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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて.............岩山小学校跡   (2015年6月11日)(千葉県山武郡芝山町) 

6月11日  公休日

この日は、芝山町の廃校巡りに出かけました。

昭和50年に廃校となった芝山町の岩山小学校を色々とネットで調べていましたが
結局わからずじまいで、教育委員会の方にお聞きしたら
丁寧に廃校跡地を教えて頂きました。
さすがは教育委員会の職員さん。
と言うか、数多くの町の(市の)教育委員会にお邪魔して
廃校に関する事を聞いたりしましたが、興味のない職員が多い中、
芝山町の教育委員会の職員さんは勉強熱心な印象を受けました。

と言うことで、東小学校をあとにして向かった先は...............

芝山町立岩山小学校跡


岩山小学校は

明治5年        岩山村と朝倉村を学区として岩山小学校設立される。
明治9年        岩山小学校、法橋寺の仮校舎に移転する
明治16年        岩山小学校、岩山村椎木谷1495番地に新校舎建設。
明治22年        千代田村設立により、池田尋常小学校と岩山尋常小学校が合併し
             千代田村立千代田尋常小学校となる。
             なお、岩山尋常小学校は分校となる
明治25年       岩山分校が岩山尋常小学校となる
昭和22年       千代田村立岩山小学校と改称
昭和30年       千代田村と二川村が合併して芝山町誕生。
             芝山町立岩山小学校と改称。
昭和50年       千代田小学校と岩山小学校が統合し、岩山小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



この坂の上が岩山小学校跡。

      0150611岩山小学校17


成田空港に近い工業団地の一角に、岩山小学校があった台地が
ぽつんと取り残された感じで更地になっています。

現在は、サテライト成田(場外馬券売り場)の臨時駐車場になっています。

      0150611岩山小学校13



教育委員会の方の話では、『更地になって何もありませんよ』と言う話でしたので
正直、全く期待しておりませんでした。

ところか、視界に入ってきたのは、こちら↓

      0150611岩山小学校05

何と、門柱と『岩山小学校跡』の碑です。


こちらが碑。

      0150611岩山小学校04


裏面には、簡略すぎる沿革。

      0150611岩山小学校07

せっかく立派な石碑を造ったんだから
もうちょっと沿革も刻んでいこうよ!とおもうのは私だけ?(笑)



門柱には、往時のモノと思われる表札。

      0150611岩山小学校03


その門柱は昭和8年に造られたモノのようです。

      0150611岩山小学校08

( 昭和8年って刻まれているけれど見辛いかなぁ? )




岩山小学校の遺構は、この門柱ぐらい。
門柱と石碑の一画以外は、完全な駐車場。

      0150611岩山小学校06


      0150611岩山小学校09


      0150611岩山小学校10




駐車場の片隅には、子安神社。

      0150611岩山小学校12




子安神社からフェンス越しに駐車場を歩けば最奥に2基の石碑。

      0150611岩山小学校16


かなり年代物の石碑。
やはり書体は旧体で読み辛い。

『中川先生之碑』とあるから、岩山小学校の関係者でしょうか?

      0150611岩山小学校14

まあ、政治家でも先生って言われるし、
地元のちょっとした名士なら先生になっちゃうのかな?





こちらは、まったくもって読めない(判読できない)。
岩山小学校関連じゃないのかなぁ?

      0150611岩山小学校15




頭上を大きなジェット音。
成田空港は目と鼻の先。

      20150611岩山小学校01


時間帯にもよるけれど、ちょうど出発便が重なった時間帯なのか?
5分間隔ぐらいで飛行機が頭上を飛び去って行く。

      0150611岩山小学校02


 
成田空港の開港が昭和53年だから、
開港の3年前に廃校になったことになる。    

      0150611岩山小学校11


ひょっとしたら、成田空港が開港するから騒音等の問題で千代田小学校と統合して、
東小学校へ移って行ったのだろうか?

大人のドス黒い思惑の中で、子供たちが踊らされてしまったのだろうか...............?




      








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2015/06/30 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............東小学校 《千代田小学校跡》   (2015年6月11日)(千葉県山武郡芝山町) 

6月11日 公休日

この日は芝山町の廃校を巡っていました。

池田学校跡をあとにして向かった先は........芝山町立東小学校



東山小学校は、
池田小学校、千代田小学校、東小学校と変遷をしています。


明治6年       飯櫃村・池田利左衛門が私財を投じ、池田小学校設立。
明治11年      池田小学校が蓮福寺へ校舎を移転する。
明治20年      池田尋常小学校と大里尋常小学校が合併し池田尋常小学校となる。
            池田尋常小学校、池田栄亮の寄付により新校舎落成
明治22年      千代田村設立により、池田尋常小学校と岩山尋常小学校が合併し、
            千代田村立千代田尋常小学校となる。
            なお、岩山尋常小学校は分校となる。
昭和8年       千代田尋常小学校、稲葉(現東小学校跡地)に校舎移転。
昭和22年       千代田村立千代田小学校と改称する。
昭和30年       千代田村と二川村が合併して芝山町誕生。
             芝山町立千代田小学校と改称する。
昭和50年       千代田小学校と岩山小学校が統合し、岩山小学校は廃校となり
             芝山町立東小学校と改称する。
平成27年       芝山小学校に統合され、廃校となる。


と、このような沿革となっています。





こちらが、東小学校の正門。

      20150611東小学校01



古い石造りの門柱。

      20150611東小学校03

     

年季の入った表札です。

       20150611東小学校02




今年の3月に廃校となった東小学校。
廃校からまだ3ヶ月しか経っていません。


校舎の前に建つ像。

      20150611東小学校04

『健康』
直前に訪れた池田学校で足を痛めてしまったから
やけにその言葉が滲みます(笑)。




こちらは、二ノ宮像。

      20150611東小学校06


やっぱり、廃校にはコレがなくっちゃ!

      20150611東小学校07







こちらは、遊具類。

たった3ヶ月で雑草に埋れかかりそうです。

      20150611東小学校05


      20150611東小学校12


      20150611東小学校13      


      20150611東小学校14


      20150611東小学校15






こちらは校庭。
     
      20150611東小学校08

やはり、校庭も雑草が伸び放題。



校庭から眺める校舎。

      20150611東小学校09


      20150611東小学校11




そして、体育館。

      20150611東小学校10



校舎から体育館への通路脇にあった『大望』と刻まれた碑。

      20150611東小学校16


昭和40年の製作だから、千代田小学校時代の遺構になりますね。

      20150611東小学校17


実は、千代田小学校の事をネットで色々調べていたんだけれど
その沿革が不明で詳細がわかりませんでした。
この春に東小学校が廃校になって、東小学校の沿革がネットに載って
初めて千代田小学校跡に東小学校ができたのを知りました。



先ほどの正門の門柱。
裏側から見てみると..............................

      20150611東小学校18


何と、千代田小学校の表札が残っていました。

      20150611東小学校19

文字はかすれていますが、紛れもなく千代田小学校の文字が確認できます。

      20150611東小学校20


敢えてこの表札を外さなかったのは
千代田小学校関係者のは意地?
それともこだわりだったのでしょうか?




外来用駐車場脇にある百葉箱。

      20150611東小学校21


そして、正門脇には埴輪のオブジェ?

      20150611東小学校23

確かに、芝山町は埴輪の町だから町興しでこう言うモノも必要なんだろうか?


竹下政権時の『ふるさと創生一億円』は、こうやって使われたんですね。

      20150611東小学校24


頭上で大きなジェット音。
見上げれば旅客機。

      20150611東小学校25


成田空港も近い芝山町。
東小学校の子供たちもこの飛行機の音を聞きながら
授業を受けていたのだろうか..............................?



2015/06/29 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............池田学校跡   (2015年6月11日)(千葉県山武郡芝山町) 

6月11日  公休日

この日は芝山町に出かけました

芝山町で、今年の春に新たに2つの小学校が廃校になりました。
芝山町立東小学校、芝山町立菱田小学校)
昭和50年代にも廃校になった小学校も2校あり、
芝山町立千代田小学校、芝山町立岩山小学校)
詳しい場所を確認するために、芝山町の教育委員会を訪れてみました。
色々と話を聞いたら、明治時代の小学校の廃校跡が蓮福寺にあり、
校舎はないけれど、学校創立者の頌徳碑が建っている事を教えて頂き、
まずは、そちらの学校跡から訪ねてみる事にしました。

訪れたのは...............池田学校跡



池田学校は


明治6年    飯櫃村・池田利左衛門が私財を投じ、池田小学校設立。
明治11年   池田小学校、蓮福寺へ校舎を移転。
明治20年   池田尋常小学校と大里尋常小学校が 合併。
         名称は池田尋常小学校となる。
         池田尋常小学校、池田栄亮の寄付によ り新校舎落成
明治22年   千代田村設立により、池田尋常小学校 と岩山尋常小学校が合併し、
         千代田村立千代田尋常小学校となる。
          なお、岩山尋常小学校は分校となる。
昭和8年    千代田尋常小学校、稲葉(現東小学校 跡地)に校舎移転する。


と、このような沿革を経て後の千代田小学校、東小学校へと変遷していきます。



こちらが、蓮福寺。

      20150611池田学校11


      20150611池田学校12


確かに色々な小学校の沿革を調べていると
江戸時代の寺子屋の名残りだろうか?
明治初期に創立された学校はお寺や神社の一角に創立されたものが多い。

境内の何処かに頌徳碑があるものと信じこみ、
ひたすら境内を探し捲りますが見つかりません。
境内をぐるぐる回っていると、やがて住職の奧さんらしき人が現れたので
お話をさせて頂き、学校跡地を教えてもらいました。


山門脇の杉木立の林。
こちらが、池田学校跡となります。

     20150611池田学校01



林の奥を目を凝らして注視すると、
大きな石碑が2基並んで建っているのが確認出来ます。

      20150611池田学校02



しかし、石碑までは雑草が生い茂り、滅多に人も訪れないから道もありません。

      20150611池田学校04



石碑まで鎌で草を刈って道を作ろうか?と奧さんは言ってくれましたが
さすがに申し訳ないので、丁重にお断りをして
雑草の中を進んで行きます。


苦労して辿りついた頌徳碑。

      20150611池田学校03


明治時代に建てられた石碑だから、書体も古くて読み辛い。

      20150611池田学校05

正直言って、何て書いてあるかもいまいち理解出来ていません。


しかしながら、教育委員会の方から聞いていたのは
私財を投げ打って学校を創立した池田先生(?)を称えて、
地元の人が建てた碑らしい。

明治6年創立時の池田利左衛門氏の頌徳碑と
明治20年の校舎新築時の池田栄亮氏の頌徳碑になるのでしょう。

      20150611池田学校06


      20150611池田学校07



      20150611池田学校08


今は、2基の碑が建ち並ぶ何もない林の中ですが
紛れもなく、この地に明治6年から昭和8年までの60年間
学校があった場所になります。

      20150611池田学校09


さぁ、報徳碑の写真も撮ったし
これと言った学校遺構もないから引き上げましょう。

      20150611池田学校10




急ぎ足で雑草の海原(?)を抜けようと思ったら
雑草に隠れていた大きな石(石碑の台座の一部?)に足をぶつけ激痛。
思わず涙が出ました。

実は、自宅に帰ったら凄い事になっていましたが
それはまた何かの折にでも触れましょう。



痛い右足を引きずりながら、住職さんの奧さんにお礼の声を掛けます。

近くに飯櫃城址もあるし、山門脇にはこんな土塁があるから
ひょっとして、ここ(蓮福寺)も何かの城跡かと思い、聞いてみました。

      20150611池田学校13


      

この蓮福寺は元々、多古にあったお寺らしい。
その昔、飯櫃城の山室氏と多古の牛尾氏との合戦があり、山室氏が勝ったことから
多古から飯櫃へ蓮福寺を移したそうです。
山室氏は北条方についたため秀吉の関東制圧の際に、
後の信州高遠城主保科弾正に激戦の末敗れ飯櫃城は落城してしまいます。
その際に蓮福寺も諸堂伽藍ことごとく焼失することとなります。
その時の住職が勇猛果敢な僧で、大長刀を手に敵に向かい、
伽藍が燃えさかる中、山室氏の正室のお藤の方と嫡男で梅千代丸山室勝延を
隣村の稲葉の西光院に逃がしたと言うことです。

いゃあ、池田学校もさることながら
この蓮福寺の歩んできた歴史も凄いものがらあるなぁ..............................。


その蓮福寺から発祥した池田学校も千代田小学校、そして東小学校へと変遷して行きます。
東小学校については、また明日にでも..............................。







2015/06/28 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

花菖蒲@佐倉城址公園  (2015年6月10日) 

6月10日 公休日

6月13日(土)・14日(日) の両日が今年の『佐倉城下町 菖蒲まつり』ですが
あいにく、両日とも仕事のため、ちょっぴり早いかな?と思いながらも
佐倉城址公園の花菖蒲を見に行ってきました。

      20150610佐倉城址公園11

この看板の先が菖蒲園。

例年6月上旬~中旬が見ごろの城址公園の花菖蒲。
紫・黄・白など色とりどりの花菖蒲約9,000株が美しく咲き誇るそうです。


散策路越しに、菖蒲の花が綺麗に咲いているのが分かります。

      20150610佐倉城址公園10




しばし、菖蒲園の菖蒲の鑑賞いたしましょう。

      20150610佐倉城址公園04


      20150610佐倉城址公園03


      20150610佐倉城址公園05


      20150610佐倉城址公園06


      20150610佐倉城址公園07




せっかくだから、菖蒲の花をバックに びいすけ を撮りまくりましょう。

      20150610佐倉城址公園01


      20150610佐倉城址公園02


      20150610佐倉城址公園08


      20150610佐倉城址公園09


      20150610佐倉城址公園12


      20150610佐倉城址公園13


      20150610佐倉城址公園14


      20150610佐倉城址公園15


      20150610佐倉城址公園16


      20150610佐倉城址公園17


      20150610佐倉城址公園18



菖蒲園から城址公園の中へと向かいます。

姥ヶ池へ向かいながら、今一度菖蒲園を振り返ってみます。

      20150610佐倉城址公園19





姥ヶ池はほぼ一面スイレンに覆われています。

      20150610佐倉城址公園20


この日城址公園に訪れたのは夕方。
朝の早い時間なら、スイレンの白い花を見ることが出来るようです。

      20150610佐倉城址公園21



佐倉城は土の城。
石垣は全くなく、空堀と土塁で防御していました。
そのため、土塁は立派です。

      20150610佐倉城址公園22



この先は三郭(三の丸)。

      20150610佐倉城址公園23



三の丸にて。

      20150610佐倉城址公園24


      20150610佐倉城址公園25


      20150610佐倉城址公園26



三の丸の土橋。

      20150610佐倉城址公園27



土橋の上から見る三の丸の空堀。

      20150610佐倉城址公園28

この時期の三の丸の空堀の緑の絨毯が
この佐倉城趾で一番好きな場所。


いつ来ても、佐倉城趾公園はやっぱりいいなぁ...............。





2015/06/27 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

虚空蔵陣場跡  (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。


小久保陣屋跡をあとにして、向かった先は...............虚空蔵陣場跡


虚空蔵陣場は
永禄10(1567)年の三舟山合戦で、三舟山に陣取った北条軍に対して、
里見義弘が陣を置いたのが、ここ虚空蔵山であったと言われています。
虚空蔵山は三舟山のすぐ南側に向かい合っていて、
泉汲寺のすぐ南側にそびえている山稜です。
その虚空蔵山に陣を置き、里見軍は障子谷の泥田地帯に北条軍をおびき寄せます。
地勢をわきまえた里見軍の攻撃に遭って北条軍は敗退します。
これによって里見氏は劣勢を回避し、再び上総での覇権を回復することができました。



こちらが虚空蔵陣場跡の縄張り図

      虚空蔵陣場縄張り図

          (  
余胡くんのお城のページ  よりお借りいたしました )




虚空蔵山の麓にある泉汲寺

      20150605虚空蔵陣場跡01


      20150605虚空蔵陣場跡02


泉汲寺の奥から虚空蔵山に上がって行く道があるものと思い
境内奥へと向かいますが、厳しい斜面に遮られます。

      20150605虚空蔵陣場跡03



仕方がないので、泉汲寺から反時計回りに虚空蔵山の麓を移動し
登城口(登城路)を探します。

      20150605虚空蔵陣場跡04

右手の民家の裏あたりから、山へ上って行けそうですが
庭先で飼っている犬に激しく吠えられ、やむなく諦めます。

びいすけ を連れているから、なおさら犬は吠えますね(笑)。


さらに先へと進みますが、畑となり鉄線が張られその先へは行けません。

この山の上が陣場跡なんだけど
行く手を阻まれてしまっています。

      20150605虚空蔵陣場跡05

仕方ないので、南側からの登城は諦めます。

      20150605虚空蔵陣場跡06



再び泉汲寺に戻り、登城路を探しますが見つかりません。

この台地の上が陣場跡なんですけどねぇ。

      20150605虚空蔵陣場跡07



結局、登城路は見つからず、虚空蔵陣場跡の要な部分には行くことが出来ず
時刻も15時を回ったので、やむなく撤収することに...............。

虚空蔵陣場跡の遠景。

      20150605虚空蔵陣場跡08

右端に見えるのが泉汲寺。



北条氏政率いる北条軍を敗北せしめた里見軍の陣跡。
遺構らしきものはあまり無いとのことですが
北条ファンとしては、敵ながら北条軍を破った里見軍に敬意を表して
その陣跡を見ておきたかったのだか、残念です。

三船山の合戦では、八幡山にも里見軍は陣を張ったと言われているので
機会があれば、そちらの陣場跡も見に行ってみたいものです。


2015/06/26 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小久保陣屋跡  (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。


飯野陣屋跡をあとにして、向かった先は...............小久保陣屋跡



小久保陣屋は
明治維新期の短期間、上総国に存在した小久保藩の藩庁です。
1868年に遠江相良藩の田沼家が移封され、小久保藩(1万石)を立藩しました。
1871年の廃藩置県まで存続しました。

小久保陣屋は、富津市中央公民館敷地一帯に築かれていました。 
この辺りは、少し高台になった地形で、公民館駐車場内には弁天山古墳があり、
この古墳を取り囲むように陣屋が築かれていました。

古墳上部への登り口脇に古墳の案内板と陣屋の石碑が立てられいます。 
また、藩庁の屋敷にあった庭園の一部が駐車場南側にあり、
その案内板が立てられています。



こちらが小久保陣屋跡の縄張り図

      小久保陣屋縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ  よりお借りいたしました )



まずは、お目当の『小久保陣屋跡』の碑。

      20150605小久保陣屋跡01


      20150605小久保陣屋跡02


碑の裏面には小久保陣屋について書かれています。

      20150605小久保陣屋跡04




そして、小久保藩邸と藩校についての説明看板。

      20150605小久保陣屋跡03



石碑の前は中央公民館と市役所支所の駐車場。

      20150605小久保陣屋跡05

なぜか、この日は駐車場が満車。
地元の人も車が停められず、驚いていました。
何か、特別な行事でもあったのでしょうか?



そして、こちら弁天山古墳。

      20150605小久保陣屋跡06


まるで土塁のような古墳。
古墳の一部が城塁を兼ねていたようです。

      20150605小久保陣屋跡07


弁天山古墳の碑。

      20150605小久保陣屋跡08



せっかくだから、古墳の上に上がってみましょう。

      20150605小久保陣屋跡09



古墳頂部にて

      20150605小久保陣屋跡11


      20150605小久保陣屋跡12


古墳と言うよりは土塁に見えてしまうのは
城郭ファンだからかな?

      20150605小久保陣屋跡13



駐車場の先には、東京湾が見えたりする。

      20150605小久保陣屋跡10



陣屋跡地に建つ中央公民館。

実は、この地には小久保藩の藩校も建っており
それが後々の大貫小学校へと変遷していきます。

すなわち、大貫小学校発祥の地と言うことです。

      20150605小久保陣屋跡14


      20150605小久保陣屋跡15



現在の中央公民館。

      20150605小久保陣屋跡16

おそらく、小久保藩の藩校も大貫小学校も
こんな感じで建っていたのだろうか?




駐車場の南側には、小久保藩庁と藩主邸があったようです。

      20150605小久保陣屋跡17


こちらが、その縄張り図。

      20150605小久保陣屋跡18


      20150605小久保陣屋跡19



古びた井戸も残っています。

      20150605小久保陣屋跡20



この辺りに藩主邸があったようです。

      20150605小久保陣屋跡21



なぜか、藩主邸のエリアまで車が停められています。

      20150605小久保陣屋跡22



動乱の幕末を経て、明治維新へと新しい時代を迎え
あらたに立藩した小久保藩と小久保陣屋。

たった3年と言う短い期間だったようですが
しっかりとその跡をこの地に残しているようです。



2015/06/25 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて........番外編   飯野中学校跡   (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

飯野陣屋跡を捜している時に偶然にも、ある石碑を見つけました。
石碑には、『飯野中学校跡』と刻まれています。

基本的には、小学校の廃校廃校跡地を巡るのが好きですが、
偶然見つけた廃校跡地(?)。
これも何かの縁でしょう。

と、言うわけで番外編にはなりますが.............
偶然見つけたのは、旧・飯野村立 飯野中学校




飯野中学校は
昭和23年 新学制6・3制実施に伴い飯野村立飯野中学校として開校する。
昭和30年 飯野村が富津町、青堀町と合併し、改めて富津町を新設。同日飯野村廃止。
富津町立飯野学校と改称する。
昭和42年 富津中学校に統合して廃校となる。

ざっと、このような沿革のようです。



目に入った石碑がこちら。

      20150605飯野中学校跡01

最初は飯野陣屋関連の石碑かと思っていたら、思い切り違ってました。



廃校時には、富津町立飯野中学校でしたが、
敢えて、『飯野村立飯野中学校跡』としたところに
旧・飯野村の地元の心意気を感じます。

      20150605飯野中学校跡02



こちらは、『飯野中学校記念誌発行記念』の碑。

      20150605飯野中学校跡03


似たような石材が2基でセットなっていると言うことは
ひょっとしたら、飯野中学校の門柱を記念碑にしているのだろうか?

      20150605飯野中学校跡04



これらは、昭和25年度の卒業生によって寄贈されたモノらしい。

      20150605飯野中学校跡06




石碑の背後に建つのは、公民館。

      20150605飯野中学校跡08


山王公民館原分館 と看板がありますが
果たして、現在も公民館として使われているのだろうか?

      20150605飯野中学校跡07




元々は、飯野陣屋の二郭(二の丸)に建てられた飯野中学校。
廃校からすでに48年の月日が流れ、校舎も無くなっています。

      20150605飯野中学校跡05



だだっ広い空き地状態。

      20150605飯野中学校跡09




これなら、飯野陣屋の二の丸跡と言う雰囲気は感じ取れます。

      20150605飯野中学校跡10


小学校と違い、中学校には遊具など最初からなく
学校遺構などと言うモノは皆無に等しい。
先ほどの碑がなければ、とても廃校跡地には見えない。


これらの木々が学校跡地を彷彿させてくれるのか?

      20150605飯野中学校跡11


      20150605飯野中学校跡16


先ほどの碑から10mほど離れた位置にあるコンクリートの残骸。
ひょっとしたら、かつての校門跡?
それとも何かの礎石跡だろうか?

      20150605飯野中学校跡15




逆に、城郭遺構として残っている堀

      20150605飯野中学校跡13


      20150605飯野中学校跡14



そして、二の丸の虎口や土橋が飯野陣屋を彷彿させてくれます。

      20150605飯野中学校跡12



 
中世や近世の城郭が廃城後、明治の学令以降に学校に改変した事例は数多くあり、
その学校が廃校になったという事例も多い。
この飯野中学校跡地もそんな歴史歩んできたようです..............................。




    




2015/06/24 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

飯野陣屋跡    (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

富津陣屋跡をあとにして、向かった先は...............飯野陣屋跡



飯野陣屋は、若狭敦賀陣屋・周防徳山陣屋と共に日本三大陣屋の一つに数えられ、
江戸時代の姿が完存している貴重な史跡でもあります。

基本的には横長の長方形で三条塚古墳を陣屋内に取り込み、
一部古墳の周濠を陣屋の濠として利用しています。 
陣屋を囲繞する濠と土塁が完存していて、北東隅辺りには折れの遺構が見られる。
虎口は、3ヶ所に開かれていいて、東側に開かれた大手口には内枡形の遺構も残っている。

かつては陣屋内には、「本丸」・「二の丸」・「三の丸」と土塁によって区分され、
まるで城そのもののようでした。 
西側の周濠の外側に「外邸」があり、その外側を狭いが濠が囲んでいたそうです。

そもそも飯野陣屋は、慶安2年に保科正貞によって築かれました。 
正貞は、高遠城主保科正直の三男(後に会津若松城主となる保科正之は兄正光の養子)です。
大坂定番となり加増されて17000石を領して大名に列しました。
正貞没後、2代正景が弟正英に2千石分与して15000石となりますが、
延宝5年に正景が大坂定番となり5千石加増され、以後8代続いて正益の時に明治を迎えました。

明治4年、廃藩置県によって飯野藩は消滅し、飯野県が成立します。
飯野陣屋は飯野県県庁となり陣屋は廃されました。




こちらが、飯野陣屋の縄張り図。

      飯野陣屋縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )



縄張り図を見ても分かるように、陣屋としてはその敷地はかなり広い。


実は郭内の入口が分からず、結果的には内邸を囲む外濠を
ほぼ一周する羽目になったのですが、車でぐるっと廻ってもかなりの距離があります。


こちらは、比較的新しく建てられた説明板。

      20150605飯野陣屋跡01



本丸西側の堀沿いに建てられています。

      20150605飯野陣屋跡02


こちらが、本丸西側の堀。

      20150605飯野陣屋跡03

流れが淀んでいるのか濁っていて、お世辞でも綺麗とは言えません。

      20150605飯野陣屋跡04



先ほどの説明板には、縄張り図も載っています。

      20150605飯野陣屋跡05




こちらが、大手口。

      20150605飯野陣屋跡18

大手口には、石碑が建ち並んでいます。


説明看板と飯野陣屋跡の石碑。

      20150605飯野陣屋跡16

説明看板の背後にある石碑は、飯野神社の石碑。



こちらが、『飯野陣屋跡』の碑。

      20150605飯野陣屋跡17
     


堀も健在。

      20150605飯野陣屋跡19





主郭跡(本丸跡)は宅地化されて、その名残りを探すのが難しい。

まるで普段の散歩のように闊歩する びいすけ 。

      20150605飯野陣屋跡14


      20150605飯野陣屋跡15



二郭(二の丸)は、現在は何もない空き地。
実は最初に、二の丸に車を乗り入れ、目に入った石碑を見たら
飯野陣屋の石碑ではなくて、学校跡地の石碑でした。
こちらの廃校については、明日にでもこのブログで触れることにいたしましょう。



三郭(三の丸)の一角は、飯野神社。

      20150605飯野陣屋跡06


こちらの境内にも飯野陣屋についての説明看板があります。

      20150605飯野陣屋跡07

こちらは、地元の飯野地区の有志によって建てられたようです。



由緒ある飯野神社。

その拝殿。

      20150605飯野陣屋跡08



そして、本殿。

      20150605飯野陣屋跡09


飯野神社の奥にある三条塚古墳の説明看板。

      20150605飯野陣屋跡10


三条塚古墳そのものは、6世紀末に造られたと推定される墳丘長122メートルの前方後円墳。

飯野陣屋があった時代には、物見台として活用されていたようです。

      20150605飯野陣屋跡11



そして、三条塚古墳前の平場(削平地)は、かつての飯野藩の藩校があったらしい。

      20150605飯野陣屋跡12



この辺りが藩校跡らしいが、これと言った案内板や石碑はないようです。

     20150605飯野陣屋跡13


日本3大陣屋跡と言うことで、かなり期待をしていましたが
正直名前負け、前触れに負けた!って言う感じです。
この『日本3大』って言ったのが微妙な表現で、
今回は面積(敷地)が3大と言うことだろう。

大きさ(外観)よりも中身(質)で3大と言う表現を用いて欲しいなぁと感じるのは、
はたして、私だけなんだろうか..............................?







    


     






2015/06/23 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........番外編   富津中学校跡     (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

富津陣屋跡を捜している時に偶然にも、ある石碑を見つけました。

      20150605富津中学校跡01

石碑には、『富津中学校跡』と刻まれています。

基本的には、小学校の廃校や廃校跡地を巡るのが好きですが、
偶然見つけた廃校跡地(?)。
これも何かの縁でしょう。

と、言うわけで番外編にはなりますが.............
偶然見つけたのは、富津市立 旧・富津中学校跡



富津中学校は、

昭和23年 新学制6・3制実施に伴い飯野村立飯野中学校、
青堀町立青堀中学校、富津町立富津中学校として
三校それぞれ開校する。
昭和26年   富津射城旧兵舎跡に新校舎を建立。   
昭和30年 町村合併により富津町立飯野中学校、富津町立青堀中学校、
富津町立富津中学校と改称する。
昭和42年 三校を統合して富津町立富津中学校として開校する。
昭和45年   新校舎建設のため移転する。
昭和46年 三町(天羽、大佐和、富津)合併し、市制施行により富津市立富津中学校と改称する。

そして現在に至るという沿革になっています
(富津中学校は廃校ではありません)




すなわち、偶然見つけたこの地が
昭和26年から45年までの19年間、富津中学校があった場所になります。


学校跡地の碑の脇にあるのは、往時の校門でしょうか?

      20150605富津中学校跡02



往時のモノかは分かりませんが、校門前にて。

      20150605富津中学校跡03



学校跡地の碑の裏面には、富津中学校の校歌が刻まれています。

      20150605富津中学校跡14


      20150605富津中学校跡15



校門をくぐり、敷地内に入ってみます。

      20150605富津中学校跡04



昭和45年に校地が移転して、すでに45年の月日が流れ、
更地と言うか、空き地と言うか、広場になっています。

      20150605富津中学校跡06



さらに奥にはグランド(野球場)があるようです。

      20150605富津中学校跡05


    
ロングリードを装着しているから、この広場を走り回るかな?って、思っていたけれど 
どうやら びいすけ には、走り回る気は無いみたいです。 

      20150605富津中学校跡07


カメラの前でポーズ。

      20150605富津中学校跡08


モデル(?)に専念です(笑)。

      20150605富津中学校跡09


      20150605富津中学校跡10



さらに奥に進めば、こんな残骸も...............。

富津中学校の校舎か何かの一部だったのでしょうか?

      20150605富津中学校跡11



グランドのフェンスには、こんな看板が掲げられています。

      20150605富津中学校跡12

海に近い、漁業の盛んな町なんだなぁと実感します。



最近、ある程度の広さのある遊休地でよく見かける太陽光発電。
ここにも多くのソーラーパネルが並んでいました。

      20150605富津中学校跡13


昭和45年に中学校が移転した後、具体的に有効利用されずに月日だけが流れて行った...............
そんな感じの旧・富津中学校跡でした..............................。







2015/06/22 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

富津陣屋跡  (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

富津台場跡をあとにして、向かった先は...............富津陣屋跡



富津陣屋は、
文化7年(1810)白河藩主松平定信が幕府から江戸湾の防備を命じられると
文政5年(1822)館山の波佐間から陣屋が移され、新たに富津陣屋ができました。
以後富津村の領主は幕府代官、武蔵忍藩、陸奥会津藩、筑後柳河藩、
陸奥二本松藩、上野前橋藩、と引き継がれ領内の行政や
海防の拠点として使用されてきました。

幕末の慶応4(1868)年、前橋藩は上野へ領地替えとなり、
富津陣屋は飯野藩領となり富津陣屋は廃されました。




富津陣屋跡は、市街地の仲区公民館辺りだと聞いていたので
まずは、その公民館から探します。

車のナビでは、公民館が出てこないので中学校跡地に車を停めて
周辺を探します。

地元のご老人に道を尋ねると、この辺りらしい。

      20150605富津陣屋跡01


どうやら、奥の鉄筋の建物が公民館らしい。

      20150605富津陣屋跡16


こちらが公民館。

      20150605富津陣屋跡04

てっきり、公民館の敷地内に石碑とか説明板があるのかな?って思っていたら
何もない!。
と、言うよりも公民館の周りは完全な住宅地。
陣屋跡とは思えない。


確か、富津陣屋跡の石碑があるとのことなので
周辺を探索してみます。


確かに、それらしい雰囲気のある場所もある

土塁の一部か?

      20150605富津陣屋跡02

すぐ近くにも土塁の跡?のような土盛り。

      20150605富津陣屋跡03


      20150605富津陣屋跡05

でも、探している石碑はありません。


ロングリードの びいすけ を先に行かせ、視線は石碑探し。

      20150605富津陣屋跡14

画面右側の茂みが怪しい?


こちらが、その茂み。

      20150605富津陣屋跡13



茂みの奥に何かがあるようです。

      20150605富津陣屋跡12



説明看板と石碑があるようです。

      20150605富津陣屋跡11


探していた『富津陣屋跡』の碑と説明看板です。

      20150605富津陣屋跡07   



こちらが、説明看板。

      20150605富津陣屋跡06


石碑は3基。

まずは、『富津陣屋跡』の碑。

      20150605富津陣屋跡08



こちらは、『白井宣左衛門の自刃の地』の碑。

      20150605富津陣屋跡09


そして、こちらは『小河原多官自刃の地』の碑。

      20150605富津陣屋跡10



幕末の慶応4(1868)年、旧幕勢力の請西藩主林忠宗らが
前橋藩の富津陣屋を包囲しました。
前橋藩は旧幕勢に陣屋を明け渡し、兵士、武器、食料を与えてしまいました。
しかし、前橋藩廃の藩を免れるためにその責任を負って、
家老小河原多官、陣屋総括者白井宣左衛門は陣屋にて自刃いたします。
その両名の碑がしっかりと建っていました。



石碑の建っている場所の近くの用水。
往時の堀跡なのでしょうかか?

      20150605富津陣屋跡15


幕末の東京湾警備のために重要な位置づけであった富津陣屋。
その陣屋跡は、周辺が住宅地に変わってしまい、地元の方々が建立した石碑も
今では茂みの中に埋もれてしまっている。
民地なのか?公有地なのかは判りませんが
もうちょっと富津市にも保存に力を入れて欲しいところですが
以前には無かった説明看板が建てられているだけでも
良しとしなければいけないのかなぁ..................?




     



2015/06/21 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

富津台場跡 《 元洲砲台跡 》  (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

富津岬にある富津公園の中には、江戸時代に作られた台場があると言うことで、
訪れたのは...............富津台場跡


富津台場は、
幕末に海上防備のために幕府の命により東京湾に築かれた台場の一つです。
文政3年(1820)に幕命により白河藩主・松平定信が築城しました。
砲は7門あったとされ、房総の沿岸の巡視の要となっていたようです。
1858年の修好通商条約の締結で海防の緊張がゆるんだこともあり、
房総沿岸の台場は廃止されてしまいました。

明治以降は明治政府により元洲砲台として改修され、
設備や装備も近代仕様に改められました。
明治28年に東京湾要塞本部が発足し、歩兵中隊が置かれたましたが、
海上に第一海堡や第二海堡が築かれたこともあって、実戦に使用されることはなく
台場としての役目を終えました。
日露戦争が勃発すると、この台場の大砲が外され旅順にて使用されたと言います。
以後も陸軍の大砲試射場として太平洋戦争終戦まで使用されたようです。



こちらが、富津台場の縄張り図。

      富津台場縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )



この『富津台場跡』、富津公園の中では『中の島』として紹介されています。


こちらが、その説明看板。

      20150605富津台場01



周りを水堀に囲まれた富津台場。
正面の堀の幅はそんなにない。

      20150605富津台場02



石橋を渡れば台場内に入ることができます。

      20150605富津台場03


石橋を渡った先にある富津岬の看板(と言うよりは石碑に近い)。

      20150605富津台場04

城郭ファンとしては、『富津岬』よりも『富津台場跡』とか
『富津砲台跡』なんて書かれていると
嬉しいんだけどなぁ...............。



こちらが、虎口。

      20150605富津台場05

両脇の土塁が見事!



台場内部。

      20150605富津台場06


四方をぐるっと土塁が囲っています。

      20150605富津台場07



土塁に上がる石段もあるので、土塁の上に上がってみましょう。

      20150605富津台場08


      20150605富津台場09


元気良く駆け上がる びいすけ 。

      20150605富津台場10



土塁の上は、こんな感じ。

ちょっとした遊歩道になっています。

      20150605富津台場11



土塁の上から見下ろす台場内部。

      20150605富津台場12



土塁の上をぐるっと散策してみます。


虎口側とは反対側の水堀。

こちらは、幅があって立派な堀です。

      20150605富津台場13


      20150605富津台場14


      20150605富津台場15



最奥の土塁の上は、広場のようになっていて
ちょっとした公園のような感じです。

      20150605富津台場16

さらに奥には展望塔もあります。



せっかくだから、展望塔に上がらなくっちゃ!



展望塔から見下ろす台場内部。

      20150605富津台場18


      20150605富津台場21




そして、東京湾。

      20150605富津台場19


      20150605富津台場20




幕末の砲台としての遺構はあまり無いようですが
こんな建造物も2基残っています。

      20150605富津台場17


機銃台でしょうか?
     
      20150605富津台場22


      20150605富津台場23


最後にぐるっと富津台場を堀沿いに一周してみます。

      20150605富津台場24

意外に富津台場は大きいと言うか、堀が広い。


幕末に東京湾を遡上する諸外国に備えて設置された台場。
浦賀水道の守りの要として各地に設置されたけれど
今尚、この平成の時代に台場(跡)として、それらしき形を残しているのは
ここ富津台場と品川台場ぐらいと言うことらしい。

いつか、品川台場も見に行ってみたいなぁ..............................。




2015/06/20 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

富津公園  (2015年6月5日)(千葉県富津市) 

6月5日 公休日

この日は、富津市に出かけました。

以前から訪れてみたかった 富津岬 へと足を向けました。

東京湾に突き出た半島状の約5キロの砂洲、富津岬の先端にある富津公園は、
季節で表情を変える海をバックに、緑のアウトドアフィールドが広がる公園と言うことで
富津公園に行って来ました。



かなり広い公園のようで、駐車場も何ヶ所かあるようです。

勝手が分からないので、1番入口に近い駐車場に車を停めてみます。

平日だから、駐車場もガラガラ。

      20150605富津公園05


駐車場脇にある案内板を確認。
周辺の観光スポットの案内。

      20150605富津公園02

富津市だけじゃなくて、君津市や南房総市、館山市までの案内。
今回は富津市巡りだから、次回の参考にいたしましょう。


まずは、富津公園の全体を把握いたしましょう。

      20150605富津公園03




公園に入るなり、いきなりマーキングに精を出す びいすけ 。

      20150605富津公園01



何はさておき、せっかくだから記念写真。

      20150605富津公園04




さて、公園内を散策いたしましょう。
     


10mのロングリードで、 びいすけ の行きたい所、行きたい方向に任せてみます。

      20150605富津公園06



再び、マーキング。

      20150605富津公園07


そして、リズミカルに闊歩。

      20150605富津公園08


そして、芝生の匂い嗅ぎ。

      20150605富津公園09


少し足を伸ばして中の島の方へ行ってみましょう。

      20150605富津公園10


びいすけ の背後の台地が中の島。

      20150605富津公園11

中の島は江戸時代に作られた砲台跡。

通称、『富津砲台跡』と呼ばれ、正式には『富津元洲堡塁砲台』と呼ばれ
明治・大正・昭和(戦前)の砲台跡でもあります。

『富津砲台跡』については、別の機会にでも紹介いたします。


富津砲台の堀(大池)から、陸に上がっていた亀を発見!

      20150605富津公園12


非常に気になる びいすけ 。

      20150605富津公園13


おっかなびっくりな体勢で前足で亀の甲羅を突っついたりしています。

亀も びいすけ の隙を伺って逃げ出します。

      20150605富津公園14


その亀をまた びいすけ が追いかける。

      20150605富津公園15

見慣れない亀にちょっぴり興奮しちゃったみたいです。




    
こちらは、中の島に隣接する『富津海浜の森』。

      20150605富津公園31


      20150605富津公園32


ここだけで、ちょっとした公園の一つと言える規模です。

      20150605富津公園33


とにかく、富津公園は広い。


海浜の森を散策します。

      20150605富津公園34


本当はじっくりと散策してみたいのですが
せっかく富津市まで足を伸ばして、
富津公園だけで終わってしまうのも何だから
キリのいいところで駐車場に戻りましょう。

      20150605富津公園35



おおよその見当を付けて、駐車場方向へと向かいます。

      20150605富津公園36


      20150605富津公園37



      20150605富津公園38

何だかんだと、寄り道をしながら駐車場に戻ります。



車に乗って一気に富津岬の最先端へと向かいます。





そして、富津公園の最先端。
富津岬の先端でもあります。

こんな観光案内板があります。

      20150605富津公園30




富津岬の先端には第一海堡・第二海堡と呼ばれる人工島があります。
これは明治から大正にかけて首都防衛のために造成されたもので、
兵舎や砲台などが建設され第二次世界大戦終了まで軍事用施設として運用されていました。
過去には干潮のときだけ岬と海堡が陸続きになり、
第一海堡まで歩いて渡ることができましたが、
現在では展望塔から眺めることしかできません。

      20150605富津公園16



こちらは、明治百年記念展望塔。

      20150605富津公園17


ここから眺める眺望は素晴らしく、関東の富士見100景やちば眺望100景にも選ばれているそうです。

さっそく上がってみましょう。

      20150605富津公園18


確かに、『関東の富士見100景』の地ですね。

      20150605富津公園19



あいにく、曇り空で富士山は見えません。


小さく見える島が、第一海堡。

      20150605富津公園20


先日、18-200の望遠レンズが壊れちゃったから
この日のレンズは純正の18-50。

50mmにしても、これが限界。

      20150605富津公園21



こちらは、第二海堡。

奥に見えるのは三浦半島。

      20150605富津公園22>



富士山は見えないけれど、第一海堡をバックにパチリ☆。

      
20150605富津公園23


      20150605富津公園24



別な角度で、明治百年記念展望塔から陸地を眺めてみます。

      20150605富津公園25



まさに、富津岬の先端だと分かりますね。

      20150605富津公園26



富津岬の浜辺。

      20150605富津公園27


波があるから、波打ち際へは行けない びいすけ 。
ここら辺りが限界点。

      20150605富津公園28



再び、第一海堡をバックにパチリ☆。

      20150605富津公園29



富津岬もこれで満喫。
さて、次なる場所へ移動いたしましょう..............................。






2015/06/19 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大クス展望公園 《 府馬の大楠》 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけました。
須賀山城址をあとにして、佐倉市の自宅へと帰路につきますが
そう言えばこの近くに『府馬の大楠』がある事を思い出した。
せっかくだからと、立ち寄った先は...............大クス展望公園




こちらが、大クス展望公園の入口。

      20150523大クス展望公園01

駐車場完備と言うことですが、意外に狭く、4〜5台が限界っぽい。


説明看板の前で、はいポーズ!

      20150523大クス展望公02

公園の配置図が無かったから、説明看板にそんなに気を留めていませんでした。
この時、しっかりと説明看板を読んでなかったから
帰ってからちょっぴり後悔することに..............



さほど大きくはない公園ですが、ド~ンと広場が広がっています。
元々は芝生広場だったと思うけれど
今はクローバー(しろつめ草)に一面覆われています。

      20150523大クス展望公03



そして、この公園のランドマークとも言える  展望台 。

      20150523大クス展望公04

これが有るから、『大クス展望公園』と言うわけですね。


早速展望台に上ってみましょう。

      20150523大クス展望公07



展望台からの眺望

      20150523大クス展望公05

この眺望は  千葉の眺望100景  にも選ばれているらしい。  



展望台から見下ろした公園の広場

      20150523大クス展望公06




そして、こちらがクローバーに覆われた広場。

      20150523大クス展望公08



思いのほか、クローバーは成長していて、 びいすけ が埋もれてしまいます。

      20150523大クス展望公09


      20150523大クス展望公10

あまりにも深いクローバーの海(?)を飛び回っていた びいすけ 。
疲れて小休止のようです。



公園に隣接する宇賀神社。

      20150523大クス展望公15

実は『府馬の大クス』は、この宇賀神社の境内にあります。




こちらが、府馬の大クス。

      20150523大クス展望公11

大正15年に国の天然記念物指定されました。
告示にはクスノキとなっているが、後にタブノキと判明しました。
タブノキは別名をイヌグスとも言い、
地元でも大クスと呼び親しんでいたことから間違えたものと思われるます。

樹高16m、幹周15m、根元周28mの堂々たる姿は、
タブノキとしては国内有数の巨木で、樹齢も1300年から1500年と言われています。

      20150523大クス展望公12



びいすけ と比べれば、その大きさがわかります。

      20150523大クス展望公13


      20150523大クス展望公14


この宇賀神社の境内には、府馬の大クス以外にも幾つかの太いタブノキがあり、
林を形成しています。とにかくこれらの巨木たちの生きてきた時の流れを感じます。
まさに、郷土の移り変わりを見守り続けた生き証人と言えるでしょう。


自宅に帰ってきてから色々と調べてみると、
この『大クス展望公園』一帯は中世の府馬城跡でもあるらしい。
そうと知っていたら、見る目が変わっていたのになぁ...............。
ちょっぴり、残念な思いです。

いつか、また訪れることにしよう。





2015/06/18 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

須賀山城址 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町、千葉県香取市) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけていました。


『天保水滸伝』の町、笹川をあとにして向かった先は...............須賀山城址


須賀山城は

文治六年(1190年)に千葉常胤の六男、東胤頼により築城されました。
東胤頼は上代前掛城(桜井城)(旭市)より移りました。
その後、建保六年(1218年)に須賀山城との台地続きに森山城を築城して
須賀山城から森山城に移り一族が居城しました。
三代当主、東胤行は承久三年(1221年)に美濃山田庄の地頭として移り、
その後は海上氏が居城としました。戦国期に入り、
千葉胤冨が海上氏に養子として入城いましたが、
弘治三年(1557年)に千葉宗家を継ぎ本佐倉城に移りました。
しかし、胤冨はこの城を境目の城として重視し森山城の外郭として
森山城に取り込む形で須賀山城も改修したようです。
天正年間に入ると東氏、その家臣の原氏が在城し、
宗家千葉氏とともに北条氏の家臣となります。
天正十八年(1590年)、城主の東直胤は小田原城に籠城しましたが、
北条氏滅亡後、森山城とともに廃城になりました。



こちらが、須賀山城の縄張り図

      須賀山城縄張り図

          ( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )




県道266号線を笹川町から南下していると、こんな看板が見えます。

以前、森山城址へ行く際にも、この案内板は目にしたのですが
その時は、時間も無くて素通りしてしまいました。

      20150523須賀山城址01

今回は、こちらの須賀山城址が目的です。

この看板のある場所辺りから眺める須賀山城址。

      20150523須賀山城址02

この須賀山城址のある台地周辺は
知的障害者施設「北総育成園」が隣接していて
そちらの即売所の駐車場をお借りして、登城いたします。


登城路にいきなりの土塁。

      20150523須賀山城址03



いやぁ、これは期待できそうな予感(笑)

      20150523須賀山城址04



登城路を登っていくと、幟が立っています。

『九曜紋』
千葉氏関連の城郭であることの証しですね。

      20150523須賀山城址05

何と、5月23日のこの日は、『須賀山城址祭』のようです。



そう言えば、車を停めた「北総育成園」の駐車場の近くで
賑やかな歓声が聞こえていました。



登城路の先は、右手に腰曲輪。
椎茸の原木が置かれていて、「北総育成園」のキノコ園になっているようです。

      20150523須賀山城址06


さらに、登城路を進みます。

どうやら、この道は須賀山城址の搦手口のようです。

      20150523須賀山城址07



左側の腰曲輪。

      20150523須賀山城址08

やはり、この郭にも椎茸の原木が並んでいます。

この腰曲輪の上には大六天郭があります。



いよいよ、須賀山城址の要の部分へと入ります。

      20150523須賀山城址09




こちらが、大六天郭の虎口。

      20150523須賀山城址10


そして、大六天の祠。

      20150523須賀山城址11


      20150523須賀山城址12



この大六天郭も椎茸の原木が積まれていて
キノコ園と化しているようです。

      20150523須賀山城址13



この先は馬出し郭から主郭へと続きます。

      20150523須賀山城址14



こちらが、馬出し郭。
完全な畑と化しています。

      20150523須賀山城址16



馬出し郭から主郭へと繋ぐ土橋。

      20150523須賀山城址15


      
以前は、この土橋から先は雑草に覆われ、
人を寄せ付けるのを拒んでいるような感じだったらしい。

      20150523須賀山城址17



空堀も下草を綺麗に刈られ、かなり整備されています。

      20150523須賀山城址18


主郭虎口近くに建つ城址説明板(案内板)。

      20150523須賀山城址19

やはり、この説明板先は藪状態であったらしいが
現在は、かなり整備されています。


そして、説明板の隣の城址碑(木板製)も整備に併せて建てられたようです。

      20150523須賀山城址20





ネットで調べたら、こんな記事がありました。


なるほど、須賀山城址保存会の方々と「北総育成園」の方々の尽力によって
荒れ果てていた須賀山城址は見事に蘇ったようです。


確かに主郭虎口から振り向いて、土橋を眺めてみると
綺麗な形で土橋が残されています。

      20150523須賀山城址21



主郭虎口から眺める主郭内部。

      20150523須賀山城址22



主郭虎口の土塁。

      20150523須賀山城址23


主郭中央には一回り大きな幟がありました。

      20150523須賀山城址24


『九曜紋』の下には 『 東氏見参 』

      20150523須賀山城址25

いいねぇ、戦国時代っぽくていいねぇ(笑)。




こちらは、主郭下の腰曲輪。

      20150523須賀山城址26


腰曲輪の先端から台地下を覗いてみると...............

      20150523須賀山城址27

先ほどから賑やかな歓声は、あちらから響いていたんですね。
『北総育成園』の人たちが地元の住民を招いて須賀山城址祭をしているようです。



主郭に戻って、ぐるっと一回りしてみます。

      20150523須賀山城址29
      


主郭の外周を1mほどの高さの土塁が巡っています。

      20150523須賀山城址28

   

土橋から主郭の空堀に降りてみます。

      20150523須賀山城址30

空堀が綺麗に整備されていると、本当に大事にされていると感じます。


往時に比べれば、空堀も土砂が堆積して浅くなっているとは思うけれど
それなりの巾があって、立派な空堀です。

      20150523須賀山城址31


      20150523須賀山城址32



残念なのは、その空堀の先、西郭には導線がないと言うか
完全な藪状態で西郭には進軍できません。


しかたがないので、西郭には車で移動。


ぐるっと台地を回り込んで、西郭にあたる天ノ宮神社。

      20150523須賀山城址33

こちらにも、城址碑(標柱)がありますが、こちらは旧・小見川町(現・香取市)が建てたものです。
実は、須賀山城址は西郭が香取市、主郭や馬出し郭、大六天郭は東庄町になります。


旧・小見川町が建てた説明板。

      20150523須賀山城址34


こちらは、天ノ宮神社の本殿。

      20150523須賀山城址35


神紋は、『九曜紋』。

      20150523須賀山城址36


まさしく、千葉氏関連の城郭に建てられた神社です。

      20150523須賀山城址37



境内に僅かに残る土塁。

      20150523須賀山城址38


旧・小見川町域の須賀山城址は、正直言って遺構がほとんど無く
面白みに欠けてしまいます。

やっぱり、須賀山城址は東庄町側を攻略することをお勧めします。





2015/06/17 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

天保水滸伝の町、笹川を歩く (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけました。


利根川の下流域にある東庄町。
東庄町は、『天保水滸伝』でも有名な町でもあります。



天保水滸伝は
「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」
浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」は、土地を潤す利根川と共に、昔から語り伝えられてきた東庄が舞台の、笹川繁蔵と飯岡助五郎、二人の侠客の勢力争いの物語です。

「天保水滸伝」のベースとなった物語の舞台は、
大飢饉などで社会不安が増大した天保の時代(1830~44年)。
侠客・笹川繁蔵と飯岡助五郎の確執が緊迫した後、“大利根川の決闘”という紛争に発展。
笹川一家に軍配は上がったものの、やがて繁蔵は助五郎の子分の闇討ちに遭い、
通称ビヤク橋にて絶命してしまう。

そこで親分の仇討を誓った勢力富五郎だったが、
関東取締出役と飯岡一家に追われ、金毘羅山に逃げ込み…。
「勢力富五郎は52日間、捕まらなかったそうです。
金毘羅山に立てこもって、幕府にたてついたわけですが、
この様が梁山泊を舞台にした『水滸伝』と似ていたとされています。

時代が変わって嘉永三年、1850年に江戸の講釈師である宝井琴凌という人がここを訪れた時に、
“大利根川の決闘”のことを調べ、講談として世の中に発表しました。
その時に“水滸伝”というタイトルだったので、それが『天保水滸伝』の始まりになります。
宝井が“水滸伝”を引用した背景には、勢力富五郎が金毘羅山に立てこもったことだけでなく、
“大利根川の決闘”で小勢力の笹川一家が幕府の後ろ盾もある飯岡一家を破ったことにも由来しているそうです。





東庄町を移動していると、『天保水滸伝』に所縁のある地に
ばったりと遭遇したりします。



沼闕城址のある福聚寺の近くには、こんな看板が...............。

      20150523笹川天保水滸伝01


東庄県民の森のつどいの森の更に奥へと続く遊歩道。
『天保水滸伝遺跡遊歩道』と名付けらた遊歩道の終点は
勢力富五郎が立て篭もった金毘羅山でした。

      20150523笹川天保水滸伝02


後世になって、地元の人々が勢力富五郎の碑を建て、
いつしか、勢力山と呼ばれるようになったそうです。

      20150523笹川天保水滸伝03


まるで城郭の郭のような削平地。
この場所に52日間立て篭もっていた場所なのだろうか?

      20150523笹川天保水滸伝04

しかし、この場所は勢力富五郎が自刃した場所です。




続いて、利根川コジュリン公園のすぐ近く。
最初、こちらが利根川コジュリン公園かと勘違いした公園の一角。

ここにも、天保水滸伝の石碑があります。

      20150523笹川天保水滸伝05


『利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟』と刻まれています。

      20150523笹川天保水滸伝06

石碑の説明によれば、石碑の文字は田中角栄の書による句碑だそうです。

      20150523笹川天保水滸伝07






続いて、笹川駅近くの諏訪神社に向かいます。
駐車場も完備しているから、笹川町の散策には、こちらの駐車場を利用すると良いでしょう


こちらが諏訪神社

      20150523笹川天保水滸伝32




鳥居の先が境内。

諏訪神社の境内には天保水滸伝遺品館なるものもあります。

      20150523笹川天保水滸伝08


こちらが、天保水滸伝遺品館。
入場料は200円。

      20150523笹川天保水滸伝09

 びいすけ を連れているから中には入れません。
入口脇に掲げられた地図で周辺の所縁の地をチェックします。

      20150523笹川天保水滸伝10


遺品館の隣は、東庄町観光協会。

      20150523笹川天保水滸伝11

こちらでパンフレットを貰うことが出来ます。


観光協会の前には、こんな幟。
どうやら町を挙げて、 天保水滸伝 をPRしているようです。

      20150523笹川天保水滸伝19




まずは諏訪神社の境内を散策いたしましょう。

こちらが神楽殿。

      20150523笹川天保水滸伝12


そして拝殿。

      20150523笹川天保水滸伝13



そして、こちらが土俵。

もともとは飢饉で困窮する農民を救済するために、
繁蔵が花会や奉納相撲を開くために作ったそうです。
諏訪神社には、相撲の神様として有名な野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の碑もあります。

      20150523笹川天保水滸伝14

繁蔵が花会や奉納相撲を開くために作った土俵は、
現在、出羽海部屋が使用しているため、日本相撲協会の規定にあわせ、
新たな土俵に様変わりしているそうです。


      20150523笹川天保水滸伝18


諏訪神社の土俵の脇には、相撲の神様として有名な野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の碑もあります。

      20150523笹川天保水滸伝15

ちょっぴり、ピンぼけなのはご勘弁願います(笑)。


野見宿禰命の碑の説明板。

      20150523笹川天保水滸伝16



毎年、この地に合宿にやってくる大相撲の出羽海部屋の記念碑。

      20150523笹川天保水滸伝17


そして、こちらが歌手・三波春夫が建立したとされる
三波春夫自筆の『天保水滸伝百三十年の碑』。  

      20150523笹川天保水滸伝33





天保水滸伝遺品館の方に戴いたパンフレット。

      20150523笹川天保水滸伝35


徒歩圏内にある、ゆかりの地のMAPも載っているので
せっかくだから、巡っちゃいましょう。

      20150523笹川天保水滸伝36









諏訪神社から歩いてすぐ、延命寺に向かいます。

こちらが延命寺。

      20150523笹川天保水滸伝20

延命寺には、笹川(岩瀬)繁蔵の墓、平手造酒の墓、勢力富五郎の碑があります。


延命寺の境内に入ってすぐ右側に、墓碑が並んでいます。

      20150523笹川天保水滸伝21

真ん中の大きな碑が、笹川繁蔵の墓碑。
向かって右側が、平手造酒の墓碑。
向かって左側が、勢力富五郎の碑。



笹川繁蔵の墓碑の前には、『天保水滸伝発祥の地』の碑が建っています。

      20150523笹川天保水滸伝22


こちらが、勢力富五郎の碑。

      20150523笹川天保水滸伝23

墓碑は、県民の森の奥にある勢力山にあります。


こちらが、笹川繁蔵の墓碑。

      20150523笹川天保水滸伝25



墓碑の前には、『笹川繁蔵の勝負石の碑』

     20150523笹川天保水滸伝24


     
そして、こちらが平手造酒の墓碑。

      20150523笹川天保水滸伝26

笹川一家の助っ人だった平手造酒。
実は平手造酒の墓碑は、別な場所にもあるらしい。


こちらが、延命寺の本堂。

      20150523笹川天保水滸伝27

思ったよりも小さい。


延命寺の由緒書き。

      20150523笹川天保水滸伝28





延命寺から歩くこと数分。

こちらは八坂神社。
平手造酒は、この近くに住んでいたらしい。

      20150523笹川天保水滸伝31



今は、枯れてしまって二代目となっているが
平手造酒ゆかりの松もあったらしい。

      20150523笹川天保水滸伝29


こちらが、そのゆかりの松。

      20150523笹川天保水滸伝30




八坂神社から歩くこと5分程、道に迷いながらも辿り着いた『平手造酒の塚』。

      20150523笹川天保水滸伝37


塚と言うことですが、実際は墓碑。

      20150523笹川天保水滸伝38

この場所で平手造酒は飯岡勢に斬られたらしい。
すなわち、平手造酒終焉の地と言うことらしい。


     



平手造酒の塚から、諏訪神社の方へ戻ります。

こちらが笹川の花会の場となった 料亭 十一屋跡。
諏訪神社のすぐ近く。

      20150523笹川天保水滸伝34

天保13年(1842年)、笹川須賀山明神の例祭日を利用して、
笹川繁蔵は農民救済のために地元の商人宿・十一屋で
花会(親分衆のみを客とした賭場)を開きました。
繁蔵は関東東海地方で名前の知られる大親分に手当たり次第に回状を送り、
十一屋の花会には、清水次郎長、国定忠治、大前田英五郎なども駆けつけたと伝えています。

現在は廃業して一般の民家となっていますが
門柱の表札にはしっかりと『十一屋』の屋号が掲げられていました。





十一屋から歩くこと、5分程。
現在は建物も無くなっていますが
この辺りが笹川繁蔵の生家(岩瀬家)があったと言われる場所。

      20150523笹川天保水滸伝39


岩瀬家跡から更に住宅地を歩くと、こんな案内板。

      20150523笹川天保水滸伝40



そして、こちらが笹川繁蔵終焉の地。

      20150523笹川天保水滸伝41



この場所(ビヤク橋)で虚無僧に変装した飯岡助五郎の子分3名の闇討ちにあって暗殺されたと言われています。

      20150523笹川天保水滸伝42


一説によれば、繁蔵の遺体は首を切り落とされ、飯岡(現・旭市)に持ち去られてしまいました。
胴体は行方不明となり、持ち去られた首は飯岡助五郎によって、
飯岡の山林に秘密裏に埋葬され「最も大事な客人の墓」と偽って、
自身が死ぬまで香華を絶やさなかったということです。

昭和7年(1932年)8月14日、銚子町(現・千葉県銚子市)が植松町3丁目の道路整備中に、
町有墓地で繁蔵の名が彫られた墓石と利根川に投げ捨てられたといわれていた胴体が発見されました。
首も併せて笹川町に埋葬したいという五十嵐荘太郎・笹川町長(当時)らの申し出を受けた飯岡町では、
助五郎が秘密にしていた首塚を、土地の古老の話をもとに翌昭和8年(1933年)に発見し、首の遺骨を譲渡しました。
同時に助五郎がつけたといわれる繁蔵の戒名「清岩繁勇信士」を刻んだ石碑も発掘されており、
こちらは今も飯岡町定慶寺に残っています。
繁蔵はこうして闇討ち以来86年ぶりに故郷の笹川に戻り、
延命寺の一角に、富五郎と平手造酒の墓石を両脇に控えた場所に葬られたと言うことです。



う〜む、なかなか奥のある逸話(?)です。
墓があると言うことは、笹川繁蔵も飯岡助五郎も実在の人物であったでしょう。

飯岡側から見た『天保水滸伝』、笹川側から見た『天保水滸伝』
いずれも立場が違うから変わってきてしまうけれど、
それぞれの地元の侠客として親しまれて来たんだなぁと感じます。

じっくりと笹川の町を歩いて、一つ見聞が広まった気がして...............

過去幾度と映画化されたと言う『天保水滸伝』。
いつか映画で観てみることにしよう...............。



2015/06/16 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根川コジュリン公園 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出かけて来ました。

雲井岬つつじ公園をあとにして、向かった先は...............利根川コジュリン公園

利根川コジュリン公園
利根川近代治水工事発祥の地(東庄町菰敷地先)にある公園で、
利根川子どもサミットにおいて、子どもたちが描いた「利根川の大自然と水に親しむ」という夢を、
国土交通省と東庄町が実現したものです。
公園内には、昔の利根川を再現した「じゃぶじゃぶ池」、「野鳥観察舎」、
「遊歩道」が自然を活かして配置されています。


駐車場完備とHPには載っていましたが
路肩に近い状態の駐車場(3台が限度)にクルマを停めて
コジュリン公園へと向かいます。

この石段を上がれば、堤防。
その堤防の先が『利根川コジュリン公園』となります。

      20150523利根川コジュリン公園01



石段を上がってすぐ目に入ってくるのが、この石碑。

      20150523利根川コジュリン公園02

『発祥の地』?

一体、何の発祥の地なんでしょう?



よくよく、碑を眺めて見ると、 利根川近代治水工事発祥の地 と言うことらしい。

      20150523利根川コジュリン公園03



そしてその隣には、こんなモニュメントが建っています。

      20150523利根川コジュリン公園04


どうやら、利根川治水百周年を記念して建てられたモニュメントのようです。

     20150523利根川コジュリン公園05



こちらが、利根川コジュリン公園の看板兼案内板のようですが
文字やイラストが擦れてしまい、何が書かれているのかも分かりません。

      20150523利根川コジュリン公園06


そしてこちらが、利根川コジュリン公園。

      20150523利根川コジュリン公園07

河川敷に広がる公園で、遊具など無く見た感じ殺風景。


こちらが、野鳥観察舎。

      20150523利根川コジュリン公園08


      20150523利根川コジュリン公園09


実は、このコジュリン公園周辺は野鳥観察のメッカらしい。

公園周辺は葦原が広がり、いかにも野鳥の宝庫といった感じでしょうか?

      20150523利根川コジュリン公園10



立派な超望遠のズームレンズをつけたカメラマン。
アマチュアだとは思うけれど、数時間前にズームレンズが壊れた身としては
羨ましくも思える立派なレンズ。

      20150523利根川コジュリン公園11


野鳥の撮影の邪魔をしては申し訳ないから
コジュリン公園の芝生広場(?)に移動いたしましょう。

      20150523利根川コジュリン公園12


遠目から見ると芝生のように見えるけれど
実際は芝生じゃない。
でも広々として気持ち良さそう。

      20150523利根川コジュリン公園13


10mのロングリードにしているから、適当に徘徊して構わないよ。

      20150523利根川コジュリン公園14


どうやら、カメラを構えていたら、オヤツを貰えると思って
大人しくジッとしている びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園15


      20150523利根川コジュリン公園16

この顔でカメラの前に居られたら、オヤツをあげないわけにはいきません。



オヤツを貰ったら、徘徊を始める びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園17


      20150523利根川コジュリン公園18


芝生(?)広場から遊歩道へと移動する びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園19

黙ってロングリードの びいすけ のあとを付いて行きます。



利根川の河川敷に整備された遊歩道。

      20150523利根川コジュリン公園20



利根川もかなり下流域だから、流れは緩やかです。

      20150523利根川コジュリン公園21


      20150523利根川コジュリン公園22



利根川の流れが緩やかで、おっとりしているので
気持ちまで、おっとりとして来ます。

      20150523利根川コジュリン公園23



のどかなだなぁ〜と感じる、この瞬間。

      20150523利根川コジュリン公園24



なぜ、利根川の河原に井戸の手汲みポンプ?(笑)

      20150523利根川コジュリン公園25



野鳥でも見つけたのか?
遊歩道からいきなりダッシュする びいすけ 。

      20150523利根川コジュリン公園26



何かを捜しているようですが、視界の先には何もありません。

      20150523利根川コジュリン公園27



この石段を上れば、堤防の上。

      20150523利根川コジュリン公園28


利根川コジュリン公園も満喫してくれたようで..............................

次なる場所へと移動いたしましょう。






2015/06/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

雲井岬つつじ公園〜東大社 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日


この日は、東庄町に出掛けました。

沼闕城址をあとにして、向かった先は................ 雲井岬つつじ公園

雲井岬つつじ公園は雲井岬という地名のとおり、
公園の一番奥の切り立った崖が、そこが昔岬だった地形を残し、
利根川を望むことができます。

東大社の神苑であった広大な敷地内には
「おおむらさき」「やまつつじ」「琉球」など約3000本のツツジが植えられ、
大きな株を形成するツツジ群はまるで迷路のようになっています。


つつじの見頃は5月上旬のゴールデンウィークから5月中旬にかけてと言うことなので
ギリギリ間に合うか?と思いながら出かけてみました。

実は、この日に東庄町に出かけた1番の目的は、
ここ『雲井岬つつじ公園』でありました。


公園の駐車場に車を停めて、いざ! 『雲井岬つつじ公園』へと向かいます。

      20150523雲井岬つつじ公園24


ところが、駐車場から歩いてすぐ、ちょっとした赤土の段差で滑って横転。
昨年の8月に痛めた左肩を地面に強打した、左肩に激痛が走り、
思わず涙目。
この『雲井岬つつじ公園』に来る前の沼闕城址でカメラのレンズが壊れるし
この日は、踏んだり蹴ったりの状態です。


肩の痛みが抜けないまま、『雲井岬つつじ公園』 に入ります。


こちらが、『雲井岬つつじ公園』の入口。

      20150523雲井岬つつじ公園01



千葉県内の有名観光地でよく見かける石碑、
『房総の魅力500選』の碑もありました。

      20150523雲井岬つつじ公園02


      20150523雲井岬つつじ公園03



5月中旬まで見頃とネットに書かれていた『雲井岬つつじ公園』のつつじ、
今年は例年より早く散ってしまったのか?

つつじの花が何処にも無い!

      20150523雲井岬つつじ公園09

がちょ〜ん状態。

ちょうど、つつじの剪定をしているおじさんが居たので、話を聞いたら
例年、ゴールデンウィークあたりが見頃らしい。
どっちにしても、訪れるのがちょっぴり遅かったようです。


つつじの木々の奥にある公園の名称にもなっている雲井岬があります。

岬の先端の展望台。

      20150523雲井岬つつじ公園04


      20150523雲井岬つつじ公園05


ここからの眺望が、まるで海を見るような感じと言うか、
太古の昔には、この辺りは海だったと言う事です。

      20150523雲井岬つつじ公園08


      20150523雲井岬つつじ公園07

利根川が見えると言う事ですが、肉眼ではちょっと確認出来ませんでした。



展望台の片隅に鎮座していた句碑。

      20150523雲井岬つつじ公園06






公園脇の民家には、こんな土塁があったりします。

      20150523雲井岬つつじ公園10


そもそも『雲井岬つつじ公園』は、東大社の神苑であったと言われ
東大社に隣接(道路を挟んで)しています。

従って看板もこんな感じ。

      20150523雲井岬つつじ公園11


せっかくだから、東大社にも足を伸ばしてみましょう。


こちらが、裏参道にあたるようです。

      20150523雲井岬つつじ公園12


鬱蒼とした森。
まさに鎮守の森といった感じで厳かな感が強い。

      20150523雲井岬つつじ公園13


こちらが、本殿。

      20150523雲井岬つつじ公園14



そして、拝殿。

      20150523雲井岬つつじ公園15


      20150523雲井岬つつじ公園16



元々、拝殿や本殿は現在の場所にあったようではありません。
もっと境内の鳥居寄りに建っていたようです。

こちらが、その跡地の碑。

      20150523雲井岬つつじ公園17


由緒ある神社で、20年毎に康和4年(1102年)より始まると言われる
銚子高神の浦への式年神幸祭があります。
その祭には雷神社、豊玉姫神社の神輿を前後に従え、
かつての東荘33郷より集まった氏子は時代風俗の仮装にて所作を演じつつ供奉する。
かくて神輿は6里の沿道の奉迎をうけつつ高神の海中に神幸し、
その儀は勇壮盛大であると言われています。


その際に使用される神輿も飾られています。

      20150523雲井岬つつじ公園18


      20150523雲井岬つつじ公園19



東大社の社号標。

      20150523雲井岬つつじ公園20


そして、鳥居。

      20150523雲井岬つつじ公園21


鳥居に掲げられた神額(扁額)。

      20150523雲井岬つつじ公園22


こちらは、御神木のようです。

      20150523雲井岬つつじ公園23


『雲井岬つつじ公園』のツツジの花は堪能出来ませんでしたが
東大社の裏参道の尊厳な雰囲気に何かを感じたのは事実。
いかにもパワースポットだと感じました。

しかしながら、すっ転んで痛めた左肩が痛くて...............

東庄町は、侮れないようです。



2015/06/14 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

沼闕城址 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出掛けました。


東庄町にある東庄県民の森の一部が、沼闕城址であります。


沼闕城は、
鎌倉時代に東六郎胤頼の三男(別の説では海上胤方の七男)である、東盛胤が
築城したとされています。
盛胤は長兄胤行の養子となり、沼闕城を築き居城としていましたが、
その後、三崎庄本庄郷(銚子市本城町)に本城を築いて移っていったとされています。

比較的単純な縄張りの城で、東西に並置された主郭・ニノ郭と主郭南の三ノ郭、
その周囲の帯曲輪から構成されている。
東庄県民の森に隣接する福聚寺が主郭跡とされ、
二ノ郭・三ノ郭は公園化され、東庄県民の森の一部となっています。



こちらが、沼闕城の縄張り図

      沼闕城縄張り図

         ( 余胡くんのお城のページ  よりお借りしました )




東庄県民の森の城山の森が沼闕城の二郭にあたるそうです



こちらがその二郭

      20150523沼闕城址01

遺構らしきモノはほとんど無く、県民の森整備の際に
この辺りはかなり改変されたようです。

      20150523沼闕城址05


この辺りが古城fだったことは、ある程度知れ渡っていたみたいで
古城を詠った句碑があります。

      20150523沼闕城址02


矢田插雲の句碑。

      20150523沼闕城址03


『 麥青し八百年の城あとよ 』
『 二の丸をかこめる堤やみとり 』

この二句が刻まれています。



もう一つの句碑。
こちらの作者はよくわかりませんでした。

      20150523沼闕城址04


      


主郭跡とされる福聚寺の山門。

      20150523沼闕城址06

日本の寺院には珍しい中国の寺院の様な山門です。


こちらの福聚寺は、沼闕城址と言うよりも、鉄牛和尚の墓があるお寺として有名なようです。

      20150523沼闕城址07

福聚寺は、1678年(延宝6年)に
下総国にあった椿海を開拓した禅僧、鉄牛道機の開山により創建された寺です。



こちらが、その鉄牛和尚の墓。

      20150523沼闕城址08


      20150523沼闕城址09


      20150523沼闕城址10




福聚寺の裏手には、僅かながらに遺構が残されています。


鉄牛和尚墓所脇の土塁。

      20150523沼闕城址11


この土塁は、つどいの森の奥へと続いています。
主郭の北側にあたる位置となります。

      20150523沼闕城址12


      20150523沼闕城址13



こちらが、つどいの森。


元々、主郭だった所を県民の森のつどいの森として
遊歩道を整備したようです。

      20150523沼闕城址14



つどいの森と二郭を隔てる竪堀。

      20150523沼闕城址15

かなり雑草が生い茂っていますが、竪堀は谷津へと繋がっているようです。



こちらは、福聚寺の本堂裏手(北側)の腰曲輪。

      20150523沼闕城址17




主郭西側(本堂西側)の空堀。

      20150523沼闕城址16

かなり埋められてしまったようですが、一部のみ残っています。

往時は、それなりの深さと幅があったようですが
現在は雑草が生い茂っていて、流石に降りて行く勇気はありません。

      20150523沼闕城址18



こちらが、本堂前の土塁。
この奥に空堀があったようですが、駐車場を作るために埋められてしまったようです。

      20150523沼闕城址19


つどいの森辺りの土塁の写真を撮っていた時に
カメラのレンズが壊れてしまいました。
ズームレンズの距離調整が手動でできなくなってしまい
(回転リングが空回りしてしまう)
カメラを下に向け、レンズの重みで位置調整をするという使い方になってしまいました。
そんなわけで、これと言った遺構もあまり無いので、
撤収することにいたしましょう。


一部は福聚寺として改変され、一部は県民の森として改変されてしまった沼闕城址。
遺構は少なく城址巡りとしては面白みに欠けるけれど、
なまじっか開発されて城山そのものが湮滅してしまうよりは
県民の森の一部として、後世に残ることを考えれば
それが良かったと思わざるを得ないのかなぁ...............







      

2015/06/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

東庄県民の森 (2015年5月23日)(千葉県香取郡東庄町) 

5月23日 公休日

この日は、東庄町に出掛けました。


東庄町のはずれ、旭市に近い北総台地の一画にある 東庄町県民の森 に出掛けました。

千葉県内には、県民の森と称する自然公園が6つあります。

船場県民の森
東庄県民の森
清和県民の森
大多喜県民の森
内浦山県民の森
館山野鳥の森

千葉県のHPによれば、
その内の大多喜県民の森以外の県民の森は
条件付き(殆どがリードを付け、遊歩道限定)ですが
ペットを連れての散歩も可能です。

先日も清和県民の森に行き、豊英大滝を見て来ました。

個人的には、陽射しを遮る木立の中の遊歩道を散策するのが好きで、
わざわざ自宅から約50km離れた東庄県民の森まで遠征しちゃいました。



県民の森の駐車場に車を停め、まずは案内図の確認。

      20150523東庄県民の森02


嬉しいことに、駐車場にあった案内図(案内板)にポストが括り付けられていて
その中には、東庄県民の森のパンフレット。

      20150523東庄県民の森01

こういうのって、初めての場所では重宝できます。


パンフレットの園内案内図を頼りに、東庄県民の森の散策開始です。
      
      20150523東庄県民の森03



こちらが、県民の森の入口。

      20150523東庄県民の森04


      20150523東庄県民の森05



ちょっとした上り坂ですが、 びいすけ は元気いっぱい。

      20150523東庄県民の森06



森林館(管理事務所)前にて

      20150523東庄県民の森07


管理事務所で手書きの園内マップを戴きました。

      20150523東庄県民の森08



園内マップにある展望台(展望塔?)を目指しましょう。

この先に展望塔?があるようです。

      20150523東庄県民の森09



ロングリードにすると、我先に行きたくなる びいすけ。

      20150523東庄県民の森10

まぁ、誰も居ないから、先に行かせても良い。

ロングリードの距離、 びいすけの10m後ろを付いて歩き
台地を上って辿り着いた削平地。

      20150523東庄県民の森11

園内マップだと、ここに展望台(展望塔)が有る筈なのに
それらしい建物、構造物が無い。


周りの木々がなければ台地上部だから見晴らしは良いはずなのですが...............


茂みが気になる びいすけ 。

      20150523東庄県民の森12

何か、野生動物でもいるのでしょうか?


一応、園内マップでは『やまつつじの森』の近く。
雑草混じりの芝生が新緑の季節を感じさせます。

草の香りを楽しむのか?
匂い嗅ぎに余念のない びいすけ 。

      20150523東庄県民の森13




期待した展望塔も無かったから、管理事務所の方に戻ります。


土曜日の朝早く(8時)に来ているから、他の客は誰もいない。

芝生広場が気になったけれど、遊歩道以外はペット進入禁止ってことなので
ここは、グッと我慢。

      20150523東庄県民の森14



芝生広場脇の遊歩道を歩きます。

      20150523東庄県民の森15



しばらくしたら、こんな案内板を発見。

      20150523東庄県民の森16

画面では見辛いですが、『展望台跡』と記されています。
跡と言うことは、今はもう無いと言うことになります。
やっぱり、展望台は無かったのね..............................。


それにしても、芝生広場は気持ち良さそう。
ロングリードで走らせたら、爽快だろうなぁ。

      20150523東庄県民の森17



芝生広場の先は、道路を挟んで『つどいの森』

      20150523東庄県民の森18



つどいの森へは、この石段を上がって行きます。

      20150523東庄県民の森19


何かを気にしながら、一気に駆け上がる びいすけ 。

      20150523東庄県民の森20


      20150523東庄県民の森21

とても付いて行けません。
ロングリードで良かったぁ(笑)。


石段を上った先が、城山の森。

      20150523東庄県民の森22

実は、この城山の森は、沼闕城の二郭にあたります。

(沼闕城については、またいずれの機会に触れるとして...............)


この城山の森はまた台地の上部。
とにかく、視界が開けています。

      20150523東庄県民の森23


城山の森から眺める夏目の堰。

      20150523東庄県民の森24


      20150523東庄県民の森25


そしてこちらが八万石見晴台

かつて、この見晴台の眼下には椿海が広がっていたらしい。
現在は開拓されて水田となっています。

      20150523東庄県民の森26


      20150523東庄県民の森27



見晴台からの眺望。
先ほどの芝生広場。

      20150523東庄県民の森28


そして、こちらがかつての椿海。
現在は水田が広がっています。

      20150523東庄県民の森29



この辺りは、沼闕城の城域。

つどいの森に行ってみましょう。

      20150523東庄県民の森30



この先が、つどいの森。

      20150523東庄県民の森31


      20150523東庄県民の森32


つどいの森をぐるっと一周して、見晴し台へと移動します。。




見晴し台は木々が鬱蒼と茂り、思ったほど視界は拓けていません。
どこが見晴し台なの?思わず思ったほどでした。

      20150523東庄県民の森33




こちらが、お花見広場。
桜の花の名所のようです。

      20150523東庄県民の森34


桜の時期にはきっとたくさんの人が訪れるのでしょうね

このお花見広場の芝生も気持ち良さそう。
びいすけ を遊ばせてみたいけれど、遊歩道以外はペット進入禁止だから
そこはグッと我慢して..............................

千葉県の県民の森は遊歩道を歩く分には良いけれど
気持ち良さそうな芝生広場に入れないだけに
ちょっぴり残念と言うしかないなぁ。




2015/06/12 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦.............チョーカー編 その8作目、9作目    (2015年5月18日) 

5月18日 公休日

個人的な連休2日目。

忙しさ(?)を理由に、ついつい後回しになっていましたが
久しぶりにチョーカー作りにチャレンジしてみました。


まずは、材料と工具のチエック。

      チョーカー作り



足りないモノは無させうです。



では、さっそくチョーカー作りに取り掛かりましょう。

まずは、革のカット。
今回は2本作るため、サイズが違うので各々のサイズにカットします。

1本目は仕上がり寸法30cm。
カシメの折り返し4cm×2で8cm。
計38cmでカットします。

      20150518チョーカー01


2本目は仕上がり寸法34cm。
カシメの折り返し4cm×2で8cm。
計42cmでカットします。

      20150518チョーカー02



続いて、カットした革の裏面(床面)の研磨。

      20150518チョーカー03

いつものトコノールの登場です。


トコノールを床面にしっかりと塗りつけ、磨いてケバ立ちを抑え、
しっかりと乾燥させます。

      20150518チョーカー04



続いて、折り返し部(チョーカー金具取り付け部)のカシメ穴を開けます。

      20150518チョーカー05



チョーカー金具を挟み込み、折り返し部をカシメ処理。
ハンマーでポンチング(カシメ)します。

      20150518チョーカー06


1本分のカシメ完了。

      20150518チョーカー07


2本目も同様にカシメます。

      20150518チョーカー08


2本目もカシメ完了。
チョーカー機能だけなら、これで完成。

      20150518チョーカー09



せっかくだから、アルファベットの飾りカシメで名入れをしましょう。

      20150518チョーカー10


1本目完了。
引き続き、2本目も飾りカシメで名入れをします。

      20150518チョーカー11


実際の作業は、こんな感じ。

アルファベットの文字によってカシメのピンの位置が違うから
一文字づつ位置を合わせながら、ペンチだ穴を開けます。

      20150518チョーカー12


そして、アルファベット飾りカシメ用の専用ポンチが無いから
硬質ゴム板を代用してカシメ処理。

      20150518チョーカー13

ちょうど、穴開けの写真を撮りながら開けていたので
『N』の位置がズレてしまいました。
(スヌ、許してちょ!)


これで、完成。

      20150518チョーカー14


出来上がりは、こんな感じ。

      20150518チョーカー17



『N』の位置がズレてしまったスヌ用。

      20150518チョーカー15


こちらは、ベル用。

      20150518チョーカー16


     
さて、いつ渡そうか?
それが問題だ..............................。





2015/06/11 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit