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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

下田城址 《下田公園》 (2015年10月1日)(静岡県下田市) 

10月1日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。

個人的な連休2日目のこの日は、下田市へ出かけました。


登自尋常高等小学校をあとにして、向かった先は..............下田城址




下田城の築城時期等は不明ですが、関東を制覇していた小田原北条氏によって
戦国時代に小田原水軍の根拠地とし、玉縄衆の朝比奈孫太郎が居城し、
やがて豊臣秀吉との関係が悪化すると伊豆衆の清水康英を城将としました。

天正18年(1590年)に豊臣側の加藤嘉明らの率いる淡路水軍が来襲し、
康英は手兵600余で約50日にわたって籠城した後に開城している。
北条氏の滅亡後は徳川家康の家臣・戸田忠次が下田5,000石を治め、当城主となりました。
忠次の子・尊次は慶長6年(1601年)に三河国の田原城へ転封となり、
以後は江戸幕府の直轄領として下田町奉行が支配し、後に廃城となりました。

そもそも、現在の下田港の湾口を扼する西側の岬全体が城地でした。
直径800mの円内に複数の入江が点在する天然の地形を利用し曲輪が配置され、
本丸は東西12m・南北30mの平場で、本丸の北側に2段の天守曲輪があったそうです。
最南端のお茶ケ崎に物見櫓があり、直下の和歌の浦が船溜りとされていたようです。

城址は現在、下田公園となっています。




こちらが下田城の縄張り図

      下田城縄張り図

      ( 余胡さんの お城のページ よりお借りしました )



下田公園として整備され、駐車場も完備している下田城址。
下田公園の駐車場に車を入れ、いざ進軍です。


下田公園入口に建つ城址碑。

      20151001下田城址01



実は、下田公園の碑と並んでいたりして...............。

      20151001下田城址02



公園整備時に拡張された登城路には公園案内板が設けられています。

      20151001下田城址03



親切にも、その案内板には下田城の縄張り図が描かれています。

      20151001下田城址04



石畳となって遊歩道と化した登城路をひたすら上がって行きます。

      20151001下田城址05



下田と言えば、江戸時代にペリーの黒船が来航し、
当時、鎖国であった日本の歴史を変えた町。
当然、その下田のシンボルでもある下田公園には、黒船、ペリー関連の碑などが多い。



こちらは、カーター記念碑

      20151001下田城址06

アメリカの元大統領、ジミー・カーター氏が1979年に下田に訪問したのを記念に建てられたらしい。



さらに進めば、左側に削平地。

      20151001下田城址07

こちらは、開国広場。
おそらく、下田城とは関係なく、公園整備時に削平されたものでしょう。

      20151001下田城址12



城好きが見ると、どうしても曲輪跡に見えてしまう(笑)。

      20151001下田城址08


何やら石碑も建てられ、展望台もある。

      20151001下田城址09


      20151001下田城址10


      20151001下田城址11




開国広場の向いには、開国記念碑。

      20151001下田城址13


      20151001下田城址14


ここから見下ろす下田港は中々のモノ。

      20151001下田城址15





さらに遊歩道を進む(上る)とやがて主郭(本丸)へと導かれます。


主郭下にある城址碑。

      20151001下田城址16



下田城は、別名 鵜島城 とも言います。

      20151001下田城址17



主郭下の少し離れた位置に建つ下田城址の説明板。

      20151001下田城址18


      20151001下田城址19



こちらが主郭。

      20151001下田城址20



確かに、下田港が一望でき、眺望は良い。

      20151001下田城址21


      20151001下田城址22




こちらが、主郭とニ郭を隔てる大堀切。

      20151001下田城址23



そして、その奥には見事な空堀。

      20151001下田城址24


      20151001下田城址25



土橋もしっかり残されてます。

      20151001下田城址26


別アングルからの土橋。

      20151001下田城址27



それにしても見事な空堀です。

      20151001下田城址28




ニ郭と三郭を隔てる堀切。
現在はハイキングコースの通路になっているようです。

      20151001下田城址29


かなり埋まっているけど、こちらも空堀。

      20151001下田城址30



ニ郭虎口。

      20151001下田城址31



ニ郭内部から見た虎口。

      20151001下田城址32



ニ郭はほとんど立ち入る者もいないようで荒れています。

      20151001下田城址33



こちらが三郭。
やはり、ニ郭同様に立ち入る物好きはいないようです。
公園の設備(ポンプ小屋?)が置かれているようです。

      20151001下田城址34



三郭下の空堀。

      20151001下田城址35



こちらは三郭と四郭を隔てる堀切。

      20151001下田城址36

かなり崩れているのか? そんなに高さはない。


こちらは四郭裏手の空堀。

      20151001下田城址37



やはり、四郭も公園設備が置かれていて立ち入る人はいない。

      20151001下田城址38




四郭前の遊歩道には四阿があり、ちょっぴり疲れたので小休止。

びいすけ もオヤツタイムといたしましょう。

      20151001下田城址39



貰うまでは、じっと我慢のお利口さん。

      20151001下田城址40


      20151001下田城址41




とりあえず、四郭まで確認したから戻ることにいたしましょう。

四郭→三郭→ニ郭→主郭。
そして遊歩道を一気に下り、辿り着いたのが下岡蓮杖の碑と像。

      20151001下田城址42


下田城址には直接関連はないけれど、
下岡蓮杖は下田市出身で、わが国の商業写真の開祖と言われています。
幕末開国時に苦労を重ねて写真技術を取得した人物です。

      20151001下田城址43



さらに碑と像のある広場から階段を下って行くと、
下田城址の沿革が記された説明板がありました。

      20151001下田城址44


下田城址は

天正16(1588)年秀吉の侵攻に備え、北条氏直が下田城を水軍拠点とする。
天正18(1590)年城将清水康英は、一万人超の水軍に囲まれ、篭城50日の後、降伏、開城。
江戸時代 下田奉行今村伝四郎が城址に植林。後に幕府の御林となり、一切の伐採が禁じられた。
明治34年公園となる。
明治45年下田町有地となる。

と、まあこんな感じで市民の憩いの場となったようです。

下田城址も色んな変遷を経ているんですねぇ...............。




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2015/10/24 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit