03 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて............安飾小学校   (2016年4月15日)(茨城県かすみがうら市) 

4月15日

個人的な3連休の2日目

この日は茨城県のかすみがうら市に出かけました。



平成の大合併で新しい市町村が誕生したものの
合併しようがしまいが、少子化の波は食い止めることは出来ず
ここ数年、かなりの小学校の統廃合が実施されています。

茨城県のかすみがうら市は、平成17年に霞ヶ浦町と千代田町が合併して誕生しました。


合併してから11年後の平成28年3月。
かすみがうら市の旧・霞ケ浦町域の7つの小学校が統合され
新たな2つの小学校へと変貌してしまいました。

と言うことで、この日はかすみがうら市の廃校巡りを行いました。


かすみがうら市の廃校巡り、その第3弾は...............

かすみがうら市立安飾小学校




安飾小学校は、

明治10年   安食村中道に校舎新築、安食小学校と称す。
明治19年   安食尋常小学校と改称する。
明治22年   安食村、柏崎村、岩坪村、下軽部村が合併して安飾村が発足。
        安飾村安飾尋常小学校と改称する。
        宍倉村の分教場を廃止し、柏崎分教場を置く。
明治25年  安飾第一尋常小学校と改称。柏崎分教場は安飾第二小学校として独立する。
明治26年  高等科を併設し、安飾尋常高等小学校と改称する。
明治45年  安飾農業補修学校併設。
昭和22年  学制改革により、安飾村立安飾小学校と改称する。
昭和30年  下大津村、美並村、安飾村、牛渡村、佐賀村、志士庫村が合併して出島村が発足。
         出島村立安飾小学校と改称する。
昭和35年  安飾中学校跡に移転する
昭和44年  柏崎小学校を統合する。
平成 9年   出島村が町制実施。同時に霞ヶ浦町に改称する。
         霞ヶ浦町立安飾小学校と改称する。
平成17年  霞ヶ浦町と千代田町が合併してかすみがうら市が発足。
        かすみがうら市立安飾小学校と改称
平成28年  安飾小学校、佐賀小学校、志士庫小学校が統合し、新たに霞ヶ浦北小学校が誕生。
        安飾小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




狭い県道を走って行くと、宍倉小学校、志士庫小学校と同じような看板が建っているから
安飾小学校までは、迷わずに辿り着けます。

      20160415安飾小学校01



こちらが、安飾小学校の正門。

      20160415安飾小学校02



校名の表札は、まだ外されていません。

      20160415安飾小学校03



正門前の花壇の中に建つ標柱。

      20160415安飾小学校04


出島村立安飾小学校跡 と刻まれています。

      20160415安飾小学校05

昭和35年以降、この地に安飾小学校は在るから
ひょっとしたら、出島村にこだわりがあるのかな?



EXPO70 と書かれていたオブジェ。
どことなく『太陽の塔』のイメージと重なります。
ひょっとしたら、デザイン的にパクリ?(笑)。

      20160415安飾小学校06



では、正門から安飾小学校の敷地内に入りましょう。


正門付近から眺める校舎。
こちらの校舎も二階建て。

      20160415安飾小学校07



敷地内に入ると、すぐ目に入るのがこちら。

二ノ宮像。

      20160415安飾小学校08

かすみがうら市(旧・霞ヶ浦町域)の廃校3校目で、
やっと二ノ宮像に会えました。


二ノ宮像の表情は、学校によって違うから
見比べて行くのも楽しみの一つです。

      20160415安飾小学校09



この二ノ宮像は、昭和10年に建てられたモノのようです。

      20160415安飾小学校10

小学校35年にこの地に移転してきたから
旧・校地から二ノ宮像も一緒に移転してきたのですね。



こちらの石碑は、旧・安飾中学校の校舎建築の際の寄付者が記された碑です。

      20160415安飾小学校11

確かに、この地に安飾中学校が在った証しですね。



安飾小学校の緯度・経度の位置を示した標柱。

      20160415安飾小学校12




校舎に近寄ってみましょう。

      20160415安飾小学校13

    

玄関前にブロンズ像。

      20160415安飾小学校15



少女が優しく手を振っています。

      20160415安飾小学校16


      20160415安飾小学校17



玄関庇に掲げられている校章。

      20160415安飾小学校18



この校舎は、自衛隊の百里基地の騒音対策の補助金で
昭和49年に建てられたモノのようです。

      20160415安飾小学校30



とても、42年前に建てられた校舎には見えません。

      20160415安飾小学校31



こちらは、体育館。

      20160415安飾小学校24




広い校庭。

      20160415安飾小学校14


      20160415安飾小学校19


      20160415安飾小学校20


      20160415安飾小学校21


      20160415安飾小学校22


      20160415安飾小学校23




校庭の遊具類。

      20160415安飾小学校25


      20160415安飾小学校26


      20160415安飾小学校27


      20160415安飾小学校28


      20160415安飾小学校29


これらの遊具で子どもたちが遊ぶことも
もう無くなってしまったんでしょうか?

中学校跡地から小学校へと変貌し、さらには小学校跡地となってしまった。
時代の流れと言ってしまえば一言で済んでしまいますが
何となく寂しいものです...............。



     


スポンサーサイト
2016/04/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さん、病院へ............... (2016年4月28日) 

この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力
2016/04/29 Fri. 13:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............志士庫小学校   (2016年4月15日)(茨城県かすみがうら市) 

4月15日 公休日

個人的な3連休の2日目

この日は茨城県のかすみがうら市に出かけました。



平成の大合併で新しい市町村が誕生したものの
合併しようがしまいが、少子化の波は食い止めることは出来ず
ここ数年、かなりの小学校の統廃合が実施されています。

茨城県のかすみがうら市は、平成17年に霞ヶ浦町と千代田町が合併して誕生しました。


合併してから11年後の平成28年3月。
かすみがうら市の旧・霞ケ浦町域の7つの小学校が統合され
新たな2つの小学校へと変貌してしまいました。

と言うことで、この日はかすみがうら市の廃校巡りを行いました。

その第2弾...............かすみがうら市立志士庫小学校



志士庫小学校は

明治8年   宍倉村の最勝寺を仮校舎として、宍倉小学校創立。
明治16年  東校と称し、宍倉村杲泰寺に移転する(飯岡に西校創設)
明治22年  明治22年宍倉村、西成井村、上軽部村が合併して志士庫村が発足。
        志士庫尋常小学校と改称する。
明治25年  志士庫第一尋常小学校と改称する。
明治36年  高等科を設置、志士庫尋常高等小学校と改称する。
大正12年  西成井尋常小学校を本校に併合し、分校とする。
昭和22年  学制改革により、志士庫村立志士庫小学校と改称する。
昭和30年  下大津村、美並村、安飾村、牛渡村、佐賀村、志士庫村が合併して出島村が発足。
        出島村立志士庫小学校と改称する。
昭和46年  西成井分校廃校を本校に統合する。
平成9年   出島村が町制実施。同時に霞ヶ浦町に改称する。
        霞ヶ浦町立志士庫小学校と改称する。
平成17年  霞ヶ浦町と千代田町が合併してかすみがうら市が発足。
        かすみがうら市立志士庫小学校となる
平成28年  志士庫小学校、安飾小学校、佐賀小学校が統合し、新たに霞ヶ浦北小学校が誕生。
        志士庫小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



宍倉小学校から県道を直線距離で約3kmほど走れば
やがて志士庫小学校に辿り着きます。
同じかすみがうら市の宍倉と言う字(あざ)だから
そんなに遠く離れてはいないようです。


県道沿いに目立つ看板。

      20160415志士庫小学校01



廃校後(って言ってもまだ半月ちょっと)、
避難場所の名称はマスキングシートで修正しています。

      20160415志士庫小学校02



県道沿いにある旧・正門(?)

      20160415志士庫小学校03


可動式の門扉が付いているから、おそらく廃校まで利用されていたとは思うけれど
校庭を突っ切るように校内に入る形になるから
多分、こちらから入る人は少なかったんじゃないかな?


石造りの立派な門柱。
表札もしっかりと掲げられています。

      20160415志士庫小学校04



こちらが、実用されている通用門。
まぁ、正門って言っても間違いじゃないでしょう。

      20160415志士庫小学校05



表札もしっかり残っています。

      20160415志士庫小学校06


      20160415志士庫小学校07

廃校になったからって、敢えて表札を外さないところが良いなあ。



こちらが校舎。

      20160415志士庫小学校08



こじんまりとした二階建ての校舎は、何となく優しい感じ。
児童数の規模に合わせているから、身の丈に合っている。
色合いも良く見えてしまいます。

      20160415志士庫小学校09



宍倉小学校も似たような配色だったけど、この地域の特色なんだろうか?

      20160415志士庫小学校11



その隣は、体育館。

      20160415志士庫小学校10


      20160415志士庫小学校28



     
こちらは、校舎の正面玄関。 

      20160415志士庫小学校12



玄関の庇に掲げられた校章。

      20160415志士庫小学校14



時計の時刻もきっちり合ってます。

      20160415志士庫小学校13



校舎前には、校歌の碑。

     20160415志士庫小学校29



そして、志士庫小学校の緯度・経度を示す標柱と方角計。

      20160415志士庫小学校30


      


朝礼台と国旗掲揚ポール。

      20160415志士庫小学校15


       20160415志士庫小学校16



こちらは、校庭。

      20160415志士庫小学校17



校庭の奥にあるシンボルツリー。

      20160415志士庫小学校18



校庭に残る遊具類。

      20160415志士庫小学校19


      20160415志士庫小学校20


      20160415志士庫小学校21


      20160415志士庫小学校22


      20160415志士庫小学校23


      20160415志士庫小学校24


      20160415志士庫小学校25


      20160415志士庫小学校26



なぜか? こちらの校庭でも背中から転げまわる びいすけ 。

      20160415志士庫小学校27

気持ち良いのかなぁ?





念入りに探しましたが、志士庫小学校にも廃校記念碑や二ノ宮像はありませんでした。
残念だなぁ...............。


2016/04/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............宍倉小学校   (2016年4月15日)(茨城県かすみがうら市) 

4月15日  公休日

個人的な3連休の2日目

この日は茨城県のかすみがうら市に出かけました。



平成の大合併で新しい市町村が誕生したものの
合併しようがしまいが、少子化の波は食い止めることは出来ず
ここ数年、かなりの小学校の統廃合が実施されています。

茨城県のかすみがうら市は、平成17年に霞ヶ浦町と千代田町が合併して誕生しました。


合併してから11年後の平成28年3月。
かすみがうら市の旧・霞ケ浦町域の7つの小学校が統合され
新たな2つの小学校へと変貌してしまいました。

と言うことで、この日はかすみがうら市の廃校巡りを行いました。

その第1弾は..............かすみがうら市立宍倉小学校


宍倉小学校は

明治16年  宍倉村飯岡の古寺院を校舎として修理し,宍倉西校として創立する。
明治20年  安飾小学校分教場となる。
明治22年   明治22年宍倉村、西成井村、上軽部村が合併して誕生。
        志士庫尋常小学校が設置され、飯岡分教場となる。
明治25年  志士庫第二尋常小学校と改称する。
明治36年  宍倉尋常小学校と改称する。
昭和22年  学制改革により、志士庫村立宍倉小学校と改称
昭和30年  昭和30年 下大津村、美並村、安飾村、牛渡村、佐賀村、
        志士庫村が合併して出島村が発足。
        出島村立宍倉小学校と改称する。
平成9年   出島村が町制実施し、町名を霞ヶ浦町と改称し、
        霞ヶ浦町立宍倉小学校と改称する。
平成17年  霞ヶ浦町と千代田町が合併してかすみがうら市発足。
        かすみがうら市立宍倉小学校と改称する。
平成28年 宍倉小学校、下大津小学校、美並小学校、牛渡小学校が統合し、
        新たに霞ヶ浦南小学校が誕生(施設は美並小学校を利用)し、
        宍倉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


県道141号線を走っていると、こんな看板が目に入ります。

      20160415宍倉小学校01



こちらが、宍倉小学校の正門。

      20160415宍倉小学校02


半月前までは、現役の小学校。
さすがに、校名の表札はまだ外されていませんでした。

      20160415宍倉小学校03

門扉は閉ざされていますが、脇からちょっと失礼して敷地内に入ります。
それでは、宍倉小学校を見学させてもらいましょう。


まだまだ綺麗な校舎。
二階建ての横長の校舎です。

      20160415宍倉小学校04

デザイン的には、ひと昔前の木造二階建て校舎の雰囲気を残しているのでしょうか?


小学校とは言え、鉄筋の三階建て以上の校舎を見かける事が多いから
逆に二階建ての校舎は新鮮な感じがします。

      20160415宍倉小学校05



色々なアングルから校舎を眺めてみましょう。

      20160415宍倉小学校06


      20160415宍倉小学校07


      20160415宍倉小学校08


      20160415宍倉小学校09



正面玄関。

      20160415宍倉小学校10



玄関の庇の上には、宍倉小学校の校章。

      20160415宍倉小学校11



半月前までは、現役の小学校だったから
当然、時計の時刻はバッチリ合っています。

      20160415宍倉小学校12



校舎の前の像。
一瞬、遠目から見たから二ノ宮像だと思って近づいたら違ってました。

『 はらから 』って意味深なタイトル(笑)。

      20160415宍倉小学校13



校庭の遊具類。

つい、半月前までこれらの遊具で遊んでいた子供達は
もう此処に来ることは殆ど無いでしょう。

      20160415宍倉小学校14


      20160415宍倉小学校15


      20160415宍倉小学校16


      20160415宍倉小学校17


      20160415宍倉小学校18




こちらは、体育館。

      20160415宍倉小学校19



校庭の一角にある校歌の碑。

      20160415宍倉小学校20



特に明記はされていないけれど、校訓でしょうか?

      20160415宍倉小学校21



校舎の前の築山に立つシンボルツリー。

      20160415宍倉小学校22



その近くで転がる びいすけ 。
草の上で転がりたい陽気の季節になって来たようです。

      20160415宍倉小学校23




こちらは、校庭奥に在る古い門柱。
以前は、こちらが正門だったのでしょう。

      20160415宍倉小学校24

石作りの古い門柱ですが、残念ながら作られた年代は不明です。




宍倉小学校に隣接する多聞寺池。

      20160415宍倉小学校25



子どもの森つくり事業として、整備されたようです。

      20160415宍倉小学校26



ベンチもその事業の一環で設置されたようです。

      20160415宍倉小学校27

確かに、学校の敷地の隣に、整備されたちょっとした公園があると
学校に来るのが楽しかったかも知れないなぁ。



でも今は、誰も居なくて...............

      20160415宍倉小学校28


子どもたちが作った手作りの看板(オブジェ?)が
やけに目立っているのが、物悲しくなってしまいます...............。


残念ながら、廃校記念碑はなく
二ノ宮像もありませんでした。

いつまで、この校地がこのままの形で残るか分かりませんが
いつかは校舎も取り壊されてしまうでしょう。
その時にでも記憶に残るよう、記録に残すように
記念碑でも建てて貰えればなあ...............などと思ったりします。







2016/04/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............番外編   旧・佐倉実科高等女学校跡   (2016年4月14日) 

4月14日  公休日

4月14日~16日まで個人的な3連休。
当初は那須高原に旅行に出かける予定で有給を取り
計画も色々と立てていたのですが..................
3月に体調を崩し、病院に通うかもしれなかったので予定をキャンセル。
結果、これと言って予定のない連休となってしまいました。

午前中は雨も降っていたので、グダグダと部屋で過ごし
晴れ間が見えてきた午後、散歩ついでに気になっていた場所に出かけてみた。


以前、誰かに聞いたのですが、佐倉市の中央公民館が、かつての学校跡。
佐倉実科高等女学校(現在の佐倉東高校)の在った場所だと言うことです。


佐倉実科高等女学校は

明治40年     佐倉女子技芸学校開校(佐倉市裏新町4,番地)
明治43年     町立佐倉実践女学校と改称
大正3年      校舎を佐倉市鏑木934番地に移転
大正7年      郡立移管し,印旛郡立佐倉実科高等女学校と改称(5月10日).
大正10年      印旛郡立佐倉高等女学校と改称
大正12年     県立移管し、千葉県立佐倉高等女学校と改称
           校舎を佐倉市鏑木217番地へ新築移転
昭和22年     併設中学校設置
昭和23年     高等学校に昇格し、千葉県立佐倉女子高等学校と改称
昭和27年    千葉郡大和田町(現在の八千代市勝田台南)に夜間定時制の大和田分校を開設すろ
          (現在の県立八千代高等学校)  
昭和36年    千葉県立佐倉東高等学校と改称
昭和42年    新校舎竣工.現在地(佐倉市城内町278番地)に移転

とこのような沿革となり、昭和36年に現在の校名である千葉県立桜東高等学校に改称しています。
長い間女子校でしたが、平成17年4月から男女共学となりました。



自宅から歩いて行ける距離の中央公民館。
何度も公民館の近くを散歩で歩いたことがあります。

午前中外出できず、散歩に出るなり軽快に闊歩する びいすけ 。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡01


      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡02


弥勒町の八幡神社脇の坂を下って行けば、中央公民館はもうすぐそこです。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡03



確かに、見た感じ校舎のように見えてしまう中央公民館。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡04


草に隠れて見えないけれど、中央公民館の建物の定礎は唱和51年。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡05



沿革によれば、この地から移転したのが昭和42年。
と言う事は、移転後に建てられたということは、中央公民館の建物は校舎の再利用ではなさそうです。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡06

校舎っぽく見えるんだけどなぁ................


こちらは、中央公民館に隣接する佐倉市シルバー人材センター。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡07



現在は利用されず閉ざされている門。
学校の校門に見えてしまうのは、気のせい.....?

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡08



定礎板が見当たらなかったので建てられた時期が不明だけど
こちらも校舎のように見えてしまうんだけどなぁ............

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡09


      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡10


      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡11



中央公民館の駐車場に移動します。

駐車場の一画に建てられた説明版

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡12


そして記念碑。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡13



『旧校地跡記念碑』と刻まれています。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡14


      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡15



以前は、印旛土木事務所や佐倉保育園が在った敷地。
土木事務所は取り壊され移転し、佐倉保育園は数年前に建て替えられました。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡16


広い駐車場のこの辺りに印旛土木事務所(確か2階建ての建物だったような気がします)が在りました。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡17

おそらく、校舎を再利用していたのでしょう。



駐車場の奥の建物が新しく建てられた佐倉保育園。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡18

建て替え前の保育園の前を びいすけ と何度か散歩して
園児に『ワンちゃん、可愛い~』と声を掛けられたこともありました。
急に、そんな事を思い出しました。
佐倉の現住所に住み始めて早10年。
この辺りもかなり様変わりしたような気がします。

      20160414旧・佐倉実科高等女学校跡19


生まれ育った街ではないけれど、10年ちょっとしか住んでいなくても
そんなことを感じてしまう。

佐倉に生まれ、佐倉で育った人。
佐倉で学び、佐倉で青春の過ごした人にとって
この変貌をどう感じるのだろうか..............?








2016/04/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦..............................犬服 第64作目 (2016年4月14日) 

4月14日  公休日

個人的な3連休初日。

4月14日~16日まで個人的な3連休。
当初は那須高原に旅行に出かける予定で有給を取り
計画も色々と立てていたのですが..................
3月に体調を崩し、病院に通うかもしれなかったので予定をキャンセル。
結果、これと言って予定のない連休となってしまいました。

午前中は天気も雨。
コレといった予定もないし、外は雨だし。
こんな日には犬服でも作っちゃおう!!

と言うことで、犬服作り、その第64作目となります。


今回は、こちらのTシャツを びいすけ のラグラン袖の服にリメイクしてみましょう。

      犬服6401



大雑把にラッシャー鋏で解体。
まずは、後ろ身頃から生地取りします。

型紙を当てて、チャコでマーキング。

      犬服6402

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。



続いて、前身頃。

同じように型紙を当てて、チャコでマーキングします。

      犬服6403

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。


続いて、両袖。
生地は、前回使用した(解体した)パーカーの生地を流用します。

型紙を当てて、チャコでマーキング。

      犬服6404

チャコのマーキングに合わせて、ローリングカッターで裁断します。



各パーツの生地取り完了。

      犬服6405



こちらが、後ろ身頃。

      犬服6406



前身頃と両袖。

      犬服6407




それでは、ミシン作業に取り掛かりましょう。


先ずは、前身頃と後ろ身頃を縫い合わせて身頃とします。
直線縫いでカタカタカタ。

      犬服6408



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服6409



続いて、袖作り。
袖用の生地の端を縫い合わせて筒状にします。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服6410



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服6411



さらには、身頃に袖を縫い付けます。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服6412



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服6413



犬服の原形って言うか、ほぼ形は完成。

      犬服6414



とりあえず、 びいすけ に仮試着してもらいましょう。

      犬服6415

尻尾が下がちゃっているから分かりづらいけど、丈がイマイチ。
でも手直しはいたしません。
何とかなるでしょう(笑)。




それでは、リブ作り。
今回は、白いリブにしてみましょう。

      犬服6416




リブの裁断幅は6cmとして
襟口 縫い合わせ寸法18cmだから
    リブ寸法は16cmに
袖口 縫い合わせ寸法11cmだから
    リブ寸法は10cmに
丈裾 縫い合わせ寸法37cmだから
    リブ寸法は30cmに採寸しました

      犬服6417



リブの端を縫い合わせて輪っかを作ります。

      犬服6418



襟口、袖口(2個)、裾周り
各リブの輪っか作り完了。

      犬服6419



では、リブを縫い付けて行きましょう。

先ずは、襟口から。
直線縫いでカタカタカタ。

      犬服6420



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服6421



続いて、両袖口のリブ付け。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服6422



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服6423



襟口と袖口のリブ付け完了。

      犬服6424

残すは裾周りのリブ付け。



一気に仕上げちゃいましょう。

直線縫いでカタカタカタ。

      犬服6425



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服6426



これで、リブ付けも完了。

      犬服6427

一応、これで完成です。



出来上がりは、こんな感じです。

      犬服6428


      犬服6429


      犬服6430



恒例(?)の試着タ〜イム。

      犬服6431


      犬服6432


      犬服6433
   

      犬服6434


気持ち、丈が長い気もするけれど、おかしくは無い。
犬なように見えるけれど、猫のようにも見えるシルエットのイラスト。

まぁ、誰も着ていない柄(?)になるから
ちょっぴり気に入っています。

犬服作り、第64作。完成です!。








2016/04/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑦ 福禄寿  《 早尾天神社 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


利根七福神もいよいよ最終章となりました。
円明寺をあとにして向かった先は...............利根七福神巡り 第7弾 早尾天神社福禄寿


早尾天神社は、



こちらが、早尾天神社の正面入口。

鳥居の前で、はいポーズ。☆パチリ。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社01


      20160411利根七福神⑦早尾天神社02


      20160411利根七福神⑦早尾天神社03



逆光と言うか影になって神額は見づらい。
辛うじて、天満宮の文字が読み取れます。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社04


     


こちらが、利根七福神の福禄寿

      20160411利根七福神⑦早尾天神社07



      20160411利根七福神⑦早尾天神社06


      20160411利根七福神⑦早尾天神社08

福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。




こちらが、拝殿。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社05




拝殿に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社10



そして、こちらが本殿。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社09


    

拝殿脇の境内。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社11


      20160411利根七福神⑦早尾天神社12



境内中央奥にそびえるイチョウの樹。
公孫樹です。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社13



早尾天神社の境内には、石仏、石碑が多い。


スダジイ左に鎮座する石碑群。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社14



スダジイ右に鎮座する石碑群。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社15



拝殿前にも石碑はあります。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社16



早尾天神祠碑

      20160411利根七福神⑦早尾天神社17

早尾天神社縁起、由緒などが記されています。



こちらは、手水舎。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社18


      20160411利根七福神⑦早尾天神社19



そして常夜燈。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社20

いい感じで苔生していて、何となく由緒ある天神社の感が強い。


学問の神として、菅原道眞を祀っている天神社。
あまり縁がない神社ですが、少し寂れた感が何処となく趣きがあるような気がします。
得てして、パワースポットってこんなモノかも知れない。
利根七福神巡りをしなければ、この先も訪れることもなかった早尾天神社。
利根七福神巡りをして正解だっかも知れない。

利根七福神巡り、これにて完結です...............。




2016/04/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑥ 布袋尊  《 円明寺 》  (2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています



蛟網神社をあとにして、向かった先は...............利根七福神 第6弾 円明寺布袋尊


円明寺は、正式名を長根山 地蔵院 円明寺 と呼びます。

山号の『長根山』は、江戸時代初期に寺の南側山麓を
「ナガネ」と称し、これにより現在地の円明寺一帯を
「ナガネヤマ」と称したということです。
院号は「地蔵院」と言い、建長7(1255)年に千葉介頼胤夫人の延明地蔵菩薩(木造)寄進によるとされています。




こちらが、山門前の寺号標。

      20160411利根七福神⑥円明寺01




こちらが、山門。

      20160411利根七福神⑥円明寺02

改修中なのか?
なぜか屋根にはブルーシートが被せられています。


山門の先には、本堂。

      20160411利根七福神⑥円明寺03



山門をくぐって、目の前に現れた本堂。

      20160411利根七福神⑥円明寺04



本堂に掲げられた扁額。

      20160411利根七福神⑥円明寺05



本堂の庇の部分を覗いて見ると...............

見覚えのある紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺06



もしや? と思い、屋根を見上げて見ると...............

ありました! 月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺07



くっきりと輝く月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺08


鬼瓦にも光り輝く月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺09


何と、円明寺の寺紋は、千葉氏本家の家紋である月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺10


実は、千葉氏に所縁のある寺だとは知らなかったので
月星紋を見た時は、思わずガッツポーズ。
こんな場所(って言う表現もおかしいけど)、千葉氏の家紋に出会えるなんて...............

それも、千葉宗家の月星紋だから、やっぱり嬉しいねぇ。

ちょうど、草花に水やりをしていたお寺の方(住職の息子さん?)に話を伺ったら
「千葉氏所縁のお寺で、千葉宗家の家紋と同じものを寺紋として使っています。」と
自慢げ(?)に話されていました。
わざわざ、月星紋を探して、妙見神社巡りをしている身としては
偶然とはいえ、月星紋に出会えるとは嬉しい限りです。




こちらは、鐘楼。

      20160411利根七福神⑥円明寺11



さて、肝心の利根七福神の布袋尊。
なかなか見つけられませんでした。

布袋尊と同じよ背丈の紫陽花の木に隠れていて
何故だか看板もなく、見つけるのに苦労しました。

      20160411利根七福神⑥円明寺12


      20160411利根七福神⑥円明寺13

布袋尊は、笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。




先ほど、話をして伺った円明寺の関係者の方(住職さんの息子さん?)の話では
円明寺そのものは、昔の城址ではないが、
近くには城が在ったと言うことです。



確かに、千葉氏の家紋を見たり、こんな土塁を見たりしちゃうと、
千葉氏関連の城郭跡だったのかな? などと思ったりしちゃいます。

      20160411利根七福神⑥円明寺14


      20160411利根七福神⑥円明寺15


      20160411利根七福神⑥円明寺16


近くに城が在ったと言うことなので、その辺りもじっくり調べて
今度はそちらの城址を訪れてみることにしよう...............。








2016/04/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑤ 大黒天  《 蛟網神社 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


応順寺をあとにして、向かった先は...............利根七福神第4弾 蛟網神社大黒天


蛟網神社は、『こうもうじんじゃ』と読みます。

今から約2300年前、孝霊天皇3年(紀元前288)に水神である弥都波能売命を
現在の門の宮の場所に祀ったのがその始まりで、文間大明神ともいわれています。
そして、文武天皇(第42代天皇)2年(698)には土神の波邇夜須毘売命を合祀し、
東の高台(現在の奥の宮)に遷座しました。
このとき、門の宮は、取り壊す予定でしたが、氏子たちの強い要望で、祭神を分祀し、
門の宮となったそうです。

すなわち、蛟網神社は『奥の宮』と『門の宮』の2つが存在します。
とはいえ、そんなことはつゆ知らないので、今回は門の宮にしか訪れていません。
まあ、目的が利根七福神の大黒天だから、仕方がないんですけどね。


こちらが、蛟網神社 門の宮の鳥居。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社01

      20160411利根七福神⑤蛟網神社02
     

鳥居に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社03



      
鳥居の脇には説明板。
どうやら、この松の宮周辺には史跡が多いようです。
   
      20160411利根七福神⑤蛟網神社04



もっとも、この『蛟網神社 松の宮』そのものが利根町指定文化財のようです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社05



さらには、鳥居の反対側にも説明板。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社06

こちらは、立木貝塚の説明板です。



立木貝塚の氷柱の脇に何やら像が見えます。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社07



どうやら、利根七福神の大黒天のようです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社08



      20160411利根七福神⑤蛟網神社10



      20160411利根七福神⑤蛟網神社09



大黒天のアップです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社11

大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています




大黒天の脇にある石段を上れば拝殿、さらには本殿となります。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社12



こちらが、拝殿。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社13


     20160411利根七福神⑤蛟網神社14


別アングルから。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社15



拝殿前の中臣一万度行事碑。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社16

神前で長い祝詞である中臣祓詞を一万回奏して
罪を祓い清めることを行った記念として建てられた碑とされています。



拝殿に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社17



拝殿の彫物。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社18




境内に狛犬が居ないと思ったら拝殿に居たのですね。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社19



こちらが、本殿。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社20



意外にって言う言うか、それなりに立派。
なぜか、厳かな雰囲気が漂う本殿です。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社21






本堂裏にある祠。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社24

石祠など4基が安置されています。



蛟網神社の門の宮そのものが、歴史ある神社だから
無造作にイジられていなくて、周辺はその名残りを残しています。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社22



緑が映える季節になってきたから、緑の起伏のある土壇が美しい。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社23


      20160411利根七福神⑤蛟網神社25


この先、ずっとこのままの姿を残してもらいたいものです...............。





2016/04/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神④ 寿老人  《 応順寺 》(2016年4月2日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


利根七福神の第3弾。
訪れたのは...............応順寺寿老人 です。


寿老人は中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。



応順寺は羽立山と号し、 天正16年に開基された浄土真宗のお寺です



こちらが、応順寺の山門。

      20160411利根七福神④応順寺01



正確には、羽立山 應順寺 と言うようです。

      20160411利根七福神④応順寺02

『応』が旧書体の『應』になっているようです。



何やら、句が飾られています。

      20160411利根七福神④応順寺03

月船 とは、布川の文化を担った者の一人である古田月船のことです。
月船は俳人・小林一茶を支援し、また親友でもありました。
一茶の月船亭泊りは49回になるとされています。
利根町(布川)を愛した小林一茶は生涯で布川に289回宿泊されたとされ、
その内の49回が月船亭であることから、一茶と月船の親交度が計り知れます。



山門をくぐれば、正面に本堂。

      20160411利根七福神④応順寺07


      20160411利根七福神④応順寺08



本堂に掲げられた扁額。

       20160411利根七福神④応順寺09

読みづらい書体ですが、羽立山と山号が記されています。




肝心の利根七福神は言えば、山門をくぐって右手側。
鐘楼の手前に祀られていました。

      20160411利根七福神④応順寺05


      20160411利根七福神④応順寺04


      20160411利根七福神④応順寺06

寿老人とは
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。



      
こちらが鐘楼。

       20160411利根七福神④応順寺10




ちょっと時期を逃してしまいましたが...............

      20160411利根七福神④応順寺11

あと1週間も早く訪れていたら、
山門前の桜もきっと綺麗に咲いていたことでしょう。


利根七福神の寿老人。
これにて制覇です。









2016/04/22 Fri. 00:10 | trackback: -- | 本文: -- | edit