FC2ブログ

01 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.» 03

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

しもふさ七福神④  《 楽満寺 恵比寿 》  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は成田市の『しもふさ七福神』巡りをしてきました。

『しもふさ七福神』は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が『しもふさ七福神』の御縁日です。

『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。



昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
『しもふさ七福神』の一つでした。

年が明けて2015年。
この日は『しもふさ七福神』の残り6福神を巡ることにいたしました。

常福寺をあとにして、向かった先は 
成田市中里にある 『しもふさ七福神』   楽満寺(恵比寿)



恵比寿は、七福神唯一の日本の神様で、
漁業・商売繁盛の神として信仰されています。



こちらが、楽満寺の入口。

      20150108しもふさ七福神楽満寺01

楽満寺は、臨在宗(妙心寺派)のお寺。
本尊は安産子育の如意輪観世音菩薩。春日作。
源頼朝、実朝の母堂の守り本尊といわれています。



こちらにも、常福寺にあったような説明看板が建っていました。

      20150108しもふさ七福神楽満寺02



そして、その横には『しもふさ七福神』の看板。

      20150108しもふさ七福神楽満寺03



そして、こちらが『しもふさ七福神』 恵比寿。

      20150108しもふさ七福神楽満寺04


      20150108しもふさ七福神楽満寺05


      20150108しもふさ七福神楽満寺06




七福神の先には、楽満寺の仁王門。

      20150108しもふさ七福神楽満寺07




仁王門脇の鐘楼

      20150108しもふさ七福神楽満寺08



そして、こちらが本堂。

      20150108しもふさ七福神楽満寺09



本道に掲げられた扁額

      20150108しもふさ七福神楽満寺10




ネットで、この楽満時のことを調べていたら
どうやら、この楽満寺は子宝に授かる寺らしい。

「子供が欲しいのでお茶碗を貸して」と言うと、
母親になる人(なった人)が飲んだ茶碗を貸してくれるそうです。
その茶碗で毎日お茶を飲むと授かるそうです。

要は、このお寺で子宝を授かるよう祈願をしてもらうと
茶碗を貸してくれるらしい。
その茶碗で毎日お茶を飲むと、子宝に授かるらしい。

そして子宝に授かったら茶碗を返しに行くわけですが
その時に新しい茶碗を一緒に収めるらしい。
その収めた茶碗を次なる祈願者に貸し出すといったシステムのようです。

なかなかユニークなお寺と言っていいのだろうか?

世の中知らなかったことも多いようです...................




スポンサーサイト



2015/02/01 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

名木城址  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

個人的な連休初日。

この日は『しもふさ七福神』巡りの傍ら、
成田市の城郭巡りもしてきました。


『しもふさ七福神』の常福寺から徒歩圏内にある
名木城址 へ立ち寄ってみました。



名木城は、築城時期等は定かではありませんが、
伝承によれば、城主は芝山弾正という者で、
天文21年(1551年)、久留間丹波守という者と戦って敗れ、
この地で死亡したと言うことです。
しかし、これらについての詳細は不明であり
一説によれば、神崎城、あるいは大須賀城の支城であった可能性もあるようです。



こちらが、名木城の縄張り図

      名木城址縄張り図

            ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )



常福寺前の細い道を南西に行けば、
やがて緩やかな下りとなり、八津を挟んだ対面に
地元では「城山」と呼ばれる台地があり、そちらが名木城址と言う事で
車で向かったら、いきなり圏央道の造成工事。


谷津を埋め、道路を建設中。

      20150108名木城址01


縄張り図の雰囲気とかなり違うため、詳しい場所がわからず
同じ道を何度も車で徘徊していました。

日向ぼっこをしていた地元の御老人に「城山」の場所を教えていただき、
何とか辿り着けました。

こちらが、登城路。
まさに、ギリギリの所を圏央道が走ることになります。

      20150108名木城址02



ちょうど、ブルドーザーの裏手の茂みの中にある祠。

      20150108名木城址03

余胡さんの縄張り図にも、この祠は記載されています。



登城路も工事用の重機で広げられ、
往事の面影はかなり薄れてしまっているようです。

      20150108名木城址04



こちらが、城内。
この辺りまで、工事用の車が入ってきたようで
轍の跡もくっきりと残っています。

      20150108名木城址05


虎口になるのか?
主郭下の帯曲輪手前の土塁。

      20150108名木城址06


かなり埋もれているが、帯曲輪の空堀。

      20150108名木城址07



こちらは、帯曲輪。

      20150108名木城址08



主郭に上がる道(主郭虎口)を探して、帯曲輪をぐるっと歩きます。

      20150108名木城址09



結局、帯曲輪から主郭へと続く導線を見つけられず、
主郭は断念することに..........

      20150108名木城址10



いっその事、 びいすけ を担いで、斜面を登っちゃおうか?とも考えましたが
今日はまだまだいっぱい巡る予定なので無理は禁物。

おとなしく撤退することにしました。


城山そのものが削り取られるような事や、城址が破壊されることは免れましたが
圏央道の工事現場に隣接し、ギリギリ残ったと言う感が強い。


城山(名木城址)が辛うじて残った事を
良し!とすることにしよう.............。



2015/02/01 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit