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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて..........保田小学校    (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日  公休日

個人的な連休。

この日は、房総半島の廃校巡りに出かけました。

房総半島と言っても広いから、鋸南町と南房総市の廃校巡りに出かけました。


まず、その第一弾。
鋸南町の鋸南町立保田小学校となります。

昨年の12月11日に、『道の駅 保田小学校』としてオープンした施設が
廃校となった保田小学校そのものです。



保田小学校は、

明治21年      保田尋常小学校創立。
明治22年      吉浜村、大帷子村、大六村、本郷村、元名村、江月村、小保田村、
            市井原村、横根村が合併して、保田村誕生。
明治30年      保田村が町制実施、保田町となる。
明治34年      保田高等小学校創立。
明治38年      保田尋常小学校と保田高等小学校が合併して、
            保田尋常高等小学校となる。
昭和22年      学制改革により、保田町立保田小学校と改称する。
昭和34年      保田町と勝山町が合併して鋸南町となる。
            鋸南町立保田小学校と改称する。
昭和42年      鋸東小学校、吉浜小学校を統合する。
平成26年      勝山小学校と統合。
            勝山小学校の設備を使用して鋸南小学校が開校。
            保田小学校と勝山小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


元々、街道沿いに在った訳でもなく、どちらかと言えば市街地に在った保田小学校。
ただ、今は道の駅になっているから、この看板を探せば、迷わずに辿り着けます。

      20160518保田小学校01


道の駅だから、当然駐車場も完備されています。

      20160518保田小学校02

さらに、100mほど先にも臨時駐車場があるらしい。



こちらが、かつての正門。

      20160518保田小学校03



門柱も残っていて、表札も往時のまま。

      20160518保田小学校04


      20160518保田小学校05



正門付近から眺める保田小学校。

      20160518保田小学校06

かつての校庭は、いまや道の駅の駐車場。


校舎もそのまま道の駅の施設として利用する訳にもいかないので
内装は勿論、外装にもちょっぴり手を加えているようです。

      20160518保田小学校07


      20160518保田小学校08


こちらは、かつての体育館。

      20160518保田小学校09

今は、きょなん楽市と言う特産品売場。



元々この場所に在ったのか?
はたまた、移設されて来たのか?

二ノ宮像。

      20160518保田小学校10


      20160518保田小学校11


二ノ宮像の隣は、Cafe金次郎。

      20160518保田小学校12

やっぱり、作為的に移設したのかなぁ?




こちらに到着したのが午前9時前。
まだ営業しておらず、お店も開いていません。

中華料理の『3年B組』前。

      20160518保田小学校17
     
廃校とは言え、小学校だから、『3年B組』は合わないような気がします。
中学校だったら、バッチリなんだけどね。



校舎は飲食店やインフォメーションセンターとなっていますが
校舎前にはお目当ての石碑が2基在りました。


創立百年の記念碑。

      20160518保田小学校13


      20160518保田小学校14



そして、1番の探し物。
保田小学校の廃校記念碑。

      20160518保田小学校15



正面には校歌。裏面には沿革が刻まれています。

      20160518保田小学校16



道の駅の施設として、かなり手が入ってしまいましたが
何とか、学校遺構を探してみますが、遊具類などは全く無し。


正門近くのフェンス沿いの桜の木。

      20160518保田小学校18

こちらは、まさしく保田小学校の面影を残しています。


通りに出れば、桜の木には往時の看板。

      20160518保田小学校19

車道に飛び出す児童が多かったのかな?



時代の流れとでも言うべきか...............?

      20160518保田小学校20

道の駅だから、仕方がないけれど
電気自動車の充電施設も設けられています。



昨年12月に道の駅として生まれ変わった保田小学校。
廃校の有効利用が注目されている中、全国的にも珍しい活用事例であり
数少ない成功例として脚光を浴びているようですが...............


廃校ファンとしては、何かしっくりこない。
物足りないと言うか、やたらに垢抜けてしまって
廃校らしい泥臭さがなくなってしまって
個人的には面白みに欠けているような感を強く感じてしまいました。


道の駅にリニューアルされる前の保田小学校を見てみたかったなぁ...............。
せめて、1年前に訪れていれば良かったかもしれないなぁ。








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2016/05/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茅倉の滝   (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日   公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


藤倉小学校をあとにして、実家のある八王子へと向かうべく
藤原・倉掛地区より都道205号を一気に駆け下りるように走っていると、
進行方向左手に、こんな看板が目に留まった。

      20160430茅倉の滝01


檜原村では、お馴染みの滝の案内板(説明板)。
慌てて、路肩の安全なスペースに車を停めて確認します。


『 あれ? 茅倉の滝? 』

      20160430茅倉の滝02


      20160430茅倉の滝03

事前に調べた檜原村の滝情報から漏れていた?
気付かなかったなぁ。


どうやら、この都道の茅倉橋の上から眺めるだけの滝らしい。

      20160430茅倉の滝04

落差は18m。

確かに橋の上から眺めることが出来ます。

      20160430茅倉の滝05



橋から下に降りる道を探しますが、そんなモノはありません。

      20160430茅倉の滝06



沢の両側は崖になっていて、降りるのは無理。
北秋川から沢を上るのもムリっぽい。

      20160430茅倉の滝07


やっぱり橋の上から眺めるしかない。

      20160430茅倉の滝08


まぁ元々、この滝の存在そのものを意識して無かったから
茅倉の滝を眺めることが出来ただけでも良しとしなくちゃ。

帰り掛けの駄賃とは、このことなんだろう。
ちょっぴり得した気分。

檜原村には、払沢の滝を含め、有名・無名のたきが30以上あるらしい。
今日回れなかった滝も幾つかあるから、
次回は、滝巡りでじっくり時間を掛けてみよう。








2016/05/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................藤倉小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


北秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立藤倉小学校



藤倉小学校は、

明治7年檜原小学校の支校として『包蒙学校』と称して創立する。
明治23年檜原小学校より独立。
昭和33年檜原村立北檜原小学校第二分校となる。
昭和40年北檜原小学校から独立して、檜原村立藤倉小学校と改称する。
昭和61年藤倉小学校、北秋川小学校は檜原小学校に統合され、
藤倉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


檜原村の最北部。
藤原地区と倉掛地区にまたがる山奥に藤倉小学校は在りました。

この奥が藤倉小学校。

      20160430藤倉小学校01



こちらが正門。

      20160430藤倉小学校02


      20160430藤倉小学校03



門柱には、表札が残っていました。

      20160430藤倉小学校04



敷地内に入って、正面には平屋建ての校舎(?)

      20160430藤倉小学校05


猫の額のような狭い校庭。

      20160430藤倉小学校06



その校庭で転げ回る びいすけ 。

      20160430藤倉小学校07


必死に匂い付け?

      20160430藤倉小学校08


気になる匂いでもするのでしょうか?

      20160430藤倉小学校09



校庭の隅には、檜原村の廃校ではお馴染みとなった小学校跡の碑。

      20160430藤倉小学校10

『 藤倉小学校跡 』と刻まれています。


遊具類は残されていなくて、唯一残されているのは
崖のコンクリートの壁面に描かれている的(?)

      20160430藤倉小学校11

こちらにボールをぶつけて、遊んでいたのでしょう。


校庭の隅には、お約束(?)の防災倉庫。

      20160430藤倉小学校12



一段高くなった高台にも建物があるようです。

      20160430藤倉小学校13



どうやら、この石段を上がって行くようです。

      20160430藤倉小学校14


上部の建物も校舎のようです。

      20160430藤倉小学校16

ガラス越しに中を覗くと黒板や卓が有り、教室になっていました。


下の建物とは、こちらの階段で繋がっているようです。

      20160430藤倉小学校15


確か、何処かのブログで、この藤倉小学校を借りている団体が在ったようですが
現在は借りていないのでしょうか?
     

管理されている感じがしない、荒れ果てつつある校舎。

      20160430藤倉小学校17


この校舎もいずれ解体されてしまう運命にあるのだろうか?

再利用すると言っても、かなり山奥だから、難しいんだろうなぁ。
山奥に在った小さな学校って言う雰囲気が好きなんだけどなぁ...............。





2016/05/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................北秋川小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


北檜原小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立北秋川小学校



北秋川小学校は、

明治7年檜原小学校の支校として『丁々学校』と称して創立する。
明治23年檜原小学校より独立。
昭和33年檜原村立北檜原小学校第一分校となる。
昭和40年北檜原小学校から独立して、檜原村立北秋川小学校と改称する。
昭和59年北秋川小学校と北檜原小学校は檜原小学校に統合され、
北秋川小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


既に正門はありませんが、見るからに正門跡のような出入り口。

      20160430北秋川小学校01


錆びて赤茶けた看板。

      20160430北秋川小学校02

校庭内を自動車や二輪車で走り回らないで下さい と言うような内容。
かつては悪さをする若僧が多かったのか?


校舎も既に解体されて、校地は更地状態。

      20160430北秋川小学校03


      20160430北秋川小学校04


      20160430北秋川小学校05




元々はお寺の敷地の一部を学校にしたのでしょうか?
校地の隅にはお寺の本堂。

      20160430北秋川小学校06


      20160430北秋川小学校07



なぜか、本堂の前にはトラス。

      20160430北秋川小学校08

イベントか何かの会場に使われているのでしょうか?



本堂に掲げられた扁額には、『東光禅寺』と記されています。

      20160430北秋川小学校09



本堂脇の石碑。

『 北檜原小学校 北檜原中学校 跡 』の碑

      20160430北秋川小学校10

ここまでに、数馬分校、南秋川小学校、南檜原小学校、共励小学校、北檜原小学校と巡ってきたけれど
数馬分校以外は、この小学校跡の碑が建っていた。
檜原村の学校に対する思い入れ、いかに地元の人たちにとって
学校が大切なモノだったのかが計り知れます。



校庭の残る遊具類。

      20160430北秋川小学校11


      20160430北秋川小学校12


      20160430北秋川小学校13



校庭の隅には、お約束(?)の防災倉庫。

      20160430北秋川小学校14



校庭の一画は、ゲートボール場。

      20160430北秋川小学校15

これもお約束とも言える、良くあるパターンです。



しかし、こんなに広い空き地(?)をゲートボール場だけでは勿体ない気がします。

      20160430北秋川小学校16

かと言っても、他に再利用の用途も無さそうだし...............。



昔は小学校へと続く石段でしたが、
校庭を整備した時に上部を塞いでしまったので
用途が無くなってしまった石段。
かつての通学路の名残りです。

      20160430北秋川小学校17

さらに昔は、お寺(東光禅寺)にお参りする参道だったらしい。



学校跡地に、東光禅寺の本堂が建っていると言うことは
元々はお寺の所有地を借りて学校を建てていたのだろうか?
いずれにしても、この地に再び学校が建つことは
おそらく、二度と無いことだろう...............。





2016/05/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................北檜原小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


共励小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立北檜原小学校



北檜原小学校は、

明治20年      檜原小学校の小沢分室が設置される。
明治33年      檜原小学校より独立。小沢尋常小学校と称す。
昭和22年      学制改革により、檜原村立北檜原小学校と改称する。
昭和59年      北檜原小学校と南檜原小学校が檜原小学校に統合される。
            北檜原小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


こちらが、北檜原小学校の正門。

      20160430北檜原小学校01



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20160430北檜原小学校02


      20160430北檜原小学校03
      



この門柱は、昭和13年に建てられたモノのようです。

      20160430北檜原小学校22



2本ある門柱の内、左側の門柱には別な表札。

      20160430北檜原小学校04

実は、北檜原小学校は廃校後、渋谷区の施設として再活用されています。




正門から敷地内に入れば、木造校舎が視界に入ってきます。

      20160430北檜原小学校05


      20160430北檜原小学校06


渋谷区檜原自然の家 として生まれ変わった北檜原小学校。
当然、内部は改修され、外観も補修をされ(?)、今日に至っているようです。

こちらが、正面玄関。

      20160430北檜原小学校07

折しも、ゴールデンウィークで利用者が居ますので
邪魔にならないように、迷惑にならないように敷地内を見学させてもらいます。

      20160430北檜原小学校08


校舎の外周をぐるっと一回り。

      20160430北檜原小学校09


      20160430北檜原小学校10


      20160430北檜原小学校11

一部、増築した部分もあるようです。



校舎前の水飲み場。

     20160430北檜原小学校21

こちらも、作りからして小学校時代のモノ。




校庭の隅には石碑が2基。

      20160430北檜原小学校12



檜原村の廃校ではお馴染みとなった、学校跡の碑。

北檜原小学校跡 と刻まれています。

      20160430北檜原小学校13



こちらは、校舎建築の際の寄付連名の碑。

      20160430北檜原小学校14




校庭に残る遊具類。
子どもが利用する施設だから、
おそらく往時のモノを補修しながら使っているのでしょう。

      20160430北檜原小学校15


      20160430北檜原小学校16


      20160430北檜原小学校17



     20160430北檜原小学校20



先ほどの2基の石碑の脇にはシンボルツリー。

      20160430北檜原小学校18



こちらの倉庫も北檜原小学校時代のモノかもしれません。

      20160430北檜原小学校19



渋谷区が区内の住民に檜原村の自然を満喫してもらうために
住民福祉の一環で再利用されている北檜原小学校跡。
校舎もただ壊して新たな建物に建て替えるのではなく
外観を可能な限りその姿を残し、利用している運用形態に好感が持てます。

可能な限り、このままの姿を残していってくれると
個人的には嬉しい限りです。





2016/05/27 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................共励小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立共励小学校



共励小学校は、

明治7年      檜原小学校の支校として『共励学校』と称して創立する。
明治23年      檜原小学校より独立。
昭和22年     学制改革により、檜原村立共励小学校と改称する。
昭和57年      旧・檜原小学校と統合して廃校となる。
           (檜原小学校は校地移転して新設される。)

と、このような沿革となっています。


現在、共励小学校の跡地は檜原村郷土資料館となっています。

      20160430共励小学校01


校舎は解体され、郷土資料館の建物が建てられていますが
往時の校舎もこんな感じで建っていたそうです。

      20160430共励小学校02



校門へと続く上り坂。

      20160430共励小学校03

正門へと続く道は上り坂。
学校には、そんなイメージがあります。

正門には門柱はない。
代わりに桜の木が出迎えてくれます。

      20160430共励小学校05



そして、桜の木の根元にはこんなモノが...............

      20160430共励小学校13

何かの像のようですが、詳細不明。
子ども達の卒業製作のひとつでしょうか?




狭い校庭。

      20160430共励小学校04

校舎のように見える郷土資料館。
やっぱり往時の校舎もこんな感じで建っていたそうです。

     

校庭の遊具。

      20160430共励小学校14
     
と言ってもブランコのみ。

ブランコの奥に石碑が並んでいます。



こちらが、石碑群。

      20160430共励小学校06


      20160430共励小学校07



『 共励小学校跡 』の碑。

      20160430共励小学校08

まさしく、廃校の碑と言って良い。
校舎がなくても、二ノ宮像がなくても
この手の碑がぽつんと建っていれば更地でも構わない。
私にとって、この手の石碑は価値があると感じでいます。
これらの類いの碑を見るだけで、訪れた価値があると思っています。



こちらは、国民学校時代に校舎を増改築した際の
寄付された方々の名が記された石碑。

      20160430共励小学校09


      20160430共励小学校10

今まで、多くの廃校を巡り、可能な限りその廃校の沿革を調べ、
このブログに記録として記載してきました。
ただし、国民学校時代については触れないようにしています。

実は、個人的には戦争反対の立場でありますし、
日本が間違った戦争を起こしてしまったと言う考え方は否定できません。

戦時中に小学校が国民学校に改称されました。
ただ、その事実は受け止めたくないので
今までも、そして今後も各小学校の沿革では
そのことに触れません。記載いたしません。



こちらは、共励小学校の校舎建築の寄付された方々の名が刻まれた碑。

      20160430共励小学校11



『共励小学校校舎建築寄付連名』と記されています。

      20160430共励小学校12





敷地の多くは郷土資料館に供されていますが
校庭は、ゲートボール場に利用されているようです。

こちらは、その倉庫のようです。

      20160430共励小学校15


木造平屋建ての建物。
ひょっとしたら、共励小学校の時の倉庫?だったのかもしれません。
はたまた、校舎の一部だったのだろうか?

      20160430共励小学校16


二ノ宮像はありませんでしたが、共励小学校跡の碑はしっかりと残り
郷土資料館として生まれ変わった共励小学校。
この先ずっと、このままの形で残されていくのでしょう...............。












2016/05/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

四季の里   (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日  公休日

この日は、檜原村に出かけました。

払沢の滝を堪能(?)したあと、時刻は正午を回っていた。
ちょうどお昼だし、無料駐車場の前に、テラス席ならわんこOKのお店があったので
立ち寄ってみることにしました。

立ち寄った先は...............四季の里


      20160430四季の里01


      20160430四季の里02


      20160430四季の里03

四季の里は、地元のNPO法人が経営する、地元檜原の特産品を使った食事処です。


テラス席も3席あり、ペット同伴可能。

      20160430四季の里04


その内の1席をお借りして、お昼になります。

      20160430四季の里05



店内入り口にあった本日のひるげ。
この店の人気メニュー。
日替わりで内容が変わるみたいです。

      20160430四季の里09

当然、『ひるげ』を注文します。


わんこメニューは無いので、 待っている間に
びいすけ には、持参したオヤツで我慢してもらいましょう。


      20160430四季の里06



      20160430四季の里07


      20160430四季の里08




しばらく待って、『ひるげ』の登場です。

      20160430四季の里10


 
筍御飯。     

      20160430四季の里11



舞茸、筍、ウド(?)の天ぷら。

      20160430四季の里12



厚揚げの肉詰め。

      20160430四季の里13


のらぼう菜の辛子酢味噌がけ。

      20160430四季の里14


わらびのお浸し。

      20160430四季の里15



漬物

      20160430四季の里16



味噌汁

      20160430四季の里17


どれも美味しくて、完食。


びいすけ も筍御飯の筍をご相伴。

      20160430四季の里22



セットで頼んだドリンクはアイスコーヒー。

      20160430四季の里18

風は少しあるけど、この日は晴天。
テラス席でもアイスコーヒーが美味しく感じる季節になりました。



テラスの隅にこんな幟がはためいています。

      20160430四季の里19



檜原村はジャガイモが特産品らしく、コロッケが町興しの一環。
食べない訳にはいかないでしょう。

      20160430四季の里20



一口ガブリ。

      20160430四季の里21

ホクホクのコロッケは旨し!!


満足感に満ち溢れたお昼でありました...............。
また、食べに来ようっと!。




      



2016/05/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

払沢の滝  《日本の滝百選》 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南檜原小学校をあとにして、向かった先は................払沢の滝


日本の滝百選にも選定されている払沢の滝は、
檜原村の滝を代表する名瀑で、通 年多くの観光客が訪れるそうです。
4段の滝で構成され、4つの段を合わせると、落差は60メートル、
約50メートルの奥行を流れ落ちてくるようです。
上の方は木々に覆われて全容は見渡せませんが、
滝壺の近くから見上げる最下段の滝(26メートル)の姿は雄大で美しく、
滝壺には主(大蛇)が住んでいたという伝説も残る神秘的な滝です。

檜原村が誇る観光地だけあって、無料の駐車場も完備され
滝までの遊歩道も整備されています。


『四季の里』前の無料駐車場に車を停めて
払沢の滝までは遊歩道を1km、約10分の散策となります。


それでは、しゅっぱ〜つ!

      20160430払沢の滝01


この橋を渡ったら左。
渓谷沿いに歩いて行きます。

      20160430払沢の滝02



この先が払沢の滝へと至る遊歩道。

ウッドチップが撒かれた遊歩道は、クッションが効いて歩きやすい。


      20160430払沢の滝03


しばらく歩くと、こんな看板。

      20160430払沢の滝04



眼下の渓谷の忠助淵。

      20160430払沢の滝05



淵とは、河川の流水が緩やかで深みのある場所を意味し、
川の深み、淀みという表現もあります。

      20160430払沢の滝06

淵に対して、滝口から傾斜した岩肌などの上を滑るようにして水が流れる滝を
渓流瀑と称して、ある程度の高低差があるものを言います。
滝のある渓流には淵も多くあります。



さらに遊歩道を進むと、払沢の滝に到着です。

      20160430払沢の滝07


払沢の滝の案内板の近くの石碑。

      20160430払沢の滝08

『 ありがとう清流 水は地球の生命 』

うむ、なるほど。
思わず頷いてしまいます。


こちらが払沢の滝。

      20160430払沢の滝09

折しも、ゴールデンウィークの最中。
訪れる人も多い。

本当は、もっと下流から写真を撮りたかったんだけど
立派なカメラに三脚を立てて写真を撮っている若者が邪魔。
一向に動く気配もない。


滝壺近くも写真の順番待ち。


とりあえず、滝の前に びいすけ を立たせて、はいポーズ。

      20160430払沢の滝10



後ろで順番待ちの人たちが待機しているので
構図も関係ない。
パシャ、パシャとシャッターを押しまくります。

      20160430払沢の滝11


      20160430払沢の滝12


      20160430払沢の滝13


      20160430払沢の滝14


      20160430払沢の滝15

せわしなく、写真を撮ってつぎの人たちの邪魔にならないように
隅っこに移動します。

どちらかと言うと、平日の休みが多いから
行楽地に行っても、空いているのが多い。

滝を訪れるにしても、どちらかと言うとマイナーな滝が多いから
いつも空いていて(他に誰も居ない。)
滝壺をじっくり眺めながら、ボォ〜っとしているんだけどなぁ。
裏を返せば、メジャーな滝に訪れていないことになる(笑)。

世の中が連休の時に、メジャーな行楽地、観光地に出かけるモノじゃないですね。

紅葉の時期の平日に、空いているのを見計らって
次回は訪れることにしよう...............。




2016/05/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................南檜原小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


南秋川小学校をあとにして、向かった先は...............檜原村立南檜原小学校



南檜原小学校は、

明治7年檜原小学校の支校として『克明小学校』と称して創立する。
明治23年檜原小学校より独立。
南檜原尋常小学校と改称する。
昭和22年檜原村立南檜原小学校と改称する。
昭和59年南檜原小学校と北檜原小学校が檜原小学校に統合され、
南檜原小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校から既に32年。
校舎は既に解体されています。

南檜原小学校の敷地は明治の開校以来、拡張されたようで
それなりに広い。
地元の方に話を伺ったら、
校舎の建っていた敷地に狭い道を挟んで校庭と体育館のある敷地に分かれていたようです。

檜原街道の南郷の信号のある場所から旧道に降りたところが南檜原小学校。

旧道からの小学校入口。

      20160430南檜原小学校01

こちらに、正門があったのかは不明。
別な場所に石造りの古い門が建っているので、
ひょっとしたら、そちらに移設したのかもしれません。


やはり、檜原村は林業の村。
かつての校舎跡は、木材置場なっています。




おそらく、こちらが正規の正門ではなかったのだろうか?
旧道から石段を上れば校舎に続いている。
まさに、そんな感じの造りだったんじゃないのかな?

      20160430南檜原小学校02



校舎の在ったエリア。
ちょうどトラックのある辺りに校舎が建っていたらしい。

      20160430南檜原小学校03



桜の木が学校跡の雰囲気を醸し出してくれます。

      20160430南檜原小学校04


      20160430南檜原小学校05



先ほどの石段の脇、廃材に埋もれているかのように
ひっそりと建っている石碑。

      20160430南檜原小学校06



『 南檜原小学校跡 』の碑。

      20160430南檜原小学校07

願わくば、廃材を碑の前に置かないで欲しいなぁ。
せっかくの石碑なのに...............


こちらは、別な場所に建つ石碑。

      20160430南檜原小学校08

校舎の建築記念碑。
こちらも寄付をされた方々の名が刻まれています。


昭和52年の卒業製作品。
富士山のようですね。

      20160430南檜原小学校09



こちらが、グランド(校庭)と体育館の在ったエリア。

      20160430南檜原小学校10

石造りの古い門が建っています。


門扉もフェンスも32年以上前のモノには見えない。

      20160430南檜原小学校11

実は、南檜原小学校跡地の一部は南郷コミュニティセンターとして活用されています。
コミュニティセンターとして整備した際に門扉やフェンスを設置し、
南檜原小学校の門柱を再利用したのではないのかな?



正面に見えるのが南郷コミュニティセンター。

      20160430南檜原小学校12



ちょうど体育館の在った場所に建てられたそうです。

      20160430南檜原小学校13



校庭(グランド)は、それなりに広い。

      20160430南檜原小学校14


      20160430南檜原小学校15


      20160430南檜原小学校16


      20160430南檜原小学校17




校庭に残る遊具類。

この古さは、おそらく往時のモノでしょう。

      20160430南檜原小学校18


      20160430南檜原小学校19


      20160430南檜原小学校20



錆び加減が時代を感じさせてくれるローラー。

      20160430南檜原小学校21





朝礼台もいい感じで錆びついている。

      20160430南檜原小学校22

この錆び付き加減が廃校遺構を感じさせてくれます。



こんなモノを見つけました。

      20160430南檜原小学校23

檜原街道から直接校内に入ってこれる滑り台。
子どもたちはココから校内に入って来たのかなぁ?(笑)



そして、滑り台の降り口の脇には土管のトンネル。

      20160430南檜原小学校24

遊び心が満載。
楽しそうな小学校だったみたいです。







おまけ。

石造り門柱の向かいには木造の古い建物。

      20160430南檜原小学校25



こちらは、南檜原保育園跡。

      20160430南檜原小学校26


こちらも既に廃園。

      20160430南檜原小学校27


元々、人口の多くない東京都の山間部。
過疎化も進んでいるけれど、本当に子どもが居ないんだなぁ...............





2016/05/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................南秋川小学校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村の廃校&滝巡りに出かけました。


龍神の滝をあとにして、向かった先は...............檜原村立南秋川小学校



南秋川小学校は、
明治7年      檜原小学校の誠意学校として開校する。
明治23年      檜原小学校より独立して、人里尋常小学校と改称する。
明治44年     南檜原尋常小学校に統合され、
           南檜原尋常小学校人里分教場と改称する。
昭和22年     檜原村立南檜原小学校人里分校と改称する。
昭和40年     南檜原小学校より独立して、檜原村立南秋川小学校と改称する。
昭和59年12月  火災で校舎を焼失する。

当初、昭和61年の予定だったのを1年繰り上げ、
昭和60年     檜原小学校に統合され、校舎無きまま廃校となる。
 
と、このような沿革となっています。



檜原街道沿いの人里(へんぼり)地区の玉傳寺の隣に広い更地があります。
敷地の一画には人里コミュニティセンターが建っています。
この広場が南秋川小学校の跡地になります。



      20160430南秋川小学校04

びいすけ の背後に見える建物が人里コミュニティセンター。

『人里』と書いて『へんぼり』と読む。
やっぱり日本語は難しい。





沿革でも触れましたが、昭和59年に火災で校舎が消失してしまい
校舎が無いまま、廃校となってしまいました。
即ち、廃校時には既に校舎が無かったという事です。


隣接する玉傳寺の方に話を伺ったら、校舎はちょっとした高台に在ったそうです。

      20160430南秋川小学校07




校舎の在った場所に移動してみましょう。     

      20160430南秋川小学校01



現在は、薪置場。

      20160430南秋川小学校02

さすが、林業の町。(正確には村だけど...............)
檜原村は林業の町なんだなぁと実感します。 


そして、こちらにも防災倉庫。
    
      20160430南秋川小学校03

廃校跡地が避難所なったり、防災倉庫置場になったり
消防倉庫が設置されたりするのは多い。



一段下がった広場は校庭跡。
      
      20160430南秋川小学校06


      20160430南秋川小学校05


      
校庭跡から校舎の在った高台を眺めてみます。


確かに、校舎が建っていたら学校に見えます。

      20160430南秋川小学校08



校舎が無くても、何となく雰囲気は感じ取れそうです。

      20160430南秋川小学校09

石段が校舎の玄関(出入り口)へと続いていたんでしょうね。



校庭跡の隅には、石碑が3基並んでいます。

      20160430南秋川小学校10



『 北秋川小学校 北秋川中学校 跡 』の碑。

      20160430南秋川小学校11

紛れもなく、学校跡であった証し。
中学校が敷地内に併設されていたんですね。
南秋川中学校は、昭和61年に統合されて廃校になったようです。


『 紀念 』と刻まれた碑。

      20160430南秋川小学校12

『 記念 』の間違いじゃない?(笑)

南檜原小学校の人里分校時の校舎建設の記念碑。
寄付をされた方々の名が刻まれています。



こちらは、南檜原尋常小学校の分教場時代の記念碑。

      20160430南秋川小学校13

ほとんど碑文は読めませんが、やはり校舎建設時の記念碑。
寄付をされた方々の名が刻まれているようです。




校庭跡に残る遊具類。

      20160430南秋川小学校14


      20160430南秋川小学校15


      20160430南秋川小学校16



校庭跡の一画は、ゲートボール場になっています。

      20160430南秋川小学校17



廃校から31年。
火災が無かったとしても、31年後の今では校舎は解体されていたかもしれない。

校舎も無いし、二ノ宮像は無かったけれど
学校跡の碑があったから良かったことにしよう...............。




2016/05/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

龍神の滝 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村へ廃校・滝巡りに出かけました。

夢の滝をあとにして、向かった先は...............龍神の滝



龍神の滝は、その昔、雑木と原野だったために動物も豊富で、水量も多く、
深い滝壺があったそうです。
滝壺付近によくムジナが現れたことから「ムジナの滝」と呼ばれていたそうです。
あるとき三頭山に住む大蛇が川を下って現れ、滝の上で遊ぶ動物たちに目をつけました。
それから大蛇は滝壺に潜んで上で遊ぶ動物たちを狙い、
一気に立ち登っては動物をくわえて滝壺に引き込んだそうです。
その姿がまるで龍のように見えたことから、村人は「龍神の滝」と呼ぶようになりました。
いつしか、動物たちも見かけなくなり、大蛇も姿を消してしまいましたが、
「龍神の滝」という名はそのまま呼び継がれたそうです。



檜原街道の下平バス停近くに、この看板が建っています。

      20160430龍神の滝01


      20160430龍神の滝02


看板の近くに渓谷に降りる道があり、案内板もありますが
矢印はあさっての方向に傾いています(笑)。

      20160430龍神の滝03


我先!と進む びいすけ 。

      20160430龍神の滝04



所々が腐り始めた危さそうな木の橋を渡ります。

      20160430龍神の滝05



橋の右奥に滝らしきモノが見えます。

      20160430龍神の滝06



白糸にように垂れている滝。

      20160430龍神の滝07


近寄ってみましょう。


こちらが龍神の滝。

      20160430龍神の滝08


落差は18mという事らしいが、実際はもっと小さいような気がします。

      20160430龍神の滝09


水量が気持ち少ないのか?
イマイチ迫力に欠ける気がしてしまいます。

      20160430龍神の滝10


      20160430龍神の滝11



視線が定まらない びいすけ 。

      20160430龍神の滝12


周りが気になるのか?

      20160430龍神の滝13


ムジナでも見つけたのか?(笑)

      20160430龍神の滝14


まさか?
狸(ムジナ)でもいるのでしょうか?


もし、狸でも出て来ようものなら、まさしくムジナの滝ですね。







2016/05/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

夢の滝 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村に廃校&滝巡りに出かけました。


九頭龍の滝をあとにして、向かった先は...............夢の滝


夢の滝は、旧・奥多摩有料道路から観賞できる唯一の滝で、
脇に滝の名称を刻んだ立派な石碑が建てられています。
滝のスケールはあまり大きくありませんが、
ゆるやかな傾斜をゆったりと流れる姿は優雅で、
風情ある魅力的なナメ滝です。


檜原村の数馬地区から旧・奥多摩有料道路に入りしばらくすると左側に看板が見えてきます。

      20160430夢の滝01

看板手前の安全地帯(待避所)に3台ほどの駐車スペースがあるので
そちらに車を停めての見学になります。

とは言っても、川辺に降りても滝の近くには行けないので
道路沿いから眺めることになります。

      20160430夢の滝02


看板脇に建つ『夢の滝』の碑。

      20160430夢の滝03



碑の脇から眺めるのがベストポジションのようです。

      20160430夢の滝04


      20160430夢の滝05


      20160430夢の滝06


      20160430夢の滝07



碑から10mほど先にある夢の滝橋。

      20160430夢の滝08


この橋の上からでも滝は眺められます。

      20160430夢の滝09


数日前から天気が良くて、そのためか水量が少ない。
どうしても、今一歩の迫力に欠けるのは否めない。
読み方:ナメたき
別表記:なめ滝、滑滝

傾斜のある岩の斜面を滑り落ちるような渓流瀑だから仕方がない
と言ってしまえば、それで終わってしまうけれど、
水量の多い時に見てみたいモノです。





2016/05/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

九頭竜の滝 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

この日は、檜原村に廃校・滝巡りに出かけました。

数馬分校をあとにして、向かった先は...............九頭龍の滝


九頭龍の滝は、古来、利用度が高い道が滝の横を通っていたために、
この滝は「横道の滝」と呼ばれていました。
1545年に長野県戸隠村の九頭龍神社から分社した九頭龍神社が近くに建立されてから、
この滝に打たれて身を清める参拝者が増えはじめ、
いつしか「九頭龍の滝」と呼ばれるようになったそうです。


檜原街道(都道206号線)を奥多摩湖方面に走り、旧・奥多摩有料道路のゲート手前の右側に
九頭龍の滝はあります。


檜原村が建てた立派な説明板。

      20160430九頭龍の滝01

滝の由来や説明も書かれていて好感が持てます。


さらには、親切に案内板も建てられています。

      20160430九頭龍の滝02



滝のある渓谷へと下って行きます。

      20160430九頭龍の滝03


上段・下段と2段になっている九頭龍の滝。
上段下段を合わせて落差は10mとされているようです。


こちらが下段の滝。

      20160430九頭龍の滝04



推定落差は4mぐらい。

      20160430九頭龍の滝05


      20160430九頭龍の滝06


      20160430九頭龍の滝07


      20160430九頭龍の滝08



こちらが上段の滝。

      20160430九頭龍の滝09


      20160430九頭龍の滝10


      20160430九頭龍の滝11


      20160430九頭龍の滝12

上段の滝に行くには、斜面沿いの古い道を歩きますが
一部崩壊して立ち入り禁止のビニール紐が張られています。
あくまでも自己責任で行きましょう。




2016/05/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................檜原小学校数馬分校 (2016年4月30日)(東京都西多摩郡檜原村) 

4月30日 公休日

4月29日の夜は、仕事を終え帰宅してから
八王子の実家に車を走らせた。
びいすけ を引き取りに行くためです。
この夜は実家の泊まり、朝早くから檜原村に出かけることにしました。

題して、『檜原村の廃校・滝巡り』

最初に向かったのは...............檜原村立檜原小学校数馬分校


数馬分校は、
   
明治7年     檜原小学校の第三分校として『正心学校』と称し創設される。
明治23年    檜原小学校より独立する。
明治44年    南檜原小学校の分教場となる。
昭和46年    南檜原小学校より独立して、
          檜原村立数馬小学校と改称する。
昭和60年    檜原小学校の分校となり、檜原村立檜原小学校数馬分校と改称する。
平成11年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



檜原村と言えば、東京都の本州にある唯一の村になります。
東京都に村が存在することが、ちょっぴり意外ですが...............


檜原街道を旧・奥多摩有料道路に向かって走っていくと
檜原村の再奥の集落に数馬に辿り着きます。

檜原街道の信号には、今でも数馬分校前の看板。

      20160430数馬分校01



この信号の場所から右へ上り坂を上がって行きます。
信号近くには、数馬分校の案内板。

      20160430数馬分校02



車でも上がって行けますが、念のため歩いて向かいます。

      20160430数馬分校03


100mほど上がって行くと、右手に建物が見えてきます。

      20160430数馬分校04



小さな白い木造の建物。

      20160430数馬分校05



数馬分校の校舎です。

      20160430数馬分校06



こちらが正門。

      20160430数馬分校07



廃校後、施設は数馬分校資料館として一般に公開されているようです。

      20160430数馬分校08



校庭に車が2台。
ちょうど、バードウォッチングに来られている方がいて
どうやら前日から車中泊で来ているようです。

      20160430数馬分校09



邪魔にならないように、数馬分校を見学します。

山の中の分だから、敷地は広くなく校庭も狭い。

      20160430数馬分校10



校庭側から眺める校舎。

      20160430数馬分校11



この木造校舎は昭和34年に建てられたモノだそうです。

      20160430数馬分校14




玄関には木製の表札。
『数馬分校』と刻まれています。

      20160430数馬分校12



玄関脇の胸像。
タイトルは『少女』。

      20160430数馬分校13

なぜか、二ノ宮像は見当たりません。



      
校庭に残る遊具類。

      20160430数馬分校15


      20160430数馬分校16


      20160430数馬分校17


      20160430数馬分校18


      20160430数馬分校19




校庭の隅に建つ石碑。

      20160430数馬分校20


校舎建設時の寄付をされた方々の名の刻まれた記念碑。

      20160430数馬分校21



木造の倉庫も往時のモノでしょう。

      20160430数馬分校22



校舎の脇に無造作に置かれた机。

      20160430数馬分校23


雨ざらしで、いずれ朽ち果ててしまうのでしょう。



維持費もかかるから大変だとは思うけれど
築57年の木造の校舎。
何時までも、朽ち果てること無くこの地に健在することを期待致します。




2016/05/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦..............................犬服 第66作目 (2016年4月20日、4月28日) 

4月20日  公休日


この日は、犬服作りにチャレンジ。


以前、日暮里で手に入れたニットの端切れを使って
びいすけ のラグラン袖の服作りにチャレンジします。

ベースとなる生地はこちら。

      20160428犬服6601



型紙を当てて、生地を採寸、裁断します。

先ずは、後ろ身頃から。
型紙をマチ針で固定し、チャコでマーキング。

      20160428犬服6602

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。



続いて、前身頃。

型紙を生地に当てて、チャコでマーキング。

      20160428犬服6603

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。




続いて、両袖。

型紙を生地に当てて、チャコでマーキング。

      20160428犬服6604

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。




各パーツの生地取り完了。

      20160428犬服6605



こちらが後ろ身頃。

      20160428犬服6606



前身頃と両袖。

      20160428犬服6607



それでは、ミシン掛けに入りましょう。


前身頃と後ろ身頃を縫い合わせて、身頃を作ります。
直線縫いでカタカタカタ。

      20160428犬服6608



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20160428犬服6609



次に袖を作ります。
袖用生地の端を縫い合わせて、筒状にします。

直線縫いでカタカタカタ。

      20160428犬服6610




ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20160428犬服6611



身頃に両袖を縫い付けます。

直線縫いでカタカタカタ。

      20160428犬服6612



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20160428犬服6615



これで一応、ラグラン袖の犬服の原型は完成。

      20160428犬服6616



びいすけ に仮試着してもらいます。

      20160428犬服6618


この日の作業は時間の関係でここまで...............。






暫し、時は流れて..............................

4月28日。公休日。

この日は雨。
午前中は病院に行って検査。

病院から帰ってきて...............
外は雨。
何より、4月23日の夜から、八王子の実家に びいすけ を預けているから
散歩に出かけなくても良い。
しかし、いざ びいすけ が居ないと退屈。

そこで犬服作りの続きとなりました。


リブ作りから始めます。

今回は、こちらのリブ生地を使います。

      20160428犬服6619




リブ幅は6cmで裁断します。
襟口は12cnだから12cmでカットします。
袖口は10cmだから9cmにカットします。
裾周りは35cmだから31.5cmでカットします。

      20160428犬服6620



リブ生地の端を縫い合わせて、輪っかを作ります。

      20160428犬服6621


襟口、袖口(二ヶ所)、裾周りと各部のリブのパーツは完成。

      20160428犬服6622




それでは、リブを縫い付けて行きましょう。


先ずは、襟口から。

直線縫いでカタカタカタ。

      20160428犬服6623



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20160428犬服6624



続いて、袖口のリブの縫い付けです。

直線縫いでカタカタカタ。

      20160428犬服6625



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20160428犬服6626



襟口、袖口のリブのリブ付け完了。

      20160428犬服6627

残すは裾周り。
一気に片付けちゃいましょう。


リブを引っ張りながら、マチ針で固定。
リブを引っ張りながら、直線縫いでカタカタカタ。

      20160428犬服6628



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20160428犬服6629



全てのリブ付け完了。

      20160428犬服6630

即ち、完成です。



出来上がりは、こんな感じです。

      20160428犬服6631


      20160428犬服6632


      20160428犬服6633



びいすけ が居ないから、試着は出来ないけれど
いつか、出かける時にでも着せて、いっぱい写真を撮っちゃいましょう。











2016/05/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

百草城址 (2016年4月23日)(東京都日野市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。


関戸城址をあとにして、向かった先は...............百草城址


百草城は、昭和62年(1987)郷土史研究家・宮田太郎氏によって発見された中世の山城です。
京王百草園の西側の丘陵地で曲輪跡、堀切などの遺構が発見されました。
鎌倉期~戦国時代の山城と考えられているそうです。
多摩丘陵の高台にあり、麓の鎌倉街道や多摩川を監視する要所として、
また狼煙台としての機能を担っていたと考えられています。
しかしながら、百草城はその歴史や城主等の詳細は不明な城とされています。


百草園周辺は道も狭く、駐車場も無く車を停める場所も無く
麓の空き地に停めて、台地へ上がって行きます。


百草園には犬連れでは入れそうもないので、
百草八幡神社の裏を目指し進みます。

      20160423百草城址01


百草八幡神社の裏手は朝日山緑地。

      20160423百草城址02



この辺りは既に城域に入っているようです。

      20160423百草城址03



看板の脇から緑地内に入ります。
ちょうど百草八幡神社の社殿の裏手になります。


馬場へと続く虎口。

      20160423百草城址04


      20160423百草城址05



こちらが、馬場と称される削平地。

      20160423百草城址06



土塁のような土壇も確認出来ます。

      20160423百草城址07


百草八幡神社の裏手が南郭になるらしい。

南郭の堀切。

      20160423百草城址08


      20160423百草城址09


百草八幡神社のある場所は、かつて奈良時代に創建された真慈悲寺があった場所らしい。
新田義貞の鎌倉攻め(分倍河原の戦い)で焼失してしまったそうです。
江戸時代になると、その跡地に徳川家康の長男・信康追悼のために松蓮寺が再建されましたが、
明治を迎えると廃されてしまったそうです。


      20160423百草城址10


      20160423百草城址11


とにかく、百草八幡神社の裏手は、スダジイの古木に囲まれ
城址の雰囲気は満ちあふれています。

      20160423百草城址12


      20160423百草城址13



お金(300円?)を払って入場する百草園の奥に北郭があり
物見台もあるらしい。(今回は びいすけ連れ なので未確認。)

フェンス越しに百草園側の城域を眺めます。
フェンスの向こうは北郭と称する本郭。

      20160423百草城址14

展望の長けた物見台もあるらしい。
中に入れないのは残念です。



百草八幡神社周辺はシイノキが群生していて、日野市の天然記念物に指定されています。

      20160423百草城址15

先ほどのスダジイの古木がそうなんですね。



百草八幡神社の鳥居。

      20160423百草城址16


松連禅寺の碑。

      20160423百草城址17

松連寺は明治六年(1873)に廃寺となったそうです。


こちらが百草八幡神社の拝殿。

      20160423百草城址18



百草八幡神社創建の年代は詳しく判っていません。
古くは古八幡宮と称され、社宝の石造狛犬に天平の文字があるので、
古い社であると推測されています。
康平5年(1062)源頼義が奥州征伐の折、この地をよぎられ再建されたといわれています。
建久3年(1192)には源頼朝武運長久を祈願した太刀一振の奉納があったそうです。

      20160423百草城址19



百草城址遠景。

      20160423百草城址20


実は、20代の頃、百草園近くに数年間住んでいました。
近くと言っても、台地麓の川崎街道を挟んだ多摩川に近い場所でしたが...............。

しかしながら、百草園には1度も入った事がなく
今回も断念。
ちょうど、百草城址が発見されて数年後に近くに住んでいたけど
その時は、そんな話題も出なかったような気がします。
まぁ、もっともその頃は城址には興味がなかったからねえ。



2016/05/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

関戸城址 (2016年4月23日)(東京都多摩市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。

稲城第八小学校をあとにして、向かった先は...............関戸城址


関戸城の築城時期や築城者等についての詳細は不明です。
1494年に、扇谷上杉定正が山内上杉顕実の関戸の塁を陥落させたという記録があり、
これが関戸城の初見とされているようですが、これが関戸城のことなのか、
あるいは関戸塁(霞の関所)のことなのかは分かっていないようです。
戦国時代になると、関戸城には後北条氏の家臣である佐伯氏が入ったようですが、
その後の歴史についても不詳とされています。


京王線聖蹟桜ヶ丘駅から南に『いろは坂』と呼ばれる坂道を上りきった所が
関戸城址となっているようです。

高校時代を隣町の日野市(高幡不動)で過ごした私にとって
この聖蹟桜ヶ丘は通学で乗り降りした駅であり、
いろは坂を上りきった高台にある桜ヶ丘の住宅街は羨望の地でした。
桜ヶ丘の住宅街に住む同級生が羨ましかった。

      20160423関戸城址01


この階段を上りきった所が、天守台。

      20160423関戸城址02



階段脇には腰曲輪のような削平地もあるけれど
こちらは、後世の宅地開発時の名残りでしょうか?

      20160423関戸城址03


      20160423関戸城址04



こちらが、天守台。
現在は、標柱があるのみ。

      20160423関戸城址05


天守台と言っても、ここに天守台が建っていた訳ではなく
多摩川に面し武蔵野台地を一望できる高台の地であることから、
鎌倉幕府以来の物見台的城塞や狼煙台であったと考えられているようです。
多摩川の対岸の分倍河原から多摩川を渡って関戸に至る地域では、
中世の関東における要地で、この地をめぐって幾多の戦いが繰る広げられました。


      20160423関戸城址06


      20160423関戸城址07

標柱には、こんな文面が記されています。


桜ヶ丘一丁目の金比羅宮(琴平社)付近と「天守台」などといい、一帯の山を「城山」ともいう。多摩川に面し、武蔵野台地を一望できる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見的城砦として敵を察知したり、急変を狼煙などで知らせる通信拠点であったとも考えられる。一帯は関戸城跡とされているが、今はわずかにその一部を留めるのみで、山頂は削られ地形も変わっている。
(多摩市教育委員会)


      20160423関戸城址08



標柱の周辺は宅地開発されて遺構は見当たらない。
城址の北郭にあたる金比羅宮に足を伸ばします。

      20160423関戸城址09

と言っても、標柱から数10mの距離。


郭そのものも広くなく、こじんまりとした金比羅宮です。

      20160423関戸城址10


ジブリ映画『耳をすませば』のモデルになった金比羅宮らしい。
残念ながら、まだこの映画は観てないんですが...............。

      20160423関戸城址11


金比羅宮の隣も向いも住宅地。

      20160423関戸城址12

完全な住宅街の中の金比羅宮です。


確かに、私が高校生だった数十年前から桜ヶ丘の住宅街はあり、
今もその景観は変わらない。


唯一、住宅街の切れ目に堀跡のような茂みがありました。

      20160423関戸城址13

堀跡でも何でもなく、ただ自然地形の茂みなのかは分かりませんが...............。


まぁ、最初から期待はしていなかったし
高校生の時に、体を傾けてオートバイでいろは坂を駆け上がり、駆け下りた...............
そんな若かりし頃の記憶が頭をよぎり、それだけで心が満たされた気になってしまいました。




2016/05/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................稲城第八小学校 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日


この日は稲城市に出かけました。

大丸城址をあとにして、向かった先は...............稲城市立稲城第八小学校




第八小学校は

昭和51年稲城市立稲城第八小学校として開校。
平成14年稲城第五小学校と稲城第八小学校が統合して
新たに平尾小学校が設立(稲城第五小学校の敷地を利用)。
稲城第五小学校と稲城第八小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。

たった数行の沿革ですが、そこには昭和45年に建設された平尾団地によって地区の人口増加により
平尾地区に新たな小学校が建設されたものと推測されます。
その後、約30年経ち平尾地区の人口も減り、少子化の流れの中で
第五小学校と第八小学校が統合されてしまったものと推測されます。

廃校となった稲城第八小学校は『ふれんど平尾』と言う市民の福祉の増進を図り、
もって魅力ある豊かな地域社会の形成に寄与するため、小学校の施設を利用して
複合施設として活用されています。



こちらが正門。

      20160423稲城第八小学校01



現在は、『ふれんど平尾』と言う複合施設として利用されているから
門には、当然表札は付け替えられています。

      20160423稲城第八小学校02



鉄筋コンクリート4階建の校舎はそのまま流用。

      20160423稲城第八小学校03


      20160423稲城第八小学校04


      20160423稲城第八小学校05



こちらは、体育館。

      20160423稲城第八小学校06



校庭。

      20160423稲城第八小学校07

校庭には遊具類が全く残されていません。


こちらも別な校舎。
校庭に面した2階建の校舎。

      20160423稲城第八小学校08



建物は残っているけれど、廃校記念碑や二ノ宮像が見当たらない。
4階建校舎前の中庭に移動してみます。

      20160423稲城第八小学校09



過去の経験から、校舎前に二ノ宮像が有ったりするんだけど
やっぱり見つかりません。

      20160423稲城第八小学校10


中庭を進んで行けば、やがて裏門(通用口?)

      20160423稲城第八小学校11


      
門の脇にある桜の木もすっかり葉桜です。

      20160423稲城第八小学校12


      20160423稲城第八小学校13


立派な桜の木の脇に建つ標柱。

      20160423稲城第八小学校14

廃校の碑かと思ったら、緯度・経度、そして標高が記された碑でした。


結局、学校遺構を見つけることは出来ませんでした。
ある意味、完全に『ふれんど平尾』と言う複合施設に生まれ変わっていると言うことでしょうか?
廃校の再利用の成果は別として、取り組みの成功例になるのでしょうか?
でも、この稲城第八小学校の卒業生の立場に立ったとしたら、
何か一つぐらい残して欲しかったんじゃないのかな...............?





2016/05/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大丸城址 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りに出かけました。

長沼城址をあとにして、向かった先は...............大丸城址



大丸城は

中世の時代に築かれた大丸城は山頂部に主郭を置く山城である。
主郭上には小建物跡と柵列跡があり、
主郭の周りには深さ2m~3mの空堀と土塁状の腰曲輪(第二郭)が廻っていた。
この結果見張り台程度の規模の山城で、
南北朝時代から戦国時代(14~16世紀)頃使われた事があきらかになった。                         
(現地説明板より)



残念ながら、この大丸城も多摩ニュータウンの開発時に
台地ごとゴッソリと削り取られ、遺構は全く存在しません。

閑静な住宅街の一角に城址説明板が建っています。

      20160423大丸城址01


こちらが、その城址説明板。

      20160423大丸城祉02


      20160423大丸城址03



説明板には、発掘調査時の航空写真と縄張り図が載っています。

こちらが、航空写真。

      20160423大丸城址04


そして、こちらが縄張り図。

      20160423大丸城址05



縄張り図を見ると、悲しくなってきます。
と言うのも、ご覧のように周辺は完全な住宅地。

      20160423大丸城址06


全く、面影はありません。

      20160423大丸城址07

説明板が無ければ、城址だったと言う事さえわからない。


まぁ、宅地開発前にじっくり発掘調査をしたことだけが唯一の救いかもしれない。
しかし、多摩ニュータウンの造成時に数多くの城址・城館跡が壊され、削られ、湮滅したことだろう。
残念と言うのもありふれているけれど、やっぱり残念です。



おまけ。

今回は時間が無かったから、中まで入って探索、散策しなかったけれど
少し離れた場所にある城山公園。

      20160423大丸城址08


      20160423大丸城址09

城址が公園? って勘違いしそうだけど
城址では無い。

かなり広そうな公園。
いつか時間があったら、じっくりと散策してみよう..............................。








2016/05/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長沼城址 (2016年4月23日)(東京都稲城市) 

4月23日 公休日

この日は、稲城市周辺の城址巡りをしました。


小沢蔵屋敷跡をあとにして、向かった先は...............長沼城址



長沼城の歴史は古く、鎌倉時代に源頼朝に仕えた長沼五郎宗政の城(館)跡とされています。
ただ今は石碑をわずかに残すのみ。
そして、その石碑も本来の城郭の在った場所からかなり離れた場所に設置されています。
かつては城跡に報恩寺が建てられたそうですが、それも明治30年に廃されてしまったそうです。
小沢城址の西、かつては亀山と呼ばれた張り出た尾根は、多摩ニュータウン開発などにより削られ、
京王相模原線の跨線橋が出来てしまい、郭が在ったとされる場所は、
京王稲城駅として区画整備されてしまいました。

長沼氏は武蔵七党の流れをくむ一族であると伝わるそうですが、
城の歴史や構造など含め詳細は不明となっています。



長沼城の郭跡とされる台地。
現在は、京王相模原線稲城駅のロータリーと化しています。

      20160423長沼城址04


長沼城(別名 亀山城)の在った台地そのものが造成されて改変してしまいました。

駅前のロータリーには、造成時の竣功記念の碑が建てられています。

      20160423長沼城址02


      20160423長沼城址03



駅前には、マンションも建てられ、城址の面影は全く無い。

      20160423長沼城址05



唯一、長沼城址の名残を残すのは、こちらの橋。

      20160423長沼城址06

下を京王相模原線が走る跨線橋。


その名もズバリ!

『城址橋』

      20160423長沼城址07


      20160423長沼城址08


      20160423長沼城址09



一応、城址碑も建てられていますが、郭跡からは300mほど離れた台地下部。
鶴川街道沿いの河川沿いに建てられています。

      20160423長沼城址10

城址碑の碑文によれば、
江戸時代に建立され、明治に廃寺となった『報恩寺』の跡でもあるらしい。


      20160423長沼城址11


      20160423長沼城址12


せめて、この城址碑を駅前のロータリーに建てることは出来なかったのだろうか?
多いなる疑問です..............................。






2016/05/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit