FC2ブログ

11 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

山木兼隆館跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。
今回は伊豆の国市旧・韮山町)を中心に色々と巡ってみました。


奈古谷分校をあとにして、向かった先は............

          山木兼隆館跡

山木 兼隆(やまき かねたか)は、
平安時代末期の武将。
平兼隆(たいら の かねたか)または、大掾兼隆(だいじょう かねたか)ともいう。
桓武平氏大掾氏の庶流和泉守・平信兼の子。

検非違使少尉(判官)だったが、父の訴えにより罪を得て(理由は不明)、
伊豆国山木郷に流される。
治承三年の政変の後、懇意があった伊豆知行国主・平時忠により伊豆国目代に任ぜられた。
そのために兼隆は伊豆で勢力を持つようになっていた。

治承4年(1180年)8月、頼朝は以仁王の令旨を受け挙兵、兼隆の館を急襲する。
三島大社の祭礼のために郎党の多くが留守だったため兼隆は満足に戦うことができず、
加藤景廉によって討たれた(山木館襲撃)。



実は、こちらに来るまで、この山木兼隆の事は全く知りませんでした。

源頼朝が少年期に伊豆に流され、伊豆で平家への反旗を翻し挙兵したのは知っていましたが、
その挙兵先が山木兼隆館だったんですね。


韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに場所を尋ねたら
『私有地だから中には入れないよ!』と言われましたが
それでま構わないと言って教えてもらいました。


教えてもらった通りに歩いて行くと
親切な案内板。

      20141125山木兼隆館跡01



どうやら、この辺りは『山木』と言う地名らしい。
消火ホースの収納箱にも大きく『山木』と記されています。

      20141125山木兼隆館02



程なく、次なる案内板。

      20141125山木兼隆館03



この先の台地一帯が山木兼隆館跡のようです。

      20141125山木兼隆館04

いつの間にか、ポツリポツリと冷たい雨が降ってきました。




こちらが、山木兼隆館跡。
完全な民家の敷地なので、中には入れません。

画面左側の木の下に石碑があるらしい。

      20141125山木兼隆館05



思いきりズーム(200mm)で寄ってみましたが
刻まれている文字、文面まで確認出来ませんでした。

      20141125山木兼隆館06



私有地のため、門から先へは入れません。

      20141125山木兼隆館07

それっぽい雰囲気の庭(?)のようです。



仕方がないので、石碑をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館08



民家の門をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館09

韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに
『行っても何もないから、つまらないよ!』とは言われていましたが
本当に何もない。

ただ、源頼朝が兵を挙げ、この地から平家との熱き戦いが始まったかと思うと
何か胸に来るものがある。

9月に伊豆に旅行に来た時に、湯河原町の頼朝の所縁の地を訪ねた。
この韮山の地にも幾つかの頼朝の所縁の地があるようだから
このあとが楽しみです..................。




スポンサーサイト



2014/12/13 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............韮山小学校奈古谷分校 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

世間で言う3連休の翌日。
11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。

今回の旅行は伊豆の国市の城址巡りを中心に、
廃校巡りに丸ポスト探しと計画していましたが
天気予報は雨。
宿の予約はしちゃってるから、キャンセルしたくないし、
雨が降ったら降ったで考えよう!

予定決行。
あさ、4時半に佐倉市の自宅を出て佐倉ICから
東関道〜京葉道路〜首都高〜東名高速と乗り継ぎ
沼津ICで降り下道で伊豆の国市を目指します。

伊豆の国市って馴染みが薄いけれど、
平成17年に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して出来た市です。

今回は旧・韮山町域を中心に色々と巡ってみました。


最初に訪れたのは..................

      旧・韮山町立 韮山小学校奈古谷分校


奈古谷分校は
詳しい沿革は不明ですが
明治6年に奈古谷に創設された名越舎がその始まりのようです。

明治25年     奈古谷尋常小学校として独立開校。
明治38年     龍城、共和、四区、奈古谷の尋常小学校四校と堀越高等小学校を併合し、
           韮山尋常小学校開設。
           韮山尋常小学校奈古谷分教場となる。
昭和22年     学校教育法施行により、静岡県田方郡韮山村立韮山小学校奈古谷分教場と改称。
昭和24年     韮山村立韮山小学校奈古谷分校と改称。 
昭和37年     町制施行により、静岡県田方郡韮山町が発足。
           韮山町立韮山小学校奈古谷分校と改称。
平成10年     本校に統合され廃校となる。

     と、このような沿革となっています。


こちらが、奈古谷分校。


車が必需品となった昨今。
こちらが普段の通用門となったようです。

      20141125奈古谷分校01


      20141125奈古谷分校02



廃校後、現在は地域の生涯学習センターとして活用されているようです。

      20141125奈古谷分校14



昭和59年に建てられた石碑。

      20141125奈古谷分校15

おそらく、最初は奈古谷分校の名が入っていたのだろうか?

鉄筋コンクリートの校舎が完成したのが昭和59年だから
新校舎完成の記念碑だったのかもしれません

明らかに後から付け替えた痕跡が残ってます。

      20141125奈古谷分校16



こちらが、古くからの校門。

当初はこちらが正門だったのでしょう。

      20141125奈古谷分校03



残念ながら表札は既に外されていて着いていません。

      20141125奈古谷分校04



校門から敷地内に入ってみます。

      20141125奈古谷分校05



こちらが、校庭。
現在は地域の少年野球のグランドとして利用されているようです。

      20141125奈古谷分校06




校庭から眺める校舎。

      20141125奈古谷分校07


      20141125奈古谷分校08



校庭の隅に立つ銀杏の樹が見事に色付いています。

      20141125奈古谷分校09



こちらは、校舎脇に立つ木。
この分校のシンボルツリーだったのでしょう。

      20141125奈古谷分校10




朝礼台。

      20141125奈古谷分校11



校舎の壁時計は健在。
しっかりと正確な時刻を刻んでいます。

      20141125奈古谷分校12



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

『一葉松址』の碑でした。

      20141125奈古谷分校13




こちらも別な通用口。
田舎の学校ってフェンスと門扉に囲まれるって言うことが少なく
割と出入りに融通が効くからイイよなぁ。

      20141125奈古谷分校17

かく言う私も田舎の小学校出身だから
放課後の小学校って子供の頃の遊び場だったんだなぁ。



分校の敷地に隣接する火の見櫓と消防倉庫。

      20141125奈古谷分校18



再び校庭に戻り、廃校記念碑、二ノ宮像をさがしたけれど
残念ながらありませんでした。


見事に色付いた銀杏の樹の前から
再び校舎を眺めてみます。

      20141125奈古谷分校19


      20141125奈古谷分校20


生憎の曇り空。
そして、この日の伊豆地方の降水確率は20%。

雨が降り出す前に次なる場所に移動しちゃいましょう............。


2014/12/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit