須賀山城址 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町、千葉県香取市)
5月23日 公休日
この日は、東庄町に出かけていました。
『天保水滸伝』の町、笹川をあとにして向かった先は...............須賀山城址
須賀山城は
文治六年(1190年)に千葉常胤の六男、東胤頼により築城されました。
東胤頼は上代前掛城(桜井城)(旭市)より移りました。
その後、建保六年(1218年)に須賀山城との台地続きに森山城を築城して
須賀山城から森山城に移り一族が居城しました。
三代当主、東胤行は承久三年(1221年)に美濃山田庄の地頭として移り、
その後は海上氏が居城としました。戦国期に入り、
千葉胤冨が海上氏に養子として入城いましたが、
弘治三年(1557年)に千葉宗家を継ぎ本佐倉城に移りました。
しかし、胤冨はこの城を境目の城として重視し森山城の外郭として
森山城に取り込む形で須賀山城も改修したようです。
天正年間に入ると東氏、その家臣の原氏が在城し、
宗家千葉氏とともに北条氏の家臣となります。
天正十八年(1590年)、城主の東直胤は小田原城に籠城しましたが、
北条氏滅亡後、森山城とともに廃城になりました。
こちらが、須賀山城の縄張り図

( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )
県道266号線を笹川町から南下していると、こんな看板が見えます。
以前、森山城址へ行く際にも、この案内板は目にしたのですが
その時は、時間も無くて素通りしてしまいました。

今回は、こちらの須賀山城址が目的です。
この看板のある場所辺りから眺める須賀山城址。

この須賀山城址のある台地周辺は
知的障害者施設「北総育成園」が隣接していて
そちらの即売所の駐車場をお借りして、登城いたします。
登城路にいきなりの土塁。

いやぁ、これは期待できそうな予感(笑)

登城路を登っていくと、幟が立っています。
『九曜紋』
千葉氏関連の城郭であることの証しですね。

何と、5月23日のこの日は、『須賀山城址祭』のようです。
そう言えば、車を停めた「北総育成園」の駐車場の近くで
賑やかな歓声が聞こえていました。
登城路の先は、右手に腰曲輪。
椎茸の原木が置かれていて、「北総育成園」のキノコ園になっているようです。

さらに、登城路を進みます。
どうやら、この道は須賀山城址の搦手口のようです。

左側の腰曲輪。

やはり、この郭にも椎茸の原木が並んでいます。
この腰曲輪の上には大六天郭があります。
いよいよ、須賀山城址の要の部分へと入ります。

こちらが、大六天郭の虎口。

そして、大六天の祠。


この大六天郭も椎茸の原木が積まれていて
キノコ園と化しているようです。

この先は馬出し郭から主郭へと続きます。

こちらが、馬出し郭。
完全な畑と化しています。

馬出し郭から主郭へと繋ぐ土橋。

以前は、この土橋から先は雑草に覆われ、
人を寄せ付けるのを拒んでいるような感じだったらしい。

空堀も下草を綺麗に刈られ、かなり整備されています。

主郭虎口近くに建つ城址説明板(案内板)。

やはり、この説明板先は藪状態であったらしいが
現在は、かなり整備されています。
そして、説明板の隣の城址碑(木板製)も整備に併せて建てられたようです。

ネットで調べたら、こんな記事がありました。
なるほど、須賀山城址保存会の方々と「北総育成園」の方々の尽力によって
荒れ果てていた須賀山城址は見事に蘇ったようです。
確かに主郭虎口から振り向いて、土橋を眺めてみると
綺麗な形で土橋が残されています。

主郭虎口から眺める主郭内部。

主郭虎口の土塁。

主郭中央には一回り大きな幟がありました。

『九曜紋』の下には 『 東氏見参 』

いいねぇ、戦国時代っぽくていいねぇ(笑)。
こちらは、主郭下の腰曲輪。

腰曲輪の先端から台地下を覗いてみると...............

先ほどから賑やかな歓声は、あちらから響いていたんですね。
『北総育成園』の人たちが地元の住民を招いて須賀山城址祭をしているようです。
主郭に戻って、ぐるっと一回りしてみます。

主郭の外周を1mほどの高さの土塁が巡っています。

土橋から主郭の空堀に降りてみます。

空堀が綺麗に整備されていると、本当に大事にされていると感じます。
往時に比べれば、空堀も土砂が堆積して浅くなっているとは思うけれど
それなりの巾があって、立派な空堀です。


残念なのは、その空堀の先、西郭には導線がないと言うか
完全な藪状態で西郭には進軍できません。
しかたがないので、西郭には車で移動。
ぐるっと台地を回り込んで、西郭にあたる天ノ宮神社。

こちらにも、城址碑(標柱)がありますが、こちらは旧・小見川町(現・香取市)が建てたものです。
実は、須賀山城址は西郭が香取市、主郭や馬出し郭、大六天郭は東庄町になります。
旧・小見川町が建てた説明板。

こちらは、天ノ宮神社の本殿。

神紋は、『九曜紋』。

まさしく、千葉氏関連の城郭に建てられた神社です。

境内に僅かに残る土塁。

旧・小見川町域の須賀山城址は、正直言って遺構がほとんど無く
面白みに欠けてしまいます。
やっぱり、須賀山城址は東庄町側を攻略することをお勧めします。
この日は、東庄町に出かけていました。
『天保水滸伝』の町、笹川をあとにして向かった先は...............須賀山城址
須賀山城は
文治六年(1190年)に千葉常胤の六男、東胤頼により築城されました。
東胤頼は上代前掛城(桜井城)(旭市)より移りました。
その後、建保六年(1218年)に須賀山城との台地続きに森山城を築城して
須賀山城から森山城に移り一族が居城しました。
三代当主、東胤行は承久三年(1221年)に美濃山田庄の地頭として移り、
その後は海上氏が居城としました。戦国期に入り、
千葉胤冨が海上氏に養子として入城いましたが、
弘治三年(1557年)に千葉宗家を継ぎ本佐倉城に移りました。
しかし、胤冨はこの城を境目の城として重視し森山城の外郭として
森山城に取り込む形で須賀山城も改修したようです。
天正年間に入ると東氏、その家臣の原氏が在城し、
宗家千葉氏とともに北条氏の家臣となります。
天正十八年(1590年)、城主の東直胤は小田原城に籠城しましたが、
北条氏滅亡後、森山城とともに廃城になりました。
こちらが、須賀山城の縄張り図

( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )
県道266号線を笹川町から南下していると、こんな看板が見えます。
以前、森山城址へ行く際にも、この案内板は目にしたのですが
その時は、時間も無くて素通りしてしまいました。

今回は、こちらの須賀山城址が目的です。
この看板のある場所辺りから眺める須賀山城址。

この須賀山城址のある台地周辺は
知的障害者施設「北総育成園」が隣接していて
そちらの即売所の駐車場をお借りして、登城いたします。
登城路にいきなりの土塁。

いやぁ、これは期待できそうな予感(笑)

登城路を登っていくと、幟が立っています。
『九曜紋』
千葉氏関連の城郭であることの証しですね。

何と、5月23日のこの日は、『須賀山城址祭』のようです。
そう言えば、車を停めた「北総育成園」の駐車場の近くで
賑やかな歓声が聞こえていました。
登城路の先は、右手に腰曲輪。
椎茸の原木が置かれていて、「北総育成園」のキノコ園になっているようです。

さらに、登城路を進みます。
どうやら、この道は須賀山城址の搦手口のようです。

左側の腰曲輪。

やはり、この郭にも椎茸の原木が並んでいます。
この腰曲輪の上には大六天郭があります。
いよいよ、須賀山城址の要の部分へと入ります。

こちらが、大六天郭の虎口。

そして、大六天の祠。


この大六天郭も椎茸の原木が積まれていて
キノコ園と化しているようです。

この先は馬出し郭から主郭へと続きます。

こちらが、馬出し郭。
完全な畑と化しています。

馬出し郭から主郭へと繋ぐ土橋。

以前は、この土橋から先は雑草に覆われ、
人を寄せ付けるのを拒んでいるような感じだったらしい。

空堀も下草を綺麗に刈られ、かなり整備されています。

主郭虎口近くに建つ城址説明板(案内板)。

やはり、この説明板先は藪状態であったらしいが
現在は、かなり整備されています。
そして、説明板の隣の城址碑(木板製)も整備に併せて建てられたようです。

ネットで調べたら、こんな記事がありました。
なるほど、須賀山城址保存会の方々と「北総育成園」の方々の尽力によって
荒れ果てていた須賀山城址は見事に蘇ったようです。
確かに主郭虎口から振り向いて、土橋を眺めてみると
綺麗な形で土橋が残されています。

主郭虎口から眺める主郭内部。

主郭虎口の土塁。

主郭中央には一回り大きな幟がありました。

『九曜紋』の下には 『 東氏見参 』

いいねぇ、戦国時代っぽくていいねぇ(笑)。
こちらは、主郭下の腰曲輪。

腰曲輪の先端から台地下を覗いてみると...............

先ほどから賑やかな歓声は、あちらから響いていたんですね。
『北総育成園』の人たちが地元の住民を招いて須賀山城址祭をしているようです。
主郭に戻って、ぐるっと一回りしてみます。

主郭の外周を1mほどの高さの土塁が巡っています。

土橋から主郭の空堀に降りてみます。

空堀が綺麗に整備されていると、本当に大事にされていると感じます。
往時に比べれば、空堀も土砂が堆積して浅くなっているとは思うけれど
それなりの巾があって、立派な空堀です。


残念なのは、その空堀の先、西郭には導線がないと言うか
完全な藪状態で西郭には進軍できません。
しかたがないので、西郭には車で移動。
ぐるっと台地を回り込んで、西郭にあたる天ノ宮神社。

こちらにも、城址碑(標柱)がありますが、こちらは旧・小見川町(現・香取市)が建てたものです。
実は、須賀山城址は西郭が香取市、主郭や馬出し郭、大六天郭は東庄町になります。
旧・小見川町が建てた説明板。

こちらは、天ノ宮神社の本殿。

神紋は、『九曜紋』。

まさしく、千葉氏関連の城郭に建てられた神社です。

境内に僅かに残る土塁。

旧・小見川町域の須賀山城址は、正直言って遺構がほとんど無く
面白みに欠けてしまいます。
やっぱり、須賀山城址は東庄町側を攻略することをお勧めします。
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2015/06/17 Wed. 00:00 |
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