和田公園 (2015年11月1日)(茨城県稲敷市)
11月1日 公休日
この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。
妙岐の鼻をあとにして、向かった先は...............和田公園
霞ヶ浦の南側に『和田岬』と名の付く場所があり、その周辺が和田公園になっています。
この近辺は、『水郷筑波国定公園』に指定されており、その一部という事になります。
元々は『水郷筑波国定公園』の水郷地区、浮島園地として管理されていたようです。
以前はキャンプ場として利用されていたようですが、
利用者のマナーの問題なのか?、現在はデイキャンプのみ利用可。
霞ヶ浦の湖畔の芝生の広がる公園です。
春には、チューリップ祭りと称して、公園内に約30種類20万本のチューリップが植えられ、
チューリップの名所となっているようです。
いきなり、こんな看板が現れました。
確かに、『水郷筑波国定公園』となっている。
この『浮島』と言う文字がキーポイントのようです。
和田公園の駐車場に建てられていた案内板。
こちらにも、和田公園とは書かれていない。
その案内板によれば、明治後期までこの辺りは完全な島で
その名もズバリ、『浮島』と言っていた。
現在は埋め立てられて、かつての島の面影は殆ど有りません。
以前は、『浮島園地』と呼んでいた名残りが残っています。
では、和田公園を散策しましょう。
以前はキャンプ場でもあったので(もちろん今でもデイキャンプは出来るから、一応キャンプ場?)
広い芝生の広場が広がっています。
その芝生広場の外周に散策路が設けられています。
先ほどの妙岐ノ鼻ではロングリードにし忘れたので
今回は、しっかりロングリードでの散策です。
四阿もあったりして、雰囲気は良い。
やっぱり、芝生広場のある公園は良いなぁ。
そもそも、この和田公園のある場所は霞ヶ浦の浮島の岬になり、
ちょうど公園のある辺りが、ひょいと霞ヶ浦に突き出ている感じになります。
こちらにも、別な説明板。
説明板によれば、平安時代の歌人、紀貫之が
『桜川 瀬々の白波 シゲ蹴れば 霞うながす 信太の浮島』
と、このような歌を詠んだらしい。
また、景行天皇が病死した息子である日本武尊を追慕し、
約1ヶ月もの間、浮島に滞在したらしい。
この浮島は、何とも由緒ある地ではありませんか!
和田公園をぐるっと取り巻くように、霞ヶ浦の湖畔の道が走っています。
その道沿いには、別な名を冠した看板。
こちらの看板には浮島公園と記されています。
和田公園と呼ぶよりは、浮島公園とか浮島園地の方が
浮島の長い歴史を鑑みると、適しているような気がします。
霞ヶ浦の湖畔沿いを散策してみましょう。
湖畔を覗き込み...............
何か気になるのかと思いきや、
しっかりとマーキング。
そして、何も無かったかのように再び歩き出す びいすけ 。
軽快に闊歩して行きます。
太陽が西に移動し、場所によっては逆光になってしまうけれど
それはそれで、違った雰囲気が出て、味が出る。
(単に逆光の補正が出来ない言い訳なんですけどね...............)
このまま真っ直ぐ行けば駐車場。
さあ、そろそろ車に戻ろうか...............
この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。
妙岐の鼻をあとにして、向かった先は...............和田公園
霞ヶ浦の南側に『和田岬』と名の付く場所があり、その周辺が和田公園になっています。
この近辺は、『水郷筑波国定公園』に指定されており、その一部という事になります。
元々は『水郷筑波国定公園』の水郷地区、浮島園地として管理されていたようです。
以前はキャンプ場として利用されていたようですが、
利用者のマナーの問題なのか?、現在はデイキャンプのみ利用可。
霞ヶ浦の湖畔の芝生の広がる公園です。
春には、チューリップ祭りと称して、公園内に約30種類20万本のチューリップが植えられ、
チューリップの名所となっているようです。
いきなり、こんな看板が現れました。
確かに、『水郷筑波国定公園』となっている。
この『浮島』と言う文字がキーポイントのようです。
和田公園の駐車場に建てられていた案内板。
こちらにも、和田公園とは書かれていない。
その案内板によれば、明治後期までこの辺りは完全な島で
その名もズバリ、『浮島』と言っていた。
現在は埋め立てられて、かつての島の面影は殆ど有りません。
以前は、『浮島園地』と呼んでいた名残りが残っています。
では、和田公園を散策しましょう。
以前はキャンプ場でもあったので(もちろん今でもデイキャンプは出来るから、一応キャンプ場?)
広い芝生の広場が広がっています。
その芝生広場の外周に散策路が設けられています。
先ほどの妙岐ノ鼻ではロングリードにし忘れたので
今回は、しっかりロングリードでの散策です。
四阿もあったりして、雰囲気は良い。
やっぱり、芝生広場のある公園は良いなぁ。
そもそも、この和田公園のある場所は霞ヶ浦の浮島の岬になり、
ちょうど公園のある辺りが、ひょいと霞ヶ浦に突き出ている感じになります。
こちらにも、別な説明板。
説明板によれば、平安時代の歌人、紀貫之が
『桜川 瀬々の白波 シゲ蹴れば 霞うながす 信太の浮島』
と、このような歌を詠んだらしい。
また、景行天皇が病死した息子である日本武尊を追慕し、
約1ヶ月もの間、浮島に滞在したらしい。
この浮島は、何とも由緒ある地ではありませんか!
和田公園をぐるっと取り巻くように、霞ヶ浦の湖畔の道が走っています。
その道沿いには、別な名を冠した看板。
こちらの看板には浮島公園と記されています。
和田公園と呼ぶよりは、浮島公園とか浮島園地の方が
浮島の長い歴史を鑑みると、適しているような気がします。
霞ヶ浦の湖畔沿いを散策してみましょう。
湖畔を覗き込み...............
何か気になるのかと思いきや、
しっかりとマーキング。
そして、何も無かったかのように再び歩き出す びいすけ 。
軽快に闊歩して行きます。
太陽が西に移動し、場所によっては逆光になってしまうけれど
それはそれで、違った雰囲気が出て、味が出る。
(単に逆光の補正が出来ない言い訳なんですけどね...............)
このまま真っ直ぐ行けば駐車場。
さあ、そろそろ車に戻ろうか...............
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2015/11/24 Tue. 00:00 |
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