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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて..........保田小学校    (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日  公休日

個人的な連休。

この日は、房総半島の廃校巡りに出かけました。

房総半島と言っても広いから、鋸南町と南房総市の廃校巡りに出かけました。


まず、その第一弾。
鋸南町の鋸南町立保田小学校となります。

昨年の12月11日に、『道の駅 保田小学校』としてオープンした施設が
廃校となった保田小学校そのものです。



保田小学校は、

明治21年      保田尋常小学校創立。
明治22年      吉浜村、大帷子村、大六村、本郷村、元名村、江月村、小保田村、
            市井原村、横根村が合併して、保田村誕生。
明治30年      保田村が町制実施、保田町となる。
明治34年      保田高等小学校創立。
明治38年      保田尋常小学校と保田高等小学校が合併して、
            保田尋常高等小学校となる。
昭和22年      学制改革により、保田町立保田小学校と改称する。
昭和34年      保田町と勝山町が合併して鋸南町となる。
            鋸南町立保田小学校と改称する。
昭和42年      鋸東小学校、吉浜小学校を統合する。
平成26年      勝山小学校と統合。
            勝山小学校の設備を使用して鋸南小学校が開校。
            保田小学校と勝山小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


元々、街道沿いに在った訳でもなく、どちらかと言えば市街地に在った保田小学校。
ただ、今は道の駅になっているから、この看板を探せば、迷わずに辿り着けます。

      20160518保田小学校01


道の駅だから、当然駐車場も完備されています。

      20160518保田小学校02

さらに、100mほど先にも臨時駐車場があるらしい。



こちらが、かつての正門。

      20160518保田小学校03



門柱も残っていて、表札も往時のまま。

      20160518保田小学校04


      20160518保田小学校05



正門付近から眺める保田小学校。

      20160518保田小学校06

かつての校庭は、いまや道の駅の駐車場。


校舎もそのまま道の駅の施設として利用する訳にもいかないので
内装は勿論、外装にもちょっぴり手を加えているようです。

      20160518保田小学校07


      20160518保田小学校08


こちらは、かつての体育館。

      20160518保田小学校09

今は、きょなん楽市と言う特産品売場。



元々この場所に在ったのか?
はたまた、移設されて来たのか?

二ノ宮像。

      20160518保田小学校10


      20160518保田小学校11


二ノ宮像の隣は、Cafe金次郎。

      20160518保田小学校12

やっぱり、作為的に移設したのかなぁ?




こちらに到着したのが午前9時前。
まだ営業しておらず、お店も開いていません。

中華料理の『3年B組』前。

      20160518保田小学校17
     
廃校とは言え、小学校だから、『3年B組』は合わないような気がします。
中学校だったら、バッチリなんだけどね。



校舎は飲食店やインフォメーションセンターとなっていますが
校舎前にはお目当ての石碑が2基在りました。


創立百年の記念碑。

      20160518保田小学校13


      20160518保田小学校14



そして、1番の探し物。
保田小学校の廃校記念碑。

      20160518保田小学校15



正面には校歌。裏面には沿革が刻まれています。

      20160518保田小学校16



道の駅の施設として、かなり手が入ってしまいましたが
何とか、学校遺構を探してみますが、遊具類などは全く無し。


正門近くのフェンス沿いの桜の木。

      20160518保田小学校18

こちらは、まさしく保田小学校の面影を残しています。


通りに出れば、桜の木には往時の看板。

      20160518保田小学校19

車道に飛び出す児童が多かったのかな?



時代の流れとでも言うべきか...............?

      20160518保田小学校20

道の駅だから、仕方がないけれど
電気自動車の充電施設も設けられています。



昨年12月に道の駅として生まれ変わった保田小学校。
廃校の有効利用が注目されている中、全国的にも珍しい活用事例であり
数少ない成功例として脚光を浴びているようですが...............


廃校ファンとしては、何かしっくりこない。
物足りないと言うか、やたらに垢抜けてしまって
廃校らしい泥臭さがなくなってしまって
個人的には面白みに欠けているような感を強く感じてしまいました。


道の駅にリニューアルされる前の保田小学校を見てみたかったなぁ...............。
せめて、1年前に訪れていれば良かったかもしれないなぁ。








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2016/05/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茅倉の滝   (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日   公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


藤倉小学校をあとにして、実家のある八王子へと向かうべく
藤原・倉掛地区より都道205号を一気に駆け下りるように走っていると、
進行方向左手に、こんな看板が目に留まった。

      20160430茅倉の滝01


檜原村では、お馴染みの滝の案内板(説明板)。
慌てて、路肩の安全なスペースに車を停めて確認します。


『 あれ? 茅倉の滝? 』

      20160430茅倉の滝02


      20160430茅倉の滝03

事前に調べた檜原村の滝情報から漏れていた?
気付かなかったなぁ。


どうやら、この都道の茅倉橋の上から眺めるだけの滝らしい。

      20160430茅倉の滝04

落差は18m。

確かに橋の上から眺めることが出来ます。

      20160430茅倉の滝05



橋から下に降りる道を探しますが、そんなモノはありません。

      20160430茅倉の滝06



沢の両側は崖になっていて、降りるのは無理。
北秋川から沢を上るのもムリっぽい。

      20160430茅倉の滝07


やっぱり橋の上から眺めるしかない。

      20160430茅倉の滝08


まぁ元々、この滝の存在そのものを意識して無かったから
茅倉の滝を眺めることが出来ただけでも良しとしなくちゃ。

帰り掛けの駄賃とは、このことなんだろう。
ちょっぴり得した気分。

檜原村には、払沢の滝を含め、有名・無名のたきが30以上あるらしい。
今日回れなかった滝も幾つかあるから、
次回は、滝巡りでじっくり時間を掛けてみよう。








2016/05/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................藤倉小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


北秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立藤倉小学校



藤倉小学校は、

明治7年檜原小学校の支校として『包蒙学校』と称して創立する。
明治23年檜原小学校より独立。
昭和33年檜原村立北檜原小学校第二分校となる。
昭和40年北檜原小学校から独立して、檜原村立藤倉小学校と改称する。
昭和61年藤倉小学校、北秋川小学校は檜原小学校に統合され、
藤倉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


檜原村の最北部。
藤原地区と倉掛地区にまたがる山奥に藤倉小学校は在りました。

この奥が藤倉小学校。

      20160430藤倉小学校01



こちらが正門。

      20160430藤倉小学校02


      20160430藤倉小学校03



門柱には、表札が残っていました。

      20160430藤倉小学校04



敷地内に入って、正面には平屋建ての校舎(?)

      20160430藤倉小学校05


猫の額のような狭い校庭。

      20160430藤倉小学校06



その校庭で転げ回る びいすけ 。

      20160430藤倉小学校07


必死に匂い付け?

      20160430藤倉小学校08


気になる匂いでもするのでしょうか?

      20160430藤倉小学校09



校庭の隅には、檜原村の廃校ではお馴染みとなった小学校跡の碑。

      20160430藤倉小学校10

『 藤倉小学校跡 』と刻まれています。


遊具類は残されていなくて、唯一残されているのは
崖のコンクリートの壁面に描かれている的(?)

      20160430藤倉小学校11

こちらにボールをぶつけて、遊んでいたのでしょう。


校庭の隅には、お約束(?)の防災倉庫。

      20160430藤倉小学校12



一段高くなった高台にも建物があるようです。

      20160430藤倉小学校13



どうやら、この石段を上がって行くようです。

      20160430藤倉小学校14


上部の建物も校舎のようです。

      20160430藤倉小学校16

ガラス越しに中を覗くと黒板や卓が有り、教室になっていました。


下の建物とは、こちらの階段で繋がっているようです。

      20160430藤倉小学校15


確か、何処かのブログで、この藤倉小学校を借りている団体が在ったようですが
現在は借りていないのでしょうか?
     

管理されている感じがしない、荒れ果てつつある校舎。

      20160430藤倉小学校17


この校舎もいずれ解体されてしまう運命にあるのだろうか?

再利用すると言っても、かなり山奥だから、難しいんだろうなぁ。
山奥に在った小さな学校って言う雰囲気が好きなんだけどなぁ...............。





2016/05/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................北秋川小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


北檜原小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立北秋川小学校



北秋川小学校は、

明治7年檜原小学校の支校として『丁々学校』と称して創立する。
明治23年檜原小学校より独立。
昭和33年檜原村立北檜原小学校第一分校となる。
昭和40年北檜原小学校から独立して、檜原村立北秋川小学校と改称する。
昭和59年北秋川小学校と北檜原小学校は檜原小学校に統合され、
北秋川小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


既に正門はありませんが、見るからに正門跡のような出入り口。

      20160430北秋川小学校01


錆びて赤茶けた看板。

      20160430北秋川小学校02

校庭内を自動車や二輪車で走り回らないで下さい と言うような内容。
かつては悪さをする若僧が多かったのか?


校舎も既に解体されて、校地は更地状態。

      20160430北秋川小学校03


      20160430北秋川小学校04


      20160430北秋川小学校05




元々はお寺の敷地の一部を学校にしたのでしょうか?
校地の隅にはお寺の本堂。

      20160430北秋川小学校06


      20160430北秋川小学校07



なぜか、本堂の前にはトラス。

      20160430北秋川小学校08

イベントか何かの会場に使われているのでしょうか?



本堂に掲げられた扁額には、『東光禅寺』と記されています。

      20160430北秋川小学校09



本堂脇の石碑。

『 北檜原小学校 北檜原中学校 跡 』の碑

      20160430北秋川小学校10

ここまでに、数馬分校、南秋川小学校、南檜原小学校、共励小学校、北檜原小学校と巡ってきたけれど
数馬分校以外は、この小学校跡の碑が建っていた。
檜原村の学校に対する思い入れ、いかに地元の人たちにとって
学校が大切なモノだったのかが計り知れます。



校庭の残る遊具類。

      20160430北秋川小学校11


      20160430北秋川小学校12


      20160430北秋川小学校13



校庭の隅には、お約束(?)の防災倉庫。

      20160430北秋川小学校14



校庭の一画は、ゲートボール場。

      20160430北秋川小学校15

これもお約束とも言える、良くあるパターンです。



しかし、こんなに広い空き地(?)をゲートボール場だけでは勿体ない気がします。

      20160430北秋川小学校16

かと言っても、他に再利用の用途も無さそうだし...............。



昔は小学校へと続く石段でしたが、
校庭を整備した時に上部を塞いでしまったので
用途が無くなってしまった石段。
かつての通学路の名残りです。

      20160430北秋川小学校17

さらに昔は、お寺(東光禅寺)にお参りする参道だったらしい。



学校跡地に、東光禅寺の本堂が建っていると言うことは
元々はお寺の所有地を借りて学校を建てていたのだろうか?
いずれにしても、この地に再び学校が建つことは
おそらく、二度と無いことだろう...............。





2016/05/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................北檜原小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


共励小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立北檜原小学校



北檜原小学校は、

明治20年      檜原小学校の小沢分室が設置される。
明治33年      檜原小学校より独立。小沢尋常小学校と称す。
昭和22年      学制改革により、檜原村立北檜原小学校と改称する。
昭和59年      北檜原小学校と南檜原小学校が檜原小学校に統合される。
            北檜原小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


こちらが、北檜原小学校の正門。

      20160430北檜原小学校01



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20160430北檜原小学校02


      20160430北檜原小学校03
      



この門柱は、昭和13年に建てられたモノのようです。

      20160430北檜原小学校22



2本ある門柱の内、左側の門柱には別な表札。

      20160430北檜原小学校04

実は、北檜原小学校は廃校後、渋谷区の施設として再活用されています。




正門から敷地内に入れば、木造校舎が視界に入ってきます。

      20160430北檜原小学校05


      20160430北檜原小学校06


渋谷区檜原自然の家 として生まれ変わった北檜原小学校。
当然、内部は改修され、外観も補修をされ(?)、今日に至っているようです。

こちらが、正面玄関。

      20160430北檜原小学校07

折しも、ゴールデンウィークで利用者が居ますので
邪魔にならないように、迷惑にならないように敷地内を見学させてもらいます。

      20160430北檜原小学校08


校舎の外周をぐるっと一回り。

      20160430北檜原小学校09


      20160430北檜原小学校10


      20160430北檜原小学校11

一部、増築した部分もあるようです。



校舎前の水飲み場。

     20160430北檜原小学校21

こちらも、作りからして小学校時代のモノ。




校庭の隅には石碑が2基。

      20160430北檜原小学校12



檜原村の廃校ではお馴染みとなった、学校跡の碑。

北檜原小学校跡 と刻まれています。

      20160430北檜原小学校13



こちらは、校舎建築の際の寄付連名の碑。

      20160430北檜原小学校14




校庭に残る遊具類。
子どもが利用する施設だから、
おそらく往時のモノを補修しながら使っているのでしょう。

      20160430北檜原小学校15


      20160430北檜原小学校16


      20160430北檜原小学校17



     20160430北檜原小学校20



先ほどの2基の石碑の脇にはシンボルツリー。

      20160430北檜原小学校18



こちらの倉庫も北檜原小学校時代のモノかもしれません。

      20160430北檜原小学校19



渋谷区が区内の住民に檜原村の自然を満喫してもらうために
住民福祉の一環で再利用されている北檜原小学校跡。
校舎もただ壊して新たな建物に建て替えるのではなく
外観を可能な限りその姿を残し、利用している運用形態に好感が持てます。

可能な限り、このままの姿を残していってくれると
個人的には嬉しい限りです。





2016/05/27 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................共励小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立共励小学校



共励小学校は、

明治7年      檜原小学校の支校として『共励学校』と称して創立する。
明治23年      檜原小学校より独立。
昭和22年     学制改革により、檜原村立共励小学校と改称する。
昭和57年      旧・檜原小学校と統合して廃校となる。
           (檜原小学校は校地移転して新設される。)

と、このような沿革となっています。


現在、共励小学校の跡地は檜原村郷土資料館となっています。

      20160430共励小学校01


校舎は解体され、郷土資料館の建物が建てられていますが
往時の校舎もこんな感じで建っていたそうです。

      20160430共励小学校02



校門へと続く上り坂。

      20160430共励小学校03

正門へと続く道は上り坂。
学校には、そんなイメージがあります。

正門には門柱はない。
代わりに桜の木が出迎えてくれます。

      20160430共励小学校05



そして、桜の木の根元にはこんなモノが...............

      20160430共励小学校13

何かの像のようですが、詳細不明。
子ども達の卒業製作のひとつでしょうか?




狭い校庭。

      20160430共励小学校04

校舎のように見える郷土資料館。
やっぱり往時の校舎もこんな感じで建っていたそうです。

     

校庭の遊具。

      20160430共励小学校14
     
と言ってもブランコのみ。

ブランコの奥に石碑が並んでいます。



こちらが、石碑群。

      20160430共励小学校06


      20160430共励小学校07



『 共励小学校跡 』の碑。

      20160430共励小学校08

まさしく、廃校の碑と言って良い。
校舎がなくても、二ノ宮像がなくても
この手の碑がぽつんと建っていれば更地でも構わない。
私にとって、この手の石碑は価値があると感じでいます。
これらの類いの碑を見るだけで、訪れた価値があると思っています。



こちらは、国民学校時代に校舎を増改築した際の
寄付された方々の名が記された石碑。

      20160430共励小学校09


      20160430共励小学校10

今まで、多くの廃校を巡り、可能な限りその廃校の沿革を調べ、
このブログに記録として記載してきました。
ただし、国民学校時代については触れないようにしています。

実は、個人的には戦争反対の立場でありますし、
日本が間違った戦争を起こしてしまったと言う考え方は否定できません。

戦時中に小学校が国民学校に改称されました。
ただ、その事実は受け止めたくないので
今までも、そして今後も各小学校の沿革では
そのことに触れません。記載いたしません。



こちらは、共励小学校の校舎建築の寄付された方々の名が刻まれた碑。

      20160430共励小学校11



『共励小学校校舎建築寄付連名』と記されています。

      20160430共励小学校12





敷地の多くは郷土資料館に供されていますが
校庭は、ゲートボール場に利用されているようです。

こちらは、その倉庫のようです。

      20160430共励小学校15


木造平屋建ての建物。
ひょっとしたら、共励小学校の時の倉庫?だったのかもしれません。
はたまた、校舎の一部だったのだろうか?

      20160430共励小学校16


二ノ宮像はありませんでしたが、共励小学校跡の碑はしっかりと残り
郷土資料館として生まれ変わった共励小学校。
この先ずっと、このままの形で残されていくのでしょう...............。












2016/05/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

四季の里   (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に出かけました。

払沢の滝を堪能(?)したあと、時刻は正午を回っていた。
ちょうどお昼だし、無料駐車場の前に、テラス席ならわんこOKのお店があったので
立ち寄ってみることにしました。

立ち寄った先は...............四季の里


      20160430四季の里01


      20160430四季の里02


      20160430四季の里03

四季の里は、地元のNPO法人が経営する、地元檜原の特産品を使った食事処です。


テラス席も3席あり、ペット同伴可能。

      20160430四季の里04


その内の1席をお借りして、お昼になります。

      20160430四季の里05



店内入り口にあった本日のひるげ。
この店の人気メニュー。
日替わりで内容が変わるみたいです。

      20160430四季の里09

当然、『ひるげ』を注文します。


わんこメニューは無いので、 待っている間に
びいすけ には、持参したオヤツで我慢してもらいましょう。


      20160430四季の里06



      20160430四季の里07


      20160430四季の里08




しばらく待って、『ひるげ』の登場です。

      20160430四季の里10


 
筍御飯。     

      20160430四季の里11



舞茸、筍、ウド(?)の天ぷら。

      20160430四季の里12



厚揚げの肉詰め。

      20160430四季の里13


のらぼう菜の辛子酢味噌がけ。

      20160430四季の里14


わらびのお浸し。

      20160430四季の里15



漬物

      20160430四季の里16



味噌汁

      20160430四季の里17


どれも美味しくて、完食。


びいすけ も筍御飯の筍をご相伴。

      20160430四季の里22



セットで頼んだドリンクはアイスコーヒー。

      20160430四季の里18

風は少しあるけど、この日は晴天。
テラス席でもアイスコーヒーが美味しく感じる季節になりました。



テラスの隅にこんな幟がはためいています。

      20160430四季の里19



檜原村はジャガイモが特産品らしく、コロッケが町興しの一環。
食べない訳にはいかないでしょう。

      20160430四季の里20



一口ガブリ。

      20160430四季の里21

ホクホクのコロッケは旨し!!


満足感に満ち溢れたお昼でありました...............。
また、食べに来ようっと!。




      



2016/05/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

払沢の滝  《日本の滝百選》 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南檜原小学校をあとにして、向かった先は................払沢の滝


日本の滝百選にも選定されている払沢の滝は、
檜原村の滝を代表する名瀑で、通 年多くの観光客が訪れるそうです。
4段の滝で構成され、4つの段を合わせると、落差は60メートル、
約50メートルの奥行を流れ落ちてくるようです。
上の方は木々に覆われて全容は見渡せませんが、
滝壺の近くから見上げる最下段の滝(26メートル)の姿は雄大で美しく、
滝壺には主(大蛇)が住んでいたという伝説も残る神秘的な滝です。

檜原村が誇る観光地だけあって、無料の駐車場も完備され
滝までの遊歩道も整備されています。


『四季の里』前の無料駐車場に車を停めて
払沢の滝までは遊歩道を1km、約10分の散策となります。


それでは、しゅっぱ〜つ!

      20160430払沢の滝01


この橋を渡ったら左。
渓谷沿いに歩いて行きます。

      20160430払沢の滝02



この先が払沢の滝へと至る遊歩道。

ウッドチップが撒かれた遊歩道は、クッションが効いて歩きやすい。


      20160430払沢の滝03


しばらく歩くと、こんな看板。

      20160430払沢の滝04



眼下の渓谷の忠助淵。

      20160430払沢の滝05



淵とは、河川の流水が緩やかで深みのある場所を意味し、
川の深み、淀みという表現もあります。

      20160430払沢の滝06

淵に対して、滝口から傾斜した岩肌などの上を滑るようにして水が流れる滝を
渓流瀑と称して、ある程度の高低差があるものを言います。
滝のある渓流には淵も多くあります。



さらに遊歩道を進むと、払沢の滝に到着です。

      20160430払沢の滝07


払沢の滝の案内板の近くの石碑。

      20160430払沢の滝08

『 ありがとう清流 水は地球の生命 』

うむ、なるほど。
思わず頷いてしまいます。


こちらが払沢の滝。

      20160430払沢の滝09

折しも、ゴールデンウィークの最中。
訪れる人も多い。

本当は、もっと下流から写真を撮りたかったんだけど
立派なカメラに三脚を立てて写真を撮っている若者が邪魔。
一向に動く気配もない。


滝壺近くも写真の順番待ち。


とりあえず、滝の前に びいすけ を立たせて、はいポーズ。

      20160430払沢の滝10



後ろで順番待ちの人たちが待機しているので
構図も関係ない。
パシャ、パシャとシャッターを押しまくります。

      20160430払沢の滝11


      20160430払沢の滝12


      20160430払沢の滝13


      20160430払沢の滝14


      20160430払沢の滝15

せわしなく、写真を撮ってつぎの人たちの邪魔にならないように
隅っこに移動します。

どちらかと言うと、平日の休みが多いから
行楽地に行っても、空いているのが多い。

滝を訪れるにしても、どちらかと言うとマイナーな滝が多いから
いつも空いていて(他に誰も居ない。)
滝壺をじっくり眺めながら、ボォ〜っとしているんだけどなぁ。
裏を返せば、メジャーな滝に訪れていないことになる(笑)。

世の中が連休の時に、メジャーな行楽地、観光地に出かけるモノじゃないですね。

紅葉の時期の平日に、空いているのを見計らって
次回は訪れることにしよう...............。




2016/05/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................南檜原小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立南檜原小学校



南檜原小学校は、

明治7年檜原小学校の支校として『克明小学校』と称して創立する。
明治23年檜原小学校より独立。
南檜原尋常小学校と改称する。
昭和22年檜原村立南檜原小学校と改称する。
昭和59年南檜原小学校と北檜原小学校が檜原小学校に統合され、
南檜原小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校から既に32年。
校舎は既に解体されています。

南檜原小学校の敷地は明治の開校以来、拡張されたようで
それなりに広い。
地元の方に話を伺ったら、
校舎の建っていた敷地に狭い道を挟んで校庭と体育館のある敷地に分かれていたようです。

檜原街道の南郷の信号のある場所から旧道に降りたところが南檜原小学校。

旧道からの小学校入口。

      20160430南檜原小学校01

こちらに、正門があったのかは不明。
別な場所に石造りの古い門が建っているので、
ひょっとしたら、そちらに移設したのかもしれません。


やはり、檜原村は林業の村。
かつての校舎跡は、木材置場なっています。




おそらく、こちらが正規の正門ではなかったのだろうか?
旧道から石段を上れば校舎に続いている。
まさに、そんな感じの造りだったんじゃないのかな?

      20160430南檜原小学校02



校舎の在ったエリア。
ちょうどトラックのある辺りに校舎が建っていたらしい。

      20160430南檜原小学校03



桜の木が学校跡の雰囲気を醸し出してくれます。

      20160430南檜原小学校04


      20160430南檜原小学校05



先ほどの石段の脇、廃材に埋もれているかのように
ひっそりと建っている石碑。

      20160430南檜原小学校06



『 南檜原小学校跡 』の碑。

      20160430南檜原小学校07

願わくば、廃材を碑の前に置かないで欲しいなぁ。
せっかくの石碑なのに...............


こちらは、別な場所に建つ石碑。

      20160430南檜原小学校08

校舎の建築記念碑。
こちらも寄付をされた方々の名が刻まれています。


昭和52年の卒業製作品。
富士山のようですね。

      20160430南檜原小学校09



こちらが、グランド(校庭)と体育館の在ったエリア。

      20160430南檜原小学校10

石造りの古い門が建っています。


門扉もフェンスも32年以上前のモノには見えない。

      20160430南檜原小学校11

実は、南檜原小学校跡地の一部は南郷コミュニティセンターとして活用されています。
コミュニティセンターとして整備した際に門扉やフェンスを設置し、
南檜原小学校の門柱を再利用したのではないのかな?



正面に見えるのが南郷コミュニティセンター。

      20160430南檜原小学校12



ちょうど体育館の在った場所に建てられたそうです。

      20160430南檜原小学校13



校庭(グランド)は、それなりに広い。

      20160430南檜原小学校14


      20160430南檜原小学校15


      20160430南檜原小学校16


      20160430南檜原小学校17




校庭に残る遊具類。

この古さは、おそらく往時のモノでしょう。

      20160430南檜原小学校18


      20160430南檜原小学校19


      20160430南檜原小学校20



錆び加減が時代を感じさせてくれるローラー。

      20160430南檜原小学校21





朝礼台もいい感じで錆びついている。

      20160430南檜原小学校22

この錆び付き加減が廃校遺構を感じさせてくれます。



こんなモノを見つけました。

      20160430南檜原小学校23

檜原街道から直接校内に入ってこれる滑り台。
子どもたちはココから校内に入って来たのかなぁ?(笑)



そして、滑り台の降り口の脇には土管のトンネル。

      20160430南檜原小学校24

遊び心が満載。
楽しそうな小学校だったみたいです。







おまけ。

石造り門柱の向かいには木造の古い建物。

      20160430南檜原小学校25



こちらは、南檜原保育園跡。

      20160430南檜原小学校26


こちらも既に廃園。

      20160430南檜原小学校27


元々、人口の多くない東京都の山間部。
過疎化も進んでいるけれど、本当に子どもが居ないんだなぁ...............





2016/05/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................南秋川小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村の廃校&滝巡りに出かけました。


龍神の滝をあとにして、向かった先は...............檜原村立南秋川小学校



南秋川小学校は、
明治7年      檜原小学校の誠意学校として開校する。
明治23年      檜原小学校より独立して、人里尋常小学校と改称する。
明治44年     南檜原尋常小学校に統合され、
           南檜原尋常小学校人里分教場と改称する。
昭和22年     檜原村立南檜原小学校人里分校と改称する。
昭和40年     南檜原小学校より独立して、檜原村立南秋川小学校と改称する。
昭和59年12月  火災で校舎を焼失する。

当初、昭和61年の予定だったのを1年繰り上げ、
昭和60年     檜原小学校に統合され、校舎無きまま廃校となる。
 
と、このような沿革となっています。



檜原街道沿いの人里(へんぼり)地区の玉傳寺の隣に広い更地があります。
敷地の一画には人里コミュニティセンターが建っています。
この広場が南秋川小学校の跡地になります。



      20160430南秋川小学校04

びいすけ の背後に見える建物が人里コミュニティセンター。

『人里』と書いて『へんぼり』と読む。
やっぱり日本語は難しい。





沿革でも触れましたが、昭和59年に火災で校舎が消失してしまい
校舎が無いまま、廃校となってしまいました。
即ち、廃校時には既に校舎が無かったという事です。


隣接する玉傳寺の方に話を伺ったら、校舎はちょっとした高台に在ったそうです。

      20160430南秋川小学校07




校舎の在った場所に移動してみましょう。     

      20160430南秋川小学校01



現在は、薪置場。

      20160430南秋川小学校02

さすが、林業の町。(正確には村だけど...............)
檜原村は林業の町なんだなぁと実感します。 


そして、こちらにも防災倉庫。
    
      20160430南秋川小学校03

廃校跡地が避難所なったり、防災倉庫置場になったり
消防倉庫が設置されたりするのは多い。



一段下がった広場は校庭跡。
      
      20160430南秋川小学校06


      20160430南秋川小学校05


      
校庭跡から校舎の在った高台を眺めてみます。


確かに、校舎が建っていたら学校に見えます。

      20160430南秋川小学校08



校舎が無くても、何となく雰囲気は感じ取れそうです。

      20160430南秋川小学校09

石段が校舎の玄関(出入り口)へと続いていたんでしょうね。



校庭跡の隅には、石碑が3基並んでいます。

      20160430南秋川小学校10



『 北秋川小学校 北秋川中学校 跡 』の碑。

      20160430南秋川小学校11

紛れもなく、学校跡であった証し。
中学校が敷地内に併設されていたんですね。
南秋川中学校は、昭和61年に統合されて廃校になったようです。


『 紀念 』と刻まれた碑。

      20160430南秋川小学校12

『 記念 』の間違いじゃない?(笑)

南檜原小学校の人里分校時の校舎建設の記念碑。
寄付をされた方々の名が刻まれています。



こちらは、南檜原尋常小学校の分教場時代の記念碑。

      20160430南秋川小学校13

ほとんど碑文は読めませんが、やはり校舎建設時の記念碑。
寄付をされた方々の名が刻まれているようです。




校庭跡に残る遊具類。

      20160430南秋川小学校14


      20160430南秋川小学校15


      20160430南秋川小学校16



校庭跡の一画は、ゲートボール場になっています。

      20160430南秋川小学校17



廃校から31年。
火災が無かったとしても、31年後の今では校舎は解体されていたかもしれない。

校舎も無いし、二ノ宮像は無かったけれど
学校跡の碑があったから良かったことにしよう...............。




2016/05/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit