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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

東名高速(下り)足柄SAドッグラン (2016年7月14日)(静岡県駿東郡小山町) 

7月14日 公休日

7月14日〜16日まで個人的な3連休。

梅雨明けはまだですが、時折猛暑の真夏日が有ったりする今日この頃。
7月14日から1泊で出かけることにいたしました。

朝4時半に千葉県(佐倉市)の自宅を出発。
東関道〜首都高〜東名高速と乗り継ぎ西へと向かいます。

7時過ぎ、トイレ休憩も兼ねて、足柄SAへと車を入れます。
東名高速を利用する時に、必ずと言って良いほど立ち寄るSAが、この足柄SA。
何と言ってもドッグランが有るから、何かと便利です。


お父さんのオシッコを済ませたら、今度は びいすけ のオシッコタイム。

      20160714足柄SAドッグラン01

とりあえず、ドッグランに向かいましょう。

平日の朝は7時過ぎ。
さすがに、この時間にドッグランに立ち寄る方は居ません。

      20160714足柄SAドッグラン02



中・大型犬エリアは、貸し切り状態です。

      20160714足柄SAドッグラン03


フェンス沿いにドッグラン内を徘徊する びいすけ 。

      20160714足柄SAドッグラン04



他のワンちゃんの残り香をチェックしているのでしょう。

      20160714足柄SAドッグラン05



ひたすら、匂い嗅ぎに専念します。

      20160714足柄SAドッグラン07


そう言えば、この辺りに設置されていたAフレームが
いつの間にか無くなっている。

      20160714足柄SAドッグラン06

ドッグランの隣に駐車場が有って、
SAに勤務しているのでしょう方々が車を停めて出勤してきます。

時折、足を止めて立ち止まる びいすけ 。

      20160714足柄SAドッグラン08


      20160714足柄SAドッグラン09


      20160714足柄SAドッグラン11



そして、出勤する人が通り過ぎると、
何事も無かったかのように再び徘徊を始める びいすけ 。

      20160714足柄SAドッグラン10


      20160714足柄SAドッグラン12


さてさて、曇り空から太陽も顔を出し、
天気も回復の兆し。
そろそろ出発しましょうか?

『 お〜い びいすけ ! そろそろ帰るよ! 』

      20160714足柄SAドッグラン13

『 帰る 』と言う言葉に敏感に反応する びいすけ 。
小走りに駆け寄って来ます。



太陽が顔を覗かせ、青空も見えてきましたが
残念なことに、目の前の富士山には思い切り雲がかかっています。

      20160714足柄SAドッグラン14


どうも最近は、富士山とは相性が悪いようです。
これって、日頃の行いのせい...............?(笑)







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2016/07/31 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦..............................犬服作り 第81作目 (2016年7月9日) 

7月9日

仕事を終え、20時前に自宅に戻り
びいすけ の夜の散歩とご飯を済ませます。
その後、父さんは自分の夕食を済ませ
21時過ぎに、おもむろに買い溜めている生地を物色。

端切れを利用して、犬服作りにチャレンジです。
(おいおい、明日も仕事だぞ!)


今回は、昨年に日暮里でワゴンセール(?)でゲットした端切れを利用します。
今年の秋・冬用のラグラン袖の服に仕上げましょう。

犬服作り、その第81弾です。



型紙を当てて、採寸。そして裁断して生地取りです。
まずは、後ろ身頃から。

型紙を当てて、チャコでマーキング。

      犬服8102

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。




続いて前身頃。

同じようにチャコでマーキング。

      犬服8103

マーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。



さらには、両袖の生地取りです。
座右の生地は裏表が逆に言えなるから
型紙は共通でも裏表で使います。

型紙を当てて、チャコでマーキング。

      犬服8104

マーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。




生地取り完了。

      犬服8105



いつもは、各パーツの裁断した状態で写真に残していますが
この日は慌てていたのか?
なぜか撮り忘れてしまいました。



それでは、ミシン作業に入ります。

先ずは、前身頃と後ろ身頃を縫い合わせて身頃にします。
縫い合わせ部分をマチ針で仮止めして、直線縫いで縫い合わせていきます。
カタカタカタとミシンは快調な音を立てています。

      犬服8106



ほつれ防止にジグザグ縫いも施します。
静寂な部屋の中でカタカタカタとミシンの音が響き渡ります。

      犬服8107



続いて、袖作り。
袖用の生地の端を縫い合わせて、筒状にします。
直線縫いでカタカタカタ。

      犬服8108

ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。



続いて、身頃に袖を縫い付けます。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服8109



ほつれ防止のジグザグ縫いも忘れずにカタカタカタ。

      犬服8110



両袖を縫い付ければ、ラグラン袖服の形が出来上がります。

      犬服8111



問題は無いとは思いますが、とりあえずは確認の仮試着。

      犬服8112

サイズ的に問題ないから、OKですね。




それでは、リブ作りに移りましょう。
今回は、生地と同系色。
ダークグリーンのリブにしてみましょう。

      犬服8113



リブの採寸幅は6cmで、
襟口 縫い合わせ寸法15.5cm
    リブ寸法は14cmに
袖口 縫い合わせ寸法10cm
    リブ寸法は9cmに
丈裾 縫い合わせ寸法32cm
    リブ寸法は26cmに採寸しました。

      犬服8114


裁断したリブ生地の端を縫い合わせて、輪っかを作ります。

      犬服8115



裏返して、半分に折り曲げれば立派な輪っかの完成。

      犬服8116



それでは、仕上げの工程。
リブの取り付けに入ります。

先ずは、襟口リブの取り付け(縫い付け)。
直線縫いでカタカタカタ。

      犬服8117


ほつれ防止にジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服8118



続いて、袖口のリブの取り付け。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服8119



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服8120



両袖のリブを縫い付けて、いつものように小休止。
残すは裾周りのリブ付け。

      犬服8121


一服して、作業再開です。

この裾周りのリブ付けが一番気を使います。
リブを引っ張りながら(伸ばしながら)、マチ針で身頃に仮固定。
さらに縫い付ける時もリブを引っ張り(伸ばし)ながら縫い付けます。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服8122



ほつれ防止のジグザグ縫いは、普通にカタカタカタ。

      犬服8123



これでミシン作業の完了。

      犬服8124


すなわち、完成(?)です。









びいすけ に試着してもらいましょう。

      犬服8125


      犬服8126


      犬服8127



とりあえずは、問題無さそうです。
この時期に着る生地では無いので、実際にコレを着るのは10月以降になると思うけれど
コレを着て、何処へ行こうか?
そんな事を考えるのも楽しいモノです。

犬服作り、その第81作目。
これにて完了です...............。





2016/07/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北総花の丘公園ドッグラン    (2016年7月8日)(千葉県印西市) 

7月8日  公休日

個人的な連休2日目。

前日の猛暑(今季最高の36°C)に懲りて
この日は、夕方まで大人しく自宅で待機。

陽も傾き始める16時半過ぎに自宅を出て
向かった先は...............北総花の丘公園ドッグラン


ドッグランには17時頃に到着。
サマーシーズン期間中は、17時閉園のドッグランが
18時半まで延長してくれるので助かります。


この日は、陽射しが無い分凌ぎやすいのか?
足取りも軽くドッグランへと向かいます。

夕方の17時。
多くのワンちゃんが居るかと思ったら期待外れ。
中・大型犬エリアには、お馴染みビーグルのヴィオラちゃん1頭のみ。

いつものようにフェンス周りの匂い嗅ぎから始まる びいすけ の行動。

      20160708北総01



気になる匂いにはマーキング。

      20160708北総02

そして地面を蹴り、再び匂い嗅ぎ。


ぐるっとフェンスを一周すると、今度はドッグラン内を徘徊。

      20160708北総03


      20160708北総04



時々立ち止まっては、飼い主(私の事です)の位置を確認。

      20160708北総05

(大丈夫だよ、 びいすけ を置いて帰ったりしないから!)



好きなだけ、徘徊してもらいましょう。

      20160708北総06


      20160708北総07



期待通り、マイペースで徘徊する びいすけ 。

      20160708北総08


      20160708北総09



私と目が合うと、安心したのか?

      20160708北総10


周りをチェックして、再び徘徊。

      20160708北総11



しかささ、30分もしたら飽きてきたのか?

腰を下ろす びいすけ 。

      20160708北総12


      20160708北総13


顔は笑っているように見えるけれど...............

      20160708北総14


実は、帰りたいオーラ満載。


『 びいすけ 帰る? 』って話しかけると
荷物を置いてあるベンチに向かっていく びいすけ 。
結局、この日も実質1時間も居なかったドッグラン。
この調子じゃ、夕方の17時半過ぎにドッグラン着のパターンが正解かな?

サマータイム期間中は、そんな行動パターンもアリ!ですね。







2016/07/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

龍ヶ岡公園   (2016年7月7日)(茨城県龍ヶ崎市) 

7月7日 公休日

この日は、茨城県の龍ヶ崎市に出かけました。

馴馬小学校をあとにして、向かった先は...............龍ヶ岡公園


龍ケ岡公園は、公園のシンボルとなっている「たつのこやま」のある公園として、
龍ヶ崎市ではよく知られているそうです。

「たつのこやま」は、市内で最も見晴しの良い、標高41メートル(地上23メートル)の人工の山で、
晴れた日には、頂上から牛久大仏や筑波山などが一望できるそうです。



こちらが龍ヶ岡公園の入口。

まずは、来園の証し。
入口で記念写真。

      20160707竜ヶ丘公園01



公園案内図もしっかりチェックしましょう。

      20160707竜ヶ丘公園02



それでは、龍ヶ岡公園の散策開始です。

龍ヶ岡公園の遊具類があるエリアは『たつのこランド』と称しているようです。

      20160707竜ヶ丘公園03


この長いすべり台が人気らしい。

      20160707竜ヶ丘公園04

背後の小高い山は『たつのこやま』。


たつのこランドの脇の広場には大きなテントが張られたようなステージ。
『たつのこステージ』と言うらしい。

      20160707竜ヶ丘公園05


こちらが、たつのこステージ。

      20160707竜ヶ丘公園07



たつのこステージ正面には、たつのこやま。

      20160707竜ヶ丘公園06




頑張って、たつのこやまに登ってみましょう。

      20160707竜ヶ丘公園08



それなりに長い階段を上って行きます。

      20160707竜ヶ丘公園09



頑張れ! びいすけ 。

      20160707竜ヶ丘公園10


      20160707竜ヶ丘公園11



『たつのこやま』の頂上です。

      20160707竜ヶ丘公園12

それなりに視界が拓けています。


標高は41m。

      20160707竜ヶ丘公園13



頂上には、こんなプレートがあって、おおよその方向が分かります。

      20160707竜ヶ丘公園14




南西の富士山方向。

      20160707竜ヶ丘公園15

晴れてはいるものの、残念ながら富士山は見えず...............。
この時期じゃ無理かな?
真冬の雲の無いカラッと晴れた日じゃないと無理かな?



筑波山方向もガスっている。

      20160707竜ヶ丘公園16


      20160707竜ヶ丘公園17



お隣りの牛久市の大仏もかろうじて確認できるほど。

      20160707竜ヶ丘公園18


      20160707竜ヶ丘公園19

牛久の大仏って、かなりデカくて遠くからでもバッチリ見えるんだけど
それだけ、この日はガスっていたのかな?


眼下の視界はバッチリなんだけどね。

      20160707竜ヶ丘公園20



とにかく、この日は暑かった。
東京では36°Cまで気温が上がったらしい。

龍ヶ崎市も暑かった。

木陰でしばし休憩です。

      20160707竜ヶ丘公園21



『 びいすけ、おやつ食べるぅ〜?』

      20160707竜ヶ丘公園22



食べない訳が無い!(笑)

      20160707竜ヶ丘公園23


      20160707竜ヶ丘公園24




せっかくだから、木立の中を散策してから帰りましょう。

龍ヶ岡公園に隣接する破竹川調節池周辺を散策いたしましょう。

      20160707竜ヶ丘公園25



破竹川沿いにに調整池までな遊歩道を散策します。

      20160707竜ヶ丘公園26


      20160707竜ヶ丘公園27



多くの部分が手付かずと言うか、破竹川沿いに木立の中の林道だけがある。
そんな遊歩道を歩きます。

      20160707竜ヶ丘公園28


      20160707竜ヶ丘公園29


      20160707竜ヶ丘公園30



こちらが調整池。

      20160707竜ヶ丘公園31

調整池の外周は立ち入り禁止。
即ち、こちらが散策路の終点。
かなり歩いてきたけれど、龍ヶ岡公園に戻りましょう。

画像真ん中の白い(?)建物が『たつのこアリーナ』。
龍ヶ岡公園は、その奥。
まだまだ距離はあります。

      20160707竜ヶ丘公園32



日陰を選んで歩きましょう。

      20160707竜ヶ丘公園33



龍ヶ岡公園に戻って来ました。

散歩中に、あまり水を飲まない びいすけ も
この日は水分補給に余念がありません。

      20160707竜ヶ丘公園34


多分、2km近く歩いたんじゃないかな?


本当は、この後に龍ヶ崎市民の森に行って、
森の木立の中の日陰を選んで散策するつもりでいたんだけれど
龍ヶ岡公園で出会ったコーギー連れの方に話を伺ったら、
龍ヶ崎市民の森はペットの連れ込み禁止と言うことなので
このまま大人しく帰ることにしました。

いゃあ夏本番とも言える、まだまだ梅雨明けしない北総地区。
次回の連休にでも、プールに連れて行こうかな...............?





2016/07/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............馴馬小学校   (2016年7月7日)(茨城県龍ヶ崎市) 

7月7日  公休日

この日は、茨城県の龍ヶ崎市に出かけました。


龍ヶ崎市にはWIkipediaにも記載されず、
ネットで調べてもほとんどヒットしない廃校があり
そちらの廃校を訪ねてみました。

訪れたのは...............龍ヶ崎市立馴馬小学校


ネットで唯一知り得た龍ヶ崎市教育委員会のPDFファイルによると


元々、龍ヶ崎市の平台地区の児童は松葉小学校に就学していました。
平成3年度の松葉小学校の児童数は、約800名(普通学級数22)となっていました。
さらに、小柴地区のステラ周辺に、新たに600世帯の分譲が計画されていたため
保護者からは、「早く学校を作ってほしい。」旨の声が高まっていました。
こうした状況を踏まえ、龍ヶ崎市は北竜台地区を開発した住宅・都市整備公団が
学校用地として予定していた場所に、松葉小学校の分離校として
(仮称)平台小学校を建設する計画を進めることにしていました。

一方、(仮称)平台小学校の建設予定地に近接した馴馬小学校では、
平成3年度の児童数が、約120名(すべての学年が単学級)となっており、
数年後には一部の学年が複式学級になると予想されていたことから、
(仮称)平台小学校に馴馬小学校を統合する検討を行うことになりました。
平台地区の保護者からは、統合に反対する声が上がり、
馴馬地区の保護者からは、新設する学校名に伝統ある馴馬の2文字を残して欲しい等々、
双方の保護者から様々な意見や要望が寄せられました。
苦肉の策(?)として平成5年松葉小学校の分離校として馴馬小学校を統合。
その上で、平台小学校の建設予定地に馴馬台小学校として新たな小学校が新設されました。

まるで、昔の江川のドラフトの時みたい(笑)。


まぁ、簡単に言えば(表向きには)
平成5年に松葉小学校に統合されて廃校となりました。
(馴馬台小学校は同じ時期に松葉小学校から分離したけど...............)
色々複雑な大人の事情があったんでしょうね。

ちなみに、松葉小学校のHPの沿革を見ても
馴馬小学校の統合については一言も記載がありませんでした。
(馴馬台小学校の分離についても同様です)


こちらが、馴馬小学校の正門。

      20160707馴馬小学校01


石造りの立派な、そして年季の入った門柱です。

      20160707馴馬小学校02

大きく『明治四十二年一月』と刻まれています。



対の門柱。
もう1本には寄贈者の名が刻まれています。

      20160707馴馬小学校03

『横田 博』さんから明治42年1月に寄贈されたモノのようです。


廃校時の校舎は健存。

      20160707馴馬小学校04



現在は、龍ヶ崎教育センターと称して不登校児童等の教育施設として
活用されているようです。

      20160707馴馬小学校05



職員の方にお断り(許可をいただき)、敷地内を見学させてもらいます。


まだまだ、建物は十分活用できます。(活用されています。)

      20160707馴馬小学校06


      20160707馴馬小学校07


      20160707馴馬小学校08



施設の一部は、市民活動センターとしても利用されているようです。

      20160707馴馬小学校09


      20160707馴馬小学校10



廃校記念碑や二ノ宮像、遊具類といった廃校遺構は見当たりません。

敷地周辺には古い桜の木が立ち並び、
学校跡を彷彿させてくれます。

      20160707馴馬小学校11



校庭も駐車場と化しているから、殺風景。

      20160707馴馬小学校12



校舎脇に建つ古い小屋?
おそらく倉庫として使われていたのでしょう。

      20160707馴馬小学校13



      20160707馴馬小学校14

この日は、今年最高の暑かった日。
朝8時頃に訪れましたが、すでに陽射しは強く
向日葵の花も見事に咲いていました。



2016/07/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............旧・文小学校跡  (2016年7月7日)(茨城県利根郡利根町) 

7月7日  公休日

この日は、龍ケ崎市に出かけました。


以前、利根町役場の中にある教育委員会を訪ねた時に
利根町の中央公民館がかつての学校跡だと言うことを聞きました。
ネットで色々調べてみましたが、どうもいつ頃まで学校が在ったのか?
詳しい情報が得られませんでした。
移転した小学校のHPを覗いて、詳細な沿革が記されて居ないのですが
確かにその場所に、かつて小学校が建っていたようです。

龍ヶ崎市に出かけるついでに、
通り道である利根町の学校跡(?)に立ち寄ってみることにしました。

立ち寄った先は、...............利根町立 旧・文小学校跡


文小学校は、現在も多くの児童が通う現役の小学校です。
しかしながら利根町中央公民館のある場所が、
かつての文小学校が在った場所だと言うことです。

詳細な沿革は不明ですが
明治22年に文尋常小学校と改称され、中央公民館の場所にあり
幾多の変遷を経て、昭和30年利根町立文小学校と改称し
昭和51年新校舎が完成し、移転したようです。




こちらが、中央公民館周辺。

手前にあるのが福祉センター。
奥の建物が中央公民館。

      20160707級・文小学校跡01



福祉センター前の駐車場は、校庭跡に見えなくも無い。

      0160707級・文小学校跡02



こちらが、中央公民館。

      0160707級・文小学校跡03

利根町の沿革によれば、昭和60年に建てられたモノらしい。


玄関周辺もなかなか洒落たデザイン(?)

      0160707級・文小学校跡04


      0160707級・文小学校跡05



この辺りから眺めると、学校っぽく見えるけれど
公民館として建てられたモノ。

      0160707級・文小学校跡07


こちらは隣接する福祉センター

      0160707級・文小学校跡08

どちらかというと、こちらが学校の建物に見えなくもない。


中央公民館、福祉センターの敷地をぐるっとひと回りしてみたけれど
学校遺構らしきものは残されていません。

遊具の一つぐらいあるのかな~って期待していたんですけどね。

唯一、学校を彷彿させるのはこちらの木。

      0160707級・文小学校跡09



ひょっとしたらシンボルツリーっだったのでしょうか......?

      0160707級・文小学校跡10



中央公民館から直線距離にしたら300m程の位置にある現在の文小学校。

      0160707級・文小学校跡11



学校跡地といっても、こんなに近いんじゃ
移転の時に使えるもの、持っていけるものは全て持っていったんでしょうね。

ちょっぴり期待はずれに終わった文小学校跡でした..........。


2016/07/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............武田小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市と行方市に出かけました。

小幡城址をあとにしては、向かった先は...............行方市立武田小学校



武田小学校は

明治13年         武田小学校創立
明治16年         内宿小学校と併合して中城小学校と改称する。
明治19年         近隣の七校を併合して両宿尋常小学校と改称する。
明治22年         武田尋常小学校と改称する。
明治25年         小貫、三和の分教場が独立。武田第一尋常小学校と改称する。
明治29年         武田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年         学制改革により、武田村立武田小学校と改称する。
昭和30年         要村、武田村、津澄村が合併して北浦村となる。
               北浦村立新城小学校と改称する。
昭和55年         北浦村立武田小学校と改称する
平成9年          北浦村が町制施行により北浦町となり
               北浦町立武田小学校と改称する。
平成17年         麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
               行方市立武田小学校と改称する。
平成24年         小貫小学校、三和小学校を統合する。
平成28年         要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
               武田小学校は廃校となる。



地域の避難場所となっている武田小学校。

      20160701武田小学校01



正門脇のフェンスには、横断幕。

      20160701武田小学校02



正門前には違法駐車のトラックがいて写真が撮れず
校庭側の通用門前にて。

      20160701武田小学校03


門扉に、割菱のマーク。
まさしく、甲斐武田氏の流れを汲む武田氏の地。
甲斐守護十三代武田信満の弟信久は、応永23(1416)年の上杉禅秀の乱に敗れ、
甲斐から北浦の武井郷に逃れました。信久の子孫が居住地を武田郷と改称し、
以後九代武田信房が佐竹義宣に敗れるまでの174年間この地を統治したそうです。

武田小学校の武田とは、武田信玄で有名な甲斐武田氏の流れを汲むものです。


表札はまだまだ光輝いています。

      20160701武田小学校04




こちらが校舎。

      20160701武田小学校05



校舎正面玄関。

      20160701武田小学校06



玄関庇には武田小学校の校章。

      20160701武田小学校07

割菱に小、まさに武田の地の小学校。


こちらは体育館。

      20160701武田小学校08


校舎前の石碑群。

      20160701武田小学校09



武田小学校の校歌の碑。

      20160701武田小学校10



武田小学校校訓の碑。

      20160701武田小学校12



裏面には沿革が刻まれています。

      20160701武田小学校11


残念ながら、廃校記念碑は見当たりませんでした。


     
そして、こちらは二ノ宮像。

      20160701武田小学校13


      20160701武田小学校14



武田小学校の緯度・経度の標柱。

      20160701武田小学校15

茨城県や山梨県の小学校では、意外に緯度・経度を表記する学校が多い。



広い校庭。

      20160701武田小学校16


      20160701武田小学校17



びいすけ も気持ち良さそうに徘徊。

      20160701武田小学校18


      20160701武田小学校19



広い校庭には、遊具類も多い。

      20160701武田小学校20


      20160701武田小学校21


      20160701武田小学校22


      20160701武田小学校23


      20160701武田小学校24


      20160701武田小学校25


      20160701武田小学校26


      20160701武田小学校27




平成17年に麻生町、玉造町、北浦町が合併して誕生した行方市。
行方市発足時には18校在った小学校が、平成24年に4校が廃校となり、
平成25年に4校が廃校となり、平成26年に5校が廃校となり、
平成28年に3校が廃校となりました。
統合校として新たに3校が開校しましたが、結果的には4校になってしまいました。

旧・麻生町域に在った小学校が7校から2校になり、
旧・玉造町域に在った小学校が6校から1校になり、
旧・北浦町域に在った小学校が5校から1校になりました。

平成24年から始まった行方市の小学校の統廃合。
一応、これで終わりのようですが、
果たして平成の大合併は結果的に良かったのでしょうか...............?




2016/07/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小幡城址  (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日 公休日

この日は、茨城県の行方市に出かけました。

行方市へは、廃校を巡るのが目的でしたが
訪れた要小学校に隣接するお寺が城址と言うことで
訪れたのは...............小幡城址


茨城県の小幡城址と言えば、茨城町の小幡城址が有名なようですが
そちらとは違い、こちらは行方市(旧・北浦町)の小幡城址です。


小幡城は
玉造城主3代景政の子、辰幹がこの地に分地され小幡氏を名乗り、
居館を営んだことに始まると言われているようです。



こちらが、小幡城の縄張り図

      小幡城址縄張り図


余胡さんのHP(余胡くんのお城のページ)からお借りしました。



小幡城の主郭である観音寺。
紫陽花の花が綺麗に咲いていました。

      20160701小幡城址01


      20160701小幡城址02


      20160701小幡城址03



観音寺の本堂。

      20160701小幡城址04



本堂脇に、近年建てられたと言う城址碑。

      20160701小幡城址05


      20160701小幡城址06


      20160701小幡城址07

小幡城については詳しい文献等が無く、不明な部分が多いようですが
城址碑の碑文によれば...............

1464年に完成した小幡城ですが、1578年に佐竹軍に敗れ
1591年に佐竹軍、武田軍、行方軍に攻められ落城したとされているようです。



かつてこの観音寺には三本松と言う松の巨木があり
茨城百景にも選ばれた景勝地でもあったようです。

      20160701小幡城址08

残念ながら、巨木の松は昭和39年に枯れ、伐採されてしまったそうです。



観音寺は小幡城の主郭でありましたが、すっかり改変し
遺構もほとんど無くなり、かろうじて城郭を彷彿させるのは
境内にある鐘楼の建つ土壇と二郭である要小学校との境界にある土塁ぐらいらしい。


こちらが、鐘楼の建つ土壇。

      20160701小幡城址09



物見台の跡だと言われているようです。

      20160701小幡城址10



境内にある大シイの樹。

      20160701小幡城址11

行方市の天然記念物に指定され、樹齢は約500年とされています。


大シイのある辺りも土壇となっています。

      20160701小幡城址12

こちらは土塁跡の名残りかもしれません。



こちらは、主郭と二郭を隔てる土塁。

      20160701小幡城址13


二郭虎口(?)

      20160701小幡城址14

虎口と言うよりは、観音寺から要小学校へ抜ける通用口となってます。



こちらは、三郭。
観音寺の観音堂のあるエリア。
観音寺の墓地でもあり、土塁のような土壇が幾つか確認出来ますが
墓地造成時に造られた後世のモノかもしれません。


      20160701小幡城址15


      20160701小幡城址16


      20160701小幡城址18



こちらが観音堂。

      20160701小幡城址19



背後には立派な土塁が確認出来ます。

      20160701小幡城址17

      

こちらのお堂には、茨城県指定文化財の如意輪観音坐像が祀られています。

      20160701小幡城址20




実は、観音寺は縦に長い敷地となっていて
さらにこの先に仁王門がらあるらしい。
知らなくて、この観音堂辺りが観音寺の最奥だと思い、
主郭である本堂に引き返してしまいました。
仁王門から本堂へと続く道は観音馬場と呼ばれ、桜の名所でもあるらしい。

桜の季節にまた来ようかな?



2016/07/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............要小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市と行方市に出かけました。

潮来市では主に公園巡り、行方市では主に廃校巡りをいたしました。

津澄小学校をあとにして、向かった先は...............行方市立要小学校



要小学校は

明治9年        餘戸小学校として開校する。
明治20年       山田小学校小幡分教場となる。
明治22年       要尋常小学校として独立する。
明治29年       要尋常高等小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により要村立要小学校と改称する
昭和30年       要村、武田村、津澄村が合併して北浦村となる。
             北浦村立要小学校と改称する。
平成9年        北浦村が町制施行により北浦町となり
             北浦町立要小学校と改称する。
平成17年       麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
             行方市立要小学校と改称する。
平成28年       要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
             要小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。




こちらが、要小学校の正門。

      20160701要小学校01


      20160701要小学校02


こちらが、校舎。

      20160701要小学校03


      20160701要小学校04


      20160701要小学校05



校舎正面玄関。

      20160701要小学校06



玄関脇には、石碑類と二ノ宮像。

      20160701要小学校07


石碑の一つは校歌の碑。

      20160701要小学校08


そして、もう一つの石碑は『創立百周年記念碑』。

       20160701要小学校10



そして二ノ宮像。

       20160701要小学校11


       20160701要小学校12



残念ながら、こちらの要小学校にも廃校記念碑はありませんでした。
どうも茨城県の廃校には廃校記念碑が建てられているのが少ない気がします。



廃校遺構の一つ、百葉箱。

       20160701要小学校13



そして、日時計。

      20160701要小学校14



こちらは体育館。

      20160701要小学校27



校庭に目を移してみましょう。

      20160701要小学校15


なぜか、遊具類が多い。

      20160701要小学校16


      20160701要小学校17


      20160701要小学校18


      20160701要小学校19


      20160701要小学校20


      20160701要小学校21


      20160701要小学校22


      20160701要小学校23



タイヤを積み上げた遊具は珍しい。

      20160701要小学校24


      20160701要小学校25



校舎全景。

      20160701要小学校26


ここ数年で行方市の小学校は、かなりの数が廃校となりました。
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが
この要小学校もその流れに飲み込まれてしまったようです。

実は、この要小学校のある辺りは、かつての城跡であったらしい。
隣接するお寺が主郭にあたり、要小学校は二郭であったらしい。
そちらの城址については、また明日にでも改めて...............。











2016/07/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............津澄小学校 (2016年7月1日)(茨城県行方市) 

7月1日  公休日

この日は、茨城県の潮来市で公園巡りをした後、
行方市の廃校巡りを行いました。

山田小学校跡(北浦幼稚園)をあとにして、
向かった先は...............行方市立津澄小学校


津澄小学校は

昭和38年      北浦村立山田小学校,同繁昌小学校を統一し,
            敷地を旧中学校の跡地に定め,北浦村立津澄小学校として発足する。 
            当分,山田,繁昌両分教室を置く。
平成9年        北浦村が町制施行により北浦町となり
            北浦町立津澄小学校と改称する。
平成17年     麻生町、玉造町、北浦町が合併して行方市となり、
            行方市立津澄小学校と改称する。
平成28年      要小学校、武田小学校、津澄小学校が合併して新たに北浦小学校が開校。
            津澄小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、津澄小学校の正門。

      20160701津澄小学校01


門柱の表札は掲げられたまま。

      20160701津澄小学校02


正門から中に入ると、ロータリー兼駐車場。

正門脇のロータリーの一画に建つ顕彰碑。

      20160701津澄小学校03

昭和62年に建てられたモノ?
それにしては、古めかしくて碑文も読めない。



こちらは、校訓でしょうか?

      20160701津澄小学校04

『 心豊かにたくましく 』


更に、気になる石碑。

      20160701津澄小学校05

『 昭和二十五年三月 津澄中学校第三回卒業記念 』と刻まれています。


確かに、津澄小学校は中学校跡に建てられたと記されていますが
昭和25年に卒業記念に植樹されたモノなんですね。

      20160701津澄小学校06



体育館、そしてそれを繋ぐ渡り通路。

      20160701津澄小学校07


通路の先は、当然本校舎。

      20160701津澄小学校08



校舎全景。

      20160701津澄小学校09



別アングルにて。

      20160701津澄小学校10



更に別アングル。

      20160701津澄小学校11



こちらは体育館。

      20160701津澄小学校12



廃校記念碑を探しますが、ありません。
代わりにと言っていいのか? 校歌の碑。

      20160701津澄小学校13



二ノ宮像はしっかりと在りました。

      20160701津澄小学校14


      20160701津澄小学校15



百葉箱も健在。

      20160701津澄小学校16



隣には日時計。

      20160701津澄小学校17




校庭に目を移してみましょう。


廃校に合わせて建てられたボードのようです。

      20160701津澄小学校18

ありがとう津澄小 と書かれています。



こちらは、フェンスに貼られた横断幕。

      20160701津澄小学校19

感謝の気持ちが伝わります。



ポツンと取り残された朝礼台。

      20160701津澄小学校20



使われなくなった遊具類。

      20160701津澄小学校21


      20160701津澄小学校22


      20160701津澄小学校23


      20160701津澄小学校24


      20160701津澄小学校25


      20160701津澄小学校26


      20160701津澄小学校27


      20160701津澄小学校28



校庭奥の通用門。

      20160701津澄小学校29


      20160701津澄小学校30



校舎をバックに一枚。

      20160701津澄小学校31



気が付けば、向日葵の花の季節になっているんですね。

      20160701津澄小学校32



繁昌小学校と山田小学校が統合して開校した津澄小学校。
これら3校跡を順に見てくる事が出来ました。

移りゆく時代の流れに、はかなくも消え去って行く小学校。
これらの小学校がこの地に存在していたことを忘れないようにしておこう。


2016/07/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit