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び・び・びのびいすけ

フィラリア検査 (2015年5月9日) 

5月9日 公休日

神奈川県の厚木市へ出かけたこの日、夕刻は八王子市の実家へ立ち寄りました。
と言うか、前日の5月8日から八王子の実家に来ています。

最たる目的は、 びいすけ の病院通い。

特に何処かが悪いわけじゃなく、この時期の検診。
フィラリア検査と血液検査に行ってきました。

お馴染みの獣医さんまでは徒歩10分ちょい。
夕刻の散歩を兼ねて歩いて行きましょう。

いつもと違う匂いの満載の散歩。
いつになく念入りに匂いを嗅いでいます。

      20150509フィラリア検査01


      20150509フィラリア検査02



ほどなくして、病院に到着。

      20150509フィラリア検査03


夕方の診療は16時~19時。

      20150509フィラリア検査04

16時にはあと2~3分。
しばし、表で待機です。

病院が分かるのか?
いきなり玄関先で尻尾が下がっちゃった びいすけ (笑)



尻尾が下がろうが関係ありません。
16時になったので中に入って受付をします。

      20150509フィラリア検査05


午後の診察、一番乗り。

さっそく、診察室に入ります。

体重計の付いた診察台に乗ると、体重は12.4kg。
昨年末に8種ワクチンで来た時には12.8kg。
僅かながらですが、痩せてくれたようです。

      20150509フィラリア検査06



さて、これからが本番。

フィラリア検査と血液検査のために採血します。
左前足からの採血です。

      

      20150509フィラリア検査07


看護婦さん(助手?)が、暴れないようにと びいすけ を抱きかかえてくれていましたが
暴れることなく、採血完了。

      20150509フィラリア検査08



1ヶ月ちょっと爪切りをサボっていたので
爪切りをお願いしました。

      20150509フィラリア検査09


ついでに肛門線絞りもお願いしちゃいました。

      20150509フィラリア検査10


採血した血液の一部は、その場でフィラリア検査。
残りは専門機関で改めて検査。


フィラリア検査の結果が出るまで待合室で待機です。

      20150509フィラリア検査11


10分ほど待って、フィラリアの検査結果が出ました。

      20150509フィラリア検査12


結果は陰性。

      20150509フィラリア検査13


会計を済ませ、フィラリアの予防薬を貰って帰ります。

      20150509フィラリア検査14


忘備録として残しておきましょう。

健康診断セットA 5500円
(フィラリア、CAC、生化学検査)
フィラリア症予防薬
@1300 ×4 5200円
消費税 856円

合計 11556円

う〜ん、意外に掛かるものです。

去年、予防薬を1年分もらった残りが4ヶ月分あったから
少しは安く収まったけれど、まあ、これも仕方がないこと。


血液検査は約1週間後、自宅へ郵送されてきます。
血液検査の数値が異常でない事を祈るばかりです..............................。






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2015/05/31 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................荻野小学校上分校 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は、神奈川県の厚木市に出かけました。


荻野山中陣屋跡をあとにして、向かった先は...............厚木市立荻野小学校上分校跡



荻野小学校髪分校は

明治20年 荻野小学校創立。
上荻野に分教場が開設され、上分校となる。
明治25年 荻野村立尋常高等荻野小学校上分校と改称。
大正12年 愛甲郡荻野尋常高等小学校上分校と改称。
昭和22年 荻野村立荻野小学校上分校と改称。
昭和31年 荻野村が厚木市に編入され、厚木市立荻野小学校上分校と改称。
昭和55年 荻野小学校から分離新設の厚木市立上荻野小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


荻野中山陣屋跡からR412を北上。
しばらく車を走らせると、やがて上荻野地区になります。
明治の初めまで上荻野村と言われていたこの地区、
厚木市の北端にあたります。

その上荻野集落のR412沿いにこんな石碑が建っています。

      20150509荻野小学校上分校09


      20150509荻野小学校上分校10


      20150509荻野小学校上分校08


荻野小学校下分校と同じ石碑(石柱)ですね。

調べてみたら、厚木市では『ふるさと道標』と称して
昭和56年度から、それらの地に伝つたわる話やいわれなどを残す、
石でできた標柱を作り始めたそうです。
その数は103個になるそうです。


荻野小学校上分校は昭和55年に廃校。
現在は、荻野公民館上荻野分館となっています。

      20150509荻野小学校上分校12


      20150509荻野小学校上分校13



敷地内を遠慮がちに見学させてもらいます。


入って右奥が駐車場。

      20150509荻野小学校上分校11

地域の公民館と言っても上荻野地区も縦に長いエリアを有するから
こう言った広い駐車場が必要なんでしょう。

おそらくかつての校庭の一部が駐車場となったのでしょう。

      20150509荻野小学校上分校14


駐車場奥から公民館の建物を眺めてみます。

おそらく公民館の建物が建っている辺りに、かつての校舎があったのでしょう。
  
      20150509荻野小学校上分校01

廃校から既に35年。
公民館の建物はどう見ても35年以上前のものには見えない。

      20150509荻野小学校上分校02




シンボルツリーであったであろう桜の木

      20150509荻野小学校上分校03

春には見事な花を咲かせるのでしょう


桜の木をバックに、かつての校庭跡に建つ びいすけ 。

      20150509荻野小学校上分校04


      20150509荻野小学校上分校05


フェンス脇、建物に沿って桜の木が並んでいます。
この木々も分校時代の名残りでしょう。

      20150509荻野小学校上分校06



公民館の建物側から桜の木を眺めてみます。

      20150509荻野小学校上分校07

このアングルが一番廃校跡らしいかな?



多くの廃校が地域の公民館に姿を変えた。
このパターンを数多く見てきました。

この荻野小学校上分校もその一つに加わりました。

二ノ宮像や遊具などの学校遺構は全く残っていませんが
桜の木のある風景が、何となく学校跡地を彷彿させてくれます。

民地に払い下げられて、マンションが建ってしまうことを考えたら
この選択は間違っていないと思うことにいたしましょう。









2015/05/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

荻野山中陣屋跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。

荻野小学校下分校跡地をあとにして、向かった先は..............................荻野山中陣屋跡


荻野山中陣屋は、小田原藩主大久保氏の分家が構えた陣屋であります。
大久保忠朝の次男、教寛が相模愛甲郡などを加増され1万6千石を領有することとなります。
当初は駿河松長(現在の沼津市)に陣屋を置いていましたか、
教翅が藩主となった天明3年(1783)に荻野山中に陣屋を構えることとなりました。
一説に藩の財政も厳しく、参勤交代に掛かる費用にもひっ迫し、少しでも江戸に近い場所と言うことで
現在の厚木市に当たる荻野山中に陣屋を置いたとされています。
陣屋では大久保家3代による83年間の統治が行われました。


また、荻野山中陣屋は幕末に起きた「荻野山中陣屋焼討事件」の舞台となった陣屋です。
倒幕を目指す薩摩藩は、戦端を開くきっかけとして、関東で騒乱を起こす計画を立てて
荻野山中藩の藩庁だった山中陣屋を焼討しています。
この事件をきっかけに鳥羽伏見の戦が始まり、やがて江戸幕府は滅亡することになります。
現在は「山中陣屋跡史跡公園」として整備されています。
なお、遺構として厚木市王子の曹洞宗福伝寺に陣屋裏門と伝わる山門が残っているとされていますが、
焼き討ち事件で陣屋は焼失したとされているため、山門が果たして本物か否か?
あくまでも伝承の域を出ないと言ったところでしょうか...............



R412を厚木市街地から愛川町方面に車を走らせると
山中城址の交差点(信号機に標記)が目に留まります。

その交差点のすぐ脇に山中陣屋跡史跡公園があります。
その公園が荻野山中陣屋跡になります。

      20150509荻野山中陣屋跡18

小さいながらも数台の乗用車が停められる駐車場も完備されています。

駐車場に車を停めて、散策開始です。

こちらが、公園入口。

      20150509荻野山中陣屋跡17




公園に入って、すぐ目に留まる案内板。

      20150509荻野山中陣屋跡01



荻野山中陣屋の縄張り図もありますが、かなり薄くなっていて
正直、分かりにくい。

      20150509荻野山中陣屋跡02


      20150509荻野山中陣屋跡03



この辺りの旧荻野村域には、文化財が点在しているようで
ハイキングコースにもなっているようです。

      20150509荻野山中陣屋跡04



この辺りが陣屋の中心部。

縄張り図では『御殿』と記されている辺り。

      20150509荻野山中陣屋跡05



公園脇に民家が数件あり、民家の並びに鎮座する稲荷社。

稲荷社の脇には、厚木市教育委員会の建てた『荻野山中陣屋跡』の標柱。

      20150509荻野山中陣屋跡06


      20150509荻野山中陣屋跡07


この稲荷社は陣屋の鬼門にあたります。
裏を返せば、陣屋の鬼門の方角に稲荷社を配したと言う事になります。

      20150509荻野山中陣屋跡08


稲荷社の前(周辺)の土盛りは土塁のように見えなくもない。

      20150509荻野山中陣屋跡09


      20150509荻野山中陣屋跡10



稲荷社の前から眺める『御殿』。

      20150509荻野山中陣屋跡11



陣屋公園の説明板の裏には、地元の方が建立した『山中城址』の碑。

      20150509荻野山中陣屋跡12


山中城址と言えば、箱根(三島市)の山中城址と勘違いしてしまいそう(笑)。

      20150509荻野山中陣屋跡15



こちらの銅板には荻野山中藩について記されています。

      20150509荻野山中陣屋跡13



さらに城址碑の近くには、こんな祠もあります。

      20150509荻野山中陣屋跡14

この祠も陣屋に関連するものなのか?



      
陣屋跡は地下の遺跡を破壊せぬように、
発掘調査後に盛り土をして高台の公園として整備したらしい。

確かに、城址碑のある辺りから『御殿』辺りを眺めると
傾斜の付いた高台となっています。

      20150509荻野山中陣屋跡16


シロツメグサ(クローバー)の生える『御殿跡』。

      20150509荻野山中陣屋跡23




こちらは、『御殿』脇の『矢場』。

この矢場で矢の腕を磨き、武芸に精進していたのでしょう。

      20150509荻野山中陣屋跡19




縄張り図にあった『大手』方面へと向かいます。

民家と民家の間の狭い道を歩いて行くと、
土塁らしきモノが確認できちゃったりします。

      20150509荻野山中陣屋跡20


      20150509荻野山中陣屋跡21



こちらが、大手。

すなわち、この辺りに大手門があったと言うことです。

      20150509荻野山中陣屋跡22


大手からぐるっと東麓を廻れば良かったのですが
そのまま駐車場に戻ってしまいました。

東麓には往時から湧き出る清水があると言う。
もうちょっと情報を事前に整理してから訪れれば良かった。
ほんのちょっぴり後悔しています。



2015/05/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....................荻野小学校下分校跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。


烏山藩厚木役所跡をあとにして、向かった先は...............荻野小学校下分校跡



荻野小学校下分校は

明治20年 荻野小学校創立。
下荻野に分教場が開設され、下分校となる。
明治25年 荻野村立尋常高等荻野小学校下分校と改称。
大正12年 愛甲郡荻野尋常高等小学校下分校と改称。
昭和22年 荻野村立荻野小学校下分校と改称。
昭和31年 荻野村が厚木市に編入され、厚木市立荻野小学校下分校と改称。
昭和48年 新設される厚木市立三田小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


R246の妻田向市場から荻野新宿を抜けて公所海道でR412に合流する旧道、
その旧道沿いの荻野新宿の近くにこの石碑がありました。



      20150509荻野小学校下分校跡01


      20150509荻野小学校下分校跡02


      20150509荻野小学校下分校跡03



昭和48年まで、この地に荻野小学校下分校があったそうです。

今から42年も前のことです。

往時の状態が分からないから、何とも言えないし、
下分校の規模、大きさが分からないから、迂闊なことは言えないけれど
おそらく(?)マンションが建っている辺りまでが下分校だったのでしょう。


      20150509荻野小学校下分校跡04



この石碑(標柱)は、平成5年に建てられたモノのようです。

      20150509荻野小学校下分校跡05



この空き地は駐車場のようですが、何となく校庭っぽい雰囲気が残る。

      20150509荻野小学校下分校跡06


びいすけ の背後の木が、シンボルツリーだったのでは?

      20150509荻野小学校下分校跡07



こちら(石碑)側からのアングルだと、学校跡地の雰囲気は全くない。
勿論、学校遺構など全く残っていません。

      20150509荻野小学校下分校跡08



『荻野下分校跡』の碑がなければ、ここが分校跡地だとは誰も思いません。

      20150509荻野小学校下分校跡09

それほど住宅地と化しています。
やっぱり
マンションが建つと、ガラッと雰囲気が変わってしまうモノなんですね。


マンション脇、シンボルツリーを裏側から見てみると...............

      20150509荻野小学校下分校跡10

ただ、普通にマンションの風景。


まあ、忘れ去られないようにと
石碑が残されているだけでも良しとしよう..............................。






2015/05/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

烏山藩厚木役所跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。

厚木市の本厚木駅(小田急線)近くにある烏山藩厚木役所跡に立ち寄ってみました。


下野国(現栃木県)烏山藩主大久保常春は、享保13年(1728)頃、
相模国内に点在する領地を治めるため厚木村に代官所を置きました。
現在の厚木神社北側の所で、通称「厚木陣屋」と呼ばれ、
役人たちが年貢の取立てや幕府から出された知らせを触れ回る仕事をしていました。

慶応3年(1867)、町内に起こった大火で厚木役所は類焼してしまいます。
再建された建物は間もなく明治維新を迎えることとなり、
新たに置かれた烏山県の出張役場となりました。
その後、府県の統廃合により役場は廃止となり、建物は厚木小学校の前身、成思館に供されたそうです。

さらにその後、この地には愛甲郡役所や厚木町役場などが置かれました。
市制施行後も厚木市役所の庁舎が置かれてきました。
市役所の建物がすべて現在地に移転した以降は、商店街の駐車場に使われていたしたが、
昭和62年(1987)、周辺の民有地を含めた市街地再開発事業により、
十六階建ての高層建築(マンション)が竣工されました。



こちらが、烏山藩厚木役所跡地。

      20150509烏山藩厚木役所跡05

本当に立派なマンションが建っていて、
とても江戸時代の役所跡には見えません。




こちらが、烏山藩厚木役所跡の碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡06



元々、この場所に建てられていたのか?
はたまた、マンション建設時に敷地内の隅に追いやられたのか?
マンションの敷地にはそぐわない碑です。

      20150509烏山藩厚木役所跡09



この碑は、根府川石でできており、高さ2.3m、幅1m、厚さ13cmあります。

      20150509烏山藩厚木役所跡10


      20150509烏山藩厚木役所跡08




碑の前に建つ標柱。

      20150509烏山藩厚木役所跡07

厚木市教育委員会が建てたモノですが、今や文字がかすれて
説明内容(解説)が今イチ読めません。

      20150509烏山藩厚木役所跡11




      
烏山藩厚木役所が厚木小学校の前身の成思館、愛甲郡役所、厚木町役所と変遷して
現在では、それらの遺構は全くありません。

近代的なマンションが建つ住宅地と化しています。      

      20150509烏山藩厚木役所跡12



隣接する厚木神社の方が却って、それらしい雰囲気が有ったりします。


こちらが隣接する厚木神社

      20150509烏山藩厚木役所跡01


烏山藩厚木役所跡を彷彿させる遺構はありませんが
由緒ある神社のようで、見所はこちらの方が有るような気がします。


境内に残る二つの石碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡02


右側がかつての鳥居。
関東大震災の時に崩壊した鳥居の一部で、
震災の怖ろしさを後世に伝えるために、石碑としたらしい。


左側は、厚木神社が明治6年に郷社となった記念に建てられたモノらしい。

      20150509烏山藩厚木役所跡03



こちらは、『あつぎお天王様の地』の碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡04

 
平安時代より疫病除けの神様として牛頭天王が祀られ、
那須与一も眼病祈願をし、厚木のお天王様として親しまれた。
夏祭りはお盆とも重なり近郷近在より田植え後の老若男女が繰り出し、
露天や見世物小屋も掛かり、人の波で沸き、賑やかさを呈した。
現在は厚木神社と称し尊崇されている。 ( 碑の説明文の原文)



こちらが、厚木神社の拝殿。

      20150509烏山藩厚木役所跡13


      20150509烏山藩厚木役所跡14



厚木神社境内より、拝殿越しに見る烏山藩厚木役所跡。

      20150509烏山藩厚木役所跡15


やっぱり、マンションしか見えませんねぇ..............................。





2015/05/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して..........神奈川・厚木編 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

数年前からハマっている丸ポスト探し。
昭和の香りの残る丸ポストを見かけると、
ホッとするのは何故なんだろうか?

神奈川県には114基の現役の丸ポストが現存しているようです。
(2015年4月30日 現在)



神奈川県の厚木市には5基の丸ポストがあると言うことで
丸ポスト探しにやってきました。


最初の丸ポストは..............................

小田急厚木駅近く(でもないかな?)、厚木町2丁目
愛信堂前の丸ポストのはずが..............................

      20150509厚木丸ポスト01


      20150509厚木丸ポスト02

なぜか撤去されていて 無い!

      20150509厚木丸ポスト03


見た感じ数年前に撤去された感じ。
と言うのも電線を地下埋設する際に歩道を掘り起こしているから
おそらく、そのときに撤去されたんでしょう。
おまけに、この日は土曜日で愛信堂さんは休みのようで
詳しく話も聞けなかった。
重ね重ね残念です。






気を取り直して次なる丸ポストを探します。

愛信堂のある厚木町からほど近い東町。
その東町の内山商店(酒店)前の丸ポスト。

      20150509厚木丸ポスト04


      20150509厚木丸ポスト06


      20150509厚木丸ポスト07


      20150509厚木丸ポスト05



私にとっては映えある、厚木市第1基目の丸ポストになりました。


続いて2基目の丸ポスト。
妻田西二丁目の天理教龍徳陽分教会前の丸ポスト。

      20150509厚木丸ポスト08


      20150509厚木丸ポスト09


      20150509厚木丸ポスト10


      20150509厚木丸ポスト11







続いての丸ポストは.
妻田西三丁目、理容フレンド前の丸ポストのはずでしたが...............

      20150509厚木丸ポスト14


こちらも既に撤去済み。
理容店も無くなっています。
3年前に家を建て替えた時に、丸ポストを撤去されたとのことでした。


      20150509厚木丸ポスト13




続いての丸ポストは、
妻田北二丁目のヤマザキショップ前の丸ポスト。

      20150509厚木丸ポスト15


      20150509厚木丸ポスト16


      20150509厚木丸ポスト17


      20150509厚木丸ポスト18



かなり塗装も傷んでいますが、
まだまだ現役で頑張っています。





これで厚木市の丸ポスト3基制覇。



神奈川県内には114基の丸ポストが現存していると言う

これまでに

松田町     1基
山北町     5基
相模原市    3基
愛川町     1基

そして本日、厚木市3基
合計13基の丸ポストに出会いました。

と言うことは、あと101基の丸ポストがどこかの街角に建っている。


う~ん、どんな街角に、どんな感じで建っているんだろう....?




2015/05/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宅急便が届きました (2015年5月3日) 

5月7日

5月3日から自宅のポストに入っていた宅配業者の不在通知。
連日配達に来てくれているようなのですが
仕事で留守にしていたり、休みの日は出かけたりと
ついつい宅配業者に連絡を取りそびれていました。

さすがに、数日も放置状態では申し訳ないので
職場の昼休みに宅配業者(佐川急便)に電話して
この日の夜、配送してもらう事にしました。

夜間配達は19時〜21時。
仕事から帰るのが20時頃なので、

『いつも帰りが20時頃なので、出来れば一番最後に配達に回って貰えますか?
贅沢を言えは、21時頃が一番理想です 。』


こんなお願いを電話応対のお姉さん(おばさんかも?)と言ったら
本当に21時に配達に来てくれました。
佐川急便、いつからこんなに融通が効くようになったの?(笑)。


届いた荷物がこちら

      20150507宅急便01




箱の中身は何だろう?

食べるモノかな?

びいすけ も気になるところです。






中身はこちら

      20150507宅急便02


      20150507宅急便03

フロントライン
6ヶ入が二箱。
すなわち、毎月使って1年分。



自然の多い公園や森、
はたまた山の中(森の中、時には藪の中)の城址に行く(連れまわされているとも言う)ことが多い びいすけ の必需品。
今月も5月2日に施していますが、残りが2本になったため、ネットでポチッと購入。



個装箱だと分からないようだけど
ピペットを見ると、尻尾を丸めて固まってしまう びいすけ 。

毎月15日が予定日だったのが、シャンプーをサボってしまい、
その影響で多少日にちがズレ、今は月初めとなっています。


でも、これでまた1年間、マダニやノミ対策がしっかり出来ます。



同封されていたオマケ

      20150507宅急便04

どうやら、散歩用のウンチバックのようです。




さぁ、フロントラインも入手したことだし、
今シーズンも山に森へと、自然の中でいっぱい遊ぶことにいたしましょう。




2015/05/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦..............................犬服編 その10 (2015年5月5日) 

5月5日 公休日

個人的な連休2日目。

前日は、君津市の城址巡り、廃校巡りをしてちょっぴり遠出をしたから
この日は、地元で大人しくしている予定でした。

元々、チョーカーか犬服を作ろうかと思っていたところに

『一緒に犬服作りませんか?』とダック家からのお誘い。

二つ返事で犬服作りと相成りました。



今回は、リメイク大作戦。

こちらのTシャツを びいすけ のタンクトップにリメイクしましょう。

      20150505犬服01


講師は、豆ミルクさん。

先生、よろしくお願いします。



前回作った、迷彩柄のタンクトップが若干、丈が短い気もするので
前回作成した型紙(トレーシングペーパー)を改造。

前身頃、後身頃をおのおの2cm伸ばし(継ぎ足し)ます。


継ぎ足ししたトレーシングペーパーで型取りします。


Tシャツを二つ折りにし、頃合いの良い箇所を見繕って
チャコで型取りします。

      20150505犬服07


まずは、前身頃。

マチ針でトレーシングペーパーを固定し、
リブ以外の縫い代を1cm付け足します。

      20150505犬服08


それでは、生地の裁断です。

      20150505犬服09



ローリングカッターをお借りして裁断します。

      20150505犬服10

このローリングカッター、すこぶる便利。
必需品かも?


続いて、後ろ身頃。

      20150505犬服11


この後ろ身頃がデザイン面でもあるから
リメイクの場合は、位置取りに気を付けます。

      20150505犬服12


前身頃と同じように、リブ以外の部分の縫い代を1cm取りながら
型をチャコで抜いて(型取りして)いきます。

      20150505犬服13


型取りは完了。

      20150505犬服14

前身頃と同じようにローリングカッターで切り抜きます。





無事、材料である生地取り完了。

      20150505犬服15



ロックミシンの登場です。


前身頃と後ろ身頃の縫い合わせ。

      20150505犬服16

(実際のロックミシン掛けは豆ミルクさんにやって貰いました。)



リブの長さを決めます。
実際の袖口の寸法の90%でリブの長さを決定。

      20150505犬服17


私がリブ生地からリブを切り抜き、
ロックミシンでリブの縫い付けは豆ミルクさんが担当し
チャキチャキと作業は進みます。

      20150505犬服18





出来上がったのが、こちら ↓

      20150505犬服02


      20150505犬服03



びいすけ に着せてみます。

      20150505犬服04

なかなか良いんでないかい?

      20150505犬服05


      20150505犬服06


やっぱり、縫い代もきっちりと1cm採寸し、(今までは適当に縫い代も採寸していました)
生地の『わ』と型紙の『わ』を合わせて裁断しているから
左右対称の生地を縫い合わせるから、精度も出るんだろうなぁ。

丈幅が、気持ち長い気もするけれど気にしない。

胴回りも、袖口の深さもちょうど良さそうです。

う〜む、タンクトップはこの型紙で問題なさそうです。
これでタンクトップの型紙は完成。
次回からは悩まずに済みそうです。

次回もタンクトップにチャレンジしようかな...............?

と、言いながらも、殆どのミシン掛けをして貰っちゃったから
自作とは言えないかな?
自分自身への自己弁護をすれば、型紙改造したし、
生地を裁断したし、リブ生地も裁断したし............。

30%以上は貢献したと思うんだけど...................?(笑)








2015/05/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................香木原小学校   (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市に出かけていました。


豊英大滝をあとにして、向かった先は...............君津市立香木原小学校




香木原小学校は、

明治7年に亀山の地に笹小学校・高水小学校・瀧原小学校が開校されます

明治8年 笹小学校香木原分校として設立される。
明治10年      笹・高水・瀧原の三校が合併し、亀山小学校と改称。
           亀山小学校香木原分校となる。
明治11年     亀山小学校より」笹・蔵玉の2校が分離し、
           香木原校は笹小学校香木原分校となる。
明治20年     笹小学校を合併して文淵小学校と改称
           香木原校は文淵小学校香木原分教場となる。
明治38年     香木原分教場が文淵小学校より分離独立し、香木原尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、亀山村立香木原小学校と改称。
昭和29年     亀山村が久留里町、松丘村と合併して上総町が発足
           上総町立香木原小学校と改称する。
昭和45年     上総町が君津町・小糸町・清和村・小櫃村とともに合併し、君津町が発足。
           君津町立香木原小学校と改称する
昭和46年     君津町が市制施行し、君津市となり、君津市立香木原小学校と改称。
昭和63年     君津市立坂畑小学校と合併し、廃校となる。


と、このような沿革となっています。 (君津市立坂畑小学校HPより引用し加筆しています)


明治の初めには香木原村と称していた君津市の山奥にある香木原集落。
その香木原集落を突き抜ける鴨川有料道路の料金所手前に香木原小学校跡はありました。

      20150504香木原小学校01

有料道路として整備された県道脇に、この避難場所指定の看板があります。


県道のバス停脇の広い所に車を停めて廃校跡を覗きます。

何やら、瓦礫の塊があります。

      20150504香木原小学校02



さらに近づいてみます。

      20150504香木原小学校03

完全な瓦礫の山。
まさか、東日本大震災の残骸?

あれから4年も経っているし、
ひょっとして..............................

      20150504香木原小学校04



そのひょっとしてが、的中みたいです。

明らかに香木原小学校の看板か何かの残骸。

      20150504香木原小学校08


どうやら、校舎は解体されてしまったようです。

瓦礫の新しさから、少なくてもこの1年以内に解体された感じです。



別なアングルからの瓦礫の山。

      20150504香木原小学校06



事前に調べていた情報では、
平屋鉄筋RC造りの校舎が残り、跡地記念碑が残っているとのことでしたが
校舎は見事に解体されています。



こちらは、校庭に残されたシンボルツリー?

      20150504香木原小学校05


  
もう一度、瓦礫の山を眺めてみましょう。
   

この煉瓦は校舎玄関の名残りなのだろうか?

      20150504香木原小学校07



そこに びいすけ を立たせてみますが、近くにはコンクリートの破片などがあって
肉球を傷付けたら大変!
     
      20150504香木原小学校09

速攻で瓦礫の山から抜け出しました。

廃校記念碑(跡地記念碑)を探しましたが見つかりません。



香木原小学校入口に建つ携帯電話基地局のアンテナ。

      20150504香木原小学校10

廃校となった昭和63年には無かったモノです。



こちらは、かつての校庭跡地なのだろうか?

      20150504香木原小学校11

それとも、小学校の敷地外?


この一画だけは、瓦礫もなく、
安心して びいすけ を徘徊させることも出来ます。

      20150504香木原小学校12


思えば、昨年の春、そして秋と近くまで来ていたのに...............
そして、当初はこの香木原小学校も訪れる予定だったのに
ついつい時間が足りなくなって、『次回にでも!』と先延ばしにしていました。

あの時、無理してでも足を伸ばしていたら
解体前の校舎と廃校記念碑が確認出来たかもしれなかった............。



ネットでいろいろ検索していたら
解体前の香木原小学校の画像が見つかりました。
( HEYANEKOの旅心のページ  よりお借りいたしました )

      香木原小学校

2008年9月の画像で、この時には平屋鉄筋RC造りの校舎が残り、
校舎前には「跡地記念碑」と記された石碑が建っていたそうです。

跡地記念碑もがれきの中に埋まっているんでしょうか..............?

本当に残念です...............。





2015/05/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

豊英大滝     (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市に出かけていました。

秋元城址をあとにして向かった先は..........豊英大


豊英大は.....................

深く削り込まれたU字谷の河床に段がつくられたもので、
幅は約20m、落差約7.5mと2.5mの2段式の構造をしており、
上段のは白糸を垂らしたように見え、
壷がちょうど水をためる広い窪みとなっており、
夏場には多くの家族が訪れ、の脇の斜面から窪みに飛び込んだり、
あるいは浮き輪を使って泳いだり、子供たちが自然を好きなように利用して遊ぶ姿が見られます。
そして落差のゆるやかな2段目のでは
滝の斜面と水流を利用した水上滑り台遊びをすることもできます。



この豊英大滝も辿りつくのに苦労しました。
何せ、地図にもナビにも載っていないので
ネットの情報で、清和県民の森のロッジ村の近くだと言う事を知り、
清和県民の森のロッジ村を目指します。


道に迷いながらも何とか、清和県民の森のロッジ村の駐車場に到着。

      20150504豊英大滝02


駐車場前にある周辺案内図を見ても、豊英大滝は載っていない。

      20150504豊英大滝01


      
この先、車で進んでも車を止められる場所があるかも分からない。
とりあえず、車を置いて週を歩いて探しましょう。

      20150504豊英大滝03


反対方向から来たハイカーの若いカップルに訊ねたら
この先(5分くらい先)に豊英大滝の看板(?)が有ると言う。

それを聞いたら、元気も出ます。

心なしか、 びいすけ のリードを引っ張る勢いも変わったような気がします。

      20150504豊英大滝21



しばらく歩けば、豊英大滝の説明看板が現れます。


      20150504豊英大滝04



どうやら、この『豊英大滝』も君津市が『二十一世紀への継承遺産』として
認定されている遺産の一つらしい。

      20150504豊英大滝05


県道(?)からは外れますが、豊英大滝へ向かいましょう。

      20150504豊英大滝06



山の中へ続く道、やがて下り道となり沢へと導いてくれます。

      20150504豊英大滝07


沢をしばらく遡上すれば、やがて豊英大滝が見えて来ます。

      20150504豊英大滝08


      20150504豊英大滝19



こちらが、二段目の滝。

      20150504豊英大滝09

確かに滑り台のようです。

     


そして、こちらが一段目の滝。

      20150504豊英大滝10





落差約7.5m。
数値的には大したことはないけれど、実際に近くで見るとそれなりの滝。
やっぱり直瀑だからかなぁ?

      20150504豊英大滝15




連休中と言うこともあって、家族連れが多い。
子供達が滝壺近くで水遊びをしています。

      20150504豊英大滝11


しばらく待っていましたが、家族連れは帰りそうな素振りもない。
せっかく来たのだから、記念写真。

フレームから子供を除くために撮影ポイントを移動。

浅瀬の中に足を突っ込むしかない。

      20150504豊英大滝12


足元の岩場は滑りやすいから、移動には気を使います。

      20150504豊英大13


      20150504豊英大滝14


      20150504豊英大滝16


      20150504豊英大滝17


      20150504豊英大滝18



出来るだけ人がフレーム内に入らないように構図を気にしながら撮っていると
滝の近くであそんでいる子供が滝壺に赤ん坊の頭ぐらいの石を投げて喜んでいる。 
さらに、隣に居た親も一緒になって投げ始めた。


さすがに、これにはキレた!  

本当は正面から、足の濡れない場所で写真を撮りたかったのに
こっちは気を使って、場所を移動して写真を撮っているのに...............

   
子供が来そうな連休に訪れる方が悪いのか?
正直、気分は良くない。


本当は、静かに滝の音を聞きながら
川の流れを眺めて居たかったのだが、
子供たちの騒ぐ声がうるさくて、早々に撤収といたしました。


滝の近くでは大人しかった びいすけ 。
水のない所にくると、いきなり元気。

フットワークも軽く、段差も飛ぶように越えて行きます。

      20150504豊英大滝20


駐車場へと向かう道。
我先とリードを引っ張り進みます。

      20150504豊英大滝21



君津市内にある滝の中では、それなりの落差と雰囲気をもつ豊英大滝ですが
単純に静寂な滝、滝本来のもつ渓谷をしっとりと味わうと言ったようなことは
ここでは求める事に無理がありそうです。
絶対に子供が水遊びをしない冬にこそ、訪れる滝のようです..............................。






2015/05/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

秋元城址    (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市へ出かけました。

鹿野山九十九谷公園をあとにして、向かった先は...............秋元城址



秋元城は、
鹿野山から東側へ下る清和市場字根古屋(ねごや)から市宿字古城(こじょう)にかけて位置し、
東西550メートル、南北400メートルに渡る戦国時代の山城で、
小糸城あるいは青鬼(せいき)城とも呼ばれていました。
 
房総で勢力争いをしていた里見義豊が、
永正年間に臣下の秋元兵部少輔義正に命じて城を築かせたものといわれています。
しかし、義正の子、義久の時代の永禄7年(1564年)に北条軍によって攻められ、
義久の死とともに落城したと伝えられています。

この城は、近世の城から連想される「天守閣のあるお城」とは異なりますが、
城跡を歩いてみると、自然地形を削って平らにした曲輪や、
曲輪の縁辺に設けられた土手状の土塁、尾根筋を遮断した堀切などの跡がうかがえ、
戦国時代の山城の姿を想像させてくれます。
 
平成13年6月から7月にかけて城跡の一部の学術発掘調査が行われ、
主郭部を中心に防備のための平場をつくるために、
大規模な造成が行われていた痕跡が確認されました。



こちらが、秋元城の縄張り図

      秋元城縄張り図

( 余胡くんのHP よりお借りしました)



県道沿いに建つ秋元城址の説明看板。

      20150504秋元城址01


      20150504秋元城址02


看板には縄張り図も載っていました。

      20150504秋元城址03



説明看板の近くに建つ標柱。

      20150504秋元城址04



説明看板の裏手、上総地区では見かけることが多いヤグラ?
はたまた、戦時中の防空壕なのか?

      20150504秋元城址05



こちらが、秋元城の登城口。

      20150504秋元城址06

いざ、秋元城攻城と参りましょう!



登城路を上っていくと、二又路。
右に行けば、千畳と言う広い郭、さらには主郭。
左は根古屋。


      20150504秋元城址07


根古屋は畑と化していて、猪に荒らされないように高圧電線が張り巡らせています。

びいすけ が触ったら危険なので根古屋地区の探索は諦めます。

      20150504秋元城址08



主郭目指して、登城路を上ります。

      20150504秋元城址09

登城路には幾つかの虎口があります。

いきなり目の前に現れた大堀切。
それが虎口となっています。

      20150504秋元城址10

秋元城、なかなかのモノ。
これは期待できそうです。


大堀切の虎口を反対側から見るとこんな感じ。

      20150504秋元城址11

まさに、岩盤をくり抜いて作られた虎口。
いゃあ、素晴らしい。


この先は稲荷社のある郭。
登城路から右に上って行く感じで郭が設けられています。

      20150504秋元城址12


さほど広くはない郭。

      20150504秋元城址13

おそらく、見張り台のような役割をしていたのでしょう。



郭奥に鎮座する稲荷社と金比羅社。

      20150504秋元城址14


この郭の虎口も見応えあり。

      20150504秋元城址15



再び、登城路に戻り、千畳を目指します。

      20150504秋元城址16


傾斜もちょっぴりきついけど、それよりも湧水で泥濘んでいるから
ロープがあると助かります。

      20150504秋元城址17


人間はロープに助けられましたが、四足歩行の びいすけ は、自力で上ります。
さすが四駆。

千畳の虎口に到着です。

      20150504秋元城址18



千畳から虎口を振り返ります。

      20150504秋元城址19



千畳の虎口近くに建てられた、君津市の『二十一世紀への継承遺産』の標柱。

      20150504秋元城址20

ここ、秋元城址も継承遺産とされているようです。
これで幾つ目の継承遺産になるのだろうか?
こうなりゃ、31ヶ所完全制覇を目指そうかな(笑)。



この先が千畳(敷)。

      20150504秋元城址21


中央部には、標柱も建てられています。

      20150504秋元城址22



確かに広い郭です。

      20150504秋元城址23



千畳の奥にみえる土壇。

土塁かと思っていたら、三段に削平された郭です。

      20150504秋元城址24


三段の郭はこの先。

      20150504秋元城址30



一段目の郭。

      20150504秋元城址25



二段目の郭から見下ろす一段目の郭。

      20150504秋元城址26


こちらが二段目の郭。

      20150504秋元城址27



そして、三段目の郭。

      20150504秋元城址28



郭の中央部に建てられた標柱。

『御殿 西向三段』

      20150504秋元城址29

すなわち、ここが主郭であり、御殿が建てられていたことになります。





千畳の奥、そして三段の郭下の先には土橋があります。
      
      20150504秋元城址31




土橋の先は、鹿野山の尾根と化していきます。
秋元城の山城たる部分が一気に見えてきます。


いきなりの二又路。
右に進路を取り進軍します。

      20150504秋元城址32


右方向は、やがて八幡社のある郭。

      20150504秋元城址33


土塁もしっかりと残っています。

      20150504秋元城址34


二又路の左。
すぐに視線に飛び込む井戸跡。

      20150504秋元城址35

今は枯れているけれど、この井戸が秋元城の貴重な水源だったのでしょう。



さらに、奥へと進軍します。

やがて、秋元城最奥の大堀切。

      20150504秋元城址36

滑りやすいので設置されたのでしょうか?
ロープを伝って下って行きます。


こちらが、その大堀切。

      20150504秋元城址39



大堀切を下って、さらに奥へと進軍すると
やがて、垂直な壁。
足が架けられるように削ってはあるものの、ロープに頼らなければ、垂直な壁は登れません。

      20150504秋元城址37


びいすけ も爪を立てて頑張って登ります。

      20150504秋元城址38

何とかして登りきったものの、その先は断念。

本当は垂直な壁を下りきった底に、岩をくり抜いた畝堀があるらしいとのことですが
はっきり言って、その場所に辿りつくのは無理。諦めました。




再び、西向三段下に戻り、下山します。

西向三段の城塁。

      20150504秋元城址40




こちらが、秋元城主の末裔の方が建てられた、城址碑。

      20150504秋元城址41


      20150504秋元城址42


城址碑には、小糸城と記されています。

      20150504秋元城址43


秋元城と言うよりは、小糸城と言った方が正解なのだろうか?



しかし、この秋元城。
なかなかヘビーと言うか、かなり見応えのある山城でした。
何年かしたら、また訪れたい城址です。
そのときは断念した畝堀にチャレンジしてみよう..............................





2015/05/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

九十九谷公園    (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は、君津市へ出かけました。

鹿野山小学校(跡)をあとにして、向かった先は...............九十九谷公園


  
九十九谷公園は..............................、
高宕山など上総丘陵が幾重にも連なる山並みの風景を
眼下に一望することができます。
これら山谷の織り成す景観を総称して九十九谷と呼ばれており、
夜明け前から日の出直後と日の入り前の情景は墨絵の世界にも例えられているそうです。

紅葉の時期に見られる緑と紅のコントラストや
冬季の雨上がりの早朝、霧の中に浮かび上がる幽玄な景観など、
四季折々の表情を楽しむことが出来るそうです。
この景観は君津市の次世代に伝えたい20世紀遺産及び、千葉県の眺望百景にも登録されています。



マザー牧場方面から鹿野山へと抜ける県道をさらに走り
神護寺からしばらく走れば、やがて眺望の拓けた場所が現れます。
そこが、九十九谷公園となります。

県道を走っていれば、こんな看板が目に入ります。

      0150504九十九谷公園16

こちらの看板では『九十九谷展望公園』。




公園入口には...............

      0150504九十九谷公園30

『九十九谷公園』と記されています。

一体、どちらが正しいのか...............?


そんなことを気にするよりも、
とりあえず車を九十九谷展望公園駐車場に入れます。


とにかくこの公園に来たら
まずは、その眺望を楽しみましょう。

駐車場からの眺望。

      20150504九十九谷公園01


      0150504九十九谷公園02


県道を挟んだ対面にある公園が九十九谷公園なのか?

      0150504九十九谷公園03



観光地、景勝地でよく見かける石碑。

『房総の魅力 500選』の碑。

      0150504九十九谷公園04


とにかく、鹿野山の尾根伝いに展開する展望地だから
眺望はすこぶる良い。

びいすけ も思わず身を乗り出します。

      0150504九十九谷公園05


陽射しはあるものの、所々に雲があり
快晴と言う訳ではないけれど、眺望は良い。

      0150504九十九谷公園06


前方の黒ずんだ雲がなければ、もっと遠くまで眺めることが出来るだろう。

      0150504九十九谷公園07


      0150504九十九谷公園08



せっかくの景色だから、 びいすけ と眺望のマッチング。

      0150504九十九谷公園09


      0150504九十九谷公園10


ここにも、君津市の『二十一世紀への継承遺産』の標柱がありました。

      0150504九十九谷公園11

う〜む、これは31ヶ所追いかけろ!と神の指示なのか?(笑)



こちらが、九十九谷の説明看板。

      0150504九十九谷公園12


昭和を代表する著名な画家、東山魁夷が昭和22年の第3回日展で特選を受賞した作品『残照』は
この鹿野山の九十九谷辺りからの風景を画にしたものらしい。

      0150504九十九谷公園13

ひょっとしたら、ここからの眺めは夕暮れ時が良いのだろうか?



それにしても、東山魁夷がこの眺望を画にした時代は
鹿野山の麓から鹿野山道を歩いて来ないと手に入らなかった訳なのだが、
今や、県道を車で上って来れば、簡単に手に入る。
便利な時代になったものです。

      0150504九十九谷公園14


      0150504九十九谷公園15


     
公園そのものは大きくなく、ゆっくり歩いても5分程度で一周してしまいます。
何しろ、ゴルフ場に隣接したわずかながらの削平地を公園にした感じです。

公園奥にある芝生広場。

      0150504九十九谷公園25


ロングリードで気持ちよく徘徊する びいすけ 。

      0150504九十九谷公園26



この奥はゴルフ場。

      0150504九十九谷公園27




公園から県道を挟んだ向かいにある白鳥神社。

      0150504九十九谷公園17


こちらが白鳥神社の説明看板。

      0150504九十九谷公園18

伝承によるとその昔、日本武尊の東征にあたり妃の弟橘媛が浦賀水道に入水して嵐を鎮めました。
日本武尊は房総半島に渡り民を苦しめる阿久留王を征伐しました。

東征帰途日本武尊は亡くなり、白鳥となって当地まで飛んできました。
そのため民が白鳥神社を創建したということです。
まあ、あくまでも神々の逸話、神話って言うヤツですかねぇ...............。

白鳥神社は鹿野山を構成する三山のひとつ、白鳥峰の山頂付近に建っているそうです。




こちらが拝殿。

      0150504九十九谷公園19



拝殿奥には、さらに山懐の奥へと続く道。
しかし、隣はゴルフ場なので、この先へは遠慮しました。

      0150504九十九谷公園20



拝殿前に建つ説明看板。

      0150504九十九谷公園21

鳥居前の説明看板より古い物。
しかし、こちらの方が詳しく書かれている気がします。

由緒を要約すると............

白鳥神社の由来は諸説あるが、
この地を支配していた豪族阿久留王を征伐した日本武尊に纏わる話が多い。
日本武尊は伊勢の熊煩野で亡くなりその地に葬られたが、
墳墓の中から一羽の白鳥が出てきて東に向かって飛び立ち、
鹿野山山頂に来て止まったので、ここに祠が設けられ、その後白鳥神社となったそうだ。
聖徳太子が神野寺を建立したとき白鳥神社を崇敬し、東国の鎮守と称した。
また僧円仁はこの神社を改造したとも言われている。
昔から武将の崇敬も厚く、永正十年(1513)に真里谷城主武田信勝が寄進したが、
更に久留里城主里見義堯や佐貫城主らによって寄進されている。
元々は白鳥峰山頂に社殿はあったが、大正六年に上陸した台風によって崩壊した。
この為、以後現在の中腹の現在地に社殿は建て直されたという。



そしてこちらが、日本武尊の弟・橘媛を祀った橘比売神社

      0150504九十九谷公園22


扁額の代わりに大きな櫛が掲げられています。

      0150504九十九谷公園23


境内から鳥居を見下ろしてみます。

      0150504九十九谷公園24

何となく、パワースポットらしさを感じる雰囲気。

由緒ある神社だから、尊厳さも感じでしまいます。




再び、九十九谷公園に戻って、今一度景色を眺め
その眺望をしっかりと瞼に焼き付けます。

びいすけ、お前もしっかりと見ておくんだよ。
      
      0150504九十九谷公園28


      0150504九十九谷公園29





瞼にしっかりとその眺望を焼き付け、この地をあとにするのでありました..............................。






    


2015/05/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............鹿野山小学校   (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市に出かけていました。

三舟山陣場跡をあとにして向かった先は..........君津市立鹿野山小学校


鹿野山小学校は

明治8年     学制令に基づき開校 神野寺1室借用
明治20年    弘道小学校の付属校、鹿野山小学校小学簡易科として認可された
明治26年    秋元村立鹿野山尋常小学校として認可
明治33年    明珠院に学校移転
大正6年     大暴風雨襲来、校舎倒壊 明珠院大修理を行う
大正8年     校舎焼失 以後仮住まいが続く
大正12年    関東大震災により、仮住まいの山口旅館校舎全壊
大正14年    校舎新築 秋元村鹿野山324番地
昭和22年    秋元村立鹿野山小学校に改称
昭和30年    町村合併、秋元村と三島村が合併し、清和村誕生
          清和村立鹿野山小学校に改称
昭和45年    清和村解村、町村合併し、君津市となる。
          君津市立鹿野山小学校に改称
昭和46年    現在の校舎に移転
昭和50年    開校100周年記念式挙行
平成11年    惜しまれながら閉校し秋元小学校に統合
          その後校舎は取り壊され現在は更地となっている 

と、このような沿革となっています。(鹿野山ホームページより引用しました)


とは、言いながらも、既に校舎も解体されて更地になった場所。
正直、探すのが大変でした。


おおよその場所に見当を付けていたものの、目印になる物が全くなく
県道を行ったり来たりの繰り返し。

近くの民家のおじいさんに
「この近くに昔の鹿野山小学校はありませんか?」と聞いたら
「神護寺の裏手にある」と言われ、神護寺まで行くと、
いきなりお巡りさんに車を止められました。

『えっ! 何事? 違反でもした? 』

『まさか虎が逃げた?(笑)』
(この洒落は40代後半以上でないと分からないかな)(笑)


何のことはない、シートベルトの着用と交通安全のキャンペーンで
地元の方々と一緒に花を配っていたのでした。

      20150504鹿野山小学校22

花を配っていた、おじさんに訊いたら、昔の鹿野山小学校は
上の写真の食堂の上の台地にあったらしい。
それが、1kmほど手前の森の奥に移転し、後に廃校となったらしい。

慌てて、1kmほど戻ります。


道路端にある看板。

      20150504鹿野山小学校02

実は、この看板が目印になっていたりする。


この看板の近くに森の中に入って行く未舗装の細い道がらあります。

      20150504鹿野山小学校01

奥に門柱らしきモノが確認できます。



こちらが、かつての校門。
      
      20150504鹿野山小学校03

残念ながら、門柱に表札は残っていませんでした。


何やら物騒な張り紙。

      20150504鹿野山小学校04



どうやら、野生の猪が居るみたいで、ここにも捕獲用な罠(檻)が設置されていました。

      20150504鹿野山小学校05



それも2基。

      20150504鹿野山小学校06


      20150504鹿野山小学校07




既に校舎は解体されて更地になっていると聞いてはいましたが
学校遺構が全く残されていない。

      20150504鹿野山小学校09


      20150504鹿野山小学校10



それらしいモノと言えば、ソテツの木。

確か、私の学んだ小学校にもあったような気がします。

      20150504鹿野山小学校08


門柱の脇に無造作に捨てられている消火栓。

      20150504鹿野山小学校11

学校の場合、消防法で言うところの特定防火対象物になるけれど
更地になったから、不用になったとは言え、悲しい姿です。


そして、刻まれた文字がいまいち判読できなかった石碑。

      20150504鹿野山小学校12

廃校の碑では無いようだが、無造作に捨てられて(?)います。




廃校の碑とかは無いのか?と思っていたら
校舎解体時に神護寺の境内に移されたらしい。


こちらが、神護寺の境内にある記念碑。

      20150504鹿野山小学校16

      
20150504鹿野山小学校15


おそらく、鹿野山小学校の発祥の地だから、校舎解体時にこちらに移されたのでしょう。

個人的には、更地になっても記念碑だけは移さずに残して欲しかったと思うのですが...............。    



沿革の刻まれた石碑。

      20150504鹿野山小学校17



おそらく校庭に置かれていたであろう石碑たち。

      20150504鹿野山小学校18


      20150504鹿野山小学校19


      20150504鹿野山小学校20



そして、こちらが神護寺。

      20150504鹿野山小学校21

ちょっぴり長生きしている人は知っているけれど、
虎が脱走したことで有名になった寺。



この神護寺に至る古道は、鹿野山道と言うらしい。

      20150504鹿野山小学校13


この鹿野山道も君津市が指定する『二十一世紀への継承遺産』と言うことです。

      20150504鹿野山小学校14


鹿野山の麓から、この神護寺まで歩いて来るのは大変だけど
いつか、 びいすけ と歩いてみたいなぁ..............................


     

2015/05/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

三舟山陣場跡  (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市の城址巡りに出かけました。

常代城址をあとにして、向かった先は.................三舟山陣場跡


第2次国府台合戦において里見氏は北条氏によって大敗を喫しました。
このため、北条氏は里見義弘の上総北部・西部の里見領を悉く占領し、
東部においては里見氏の重臣であった正木時忠・土岐為頼を帰順させました。
更には里見義弘の居城である佐貫城を奪うべく、
三船山(現在の呼称は三舟山)の山麓にある三船台の地に砦を築き、
北条家当主の氏政自らが総督した。
里見義弘は三船台の砦ができた場合、南に1里しか離れていない佐貫城が危機に晒されると考えて
三船台に駐屯する北条軍を攻撃しました。

これを知った北条氏政は太田氏資らとともに江戸湾を渡海して佐貫城攻撃に向かい、
一方弟の北条氏照は原胤貞とともに別働隊を率いて市原郡方面から小櫃川沿いを遡って、
義弘の父・里見義堯の居城である久留里城の攻撃に向かわせました。

これに対して義弘は正木憲時とともに佐貫城を出撃して、
三船台に集結した氏政の軍を攻撃しました。
戦いは激闘となり、里見軍が北条軍を破りました。
この時、殿を務めた太田氏資が戦死し、また北条・里見の両水軍の間でも激しい戦いが行われ、
勢いに乗じた里見軍が北条軍を追撃する姿勢を見せたために、
水陸から挟撃されることを恐れた北条軍は全軍を相模国に撤退させました。

これが、世に言う北条・里見の三船山合戦であります。

この合戦の際に北条軍が陣を築いたのが三舟山陣場(三舟山砦)です。





こちらが三舟山陣場の縄張り図

      三舟山陣場縄張り図

     ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )




三舟山の山麓にある駐車場に車を停めて、北条氏の陣跡である三舟山にいざ参らん!

      20150504三船山陣場03


駐車場にあった三舟山の案内板。

      20150504三船山陣場01

どうやら、ハイキングコースになっているようです。


駐車場から、陣跡経由でぐるっと廻って約45分のコースのようです。

      20150504三船山陣場02




こちらが登城ロ。

      20150504三船山陣場04


ハイキングコースの始点でもあります。

      20150504三船山陣場05


しばらく上り坂が続きます。

そして、こんな看板が現れます。

      20150504三船山陣場06

どうやら、NHKの大河ドラマ『八重の桜』のロケ地だったようです。

主演の 綾瀬はるか は、好きな女優ですが、このドラマは観ていませんでした。
いつか、DVDでも借りて観てみようかな?


      20150504三船山陣場07


      20150504三船山陣場08



さらに、上り坂は続きます。

      20150504三船山陣場09


そして、三叉路。
左に行けば、展望台。
右に行けば、陣場跡。

当然右に進路を取ります。

      20150504三船山陣場10




その先には、また『八重の桜』の撮影ポイント。

      20150504三船山陣場11


      20150504三船山陣場12



木立に囲まれた道を歩き...............

      20150504三船山陣場13



いきなり、視界が広がった平地が『三舟山陣場』。

      20150504三船山陣場14


かなり汚れている説明板。

      20150504三船山陣場15



その隣に建つ標柱。

      20150504三船山陣場16



実は、この標柱は君津市が選定した『21世紀への継承遺産』

      20150504三船山陣場18


この『21世紀への継承遺産』の標柱は、
君津市内の史跡、景勝地などに建てられていて
その数は、31あるらしい。
君津市役所のHPには『20世紀遺産』として、
その31ヶ所が掲載されています。



何もない、陣場跡。

      20150504三船山陣場19


      20150504三船山陣場17


     
びいすけ が居る辺りに、北条軍の兵士が戦に備えて待機していたのだろうか?

      20150504三船山陣場20



この辺りには野生の猪が居るようで、
陣場の隅に捕獲罠が仕掛けられていました。

      20150504三船山陣場21



遺構らしい遺構もない陣場跡から散策路(ハイキングコース)を更に進みます。

      20150504三船山陣場22



三舟山の山頂辺りは桜の明所。(通称、お花見広場)
多くのソメイヨシノが咲き誇る春には、花見客がいっぱいらしい。

この時期は完全な葉桜状態。

      20150504三船山陣場23




展望台に向かう途中にある塚。

      20150504三船山陣場24



さらに、別な塚。

      20150504三船山陣場25


都合、3つの塚があります。
これも陣場の何かの名残りなのだろうか?

      20150504三船山陣場26



こちらが、展望台。

      20150504三船山陣場27



せっかくだから、上ってみましょう。

      20150504三船山陣場31



展望台からの眺望。

      20150504三船山陣場29



眼下には、車を停めた駐車場が見えます。


      20150504三船山陣場28



      

展望台脇の視界の広がった場所も『八重の桜』の撮影ポイント。
     
      20150504三船山陣場32


      20150504三船山陣場33



さあ、一気に下山しましょう。

展望台から先の下山コースを歩きます。


こちらが、お花見広場。

      20150504三船山陣場34

確かに、桜の木が多いが、完全な葉桜。



こちらの道が本来の三舟山陣場への登城路なのか?
細い山道で、それなりの雰囲気があります。

野生の動物でも居るのか?
やたらと茂みが気になる びいすけ 。

      20150504三船山陣場35


どことなく、笑顔のようで................

      20150504三船山陣場36


      20150504三船山陣場37


どうやら、 びいすけ には、この三舟山を歩くのは合っていると言うか、
この三舟山が気に入ってくれたようです。

来年の桜の時期に、また訪れようかな...............?



2015/05/18 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

常代城址   (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は、君津市へ出かけました。

三直城址をあとにして、向かった先は...............常代城址



君津市常代にある常代神社の南隣の台地が常代城址と言うことですが、
常代城の歴史に付いては全く不明であり、
一部では地元豪族の居館として利用されていたが、
戦国時代になり里見氏の勢力化の中で支配され、
改修されていった城郭ではないか?と言う説もあるようです。



まずは、常代神社を目指します。

しかし、この常代神社がなかなか見つからない。
周辺を車であっちに行ったり、こっちに行ったりと
近くに来ているのに、30分近くも車で周辺を徘徊してしまいました。



こちらが常代城の縄張り図。

      常代城址縄張り図

( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )


そして、こちらが常代神社。

      20150504常代城址01


      20150504常代城址02


神社そのものもちょっとし高台となっていて
拝殿裏には、腰曲輪があったり、大堀切があります。

      20150504常代城址03



鳥居脇から大堀切へと続く登城路(?)

      20150504常代城址04


大堀切には竹が鬱蒼と茂り、こちらも竹藪状態の城址です。

      20150504常代城址05



どうやら、筍泥棒の防止でしょうか?
大堀切には柵が設けられ、中には入れません。

      20150504常代城址06



さらに奥へと続く道は、やがて藪の中へ...............

      20150504常代城址07

さすがに藪の中を進軍する勇気も気力もありません。


どうにか台地に上がるルートを探し、常代城の攻略を続けます。

      20150504常代城址08


こちらは主郭手前の腰曲輪。

      20150504常代城址09


      20150504常代城址10



そして、こちらが主郭。
主郭の周りを高さ5mほどの土塁が取り巻いていますが
写真じゃ分かりづらいかな?

      20150504常代城址11


主郭も完全な竹藪。
ただ、筍畑(?)として活用しているようで
それなりに手入れされているようです。


      20150504常代城址13



土塁によじ登って、主郭を見下ろしてみます。

      20150504常代城址14



土塁上にて。
土塁の上に居ると言うよりは、尾根に立っているって言う感じです。

      20150504常代城址15



こちらが主郭虎口。

      20150504常代城址16



本当はもっとじっくり見学していたかったのですが
何せ許可を戴いた訳ではないので、筍泥棒に勘違いされるのも何だし、
早々に鉄舟することに..............................。

      20150504常代城址17



竹藪を抜けると、常代神社の隣の民家の庭先に出るようですが
もう一度、大堀切の方へ戻ります。

      20150504常代城址18


      20150504常代城址19


常代神社に戻り、鳥居脇から民家の庭先をながめてみます。

こちらが、本来の登城口、登城路

      20150504常代城址20

見た感じ、虎口の様に見える
こちらは完全にフェンスの奥だから入って行けない。



せっかくだから、常代神社も参拝していきましょう


城塁の様にも見える常代神社の土塁。

      20150504常代城址21


鳥居をくぐり、石段を上がった先は拝殿

      20150504常代城址25


      20150504常代城址22

      20150504常代城址24


拝殿に掲げられた扁額(神額)

      20150504常代城址23



城郭ファンのブログを拝見させていただくと
先ほどの竹薮に入れなくて、この神社で断念された方も多いようです。
この辺りが城郭巡りの難しいところでもあるようです。





2015/05/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

三直城址  (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

世間ではGWの真っ只中。
かく言う私も5月4日、5日と連休をいただきました。

この日は、房総半島の君津市へ出かけました。


最初に立ち寄ったのは..............................三直城址



三直城の築城年代は詳らかではないが、
平安時代の文徳斉衝年間(854年~857年)に
藤原三直が居城し、周准の国を開いたと伝えられています。

戦国期には、里見家臣・忍足治部少輔の居城として、
北条氏との攻防の拠点となったと伝えられています。



こちらが、三直城の縄張り図。

      三直城 縄張り図

          (  余胡くんのホームページ   より、お借りしました  )


君津市民文化センターに隣接する君津バスターミナルの裏手にある台地が
三直城址となります。


      20150504三直城址01


      20150504三直城址02


君津バスターミナルの駐車場が1時間までなら無料で停められるので
駐車場に車を入れ、台地を目指します。

台地を上りきったところが、四郭となり
以前は登城口の近くにゲートボール場があったらしいが
現在は、それらしき場所はありません。

目印になるのが、このバス停。

      20150504三直城址22


バス停近くにある登城路。

      三直城祉



この奥の左手が三直城址となります。


一面の竹藪の三直城址。
この時期は竹藪に入るには、それなりの覚悟が必要です。
と言うのも、筍泥棒と勘違いされる可能性があるからです。

この竹藪の奥が四郭。

      20150504三直城址03


ちょうど、この写真を撮っている時に1台の軽トラックが入って来ました。

この竹藪を管理している方で、城址見学の許可をいただきました。
これで、大きな顔をして、竹藪の中へも入って行けます(笑)。


三郭の竹藪に入ると、いきなり土塁が目の前に...............

      20150504三直城址04

これは期待できそうです。


では、三直城攻略と参りましょう。

      20150504三直城址05



三郭から二郭へと繋がる土橋。

      20150504三直城址06



このアングルの方が土橋が分かりやすいかも?

      20150504三直城址07



土橋脇の空堀。

      20150504三直城址08

かなり埋まっています。
しかし、倒れている竹もなく、しっかりと管理されています。
筍畑(?)として管理されているようです。



土橋の先は二郭の虎口。

      20150504三直城址09


二郭虎口の土塁。

      20150504三直城址10


まだまだ三直城への攻略は続きます。
さらに先に進軍しましょう。

二郭と主郭を隔てる空堀。

      20150504三直城址11

こちらも、かなり埋もれています。

そして三郭、二郭と比べて廃れている感が強い。


君津バスターミナルの駐車場が1時間までなら無料で停められるので

空堀に架かる土橋。
数百年経っても、その姿をはっきりと見せてくれます。

      20150504三直城址12



土橋の上から見た空堀。

      20150504三直城址13


倒れた竹が多くて、とても降りる気にはならない。

      20150504三直城址14



土橋の先は、主郭虎口。

      20150504三直城址15


主郭虎口から振り返れば、今渡ってきた土橋がはっきりとわかります。

      20150504三直城址16



こちらが、主郭。

いくぶん、人の手が入っているものの、三郭、二郭と比べると
倒れている竹が多い。

      20150504三直城址17


主郭そのものは40m四方ぐらいとのことですが
倒れた竹を避けながら奥へと進軍する気にはなれません。


主郭中央部あたりで踵を返すことにします。

      20150504三直城址18


主郭虎口の土塁。

      20150504三直城址19



主郭内部から見た虎口。

      20150504三直城址20


      20150504三直城址21


台地を下り、君津バスターミナルの駐車場へと戻ります。

駐車場へ向かう途中にある大堰。
  
      20150504三直城址23


この台地にも、蔵屋敷と言う城郭遺構があるらしい。
そちらは、またいずれの機会にも訪れることにしよう。


三直城址。
竹藪しかないと聞いていたけれど、しっかりとした土橋が残り、
三郭、二郭は竹藪の中も整備されていて、見応えのある城址でした...............。










2015/05/16 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

びいすけ と買い物@ジョイフル本田千葉ニュータウン店  (2015年5月1日)(千葉県印西市) 

5月1日 公休日

この日は、チョーカー作りに精を出そうと思っていたら、
材料の革が足らないことに気づきました。
慌てて、チョーカーの材料を調達しに向かった先は..............................

ジョイフル本田 千葉ニュータウン店



ホームセンターの場合、専用カートを利用すれば、
店内ペットOKのお店が多いから、好きです。

その中でも、ジョイフル本田の千葉ニュータウン店は
売り場面積も広く、また2階のクラフトコーナーは品数も多く
個人的には『北総の東急ハンズ』と勝手に命名しています(笑)。



専用とカートに びいすけ を乗せ、いざ皮革コーナーへ!

      20150501ジョイフル01



エスカレーターで2階に上がります。

      20150501ジョイフル02




皮革コーナーに到着。

      20150501ジョイフル03


金具関係をざっと見てみますが、目新しいモノはない。

      20150501ジョイフル04



当初の目的の革バンドを買うことにいたしましょう。

      20150501ジョイフル05


      20150501ジョイフル06



レジで会計を済ませ、駐車場へと向かいます。

カートにハコ乗り、ご機嫌な びいすけ 。

      20150501ジョイフル07




本日の調達品。

      20150501ジョイフル08



幅15mmのヌメ皮の革バンド。

      20150501ジョイフル09

こちらはチョーカー用。
長さ1.2mほどだから、おおよそ3本分が取れる。





こちらは、幅18mmのヌメ皮の革バンドの端切れ。

      20150501ジョイフル10


おそらく、長さは1mほど。
こちらは、首輪用にストックしておきましょう。




ここで、悪い癖が出ちゃいました。

なぜか、材料を買ってきたら、それでもう満足。
今日はチョーカー作りはやめちゃいましょう。


シャワーを浴びて、 びいすけ もシャワーをしたら
どっと汗が流れ出て..............................

昼寝のつもりが、力一杯寝ちゃって
目が覚めたら18時過ぎ。
外は暗くなり始め、慌てて びいすけ のウンチ散歩に出かけました。

あ〜、こうやってやりたいことも未達のまま、
不完全燃焼状態で休日は過ぎ去って行くモノなのね..............................。






2015/05/15 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北総花の丘公園ドッグラン   (2015年5月1日)(千葉県印西市) 

5月1日 公休日

早いもので、この日から5月。

世間では、GW真っ只中と騒いでいるようですが、私は単発休み。

朝から頑張ってチョーカー作りに励もうかと思っていたら、
ベースになる革の長さが足りなくて、急遽ジョイフル本田へ買い出しに行くことにしました。

せっかく印西市まで行くんだから、ドッグランにも立ち寄りましょう。


と、言うことで立ち寄ったのは...............北総花の丘公園ドッグラン



4月下旬から好天気続きで、5月になったこの日は25℃を越す夏日。


11時頃、ドッグランに入場したものの、小型犬エリアに2頭居るのみ。
フリーエリアは誰も居なくて、まさに貸し切り状態。

しかしながら、びいすけ はいつものようにフェンス周りを徘徊。

      20150501北総ドッグラン01


フェンス沿いの芝生の匂いをクンクンと嗅ぎ回ります。

      20150501北総ドッグラン02


      20150501北総ドッグラン03



時折、フェンスに気になる匂いが残っていると、
マーキングでテリトリーの意思表示。

      20150501北総ドッグラン04


      20150501北総ドッグラン05



マーキングが終わると、後ろ足で芝生を蹴ります。

      20150501北総ドッグラン06

この行為は、ドッグランでだけする行為。
ワンコの匂いの残る芝生と何か関係があるのだろうか?
以前からの疑問です。



ゆっくりとフェンス周りを徘徊。

      20150501北総ドッグラン07


      20150501北総ドッグラン08


ぐるっと1周すると、今度はドッグラン内の中央部へと移動します。

      20150501北総ドッグラン09


      20150501北総ドッグラン10



この北総のドッグランにある唯一の遊具の古タイヤ。
以前は土管もあったんだけど、なぜだか撤収されちゃいました。

そっと土管に近付く びいすけ 。

しっかりと匂いを確認。

      20150501北総ドッグラン13


そして、マーキング。

      20150501北総ドッグラン14



さらには、ぴょぉんと飛び乗って...............

      20150501北総ドッグラン15


タイヤに飛び乗ったから、オヤツを貰えると思って待機しています。



再び、徘徊。

      20150501北総ドッグラン16




まったく走ってないのに、もう疲れたの?

      20150501北総ドッグラン17


芝生で伏せて、マッタリタイム。

      20150501北総ドッグラン18


      20150501北総ドッグラン19


      20150501北総ドッグラン20



5月になった途端に、初夏のような陽気。

気持ちドッグランには暑いかもしれない。

      20150501北総ドッグラン21



なぜか、オヤツをちょーだい! のポーズ。

      20150501北総ドッグラン22


ごめんなぁ〜、 びいすけ 。
今日はオヤツ持ってくるのを忘れちゃったよ。

      20150501北総ドッグラン23



陽射しも暑いので、木陰で涼むことにいたしましょう。

      20150501北総ドッグラン11


      20150501北総ドッグラン12


元々、ドッグランで走り回ったりして遊ぶタイプではないので
正直、ドッグランにいても、陽射しが強いと可哀想。

まぁ、元々は買い物ついでに立ち寄った訳だから
長くドッグランに居なきゃいけない理由もないけれど、
せめて、駐車場代分ぐらいは楽しんでもらいたい。
一応目安の1時間。
そろそろタイムアップの時間です。

気候も春だと思っていたら、一気に夏日になったりして
ドッグランで遊ばせるには、ちょっぴり厳しい時期が始まろうとしているようです。

ドッグランに来る時間帯も考えなきゃいけない時期が
駆け足でやって来たようです...............。






2015/05/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

メール便が届きました (2015年4月27日) 

4月27日

この日の夜、仕事から帰り郵便受けを覗くと、
メール便が届いていました。

      20150427メール便01


ネットで注文した、チョーカーの材料が届きました。

      20150427メール02


プチプチパッキンの中は、こんな金具類。

      20150427メール03



個装されたビニールから出して中身を確認します。

      20150427メール04


チョーカーの金具。

      20150427メール06



飾りカシメ。

      20150427メール05



そして、犬用の丸カン。
なかなか、つなぎ目が無くて、安くて丈夫な丸カンは売っていない。     
この丸カンを使って考えているのが、革製のカフェリード。

今度は革のリード作りにもチャレンジしたいなぁ。



でも、その前にせっかくアルファベットの飾りカシメが届いたのだから
今度の休みにでも、友人宅のチョーカーを作ることにいたしましょう。







2015/05/13 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦............犬服作りにチャレンジ その9  (2015年4月26日) 

4月26日  公休日

最近ハマっている犬服作り
リメイク中心にカタカタカタとミシンにチャレンジしていますが
犬服作りの師と仰ぐ(?)ダックの飼い主の豆ミルクさんから
ロックミシンにチャレンジしませんか?と誘われて
ロックミシンなるものに初めてチャレンジすることになりました。


今回は、さらの生地からの犬服作り

そして、これから迎える夏に向けて、タンクトップにチャレンジです。



以前、頂いたタンクトップの型紙が びいすけ には今一つ合っていないので
市販のタンクトップから型紙を作成します。
型紙の作り方、諸々を教わりながら
タンクトップ作りの開始です。

ベースになるのは、こちら。

      20150426犬服作り01


クリアファイルを上から合わせて、型を取ります。

      20150426犬服作り02

ここまでは、全く同じ。

クリアファイルの上にトレーシングペーパーを置き
トレーシングペーパーだ型を取ります。

      20150426犬服作り03


こうやって、前身頃、後ろ身頃の型紙完成。

      20150426犬服作り04

この時点では何故トレーシングペーパーに転記して型紙を作るのか?
その意図、意味がわかりませんでした。



生地の上からマチ針でトレーシングペーパーの型紙を固定します。

      20150426犬服作り05

今回の型紙は半身。
輪と言うらしいが、生地を折り曲げた状態で型取り、裁断。
左右対称だからこの方法が良いらしい。

今回は迷彩柄の生地でチャレンジです。


チャコ(チョーク)で縫い代を考慮して採寸します。

      20150426犬服作り06

縫い代は1cm。
しっかりと定規で測って採寸します。

ここが、やっぱり違う。
今までの私の採寸は縫い代も、ほぼ目分量。
(どうせまっすぐ縫えないし...............)




ここでミシンの登場。

ダック家に持ち込んだMy ミシン。

      20150426犬服作り07



そして、こちらが羨望のロックミシン。

      20150426犬服作り08

私のミシンが3台買える高級品。


さすがに、いきなりお借りしても使い方がわかりません。


豆ミルクさんが、慣れた手つきで前身頃と後ろ身頃をロック掛け。
要はミシン掛けしてもらっちゃいました。


続いて、襟口、袖口、裾のリブ作り。

今までは、リメイクと称してリブをそのまま流用するか
リブは用いず、生地を折り返して縫い付けると言う手抜きをしていました。

襟口、袖口、裾の寸法を実測して、
その寸法の90%の長さをリブの寸法にします。
リブの折り返しを考慮して、幅は5cmで裁断します。

      20150426犬服作り12

リブのパーツ作り

ちなみに、
襟口は 36Cm  リブは34cmに仕上げます
袖口は 15.5cm リブは14cmに仕上げます
裾は   35cm  リブは32.5cmに仕上げます
と言った感じです


さらに、ここでも豆ミルクさんに甘えちゃいます。
リブもロックミシンに掛けてもらっちゃいました。

      20150426犬服作り11

リブのズレを防止するために、
洗濯バサミを使うと言う裏技まで見せてもらっちゃいました。



一方、私はと言えば、襟口のリブのロック部に
ほつれ防止の直線縫い。

      20150426犬服作り09


襟口のリブが弧を描いているから、直線縫いも難しい。

      20150426犬服作り10


悪戦苦闘しながら、何とか縫い終え、これで完成。

      20150426犬服作り17

やっぱり、リブをしっかり仕上げると違って見える。

手前味噌になるけれど、個人的な感想を言えば、高級感が有る(笑)。

      20150426犬服作り18


      20150426犬服作り19



自宅に戻って、改めて試着。

      20150426犬服作り13

う〜ん、なかなか良いんでないかい?

      20150426犬服作り14


      20150426犬服作り15


      20150426犬服作り16


今回は、ほとんど豆ミルクさんの監修で
ロックミシン掛けもやってもらちゃったし...............

自作感が無いと言ってしまえば、それまでだけど
とりあえず、参考になる見本は出来上がりました。

まぁ、はっきり言っちゃえば、作ってもらったと言ったほうが正解かな?(笑)

いつもは、自作の型紙もどきを使って、一枚モノで裁断しちゃうし
その時に余裕をもたせて、鉛筆舐め舐めで適度な採寸で裁断しちゃうから
仕上げで苦労しちゃうのかな?

やっぱり、採寸も適当じゃダメって言うことなのね(笑)。

でも、性格もちょっぴり適当だから、採寸、裁断もちょっぴり適当が
私にはお似合いなのかもしれない..............................













2015/05/12 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit