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び・び・びのびいすけ

フィラリア検査 (2015年5月9日) 

5月9日 公休日

神奈川県の厚木市へ出かけたこの日、夕刻は八王子市の実家へ立ち寄りました。
と言うか、前日の5月8日から八王子の実家に来ています。

最たる目的は、 びいすけ の病院通い。

特に何処かが悪いわけじゃなく、この時期の検診。
フィラリア検査と血液検査に行ってきました。

お馴染みの獣医さんまでは徒歩10分ちょい。
夕刻の散歩を兼ねて歩いて行きましょう。

いつもと違う匂いの満載の散歩。
いつになく念入りに匂いを嗅いでいます。

      20150509フィラリア検査01


      20150509フィラリア検査02



ほどなくして、病院に到着。

      20150509フィラリア検査03


夕方の診療は16時~19時。

      20150509フィラリア検査04

16時にはあと2~3分。
しばし、表で待機です。

病院が分かるのか?
いきなり玄関先で尻尾が下がっちゃった びいすけ (笑)



尻尾が下がろうが関係ありません。
16時になったので中に入って受付をします。

      20150509フィラリア検査05


午後の診察、一番乗り。

さっそく、診察室に入ります。

体重計の付いた診察台に乗ると、体重は12.4kg。
昨年末に8種ワクチンで来た時には12.8kg。
僅かながらですが、痩せてくれたようです。

      20150509フィラリア検査06



さて、これからが本番。

フィラリア検査と血液検査のために採血します。
左前足からの採血です。

      

      20150509フィラリア検査07


看護婦さん(助手?)が、暴れないようにと びいすけ を抱きかかえてくれていましたが
暴れることなく、採血完了。

      20150509フィラリア検査08



1ヶ月ちょっと爪切りをサボっていたので
爪切りをお願いしました。

      20150509フィラリア検査09


ついでに肛門線絞りもお願いしちゃいました。

      20150509フィラリア検査10


採血した血液の一部は、その場でフィラリア検査。
残りは専門機関で改めて検査。


フィラリア検査の結果が出るまで待合室で待機です。

      20150509フィラリア検査11


10分ほど待って、フィラリアの検査結果が出ました。

      20150509フィラリア検査12


結果は陰性。

      20150509フィラリア検査13


会計を済ませ、フィラリアの予防薬を貰って帰ります。

      20150509フィラリア検査14


忘備録として残しておきましょう。

健康診断セットA 5500円
(フィラリア、CAC、生化学検査)
フィラリア症予防薬
@1300 ×4 5200円
消費税 856円

合計 11556円

う〜ん、意外に掛かるものです。

去年、予防薬を1年分もらった残りが4ヶ月分あったから
少しは安く収まったけれど、まあ、これも仕方がないこと。


血液検査は約1週間後、自宅へ郵送されてきます。
血液検査の数値が異常でない事を祈るばかりです..............................。






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2015/05/31 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................荻野小学校上分校 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は、神奈川県の厚木市に出かけました。


荻野山中陣屋跡をあとにして、向かった先は...............厚木市立荻野小学校上分校跡



荻野小学校髪分校は

明治20年 荻野小学校創立。
上荻野に分教場が開設され、上分校となる。
明治25年 荻野村立尋常高等荻野小学校上分校と改称。
大正12年 愛甲郡荻野尋常高等小学校上分校と改称。
昭和22年 荻野村立荻野小学校上分校と改称。
昭和31年 荻野村が厚木市に編入され、厚木市立荻野小学校上分校と改称。
昭和55年 荻野小学校から分離新設の厚木市立上荻野小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


荻野中山陣屋跡からR412を北上。
しばらく車を走らせると、やがて上荻野地区になります。
明治の初めまで上荻野村と言われていたこの地区、
厚木市の北端にあたります。

その上荻野集落のR412沿いにこんな石碑が建っています。

      20150509荻野小学校上分校09


      20150509荻野小学校上分校10


      20150509荻野小学校上分校08


荻野小学校下分校と同じ石碑(石柱)ですね。

調べてみたら、厚木市では『ふるさと道標』と称して
昭和56年度から、それらの地に伝つたわる話やいわれなどを残す、
石でできた標柱を作り始めたそうです。
その数は103個になるそうです。


荻野小学校上分校は昭和55年に廃校。
現在は、荻野公民館上荻野分館となっています。

      20150509荻野小学校上分校12


      20150509荻野小学校上分校13



敷地内を遠慮がちに見学させてもらいます。


入って右奥が駐車場。

      20150509荻野小学校上分校11

地域の公民館と言っても上荻野地区も縦に長いエリアを有するから
こう言った広い駐車場が必要なんでしょう。

おそらくかつての校庭の一部が駐車場となったのでしょう。

      20150509荻野小学校上分校14


駐車場奥から公民館の建物を眺めてみます。

おそらく公民館の建物が建っている辺りに、かつての校舎があったのでしょう。
  
      20150509荻野小学校上分校01

廃校から既に35年。
公民館の建物はどう見ても35年以上前のものには見えない。

      20150509荻野小学校上分校02




シンボルツリーであったであろう桜の木

      20150509荻野小学校上分校03

春には見事な花を咲かせるのでしょう


桜の木をバックに、かつての校庭跡に建つ びいすけ 。

      20150509荻野小学校上分校04


      20150509荻野小学校上分校05


フェンス脇、建物に沿って桜の木が並んでいます。
この木々も分校時代の名残りでしょう。

      20150509荻野小学校上分校06



公民館の建物側から桜の木を眺めてみます。

      20150509荻野小学校上分校07

このアングルが一番廃校跡らしいかな?



多くの廃校が地域の公民館に姿を変えた。
このパターンを数多く見てきました。

この荻野小学校上分校もその一つに加わりました。

二ノ宮像や遊具などの学校遺構は全く残っていませんが
桜の木のある風景が、何となく学校跡地を彷彿させてくれます。

民地に払い下げられて、マンションが建ってしまうことを考えたら
この選択は間違っていないと思うことにいたしましょう。









2015/05/30 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

荻野山中陣屋跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。

荻野小学校下分校跡地をあとにして、向かった先は..............................荻野山中陣屋跡


荻野山中陣屋は、小田原藩主大久保氏の分家が構えた陣屋であります。
大久保忠朝の次男、教寛が相模愛甲郡などを加増され1万6千石を領有することとなります。
当初は駿河松長(現在の沼津市)に陣屋を置いていましたか、
教翅が藩主となった天明3年(1783)に荻野山中に陣屋を構えることとなりました。
一説に藩の財政も厳しく、参勤交代に掛かる費用にもひっ迫し、少しでも江戸に近い場所と言うことで
現在の厚木市に当たる荻野山中に陣屋を置いたとされています。
陣屋では大久保家3代による83年間の統治が行われました。


また、荻野山中陣屋は幕末に起きた「荻野山中陣屋焼討事件」の舞台となった陣屋です。
倒幕を目指す薩摩藩は、戦端を開くきっかけとして、関東で騒乱を起こす計画を立てて
荻野山中藩の藩庁だった山中陣屋を焼討しています。
この事件をきっかけに鳥羽伏見の戦が始まり、やがて江戸幕府は滅亡することになります。
現在は「山中陣屋跡史跡公園」として整備されています。
なお、遺構として厚木市王子の曹洞宗福伝寺に陣屋裏門と伝わる山門が残っているとされていますが、
焼き討ち事件で陣屋は焼失したとされているため、山門が果たして本物か否か?
あくまでも伝承の域を出ないと言ったところでしょうか...............



R412を厚木市街地から愛川町方面に車を走らせると
山中城址の交差点(信号機に標記)が目に留まります。

その交差点のすぐ脇に山中陣屋跡史跡公園があります。
その公園が荻野山中陣屋跡になります。

      20150509荻野山中陣屋跡18

小さいながらも数台の乗用車が停められる駐車場も完備されています。

駐車場に車を停めて、散策開始です。

こちらが、公園入口。

      20150509荻野山中陣屋跡17




公園に入って、すぐ目に留まる案内板。

      20150509荻野山中陣屋跡01



荻野山中陣屋の縄張り図もありますが、かなり薄くなっていて
正直、分かりにくい。

      20150509荻野山中陣屋跡02


      20150509荻野山中陣屋跡03



この辺りの旧荻野村域には、文化財が点在しているようで
ハイキングコースにもなっているようです。

      20150509荻野山中陣屋跡04



この辺りが陣屋の中心部。

縄張り図では『御殿』と記されている辺り。

      20150509荻野山中陣屋跡05



公園脇に民家が数件あり、民家の並びに鎮座する稲荷社。

稲荷社の脇には、厚木市教育委員会の建てた『荻野山中陣屋跡』の標柱。

      20150509荻野山中陣屋跡06


      20150509荻野山中陣屋跡07


この稲荷社は陣屋の鬼門にあたります。
裏を返せば、陣屋の鬼門の方角に稲荷社を配したと言う事になります。

      20150509荻野山中陣屋跡08


稲荷社の前(周辺)の土盛りは土塁のように見えなくもない。

      20150509荻野山中陣屋跡09


      20150509荻野山中陣屋跡10



稲荷社の前から眺める『御殿』。

      20150509荻野山中陣屋跡11



陣屋公園の説明板の裏には、地元の方が建立した『山中城址』の碑。

      20150509荻野山中陣屋跡12


山中城址と言えば、箱根(三島市)の山中城址と勘違いしてしまいそう(笑)。

      20150509荻野山中陣屋跡15



こちらの銅板には荻野山中藩について記されています。

      20150509荻野山中陣屋跡13



さらに城址碑の近くには、こんな祠もあります。

      20150509荻野山中陣屋跡14

この祠も陣屋に関連するものなのか?



      
陣屋跡は地下の遺跡を破壊せぬように、
発掘調査後に盛り土をして高台の公園として整備したらしい。

確かに、城址碑のある辺りから『御殿』辺りを眺めると
傾斜の付いた高台となっています。

      20150509荻野山中陣屋跡16


シロツメグサ(クローバー)の生える『御殿跡』。

      20150509荻野山中陣屋跡23




こちらは、『御殿』脇の『矢場』。

この矢場で矢の腕を磨き、武芸に精進していたのでしょう。

      20150509荻野山中陣屋跡19




縄張り図にあった『大手』方面へと向かいます。

民家と民家の間の狭い道を歩いて行くと、
土塁らしきモノが確認できちゃったりします。

      20150509荻野山中陣屋跡20


      20150509荻野山中陣屋跡21



こちらが、大手。

すなわち、この辺りに大手門があったと言うことです。

      20150509荻野山中陣屋跡22


大手からぐるっと東麓を廻れば良かったのですが
そのまま駐車場に戻ってしまいました。

東麓には往時から湧き出る清水があると言う。
もうちょっと情報を事前に整理してから訪れれば良かった。
ほんのちょっぴり後悔しています。



2015/05/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....................荻野小学校下分校跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。


烏山藩厚木役所跡をあとにして、向かった先は...............荻野小学校下分校跡



荻野小学校下分校は

明治20年 荻野小学校創立。
下荻野に分教場が開設され、下分校となる。
明治25年 荻野村立尋常高等荻野小学校下分校と改称。
大正12年 愛甲郡荻野尋常高等小学校下分校と改称。
昭和22年 荻野村立荻野小学校下分校と改称。
昭和31年 荻野村が厚木市に編入され、厚木市立荻野小学校下分校と改称。
昭和48年 新設される厚木市立三田小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


R246の妻田向市場から荻野新宿を抜けて公所海道でR412に合流する旧道、
その旧道沿いの荻野新宿の近くにこの石碑がありました。



      20150509荻野小学校下分校跡01


      20150509荻野小学校下分校跡02


      20150509荻野小学校下分校跡03



昭和48年まで、この地に荻野小学校下分校があったそうです。

今から42年も前のことです。

往時の状態が分からないから、何とも言えないし、
下分校の規模、大きさが分からないから、迂闊なことは言えないけれど
おそらく(?)マンションが建っている辺りまでが下分校だったのでしょう。


      20150509荻野小学校下分校跡04



この石碑(標柱)は、平成5年に建てられたモノのようです。

      20150509荻野小学校下分校跡05



この空き地は駐車場のようですが、何となく校庭っぽい雰囲気が残る。

      20150509荻野小学校下分校跡06


びいすけ の背後の木が、シンボルツリーだったのでは?

      20150509荻野小学校下分校跡07



こちら(石碑)側からのアングルだと、学校跡地の雰囲気は全くない。
勿論、学校遺構など全く残っていません。

      20150509荻野小学校下分校跡08



『荻野下分校跡』の碑がなければ、ここが分校跡地だとは誰も思いません。

      20150509荻野小学校下分校跡09

それほど住宅地と化しています。
やっぱり
マンションが建つと、ガラッと雰囲気が変わってしまうモノなんですね。


マンション脇、シンボルツリーを裏側から見てみると...............

      20150509荻野小学校下分校跡10

ただ、普通にマンションの風景。


まあ、忘れ去られないようにと
石碑が残されているだけでも良しとしよう..............................。






2015/05/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

烏山藩厚木役所跡 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

この日は神奈川県の厚木市に出かけました。

厚木市の本厚木駅(小田急線)近くにある烏山藩厚木役所跡に立ち寄ってみました。


下野国(現栃木県)烏山藩主大久保常春は、享保13年(1728)頃、
相模国内に点在する領地を治めるため厚木村に代官所を置きました。
現在の厚木神社北側の所で、通称「厚木陣屋」と呼ばれ、
役人たちが年貢の取立てや幕府から出された知らせを触れ回る仕事をしていました。

慶応3年(1867)、町内に起こった大火で厚木役所は類焼してしまいます。
再建された建物は間もなく明治維新を迎えることとなり、
新たに置かれた烏山県の出張役場となりました。
その後、府県の統廃合により役場は廃止となり、建物は厚木小学校の前身、成思館に供されたそうです。

さらにその後、この地には愛甲郡役所や厚木町役場などが置かれました。
市制施行後も厚木市役所の庁舎が置かれてきました。
市役所の建物がすべて現在地に移転した以降は、商店街の駐車場に使われていたしたが、
昭和62年(1987)、周辺の民有地を含めた市街地再開発事業により、
十六階建ての高層建築(マンション)が竣工されました。



こちらが、烏山藩厚木役所跡地。

      20150509烏山藩厚木役所跡05

本当に立派なマンションが建っていて、
とても江戸時代の役所跡には見えません。




こちらが、烏山藩厚木役所跡の碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡06



元々、この場所に建てられていたのか?
はたまた、マンション建設時に敷地内の隅に追いやられたのか?
マンションの敷地にはそぐわない碑です。

      20150509烏山藩厚木役所跡09



この碑は、根府川石でできており、高さ2.3m、幅1m、厚さ13cmあります。

      20150509烏山藩厚木役所跡10


      20150509烏山藩厚木役所跡08




碑の前に建つ標柱。

      20150509烏山藩厚木役所跡07

厚木市教育委員会が建てたモノですが、今や文字がかすれて
説明内容(解説)が今イチ読めません。

      20150509烏山藩厚木役所跡11




      
烏山藩厚木役所が厚木小学校の前身の成思館、愛甲郡役所、厚木町役所と変遷して
現在では、それらの遺構は全くありません。

近代的なマンションが建つ住宅地と化しています。      

      20150509烏山藩厚木役所跡12



隣接する厚木神社の方が却って、それらしい雰囲気が有ったりします。


こちらが隣接する厚木神社

      20150509烏山藩厚木役所跡01


烏山藩厚木役所跡を彷彿させる遺構はありませんが
由緒ある神社のようで、見所はこちらの方が有るような気がします。


境内に残る二つの石碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡02


右側がかつての鳥居。
関東大震災の時に崩壊した鳥居の一部で、
震災の怖ろしさを後世に伝えるために、石碑としたらしい。


左側は、厚木神社が明治6年に郷社となった記念に建てられたモノらしい。

      20150509烏山藩厚木役所跡03



こちらは、『あつぎお天王様の地』の碑。

      20150509烏山藩厚木役所跡04

 
平安時代より疫病除けの神様として牛頭天王が祀られ、
那須与一も眼病祈願をし、厚木のお天王様として親しまれた。
夏祭りはお盆とも重なり近郷近在より田植え後の老若男女が繰り出し、
露天や見世物小屋も掛かり、人の波で沸き、賑やかさを呈した。
現在は厚木神社と称し尊崇されている。 ( 碑の説明文の原文)



こちらが、厚木神社の拝殿。

      20150509烏山藩厚木役所跡13


      20150509烏山藩厚木役所跡14



厚木神社境内より、拝殿越しに見る烏山藩厚木役所跡。

      20150509烏山藩厚木役所跡15


やっぱり、マンションしか見えませんねぇ..............................。





2015/05/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して..........神奈川・厚木編 (2015年5月9日)(神奈川県厚木市) 

5月9日 公休日

数年前からハマっている丸ポスト探し。
昭和の香りの残る丸ポストを見かけると、
ホッとするのは何故なんだろうか?

神奈川県には114基の現役の丸ポストが現存しているようです。
(2015年4月30日 現在)



神奈川県の厚木市には5基の丸ポストがあると言うことで
丸ポスト探しにやってきました。


最初の丸ポストは..............................

小田急厚木駅近く(でもないかな?)、厚木町2丁目
愛信堂前の丸ポストのはずが..............................

      20150509厚木丸ポスト01


      20150509厚木丸ポスト02

なぜか撤去されていて 無い!

      20150509厚木丸ポスト03


見た感じ数年前に撤去された感じ。
と言うのも電線を地下埋設する際に歩道を掘り起こしているから
おそらく、そのときに撤去されたんでしょう。
おまけに、この日は土曜日で愛信堂さんは休みのようで
詳しく話も聞けなかった。
重ね重ね残念です。






気を取り直して次なる丸ポストを探します。

愛信堂のある厚木町からほど近い東町。
その東町の内山商店(酒店)前の丸ポスト。

      20150509厚木丸ポスト04


      20150509厚木丸ポスト06


      20150509厚木丸ポスト07


      20150509厚木丸ポスト05



私にとっては映えある、厚木市第1基目の丸ポストになりました。


続いて2基目の丸ポスト。
妻田西二丁目の天理教龍徳陽分教会前の丸ポスト。

      20150509厚木丸ポスト08


      20150509厚木丸ポスト09


      20150509厚木丸ポスト10


      20150509厚木丸ポスト11







続いての丸ポストは.
妻田西三丁目、理容フレンド前の丸ポストのはずでしたが...............

      20150509厚木丸ポスト14


こちらも既に撤去済み。
理容店も無くなっています。
3年前に家を建て替えた時に、丸ポストを撤去されたとのことでした。


      20150509厚木丸ポスト13




続いての丸ポストは、
妻田北二丁目のヤマザキショップ前の丸ポスト。

      20150509厚木丸ポスト15


      20150509厚木丸ポスト16


      20150509厚木丸ポスト17


      20150509厚木丸ポスト18



かなり塗装も傷んでいますが、
まだまだ現役で頑張っています。





これで厚木市の丸ポスト3基制覇。



神奈川県内には114基の丸ポストが現存していると言う

これまでに

松田町     1基
山北町     5基
相模原市    3基
愛川町     1基

そして本日、厚木市3基
合計13基の丸ポストに出会いました。

と言うことは、あと101基の丸ポストがどこかの街角に建っている。


う~ん、どんな街角に、どんな感じで建っているんだろう....?




2015/05/26 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宅急便が届きました (2015年5月3日) 

5月7日

5月3日から自宅のポストに入っていた宅配業者の不在通知。
連日配達に来てくれているようなのですが
仕事で留守にしていたり、休みの日は出かけたりと
ついつい宅配業者に連絡を取りそびれていました。

さすがに、数日も放置状態では申し訳ないので
職場の昼休みに宅配業者(佐川急便)に電話して
この日の夜、配送してもらう事にしました。

夜間配達は19時〜21時。
仕事から帰るのが20時頃なので、

『いつも帰りが20時頃なので、出来れば一番最後に配達に回って貰えますか?
贅沢を言えは、21時頃が一番理想です 。』


こんなお願いを電話応対のお姉さん(おばさんかも?)と言ったら
本当に21時に配達に来てくれました。
佐川急便、いつからこんなに融通が効くようになったの?(笑)。


届いた荷物がこちら

      20150507宅急便01




箱の中身は何だろう?

食べるモノかな?

びいすけ も気になるところです。






中身はこちら

      20150507宅急便02


      20150507宅急便03

フロントライン
6ヶ入が二箱。
すなわち、毎月使って1年分。



自然の多い公園や森、
はたまた山の中(森の中、時には藪の中)の城址に行く(連れまわされているとも言う)ことが多い びいすけ の必需品。
今月も5月2日に施していますが、残りが2本になったため、ネットでポチッと購入。



個装箱だと分からないようだけど
ピペットを見ると、尻尾を丸めて固まってしまう びいすけ 。

毎月15日が予定日だったのが、シャンプーをサボってしまい、
その影響で多少日にちがズレ、今は月初めとなっています。


でも、これでまた1年間、マダニやノミ対策がしっかり出来ます。



同封されていたオマケ

      20150507宅急便04

どうやら、散歩用のウンチバックのようです。




さぁ、フロントラインも入手したことだし、
今シーズンも山に森へと、自然の中でいっぱい遊ぶことにいたしましょう。




2015/05/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦..............................犬服編 その10 (2015年5月5日) 

5月5日 公休日

個人的な連休2日目。

前日は、君津市の城址巡り、廃校巡りをしてちょっぴり遠出をしたから
この日は、地元で大人しくしている予定でした。

元々、チョーカーか犬服を作ろうかと思っていたところに

『一緒に犬服作りませんか?』とダック家からのお誘い。

二つ返事で犬服作りと相成りました。



今回は、リメイク大作戦。

こちらのTシャツを びいすけ のタンクトップにリメイクしましょう。

      20150505犬服01


講師は、豆ミルクさん。

先生、よろしくお願いします。



前回作った、迷彩柄のタンクトップが若干、丈が短い気もするので
前回作成した型紙(トレーシングペーパー)を改造。

前身頃、後身頃をおのおの2cm伸ばし(継ぎ足し)ます。


継ぎ足ししたトレーシングペーパーで型取りします。


Tシャツを二つ折りにし、頃合いの良い箇所を見繕って
チャコで型取りします。

      20150505犬服07


まずは、前身頃。

マチ針でトレーシングペーパーを固定し、
リブ以外の縫い代を1cm付け足します。

      20150505犬服08


それでは、生地の裁断です。

      20150505犬服09



ローリングカッターをお借りして裁断します。

      20150505犬服10

このローリングカッター、すこぶる便利。
必需品かも?


続いて、後ろ身頃。

      20150505犬服11


この後ろ身頃がデザイン面でもあるから
リメイクの場合は、位置取りに気を付けます。

      20150505犬服12


前身頃と同じように、リブ以外の部分の縫い代を1cm取りながら
型をチャコで抜いて(型取りして)いきます。

      20150505犬服13


型取りは完了。

      20150505犬服14

前身頃と同じようにローリングカッターで切り抜きます。





無事、材料である生地取り完了。

      20150505犬服15



ロックミシンの登場です。


前身頃と後ろ身頃の縫い合わせ。

      20150505犬服16

(実際のロックミシン掛けは豆ミルクさんにやって貰いました。)



リブの長さを決めます。
実際の袖口の寸法の90%でリブの長さを決定。

      20150505犬服17


私がリブ生地からリブを切り抜き、
ロックミシンでリブの縫い付けは豆ミルクさんが担当し
チャキチャキと作業は進みます。

      20150505犬服18





出来上がったのが、こちら ↓

      20150505犬服02


      20150505犬服03



びいすけ に着せてみます。

      20150505犬服04

なかなか良いんでないかい?

      20150505犬服05


      20150505犬服06


やっぱり、縫い代もきっちりと1cm採寸し、(今までは適当に縫い代も採寸していました)
生地の『わ』と型紙の『わ』を合わせて裁断しているから
左右対称の生地を縫い合わせるから、精度も出るんだろうなぁ。

丈幅が、気持ち長い気もするけれど気にしない。

胴回りも、袖口の深さもちょうど良さそうです。

う〜む、タンクトップはこの型紙で問題なさそうです。
これでタンクトップの型紙は完成。
次回からは悩まずに済みそうです。

次回もタンクトップにチャレンジしようかな...............?

と、言いながらも、殆どのミシン掛けをして貰っちゃったから
自作とは言えないかな?
自分自身への自己弁護をすれば、型紙改造したし、
生地を裁断したし、リブ生地も裁断したし............。

30%以上は貢献したと思うんだけど...................?(笑)








2015/05/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................香木原小学校   (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市に出かけていました。


豊英大滝をあとにして、向かった先は...............君津市立香木原小学校




香木原小学校は、

明治7年に亀山の地に笹小学校・高水小学校・瀧原小学校が開校されます

明治8年 笹小学校香木原分校として設立される。
明治10年      笹・高水・瀧原の三校が合併し、亀山小学校と改称。
           亀山小学校香木原分校となる。
明治11年     亀山小学校より」笹・蔵玉の2校が分離し、
           香木原校は笹小学校香木原分校となる。
明治20年     笹小学校を合併して文淵小学校と改称
           香木原校は文淵小学校香木原分教場となる。
明治38年     香木原分教場が文淵小学校より分離独立し、香木原尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、亀山村立香木原小学校と改称。
昭和29年     亀山村が久留里町、松丘村と合併して上総町が発足
           上総町立香木原小学校と改称する。
昭和45年     上総町が君津町・小糸町・清和村・小櫃村とともに合併し、君津町が発足。
           君津町立香木原小学校と改称する
昭和46年     君津町が市制施行し、君津市となり、君津市立香木原小学校と改称。
昭和63年     君津市立坂畑小学校と合併し、廃校となる。


と、このような沿革となっています。 (君津市立坂畑小学校HPより引用し加筆しています)


明治の初めには香木原村と称していた君津市の山奥にある香木原集落。
その香木原集落を突き抜ける鴨川有料道路の料金所手前に香木原小学校跡はありました。

      20150504香木原小学校01

有料道路として整備された県道脇に、この避難場所指定の看板があります。


県道のバス停脇の広い所に車を停めて廃校跡を覗きます。

何やら、瓦礫の塊があります。

      20150504香木原小学校02



さらに近づいてみます。

      20150504香木原小学校03

完全な瓦礫の山。
まさか、東日本大震災の残骸?

あれから4年も経っているし、
ひょっとして..............................

      20150504香木原小学校04



そのひょっとしてが、的中みたいです。

明らかに香木原小学校の看板か何かの残骸。

      20150504香木原小学校08


どうやら、校舎は解体されてしまったようです。

瓦礫の新しさから、少なくてもこの1年以内に解体された感じです。



別なアングルからの瓦礫の山。

      20150504香木原小学校06



事前に調べていた情報では、
平屋鉄筋RC造りの校舎が残り、跡地記念碑が残っているとのことでしたが
校舎は見事に解体されています。



こちらは、校庭に残されたシンボルツリー?

      20150504香木原小学校05


  
もう一度、瓦礫の山を眺めてみましょう。
   

この煉瓦は校舎玄関の名残りなのだろうか?

      20150504香木原小学校07



そこに びいすけ を立たせてみますが、近くにはコンクリートの破片などがあって
肉球を傷付けたら大変!
     
      20150504香木原小学校09

速攻で瓦礫の山から抜け出しました。

廃校記念碑(跡地記念碑)を探しましたが見つかりません。



香木原小学校入口に建つ携帯電話基地局のアンテナ。

      20150504香木原小学校10

廃校となった昭和63年には無かったモノです。



こちらは、かつての校庭跡地なのだろうか?

      20150504香木原小学校11

それとも、小学校の敷地外?


この一画だけは、瓦礫もなく、
安心して びいすけ を徘徊させることも出来ます。

      20150504香木原小学校12


思えば、昨年の春、そして秋と近くまで来ていたのに...............
そして、当初はこの香木原小学校も訪れる予定だったのに
ついつい時間が足りなくなって、『次回にでも!』と先延ばしにしていました。

あの時、無理してでも足を伸ばしていたら
解体前の校舎と廃校記念碑が確認出来たかもしれなかった............。



ネットでいろいろ検索していたら
解体前の香木原小学校の画像が見つかりました。
( HEYANEKOの旅心のページ  よりお借りいたしました )

      香木原小学校

2008年9月の画像で、この時には平屋鉄筋RC造りの校舎が残り、
校舎前には「跡地記念碑」と記された石碑が建っていたそうです。

跡地記念碑もがれきの中に埋まっているんでしょうか..............?

本当に残念です...............。





2015/05/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

豊英大滝     (2015年5月4日)(千葉県君津市) 

5月4日 公休日

この日は君津市に出かけていました。

秋元城址をあとにして向かった先は..........豊英大


豊英大は.....................

深く削り込まれたU字谷の河床に段がつくられたもので、
幅は約20m、落差約7.5mと2.5mの2段式の構造をしており、
上段のは白糸を垂らしたように見え、
壷がちょうど水をためる広い窪みとなっており、
夏場には多くの家族が訪れ、の脇の斜面から窪みに飛び込んだり、
あるいは浮き輪を使って泳いだり、子供たちが自然を好きなように利用して遊ぶ姿が見られます。
そして落差のゆるやかな2段目のでは
滝の斜面と水流を利用した水上滑り台遊びをすることもできます。



この豊英大滝も辿りつくのに苦労しました。
何せ、地図にもナビにも載っていないので
ネットの情報で、清和県民の森のロッジ村の近くだと言う事を知り、
清和県民の森のロッジ村を目指します。


道に迷いながらも何とか、清和県民の森のロッジ村の駐車場に到着。

      20150504豊英大滝02


駐車場前にある周辺案内図を見ても、豊英大滝は載っていない。

      20150504豊英大滝01


      
この先、車で進んでも車を止められる場所があるかも分からない。
とりあえず、車を置いて週を歩いて探しましょう。

      20150504豊英大滝03


反対方向から来たハイカーの若いカップルに訊ねたら
この先(5分くらい先)に豊英大滝の看板(?)が有ると言う。

それを聞いたら、元気も出ます。

心なしか、 びいすけ のリードを引っ張る勢いも変わったような気がします。

      20150504豊英大滝21



しばらく歩けば、豊英大滝の説明看板が現れます。


      20150504豊英大滝04



どうやら、この『豊英大滝』も君津市が『二十一世紀への継承遺産』として
認定されている遺産の一つらしい。

      20150504豊英大滝05


県道(?)からは外れますが、豊英大滝へ向かいましょう。

      20150504豊英大滝06



山の中へ続く道、やがて下り道となり沢へと導いてくれます。

      20150504豊英大滝07


沢をしばらく遡上すれば、やがて豊英大滝が見えて来ます。

      20150504豊英大滝08


      20150504豊英大滝19



こちらが、二段目の滝。

      20150504豊英大滝09

確かに滑り台のようです。

     


そして、こちらが一段目の滝。

      20150504豊英大滝10





落差約7.5m。
数値的には大したことはないけれど、実際に近くで見るとそれなりの滝。
やっぱり直瀑だからかなぁ?

      20150504豊英大滝15




連休中と言うこともあって、家族連れが多い。
子供達が滝壺近くで水遊びをしています。

      20150504豊英大滝11


しばらく待っていましたが、家族連れは帰りそうな素振りもない。
せっかく来たのだから、記念写真。

フレームから子供を除くために撮影ポイントを移動。

浅瀬の中に足を突っ込むしかない。

      20150504豊英大滝12


足元の岩場は滑りやすいから、移動には気を使います。

      20150504豊英大13


      20150504豊英大滝14


      20150504豊英大滝16


      20150504豊英大滝17


      20150504豊英大滝18



出来るだけ人がフレーム内に入らないように構図を気にしながら撮っていると
滝の近くであそんでいる子供が滝壺に赤ん坊の頭ぐらいの石を投げて喜んでいる。 
さらに、隣に居た親も一緒になって投げ始めた。


さすがに、これにはキレた!  

本当は正面から、足の濡れない場所で写真を撮りたかったのに
こっちは気を使って、場所を移動して写真を撮っているのに...............

   
子供が来そうな連休に訪れる方が悪いのか?
正直、気分は良くない。


本当は、静かに滝の音を聞きながら
川の流れを眺めて居たかったのだが、
子供たちの騒ぐ声がうるさくて、早々に撤収といたしました。


滝の近くでは大人しかった びいすけ 。
水のない所にくると、いきなり元気。

フットワークも軽く、段差も飛ぶように越えて行きます。

      20150504豊英大滝20


駐車場へと向かう道。
我先とリードを引っ張り進みます。

      20150504豊英大滝21



君津市内にある滝の中では、それなりの落差と雰囲気をもつ豊英大滝ですが
単純に静寂な滝、滝本来のもつ渓谷をしっとりと味わうと言ったようなことは
ここでは求める事に無理がありそうです。
絶対に子供が水遊びをしない冬にこそ、訪れる滝のようです..............................。






2015/05/22 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit