廃校を訪ねて...............滝田小学校 (2016年5月18日)(千葉県南房総市)
5月18日 公休日
この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。
二葉分校をあとにして、向かった先は...............三芳村立滝田小学校
滝田小学校の在ったこの地区は、南房総市の旧・三芳村域。
かつて三芳村には3つの小学校が在りましたが、いずれも統合して
1つの小学校に集約してしまいました。
それは、今から44年前のことになります。
滝田小学校は、
明治7年 千代学校創立。
真名板学校創立。
明治23年 千代学校、真名板学校、増間尋常小学校、堀内学校が統合して
滝田尋常小学校が開校する。
明治42年 滝田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年 学制改革により滝田村立滝田小学校と改称する。
昭和28年 稻都村、国府村滝田村が合併して三芳村となる。
三芳村立滝田小学校と改称する。
昭和47年 稻都小学校、国府小学校、滝田小学校が統合して三芳小学校が開校。
滝田小学校は廃校となる
と、このような沿革となっているようです。
こちらが、滝田小学校への入り口。
廃校後、跡地は『みよし交流館』『ファミリーキャンプ場』となっているようです。
いかにも正門跡っていう感じ。
おそらく、この場所に門柱が建っていたのでしょう。
校舎はとっくに解体され、現在は『みよし交流館』と言う建物が建てられ、
地域の交流の場所となっているようです。
また、敷地の一部が『滝田農村公園』となっているようです。
キャンプ場でもあるから、広い校庭跡は適度に草も生え
テントを張るにはちょうど良い?
学校跡には建てられる公民館の類いは、イメージをダブらせるのか?
はたまた、意図的に雰囲気を出すのか?
平屋建ての校舎のイメージを継承するモノが多い気がします。
もちろん、こちらの『みよし交流館』も遠目に見ると、校舎の様に見えなくもない。
目ざとく、動物のオブジェに近づく びいすけ 。
残念ながら、校庭にはこのオブジェ以外に、学校を彷彿させるものは無い。
ブランコや滑り台と言った遊具も撤去されてしまっています。
廃校の記念碑や二ノ宮像も見つからず、学校遺構もこれと言って見つからない。
この地をあとにしようと思って車に戻る途中に、近隣のご婦人に話を伺ったら
『みよし交流館』の玄関前(?)に石碑があると教えてくださいました。
慌てて、『みよし交流館』に戻ります。
こちらは、もう一つの通用口。
ひょっとしたら、こちらが本来の通学路だったかも知れません。
いかにも、この先に校門が建っていそうな雰囲気。
この道を進めば、『みよし交流館』
おそらく、校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。
『みよし交流館』の玄関。
びいすけ の背後に小さな石碑があります。
こちらが、その石碑。
申し訳無さそうに、控えめに『滝田小学校跡』の文字。
確かに滝田小学校跡の碑ですが、見た感じは庭石。
まず、一発で見つけ出すことは難しい(笑)。
お約束(?)の廃校跡の消防倉庫。
殆んど学校遺構の無かった滝田小学校跡ですが、『滝田小学校跡』の碑に出会えて良かった...............。
この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。
二葉分校をあとにして、向かった先は...............三芳村立滝田小学校
滝田小学校の在ったこの地区は、南房総市の旧・三芳村域。
かつて三芳村には3つの小学校が在りましたが、いずれも統合して
1つの小学校に集約してしまいました。
それは、今から44年前のことになります。
滝田小学校は、
明治7年 千代学校創立。
真名板学校創立。
明治23年 千代学校、真名板学校、増間尋常小学校、堀内学校が統合して
滝田尋常小学校が開校する。
明治42年 滝田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年 学制改革により滝田村立滝田小学校と改称する。
昭和28年 稻都村、国府村滝田村が合併して三芳村となる。
三芳村立滝田小学校と改称する。
昭和47年 稻都小学校、国府小学校、滝田小学校が統合して三芳小学校が開校。
滝田小学校は廃校となる
と、このような沿革となっているようです。
こちらが、滝田小学校への入り口。
廃校後、跡地は『みよし交流館』『ファミリーキャンプ場』となっているようです。
いかにも正門跡っていう感じ。
おそらく、この場所に門柱が建っていたのでしょう。
校舎はとっくに解体され、現在は『みよし交流館』と言う建物が建てられ、
地域の交流の場所となっているようです。
また、敷地の一部が『滝田農村公園』となっているようです。
キャンプ場でもあるから、広い校庭跡は適度に草も生え
テントを張るにはちょうど良い?
学校跡には建てられる公民館の類いは、イメージをダブらせるのか?
はたまた、意図的に雰囲気を出すのか?
平屋建ての校舎のイメージを継承するモノが多い気がします。
もちろん、こちらの『みよし交流館』も遠目に見ると、校舎の様に見えなくもない。
目ざとく、動物のオブジェに近づく びいすけ 。
残念ながら、校庭にはこのオブジェ以外に、学校を彷彿させるものは無い。
ブランコや滑り台と言った遊具も撤去されてしまっています。
廃校の記念碑や二ノ宮像も見つからず、学校遺構もこれと言って見つからない。
この地をあとにしようと思って車に戻る途中に、近隣のご婦人に話を伺ったら
『みよし交流館』の玄関前(?)に石碑があると教えてくださいました。
慌てて、『みよし交流館』に戻ります。
こちらは、もう一つの通用口。
ひょっとしたら、こちらが本来の通学路だったかも知れません。
いかにも、この先に校門が建っていそうな雰囲気。
この道を進めば、『みよし交流館』
おそらく、校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。
『みよし交流館』の玄関。
びいすけ の背後に小さな石碑があります。
こちらが、その石碑。
申し訳無さそうに、控えめに『滝田小学校跡』の文字。
確かに滝田小学校跡の碑ですが、見た感じは庭石。
まず、一発で見つけ出すことは難しい(笑)。
お約束(?)の廃校跡の消防倉庫。
殆んど学校遺構の無かった滝田小学校跡ですが、『滝田小学校跡』の碑に出会えて良かった...............。
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2016/06/08 Wed. 00:00 |
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