に学校が設けられだのでしょう。

      20170111大川戸分校14


神社の社殿。

      20170111大川戸分校15


社殿の神額には『天照皇大神宮』

      20170111大川戸分校16

由緒ある神社なのかな?


まぁ、明治初めの教育令で創設された学校は
寺院や神社の敷地の一画教育建てられたことが多いから
大川戸分校の前身である大川戸学校もそんな流れを汲んでいるのでしょう。




2017/02/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・金杉小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出がけました。
杉戸町の隣とも言える松伏町にもいくつかの廃校、学校跡が在ると言うことで
松伏町に足を伸ばしてみました。

まず、最初に向かったのは...............松伏町立 旧・金杉小学校跡

金杉小学校は廃校ではなく、現役の小学校ですが
昭和51年に移転して、旧・校地は松伏町北部サービスセンターとして再活用されているようです。



金杉小学校は、

明治8年      築比地小学校創立 宝蔵院を仮校舎とする
明治20年     築比地尋常小学校となる
明治42年     金杉尋常小学校となる
大正15年     高等科設置が認可され,金杉尋常高等小学校となる
昭和22年     校名を埼玉県北葛飾郡金杉村立金杉小学校と改称
           埼玉県北葛飾郡金杉村立金杉中学校を併置
昭和25年     金杉中学校を廃止
昭和31年     村名変更により校名を松伏村立金杉小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立金杉小学校と改称
昭和51年     現在地(松伏町大川戸3854)に新校舎落成,全校移転
           
現在に至る

と、このような沿革となっているようです。


こちらが、金杉小学校の正門跡。

      20170117金杉小学校跡01



石造りの古い門柱が残っています。

      20170117金杉小学校跡02



画像では見辛いですが、大正四年と造られた時期が刻まれています。

      20170117金杉小学校跡03



門柱脇から覗く校庭跡。

      20170117金杉小学校跡04

ちょっと台地から窪んだ場所になり、
まさに、小学校の校庭って言う感じです。



校庭跡に降り立ってみます。

      20170117金杉小学校跡05



シンボルツリーだったと思われる大きなモミの木。

      20170117金杉小学校跡06



校庭跡で黄昏る(?) びいすけ を激写(笑)。

      20170117金杉小学校跡07


      20170117金杉小学校跡08


      20170117金杉小学校跡09



古い桜の木も学校跡を彷彿させます。

      20170117金杉小学校跡10


      20170117金杉小学校跡11



別アングルから校庭跡を...............

      20170117金杉小学校跡12

      20170117金杉小学校跡13



おそらく、校庭から一段上がった台地に校舎は建っていたのでしょう。

取り壊されて、現在は『松伏町北部サービスセンター』の建物学校建っています。

      20170117金杉小学校跡14


      20170117金杉小学校跡15



校舎の在った台地から校庭へは、こんな滑り台が残されています。
それも2基。

      20170117金杉小学校跡16


      20170117金杉小学校跡17



ここから、子供たちは『きゃ〜、きゃ〜』と言いながら
滑り台を降りて行ったのでしょう。

      20170117金杉小学校跡18



北部サービスセンターの建物前には石碑が在ります。

      20170117金杉小学校跡19



金杉小学校跡地の碑。

      20170117金杉小学校跡20


      20170117金杉小学校跡21



碑の裏面には簡単な沿革が刻まれています。

      20170117金杉小学校跡22


その隣には、明治39年の日付のある校舎建築の記念碑。

      20170117金杉小学校跡23


紛れもなく、この地は金杉小学校の跡地。

かつての校地を忘れないように、こうやって碑を残して後世に伝えていく。
松伏町のそんな姿って好きだなぁ...............。





2017/02/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............杉戸町立東小学校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町)   

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。
最たる目的は杉戸町に点在する日光街道すぎと七福神巡りですが
七福神巡りを完了したあとは、杉戸町に在る廃校へと向かいました。

向かった先は...............杉戸町立東小学校



東小学校は

明治9年    北蓮沼村の服部慶清氏宅地内に第六学区蓮沼学校が設立される。
明治16年    不動院野村文友学校を併合する。

その後、並塚学校蓮沼分教室となり、田宮村立田宮尋常小学校と改称し独立する

昭和22年    田宮村立田宮南小学校と改称する。
昭和30年    田宮村が杉戸町・堤郷村・高野村がと合併し、杉戸町となる。
          杉戸町立田宮南小学校と改称する。
昭和31年    杉戸町立東小学校と改称する。
昭和50年    東小学校と南小学校が統合し、杉戸町立杉戸第三小学校が開校。
          東小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


                 

こちらが、東小学校の正門。

      20170111東小学校01


廃校後、敷地は地域の集会所(大蓮会館)となっているようです。


正門脇には説明板。

      20170111東小学校02

かつての学校跡にこうやって説明板を建ててくれているから
杉戸町教育委員会には好感が持てます。



白い小さな木造校舎。

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窓越しに中を覗いたら、黒板があったから
紛れもなく、東小学校の校舎だったのでしょう。

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校庭側から全景。

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そんなに大きな小学校ではなかったようです。


校舎の前には、シンボルツリー(?)

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敷地境界のフェンス沿いには桜の木。

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この桜の木が学校跡らしさを残しています。



校庭を徘徊する びいすけ 。

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校舎の前には、ブランコ。

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残っていた遊具は、このブランコのみ。



校庭はゲートボール場として使われているのか?
庇の付いたベンチも設けられています。

      
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校舎をバックに、記念の一枚。

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こちらが、校舎の正面。

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木造校舎の正面とも言うか、入口って建物の顔だから
建物によって表情が違うから、それが面白い。
入口の扉は集会所になってから取り替えられたモノのようです。



校庭の一角には、廃校跡ではお約束とも言える防災倉庫。

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廃校から既に40数年。
校舎もきちんと手入れされているようで
大切にされている、旧・杉戸町立東小学校。

良いモノを見せて貰いました...............。




2017/02/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit