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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

旅人岬 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。


富永氏館跡をあとにして、向かった先は...............旅人岬


旅人岬は直木賞作家・笹倉明氏の作品に由来する夕日の美しい岬です。
断崖の上に位置する階段状のテラスから駿河湾を一望でき
運が良ければ対岸の清水、静岡を眺めることもできるらしい。
水平線に沈む夕日の美しさは筆舌に尽くしがたいほどの最高のパノラマだそうです。


元々、旅人岬の存在さえ知りませんでした。
偶然と言うべきか、たまたま県道17号の路肩(空き地)に車を停めていて
戸田方面へUターンする場所を探していたら、目に入ったのがこの看板。


      20150930旅人岬03

まあ、何ともお洒落な名称。
当初の予定には無かったけれど、立ち寄ることにいたしました。

      20150930旅人岬01



芝生でご機嫌な(?)びいすけ 。

      20150930旅人岬02



さすが景勝地。
駐車場からでも景色が良いのがわかります。

      20150930旅人岬04



この階段を上れば展望台。

      20150930旅人岬05


旅人岬の名の由来となった小説『旅人岬』の碑。

      20150930旅人岬06



夕陽の名所らしく、夕陽の季節ごとの時間帯と方向が案内されてます。

      20150930旅人岬07



そして、展望台の真ん中には男女を象った「家族」と名のつくブロンズ像があります。

      20150930旅人岬08



1998年春に土肥町(当時)が岬から180度以上のパノラマが拡がり、
海越しの夕日を臨む絶好のポイントとなっているところから
恋人岬にあやかって町の新しい名所にしようと、旅人岬と名づけられたそうです。

その時に展望台も整備されたのでしょう。
20年近く経っていますが、
綺麗に維持管理されている所は好感が持てます。

      20150930旅人岬09


      20150930旅人岬10


      20150930旅人岬12


      20150930旅人岬13


この岬と言うか、台地が視界を遮るから
富士山は残念ながら眺めることは出来ないようです。

      20150930旅人岬11


展望台からちょっと離れた場所ですが
磯場に降りていける階段があるようです。

      20150930旅人岬14


      20150930旅人岬15

せっかくだから、磯場にも降りてみましょう。


磯場に降りる階段から見た旅人岬。

      20150930旅人岬16



ゴツゴツとした大きな岩がある磯場。

      20150930旅人岬17


滑りやすいから、転ばないように気をつけましょう。

      20150930旅人岬18



陽射しも暖かいと言うか、むしろ暑い。
海からの潮風が心地良い。

      20150930旅人岬19


      20150930旅人岬20


      20150930旅人岬21


本当は夕陽が沈む時間帯に来れれば最高なんだけど
こればっかりは仕方ない。
いつか、夕陽を観に来ることにしよう。

思いがけなく見つけた景勝地。
ちょっぴり得した気分です。



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2015/10/11 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

富永氏館跡 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。


高谷城址をあとにして、向かった先は...............富永氏館跡


富永氏館は

土肥館とも言い、小田原北条氏の重臣で五家老の一人でもある富永三郎左衛門政辰とその子山城守政家の居館であったとされています。
館跡には現在、光源寺と言う寺が建てられ、その門前の市街地一帯も舘跡とされています。

背後に山地を控えた谷戸に構えられており、
御殿・馬出・小門・堀小路等の地名が伝承されていますが、
市街化されて遺構は完全に湮滅しています。
富永氏は、江戸城代や栗橋城主などを務めたため、小田原城や江戸城に居住し、
この地にいることは殆ど無かったと思われます。
しかし、その一族や家臣団が、この地に壮大な館を構えていたと思われます。
富永氏一族は、この地を拠点として駿河湾の制海権を掌握し、
土肥金山の経営で北条氏の治世を支えていたとされているようです。



光源寺と言うお寺を探しますが、
小さなお寺なのでなかなか見つけられません。

隣接する高級(?)旅館が大きくて...............
この白い壁も実は旅館の建物です。

      20150930富永氏館跡01


旅館の本館(?)と別館(?)と民家の間にひっそりと建つ光源寺。

      20150930富永氏館跡02


こちらが、本堂に掲げられている扁額。

      20150930富永氏館跡03



思っていたよりもかなり小さなお寺。

      20150930富永氏館跡04



境内も猫の額と言ったところでしょうか?

      20150930富永氏館跡05



その猫の額のように狭い境内でじっとしている びいすけ 。

      20150930富永氏館跡06


本堂の背後の山が詰めの城だったのだろうか?

      20150930富永氏館跡07


今は、墓地となっているが、本堂の裏は明らかに人の手による削平地。

      20150930富永氏館跡08


富永氏の菩提寺は土肥小学校の隣にある清雲寺であり、
この光源寺ではありません。
光源寺は土肥金山奉行市川助右衛門尉によって建てられたと言うことです。

      20150930富永氏館跡09



かつてこの辺り一帯に富永一族が壮大な舘を構えていただろうが
今は隣接する旅館が、あまりにも立派すぎて
逆にその旅館が富永一族な流れを汲み、かつての舘跡だと勘違いをしてしまいそうです。
一度で良いから、その立派な旅館に泊まってみたいものです...............(笑)。







2015/10/11 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit