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び・び・びのびいすけ

北総花の丘公園ドッグラン   (2016年9月30日)(千葉県印西市) 

9月30日  公休日

個人的な連休2日目。

前日の深夜、八王子の実家から千葉に舞い戻り
この日は、早朝の散歩を済ませると昼過ぎまで爆睡していました。

16時少し前に慌てて家を出て、買い物ついでにドックランに出かけました。


向かった先は...............北総花の丘公園ドックラン


ドックランに着いたのは16時半近く。
この時期、ドックランは17時までだから正味30分しか有りません。
と言っても元々ドックランに1時間も居ると、
帰りたいオーラを発散する びいすけ ですから
30分で十分かも知れません。


中・大型犬エリアには3頭ほど先着のワンちゃんが居ましたが
いつもと変わらずマイペースな びいすけ 。
他のワンちゃんには脇目も触れず、フェンス周りの徘徊から始まります。

      20160930北総01



フェンス周りの匂いを嗅ぎながらの徘徊。

      20160930北総02


気になる匂いが有れば、立ち止まって匂い嗅ぎ。

      20160930北総03


かなり気になる匂いにはマーキング。
そして、再びの徘徊。

      20160930北総04



普段の散歩の時にはしないんだけど、
ドックランに来て、オシッコやウンチをすると
近くの土や草を後ろ足で蹴る(掘る) びいすけ 。

      20160930北総05

ドックランだけの行動だから、不思議だよねぇ。



1頭の柴犬くんが びいすけ に寄って来てくれましたが
びいすけ は無愛想。

      20160930北総06

せっかく、来てくれているんだから、一緒に遊べはいいのに...............。




びいすけ のドックラン内の徘徊は続きます。

      20160930北総07


      20160930北総08



先ほどの柴犬くんが びいすけ をロックオン。

      20160930北総09



起き上がって、 びいすけ を誘ってくれます。

      20160930北総10



びいすけ の前で、右に左に誘ってくれますが
やっぱり、 びいすけ は無関心。

      20160930北総11

残念だけど、ドックランでは、遊ばなくなっちゃったんだよなぁ...............



久しぶりに会った ヴィオラちゃん。

      20160930北総12



ヴィオラちゃんにお尻の匂いを嗅がれても
全くの無関心、無警戒。

      20160930北総13


閉園時間前だったけど帰りたい素振りを見せ始めだけにびいすけ 。
結局、この日は一度も走る事なく、徘徊だけに終わった びいすけ 。


正味30分も居なかったドックラン。

ひょっとして、 びいすけ にとっては、
ドックランよりも芝生のある公園とかの散歩の方が有意義だったのかな?






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2016/10/31 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

平塚八景 《 森の前鳥神社 》 (2016年9月29日)(神奈川県平塚市) 

9月29日 公休日

この日は神奈川県の平塚市に行きました。


平塚市には、平塚八景なるモノがあります。


平塚八景は、平塚市の市制施行50周年を記念して、
平塚市民の推薦のもとに平塚の代表的な景色・景観等を
昭和57年に制定されたものです。

その内訳は

平塚八景 平塚砂丘の夕映え
平塚八景 湘南潮来
平塚八景 八幡山公園
平塚八景 森の前鳥神社
平塚八景 湘南平
平塚八景 霧降りの滝・松岩寺
平塚八景 七国峠・遠藤原
平塚八景 金目川と観音堂

の8ヶ所となっています。


平塚八景 湘南潮来 (相模川八景 湘南潮来と河口)を訪れ、
本日の予定は全て完了。
国道129号線を北上して、八王子の実家へと車を走らせていました。

国道129号線を走っていると、前鳥神社 の看板が目に入って来ました。
確か、前鳥神社も平塚八景の一つじゃなかったっけ?

ウインカーにて右折の意思表示。
ハンドルを右に切り、急遽向かった先は...............平塚八景 森の前鳥神社


駐車場に車を停め、前鳥神社へと向かいます。


前鳥神社の社号標。

      20160929平塚八景森の前鳥神社01


学問の神様である奨学神社があるから、前鳥神社は学問の神様として
地域の信仰を集めているようです。

      20160929平塚八景森の前鳥神社02


前鳥神社の境内には、桜やけやきの大樹、杉の古木が多く、
平塚市保全樹林に指定されており、古社らしき趣きのある一画となっています。
「木の実落ちし 音しんかんと残りけり 飛鴻」の句碑もあります。


それでは、参道を歩きながら前鳥神社の境内に向かいましょう。

      20160929平塚八景森の前鳥神社03



参道には、祭りの提灯。
ちょっぴり気になります。

      20160929平塚八景森の前鳥神社04


奠の綱?

      20160929平塚八景森の前鳥神社05

「奠の綱(でんのつな)」は、神を導く綱で
社殿まで誘導するモノらしい。



前鳥神社の鳥居。

      20160929平塚八景森の前鳥神社06



鳥居の脇に建つ平塚八景の碑。

      20160929平塚八景森の前鳥神社07



こういったしっかりとした碑があると、ついつい追いかけてみたくなります。

      20160929平塚八景森の前鳥神社08



説明看板もしっかりと設置されています。

      20160929平塚八景森の前鳥神社09



こちらは鐘楼。

      20160929平塚八景森の前鳥神社10


書家近藤雪竹(先生)の功績を称えた碑。

      20160929平塚八景森の前鳥神社11


      20160929平塚八景森の前鳥神社12


      20160929平塚八景森の前鳥神社13



こちらが、拝殿。

      20160929平塚八景森の前鳥神社14



この松は稀に四本の葉をつけ、
その松葉を身につけると幸せになるといわれています。

      20160929平塚八景森の前鳥神社15


      20160929平塚八景森の前鳥神社16



こちらが、御神木。

      20160929平塚八景森の前鳥神社17


そして、こちらが学問の神様、奨学神社。

      20160929平塚八景森の前鳥神社18



この日は9月29日。

実は前日の9月28日が御例祭。

毎年9月28日に神輿宮入と称し、各町内を渡御した神輿が神社参道に着くと、
出迎えた氏子・役員たちが肩衣裃に威儀を正し、提灯を持って誘導します。
神輿が神域内に入ると、待ち受けていた氏子総代が白絹でつくった「奠之綱(でんのつな)」を結び、
この綱を持って誘導します。
拝殿に至り「奠之綱」は神官に手渡され、神輿は還幸する。

そんな御例祭が執り行われていたらしい。

      20160929平塚八景森の前鳥神社19



慌しい御例祭も終わり、社務所は後片付けに忙しそう。

      20160929平塚八景森の前鳥神社20


たまたま訪れたのが御例祭の翌日だったから、境内にも祭りの提灯や
まだまだ片付けられていないゴミが残っていて、
祭りの盛大さをちょっぴり垣間見たような気がします。

きっと盛大な祭りだったんだろうなぁ...............



2016/10/30 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

平塚八景 《 湘南潮来 》 (2016年9月29日)(神奈川県平塚市) 

9月29日 公休日

この日は、相模川八景巡りで海老名市から相模川の下流域を寒川町、平塚市と移動していました。

相模川の最下流、平塚漁港の裏手にある 『 相模川八景 湘南潮来と河口 』の碑の隣に
こんな碑が建っていました。

      20160929平塚八景湘南潮来01



平塚八景は、平塚市の市制施行50周年を記念して、
平塚市民の推薦のもとに平塚の代表的な景色・景観等を
昭和57年に制定されたものです。

その内訳は

平塚八景 平塚砂丘の夕映え
平塚八景 湘南潮来
平塚八景 八幡山公園
平塚八景 森の前鳥神社
平塚八景 湘南平
平塚八景 霧降りの滝・松岩寺
平塚八景 七国峠・遠藤原
平塚八景 金目川と観音堂

の8ヶ所となっています。


相模川八景の一つ、『湘南潮来と河口』の地は
平塚八景の 『湘南潮来』の地でもありました。



碑の隣に建つ説明板。

      20160929平塚八景湘南潮来02



左から、説明板、平塚八景の碑、相模川八景の碑。

      20160929平塚八景湘南潮来03



平塚八景の碑は、制定時の昭和57年に建立されたモノのようです。

      20160929平塚八景湘南潮来04



相模川が相模湾に流れ込む河口。
古くからこの辺りは湘南潮来と呼ばれていたらしい。

      20160929平塚八景湘南潮来05


      20160929平塚八景湘南潮来06



マリンスポーツや川釣りなどを楽しむ人々で賑わう場所であるらしく
ジェットスキーやプレジャーボートで楽しめ人もいるいるようです。

      20160929平塚八景湘南潮来07



平塚八景 湘南潮来 の地は、平塚漁港のすぐ裏手。

小さな公園には、漁港関連の碑もあります。

相州須賀湊の碑。

      20160929平塚八景湘南潮来08

碑には歴史が刻まれていて、
平安時代には空海が来航したという伝説が伝わっているらしい。




舟繋の石。

      20160929平塚八景湘南潮来09



古くは須賀湊と呼ばれていた平塚漁港。

      20160929平塚八景湘南潮来10



多くの漁船が繋留されています。

      20160929平塚八景湘南潮来11


漁港の漁船の安全を祈願しているのか?
公園内には小さな鳥居がありました。

      20160929平塚八景湘南潮来12


奥には小さな祠。

      20160929平塚八景湘南潮来13


漁港が気になるのか?
覗きこむ びいすけ 。

      20160929平塚八景湘南潮来14



何と無く びいすけ も満足そうな表情。

      20160929平塚八景湘南潮来15


取り留めて、広くもないし
コレと言ったモノも無いけれど
河口から肌に感じる潮風を感じていると
中々、この地も良いもんだなと思ったりして...............

平塚八景 湘南潮来。
ちょっぴり気に入っちゃいました。




2016/10/29 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

相模川八景 《 湘南潮来と河口 》 (2016年9月29日)(神奈川県平塚市) 

9月29日 公休日

神奈川県の相模川には、相模川八景なるものがありま(した?)す。
この日は、相模川八景巡りに神奈川県に出かけました。


相模川八景とは、神奈川県の「いきいき未来相模川プラン」策定にちなんで、
相模川を代表する眺望の優れた場所を、神奈川県民の投票で8箇所選んだものです。
相模湖から相模湾に至る相模川の風光明媚な場所が選ばれています。

冒頭に『相模川八景なるものがありま(した?)す。』と書き込みましたが
以前は、国道交通省関東地方整備局京浜河川事務所のHPに
相模川八景に付いて、詳しく記載されていましたが、
昨年辺りに、いつの間にかHPからも記載が抹消されてしまいました。
一説には、相模川八景の一つが立ち入り禁止となり、
おまけに設置したモニュメントが解体業者によって
いつの間にかに撤去されてしまったと言う情け無い噂もあるようです。

一応、相模川八景は
1.みどりの中の相模湖
2.津久井湖と津久井城址
3.美しいアーチの小倉橋
4.水郷田名と高田橋
5.八景の棚と河岸段丘
6.三川合流点と大山
7.寒川宮山の富士
8.湘南潮来と河口

と、このような8ヶ所が選定されています。

厚木市の対岸、海老名市(相模川八景 三川合流点)から
寒川町(相模川八景 寒川宮山の富士)と巡り、
さらに下流の 相模川八景 湘南潮来と河口 へと向かいました。


随分前に、この 『 相模川八景 湘南潮来と河口 』目指して平塚市に来たことがありましたが
その時は詳しい場所が分からず、諦めて帰った事があります。
今回は、ネットで詳しい場所を調べて来たから、迷わず辿り着けました。


『 相模川八景 湘南潮来と河口 』の碑は平塚漁港の裏手、
漁港と相模川の間にある小さな公園の中に在りました。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口01


      20160929相模川八景湘南潮来と河口02


八景の碑にプレートが貼られています。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口03


相模川の最下流。
相模川が相模湾に流れ込む河口が湘南潮来。

相模川下流域一帯は、湘南潮来とも言われる広々とした水郷地帯です。
マリンスポーツや川釣りなどを楽しむ人々でにぎわいます。

河口に架かる橋は、国道134号線のトラスコ湘南大橋。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口04



相模川の上流側。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口05


相模川の下流側。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口06


時期的に下草が伸び犬の散歩には、あまり適さない。
要は草刈り等の管理が今一歩。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口07


マリンスポーツや川釣りなどを楽しむ人々で賑わうという事ですが
確かに、平日の木曜日。それも雨が降りそうな曇り空。
それでもジェットスキーに興じる人が目の前を気持ち良く滑降して行きます。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口08


週末に釣りでもするのか?
プレジャーボートを整備する人が居たり...............

      20160929相模川八景湘南潮来と河口09



堤防では川釣りに勤しむ人も居る。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口10



天気は悪いけど、風は潮風。
川と言うよりは海に近い感覚。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口11


潮風が顔に当たって気持ち良い。

      20160929相模川八景湘南潮来と河口12


天気が良ければ、感覚的にはもっと心地良さを感じるかもしれない。


相模川八景。

一番上流にある 『みどりの中の相模湖』に辿り着けて居ないけれど
追いかけてみると、色々な顔(?)があって面白い。

辿り着けなかった『みどりの中の相模湖』へも再チャレンジしてみようかな...............?



2016/10/28 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

相模川八景 《 寒川宮山の冨士 》 (2016年9月29日)(神奈川県高座郡寒川町) 

9月29日 公休日

この日は、神奈川県の相模川流域に出かけました。

相模川には、相模川八景なるものがありま(した?)す。

相模川八景とは、神奈川県の「いきいき未来相模川プラン」策定にちなんで、
相模川を代表する眺望の優れた場所を、神奈川県民の投票で8箇所選んだものです。
相模湖から相模湾に至る相模川の風光明媚な場所が選ばれています。

冒頭に『相模川八景なるものがありま(した?)す。』と書き込みましたが
以前は、国道交通省関東地方整備局京浜河川事務所のHPに
相模川八景に付いて、詳しく記載されていましたが、
昨年辺りに、いつの間にかHPからも記載が抹消されてしまいました。
一説には、相模川八景の一つが立ち入り禁止となり、
おまけに設置したモニュメントが解体業者によって
いつの間にかに撤去されてしまったと言う情け無い噂もあるようです。

一応、相模川八景は
1.みどりの中の相模湖
2.津久井湖と津久井城址
3.美しいアーチの小倉橋
4.水郷田名と高田橋
5.八景の棚と河岸段丘
6.三川合流点と大山
7.寒川宮山の富士
8.湘南潮来と河口

と、このような8ヶ所が選定されています。

相模川八景の地には、モニュメントと相模川を形取ったレリーフが飾られています。

相模川の風光明媚な場所をこの目で見ることは勿論、
それらのモニュメントやレリーフを見つけるのも楽しみの一つです。

そんな訳で、訪れたのは...............相模川八景 寒川宮山の富士



ダムカード集めで訪れた寒川取水堰の近く、
『川とのふれあい公園』にモニュメントは在るそうです。


神川橋から眺める『川とのふれあい公園』。

      20160929相模川八景宮山の富士01


『川とのふれあい公園』の河原近く、って言うか
寒川取水堰のすぐ近くにモニュメントは在りました。

      20160929相模川八景宮山の富士02



こちらが、そのモニュメント。

      20160929相模川八景宮山の富士03


      20160929相模川八景宮山の富士04


レリーフ。

      20160929相模川八景宮山の富士05


おまけ(?)の相模川の説明板。

      20160929相模川八景宮山の富士06



あいにくの曇り空。

      20160929相模川八景宮山の富士07

この方向に富士山が見えるのか?

富士山どころか、丹沢の山々も見えない。


河原には寒川取水堰のフェンスが有って行けないし、
富士山や丹沢の山々も見えないし...............

八景らしさを感じ取れません。

『川とのふれあい公園』を散策してみましょう。

だだっ広い『川とのふれあい公園』。
野球場なども完備されているから、散策よりも体を動かして
何かをするのが似合う公園のようです。

唯一(?)公園らしさを感じた人口の小さな池。

      20160929相模川八景宮山の富士08


      20160929相模川八景宮山の富士09

池の近くには、お弁当を広げられるテーブルもあり
ちょっぴり小休止。


『 食べるぅ〜? 』って、食べない訳が無い!(笑)

      20160929相模川八景宮山の富士10



『 待てよぉ〜!』

      20160929相模川八景宮山の富士11


『 良し! 』

      20160929相模川八景宮山の富士12



ささみチップスに飛び付く びいすけ 。
すごい迫力!(笑)。

      20160929相模川八景宮山の富士13


相模川のすぐ横を圏央道が走ります。

      20160929相模川八景宮山の富士14



相模川八景が選定された時にはなかった圏央道。
圏央道から相模川を見下ろせば、また違った景観が楽しめるのかも知れません。

      20160929相模川八景宮山の富士15


これで相模川八景も6つ制覇。

さて、さらなる相模川八景を目指して相模川を下流へと向かいましょう。




2016/10/27 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう! 《 寒川取水堰 》 (2016年9月29日)(神奈川県高座郡寒川町) 

9月29日 公休日

最近ハマっているダムカード集め。
千葉県内で配布されているダムカードはコンプリート。

神奈川県で配布されているダムカードもあと1枚でコンプリート。

せっかく相模川の流域に来ているんだから
貰いに行かない手は無い。
と言う事で、向かった先は...............寒川取水堰


寒川取水堰は、相模川にある堤高6mで堤頂長270mの取水用の堰で、
取り込んだ水は工業用水と上水道に利用されています。

昭和30年代後半からの人口の急増と産業の発展に伴い、
増大する水需要に対処するために実施された相模川総合開発事業により
城山ダム施設、串川取水施設と共に築造されたものです。
昭和38年に完成し、取水堰、取水口、導水路及び沈渣池から構成されています。
平成12年に宮ヶ瀬ダムが完成し、平成13年度から宮ヶ瀬ダムの開発水の全面的な運用が可能となり
寒川取水堰施設は宮ヶ瀬ダムの開発水の一部を取水(毎秒/7.305t)しているそうです。


寒川取水堰に訪れた最たる目的はダムカード。
先ずは、ダムカードを貰いに行きましょう。


ダムカードの配布先は、水道記念館。

      20160929ダムカード寒川取水堰01

水道記念館は、寒川浄水場いこいの広場の中に在ります。


水道記念館の前で、立て看板を見て、びっくり。
園内のペット入場禁止。

      20160929ダムカード寒川取水02



このゲートから先へは、 びいすけ は入れません。

      20160929ダムカード寒川取水03

駐車場からかなり歩いてきたんだよねぇ。
今更、駐車場に戻って びいすけ を車に置きに行くのも大変だし...............

ここは、ポールにリードを括り付け
びいすけ には大人しく外(園外)で待って貰いましょう。

『吠えないで、大人しく待っていろよ!』とササミチップを2枚与えて
ダッシュで水道記念館に走ります。

水道記念館と銘するだけあって、色々と展示されているようですが
ここはグッと堪えて、ダムカードを貰って急いで びいすけ の元へ戻ります。



こちらが、水道記念館。

      20160929ダムカード寒川取水04

立派な建物です。


そして、ダムカード。

      20160929ダムカード寒川取水05



綺麗な芝生広場もあるみたいですが、 びいすけ が入れないんじゃ長居は無用。

      20160929ダムカード寒川取水06


水道記念館から寒川取水堰までは、ちょっと距離があるから
駐車場に戻り、車で相模川の河川敷まで移動します。


河川敷の『川とのふれあい公園』の駐車場にクルマを停め
相模川に架かる神川橋の上から寒川取水堰を眺める事にいたしましょう。


こちらが、神川橋からの寒川取水堰。

      20160929ダムカード寒川取水07


      20160929ダムカード寒川取水08


神川橋には出窓のような欄干があるから
そこからのワンショット。

      20160929ダムカード寒川取水09



せっかくだから、望遠レンズでググッと寄ってみましょう。

一番右側にあたる上砂排水門。

      20160929ダムカード寒川取水10



2基の洪水吐

      20160929ダムカード寒川取水11

この他にも階段式魚道やデニール式魚道、呼び水水路などが組み合わさった設備となっています。


せっかくだから、河川敷に戻って寒川取水堰を覗いてみましょう。


車を停めた『川とのふれあい公園』の奥に寒川取水堰はあります。
寒川取水堰は基本的には立ち入り禁止。
フェンスで制限されています。
裏を返せば、フェンスからの見学は可能。

      20160929ダムカード寒川取水12

しかし、フェンスから取水堰までは距離があるから
今一歩、よく見えません。


フェンスには寒川取水堰の概要が掲げられています。

      20160929ダムカード寒川取水13


フェンス越しに望遠レンズでググッと寄ってみます。

      20160929ダムカード寒川取水14



こちらは、取水堰の一次側。

      20160929ダムカード寒川取水15



こちらがダムカード。

      20160929ダムカード寒川取水堰16


      20160929ダムカード寒川取水堰17


これで、この時点(2016年9月29日現在)で配布されている神奈川県のダムカードを制覇です。

千葉県、神奈川県と制覇して、一応関東地方だけでも
真剣に集めてみようかな?

次は山梨県のダムカードを追いかけてみようかな...............?








2016/10/26 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............有馬小学校門沢橋分校 (2016年9月29日)(神奈川県海老名市) 

9月29日 公休日

この日は神奈川県の厚木方面に出かけました。

厚木市内の廃校を巡り、相模川を下りながら
海老名市から寒川町方面へと移動します。
相模川八景を巡って行くために相模川の下流を目指しますが、
海老名市にも廃校後が在ったのを思い出し
立ち寄った先は...............海老名市立有馬小学校門沢橋分校


門沢橋分校は、Wikipediaにも情報が載っていない廃分校。
詳しい沿革は不明ですが
明治25年5月 有馬村に有馬小学校が開校し門沢橋と社家に分教場を設置。のちに分校となる。
昭和48年4月 に子供の増加に伴い、門沢橋分校から海老名市立門沢橋小学校として開校します。
しかしながら手狭となったため、昭和49年に現在の相模線東側に新校舎を作り、
門沢橋小学校は移転しました。

こう言うのって微妙。
沿革を紐とけば、門沢橋分校が独立して門沢橋小学校になって
1年後に校舎が移転って...............予め計画があったわけで
正確には、旧・門沢橋小学校跡になるんだろうか?
門沢橋小学校のHPを見ると分校の事には一切触れてはいなくて
沿革には昭和49年に校舎移転とだけある。
そして、本校であった有馬小学校のHPには、沿革が全く記載されていないので
詳しい経緯がわかりません。

ここで海老名市の歴史を紐解いていくと
何と無く門沢橋分校の変遷が垣間見えてきます。

昭和30年 海老名町と有馬村が合併。
海老名町立有馬小学校門沢橋分校となる。
昭和46年 海老名町が市制施行。
海老名市立有馬小学校門沢橋分校と改称する。

と、このような沿革が推測されてきます。
まあ、地元の方々は分校と呼んでいたようなので
ここは、分校と言うことにしておきましょう。



こちらが、門沢橋分校跡地。

      20160929門沢橋分校01

門沢橋第一児童公園です。



幾つかのWebには門沢橋自治会館のある場所が分校跡と記載されていますが
当然、校舎の跡のことだと思われます。
校舎もあれば、校庭もある。
それらが一体となって学校となるわけだから
この公園一帯が分校跡となるわけです。

      20160929門沢橋分校02



こちらが門沢橋自治会館。

      20160929門沢橋分校03


見た感じ、校舎を流用した建物には見えない。

      20160929門沢橋分校04

廃校(分校として捉えた場合)後、建てられたモノだろうか?



自治会館の裏手と言うか、児童公園の一角に自治会館があるわけで
児童公園は、さしずめ校庭跡と言ったところ。

      20160929門沢橋分校05


廃校(移転)から既に42年の月日が流れています。
たった2基残された遊具は42年前のモノだろうか?

      20160929門沢橋分校06


      20160929門沢橋分校07


ベンチにも見える、これらは42年前のモノにも見えなくない。

      20160929門沢橋分校09




背後から自治会館を眺めてみます。

      20160929門沢橋分校08


      
やっぱり、普通の民家に見えてしまいます。

      20160929門沢橋分校10



廃校記念碑も無ければ、学校跡碑もなく
二ノ宮像も無い。
いわゆる学校遺構が全く無くて、とても学校跡地には見えない。


おそらく、地元の高齢の方以外は
此処が門沢橋分校跡だと言うことも知らないだろう。
明治25年に設立された分校の跡地。
公園として利用されていて、敷地の片隅に記念碑を建てても支障が無いはず。

このままじゃ、忘れ去られちゃうと思うんだけどなぁ...............。




2016/10/25 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

相模川八景 《 三川合流点の大山 》 (2016年9月29日)(神奈川県海老名市) 

9月29日 公休日

この日は神奈川県の厚木方面に出かけました。


厚木市の市境を流れる相模川。
その相模川の対岸は神奈川県の海老名市になります。
相模川には、相模川八景なるものがありま(した?)す。

相模川八景とは、神奈川県の「いきいき未来相模川プラン」策定にちなんで、
相模川を代表する眺望の優れた場所を、神奈川県民の投票で8箇所選んだものです。
相模湖から相模湾に至る相模川の風光明媚な場所が選ばれています。

冒頭に『相模川八景なるものがありま(した?)す。』と書き込みましたが
以前は、国道交通省関東地方整備局京浜河川事務所のHPに
相模川八景に付いて、詳しく記載されていましたが、
昨年辺りに、いつの間にかHPからも記載が抹消されてしまいました。
一説には、相模川八景の一つが立ち入り禁止となり、
おまけに設置したモニュメントが解体業者によって
いつの間にかに撤去されてしまったと言う情け無い噂もあるようです。

一応、相模川八景は
1.みどりの中の相模湖
2.津久井湖と津久井城址
3.美しいアーチの小倉橋
4.水郷田名と高田橋
5.八景の棚と河岸段丘
6.三川合流点と大山
7.寒川宮山の富士
8.湘南潮来と河口

の8ヶ所となっています。



今回訪れたのは...............相模川八景⑥ 三川合流点と大山


相模川八景を訪れる目的は、風光明媚な場所をこの目で確認する事ですが
それ以外にも八景の地に設置されたモニュメントを探し当てる事もその一つです。

相模川八景のモニュメントは、相模川の河川敷にある河畔公園の中にあるようです。

      20160929相模川八景三川合流01


以前は、きちんと管理されていたとは思うけどけれど
現在の河畔公園は、きちんと管理されているとはお世辞にも言えない。
立派な桜並木はあるようですが、定期的な草刈りはされていないようです。

      20160929相模川八景三川合流02



桜の木の下に何やらあります。

      20160929相模川八景三川合流03

どうやら、相模川八景のモニュメントのようです。


こちらが、相模川八景のモニュメント。

      20160929相模川八景三川合流04


八景の地点ごとにモニュメントとレリーフが設置されています。

      20160929相模川八景三川合流05


      20160929相模川八景三川合流06



以前は、モニュメントのある辺りから大山が眺められたようですが
現在は雑草に覆われた公園。
お世辞にも風光明媚な場所とは言いづらい。

      20160929相模川八景三川合流07


      20160929相模川八景三川合流08



おまけに、こんな看板を見ちゃうと、一気にテンションが下がります。

      20160929相模川八景三川合流09

知らなかったとは言え、公園内の犬の散歩が禁止ならば
さっさと公園から離れましょう。


公園を出て、河川敷へ移動します。

      20160929相模川八景三川合流10


こちらが河川敷。

      20160929相模川八景三川合流11



晴れていれば、この方角に大山が見えるのだろうか?

      20160929相模川八景三川合流12



あいにくの曇り空で丹沢の山々が全く見えない。

      20160929相模川八景三川合流13



対岸の厚木市側はBBQのメッカらしく
シーズンの土日には、かなりの人が訪れるらしい。

      20160929相模川八景三川合流14



相模川の三川合流点。

      20160929相模川八景三川合流15

ちょうど、この辺りで小鮎川と中津川が合流します。




そして、やがて相模川に合流する。

      20160929相模川八景三川合流16



圏央道が近くを走り、昔と風景は様変わりしつつあるけれど
三川が合流した先に、大山が綺麗に見えたら言うことは無い。

      20160929相模川八景三川合流17


惜しむらくは、この曇り空。
今年の9月は本当に雨か曇り空。
太陽が恋しくなってしまいます(笑)。




2016/10/24 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............依知小学校南分校 (2016年9月29日)(神奈川県厚木市) 

9月29日 公休日

この日は、神奈川県の厚木方面に出かけました。


依知小学校跡をあとにして、向かった先は...............厚木市立依知小学校南分校跡


依知小学校南分校の詳しい沿革は不明です。
と言うのも本校であった依知小学校の詳しい沿革も不明で
ネットで調べても、昭和62年に同名の小学校が設立されているため
詳しい情報が入手出来ないようです。

数少ない情報の中から、地元の依知地区の散策マップを作られている方のWebを覗いて見ると...............

国道129号沿いにあるビックフットの建物がある所が南分校の跡地だそうです。
分校は現在の倍近くの広さがあり、分校開校当初は、2年まで分校に通い、
3年生からは本校(依知小学校)に通学していたそうです。
昭和24年からは、4年生までが分校で学ぶようになり、
5年生から本校へ通うようになったそうです。
昭和39年に依知小学校が依知北小学校(後の北小学校)と依知南小開校に分離した際に廃校になりました。

その後、跡地については個人に移管されて、一部は住宅と化し、
ビックフットの建物が有る土地については、企業の所有地(民地)となっています。
分校跡の遺構はほとんど残されていませんが、
分校に植えられていた銀杏と楠ノ木が残されているそうです。
(以前の土地所有者が銀杏と楠ノ木残すようにと受け継いでいるようです)



国道129号越しに分校跡を眺めます。

      20160929依知南小学校南分校01

圏央道が出来たモノの相変わらず交通量の多いR129。



こちらが、分校跡。

      20160929依知南小学校南分校02

現在は、自動車用品の販売店 ビッグフット。


時刻は9時半過ぎ。
開店前?

センサーが反応しても嫌だから、開店まで待ちましょう。

      20160929依知南小学校南分校03



そう思っていたら、今日は定休日。

      20160929依知南小学校南分校04


仕方が無いので、この日は辺りで、はいポーズ。

      20160929依知南小学校南分校05


敷地内には入れないから、フェンス越しにぐるっと回ってみましょう。

      20160929依知南小学校南分校06


ビッグフットの敷地の倍以上の広さがあったと言う南分校。

      20160929依知南小学校南分校07

分校と言う割には、かなり大きかったのだろうか?



ビッグフットの敷地奥には楠ノ木。

      20160929依知南小学校南分校08



伐採しない取り交わしがあったからか?
枝は払われて、幹だけに近い状態。

      20160929依知南小学校南分校09

幹の太さから推測すれば、枝っぷり遮られ良ければ
かなり立派な楠ノ木だったはず。


そして、楠ノ木の奥には銀杏の木。

      20160929依知南小学校南分校10

こちらも見事に枝が払われている。



本当は、昔の地権者の方も立派な枝っぷりの楠ノ木や銀杏の木を
残して貰いたかったんじゃないのか?
せっかく、いい話なのに思いが中途半端な形で伝わって残されているような気がして
ちょっぴり残念です..............................。


2016/10/23 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............依知小学校 (2016年9月29日)(神奈川県厚木市) 

9月29日 公休日

この日は、神奈川県の厚木方面に出かけました。


菁莪分教場(菁莪小学校)跡をあとにして、向かった先は...............厚木市立依知小学校


厚木市には、厚木市立依知小学校と言う現役の小学校がありますが
そちらは、昭和62年に北小学校と依知南小学校から分離独立した小学校で
それ以前に同名の小学校が 昭和39年まで存在していました。

詳しい沿革は不明ですが...............
大正11(1922)年に依知尋常高等小学校が開校。
その後、昭和20(1945)年に依知小学校となり、
昭和22(1947)年から昭和32(1957)年まで同じ敷地内に
依知中学校も併設してに置かれていました。
昭和39(1964)年に依知小学校が依知北小と依知南小に分かれ、
新校舎ができるまでは両校が依知小学校跡地に併存していました。
その後、昭和44(1969)年に昭和音楽大学が開校しましたが、
平成19年に昭和音楽大学も閉校となりました。


こちらが、依知小学校跡地。
昭和音楽大学の正門だったようですが
おそらく、依知小学校時代も正門だったのでしょう。

      20160929依知小学校01



10年近い月日が流れようとしていますが
未だに昭和音楽大学の表札が掲げられていました。

      20160929依知小学校02

さすがに依知小学校時代の表札は有りません。



依知小学校の校舎はとっくに解体されていますが、
昭和音楽大学の校舎も解体されています。

      20160929依知小学校03



学校跡地には、病院が建設されているようです。

      20160929依知小学校04


敷地内に残る大きな楠ノ木(?)。
まさしく、シンボルツリーだったのでしょう。

      20160929依知小学校05



正門脇の桜の木。

      20160929依知小学校06

学校の正門には桜の木が似合う。



校舎は解体されて更地になっていても病院の敷地内。
いわゆる民地って言うやつだから勝手に入れない。
フェンス越しにぐるっと一周してみます。

      20160929依知小学校07



校庭の片隅に残された桜の木。

      20160929依知小学校08

春には綺麗な花を咲かせそうですが、
フェンスに遮られ花見も出来そうにありません。


学校跡地の周囲は宅地化が進み、新しい住宅も多い。

      20160929依知小学校09


近隣住民の為の公開空地(協定緑地)も設けられているようです。

      20160929依知小学校10



病院の建設許可。

      20160929依知小学校12

よく見ると、工期はとっくに過ぎている(?)


大型のトラックが何かを搬入しているようですが
まだ病院は開院していないみたいです。

      20160929依知小学校12


ネットで調べてみたら、色々と問題があって
当初は平成26年春に開業予定でしたが、
未だに病院が開院出来ないみたいです。


病院建屋の脇のフェンス越しに
シンボルツリーの楠ノ木を眺めてみます。

      20160929依知小学校13


この病院が果たして開業(開院)されるのかはわかりませんが
この楠ノ木は、この地にずっと在って欲しいものです。





2016/10/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............依知北小学校菁莪分教場 (2016年9月29日)(神奈川県厚木市) 

9月29日 公休日

前日の28日の夜に八王子の実家にスーツケースを借りに来た。
せっかく八王子に来たんだから、泊まって帰らなきゃ!
せっかく泊まったんだから、翌日にまっすぐ千葉に帰るのも芸がない。
せめて八王子より西方面に出かけて、夜に千葉に帰れば良い。

そんな考えも有って、この日は神奈川県の厚木方面に出かけました。


向かった先は...............厚木市立依知北小学校菁莪分教場


菁莪分教場の詳しい沿革は不明ですが、

明治25年12月下川入小学校、棚沢小学校を統合し創立。
昭和41年厚木市立依知北小学校菁莪分教場と改称する。
昭和42年本校に統合され、廃校となる

と、このような沿革のようです。

校名の由来は、詩経の一部「菁菁者莪也」より菁莪(せいが)小学校とされたようです。
廃校後、敷地は県の中央青年の家となりました。
その後1999年に中央青年の家が閉館し、跡地が県から市に移譲され、
『青年の家跡地自然園』として利用されているようです。


こちらが、菁莪分教場(菁莪小学校)の正門。

      20160929菁莪分教場01


正門から正面には木立に一部隠れていますが、古そうな建物が見えます。

      20160929菁莪分教場02



門には、『青年の家跡地自然園』のプレート。

      20160929菁莪分教場03



そして、門前には立派な石碑。

      20160929菁莪分教場04


      20160929菁莪分教場05



それでは、敷地内に入ってみましょう。

正面に見えるのが、廃校舎のようです。

      20160929菁莪分教場06



自然園と銘ずるだけあって、敷地内は緑に溢れています。

      20160929菁莪分教場07


緑に映える木造校舎。

      20160929菁莪分教場09


こちらが、菁莪分教場(菁莪小学校)の校舎。

      20160929菁莪分教場10


こじんまりとした校舎だったみたいですね。

      20160929菁莪分教場11



ガラス越しに中を覗いてみます。

      20160929菁莪分教場13

思ったほど荒れてはいないようです。



ピンクに塗られた校舎。

      20160929菁莪分教場14



こじんまりとした木造校舎が昭和の古き時代を彷彿させてくれます。

      20160929菁莪分教場15



こちらは、校庭跡。

      20160929菁莪分教場16


遊具類等もなく、遺構はありませんが
校庭跡が一段低い窪地になっていて
校庭跡の雰囲気は残されています。

      20160929菁莪分教場17



敷地内の片隅には、お約束(?)の防災倉庫もありました。

      20160929菁莪分教場18


敷地内の奥には、遊戯らしきモノも見えます。

      20160929菁莪分教場08


菁莪分教場の遺構(?)かと思い、近寄ってみると
明らかに、自然園になってからの産物のようです。

      20160929菁莪分教場19



敷地内に咲く彼岸花(曼珠沙華)。

      20160929菁莪分教場20

いつの間にか、こをんな花が咲く季節になったんですね...............

って、9月末じゃ、当たり前のことですね(笑)



単独の小学校が統合されて分教場になり、その分教場も廃校になり
別な施設に生まれ変わったけれど、その施設も廃施設となってしまった菁莪小学校。

これも時代の流れと受け止めるしかないですね。




2016/10/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........上野合小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日   公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。


小幡小学校跡を跡にして、向かった先は...............茨城町立上野合小学校



上野合小学校は、詳細な沿革は不明ですが
明治7年に創設された秋葉小学校がその始まりとされています。
その後,秋葉尋常小学校,上野合尋常小学校,上野合尋常高等小学校と改称します。

昭和22年     学制改革により上野合村立上野合小学校と改称する。
昭和30年     上野合村が長岡町、沼前村、川根村と合併して茨城町となる。
           茨城町立上野合小学校と改称する。
           また、小幡分校が独立して茨城町立小幡小学校となる。
昭和47年     上野合小学校、鳥羽田分校、小幡小学校が統合して新たに茨城町立上野合小学校となる。
平成27年     川根小学校、上野合小学校、沼前小学校、駒場小学校が統合して青葉小学校が誕生。
           上野合小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、上野合小学校の正門。

      20160916上野合小学校01

廃校から約1年半。
門扉は閉められ、施錠されています。


上野合小学校も地域の緊急避難場所になっている(いた?)ようです。

      20160916上野合小学校02


門が閉まっているから、
フェンス越しにぐるっと回って見ます。

結論から言えば、校庭の裏へは藪の中のため行けないし
フェンス越しからの見学となります。


校舎。

      20160916上野合小学校03


校舎前のモニュメント。

      20160916上野合小学校04



こちらは体育館。

      20160916上野合小学校05



校庭の遊具類。

      20160916上野合小学校06


      20160916上野合小学校07


      20160916上野合小学校08


      20160916上野合小学校09



フェンス越しの校舎。

      20160916上野合小学校10

そんなに大きくはない。



その割には校庭は広く見えます。

      20160916上野合小学校11




フェンス越しの校庭の際奥。
この先は藪の中。
(とても進む元気はありません)

      20160916上野合小学校12


      20160916上野合小学校13


      20160916上野合小学校14



もう一つの通用門。

      20160916上野合小学校15


こちらも門扉は閉ざされ、施錠されています。

門扉から身を乗り出してカメラを構えます。
卒業制作のモニュメントのようですが、悲しいかな...............台座のみ。

      20160916上野合小学校16



フェンス近くに建つ二ノ宮像。

      20160916上野合小学校17


真正面から拝めないのが残念です。

      20160916上野合小学校18


      20160916上野合小学校19


結局、フェンス越しでしか確認出来なかった上野合小学校。
二ノ宮像は確認できたけど、廃校記念碑の存在が確認出来ずじまい。
廃校記念碑が有って、そこに沿革が刻まれていたら最高だったのに...............

ちょっぴり残念。









2016/10/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........小幡小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。


木部分校跡をあとにして、向かった先は...............茨城町立小幡小学校跡


小幡小学校の詳しい沿革は良く分からず、創立時期等は不明ですが
平成27年に廃校となった茨城町立上野合小学校のHPの沿革によれば、
元々は上野合小学校の小幡分校でした。

昭和30年     上野合小学校より独立して茨城町立小幡小学校となりますが
昭和46年     上野合小学校鳥羽田分校と小幡小学校が上野合小学校に統合されて廃校になりました。


小幡小学校の場所も不明でしたが
小幡地区の公民館、集会所を調べ『小幡区民センター』にアタリを付けます。

小幡区民センターのすぐ隣は広場。
そして、石造りの門柱を発見!
どうやら、ビンゴのようです。


こちらが、小幡小学校の正門。

      20160916小幡小学校01



『小幡運動広場』と刻まれていますが、元々は小幡小学校の門柱だったようです。

      20160916小幡小学校02


廃校から既に45年の月日が流れ
校舎はとっくに解体されて、広い運動広場となっています。

      20160916小幡小学校03


      20160916小幡小学校04



とにかく、広い。

      20160916小幡小学校05



そして、学校遺構が殆ど無い。

      20160916小幡小学校06


      20160916小幡小学校07


      20160916小幡小学校08



強いて挙げれば、フェンス沿いの桜の木々が学校跡を彷彿させてくれます。

      20160916小幡小学校09


      20160916小幡小学校10


      20160916小幡小学校11



45年以上も前のモノだろうか?
微妙な年代の遊具類。

      20160916小幡小学校12



と言っても、遊具はブランコと滑り台しかない。

      20160916小幡小学校13



敷地の一角に建つ、小幡区民センター。

      20160916小幡小学校14

年季のありそうな木造平屋建てですが
学校の廃校舎では無さそうです。
校舎解体後に建てられたんでしょうね。


廃校記念碑も二ノ宮像もなく、石造りの門柱が無ければ
学校跡には見えそうもない。
勘違いをしているといけないので、
近くの畑で野良仕事をしていたオジさんに話しを伺ったら、
間違いなく小幡小学校の跡地だと言うことです。






2016/10/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.........川根小学校木部分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日   公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。


野曽分校跡地をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校木部分校

野曽分校跡地をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校木部分校

木部分校もWikipediaには記載されておらず
川根小学校のHPに記載された沿革でその存在を知りました。
川根小学校のHPには記載されて沿革によれば...............


明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
          奥谷分教場は下土師の分校とする。
          高等科を併置し、川根尋常小学校と改称する。
大正11年    下土師・木部・野曽を分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
          茨城町立川根小学校と改称する。
          分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    下土師・木部両分校に各教室を増築し,三分校とも単式にして3年まで収容する。
昭和36年    木部分校を新築する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
          川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。


と、このような沿革となっています。


とにかく、詳しい情報が他になく、木部地区の公民館、集会所にアタリを付け
まずは、木部東部新農村集落センターへと向かいます。
木部東部新農村集落センターに着いたものの、どうも廃校跡地っぽく無い。
向かいにあるお店(小松崎商事)に聞いてみたら、若い人しかいなかったけど
母屋にいるお婆ちゃんに聞いて来てくれて、詳しい場所が解りました。

木部分校は、廃校後校舎も解体されてしまい
さらには周辺が宅地開発され、
現在はグリーンタウンと言う分譲地になってしまったらしい。



こちらが、グリーンタウンの入口。

      20160916木部分校跡01



この自販機のある所を右折と教わりました。

      0160916木部分校跡02



学校跡とは微塵も感じさせないほど何も無い。

      0160916木部分校跡03


たまたま、歩いていた地元のご老人に話しを伺ったら
木部分校の廃校後、暫くは電気関係の工場が廃校舎を利用して操業していたらしいが
いつの間にか、その工場も廃業したのか?
それとも何処へ移転したのか?
いつの間にか居なくなってしまったそうです。


分譲地になった割には、全てが完売されてはいなくて
空き地も多い。

      0160916木部分校跡04


本当は周辺をじっくり散歩がてら歩いてみたかったんですが
近所の犬が吠え出し...............

まぁ、住宅街に見知らぬ男が犬を連れて歩いていると
怪しい?なんて思われちゃうし
むやみに飼い犬が異常なほどに吠えるだけだから
何も無い木部分校跡は、これくらいで諦めましょう。

      0160916木部分校跡05


ここまで、完膚なきまで改変されていると
二ノ宮像とか廃校記念碑などと言える状態ではありません。

これも致仕方無いことでしょう。





2016/10/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........川根小学校野曽分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日 公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。

川根小学校をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校野曽分校

野曽分校もWikipediaには記載されておらず
川根小学校のHPに記載された沿革でその存在を知りました。
川根小学校のHPには記載されて沿革によれば...............



明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
大正11年    下土師・木部・野曽を川根尋常高等小学校の分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校野曽分校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
          茨城町立川根小学校野曽分校と改称する。
          分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    単式学級にして3年まで収容する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
          川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



何しろ、川根小学校のHPに記載されていた沿革しか情報がなく
野曽分校の跡地の場所が分かりません。
経験と勘当然yahooマップの航空写真で
『 野曽ふるさとコミュニティセンター』とアタリを付けて訪れてみました。

しかし、微妙。
鹿島神社の境内にある『 野曽ふるさとコミュニティセンター』は、
学校跡にも見えなくもない。
自信がないので、誰かに聞こう。
できれば、高齢の方が良いな。
と周辺を徘徊していたら、草刈りをしている老人を発見。
話しを伺うと、野曽分校は別な場所だけどすぐ近く。
教えて頂いた場所へと向かいます。


この坂を上った先が、野曽分校跡地。

      20160916野曽分校跡01


こちらが、野曽分校跡地。

      20160916野曽分校跡02

『何もないよ』と言われていたけれど
確かに何も無い。


1本だけ残っていた門柱。

      20160916野曽分校跡03

コンクリート製だから、そんなに古くはなさそうです。
と言っても廃校から既に47年。
すなわち、47年以上前のモノになる。



敷地の外周に植えられた桜。

      20160916野曽分校跡04

元々、森の中(?)で陽当たりも良く無い感じの上に
この日は曇り空。
何と無く暗い画像になってます。



何かの標柱かと思っていたら、単なる丸木。

      20160916野曽分校跡05


一匹の雨蛙が居ました。

      20160916野曽分校跡06


左奥手の森の入り口には石碑が3基。

      20160916野曽分校跡07

碑文が暗くて読めませんでした。
どうも学校関連の石碑では無さそうです。
庚申塔みたいなモノでしょうか?



分校跡地だから、敷地はそんなに広くは無い。

      20160916野曽分校跡08



そして、本当に何も無い。

      20160916野曽分校跡09




門柱から見て、正面奥の森の先には、こんな遺跡がありました。

      20160916野曽分校跡10



茨城町指定文化財。
宝塚古墳。

      20160916野曽分校跡11



古墳の土壇を最初に見た時は、
『えっ! ここは城址?』なんて思ったりしましたが、
古墳の説明板を見て納得。

      20160916野曽分校跡12



古墳のすぐ側に在った野曽分校。
廃校後、校舎も解体されてしまいましたが
元々、台地頂部の森の中に在り、文化財である古墳が隣接している。
そんな位置関係もあって、宅地に改変することも無く、
そのまま残っているんですね。




2016/10/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........川根小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。


下土師分校跡地をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校


川根小学校は

明治6年     学制発布によって上飯沼旧寺院を小学校とする。
          分校を下土師と川又に置く。
明治9年     分校を廃して本校に合併する。
明治12年    秋葉小学校奥谷分校を本校の分校とする。
明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
          奥谷分教場は下土師の分校とする。
          高等科を併置し、川根尋常小学校と改称する。
大正11年    下土師・木部・野曽を分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
           茨城町立川根小学校と改称する。
          分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    下土師・木部両分校に各教室を増築し,三分校とも単式にして3年まで収容する。
昭和36年    木部分校を新築する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
          川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。
平成27年    川根小学校、上野合小学校、沼前小学校、駒場小学校が統合して青葉小学校が誕生。
          川根小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


実は、数年前にこな川根小学校に来たことがあります。
正確には、川根小学校に隣接する飯沼城址に訪れました。
川根小学校の校庭も飯沼城址の北郭の一部だったようで
川根小学校のグランド整備の際に、北郭の一部が削られてしまったらしい。


こちらが、川根小学校の正門。

      20160916川根小学校01

廃校から、既に1年半。
他に流用されることもなく、門扉は閉ざされ施錠されています。


門柱には、校章。

      20160916川根小学校02


そして、校名の表札のプレートも残っています。

      20160916川根小学校03



そして川根小学校跡地は、この地区の緊急避難場所でもあるようです。

      20160916川根小学校04

でも門扉が施錠されていて、本当に緊急時に避難出来るのだろうか?



フェンス沿いにぐるっと一周してみたら、フェンスの無い箇所があり
そこから校内を見学させてもらいます。




正門の内側。



川根小学校校歌の碑。

      20160916川根小学校05



この辺りには、卒業記念のモニュメントの台座のみが残されています。

      20160916川根小学校06



交通安全優良校表彰の記念碑。

      20160916川根小学校07


まごころの塔。

      20160916川根小学校08

中は、タイムカプセルなのか?
空洞で何かを格納出来る構造になっているようです。


側面には、川根小学校の沿革が刻まれています。

      20160916川根小学校09



『心は玉のようになって体は鋼のように』

      20160916川根小学校10

なかなかの名文です。



校庭に移動してみましょう。


かつては、飯沼城址の北郭だった校庭。
台地ごと削られて面影は無い。

      20160916川根小学校15


      20160916川根小学校16



そして校庭の奥には廃校舎。

      20160916川根小学校11


      20160916川根小学校12


      20160916川根小学校13



こちらは、体育館。

      20160916川根小学校14


   

校庭に残る遊具類。
     
      20160916川根小学校17


      20160916川根小学校18


      20160916川根小学校19


      20160916川根小学校20


      

このボードに何人の子供たちがボールを投げたんだろうか?

      20160916川根小学校22



校庭の片隅にも、卒業記念のモニュメント。

昭和の最後の卒業生(昭和63年度)の作品。

      20160916川根小学校23



タイトル『希望』。

      20160916川根小学校24

まさに、希望に向け躍動する姿。


プールのフェンスには、廃校時に掲げられた看板。

      20160916川根小学校25

『ありがとう』と書かれていたんですね。



校庭の最南端。

      20160916川根小学校26

飯沼城址はすぐ上。
この辺りは城址の雰囲気が残っています。



そして、体育館の脇にはお約束(?)の防災倉庫。

      20160916川根小学校27


かつては分校を3つも有し、地域の教育の中核だった川根小学校。
時代の流れと言うか、少子化の波には勝てませんでした。
この地に再び、小学校や分校が出来ることは、おそらくないでしょう。
それが平成の現代のまぎれもない現実。
まぁ、素直に現実を受け止めるしかないでしょう。






2016/10/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........川根小学校下土師分校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。

駒場小学校をあとにして、向かった先は...............茨城町立川根小学校下土師分校跡



下土師分校はWikipediaにも記載されていない廃校で
以前、本校である川根小学校のHPに記載されていた沿革を見て
その存在を知りました。

川根小学校のHPによれば


明治6年     学制発布によって上飯沼旧寺院を小学校とする。
         分校を下土師と川又に置く。
明治9年     分校を廃して本校に合併する。
明治12年    秋葉小学校奥谷分校を本校の分校とする。
明治26年    野曽・下土師・木部に尋常小学校を増設。
         奥谷分教場は下土師尋常小学校の分校とする。
        高等科を併置し、川根尋常小学校と改称し、
大正11年    下土師・木部・野曽を分校とする。
昭和22年    学制改革により川根村立川根小学校下土師分校と改称する。
昭和30年    川根村が長岡町、沼前村、上野合村と合併し茨城町となり
         茨城町立川根小学校下土師分校と改称する。
         分校の4年生以上を本校に収容する。
昭和33年    下土師・木部両分校に各教室を増築し,三分校とも単式にして3年まで収容する。
昭和42年    川根小学校統合のため、本校と三分校はそれぞれ
         川根教場・木部教場・下土師教場・野曽教場となる。
昭和44年    統合校舎完成し木部、下土師、野曽の教場は廃校となる。

        
と、このような沿革となっています。

すなわち、明治6年に分校としてスタートして
後に統合され、さらには尋常小学校として新たに開校したりしましたが
最終的には川根小学校の分校となり、昭和44年に統合され廃校となったようです。


それ以外には詳しい情報が無く
下土師地区に在った分校(学校)だから
セオリーと言うか、経験に基づき下土師地区の公民館、地区センターを地図で探し、
下土師公民館が廃校跡ではないか?とアタリを付け訪れてみたら
それらしい雰囲気はあるんだけど、隣接する精米所の方に話を伺ったら
下土師分校は別の場所らしい。
『今は高速道路が出来て、一部を削られて何もないよ!』と言われましたが、
何も無くてもいいんです。

おおよその場所を聞いて、訪れてみると...............

畑?

      20160916下土師分校01


軽トラに乗って畑に来ていたおじいさんに話を伺うと、
この畑の隣の雑草の生い茂った荒地が、下土師分校の跡地らしい。

      20160916下土師分校02


こちらが、下土師分校跡地。

      20160916下土師分校03


確かに何も無い(笑)

      20160916下土師分校04


      20160916下土師分校05


      20160916下土師分校06



裏手に回ってみると、台地が無くなっている。

      20160916下土師分校07


高速道路(東茨城自動車道)の側道。

      20160916下土師分校08


側道を上がれば、跨道橋。

      20160916下土師分校09


高速道路が分校の在った台地を分断しています。

      20160916下土師分校10



高速道路の対岸(?)から分校跡地を眺めて見ます。

      20160916下土師分校11



まさに跡形も無いと言うのは、こういう事だろう。

      20160916下土師分校12



跨道橋を渡って、再び分校跡地に戻ります。

      20160916下土師分校13

先ほどのおじいさんの話しでは、下土師分校が廃校になった後、
跡地には町営住宅が建てられたらしい。
その町営住宅も高速道路が建設されると言うことと、
町営住宅そのものが老朽化していたため、解体されてしまったらしい。


ある意味、ここまで何も無いと、潔い。
誰もこの地が下土師分校跡地だとは気付かないだろう...............。






2016/10/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........駒場小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日 公休日

この日は、茨城県茨城町の廃校巡りに出かけました。


沼前小学校をあとにして、向かった先は...............茨城町立駒場小学校


駒場小学校は、

明治8年     駒場村神楽塚に駒場小学校創立。
明治25年    沼前第二尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、沼前村立沼前第二小学校と改称する。
昭和30年    沼前村が長岡町、川根村、上野合村と合併して茨城町となる。
          茨城町立沼前第二小学校と改称する
昭和37年    茨城町立駒場小学校と改称する
平成27年    川根小学校、上野合小学校、沼前小学校、駒場小学校が統合し青葉小学校が誕生。
          駒場小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、駒場小学校正門。

      20160916駒場小学校01


廃校から既に1年半。
門柱の表札は綺麗に外されていました。

      20160916駒場小学校02



しかし、門柱の脇にはしっかりと駒場小学校の名が...............。

      20160916駒場小学校03



こちらが、校舎。

      20160916駒場小学校04


本来なら、正門の門扉は固く閉ざされているはず(?)ですが
この日は、近くにある青葉小学校の運動会の予行演習がされていたようで
拡声器越しに運動会のアナウンスが流れていました。
この駒場小学校跡は、臨時の駐車場になっていて、来賓(?)の方の車が多く停まっていて
ちゃっかり便乗して敷地内に入らせて貰いました。

拡声器から流れる運動会(予行演習)の臨場感溢れる放送を聴きながら
駒場小学校を探索します。


校舎前に建つ立派な碑。

      20160916駒場小学校05

てっきり、廃校記念碑かと思ったら、創立百周年の記念碑でした。


沿革も刻まれています。

      20160916駒場小学校06



こちらは、駒場小学校の校歌の碑。

      20160916駒場小学校07


こちらが、廃校記念碑。

      20160916駒場小学校08


創立百周年の碑と比べると質素と言うか
まさか、これが廃校記念碑とは思えませんでした。
最初は単なる置石かと思いました(笑)。

      20160916駒場小学校09

シンボルツリーの真下に置かれていたから、形は質素でも
この碑の意味合いは大きいのでしょう。


校舎とはシンボルツリーと廃校記念碑。

      20160916駒場小学校10

画になるなぁ...............。


こちらは、体育館。

      20160916駒場小学校11



校庭からの校舎。

      20160916駒場小学校12



校庭に残された遊具類。

      20160916駒場小学校13


      20160916駒場小学校14


      20160916駒場小学校15


      20160916駒場小学校16


      20160916駒場小学校17


      20160916駒場小学校18


      20160916駒場小学校19




それなりの広さを持つ校庭。

      20160916駒場小学校20



校舎の前には二ノ宮像。

      20160916駒場小学校21


二ノ宮像って、学校ごとに表情が違うから
それがまた面白い。

      20160916駒場小学校22



朝礼台と国旗掲揚ポール。

      20160916駒場小学校23


こちらの掲揚ポールも1本仕様でした。

      20160916駒場小学校23



こちらは、校庭側の門
町道に面しているけれど、
しっかりと門扉は閉められて施錠されています。

      20160916駒場小学校25


      20160916駒場小学校26



校庭の片隅に建てられたプレハブ小屋。
工事関係者の事務所のようです。

      20160916駒場小学校27

駒場小学校も解体されるのか?
はたまた一部をリニューアルして、他の施設として再活用されるのか?

民間に転用されることも有るかと思うけれど
願わくば、町の公の施設となってくれることを期待したい。
10年後、20年後に誰もが気軽に立ち寄れる場所であり
二ノ宮像や廃校記念碑を見に来ることができる施設。
そんな施設であって欲しい...............。



2016/10/14 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

研修準備③ & 行ってきます! (2016年10月13日) 

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2016/10/13 Thu. 05:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.........沼前小学校  (2016年9月16日)(茨城県東茨城郡茨城町) 

9月16日  公休日

この日は、茨城県の茨城町の廃校巡りに出掛けました。
とは言いながらも、結構寄り道なんかもしていました。

網掛公園をあとにして、向かった先は...............茨城町立沼前小学校


沼前小学校は

明治8年宮ヶ崎村に学校を創立。
明治15年海老沢村に学校を創立。
明治17年海老沢校を廃し、宮ヶ崎校へ統合。
村立中等宮ヶ崎小学校となる。
明治18年鹿田村立初等鹿田小学校を分校とする。
明治19年小学校令により海老沢尋常小学校となる。
明治20年八ヶ村(海老沢、宮ヶ崎、網掛、城之内、神宿、駒場、小堤、鹿田)の学区を併合し、
海老沢村に尋常小学校を新築する。
明治22年町村制の実施により、海老沢村、宮ヶ崎村、網掛村、城之内村、神宿村、駒場村、小堤村が合併して沼前村となり沼前尋常小学校と改称する。
明治26年沼前第一尋常小学校と改称する。
明治29年高等科を併設し、沼前尋常高等小学校と改称する。
昭和22年学制改革により、沼前村立沼前第一小学校と改称する。
昭和30年沼前村が長岡町、川根村、上野合村と合併して茨城町となり、
茨城町立沼前第一小学校と改称する。
昭和41年茨城町立沼前小学校と改称する。
平成27年沼前小学校、駒場小学校、川根小学校、上野合小学校が統合して青葉小学校が誕生。
沼前小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。





こちらが、沼前小学校の正門。

      20160916沼前小学校01



門柱には、沼前小学校の表札。

      20160916沼前小学校02


      20160916沼前小学校03


もう片方の門柱には、沼前幼稚園の表札。
敷地内に沼前幼稚園もあり、
そちらは廃園にはならず、現在も園児が通っています。

      20160916沼前小学校04


正門からなだらかな坂を上がって行くと、さらに門。
こちらには門扉があって、今日は開いていますが、
休日には閉められていることでしょう。

      20160916沼前小学校05

背後に見えるのが、沼前小学校の校舎。



そして、こちらがその校舎。

      20160916沼前小学校06


      20160916沼前小学校07


こちらが、体育館。

      20160916沼前小学校08



もう1棟ある校舎。
こちらは特別教室に使われていたのでしょうか?

      20160916沼前小学校09


校舎前の丸ポスト。
勿論、教材用だから投函出来ません。

      20160916沼前小学校10


校舎脇の廃校記念碑。

      20160916沼前小学校12


      20160916沼前小学校13



裏面には、最新の沿革が刻まれています。

      20160916沼前小学校11


 
こちらは、創立百周年記念碑。

      20160916沼前小学校14



昭和60年度の卒業記念に建てられた方位計。

      20160916沼前小学校15



沼前小学校の校歌の碑。

      20160916沼前小学校16


見覚えのある書体。
文面は違うけど、広浦小学校や上石崎分校で見かけたのと同じ書体の石碑。

      20160916沼前小学校17



校舎の正面玄関。

      20160916沼前小学校18


校庭に移動しましょう。


広い校庭

      20160916沼前小学校37


クンクンと匂いを嗅ぎながら
校庭を徘徊する びいすけ 。

      20160916沼前小学校31


      20160916沼前小学校36



校舎をバックに。

      20160916沼前小学校35


     



校庭に残された遊具類。

      20160916沼前小学校19


      20160916沼前小学校20


      20160916沼前小学校21


      20160916沼前小学校22


      20160916沼前小学校23


      20160916沼前小学校24


      20160916沼前小学校25


      20160916沼前小学校26


      20160916沼前小学校27



卒業記念だと思われるモニュメント。

      20160916沼前小学校28


朝礼台

      20160916沼前小学校29



朝礼台の後ろには国旗掲揚ポール。

      20160916沼前小学校30

こちらは、1本ポールですね。



校庭の一角には報徳碑。

      20160916沼前小学校31

報徳碑とか忠魂碑は昔からある地方の小学校の校庭の片隅に
置かれていることが多い。
沼前小学校もそれだけ地方の歴史のある小学校だったと言うことです。



そして、お約束(?)の防災倉庫。

      20160916沼前小学校32

緊急避難場所である証しですね。



そして、シンボルツリー。

      20160916沼前小学校33


隣接する幼稚園があるから敷地内に入れたものの
門扉が閉ざされていたら、見学も侭ならなかったからラッキーでした。
石碑類も多く、遊具類も多く残され、それなりに楽しめた廃校ですが
二ノ宮像が無かったのは、ちょっぴり残念でした。






     


2016/10/13 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit