廃校を訪ねて...............匝瑳小学校 (2016年7月20日)(千葉県匝瑳市)
7月20日 公休日
この日は栄町、東庄町と北総台地の地を廻っていました。
夏目分校をあとにして、向かった先は...............匝瑳市立匝瑳小学校
匝瑳小学校は、
明治9年 6ヶ村の小学校として松山小学校設立
明治22年 松山村、中台村、大浦村、長岡村、山桑村、宮本村、生尾村が合併して
匝瑳村となり、匝瑳小学校と改称する。
昭和22年 学制改革により匝瑳村立匝瑳小学校と改称する。
昭和29年 匝瑳村が八日市場町、平和村、椿海村、豊栄村、須賀村、共興村、
吉田村、飯高村、豊和村と合併して八日市場町となり、
八日市場町は市制施行して八日市場市となる。
八日市場市立匝瑳小学校と改称する。
平成18年 八日市場市が野栄町と合併して匝瑳市となる。
匝瑳市立匝瑳小学校と改称する。
平成28年 八日市場小学校に統合され廃校となる。
と、このような沿革となっています。
平成の大合併で誕生した匝瑳市。
個人時には八日市場市の方が馴染みが深かったから
『なぜ、匝瑳市にしたのか? 八日市場市じゃダメなの?』と
素朴なギモンを感じていましたが、匝瑳村から始まったこの地域。
歴史をちょっぴり紐解いて、妙に納得したりしています。
そんな看板でもある匝瑳の名の付いた匝瑳小学校も少子化な波には勝てず
この春に廃校となってしまいました。
こちらが匝瑳小学校の正門。

木製の手作りの表札。

こちらは、匝瑳市統一の表札。

正門の門扉は閉ざされていましたが、脇からちょっと失礼、
中を見学させてもらいました。
比較的新しい校舎。

濃いベージュ色の校舎はちょっとお洒落。

鉄筋コンクリートの灰色や白く塗装された校舎と違って
ちょっと垢抜けている気がします。

校舎の窓には感謝の言葉の貼り紙。
『 匝瑳小学校 ありがとう 』

平成9年に建てられたモノらしい。

校舎の前には、廃校記念碑。


裏面には沿革もしっかり刻まれています。

HPに沿革を載せなくなった学校も増えているから
こうやって沿革ぎ示されていると嬉しくなります。
ちなみに、この匝瑳小学校。
廃校になってもHPは残っていますが、沿革は載っていません
(平成28年7月20日現在)
校舎前の国旗掲揚ポール。

こちらも3本仕様の国旗掲揚ポール。
調べて見ると、3本の掲揚ポールって言うのも多いらしい。
3本ポールの場合、真ん中に国旗。その次に優位になる旗を向かって左に掲揚するらしい。
さしずめ、校旗は左、国旗は真ん中に、市旗は右になるのでしょう。
赤い屋根は体育館。

体育館はちょっぴり年季が入っているみたいです。
かまぼこ屋根が時代を物語っています。
校舎前の窪んだエリアに隠れるように石碑群。

かなり汚れた二ノ宮像。

こちらは、創立百周年の記念碑。

煤で汚れているのか?
『努力』と題されたオブジェと教材用の丸ポスト。

防災倉庫もしっかり並んでいます。

校庭の遊具類。
数ヶ月前までは子供たちの遊び道具でした。





フェンス沿いの桜も葉が茂り、それなりの大きさに育っています。
来年も綺麗な花を咲かせることでしょう。

こちらが、体育館裏の通用門。
門柱の古さから言って、以前はこちらが正門だったのでしょう。

門扉越しに見る体育館の裏手。

かなり老朽化しているのが分かります。
こちらは、北門になるのか?
正門とは別な通用門。

県道からちょっと入り込むから、
実際の通学にはこちら側の門を利用していたかもしれません。

匝瑳小学校。
この学校も歴史のある学校でした。
廃校は非常に残念ですが、時代の流れには逆らえない。
でも、やっぱり残念だなぁ...............。
この日は栄町、東庄町と北総台地の地を廻っていました。
夏目分校をあとにして、向かった先は...............匝瑳市立匝瑳小学校
匝瑳小学校は、
明治9年 6ヶ村の小学校として松山小学校設立
明治22年 松山村、中台村、大浦村、長岡村、山桑村、宮本村、生尾村が合併して
匝瑳村となり、匝瑳小学校と改称する。
昭和22年 学制改革により匝瑳村立匝瑳小学校と改称する。
昭和29年 匝瑳村が八日市場町、平和村、椿海村、豊栄村、須賀村、共興村、
吉田村、飯高村、豊和村と合併して八日市場町となり、
八日市場町は市制施行して八日市場市となる。
八日市場市立匝瑳小学校と改称する。
平成18年 八日市場市が野栄町と合併して匝瑳市となる。
匝瑳市立匝瑳小学校と改称する。
平成28年 八日市場小学校に統合され廃校となる。
と、このような沿革となっています。
平成の大合併で誕生した匝瑳市。
個人時には八日市場市の方が馴染みが深かったから
『なぜ、匝瑳市にしたのか? 八日市場市じゃダメなの?』と
素朴なギモンを感じていましたが、匝瑳村から始まったこの地域。
歴史をちょっぴり紐解いて、妙に納得したりしています。
そんな看板でもある匝瑳の名の付いた匝瑳小学校も少子化な波には勝てず
この春に廃校となってしまいました。
こちらが匝瑳小学校の正門。

木製の手作りの表札。

こちらは、匝瑳市統一の表札。

正門の門扉は閉ざされていましたが、脇からちょっと失礼、
中を見学させてもらいました。
比較的新しい校舎。

濃いベージュ色の校舎はちょっとお洒落。

鉄筋コンクリートの灰色や白く塗装された校舎と違って
ちょっと垢抜けている気がします。

校舎の窓には感謝の言葉の貼り紙。
『 匝瑳小学校 ありがとう 』

平成9年に建てられたモノらしい。

校舎の前には、廃校記念碑。


裏面には沿革もしっかり刻まれています。

HPに沿革を載せなくなった学校も増えているから
こうやって沿革ぎ示されていると嬉しくなります。
ちなみに、この匝瑳小学校。
廃校になってもHPは残っていますが、沿革は載っていません
(平成28年7月20日現在)
校舎前の国旗掲揚ポール。

こちらも3本仕様の国旗掲揚ポール。
調べて見ると、3本の掲揚ポールって言うのも多いらしい。
3本ポールの場合、真ん中に国旗。その次に優位になる旗を向かって左に掲揚するらしい。
さしずめ、校旗は左、国旗は真ん中に、市旗は右になるのでしょう。
赤い屋根は体育館。

体育館はちょっぴり年季が入っているみたいです。
かまぼこ屋根が時代を物語っています。
校舎前の窪んだエリアに隠れるように石碑群。

かなり汚れた二ノ宮像。

こちらは、創立百周年の記念碑。

煤で汚れているのか?
『努力』と題されたオブジェと教材用の丸ポスト。

防災倉庫もしっかり並んでいます。

校庭の遊具類。
数ヶ月前までは子供たちの遊び道具でした。





フェンス沿いの桜も葉が茂り、それなりの大きさに育っています。
来年も綺麗な花を咲かせることでしょう。

こちらが、体育館裏の通用門。
門柱の古さから言って、以前はこちらが正門だったのでしょう。

門扉越しに見る体育館の裏手。

かなり老朽化しているのが分かります。
こちらは、北門になるのか?
正門とは別な通用門。

県道からちょっと入り込むから、
実際の通学にはこちら側の門を利用していたかもしれません。

匝瑳小学校。
この学校も歴史のある学校でした。
廃校は非常に残念ですが、時代の流れには逆らえない。
でも、やっぱり残念だなぁ...............。
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2016/08/20 Sat. 00:00 |
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