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び・び・びのびいすけ

岩名運動公園    (2015年11月11日)(千葉県佐倉市) 

11月11日 公休日

北総花の丘公園ドックランをあとにして、
向かった先は...............岩名運動公園


個人的に街中を散歩するよりは、自然に近い公園を散歩するのが好きです。

雑木林の中の枯葉の遊歩道をカサカサと落ち葉を踏みしめて歩く...............
こんなシチュエーションは最高です。

季節は晩秋の入り口。
まさに、落ち葉の遊歩道を歩くと言う季節になって来ました。


岩名運動公園は初めて訪れますが、
元々は岩名城が在った台地を運動公園に改変した場所。
近隣には佐倉の昔からの里山風景が残る岩名地区にあります。



駐車場に車を停め、ロングリードに付け替えて
いざ!!

岩名運動公園の散策と参りましょう。


いきなり目にとまった立て看板。

      20151111岩名運動公園09


愛犬家の皆さん、マナーは守りましょうね!



駐車場から元気に階段を駆け上がる びいすけ 。

      20151111岩名運動公園01


運動公園内だから、車は滅多に来ないけれど
車道を歩いてはいけません!

      20151111岩名運動公園02


よい子は、歩道を歩きましょう。

      20151111岩名運動公園03



いきなり現れたモニュメント。

      20151111岩名運動公園04

北村西望氏の作品、「姿雄国建」という彫刻。

      20151111岩名運動公園05



さらに先に進めば...............

      20151111岩名運動公園06



今度は、こんなモニュメント。

      20151111岩名運動公園07


佐倉と言えば、忘れちゃならないのが陸上(マラソン)の小出義雄監督。

佐倉アスリート倶楽部を設立し、有森裕子や高橋尚子の二人のメダリストを指導した人。
その小出監督の直筆による「夢と希望」と書かれたモニュメント。

      20151111岩名運動公園08



こちらは、中嶋一雄氏の作品、「飛翔ー21へ」。

      20151111岩名運動公園10



この岩名運動公園を起点にして二人のメダリストのジョギングコースがらあります。

こちらが、そのコース案内図。

      20151111岩名運動公園11

京成佐倉駅北口に標柱が建っていたりするから
金メダルロードとか言っていたような気がしたけれど
実際に高橋尚子や有森裕子が走っていた訳じゃないらしい。
ジョギングコースを決めた際、市民からコース名を公募して
有森裕子コース、高橋尚子コースと決まったらしい。



それにしても、立派な陸上競技場。

      20151111岩名運動公園12



びいすけ は競技場よりも芝生の観覧席が気に入ったみたいです。

芝生にゴロ〜ん。
そして、背中をスリスリ。

      20151111岩名運動公園13



起き上がって、プルプルプル〜ッ。

      20151111岩名運動公園14



こちらは、競技場の向かいにある野球場。

      20151111岩名運動公園15


その名も長嶋茂雄記念岩名球場と言うらしい。

      20151111岩名運動公園16




散策を続けましょう。

      20151111岩名運動公園17


まだまだ元気。
ロングリードを引っ張りながら歩く びいすけ 。

      20151111岩名運動公園18



先ほどの陸上競技場の反対側に来ました。

      20151111岩名運動公園19

やっぱり、スタンドも立派。




この辺りは、岩名運動公園の境界近く。
この道の先には内郷小学校。

      20151111岩名運動公園20



公園造成時のモノなのか?
はたまた、公園造成前のモノなのか?

明らかに土塁に見える土壇。

      20151111岩名運動公園21



かつての岩名城の名残りでしょうか?

      20151111岩名運動公園22



やっと見つけた公園案内図。

      20151111岩名運動公園23

この時点まで、岩名運動公園がどのような配置になっているか知らなくて、
適当に歩いていました。

案内図によれば、芝生広場が二ヶ所あるようなので
芝生広場に行きましょう。


って、案内図の前が芝生広場だったりして(笑)。


こちらが芝生広場。

      20151111岩名運動公園24



やっぱり、ここでもゴロ〜ん。

      20151111岩名運動公園25



そんなに気持ち良いのかな?

      20151111岩名運動公園26



背中を芝生にスリスリした後は、芝生に腹ばい。

      20151111岩名運動公園27

芝生の感触を堪能したかい?



そらに、芝生広場を徘徊。

      20151111岩名運動公園28


この場所で散歩するワンちゃんも多いのでしょう。
念入りにクンクンと匂いを嗅いでいます。

      20151111岩名運動公園29



秋も深まったとは言え、北総台地の紅葉はまだちょっと早いみたい。

      20151111岩名運動公園30



少し色付き始めたけれど、見頃まではあと半月ほどはかかるのかな?

      20151111岩名運動公園31



両脇の木々が色付けば、この石段も絵になりそう。

      20151111岩名運動公園32


ほんのり、色付き始めているんだよなぁ。

      20151111岩名運動公園33

秋は確実に北総台地に訪れています。


この石段を上がれば、先ほどの長嶋茂雄記念岩名球場。

      20151111岩名運動公園34


遠慮がちに、球場のバックネット裏のスタンドに入ってみます。

      20151111岩名運動公園35



土日なら、草野球か少年野球で人が居そうですが
平日の午後、グランドには誰も居ません。

      20151111岩名運動公園36



それにしても、立派な球場。
さすが、長嶋茂雄の名を冠しただけはある。

      20151111岩名運動公園37



確か、夏の高校野球の千葉県大会の会場にもなっているはず。

      20151111岩名運動公園38



このグランドで千葉県の高校球児の熱き戦いの一部が繰り広げられている。

      20151111岩名運動公園39



球場脇の木々も色付き始めています。

      20151111岩名運動公園40



さてさて、駐車場にでも戻りますか...............

      20151111岩名運動公園41



駐車場の隅に案内図。

      20151111岩名運動公園44

最初に気付けば良かった。



駐車場の隣は芝生広場。

      20151111岩名運動公園42



ここでも、 びいすけ は匂い嗅ぎの徘徊。

      20151111岩名運動公園43




芝生広場の端っこには、何故か土俵。

      20151111岩名運動公園45


      20151111岩名運動公園46

そう言えば、大相撲の11月場所
白鵬も復活して、好調。


秋深し、北総の台地。
紅葉の時期まで、あと少し。

木々が綺麗に色付く頃にまた遊びに来ようかな...............。




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2015/11/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北総花の丘公園ドッグラン    (2015年11月11日)(千葉県印西市) 

11月11日 公休日

個人的な連休。

遠出をしようかな?とも考えていたけれど
少し遅めに起きて、朝の散歩の後に二度寝をしていたら
あっという間に時刻はお昼。

この時間から出かけるのなら、無難なところでドッグラン..........

と言うことで向かった先は......北総花の丘公園ドッグラン


お昼すぎのドッグラン。
フリーエリアには、誰もいなくて貸切状態。
いつものように、フェンス周りの徘徊。

      20151111北総01


      20151111北総02



気になる匂いがあれば、自分の縄張りとばかりにマーキング。

      20151111北総04



そして、芝生と言うか、土を蹴ります。

      20151111北総03

普段の散歩の時のマーキングやウンチの時にはしないのに
何故かドックランに来ると土を蹴る...............
おかしな習性?




さらに、芝生の匂いを嗅ぐ びいすけ 。

      20151111北総05


      20151111北総06


      20151111北総07

ドックランに走りに来ているのでは無く
完全に匂いを嗅ぎに来ている びいすけ 。




フリーエリアには誰も居ないドックランに来場者登場。


イタグレくんがやって来ました。


イタグレくんが気になるのか、やたらと匂いを嗅ごうとする びいすけ 。

      20151111北総08


      20151111北総09



でも、イタグレくんより飼い主さんの方が気になるようです。

      20151111北総10



イタグレくんと遊ぶかな?
なんて思いながら、しばらく眺めてみます。

      20151111北総11



遊びそうな気配が漂いますが...............

      20151111北総12



一瞬、絡んだだけ。

      20151111北総13


あとは、いつものように...............
また、ドックラン内を単独で徘徊です。

一点を見つめる びいすけ 。

      20151111北総14


そして、こちらの様子を窺います。

      20151111北総15



どうやら、新たな来場者が現れたようです。


1歳のドーベルマン(?)の女の子。

      20151111北総16



若いから、遊びたい盛り。
びいすけ に『遊んで!』と近寄って来ます。

      20151111北総17



どうやら、ドーベルちゃんの方が びいすけ が気になるようで
盛んに匂いを嗅いでいます。

      20151111北総18

      20151111北総20


      20151111北総21



男と女に相性があるように、ワンちゃんにも相性がある。
なかなか びいすけ と相性の合うワンちゃんは少なくて、
残念ながら、このドーベルちゃんとも相性はイマイチかなぁ...............。

      20151111北総19


     
またまた、単独でドックランを徘徊。

      20151111北総22



あっちに行ったり、

      20151111北総23


こっちに行ったり。

      20151111北総24



立ち止まっては...............

      20151111北総25



匂いを嗅いだり...............。

      20151111北総26



久しぶりのタイヤ。

      20151111北総27

オヤツを見せれば、この通り。
タイヤの上にジャンプして上がれば
オヤツを貰えると思ってます。



びいすけ にちょっかいをかけていたら
上手くスイッチが入ってくれたようです。

      20151111北総28



大きな弧を描いて走り出した びいすけ 。

      20151111北総29


      20151111北総30


勢い良く、私の前を駆け抜けて行きます。

      20151111北総31



カメラの連写機能を使いましょう。

      20151111北総32


      20151111北総33


あわよくば、飛行犬。な〜んて思っていたけれど
やっぱり飛行犬撮影は難しい。

      20151111北総34


4コマ/秒の連写機能だと、やっぱりタイミングが合わないのかなぁ?

      20151111北総35


      20151111北総36



まあ、飛行犬が撮れなくても、元気に走ってくれればそれで良い。

      20151111北総37


      20151111北総38



ドックランを3周ほどしたら、何故かペースダウン。

      20151111北総39



いつしか走ると言うよりはジョギングモード。
(犬にジョギングなんてあるのかな?)

      20151111北総40


      20151111北総41



気が付いたら、ドックランに来て、早1時間。
そろそろ今日のドックランにも飽きだしたかな?


徘徊するならドックランじゃなくても良い。
ちょっぴり、父さんの趣味に付き合って貰おうかな?

『 びいすけ! 散歩に行くよ〜!? 』





2015/11/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大森陣屋跡  (2015年11月6日)(千葉県印西市) 

11月6日 公休日

この日は、印西市に出かけました。


和泉城址を跡にして、向かった先は...............大森陣屋跡



大森陣屋は詳細は不明ですが、
寛永8年(1631)に街道が整備され大森宿場が造られました。
その際に幕府代官の陣屋が置かれたそうです。
その後、佐倉藩領となり、藩主の稲葉氏が山城国の淀(現京都市)に国替えになると
下総国の二万石余は淀藩の飛び地で残りました。
享保12年(1727)、淀藩の地方庁として大森陣屋が再び設けられたようです。



こちらが、大森陣屋の縄張り図。

      大森陣屋縄張り図

      ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました)





印西市役所の裏手にある台地が、大森陣屋跡。

      20151106大森陣屋跡01


周辺は宅地開発され、分譲住宅街。

その中を上がっていく、登城路。

      20151106大森陣屋跡02


坂を上った先が、陣屋跡。


明らかに人の手が入った削平地ですが、一部は宅地化され民家もあります。

      20151106大森陣屋跡03



しかし、ほとんどが耕作地。

      20151106大森陣屋跡04


      20151106大森陣屋跡05


     

台地中央にある土壇。

      20151106大森陣屋跡07

古墳跡が何かだろうか?



台地の南東には民家が数軒あり、民家との境界は
空堀跡に見えなくもない。

      20151106大森陣屋跡08



台地最奥から、陣屋跡を振り返ってみます。

      20151106大森陣屋跡09



単なる耕作地にしか見えないなぁ。

      20151106大森陣屋跡10



季節は晩秋。

      20151106大森陣屋跡06



車を停めた市役所に戻る途中、陣屋跡のある台地から
利根川方面を眺めてみます。

      20151106大森陣屋跡11

さほど比高があるわけでもないけれど、それなりに展望は拓けている。


詳細の不明な大森陣屋ですが、ひょっとしたら、元々は利根川水域の監視のための
砦か何かのあった台地を流用したのかもしれませんね。

台地中央部にある、古墳跡のような土壇がやっぱり気になります...............。

あれは、一体何なのだろうか?










2015/11/28 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

和泉城址  (2015年11月6日)(千葉県印西市) 

11月6日 公休日

この日は、印西市に出かけました。


北総のドックランをあとにして、向かった先は...............和泉城址


和泉城は、築城時期等、詳細は不明ですが
近くには千葉氏の一族で、大須賀豊後守正氏の居城である竜崖城があったことより
竜崖城に関連する城だと言われているようです。




こちらが、和泉城の縄張り図。

      和泉城縄張り図

      ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました)





余胡さんの縄張り図の城址への進入口には、『立ち入り禁止』の立て札。

      20151106和泉城址01

『 えっ〜! 』と思いながらも
正面がダメなら裏から回ってみよう。

近くの畑で農作業をしているオジさんに裏に回る道を教えてもらい
裏面(側面)から進軍します。


この畑の奥、森の手前の削平地が和泉城址。

      20151106和泉城址02


単郭だったと言われる和泉城址。
元々は『東山』と呼ばれた台地に在りました。
台地下の農道を進みます。

      20151106和泉城址03


こちらが、南側からの登城路(?)

      20151106和泉城址04

後世に耕作地化に伴って出来たモノかも知れないけれど
見た感じは虎口です。


      20151106和泉城址05


      20151106和泉城址06



こちらが台地上部。
和泉城の郭跡。

      20151106和泉城址07



かつては土塁が三方を囲っていたようですが
昭和40年代(?)にブルドーザーで削り取られたらしい。

      20151106和泉城址08


そして、郭跡に栗の木を植えたようです。

      20151106和泉城址09



郭周辺をぐるっと廻ってみましたが
やっぱり遺構らしきモノはない。

逆に地面に落ちている栗のイガを踏んづけてしまい
スニーカーの底を突き刺して足の裏がチクリ。


超危険!

びいすけ が肉球で踏んづけたら大変!



イガのない所で写真を撮って、早々に撤収することにいたしました。

      20151106和泉城址10


      20151106和泉城址11


これと言った遺構も無く、見所も正直言ってなくなってしまった和泉城址。

物足りないと言った所が本音でしょうか...............。








2015/11/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北総花の丘公園ドッグラン   (2015年11月6日)(千葉県印西市) 

11月6日 公休日

この日は単発休み。

先日、留守中に配達され、不在通知が届いていたマイナンバーの封書を
郵便局まで取りに行き、その足で向かった先は...............北総花の丘公園ドックラン


平日の11時過ぎ。
ドックランに来るには中途半端な時間帯なのだろうか?
先着の2頭(サルーキー、ボルゾイ)も入れ替わるような感じで帰られ
フリーエリアは 貸し切り状態 となりました。

      20151106北総01



まぁ、他のワンちゃんが居ても、我関せずマイペースな びいすけ 。

他に居ないから、いつものようにフェンス周りを徘徊。

      20151106北総02



いつになく、ゆっくりと徘徊。

      20151106北総03


      20151106北総04



まるで、何かを確認しているのか? と思うほど
しつこいくらいの匂いの確認。

      20151106北総05



まぁ、ドックランに来るのも久しぶりだから
普段は嗅ぐことがない匂いがいっぱいあって
飽きないのかなぁ?

      20151106北総06


フェンス周りを一周したら、今度は芝生の匂いのチェック。

      20151106北総07


あっちでクンクン。

      20151106北総08



こっちでクンクン。

      20151106北総09



そして、再びフェンス周りの徘徊。

      20151106北総10




突然、何かに気づいたように一点を見つめる びいすけ 。

      20151106北総11

そして、またフェンス周りを徘徊します。



スマホをいじっていて、目を離していたら
いきなり吠え出す びいすけ 。

      20151106北総12

どうやら、ドックラン周りの散策路をランニングしているオジさんが気になって
吠えているようです。


『ダメ! 吠えない!』

      20151106北総13

注意をしたら、キョトンとした顔をしています。

      20151106北総14

本当は吠えたいんだけど、どうやら我慢しているようです。


誰か知っているワンちゃんでも来れば良いんですが
来場されるのは小型犬エリアのワンちゃん。

入口方向を見つめていますが、誰も来ません。

      20151106北総15



仕方ないから、『たまにはお父さんと遊ぶ?』

びいすけ にちょっかいをかけて、
何とか走る気モードのスイッチを入れる事が出来ました。

      20151106北総16



大きな弧を描いて激走する びいすけ 。

      20151106北総17


      20151106北総18


      20151106北総19


      20151106北総20


      20151106北総21


やっぱり、ドックランでは走ってくれないとね。

      20151106北総22



それでも2〜3周走ったら、ペースダウン。

      20151106北総23


      20151106北総24



やがて、足を止め...............。

      20151106北総25



よっこらしょ! っと地面に腹這い。

      20151106北総26



周りの様子を伺い...............。

      20151106北総27



大きなあくび。

      20151106北総28



『 ふぁ〜あ 』

      20151106北総29


疲れちゃったのかなぁ?

      20151106北総30


それとも飽きちゃったのかなぁ?


確かに、ドックランに来てちょうど1時間。
そろそろ限界な時間になったのかな?

やっぱり、 びいすけ にはドックランは1時間がちょうど良いみたいです。






2015/11/27 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

景行天皇行在所跡  (2015年11月1日)(茨城県稲敷市) 

11月1日 公休日

この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。


浮島城址をあとにして、自宅へ帰るべく県道を走っていると
こんな案内板が目にとまりました。

      20151101景行天皇行在所跡01

『景行天皇行在所跡』...............?
なんだそれ?

気になると、確かめないとスッキリしない性格故に
すぐさまUターン。
景行天皇行在所跡に立ち寄ることにしました。


こちらが、景行天皇行在所跡の入口。
階段を上った先になるようです。

      20151101景行天皇行在所跡02


稲敷市教育委員会が建てた説明板。

      20151101景行天皇行在所跡03

以前は手書きの説明板だったようですが、
新しく作り直したみたいですね。



その説明板によれば...............

景行天皇が自分の子である日本武尊に東夷征討を命じました。
日本武尊はその命を果たし、帰路途中の伊勢の能褒野にて病死してしまいます。
これを知った景行天皇は、日本武尊を追慕するあまり征途の跡を巡幸されました。
その途中でこの地(浮島)に張宮を営まれ、三十余日滞在されたそうです。
この丘を張宮の跡として伝え、地名もお伊勢の台と敬称し今に至っているそうです。



日本武尊の時代って、今から1000年以上も前の話。
はっきり言って、神話の世界ですよね?

そんな昔の話、本当かよ? と思う気持ちを抑え、
石段の先へと向かいます。

      20151101景行天皇行在所跡04


石段を上った先は、削平地。

      20151101景行天皇行在所跡05

あれ? 確か午前中にも、こんなような場所に来たぞ...............?
そうです、酒々井町の築山に雰囲気が似ています。



土塁のような土壇があったりして、城址っぽく見える。

      20151101景行天皇行在所跡06


      20151101景行天皇行在所跡07




削平地の中央部に一段高くなった土壇があり、
そこに石碑が建っています。

      20151101景行天皇行在所跡08


      20151101景行天皇行在所跡09



石碑よりも、この削平地が気になります。
明らかに人の手が入ったと思われる土壇。

      20151101景行天皇行在所跡10

土壇って言うか、完全に土塁でしょ?
違うのかなぁ?



さらに奥にも削平地は広がっています。

      20151101景行天皇行在所跡11



こちらは、虎口に見えなくもない。

      20151101景行天皇行在所跡12


      20151101景行天皇行在所跡13


      20151101景行天皇行在所跡14



まあ、古えの昔に景行天皇が約1ヶ月滞在した場所だから
削平されたとは思うけれど...............
その時代って、この周辺は霞ヶ浦の水の中だったんじゃないのかな?
浮島同様に島だったのだろうか...............?


疑問は色々と残るが、石段の脇に立派な木がそびえている。

      20151101景行天皇行在所跡15



まさか、樹齢1000年以上なんてことはないと思うけれど、
ひょっとしたら、この木が真実を知っているかもしれないなぁ...............。







2015/11/26 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

浮島城址  (2015年11月1日)(茨城県稲敷市) 

11月1日  公休日

この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。

和田公園(浮島園地)をあとにして、向かった先は...............浮島城址


浮島城の築城は、承平年間(930年頃)、将門に組した興世王によるものだとされています。
その後、物部信太連の裔、浮島太郎安広が修築して居城とし、後裔相次ぎましたが、
天正年間(1590年頃)、末裔である漢島弾正が佐竹に滅ぼされ廃城になったと伝えられています。

浮島城は現在の浮島集落全体を包み込む壮大な城郭であり、
この地域はかつてはこの名前が示すとおり、霞ヶ浦に浮かぶ島であったとされています。
広大な城郭ではありましたが、城の中心部(主郭)は姫宮神社の辺りとされています。


こちらが、浮島城の縄張り図

       浮島城址縄張り図

        (余胡くんのお城のお城のページ  よりお借りしました)



こちらが姫宮神社。

       20151101浮島城址01

鳥居のある場所は台地下部。
石段を上った先に本殿があり、浮島城址の主郭にあたるようです。


石造りの鳥居には『姫宮神社』『龍崎神社』の社額が掲げられています。

      20151101浮島城址02



姫宮神社の由来が記された手書きの説明板。

      20151101浮島城址03

説明板によれば、佐竹氏との戦に敗れ湖底に身を沈めた
漢島弾正の娘である小百合姫の霊を祀ったのが姫宮神社てあるらしい。
こう言う説明板って味があるなぁ。


では、石段を上って姫宮神社、浮島城址の主郭を覗いてみましょう。

      20151101浮島城址04


      20151101浮島城址05


石段を上った先は、姫宮神社の境内。
当然、削平地。

こちらが、姫宮神社の拝殿。

       20151101浮島城址06


       20151101浮島城址07


拝殿の裏。
確かに、堀跡らしきモノがあるが
確実に堀跡だとは言い切れない。

      20151101浮島城址08



こちらも、堀跡っぽく見えてしまう、

      20151101浮島城址09


姫宮神社には、浮島城址として確固たる遺構は確認できませんでした。


姫宮神社から一度台地を下り、さらに台地奥へと進んでみます。


二郭跡だろうか?
こちらも削平地。

      20151101浮島城址10

畑に転用されて近年まで耕作されていたみたいです。


さらに台地を上れば、広い削平地。

こちらが主郭だったんじゃないかと思えるほど広い。

      20151101浮島城址11


広大な耕作地と化し、目の前をトラクターが通過し
完全な農作地。

      20151101浮島城址14


      20151101浮島城址15

周辺に遺構らしきモノも確認できませんでした。





さらに奥へ足を伸ばせば、べつな郭(?)。

      20151101浮島城址12


こちらは、果樹園として利用されています。

      20151101浮島城址13




これ以上先へと進んでも、何も無さそうなので撤収。
台地を下ることにしました。


やはり、姫宮神社の鳥居辺りから台地を眺めると
城らしい雰囲気がある。


      20151101浮島城址16


しかしながら、城郭遺構はなく、
物足りなさを感じてしまったのは私だけだろうか................?







2015/11/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

和田公園  (2015年11月1日)(茨城県稲敷市) 

11月1日  公休日

この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。


妙岐の鼻をあとにして、向かった先は...............和田公園


霞ヶ浦の南側に『和田岬』と名の付く場所があり、その周辺が和田公園になっています。
この近辺は、『水郷筑波国定公園』に指定されており、その一部という事になります。
元々は『水郷筑波国定公園』の水郷地区、浮島園地として管理されていたようです。

以前はキャンプ場として利用されていたようですが、
利用者のマナーの問題なのか?、現在はデイキャンプのみ利用可。
霞ヶ浦の湖畔の芝生の広がる公園です。
春には、チューリップ祭りと称して、公園内に約30種類20万本のチューリップが植えられ、
チューリップの名所となっているようです。



いきなり、こんな看板が現れました。
確かに、『水郷筑波国定公園』となっている。

      20151101和田公園01

この『浮島』と言う文字がキーポイントのようです。


和田公園の駐車場に建てられていた案内板。

      20151101和田公園02

こちらにも、和田公園とは書かれていない。


その案内板によれば、明治後期までこの辺りは完全な島で
その名もズバリ、『浮島』と言っていた。

      20151101和田公園03

現在は埋め立てられて、かつての島の面影は殆ど有りません。



以前は、『浮島園地』と呼んでいた名残りが残っています。

      20151101和田公園04




では、和田公園を散策しましょう。

      20151101和田公園05


以前はキャンプ場でもあったので(もちろん今でもデイキャンプは出来るから、一応キャンプ場?)
広い芝生の広場が広がっています。
その芝生広場の外周に散策路が設けられています。

      20151101和田公園06


先ほどの妙岐ノ鼻ではロングリードにし忘れたので
今回は、しっかりロングリードでの散策です。

      20151101和田公園10

四阿もあったりして、雰囲気は良い。

      20151101和田公園07



やっぱり、芝生広場のある公園は良いなぁ。

      20151101和田公園09


     

そもそも、この和田公園のある場所は霞ヶ浦の浮島の岬になり、
ちょうど公園のある辺りが、ひょいと霞ヶ浦に突き出ている感じになります。

      20151101和田公園11



こちらにも、別な説明板。

      20151101和田公園13



説明板によれば、平安時代の歌人、紀貫之が

『桜川 瀬々の白波 シゲ蹴れば 霞うながす 信太の浮島』

と、このような歌を詠んだらしい。

また、景行天皇が病死した息子である日本武尊を追慕し、
約1ヶ月もの間、浮島に滞在したらしい。

      20151101和田公園12

この浮島は、何とも由緒ある地ではありませんか!
     



和田公園をぐるっと取り巻くように、霞ヶ浦の湖畔の道が走っています。

その道沿いには、別な名を冠した看板。

      20151101和田公園14

こちらの看板には浮島公園と記されています。



和田公園と呼ぶよりは、浮島公園とか浮島園地の方が
浮島の長い歴史を鑑みると、適しているような気がします。

      20151101和田公園15



霞ヶ浦の湖畔沿いを散策してみましょう。


湖畔を覗き込み...............
何か気になるのかと思いきや、

      20151101和田公園16



しっかりとマーキング。

      20151101和田公園17



そして、何も無かったかのように再び歩き出す びいすけ 。

      20151101和田公園15



軽快に闊歩して行きます。

      20151101和田公園19


太陽が西に移動し、場所によっては逆光になってしまうけれど
それはそれで、違った雰囲気が出て、味が出る。

      20151101和田公園20

(単に逆光の補正が出来ない言い訳なんですけどね...............)


このまま真っ直ぐ行けば駐車場。

      20151101和田公園21


さあ、そろそろ車に戻ろうか...............





2015/11/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

妙岐の鼻    (2015年11月1日)(茨城県稲敷市) 

11月1日 公休日

この日は、稲敷市に出かけました。

新東小学校をあとにして向かった先は...............妙岐ノ鼻


妙岐ノ鼻とは、浮島地区の稲敷大橋付近に広がる湿地帯で、
この場所が霞ヶ浦に鼻のようにつきだしていることからこう呼ばれています。
この妙岐ノ鼻一帯は、今では見かけることの少なくなった、
かやぶき屋根の材料となる葦が生い茂る「茅場」です。
その広さは50ha、東京ドーム約10個分もの広大な湿原で、
関東では最大級のヨシ原といわれています。
このほか、マコモ、ガマ、カモノハシなど湿性植物の群落もあり、
環境省の特定植物群落として指定されています。 
またここは、野鳥の宝庫で、バードウォッチングの場所としても人気を集めています。
全国的に棲息地が少ないコジュリンやオオセッカなどの重要な繁殖場所。
またオオヨシキリ、コヨシキリなどの野鳥も見られます。
現在、この妙岐ノ鼻一体は(独)水資源機構が管理しており、
野鳥観察小屋や湿生植物を観察できる木道が整備されています。



こちらが妙岐ノ鼻の中心部。
駐車場の向かいにある妙岐ノ鼻鳥類観察小屋。

      20151101妙岐の鼻01


      20151101妙岐の鼻02


では、さっそく野鳥でも観察してみましょう。

      20151101妙岐の鼻03



『 僕も見たい! 』と覗き穴を探す びいすけ (笑)。

      20151101妙岐の鼻04



何か見えたかな?

      20151101妙岐の鼻05



覗き穴から見ると、こんな感じ。

      20151101妙岐の鼻06



野鳥はなかなか見つかりません。

      20151101妙岐の鼻07

夏には緑一色の葦もこの時期には枯れて、茶色の世界が広がります。





妙岐ノ鼻そのものは湿原ですが、散策路があり散策が出来ます。


もう一つノ観察小屋まで700m。
散策を兼ねて行ってみましょう。

      20151101妙岐の鼻08



散策を始めて、ロングリードに付け替え無かったことを後悔。
とにかく、先を行きたがる びいすけ がリードを引っ張ります。

      20151101妙岐の鼻10


ゆっくり歩きなさい!

立ち止まる びいすけ 。

      20151101妙岐の鼻09

反省したのかな?(笑)



やがて、観察小屋が見えてきました。

      20151101妙岐の鼻11



さらに観察小屋に近付きます。

      20151101妙岐の鼻12



こちらが、観察小屋。

      20151101妙岐の鼻14

物凄いズームレンズを装着した一眼カメラを持った愛鳥家の方が
バードウォッチングをしていたので、邪魔にならないようにします。



とりあえずは、観察小屋の脇に建つ案内図で現在地を確認します。

      20151101妙岐の鼻13


      

びいすけ を待機させて、観察小屋に行こうとすると...............
『 ワン! ワン!! 』と激吠え。

      20151101妙岐の鼻15


      20151101妙岐の鼻16




仕方ないので、邪魔にならないように細心ので注意を払い
観察小屋の覗き穴から眺めてみます。

      20151101妙岐の鼻17

見た感じ、先ほどの観察小屋とさして変わらない風景。



静寂な葦の湿原の脇、霞ヶ浦にはボートに乗ってバス釣りに興じる人も多い。

      20151101妙岐の鼻18


      20151101妙岐の鼻19


ついつい、長閑だなぁと感じてしまいます。





妙岐ノ鼻鳥類観察小屋に戻り、
今度は反対方向にある水辺デッキに行ってみましょう。

      20151101妙岐の鼻20



湿原に架かる、この木道ノ先が水辺デッキ。

      20151101妙岐の鼻21



案内図を見てるのか?
はたまた案内図の奥の葦の湿原を覗きこんでいるのか?
びいすけ にとっては、やたらと気になる場所のようです。

      20151101妙岐の鼻22



水辺デッキの先端は立ち入り禁止。
ならば、この辺りで写真を撮りましょう。

      20151101妙岐の鼻23



マジマジと霞ヶ浦を眺めたことはあまり無いけれど
こうやって見ると、霞ヶ浦って本当に広い。

      20151101妙岐の鼻24


感覚的には印旛沼ど同じとか、印旛沼に毛が生えたようなモノだと思っていましたが
なんの、なんの。霞ヶ浦はやっぱり広い。

      20151101妙岐の鼻25


      20151101妙岐の鼻26



霞ヶ浦周辺もなかなか捨てたモノじゃない。
でもあまり人気が無いと言うか、知名度が低いんだよなぁ...............

ここは一つ、霞ヶ浦周辺の穴場を廻って、霞ヶ浦を極めてみますか!?(笑)。






2015/11/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........新東小学校  (2015年11月1日)(茨城県稲敷市) 

11月1日 公休日

この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。


最初に訪れたのは...............稲敷市立新東小学校

新東小学校の詳しい沿革は分かりませんが
平成25年にあずま東小学校に統合され、廃校となりました。


こちらが新東小学校の正門。

      20151101新東小学校01


廃校から既に2年半。
門柱の表札は外され、ガムテープで目張りされています。

      20151101新東小学校02

正門はゲートが閉められ、しっかり鍵も掛けられ中へは入れません。



仕方ないのでフェンス沿いにぐるっと一周してみましょう。



別な校門を発見。

      20151101新東小学校03


こちらには、昔の表札が掲げられています。

東町立新東小学校。

      20151101新東小学校04

平成17年に江戸崎町、 新利根町、東町、桜川村が合併して稲敷市が誕生しました。
少なくても平成17年以前は東町立新東小学校と呼ばれていたようです。


残念ながら、こちらの校門もゲートが閉められています。




さらにフェンス沿いに歩き、校庭沿いに歩きます。


フェンス越しに眺める校舎。

      20151101新東小学校05


      20151101新東小学校06


フェンス越しに眺める遊具類。

      20151101新東小学校07


      20151101新東小学校08


      20151101新東小学校10



同じく、フェンス越しに眺める体育館。

      20151101新東小学校09




校庭側の通用門(出入口)が空いていたので
誰もいませんが、一応『失礼しま〜す』と声をかけて
敷地内に入らせてもらいました。



こちらが、正門側からみた校舎。

      20151101新東小学校11



校舎脇に建っていた石碑。

      20151101新東小学校12

廃校記念碑か?と一瞬喜びましたが
新東小学校の校歌の碑でした。


さらに、その横に建っていた碑と記念樹。

      20151101新東小学校13


『希望』と書かれた文字板。

      20151101新東小学校14

こちらは、財団法人 ソニー教育振興財団の『ソニー賞』を受賞した記念の碑のようです。

優れた科学教育の取り組みを行っている学校に対して
ソニー教育振興財団教育資金を贈呈されたようです。




『光あれ』

      20151101新東小学校15

平成5年の卒業生の記念碑のようです。



こちらは、『友情の泉』

      20151101新東小学校16



やはり、昭和63年の卒業記念のモノのようです。

      20151101新東小学校17



こちらは、多目的広場

      20151101新東小学校18

昭和62年の卒業記念で整備されたようです。


こちらは、『友情の樹』

      20151101新東小学校19

昭和61年の卒業記念に植えられたモノのようです



どうやら、新東小学校は『友情』というのがキーポイントだったようですね。



霞ヶ浦を模した池。
その名もズバリ! 『かすみがうら』。

      20151101新東小学校20

平成6年の卒業記念に作られたモノのようです。



なぜか? 校庭の隅にステージ。

      20151101新東小学校21


子供たちは、このステージの舞台で『大志』を抱いたのでしょうか?

      20151101新東小学校22


最後に今一度、校舎を眺めてみます。

      20151101新東小学校23


      20151101新東小学校24


廃校記念碑もなく、二ノ宮像も無かったので新東小学校。
霞ヶ浦の湖畔、かつての霞ヶ浦の開拓地に建つ小学校。
太古の昔は紛れもなく海? それとも湖?
いずれにしても周りは水の世界だったのであろう。

おそらく、この小学校の歴史は
霞ヶ浦の開拓の歴史にリンクしていたのだろう。
廃校になったということは、霞ヶ浦開拓に一区切りがついたということなのだろうか...............?


2015/11/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

築山    (2015年11月1日)(千葉県印旛郡酒々井町) 

11月1日  公休日

この日は、茨城県の稲敷市に出かける事にしました。

成田を抜けて、香取市経由で利根川を越えれば茨城県。


稲敷市に向かう途中、酒々井町で寄り道。
以前から気になっている場所に立ち寄ることにしました。


立ち寄った先は...............酒々井町 築山


成田街道の酒々井交差点の手前。
宗吾霊堂へ向かう県道の交差点(宗吾入り口)に気になる看板があります。

      20151101酒々井築山01



『 築山 』と書かれています。

      20151101酒々井築山02


      20151101酒々井築山03


階段脇には、酒々井町の観光ナビ。
QRコードを読み込めば、携帯電話でガイドの確認も出来ます。

      20151101酒々井築山04



築山は、酒々井町第一の眺望を誇る県立印旛手賀公園の台地にあります。
木内常右衛門邸旧跡 を眼下に、『明治天皇御駐蹕記念碑』が建っています。
碑の裏面に〝御休憩四回、明治14年6月29日、7月1日、明治15年6月6日、同月8日、
中川村木内常右衛門邸之築庭、昭和3年6月1日、鶴岡縫之助建設〟の文字 が刻まれているそうです。



この階段を上って行きます。

      20151101酒々井築山05


意外に階段の段数がある。

      20151101酒々井築山06


さらに上って行けば...............。

      20151101酒々井築山07



やがて、広い(?)削平地。

      20151101酒々井築山08



四阿もあります。

      20151101酒々井築山09



削平地上って最奥から振り返ってみます。

台地の上の削平地。
ひょっとしたら、昔の城址?
そんな感じが込み上げてきます。

      20151101酒々井築山10



堀跡と土塁の名残にも見えなくもない。

      20151101酒々井築山11



城址に見えてしまうのは、城好きの定めでしょうか?(笑)。

      20151101酒々井築山12


      20151101酒々井築山13



せっかくだから、四阿で一息つきましょう。

      20151101酒々井築山14


      20151101酒々井築山15


台地の上だから、眺望はそれなりに良い。

この森(台地)の奥が本佐倉城址。

      20151101酒々井築山16


こちらは、印旛沼方面。
印旛沼の開拓地にあたり、田園風景が広がります。

      20151101酒々井築山17



やはり、こちらも印旛沼開拓地。
奥に見えるのが平賀台の台地。

      20151101酒々井築山18




こちらが、『明治天皇御駐蹕記念碑』

      20151101酒々井築山19



裏面には、明治天皇がこの地に訪れ、休憩された月日が記されています。

      20151101酒々井築山20

まぁ、確かに明治の初期には、天皇がお神であり、御前であったわけだから
天皇が私有地に訪れること自体、凄いことだったのでしょう。



何かの碑の跡でしょうか?
三本の石柱が建っていた形跡が残っています。

      20151101酒々井築山21



こちらの築山は、『酒々井 ・山紫会 』の方々が管理して定期的に清掃してくれているようです。

      20151101酒々井築山22

確かに、雑草もなく、しっかりと管理され、手入れされています。



車を停めた『しまむら』の前辺りにて。

      20151101酒々井築山23

やっぱり、城址に見えちゃうんだけどなぁ〜(笑)。









2015/11/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

爪切り    (2015年10月29日) 

10月29日 公休日

この日は単発の休日。
特に出かける予定も無かったので、日頃の睡眠不足を解消するかの如く、
5時の朝散歩を済ませたら、再び爆睡。
正午過ぎまで惰眠を貪っていました。


さて、昼からはどうしよう?

ドックランって言う手もあるけど、まあ買い物にも行かないと...............

そう言えば、 びいすけ の爪も伸びてきたから、
爪切りに行こう。
当日の電話予約で17時半の予約が取れた。

それならばと、三度寝(笑)。



17時過ぎにお店(カインズホーム佐倉店)に顔を出したら
すぐさま爪切りと相成りました。


予約のみですが、爪切り、肛門線絞り、耳掃除、肉球マッサージ、デンタルケアの5点で税込み1000円。
今回もお世話になります。



レジで会計を済ませ、商品棚の陰からそっと覗きます。

      20151029爪切り01


びいすけ と目が合ってしまったので、興奮させてはいけないので
慌てて移動します。

      20151029爪切り02



今度は、こちら側から覗きます。

      20151029爪切り03



とりあえずは、大人しくして爪を切ってもらってます。

      20151029爪切り04



びいすけ と極力眼を合わせないように、
色々と場所を移動しながら、そっと見守るように覗きます。

      20151029爪切り05



基本的に爪切りは嫌なようで、どうしても逃げがちになるので
担当するお姉さんも大変。
抱き抱えるようにして、動きを制しているようです。

      20151029爪切り06



目を合わせないようにと、場所を変えてはいるのですが
どうしても目が合ってしまいます。

      20151029爪切り07



体は抑えられていますが、尻尾はフリー。

      20151029爪切り08

目が合ってしまうと、尻尾を振るリズムが激しくなり
尻尾がお姉さんの顔に当たって、いい迷惑。



爪切りも終わり、順調に5点セットは進んでいきます。

      20151029爪切り09


      20151029爪切り10


      20151029爪切り11


      20151029爪切り12



無事、5点セットも終わり、リードを着けて戻って来ます。

      20151029爪切り13


爪も短くなったし、肛門線も絞ってもらったから
びいすけ もスッキリしたことでしょう。




2015/11/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

四万木不動滝  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


主基小学校をあとにして、向かった先は...............四万木不動滝



四万木不動滝は、
清澄を越えて県道から山道に入り、奥深い竹と杉の林の中にあり、
まさに"秘境"といった景色です。
高さ10m、幅8mで、水量の多いときには二つに分かれ右が雄滝、左が雌滝と呼ばれています。 
上流は深い渓谷となり、初夏の新緑と初冬の紅葉の頃は、美しい瀑布と共に情緒あふれる景色が楽しめるそうです。


とにかく、四万木不動滝のある不動堂までは県道から1kmほど山あいに入ります。
一応、舗装された道はあるのですが、とにかく狭い。
対向車とのすれ違いも不可能な狭さ。
幸い、平日の午後3時過ぎ。
房総半島の山奥にこんな時間に訪れるモノ好きはそんなに居ない。
対向車に出会うことなく、不動堂まで辿りつけました。


こちらが、不動堂。

      20151023四万木不動滝15


四万木不動滝は、ここからさらに300mほど歩きます。

      20151023四万木不動滝01


この辺りは、四万木不動滝自然園地と言うらしい。

      20151023四万木不動滝02


丁寧に道案内も用意されています。

      20151023四万木不動滝03



この階段を降りて行けば、四万木不動滝。

      20151023四万木不動滝04



観瀑台から眺める四万木不動滝。

      20151023四万木不動滝05



紅葉の時期になれば、色付いた木々の間に白い滝の流れを見ることが出来そうです。

      20151023四万木不動滝06



さらに下って、滝壺近く行ってみましょう。


久しく雨も降っていないから、水量は少なめのようです。

      20151023四万木不動滝07


      20151023四万木不動滝08



房総半島の滝は、
水量が少ないとか、水が濁っているとか
あまり良い評価はないようですが
この四万木不動滝は水の流れがきれい。

      20151023四万木不動滝09



正直、あまり期待はしていなかったのですが
良い意味で期待を裏切ってくれました。

      20151023四万木不動滝10


      20151023四万木不動滝11


      20151023四万木不動滝12



滝の周りの木々が紅葉で色付いてきたら
もっと絵になるかもしれない。

      20151023四万木不動滝13


      20151023四万木不動滝14



あまりメジャーではない滝巡り。
ましてや、房総半島の奥にある余り知れ渡っていない滝。

一応、県道には何ヶ所か案内は出ているものの、全国にある名瀑と比べたら
それはもうマイナーな滝。
でも、そう言ったマイナーな滝を見て、ちょっとだけ得した気分です。

知らなかったのですが、この辺りは山蛭の生息地でもあるらしい。
やっぱり滝は山蛭の居なくなる紅葉の季節が良いみたいですね。








2015/11/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........主基小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました

真福寺をあとにして、向かった先は.........鴨川市立主基小学校



主基小学校の詳しい沿革は良く分かりません

明治7年に開校したようですが
平成21年      吉尾小学校、大山小学校、主基小学校の3校が統合して
            小中一貫教育の長狭学園が新設されて廃校となりました。


そして、廃校後は一時期、鴨川市より施設を貸与されて
文理開成高校の通信制・日本語学科の校舎として利用されていたようですが、
文理開成高校が経営破綻して、現在は文理開成高校も引き払ってしまったようです。



こちらが正門。

      20151023主基小学校15


門柱には白いカバーが掛けられています。
カバー残る下には主基小学校と記されているのか?
はたまた、文理開成高校と記されているのでしょうか?

      20151023主基小学校16


正門から足を一本踏み入れれば、すぐ校舎。

      20151023主基小学校17


敷地内に入ってみます。


校舎全景。

      20151023主基小学校01



そして体育館。

      20151023主基小学校02




校庭にポツンと残る百葉箱。

      20151023主基小学校03



かつての正門跡。
門柱だけが残っています。

      20151023主基小学校05




校庭に残る遊具類。

      20151023主基小学校04


      20151023主基小学校06


      20151023主基小学校07


      20151023主基小学校09






長狭街道に掛かる横断歩道橋は直接校庭に入れるようになっていたようです。

      20151023主基小学校08




     
校庭の隅に建つ石碑類。

廃校記念碑かと思ったら、日露戦争戦勝碑。

      20151023主基小学校10



別アングルからの校舎。

      20151023主基小学校11


      20151023主基小学校12


三本もある旗掲揚ポール。

      20151023主基小学校13



校舎の前にある鉄棒。

      20151023主基小学校14




他の鴨川市内残る小学校同様に敷地内に幼稚園がありましたが
小学校の廃校と時期を同じくして、廃園となったようです。

園庭には、パンダの遊具が残されています。


なぜか、恐る恐る近寄る びいすけ 。

      20151023主基小学校18


      20151023主基小学校19



広い校庭。

      20151023主基小学校20

休みの日には、近所の子供たちが遊びに来ると
、主基小学校の隣にある駐在所のお巡りさんが言っていたけど
今日は金曜日。
誰も居ません。


フェンス沿いに建つ避難場所の案内。

      20151023主基小学校21

主基小学校ではなく、文理開成高校となっています。


敷地内に建つ、ちょっと変わった建物。

      20151023主基小学校23




どこかの工場や研究所の受付みたいな感じですが
実は公民館。

      20151023主基小学校22


駐在さんの話では、主基小学校の具体的な再利用、再活用の話がないから
いずれ、主基小学校の敷地そのものが大山小学校のように地域の公民館として利用されていくんじゃないか?
そんな形が一番無難だし、体育館も含め地域で有効活用していってもらいたいものです。




    



2015/11/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長狭七福神② 《 寿老人 》   真福寺   (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日  公休日

この日は鴨川市に出かけました。

大山小学校をあとにして、次なる目的地への移動中、
またまた、長狭七福神の赤い幟を見つけた。

う〜む、見かけちゃったら素通り出来ないな...............


と言うことで、急遽立ち寄った先は............長狭七福神 真福寺



長狭七福神は、のどかな田園風景がどこか懐かしく感じられ、
美味しいお米「長狭米」の産地として知られている長狭地区の七つの寺院を巡ります。
狭街道脇を流れる「加茂川」の本流は、「龍の姿」とし、
七つ以上の橋を渡り「七難即滅・七副即生」をいただきます。
そもそも長狭地区とは、主基(すき)・吉尾・大山の3つの地区からなり、
その長狭地区の七つの寺院を巡るのが長狭七福神です。

長狭七福神は

大山寺 恵比寿
白滝山不動教会 大黒天
長安寺 毘沙門天
方廣寺 弁財天
安國寺 福禄寿
真福寺 寿老人
龍江寺 布袋尊 となっています。




こちらが、真福寺の入口。

      20151023真福寺01


見る限り、山門や寺号標が入口にない。


その代わり、境内には万葉の歌碑が建てられていふます。

      20151023真福寺02


そして、その脇には、説明碑。

『 たちこもの抄 』と言う歌碑らしい。

      20151023真福寺03

長狭郡の上丁丈部与呂麻呂の作で、

出立の騒ぎの中で見せた妻の心は忘れることができない。

と言う意味らしい。





こちらも誰かの歌碑のようですが
誰の歌碑なのか分かりませんでした。

      20151023真福寺04



こちらが本堂。

      20151023真福寺08



本堂に掲げられた扁額。

      20151023真福寺07



お目当ての七福神。

      20151023真福寺05


寿老人です。

      20151023真福寺06


鴨川の地で見つけた長狭七福神。
とりあえず、二ヶ所を制覇。

毎年、1月に七福神巡りをしているけれど
残り5ヶ所は年明けにでも制覇することにいたしましょう。








2015/11/17 Tue. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........大山小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。

長安寺をあとにして向かった先は...............鴨川市立大山小学校



大山小学校は

明治7年に開校した3校がその始まりとされています。

明治7年      金束村、平塚村、奈良林村に小学校が開校される。
明治22年     町村制の施行により、平塚村、嶺岡西牧、金束村、古畑村、
           佐野村、釜沼村、奈良林村が合併して大山村誕生。
明治39年     3校が合併して大山尋常小学校と改称する。
明治41年     奈良林分校を廃し、平塚は分教場となる。
昭和22年     学制改革により、大山村立大山小学校と改称する。
昭和30年     吉尾村、主基村、大山村か合併して長狭町が誕生。
           長狭町立大山小学校と改称する。
昭和46年     鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市が誕生。
           鴨川市立大山小学校と改称する。
平成21年     大山小学校、吉尾小学校、主基小学校が統合し
           小中一貫教育の長狭学園が誕生して廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大山小学校の正門。

      20151023大山小学校18


門柱には、大山小学校とは違う表札。

      20151023大山小学校19

実は大山小学校は廃校後、大山公民館として活用されています。



正門から中に入れば、目の前は体育館。

      20151023大山小学校20


何やら、体育館の入口に人が居て受付をしています。


近づいてみると、こんなポスターが目に入りました。

      20151023大山小学校22


どうやら、近くにある大山千枚田でイベントがあるようで
こちらがその臨時駐車場兼送迎バス乗り場のようです。

このあとに、大山千枚田にも行くつもりでしたが
この時間は、もう車両規制が入っているようで
有料の送迎バスでしか行けないようです。
さすがに、バスには びいすけ は乗れないから、諦めるしかない。



ならば、じっくりと大山小学校を見学させてもらいましょう。


正門脇に建てられた石碑。

      20151023大山小学校14



こちらが、廃校記念碑。

      20151023大山小学校12

    
裏面には、沿革が刻まれています。

      20151023大山小学校15

やはり、廃校の記念碑には廃校になるまでの
その長き歴史を振り返ってみる為にも、沿革が刻まれていると嬉しいな。



こちらは、校歌の碑。

      20151023大山小学校13



そして、『同窓の丘』の碑。

      20151023大山小学校16


      20151023大山小学校17




校庭は、この日の大山千枚田のイベントの臨時駐車場のため
白線で区間されていました。

      20151023大山小学校09


      20151023大山小学校10



校庭の隅にある怪しげな金属の物体。

      20151023大山小学校04



何かと思ったら、電子基準点らしい。

      20151023大山小学校05

電子基準点?
何それ?
調べてみると...............

電子基準点は、測量における基準点、観測点の一つであり、
2015年現在、日本全国に1224地点存在します。
高さは、およそ5mの金属製でできています。
GPS(人工衛星)の電波を受けて正確な測量をおこなうために、
国土地理院が設置したらしい。





同じく、校庭の隅にある百葉箱。

      20151023大山小学校06



校庭に残る遊具類。

      20151023大山小学校08


      20151023大山小学校03



校舎全景。

      20151023大山小学校07


      
こちらは別なアングルからの校舎。

      20151023大山小学校21

    



校庭側から眺める体育館。

      20151023大山小学校11



校庭で芝生と戯れる びいすけ 。

      20151023大山小学校23

どうも、犬のこの習性は理解出来ない。
楽しいのかなぁ?



校舎の奥にある通用門。

      20151023大山小学校01



こちらの表札もしっかりと変わっています。

      20151023大山小学校02




公民館として姿を残した大山小学校。
色々と調べてみると、大山千枚田の近くには大山小学校平塚分校も在ったらしい。
平塚分校跡地にもいずれ機会があれば訪れてみよう。



2015/11/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

長狭七福神① 《 毘沙門天 》   長安寺   (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


吉尾小学校のフェンスにこんな看板が立て掛けられてました。

      20151023長安寺01



また、吉尾小学校の前を走る長狭街道にもこんな看板が建っています。

      20151023長安寺02


こんなモノを見ちゃうと、知らない振りは出来ない。
七福神フリークを自称する者としては、素通りする訳にはいきません。

と言うことで、急遽立ち寄った先は...............長狭七福神 長安寺




長狭七福神は、のどかな田園風景がどこか懐かしく感じられ、
美味しいお米「長狭米」の産地として知られている長狭地区の七つの寺院を巡ります。
狭街道脇を流れる「加茂川」の本流は、「龍の姿」とし、
七つ以上の橋を渡り「七難即滅・七副即生」をいただきます。
そもそも長狭地区とは、主基(すき)・吉尾・大山の3つの地区からなり、
その長狭地区の七つの寺院を巡るのが長狭七福神です。

長狭七福神は

大山寺 恵比寿
白滝山不動教会 大黒天
長安寺 毘沙門天
方廣寺 弁財天
安國寺 福禄寿
真福寺 寿老人
龍江寺 布袋尊 となっています。




こちらが、長安寺の入口。

      20151023長安寺04



寺号標の近くには、こんな手書きの看板が建てられてます。

      20151023長安寺03



こちらが山門。

      20151023長安寺05



ちょうどこの日は境内の植木の手入れの日のようで
数人の植木職人さんがキビキビと動いていました。



山門に掲げられた扁額。

      20151023長安寺06

山号は『冨川山』だから、山号ではないようですね。



こちらが本堂。

      20151023長安寺10

植木屋さんの軽トラが邪魔って言えば邪魔だけど、
今日の目的は本堂じゃないから気にしない。


本堂の扁額。

こちらは、しっかり『長安寺』となってます。

      20151023長安寺09




本日の長安寺の目的はこちら。

      20151023長安寺08

スバリ、長狭七福神の毘沙門天。

お堂は鍵がかけられ、中には入れませんが
ガラス越しに中が覗けます。


ガラスが反射して、ちょっぴり見づらいですが
長狭七福神の毘沙門天です。

      20151023長安寺07

こんな感じで飾られている方が、犬連れで七福神巡りをする者にはありがたい。
かえっ、秘仏が何かで本堂の中に入らないといけないような場合は
ちょっぴり考えちゃいます。


こちらが梵鐘。

      20151023長安寺15









長安寺の山門からたにを挟んで対面に祠が見えます。

      20151023長安寺11



気になるから、足を伸ばしてみると稲荷神社でした。

      20151023長安寺12


正式な神社名(社号)は分からないけれど
地元で大切にされている稲荷社のようです。

狛犬ならぬ、狛狐(?)が個性的。

      20151023長安寺13

柴犬に見えなくもない。


この稲荷社と長安寺の山門、そしてその先の本堂は一直線。

      20151023長安寺14


何か関連でもあるのだろうか?
それとも宗教的な謂れでもあるのだろうか?


そんな事を考えながら、長安寺をあとにするのでありました...............。





2015/11/16 Mon. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........吉尾小学校  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。

曽呂尋常小学校分教場跡を跡にして、向かった先は...............鴨川市立吉尾小学校


吉尾小学校の詳しい沿革は分かりません。

平成21年吉尾小学校、大山小学校、主基小学校の3校が統合して
新たに小中一貫教育の長狭学園が新設されて廃校となりました。




こちらが吉尾小学校の正門。

      20150123吉尾小学校01



現在は、長狭こども園として長狭幼稚園と長狭保育園の施設として活用されているようです。

      20150123吉尾小学校02



さすがに、幼稚園や保育園では敷地内に入れるのにも抵抗があるし
仮に許可を求めても、まず入らせてはもらえません。

ここは、フェンス越しに吉尾小学校の雰囲気を確認いたしましょう。


長狭街道沿いに建つ吉尾小学校。
フェンスぞいに建っている避難場所の案内には、
かつて吉尾小学校だった証しが残されています。

      20150123吉尾小学校03



長狭街道沿いにある校門。
以前はこちらも使用されていたかと思いますが、 現在はゲートが閉められています。

      20150123吉尾小学校04



門柱には、吉尾小学校の表札。

      20150123吉尾小学校05


      20150123吉尾小学校06

正門の表札は変わっていましたが、こちらの門の表札はそのまま。
このあたりが、学校関係者のささやかな抵抗でしょうか?




ゲート越しに校内を眺めてみます。



鉄筋コンクリートの校舎。

      20150123吉尾小学校07



その隣には体育館。

      20150123吉尾小学校08


体育館の玄関の庇に掲げられた吉尾小学校の校章。
思い切り望遠で寄ってみました。

      20150123吉尾小学校09


      20150123吉尾小学校10



こちらが校庭。

      20150123吉尾小学校11



校門の脇に二ノ宮像がありました。

      20150123吉尾小学校12



ゲートから身を乗り出してみましたが正面じゃないから表情が今一歩。

      20150123吉尾小学校13



こちらはシンボルツリーになるのか?
校庭の片隅にあるイチョウ。
良い感じで色付き始めています。

      20150123吉尾小学校14



再び、正門前にて

      20150123吉尾小学校15


正門前の道路から。

      20150123吉尾小学校16


このアングルが一番校舎らしく見えますね。


敷地内に入れなかったから、学校遺構を確認出来ませんでした。
何より廃校記念碑があるのか? 無いのか?
それも確認出来ず、残念と言えば残念。

でも同じ教育施設、教育機関として再利用されていることは喜ばしいことです。

少子化の波はまだまだ収まりません。
いつまでも、吉尾小学校が長狭こども園として残ってくれることを期待しています...............。






2015/11/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............曽呂尋常小学校分教場  (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市に出かけました。


曽呂小学校をあとにして、向かった先は...............曽呂尋常小学校跡


県道89号線を曽呂小学校から県道89号線を長狭街道に向けて車を走らせていると
やがて、こんな看板が目に止まります。

      20151023曽呂尋常小学校分教場01



何やら仰々しい看板ですが、曽呂尋常小学校分教場跡の看板です。

      20151023曽呂尋常小学校分教場02


看板の案内に誘われて、敷地内に足を踏み入れます。

      20151023曽呂尋常小学校分教場03



こちらが、曽呂尋常小学校分教場跡。

      20151023曽呂尋常小学校分教場09


他の方のブログを拝見して、かなり老朽化した木造校舎だとは知っていましたが
確かに..............................思わず言葉が出ない。

      20151023曽呂尋常小学校分教場10

ここで、曽呂尋常小学校分教場跡について触れましょう。


廃校となった本校である曽呂小学校の沿革とリンクさせてみると
曽呂尋常小学校は明治7年に創立された小学校が始まりとされています。

明治7年      小学校創立。のちに西尋常小学校となる。
明治42年     上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校を統合し、
           曽呂小学校が開校する。西尋常小は分教場となる。
昭和22年     学制改革により、曽呂村立曽呂小学校の分教場となる
昭和30年     江見町、太海村、曽呂村が合併して、新たな江見町となる。
           江見町立曽呂小学校の分教場となる(?)
昭和46年     鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市誕生。
           鴨川市立曽呂小学校西分校と改称する。
昭和48年     本校に統合して廃校とする

と、このような沿革になるようです。

世間一般では、曽呂尋常小学校分教場と読んでいるようですが
廃校時には、鴨川市立曽呂小学校西分校と言うのが正式校名だったようです。




敷地内には、こんな記念碑。

      20151023曽呂尋常小学校分教場04


      20151023曽呂尋常小学校分教場05


      20151023曽呂尋常小学校分教場06


      20151023曽呂尋常小学校分教場07


      20151023曽呂尋常小学校分教場08

記念碑には、このように記されています。



村の中央までは程遠いので、低学年の児童は本校に通う事ができず、
4年生までは分教場で授業を受ける事に成っていた。

1年から4年までの40人に満たない児童が1つの教室で
1人の先生に教わったのだから、なつかしい想い出は多い。

(水田三喜男自伝「蕗のとう」より)

水田三喜男がこの分教場に通ったのは、明治末から大正初めにかけてである。
本校(曾呂尋常小学校)までは6キロもあるので、
周辺の子供たちはこの分教場へ通学したのであった。

この分教場は1874年、全国的にみてもきわめて早い時期に、
この地域で開校した4つの小学校の1つで、1967年の廃校まで、
90年の長きにわたって郷土の多くの人々を育んだ。

水田三喜男の父信太郎は、1909年曾呂村の村長として、
3つの小学校(上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校)を
曾呂尋常小学校に1本化することに尽力し、県下の各町村に先駆けて近代的校舎を建設、
人々の信頼を得た。この時、本校は上に、分教場は西に置かれた。

曾呂の地が生み、終世この地を愛してやまなかった水田三喜男(1905年~1976年)は
第2次世界大戦後、新憲法による第1回総選挙で衆議院議員に初当選、
以来30年間、連続当選13回、戦後日本の復興に心血を注いだ。
7度に渡る大蔵大臣として、国民生活の安定と日本経済の高度成長のために働く一方、
義務教育費の国庫負担、私学助成など、日本の教育の再生、復興に力を注いだ。

1965年、国と社会に有用な人材育成のために、学校法人城西大学を創立、
政治家としての責務を果たす傍ら、「学問による人間形成」を建学の理念として、
大学の初代理事長および学長の任に当たった。1976年、71歳の若さで急逝した。

この地に生まれ、この分教場で学んで大きく成長した人間水田三喜男の遺徳を偲び、
郷土の人々との変わる事の無い心の交流を祈念して、この碑を建立する。

学校法人城西大学理事長

城西国際大学学長 水田宗子




学校法人城西大学は1965年埼玉県坂戸市に城西大学の創立に続き、
新たに1992年千葉県東金市に城西国際大学を創立した。

2006年には鴨川市に同大学観光学部を開設し、
創立者の故地にその教育への志と夢と情熱とを根づかせようと努めている。

この碑と分教場の近くにあり、2005年に復元された水田三喜男生家は
国の文化財に登録され、多くの見学者が訪れる。







碑は、シンボルツリーとも言えるイチョウの脇に
ひっそりと建てられていました。

      20151023曽呂尋常小学校分教場17


廃校後、しばらくは地域の公民館として使われていたようです。

      20151023曽呂尋常小学校分教場18



大蔵大臣を務め城西大学の創立者の水田三喜男さんが
この学び舎で学んだ児童の一人であることから
元・鴨川市長の本多利夫氏が代表を務める「曽呂尋常小学校分教場再生保存を願う有志一同」と言う有志が
保存に向けて精力的に活動されているとのことです。



しかしながら、明治7年に建てられたとされているこの校舎。
老朽化は進み、危険と言えば危険。
一応、内部には入れない(入らない)ようにロープが張られています。

      20151023曽呂尋常小学校分教場14


      20151023曽呂尋常小学校分教場15




保存されていると言えども老朽化は否めない。
     
とりあえず、明治7年に建てられた木造校舎をじっくり眺めます。

      20151023曽呂尋常小学校分教場12



静寂さの中に、この空間だけ時間が止まっていた感じがします。

      20151023曽呂尋常小学校分教場13



こちらは、同じ木造でも後から増築されたモノでしょうか?
気持ち新しい感じがします。

      20151023曽呂尋常小学校分教場11      



以前は校庭も草が刈られ、しっかりと管理されていた感じがするのですが、
季節柄か? 雑草も伸び始めています。

      20151023曽呂尋常小学校分教場16



恐る恐る、ロープまで行き、中を覗いてみましょう。

      20151023曽呂尋常小学校分教場19

(基本は廃墟マニアではないので、中を覗くなんてことはしないんですけどね。)



窓ガラスが無いのは外から見ても分かるけど
床もかなりヤバそう。

      20151023曽呂尋常小学校分教場20



所々、朽ち果てて抜けている箇所もある。

      20151023曽呂尋常小学校分教場21


確かに危険って言えば危険。


でも、ここまできちゃうと、中々手を入れられず
こんな風になっちゃったと言うのが現実なんでしょうか?


上手く保存出来れば、上手く保存されて行けばいいんですが...............。






県道脇には、秋の代名詞 コスモス。

      20151023曽呂尋常小学校分教場22


ちょっぴり旬は過ぎてしまった感もあるけれど
秋の里山にはコスモスが似合う。

      20151023曽呂尋常小学校分教場23



さて、次なる場所へと移動いたしましょう。




2015/11/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........曽呂小学校   (2015年10月23日)(千葉県鴨川市) 

10月23日 公休日

この日は鴨川市へ出かけました。


金杖の滝をあとにして、向かった先は...............鴨川市立曽呂小学校


曽呂小学校は、詳しい沿革はよく分かりませんが
ネットで調べてみると、明治7年に創設された3つの小学校が始まりとされています。
その小学校は、のちに上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校と改称されます。

明治7年      この地区に上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校が開校する。
明治42年    上尋常小学校、宮尋常小学校、西尋常小学校を統合し、
          曽呂小学校が開校する。西尋常小は分教場となる。
昭和22年    学制改革により、曽呂村立曽呂小学校と改称する。
昭和30年    江見町、太海村、曽呂村が合併して、新たな江見町となる。
          江見町立曽呂小学校と改称する。
昭和46年    鴨川町、江見町、長狭町が合併して鴨川市誕生。
          鴨川市立曽呂小学校と改称する。
昭和48年    分教場を本校に統合して廃校とする
平成27年    太海小学校、江見小学校、曽呂小学校が統合して、
          新たに江見小学校が開校して廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。

こちらが、曽呂小学校の正門。

      20151023曽呂小学校01



平成2年に建てられた門柱。

      20151023曽呂小学校02


表札もしっかり残されています。

      20151023曽呂小学校03


      20151023曽呂小学校26





正門から敷地内に入ると、すぐ目に止まるコンクリートの塊。

      20151023曽呂小学校04



何かと思ったら、交通安全運動の自転車競技会の優秀な成績を讃える碑。

      20151023曽呂小学校05



数個あると言うことは、
曽呂小学校はかなり自転車競技に力を入れていたようです。

      20151023曽呂小学校06





正門脇の花壇。

『鴨川市花いっぱい運動』と書かれていますが
廃校となった今では、手入れをする人もいなくて雑草が伸び放題。


      20151023曽呂小学校07



校庭の片隅にそびえるシンボルツリー。

      20151023曽呂小学校08



曽呂小学校の敷地内(と言うか隣接していますが)には曽呂幼稚園があり、
小学校の閉校に併せて、幼稚園も閉園となったようです。




こちらは、曽呂小学校の校歌の碑。

      20151023曽呂小学校10



裏には、曽呂小学校の沿革が刻まれていますが、
たったの4行。
本当はもっと変遷があったはずなのに...............。

      20151023曽呂小学校15



こちらが、廃校記念碑。

      20151023曽呂小学校11


      20151023曽呂小学校12

『 曽呂っ子の 命磨きし学び舎は
この地にありて 永遠に残れる 』

いつまでも、この地を忘れないで欲しいなぁ。





校庭に残る遊具類。


定番の古タイヤ

      20151023曽呂小学校09


ブランコ

      20151023曽呂小学校13


鉄棒

      20151023曽呂小学校14




百葉箱もしっかり残ってました。

      20151023曽呂小学校16


これで二ノ宮像があれば、言うことないんですが、
残念ながら二ノ宮像は見つかりませんでした。




こちらが校舎

      20151023曽呂小学校19


      20151023曽呂小学校22



校舎に掲げられた曽呂小学校の校章。

      20151023曽呂小学校20




こちらは体育館。

      20151023曽呂小学校17



そして校庭。

      20151023曽呂小学校21



海に近い鴨川の市街地から、嶺丘山地を挟んでかなり山あいの曽呂の地。

校庭の隅に、まさかの椰子の木(?)、ソテツ(?)の木には驚かされます。

      20151023曽呂小学校18




校舎の前で、はいポーズ、☆パチリ。

      20151023曽呂小学校23



朝礼台でも、はいポーズ、☆パチリ。

      20151023曽呂小学校24

     

なぜか、校舎の前にコスモスの花。
誰も手入れをしていないのに...............

      20151023曽呂小学校25

ひょっとして、去年の種が芽生えたのだろうか?


ひょっとしたら、毎年この場所に可憐な花を咲かせてくれるのだろうか...............?




2015/11/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit