丸山城址 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市)
9月30日 公休日
9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。
旅人岬をあとにして、向かった先は...............丸山城址
丸山城は築城時期等は不明ですが、
小田原北条氏に属した西伊豆の豪族・富永氏の居城とされています。
そもそも富永氏の本城は同じ土肥地区の高谷城と考えられていて、
丸山城はその支城とされています。
しかしながら、入り江を抱き込む水軍基地と船着場を有していることから
西伊豆の北条水軍の拠点というレベルではかなりの重要性を持った城でありました。
特に武田勝頼や豊臣秀吉など駿河湾の西からやって来る諸勢力と対峙した北条氏にとって、
丸山城は重要な海上拠点の一つとなっていました。
天正18(1590)年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、豊臣水軍の襲来を受け、
一族の富永山随(康景弟・政範)が同城を守ったが、落城したと言われています。
こちらが丸山城の縄張り図

( 余湖さんの お城のページ よりお借りいたしました )
丸山城は丸山スポーツ公園脇の台地に在り、本城と出城に分かれていて
ちょうどR136で分断されるような形になっています。
丸山スポーツ公園の駐車場に車を置かせてもらって攻城開始です。
駐車場の隅にひっそりと建つ城址案内板。

縄張り図も記載されています。

こちらの縄張り図では、『出城』『本城』『詰めの城』と3つの郭群が連なって
丸山城は構成されているようです。
説明板によれば、丸山スポーツ公園のテニスコートやグランドのある場所は、
かつては海。北条水軍の要、船溜まり場だったらしい。

こちらが出城。

そして、こちらが本城。

まずは、出城から攻めてみましょう。

こちらが、出城への登城路。

何やら、ガサガサと地面から音がする。
よ〜く見ると、カニでした。
海が近いって言えば近いけど、
でもちょっと離れているんだけどなぁ。

主郭に向かう登城路。
虎口近くには、こんな石積みがあります。

こちらが主郭虎口。

主郭はこんな感じで削平地。

こんな説明看板も建っています。


説明看板の横に建っている城址碑(標柱)。


こちらは、搦め手口の虎口。

その虎口の土塁。

そして土塁の脇に鎮座する社。

出城の主郭から眺める相模湾。

出城から下山。
本城へと向かいます。

こちらが本城への登城路。
やはり、こちらもハイキングコースになっています。

狭いハイキングコースとなっている登城路の脇には幾つもの段郭。
そして石積みがあります。

こちらの段郭は椎茸の栽培をしているようです。

こちらの段郭は人の手も入らず、かなり荒れています。

無造作に置かれたものなのか?
はたまた、倒れてしまったものなのか?
出城に比べると本城には石積みが多い。

こちらが、本城の主郭。

こちらの主郭は完全に耕作地と化しています。


この先に人が通った形跡はありますが
さすがに、この藪状態の中へ進んで行く勇気はありません。

主郭の石積み。

主郭から詰めの城へは、ハイキングコースを歩きます。
ハイキングコースだけあって、主郭近くに四阿があります。

四阿の前にあるパンフレット入れ

残念ながら、中身は空っぽ。

四阿の前にも、丸山城址の説明看板。

四阿から眺める主郭。

四阿の裏手にある おこり石 。
この石を踏んだりゆすったりすると悪いことが起きる、
という言い伝えがあるそうです。


四阿の更に先から眺める相模湾。

詰めの城は、もうすぐそこ。
こちらが詰めの城。

広い削平地。
今や果樹園となっているようです。

出城、本城、詰めの城と3つの郭群が連なっている丸山城址。
丸いのは出城だけで、本城と詰めの城はかなり縦長になっています。
この日は天気が良かったから、汗もいっぱいかきました。
今夜のビールが美味いぞ!っと思いながら
次なる場所を目指すべく、台地を下りて行くのでありました...............。
9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。
旅人岬をあとにして、向かった先は...............丸山城址
丸山城は築城時期等は不明ですが、
小田原北条氏に属した西伊豆の豪族・富永氏の居城とされています。
そもそも富永氏の本城は同じ土肥地区の高谷城と考えられていて、
丸山城はその支城とされています。
しかしながら、入り江を抱き込む水軍基地と船着場を有していることから
西伊豆の北条水軍の拠点というレベルではかなりの重要性を持った城でありました。
特に武田勝頼や豊臣秀吉など駿河湾の西からやって来る諸勢力と対峙した北条氏にとって、
丸山城は重要な海上拠点の一つとなっていました。
天正18(1590)年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、豊臣水軍の襲来を受け、
一族の富永山随(康景弟・政範)が同城を守ったが、落城したと言われています。
こちらが丸山城の縄張り図

( 余湖さんの お城のページ よりお借りいたしました )
丸山城は丸山スポーツ公園脇の台地に在り、本城と出城に分かれていて
ちょうどR136で分断されるような形になっています。
丸山スポーツ公園の駐車場に車を置かせてもらって攻城開始です。
駐車場の隅にひっそりと建つ城址案内板。

縄張り図も記載されています。

こちらの縄張り図では、『出城』『本城』『詰めの城』と3つの郭群が連なって
丸山城は構成されているようです。
説明板によれば、丸山スポーツ公園のテニスコートやグランドのある場所は、
かつては海。北条水軍の要、船溜まり場だったらしい。

こちらが出城。

そして、こちらが本城。

まずは、出城から攻めてみましょう。

こちらが、出城への登城路。

何やら、ガサガサと地面から音がする。
よ〜く見ると、カニでした。
海が近いって言えば近いけど、
でもちょっと離れているんだけどなぁ。

主郭に向かう登城路。
虎口近くには、こんな石積みがあります。

こちらが主郭虎口。

主郭はこんな感じで削平地。

こんな説明看板も建っています。


説明看板の横に建っている城址碑(標柱)。


こちらは、搦め手口の虎口。

その虎口の土塁。

そして土塁の脇に鎮座する社。

出城の主郭から眺める相模湾。

出城から下山。
本城へと向かいます。

こちらが本城への登城路。
やはり、こちらもハイキングコースになっています。

狭いハイキングコースとなっている登城路の脇には幾つもの段郭。
そして石積みがあります。

こちらの段郭は椎茸の栽培をしているようです。

こちらの段郭は人の手も入らず、かなり荒れています。

無造作に置かれたものなのか?
はたまた、倒れてしまったものなのか?
出城に比べると本城には石積みが多い。

こちらが、本城の主郭。

こちらの主郭は完全に耕作地と化しています。


この先に人が通った形跡はありますが
さすがに、この藪状態の中へ進んで行く勇気はありません。

主郭の石積み。

主郭から詰めの城へは、ハイキングコースを歩きます。
ハイキングコースだけあって、主郭近くに四阿があります。

四阿の前にあるパンフレット入れ

残念ながら、中身は空っぽ。

四阿の前にも、丸山城址の説明看板。

四阿から眺める主郭。

四阿の裏手にある おこり石 。
この石を踏んだりゆすったりすると悪いことが起きる、
という言い伝えがあるそうです。


四阿の更に先から眺める相模湾。

詰めの城は、もうすぐそこ。
こちらが詰めの城。

広い削平地。
今や果樹園となっているようです。

出城、本城、詰めの城と3つの郭群が連なっている丸山城址。
丸いのは出城だけで、本城と詰めの城はかなり縦長になっています。
この日は天気が良かったから、汗もいっぱいかきました。
今夜のビールが美味いぞ!っと思いながら
次なる場所を目指すべく、台地を下りて行くのでありました...............。
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2015/10/12 Mon. 00:00 |
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