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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

不動滝 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。
今回は伊豆の国市(旧・韮山町)を中心に色々と巡ってみました。


韮山城址をあとにして、向かった先は..................不動滝


韮山の不動滝は
旧・韮山の市街地から富士見パークウェイを登り始めて
最初のヘアピンカーブの場所にある伊豆滝山不動の奥にあります。

落差は約18mあるそうですが、普段は水量の少ない細い滝です。



伊豆滝山不動は、文覚がこの場所で源頼朝に源氏再興の挙兵を勧めたと
伝えられていることから旗挙不動とも呼ばれています。
本堂(不動堂)には、源頼朝が文覚とともに祈願崇拝した不動明王(旗挙不動明王)が安置され、
奥の院の不動の滝は、源頼朝が源氏再興を祈願した滝といわれています。

ここにも源頼朝の所縁の地がありました。


不動の滝は、普段は水量が少ないらしいが、
雨後に行くと水量の多い豪快な滝を見ることが出来るということで
ちょっぴり期待しちゃいます。



ヘアピンカーブの空き地に車を停め、探索開始です。


こちらが、伊豆滝山不動の説明看板。

      20141125不動滝01


      20141125不動滝02



冠木門のようなゲートをくぐって、滝山不動へ向かいます。

      20141125不動滝03



手書きの案内看板。

      20141125不動滝04



こちらにも、頼朝の挙兵への経緯に触れています。

      20141125不動滝05



本堂(不動堂)までは、コンクリートの上り道。
苦もなく上がれますが、本堂から先は雰囲気がガラっと変わります。


岩がゴロゴロとした、狭い道。

      20141125不動滝06



その岩も苔生していて、折しもパラパラと降っている小雨で滑りやすい。

      20141125不動滝07




右手にビニール傘、左手に びいすけ のリード。
そして首には一眼レフをぶら下げ、滑らないように注意をして上がって行きます。

      20141125不動滝08



こんな道を上がって来ました。

      20141125不動滝09



そして、間もなく滝山不動奥の院に到着です。

      20141125不動滝10




こちらが、不動滝。

思った以上に水量が少ない。

      20141125不動滝11



流れ落ちる水が透明のため、よく見えない。

      20141125不動滝12



普通の滝のように白濁していると、分かりやすいんだけど............。

      20141125不動滝13



何となく、 びいすけ も物足りなさそうな顔をしています。

      20141125不動滝14


      20141125不動滝15



元々、水量は少ないとは知っていましたが
ここまで少ないとは..................

      20141125不動滝16



ポツリ、ポツリと雨が降っているから期待したのですが............

      20141125不動滝17

ちょっぴり、いや、かなり残念です。



こちらが、滝山不動奥の院。

      20141125不動滝18



奥の院には、江川家三十五代当主・江川英毅が奉納した大不動明王が安置されています。
三十六代当主・江川英龍が盗まれた不動明王を日本橋で発見し、
買い戻したという伝説が残されているそうです。

      20141125不動滝19




滝山不動奥の院の説明看板。

      20141125不動滝20



奥の院から不動滝を振り返ってみます。

      20141125不動滝21

鳥居と祠の先に滝があるのですが
やっぱり、水量不足による迫力不足は否めない。


ほんのちょっぴり(?)の残念感を味わいながら
滑りやすい道を細心の注意を払いながら、下っていくのでありました..................。



2014/12/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

韮山城址 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。

山木兼隆館跡をあとにして、向かった先は............韮山城址



韮山城(にらやまじょう)は、
伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった室町時代後期から
戦国時代にかけての日本の城。平山城。
15世紀末に北条早雲の関東経略の拠点として整備され、
後北条氏の関東支配後も伊豆支配の拠点としてその持ち城であったが、
天正18年(1590年)には豊臣秀吉による小田原征伐において激しい攻防戦を経験している。
龍城の異称を持つ。

築城年ははっきりしないが「北条五代記」によると文明年間(1469年~1486年)に
堀越公方足利政知の家臣、外山豊前守が城を造ったのが始まりとされている。
初めはあまり大規模なものではなく、
延徳5年(1491年)に堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼした伊勢盛時(北条早雲)によって
後北条氏の領有となり、同年から早雲によって後北条氏の本拠地として本格的に造営された。
早雲はここを拠点に伊豆の各拠点の支配を進め、後に相模に領土を広げた後も
小田原城に移ることなく、没するまでここを居城とした。

その後も小田原城を中心に関東を支配する後北条氏の重要拠点の一つとなり、
永禄末年には時の当主・北条氏康の四男・氏規が城主として入り、
伊豆支配の中心地とした。

しかし後北条氏は天正18年(1590年)の小田原征伐では、
ほぼ天下を統一していた豊臣秀吉の大幅な攻勢を受ける。
韮山城にも豊臣秀次の軍勢が迫ったために氏規は籠城して戦い、
北条方は総勢約3千6百、豊臣方は総勢約4万4千と伝えられる大きな戦力差のなかで
約百日間も持ちこたえたが、ついに開城した。

その後、関東に入った徳川家康の家臣内藤信成が居城としていたが
慶長6年(1601年)に転封され廃城となった。

( Wikipedia より引用 )



こちらが韮山城の縄張り図

      韮山城址縄張り図


         ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )




実は、小田原北条氏ファンの私と致しましては
その北条氏の始祖である北条早雲が一族繁栄の足掛かりとして
伊豆の拠点を支配する礎となった城と言うこともあって
兼ねてから訪れたい城址でありました。


韮山郷土資料館から歩いて進軍開始。
いざ!韮山城攻城の始まりです。

案内板がしっかり道案内をしてくれます。

      20141125韮山城址01



城池親水公園の先にある台地が目指す韮山城址です。

      20141125韮山城址02



折しも、天気は小雨。
晴れていればなぁ..................

      20141125韮山城址03



韮山城址に到着。

説明看板をしっかりと読み..................

      20141125韮山城址04



縄張り図を大まかに頭に叩きこみます。

      20141125韮山城址05



それでは、韮山城の攻略と参りましょう!

      20141125韮山城址06



こちらが登城口。
(権現曲輪北の堀切)

      20141125韮山城址07



三郭の虎口。

      20141125韮山城址08



見事に横矢が掛かり、枡形になっています。

      20141125韮山城址09



そして、目の前に現れる三郭の土塁。

      20141125韮山城址10


      20141125韮山城址12



三郭は韮山高校のテニスコートとなっています。

      20141125韮山城址11




三郭から権現曲輪に至る虎口。

      20141125韮山城址13



虎口の土塁もそれなりの高さがあり、見事!

      20141125韮山城址14



権現曲輪に鎮座する熊野神社。

      20141125韮山城址15



熊野神社の境内が権現曲輪。
正確には権現曲輪が熊野神社の境内になっています。

      20141125韮山城址16



石段の先の高台に本殿が鎮座しています。

      20141125韮山城址17



熊野神社の本殿。

      20141125韮山城址18



今は木々が茂っていますが、明らかに削平地と判る権現曲輪。

      20141125韮山城址19



こちらが、熊野神社の由緒が記された説明板。

      20141125韮山城址43


      20141125韮山城址46



権現曲輪と二郭を隔てる堀切。

      20141125韮山城址20



意外に大きい。

      20141125韮山城址21



そして、高さもあります。

      20141125韮山城址22



権現曲輪から二郭へと至る登城路。

      20141125韮山城址45


      20141125韮山城址23


      20141125韮山城址24



こちらが二郭。

      20141125韮山城址25


      20141125韮山城址26



二郭と主郭の間にある空堀に掛かる土橋。

      20141125韮山城址27


      20141125韮山城址28



この角度からの方が土橋らしく見えるかな?

      20141125韮山城址42



土橋から眺める韮山高校。

      20141125韮山城址29

この韮山高校が建っている辺りが、かつての奥座敷。
伝承によると、北条草雲の居館があったところであると言われていますが、
実際には地域支配のための役所などが置かれていたのではないかとも言われています。



そして、こちらが主郭。

余分な下草もしっかり刈られ、
無駄な木々も伐採され、きれいに管理されています。

      20141125韮山城址30


      20141125韮山城址31


      20141125韮山城址32





主郭から眺める韮山城址の紅葉。

      20141125韮山城址33


山城はやっぱり紅葉の時期に訪れるのが良い!



主郭に建つ案内板。

      20141125韮山城址34

この韮山城を守るための砦類と
この韮山城を攻め落とすために作られた陣城類。
それらが周辺に点在しているようです。

      20141125韮山城址35



主郭から更に尾根伝いに遺構は広がっています。

      20141125韮山城址36


      20141125韮山城址37



こちらが倉跡の虎口。

      20141125韮山城址38

一説には弾薬倉庫とも、またある説には塩倉庫とも言われています。



土塁もしっかり張り巡らせれています。

      20141125韮山城址39



虎口を反対側から見ると、こんな感じ。

      20141125韮山城址40



尾根の先端。
この辺りは櫓台だったのだろうか?

      20141125韮山城址41



小雨は止まず、顔にポツリ、ポツリと冷たいモノが当るけれど
傘なんかさしていたら韮山城址の良さが解らなくなってしまう。

紅葉の時期の色付いた木々が微かに雨に濡れ
何とも言えない艶っぽさを醸し出しているようです。

やっぱり山城攻城は秋に限ります。
紅葉の時期の韮山城址。
絵になります。

来年の晩秋に、また訪れることにしよう........................




2014/12/14 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

山木兼隆館跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。
今回は伊豆の国市旧・韮山町)を中心に色々と巡ってみました。


奈古谷分校をあとにして、向かった先は............

          山木兼隆館跡

山木 兼隆(やまき かねたか)は、
平安時代末期の武将。
平兼隆(たいら の かねたか)または、大掾兼隆(だいじょう かねたか)ともいう。
桓武平氏大掾氏の庶流和泉守・平信兼の子。

検非違使少尉(判官)だったが、父の訴えにより罪を得て(理由は不明)、
伊豆国山木郷に流される。
治承三年の政変の後、懇意があった伊豆知行国主・平時忠により伊豆国目代に任ぜられた。
そのために兼隆は伊豆で勢力を持つようになっていた。

治承4年(1180年)8月、頼朝は以仁王の令旨を受け挙兵、兼隆の館を急襲する。
三島大社の祭礼のために郎党の多くが留守だったため兼隆は満足に戦うことができず、
加藤景廉によって討たれた(山木館襲撃)。



実は、こちらに来るまで、この山木兼隆の事は全く知りませんでした。

源頼朝が少年期に伊豆に流され、伊豆で平家への反旗を翻し挙兵したのは知っていましたが、
その挙兵先が山木兼隆館だったんですね。


韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに場所を尋ねたら
『私有地だから中には入れないよ!』と言われましたが
それでま構わないと言って教えてもらいました。


教えてもらった通りに歩いて行くと
親切な案内板。

      20141125山木兼隆館跡01



どうやら、この辺りは『山木』と言う地名らしい。
消火ホースの収納箱にも大きく『山木』と記されています。

      20141125山木兼隆館02



程なく、次なる案内板。

      20141125山木兼隆館03



この先の台地一帯が山木兼隆館跡のようです。

      20141125山木兼隆館04

いつの間にか、ポツリポツリと冷たい雨が降ってきました。




こちらが、山木兼隆館跡。
完全な民家の敷地なので、中には入れません。

画面左側の木の下に石碑があるらしい。

      20141125山木兼隆館05



思いきりズーム(200mm)で寄ってみましたが
刻まれている文字、文面まで確認出来ませんでした。

      20141125山木兼隆館06



私有地のため、門から先へは入れません。

      20141125山木兼隆館07

それっぽい雰囲気の庭(?)のようです。



仕方がないので、石碑をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館08



民家の門をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館09

韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに
『行っても何もないから、つまらないよ!』とは言われていましたが
本当に何もない。

ただ、源頼朝が兵を挙げ、この地から平家との熱き戦いが始まったかと思うと
何か胸に来るものがある。

9月に伊豆に旅行に来た時に、湯河原町の頼朝の所縁の地を訪ねた。
この韮山の地にも幾つかの頼朝の所縁の地があるようだから
このあとが楽しみです..................。




2014/12/13 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............韮山小学校奈古谷分校 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

世間で言う3連休の翌日。
11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。

今回の旅行は伊豆の国市の城址巡りを中心に、
廃校巡りに丸ポスト探しと計画していましたが
天気予報は雨。
宿の予約はしちゃってるから、キャンセルしたくないし、
雨が降ったら降ったで考えよう!

予定決行。
あさ、4時半に佐倉市の自宅を出て佐倉ICから
東関道〜京葉道路〜首都高〜東名高速と乗り継ぎ
沼津ICで降り下道で伊豆の国市を目指します。

伊豆の国市って馴染みが薄いけれど、
平成17年に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して出来た市です。

今回は旧・韮山町域を中心に色々と巡ってみました。


最初に訪れたのは..................

      旧・韮山町立 韮山小学校奈古谷分校


奈古谷分校は
詳しい沿革は不明ですが
明治6年に奈古谷に創設された名越舎がその始まりのようです。

明治25年     奈古谷尋常小学校として独立開校。
明治38年     龍城、共和、四区、奈古谷の尋常小学校四校と堀越高等小学校を併合し、
           韮山尋常小学校開設。
           韮山尋常小学校奈古谷分教場となる。
昭和22年     学校教育法施行により、静岡県田方郡韮山村立韮山小学校奈古谷分教場と改称。
昭和24年     韮山村立韮山小学校奈古谷分校と改称。 
昭和37年     町制施行により、静岡県田方郡韮山町が発足。
           韮山町立韮山小学校奈古谷分校と改称。
平成10年     本校に統合され廃校となる。

     と、このような沿革となっています。


こちらが、奈古谷分校。


車が必需品となった昨今。
こちらが普段の通用門となったようです。

      20141125奈古谷分校01


      20141125奈古谷分校02



廃校後、現在は地域の生涯学習センターとして活用されているようです。

      20141125奈古谷分校14



昭和59年に建てられた石碑。

      20141125奈古谷分校15

おそらく、最初は奈古谷分校の名が入っていたのだろうか?

鉄筋コンクリートの校舎が完成したのが昭和59年だから
新校舎完成の記念碑だったのかもしれません

明らかに後から付け替えた痕跡が残ってます。

      20141125奈古谷分校16



こちらが、古くからの校門。

当初はこちらが正門だったのでしょう。

      20141125奈古谷分校03



残念ながら表札は既に外されていて着いていません。

      20141125奈古谷分校04



校門から敷地内に入ってみます。

      20141125奈古谷分校05



こちらが、校庭。
現在は地域の少年野球のグランドとして利用されているようです。

      20141125奈古谷分校06




校庭から眺める校舎。

      20141125奈古谷分校07


      20141125奈古谷分校08



校庭の隅に立つ銀杏の樹が見事に色付いています。

      20141125奈古谷分校09



こちらは、校舎脇に立つ木。
この分校のシンボルツリーだったのでしょう。

      20141125奈古谷分校10




朝礼台。

      20141125奈古谷分校11



校舎の壁時計は健在。
しっかりと正確な時刻を刻んでいます。

      20141125奈古谷分校12



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

『一葉松址』の碑でした。

      20141125奈古谷分校13




こちらも別な通用口。
田舎の学校ってフェンスと門扉に囲まれるって言うことが少なく
割と出入りに融通が効くからイイよなぁ。

      20141125奈古谷分校17

かく言う私も田舎の小学校出身だから
放課後の小学校って子供の頃の遊び場だったんだなぁ。



分校の敷地に隣接する火の見櫓と消防倉庫。

      20141125奈古谷分校18



再び校庭に戻り、廃校記念碑、二ノ宮像をさがしたけれど
残念ながらありませんでした。


見事に色付いた銀杏の樹の前から
再び校舎を眺めてみます。

      20141125奈古谷分校19


      20141125奈古谷分校20


生憎の曇り空。
そして、この日の伊豆地方の降水確率は20%。

雨が降り出す前に次なる場所に移動しちゃいましょう............。


2014/12/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

寝顔  (2014年11月22日) 

11月22日 公休日。

昨日(11月21日)は、朝早くから君津市に出かけて
夜に帰ってきました。

そして、この日は9時半ごろにはドッグラン。
激しく遊び回った訳ではないけれど
二日続けてのお出かけで、 びいすけ もちょっぴりお疲れモードかな?

ドッグランから戻り、特に予定もないので
午後のひと時に撮り溜めしていたドラマを観ていました。
いつの間にか、ソファからイビキが聞こえてきます。

      20141122寝顔01


      20141122寝顔02


シャッターの音で気付いたのか?
薄目を開けて、こっちを見ます。

      20141122寝顔03


『ゴメン! 起こしちゃった。』
『ねんこしててイイからね。』

その言葉で再び瞼が重くなってきたようです。

      20141122寝顔04



寝たかな?

      20141122寝顔05



しばらく、音を立てないように大人しくして
再び確認。

寝たかな?

      20141122寝顔06



どうやら、眠ったようです。


よ〜し、お菓子でも食べよう!

な〜んて思っていたら、再び瞼を開けた。

う〜む、やっぱり勘が鋭いなぁ(笑)。




しかし、じっくり寝顔を眺めていると
目の周りに白いものが増えた。

早いもので、もう5歳。
あっと言うまに5歳になってしまった。
長いようで短い。

でも顔の美白(?)化をみると、
着実にシニア犬の道を歩んでいるんだなぁ............。





2014/12/12 Fri. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北総花の丘公園ドッグラン (2014年11月22日)(千葉県印西市) 

11月22日 公休日

世間では11月22日〜24日まで3連休。
かく言う私は、昨日(11月21日)と今日の2連休。

1週間前の土曜日に北総のドッグランでノア君と遊んでもらい、
大満足して帰りました。
その興奮と言うか、充実感を再び味わいたくて、
9時ちょい前に自宅を出て向かった先は..................

北総花の丘公園ドッグラン



さすが、3連休。
初日だと言うのに、9時半過ぎに既に7〜8台の車が停まっている。

誰か知っているワンちゃんは来て居ないかな?
びいすけ と相性のいいワンちゃんは来て居ないかな?

期待を胸に駐車場からドッグランに急いで向かいます。


既にドッグランには小型犬を含めて10頭近く居ました。


いつものようにフェンス周りの匂い嗅ぎ。

      20141122北総ドッグラン01



そして、フェンス沿いに徘徊が始まります。

      20141122北総ドッグラン02


あっちに行ったり。

      20141122北総ドッグラン03



こっちに行ったり。

      20141122北総ドッグラン04



どうやら、この日は知っているワンちゃんはまだ来ていないようです。


何頭かは びいすけ に寄って来てくれるのですが、
びいすけ は余り興味が無いようです。

      20141122北総ドッグラン05


      20141122北総ドッグラン06


      20141122北総ドッグラン07



むしろワンちゃんよりも、飼い主さんが気になるようで
さり気なく飼い主さんに近寄って行きます。


あっちの飼い主さんに行ったり。

      20141122北総ドッグラン08



こっちの飼い主さんに行ったり。

      20141122北総ドッグラン09


      20141122北総ドッグラン22



膝元に擦り寄っては、他所の飼い主さんの気を引こうとしています。

      20141122北総ドッグラン10



ドッグランに来て、走ってもいないし、
誰かとワンプロをした訳でもないのに.......

疲れたのか?

      20141122北総ドッグラン11



どっこいしょ!っと腰をおろしてしまいました。

      20141122北総ドッグラン12



今日は、『まったりドッグラン』かな?

      20141122北総ドッグラン13




『びいすけ〜! こっちにおいで〜!』

呼びかけると、座り直してこっちにやって来ます。

      20141122北総ドッグラン14


      20141122北総ドッグラン17


こっちに来るかな?と思っていたら方向転換。

再び、徘徊モードになりました。

      20141122北総ドッグラン18


      20141122北総ドッグラン19




今日は余り気乗りがしない感満載。
いつもなら、喜び勇んで飛び乗るベンチにも
渋々上がっている感じ。

      20141122北総ドッグラン15


      20141122北総ドッグラン16



男は多くを語らないモノです。

気が付けばと言うか、いつの間にか びいすけ も5歳。
正確には5歳と丁度3ケ月。

人間に換算すれば、36歳〜40歳。


違いの解る年代になってきたのか?

背中が何かを物語っているのか?

      20141122北総ドッグラン20



多くを語りませんが、何かをこの背中は語っているようです。

      20141122北総ドッグラン21


近藤びいすけ。

背中に哀愁が漂う年頃になって来たようです。





2014/12/12 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............福野小学校   (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市に出かけていました。

蔵玉小学校をあとにして、
向かった先は............君津市立福野小学校


福野小学校は

明治14年     怒田村の福野地区に福野校設立。
明治33年     福野地区、白鳥村石塚地区にて共同して校舎建立。
明治34年     久留里町立福野尋常小学校として創立。
明治38年     市原郡白鳥村の児童の受け入れを委託される           
昭和22年     学制改革により久留里町立久留里第二小学校と改称。
昭和29年     久留里町・松丘村・亀山村と合併して上総町が発足
           上総町立久留里第二小学校と改称。         
昭和30年     上総町立福野小学校と改称。
昭和45年     上総町が君津町・小糸町・清和村・小櫃村とともに合併し、君津町が発足。
           君津町立福野小学校と改称。
平成14年     廃校となる

     と、このような沿革となっています。



こちらが、福野小学校。

      20141121福野小学校20



廃校から既に月日が流れ、校門のゲートは閉められています。

      20141121福野小学校21



閉まっているゲートを勝手に開ける訳にもいかないから
ぐるっと校舎の裏手に回ってみます。

      20141121福野小学校19


通りに面した正門は閉ざされていますが
田舎の小学校にありがちな、裏手にはフェンスもない。

そちら側から校内に入らせてもらいました。



綺麗な木造校舎です。

      20141121福野小学校04


      20141121福野小学校08




こちらは、保健室のようです。
やはり木造ですが、平屋の別棟になっています。

      20141121福野小学校05


      20141121福野小学校18





校庭の真ん中に立つシンボルツリー。
この木が子供たちの成長を見守ってきたのでしょうね。

      20141121福野小学校06


      20141121福野小学校11




こちらは資材倉庫が何かのようです。

      20141121福野小学校07






こちらが廃校の記念碑。

      20141121福野小学校01



沿革もしっかりと刻まれています。

      20141121福野小学校02


      20141121福野小学校03





校庭も広くなく、校舎も大きくない。
山奥の集落に似合った大きさの福野小学校。

とにかく、この木造校舎には
何故か私の心を捉えるさせるモノがあります。

      20141121福野小学校17



窓枠がサッシになり、ちょっぴり現代的な感覚もありますが
昭和35年に建てられた2階建ての木造校舎。

      20141121福野小学校16

地域に密着していた小学校だったから
地域の人々に大切にされていたから
こんなに綺麗の残されているんでしょう。



木造校舎を眺め、そして校舎前の芝生の校庭を徘徊する びいすけ を眺めていると、
しばし、時の流れを忘れてしまいそうです

      20141121福野小学校09


      20141121福野小学校10


      20141121福野小学校12


      20141121福野小学校13


      20141121福野小学校14



『よく学び よく遊べ』

もうこの福野小学校では、学ぶべき子供も、遊ぶべき子供もいません。

      20141121福野小学校15



廃校から、既に12年の月日が流れましたが
地元の方々に大切にされている福野小学校。

いつまでもこの美しさ(?)を残していって欲しいものです...................。。




2014/12/11 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.................蔵玉小学校   (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市に出かけていました。

亀山ダム・亀山湖をあとにして、
向かった先は............君津市立蔵玉小学校


蔵玉小学校は

明治11年     蔵玉村に亀山小学校分校として発足
明治15年     亀山小学校より分離独立して蔵玉小学校創立。
明治22年     蔵玉村が近隣の村々と合併し、、望陀郡亀山村が発足
明治30年     望陀郡が統合されて君津郡亀山村となる
明治39年     亀山尋常小学校と改称
昭和21年     亀山村立亀山第二小学校と改称
昭和29年     久留里町、松丘村と町村合併により上総町が発足。
           上総町率立蔵玉小学校と改称
昭和45年     上総町が君津町・小糸町・清和村・小櫃村とともに合併し、
           君津町が発足。
           君津町立蔵玉小学校と改称
昭和46年     市制施行により君津市立蔵玉小学校と改称
平成23年     君津市立坂畑小学校に統合され廃校となる。

      と、このような沿革となっています。



誰かのブログでこの学校の記事を読んだ時、
廃校後、民間企業の工場か何かになっていて、
校門も閉ざされて、中に入ることが出来ないと書かれていました。


たまたま、この日は校門のゲートが開いている。

      20141121蔵玉小学校0101



恐る恐る、中に入って声を掛けてみました。

      20141121蔵玉小学校30



体育館が木工所のようになっています。

      20141121蔵玉小学校29



現在は、日本ティンバーフレーム協会と言うNPO団体が借り受けているようです。

      20141121蔵玉小学校28

元来は樹齢50年以上の木材を利用した木造伝統工法を研究する
非営利団体NPO法人ですが、

『 過疎化の一途を辿る街にある廃校をリノベーションし、
地元農産物を活用したカフェを作りたい! 』

と活動されているようです。


たまたま作業をしていた代表者の方に許可を頂いて
蔵玉小学校を見学させて貰う事が出来ました。



校舎全景。

      20141121蔵玉小学校02



こちらは特別教室棟。
瓦屋根の木造校舎です。

      20141121蔵玉小学校03


別アングルにて

      20141121蔵玉小学校05



先ほどの体育館を背景に一枚。

      20141121蔵玉小学校07




こちらが、子供たちが学んだ校舎。
平屋建ての鉄筋造り。

      20141121蔵玉小学校08


      20141121蔵玉小学校09


校舎に近づいてみます。


こちらが正面玄関

      20141121蔵玉小学校27



玄関には学校名が掲げられています。

      20141121蔵玉小学校14



      20141121蔵玉小学校16




中庭にはみかん(?)の木。
実った果実は誰が収穫するのでしょうか............?

      20141121蔵玉小学校17




校舎の前には、廃校記念碑。

      20141121蔵玉小学校10



これが有るのと無いのでは、受ける印象も変わってきます。
地元に愛された学校の証しと言えるでしょう。

      20141121蔵玉小学校13



記念碑の裏面には蔵玉小学校の沿革も刻まれています

      20141121蔵玉小学校15



そして、二ノ宮像。

      20141121蔵玉小学校11


やはり、この二ノ宮像が残されているのといないのでは、
受け手側の印象も変わってきます。

      20141121蔵玉小学校12




本校舎と特別教室への渡り廊下

      20141121蔵玉小学校18


      20141121蔵玉小学校19


      20141121蔵玉小学校20


      20141121蔵玉小学校21





そして、こちらが校庭

      20141121蔵玉小学校22




校庭の一角には防災倉庫が置かれています。

      20141121蔵玉小学校25




現在使用しているNPO法人の資材倉庫と化しているのか?
校庭の一画は廃材(?)置き場。

      20141121蔵玉小学校26




こちらは残っている校庭の遊具類。

      20141121蔵玉小学校04


      20141121蔵玉小学校07


      20141121蔵玉小学校23


      20141121蔵玉小学校24




NPO法人の方とちょっぴり話ができましたが
facebookでもこの蔵玉小学校再生(?)の情報を発信しているらしい。

里山風景の広がる房総半島の中心部。
ちょっとした高台にあった蔵玉小学校。

『 過疎化の一途を辿る街にある廃校をリノベーションし、
地元農産物を活用したカフェを作りたい! 』
そんなNPO法人の目標が叶って、
いつの日か素敵なカフェが生まれることに期待いたしましょう.................








2014/12/10 Wed. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

亀山湖・亀山ダム (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市に出かけていました。

朝から久留里城址、向郷陣屋跡、千本城址、大戸城址、三本松陣屋跡と巡り
城址巡りもお腹いっぱい。
せっかく近くに来たのだからと少しぐらい観光して行こうと
立ち寄った先は.............亀山ダム(亀山湖)



亀山湖とは
小櫃川にある亀山ダムによって造られた人造湖(ダム湖)です。
亀山ダムは、小櫃川の上流に位置し、昭和46年から10年の歳月をかけて
昭和56年3月に完成した、千葉県で最初のそして最大の多目的ダムです。
毎年8月には亀山湖上祭が開催され、
夜の花火大会は特大の花火が空と湖面を彩る人気のイベントで、
毎年ダム前の堤頂道路をうめる程大勢の人で賑わうそうです。
また、秋には亀山オータムフェスティバルが開催され、
亀山湖周辺のハイキング大会や遊覧ボートでの湖上からの紅葉めぐり、
また1日限定で亀山ダム放流の見学会などが行われるそうです。



毎年、『紅葉の時期に来よう!』と思っていても
いつも計画倒れに終わってしまう亀山湖。

今年は何とか訪れる事ができました。


平日だから、駐車場も無料。
亀山ダム近くの駐車場に車を停め、散策開始です。


こちらが亀山ダム。

      20141121亀山湖・亀山ダム01


そして、亀山湖。

      20141121亀山湖・亀山ダム02


以前から来たかったと言いながらも、
はっきり言って周辺情報にはウトいので、
亀山観光案内所(やすらぎ館)前にある案内図をチエックです。

      20141121亀山湖・亀山ダム03




亀山観光案内所(やすらぎ館)前でダムの放流が見えました。
前日の雨で水位が上がってしまったのでしょうか?

      20141121亀山湖・亀山ダム04


      20141121亀山湖・亀山ダム05


      20141121亀山湖・亀山ダム06



12月7日まで、オータムフェスタが開催されているようです。

      20141121亀山湖・亀山ダム07


ダムの脇にて、標柱発見。

      20141121亀山湖・亀山ダム08


本日3ヶ目の見慣れた標柱。

二十一世紀への継承遺産 の標柱です。

      20141121亀山湖・亀山ダム09

こちらには、『亀山ダム・亀山湖』と記されています。

君津市には、この『二十一世紀への継承遺産』って幾つあるんだろうか?



せっかくだから、湖畔沿いの亀山湖畔公園(川俣地区)を散策してみましょう。

      20141121亀山湖・亀山ダム10


前日の雨とはうって変わり、この日は良い天気。

      20141121亀山湖・亀山ダム11



風もほとんど無く、波もなく静かな湖畔。

      20141121亀山湖・亀山ダム12


      20141121亀山湖・亀山ダム13


寒いかな?と、ちょっぴり厚着をしてきたから
額にうっすら汗が浮かんで来たりします。

      20141121亀山湖・亀山ダム14




長閑ぁ〜って言う表現がピッタリ。

      20141121亀山湖・亀山ダム15


      20141121亀山湖・亀山ダム16


      20141121亀山湖・亀山ダム17


      20141121亀山湖・亀山ダム18


      20141121亀山湖・亀山ダム19


      20141121亀山湖・亀山ダム20



亀山湖は秋の紅葉が有名ですが
船でしか見れない紅葉スポットも多いらしい。


しかし、紅葉にはまだちょっと早いのか?
木々の色付きが心なしか遅いような気もします。

      20141121亀山湖・亀山ダム21


      20141121亀山湖・亀山ダム22



右手方向に亀山湖を眺めながら、亀山湖畔公園を先に進みます。

      20141121亀山湖・亀山ダム23



芝生広場では、恒例の匂い嗅ぎ。

      20141121亀山湖・亀山ダム24


      20141121亀山湖・亀山ダム25



クンクンクン。
何かいい匂いでもするのかな?

      20141121亀山湖・亀山ダム26



朱色のアーチを描く「岩の上橋」

      20141121亀山湖・亀山ダム27




亀山湖畔公園の展望ベンチからの亀山湖。

      20141121亀山湖・亀山ダム28



正直言うと、亀山湖のイメージがかなり違っていた。
もっと身近に紅葉を感じられるのかなと思っていました。
もっと身近に深まった秋を感じ取れるのかなと思っていました。

紅葉を見るにはハイキングコースを探索しなければダメっぽい。
さすがに千本城址や大戸城址ですっ転びまくった老体には
頑張って紅葉探しのハイキングに向かう気力は失せておりました(笑)。


せっかく訪れた房総半島の中心部。
君津市の山奥(?)。

もう2ヶ所ほど寄り道をして、佐倉に帰ることにいたしましょう。



2014/12/10 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

三本松陣屋跡  (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市城址巡りに出かけました。

大戸城址をあとにして、向かった先は..................三本松陣屋跡


三本松陣屋は
1816年に武蔵川越城主であった松平大和守斉興が、
安房上総の2万石の飛び地の支配のために築いたものであります。
それ以前には、寛政期に築いた向郷陣屋を用いていたのですが、
5kmほど南にある台地上部の地に築き直したものであります。

陣屋跡は三本松公園となり、その中心部には陣屋跡を示す大きな石碑が建っています。



こちらが三本松陣屋の縄張り図

      三本松陣屋

                ( 余胡くんのHP よりお借りしました )


こちらが、三本松公園の入口。

立派な石造りの公園標が建っています。

      20141121三本松陣屋跡02



裏面には何やら刻まれています。

      20141121三本松陣屋跡01


松平大和守朝○候の功績を記念して建てたモノのようです。



そして、こちらが陣屋跡の碑。

      20141121三本松陣屋跡03



随分と立派な石碑です。

      20141121三本松陣屋跡04



では、公園内と言うか、陣屋跡を散策いたしましょう。

      20141121三本松陣屋跡05



とは、言っても事前情報では............

陣屋跡の碑が有るくらいで、
遺構らしい遺構は残されていないとの事です。

      20141121三本松陣屋跡06


台地最上部には四阿があり、説明板も建っています。

      20141121三本松陣屋跡07



三本松陣屋って言うよりも、三本松公園について触れられています。

      20141121三本松陣屋跡08

「三本松」という地名の由来は、
天武元年(672年)壬申の乱に敗れた大友皇子が上総の国に逃れた時、
「松は千年の時を保つものなり」として」「小松三本植うべし」と命じたことから
三本松と呼ばれるようになったと伝えられています。 



二十一世紀への継承遺産 三本松公園

と、標柱には記されています。

      20141121三本松陣屋跡09

どうやら君津市にとっては、陣屋跡として残すよりも
三本松公園として残していきたいようですね。




色んな匂いが漂うのか?
やたらと匂いが気になる びいすけ 。

      20141121三本松陣屋跡10



そう言えば、毎年落ち葉の季節になると
枯れ落ち葉をクンクンと匂い嗅ぎまくってます。


もう少し、園内を散策してみましょう。

      20141121三本松陣屋跡11



三本松の地名の由来となったのは、この松なのだろうか?

      20141121三本松陣屋跡12

さすがに、672年(今から1942年前)の松の木じゃないでしよう。
とても樹齢1942年には見えません。
って言うか、そもそも松の寿命ってそんなに持たないし............。



落ち葉の積もる遊歩道。
紅葉って言えるモミジや楓は無かったけれど
枯れ落ち葉をカサカサ音を立てて歩いたり。

      20141121三本松陣屋跡13


クンクンと匂いを嗅いで歩いたり。

      20141121三本松陣屋跡14


      20141121三本松陣屋跡15


びいすけ にとっては心地良い場所なのかもしれない。

      20141121三本松陣屋跡16


紅葉って言えるモミジや楓は無かったけれど
銀杏の葉っぱが良い感じで色付いて来ています。

      20141121三本松陣屋跡17


まさに、秋深し。
三本松陣屋跡の秋深しと言ったところでしょうか..................?




★補足

陣屋跡の石碑まで建っているのだから、
てっきり公園が陣屋跡だと思っていました。
(事実、君津市のHPでも三本松公園の記事にそれらしい事が記載されています。)

しかし、帰ってきてから、ネットで色々と調べていると
どうやら公園前の道を挟んだ民家が立ち並ぶ辺り一帯が三本松陣屋跡らしい。

事前に情報をチエックしていたつもりだったんだけど............

でも石碑があったし、確認出来たし..................
これで良かったことにしておこう............。


2014/12/09 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大戸城址  (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市城址巡りに出かけました。

千本城址をあとにして、向かった先は..................大戸城址


大戸城は、
築城時期は不明であり、伝承では里見氏の里見義実の築城とされているが、
史実では同氏の天文年間の内紛(天文の内訌)の際に
安房国を追われた当主・里見義豊が、上総国の有力領主である真里谷信清(武田恕鑑)から
滞在先としてこの城を提供されて反抗の拠点にしている事から、
真里谷氏を含めた上総武田氏あるいはその以前の領主によるものと考えるのが
近年の考え方である。

小田原征伐の後、里見氏は豊臣秀吉によって上総を召し上げられたために廃城となる。

( Wikipediaから引用 )



こちらが大戸城の縄張り図

     大戸城縄張り図

                ( 余胡くんのHP よりお借りしました )



この大戸城址に辿り着くのに迷いました。

メジャーな城郭でもないし、観光地でもない。
おまけに人が居そうもない地区にあるため、訪ねようにも人に出会わない(笑)。

周辺を車でぐるぐると回り、それらしい場所にやっと辿り着きました。

      20141121大戸城址15

この落石注意の看板の奥が登城口です。


この時は、まだ此処が大戸城址か否か?
確信が無かったため、半信半疑状態でした。

とりあえず............

いざ、参らん!
大戸城址の攻略開始です。

      20141121大戸城址01



登城路を上って間も無く、土塁が現れます。

      20141121大戸城址02

以前、どこかのサイトでこの土塁を見た覚えがある。
此処が大戸城址であることを確信しました。


さらに、登城路を進みます。

行く手を遮る倒木。

      20141121大戸城址03


さらに、先にも倒木。

      20141121大戸城址04

まるで、私と びいすけ の攻城を拒んでいるかのようです。


やがて、道は八津へと下る道となり
主郭方面から離れてしまいます。

仕方ないから一度戻り、適当な道なき斜面を登っていきます。

前日の雨と元来の粘土質が混じった土で滑りやすくなっています。
足元に注意を払いながら、何とか主郭の台地頂部に到着。

      20141121大戸城址05



こちらは、空堀跡のように見えなくもない。

      20141121大戸城址06



主郭先端部には祠が祀られています。

      20141121大戸城址09


      20141121大戸城址07


      20141121大戸城址08



さらに、その先にも別な祠。

      20141121大戸城址10



そして、その近くには空堀跡。

      20141121大戸城址11


そして、その先は主郭先端部。
おそらく、櫓台跡でしょう。

      20141121大戸城址12



今は、周りに木が茂り眺望は臨めないが
かつては、この場所から敵の侵略とかを確認していたのでしょう。

      20141121大戸城址13



さて、主郭から下っていくのが大変。
道なき斜面を上がって来たから
道なき斜面を下っていくしかありません。

      20141121大戸城址14


細心(?)の注意を払っていたものの
結局、こちらでも2度滑って転びました。

たたでさえ汚れていたズボンがさらに黒く汚れたのは言うまでもありません。


天気がいいからって、山城を舐めちゃいけませんね........................




2014/12/08 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

千本城址  (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市城址巡りに出かけました。

向郷陣屋跡をあとにして、向かった先は..................

          千本城址



千本城とは、
築城時期等詳細は不明ですが一説によれば............

里見義尭が久留理城に居城を移した天文16年(1547)頃に、
久留里城の南の防御を目的に支城として築いたとも言われています。

この千本城は里見氏の武将東平安芸守が守り、
その娘か足利義明の娘が里見義弘の男子:梅王丸を生んだようですが、定かではありません。

里見義弘は晩年に安房・岡本城の里見義頼とは不仲であり、
その原因が家督継承にありました。
義頼は里見義尭の子でありましたが、嫡子に恵まれなかった長兄・義弘の養子になっていましたが、
しかし、その義弘に実子である梅王丸が生まれてしまいました。
天正6年(1578)、義弘が没したため、義頼と梅王丸の間で後継者争いが起きました。

義弘は生前、自身の死後は安房国を義頼に与え、
上総国を嫡男・梅王丸(のちの義重)に与えることを約していたが、
この分割相続を義頼は不満に思い、
義弘と義頼の仲は次第に険悪になっていったと言われています。

義弘の死後、梅王丸を担ぐ上総勢力(大多喜城主・正木憲時、造海城主・正木淡路守時盛ら)と義頼は対立し、
天正8年、義頼は東平氏らの拠る千本城・久留理城を始め、造海城も陥落させています。

梅王丸は岡本城で出家させられ淳泰と号し、
梅王丸の母と妹は琵琶首館に幽閉されました。

天正十八(1590)年の小田原の役の際、里見氏は小田原の参陣に遅れ、
豊臣秀吉によって上総を召し上げられたため、千本城も廃城となりました。




こちらが、千本城の縄張り図

千本j城縄張り図

( 余胡くんのhp よりお借りしました )





R410を久留里方面から鴨川方面に車を走らせていると、
国道沿いに、こんな案内板が建っています。

      20141121千本城址01



国道沿いに建つ城址入口の碑。

      20141121千本城址02

城址の碑は良く見かけるけれど、城址入口の碑って初めてかも?




この先(奥)が千本城址。

      20141121千本城址03

狭い道だから、(この先はもっと狭くなります。)
車では入れません。
国道沿いの空き地に車を停めて、いざ攻城です!



民家の間を歩いて行きます。

      20141121千本城址04


狭い道がさらに狭くなります。

      20141121千本城址05



やがて、山へと続いていく道。
その道が荒れてくるのが、分かります。


北野神社と書かれた木製の看板が目印。

      20141121千本城址06

ここから山に入って行きます。

とは言うものの、北野神社へ向かう参道を歩きます。


いきなり、 横穴。
上総地区でよく見かける墓穴なのだろうか?

      20141121千本城址07



千本城址は、さらに先。

ここで二又に道は別れています。
左が男坂、右が女坂。

      20141121千本城址08



とりあえず、男坂から登城します。

      20141121千本城址09


男坂は北野神社の参道になっているから
適度に整備され、ほとんど苦もなく上って行けます。
裏を返せば、遺構らしきモノも無く、面白味に欠けます。

ここが男坂と女坂の合流点。

      20141121千本城址10


眼下には大きな堀切があります。
(女坂を上がって来ると堀切の先に男坂がある。)

      20141121千本城址11



こちらが、主郭虎口。

      20141121千本城址12



主郭には北野神社が鎮座しています。

北野神社の由緒が記された石碑。

      20141121千本城址13

こちらの石碑にも、千本城について少しだけ触れています。



こちらが北野神社。

      20141121千本城址14



鳥居の神額。

      20141121千本城址15



そして、拝殿。

      20141121千本城址16


北野神社の本殿裏に広がる主郭。
思った以上に広い。

      20141121千本城址17


      20141121千本城址19



主郭北側の腰曲輪。

      20141121千本城址18


腰曲輪の先にも行けそうですが、縄張り図を持って来るのを忘れてしまったため
無理はせず、引き返しました。



別アングルの主郭虎口。

      20141121千本城址20




帰り道は、女坂から下りる事にしました。
(それが失敗だったとは、この時は知る由もありませんでした。)

女坂に入ってすぐの堀切。

      20141121千本城址21


間近で見ると、それなりの規模。

      20141121千本城址22



さらに女坂を下って行きますが、普段から人が全く通らない道だから
どこが女坂なのか分からなくなってしまい、
いつの間にか、行き止まり。
どうやら道を間違えたと言うか、へんな処に入りこんでしまったようです。

とりあえず、下に向かって斜面を下りていきますが、
前日の雨で地面は多少濡れている。
粘土質の土だから、滑らないように気をつけて居ましたが..................

思い切り滑って転んでしまいました。

右手に びいすけ のリード、
首には一眼レフをぶら下げ、
左肩は8月末から調子悪い。

一瞬の出来事だったから、手を着くことも出来ず
ズボンは泥だらけ............

仕方ないから、女坂は諦め男坂に戻ることにしたものの
戻る途中で再びすっ転んでしまいました。


散々な思いで、男坂を利用して、女坂の分岐点まで下って来ました。

こちらが、男坂の入口

      20141121千本城址28


そして、こちらが女坂の入口

      20141121千本城址27


やけに女坂にこだわっているように見えますが、
実は、女坂を上がる途中に大きな堀切があり
それが千本城址の一番の見所らしい。


意を決して、女坂を上がって行きます。

      20141121千本城址26



そして、大堀切に到着。

      20141121千本城址23


さすがに、でかい!

      20141121千本城址24



高さが20m近くあります。
びいすけ も見上げる程です(笑)。

      20141121千本城址25



2回も、すっ転んで散々な思いをした千本城址ですが
この大堀切を見ることが出来たから『良し』といたしましょう。

もう、滑って転ぶのも嫌だから大堀切を上って越えることはせず、
潔く来た道を戻り撤退。
駐車場(空き地に路駐?)に戻ることにいたしましょう............。




2014/12/07 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

向郷陣屋跡  (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、君津市城址巡りに出かけました。

久留里城址をあとにして、向かった先は..................

向郷陣屋跡


向郷陣屋は、久留里城址の西方約2kmの場所にあり、
武蔵川越城主・松平斉典が築いた陣屋であります。
この辺り一帯は、延宝7年(1679)に、久留里藩主土屋氏が領地を没収されると、
上野前橋藩主酒井氏の領地となりました。


さらに時は下り、寛延2年(1749)武蔵川越藩主松平氏の領地となると、
文政10年(1827)安房・上総国にある分領約2万石を支配するために、
酒井氏以来、望陀郡向郷(現君津市向郷)に置かれていた向郷陣屋を三本松に移しました。



こちらが向郷陣屋の縄張り図

      向郷陣屋跡

             ( 余胡くんのHP  よりお借りしました )


こちらが、向郷陣屋跡。

      20141121向郷陣屋跡01



遺構は殆ど残されていなくて、案内板や石碑等の
かつての陣屋跡を示すものは全く残されていません。


いつも城址巡りにの際に参考にさせて頂いているサイト 余胡くんのHP を
じっくり眺め、比定地を探しました。

      20141121向郷陣屋跡02



一面の田圃。
陣屋の面影は全くありません。

      20141121向郷陣屋跡03



びいすけ の背後の土塁のような土壇がちょっぴり気になります。

      20141121向郷陣屋跡04


      20141121向郷陣屋跡05




土壇の近くに寄ってみます。

城塁のように見えなくもない田圃の端。

      20141121向郷陣屋跡06


すぐ側に民家が建ち、すっかり改変されているようです。


土壇は民家の敷地の一部のようで、中には入れません。
塚か何かでしょうか?

      20141121向郷陣屋跡07



田圃の反対側も城塁のように見えます。

      20141121向郷陣屋跡08


      20141121向郷陣屋跡09



そして、その城塁(?)の上には削平地。

      20141121向郷陣屋跡10



かつて、この地を支配していた里見氏と幾度となく戦に挑んだ小田原北条氏。
久留里城と対時するこの地・向郷に陣城を築き、久留里城を攻めていました。
久留里城の里見氏の籠城作戦に手をこまねき、攻略仕切れずに終わってしまいました。

そのときの北条氏の向郷陣屋とは別物か否かは不明ですが
田圃に改変し、かつてこの地に陣屋があったことさえ
この平成の時代には、もう分からなくなってきています。

この久留里周辺は歴史のある地だけに、ちょっぴり残念だなぁ..................。



2014/12/06 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

久留里城址  (2014年11月21日)(千葉県君津市) 

11月21日 公休日

この日は、千葉県君津市城址巡りへと出かけました。

君津市の代表的な城郭といえば..........久留里城址



久留里城は、別名、雨城・霧降城・浦田城とも呼ばれています。

平将門の三男頼胤が築城したという伝説もあるが定かではない。

上総武田氏の祖となった武田信長が康正元年(1455年)に上総国守護代に任ぜられ、
翌康正2年(1456年)に築城したといわれるのが史実に基づく最初の築城である。
戦国時代には、武田氏が戦乱や内紛により弱体化した機に乗じて、
里見氏がこれを抑えた(里見成義がここを開城させたとも、
里見義堯が武田一族であった前城主武田真勝に城を譲らせたともいう)。

天文4年(1535年)里見義堯はこの地を本拠とし、
改めて古久留里城(上の城)の下に新たに現在の城地に久留里城を築いた。
(ただし、年代に異説あり)。
永禄7年(1564年)年、北条軍の上総侵攻により城は一時陥落した。
その後、再び里見氏が奪還した。

天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に、
里見義康は参陣を命じられたが従わず、秀吉の不興を買い安房一国の領有はゆるされたが、
上総の所領を没収された。
この年に徳川家康が関東に入封し久留里城には松平(大須賀)忠政が3万石を与えられ入城した。
忠政は城下町整備に尽力し後の基盤が出来上がった。

その後、江戸時代には久留里藩の藩庁となった。
慶長6年(1601年)松平(大須賀)忠政が関ヶ原の戦いの功により3万石加増の上、
駿河国横須賀城に転封となった。
代わって土屋忠直が2万石で入城した。
土屋氏は延宝7年(1679年)改易となり廃藩、一時廃城となった。
寛保2年(1742年)上野国沼田城より譜代大名の黒田直純が3万石で入城し再び立藩した。
黒田氏は明治維新まで居城し、
明治5年(1872年)廃城令により久留里城の歴史は終わった。

(Wikipedia より引用)




こちらが、久留里城の縄張り図。

      久留里城縄張り図


             ( 余胡くんのHP よりお借りしました。)





何度かR410を走り、久留里城址の案内板を見ながら素通りしたことがありますが
本日のメインは久留里城址。
朝、6:00前に佐倉の自宅を出て、通勤渋滞のR16を走り
市原市姉崎より久留里街道を走ります。

8:30分すぎに久留里城址に到着。
駐車場に車を停めて、攻城開始です。


本来であれば、駐車場から舗装整備された遊歩道を歩けば
二郭(二の丸)跡である久留里城資料館や主郭(本丸)である復刻天守閣に行けますが
それじゃつまらない。
あえて、一度下ってトンネル脇の旧道から登城します。

      20141121久留里城址01



この先が二の丸へと続く旧登城路。

      20141121久留里城址02



程なく登れば、城山神明社。

      20141121久留里城址03

江戸時代に黒田氏がこの地に封じられると、
廃城になっていた久留里城は新藩主黒田直純の手で再普請され、
城山神明社は落成の1745年、城の鬼門封じとして黒田氏によって勧請されました。

      20141121久留里城址04


      20141121久留里城址05


      20141121久留里城址06



こちらの神明社には、狛犬が二組ありました。

      20141121久留里城址07



こちらの狛犬は洋犬のように見えます。
ラブラドール?
垂れ耳が狛犬っぽくない。

      20141121久留里城址08



こちらは、一般的な狛犬。

      20141121久留里城址09




神明社からさらに旧道を上り、二の丸を目指します。

      20141121久留里城址10


帰って来てから、ネットで色々調べていたら
どうやら神明社の裏手から尾根に上がり二の丸とは逆方向に進めば
上総武田氏が築いた久留里古城に向かうらしい。

そちらは、いずれかの機会に訪れることにいたしましょう。



旧道を歩いて(上って)行くと、やがて虎口っぽい場所に出ます。
この辺りは、観光で久留里城に来る人たちはほとんど通らない。
本来の周遊路じゃないから、ヘタに整備されていなくて
城址らしい雰囲気が満載。

      20141121久留里城址11


      20141121久留里城址12




こちらが、火薬庫跡。

      20141121久留里城址13



それなりの広さを持った郭です。

      20141121久留里城址14



大きな堀切。
見事です。

      20141121久留里城址15



墓か何かでしょうか?
上総地区には、こんな横穴が多い。

      20141121久留里城址16




やがて、旧道(登城路)は尾根伝いに歩く形になります。

      20141121久留里城址17



狭い尾根伝いの旧道。
一応フェンスがあるから安心ですが、両脇はそれなりの絶壁。

      20141121久留里城址18



やがて、尾根に削平地が現れました。

      20141121久留里城址19



こちらが、お玉が池。

      20141121久留里城址20


久留里城は、それなりの比高を持つ山城ですが
湧き水が多く、このお玉が池以外にも井戸があったりして
水には困らず、長期の籠城も可能とされていたようです。



お玉が池の近くには、久留里城を詠った歌碑が幾つも建てられています。

      20141121久留里城址21


      20141121久留里城址22


      20141121久留里城址23



こちらが、二の丸の虎口。

      20141121久留里城址24



虎口の側にも歌碑が建ちます。

      20141121久留里城址25




二の丸から突き出るように設けられた薬師曲輪。

      20141121久留里城址36


      20141121久留里城址37

この薬師曲輪がちょっとした展望台になっていて、眺望は素晴らしい。



眼下に広がる、久留里城の三の丸。

      20141121久留里城址26



三の丸全体はこんな感じ。

      20141121久留里城址27



こちらは、内堀跡。

      20141121久留里城址28


      20141121久留里城址29




こちらは、三の丸御殿跡。

      20141121久留里城址30




こちらは、大手門跡。

      20141121久留里城址31




こちらは、久留里妙見。

      20141121久留里城址32


こちらは、里見・北条古戦場跡。

      20141121久留里城址33



そして、こちらが戸張門跡。

      20141121久留里城址34




薬師曲輪には、久留里城主里見氏と北条氏との合戦の歴史を綴った石碑が建てられています。

      20141121久留里城址35



二の丸の一画に建てられた新井白石の像。

      20141121久留里城址38

儒学者であり、一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として
御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、
正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った新井白石は
18歳〜21歳までの青年期をこの地で過ごしたそうです。

      20141121久留里城址39




二の丸長屋塀跡。

      20141121久留里城址40


復元された長屋塀ですが、ちょうど見頃となった紅葉とのコントラストが映えて
やけに印象的でした。

      20141121久留里城址41




二の丸跡には、久留里城資料館が建っています。

      20141121久留里城址42



こちらが資料館。
入場は無料だけど、犬は入れません(笑)。
仕方ないので、今回は諦めました(涙)。

      20141121久留里城址43



三の丸から二の丸脇へと続く登城路。

      20141121久留里城址44


元々観光客用の道ではないので、整備されておらず
一部崩落しているらしくて(?)、現在は通行止め。

      20141121久留里城址45




二の丸から更に上って、本丸へと目指します。



こちらは、天神曲輪。

      20141121久留里城址46

天神曲輪の奥から、本丸裏手をぐるっと回って駐車場へと下る道があるようだから
帰りはそちらを通りましょう。


本丸手前の井戸。
手前が男井戸。
奥が女井戸。

      20141121久留里城址47



逆側からのアングル。
手前が女井戸。
奥が男井戸。

      20141121久留里城址48

本丸近くだけど、枯れることのない井戸。

この井戸のお陰で、北条氏の攻撃にも籠城出来た訳です。




こちらは波多野曲輪。

本丸直下の郭です。

      20141121久留里城址49

尾根沿いに展開する久留里城には、こう言った腰曲輪が多い。



やっと本丸に到着。
復刻天守閣が待ち受けています。

      20141121久留里城址50



天守閣の脇の紅葉も見事に色付いています。

      20141121久留里城址51




そして天守閣の脇には、説明看板と標柱。

      20141121久留里城址52


      20141121久留里城址53


      20141121久留里城址54

二十一世紀への継承遺産。
なんて素敵なフレーズでしょう。

確かに、残して欲しいなぁ。



本丸奥の一段高い土壇から、本丸を眺めます。

      20141121久留里城址55



そして、こちらが本来の天守土台。

      20141121久留里城址56

即ち、元々はこの位置に天守閣が建っていたことになります。




こちらは、本丸北下の弥陀曲輪。

      20141121久留里城址57


      20141121久留里城址58

この曲輪の下は垂直崖。
落ちたら、ひとたまりもありません。




天神曲輪に戻り、林間の道を通って駐車場へと向かいます。

      20141121久留里城址59


シカ、イノシシが出るって..................
一体、どんな道?(笑)

      20141121久留里城址60



こちらは、虎口のように見えなくもない。
ちょうど、本丸か弥陀曲輪の真下になる辺り。

      20141121久留里城址61



北尾根の堀切。

      20141121久留里城址62

こちらも高さが10m近くあって見事です。



この道は本丸からの搦め手になるのだろうか?

土橋がはっきりと残っています。
そして、空堀もしっかりと確認できます。

      20141121久留里城址63



まだまだ駐車場には程遠いようですが
こちらの道も雰囲気はある。

      20141121久留里城址64

山城好きなら、帰りはこちらのルートがお勧めです。


何だかんだと、駐車場に戻ったら腕時計の針は11時を回っていた。
記憶では、8時半ごろに登城開始したので
都合2時間半近く、久留里城を徘徊したことになります。

いやぁ〜、大満足。
いっぱい歩いたけれど、充実した登城、攻城でした...................。



2014/12/05 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日の散歩  第十六回 佐倉時代まつり  (2014年11月15日) 

11月15日 公休日

午前中の北総のドッグランを満喫したこの日。
本来は午後からがメインディッシュとでも言うべきか、
たまたま休みと重なったのが、 佐倉時代まつり

天気も良いし、散歩を兼ねて『佐倉時代まつり』の見学といたしましょう。


まずは、佐倉高校前からスタートいたしましょう。

      20141115佐倉時代まつり01



このように、10時〜15時30分まで車両規制。

      20141115佐倉時代まつり02

実は、時代まつりのエリアは毎日の散歩コースからちょっと外れた所。
毎日の散歩コースは、佐倉高校前の道を成田街道にぶつかると左折。
時代まつりは右折すれば会場へとなります。


成田街道に入ってすぐの蕎麦屋さん。
店先には駕籠があります。

      20141115佐倉時代まつり03



幟も風にたなびき、青空に映える。

      20141115佐倉時代まつり04



パンフレットを片手に歩いて行きましょう。

      20141115佐倉時代まつり05



肴町のクランクカーブの所で待機する弥勒町の山車。
我が地元の山車。

今日はお囃子を行う予定です。

      20141115佐倉時代まつり06


      20141115佐倉時代まつり07


      20141115佐倉時代まつり08



『佐倉の時代まつり』は、 江戸時代の風情が残る新町通りを中心に、
城下町佐倉の賑やかな江戸時代のまちの様子を再現します。

佐倉藩藩外不出の古武道「立身流」による演武や、
捕物等の殺陣劇、猿回しなどの大道芸が新町通りで披露されます。

年に一度の時間旅行と称して、江戸時代にタイムスリップしたかのように
工夫を凝らした衣装で参加される方も多い。
さしずめ、ハロウィン江戸時代バージョンとでも言うべきか。


虚無僧姿の参加者。

      20141115佐倉時代まつり09



こちらは、お侍さん。

      20141115佐倉時代まつり13



ずらりと揃った江戸時代の出で立ちの前で
見学者の撮影会状態。

      20141115佐倉時代まつり14



びいすけ も一緒になんて考えは無謀。
人がいっぱいでこの距離が精一杯。

      20141115佐倉時代まつり15



こちらには、人だかり。
何だろう?

      20141115佐倉時代まつり10



人がはけた後に覗いてみたら............

猿が居ました。

どうやら、猿廻しをしていたようです。

      20141115佐倉時代まつり12





こちらの民家の前ではお囃子。

      20141115佐倉時代まつり11


お囃子には詳しくないのでよく分からないけれど、
これが佐倉囃子なんだろうか......?



毎年見学に来ている訳ではなく、今年で2回目。
心なしか?江戸時代の扮装をして
時代まつりを楽しんでいる人が少ないような気がします。


こちらは、駕籠。
先ほど蕎麦屋さんの前にあったモノのようですね。

      20141115佐倉時代まつり16



たまたま犬好きの参加者が びいすけ に撫で撫でしてくれました。

      20141115佐倉時代まつり17



お二人とも村娘の出で立ちですが
ちょっぴり娘さんと呼ぶには抵抗があったりして............(笑)。

      20141115佐倉時代まつり27





待機していた弥勒町の山車がお囃子を披露しています。

      20141115佐倉時代まつり18


      20141115佐倉時代まつり19



佐倉の秋まつりでは、あまり見かけることが出来なかった弥勒町の山車。
今日は、じっくり見ておきましょう。

      20141115佐倉時代まつり20




肴町の路上パフォーマンス。
蝦蟇の油の口上です。

      20141115佐倉時代まつり21



一枚の半紙が二枚に、
二枚の半紙が四枚に、
四枚の半紙が八枚に..................

こんな口上が実演と共に進みます。

      20141115佐倉時代まつり22



先程の虚無僧は、静かに歩き尺八の調べを響かせています。

      20141115佐倉時代まつり23




さぁ、 時代まつり も、ぐるっとひと通り見たから
いつもの散歩コースに戻って散歩の続きをいたしましょう。




自宅に戻る途中、久しぶりに はるちゃん に出会った。

      20141115佐倉時代まつり24



13歳の はるちゃん。
もう体も顔も白さが目立つ。

      20141115佐倉時代まつり25



いつもの散歩コースで出会うワンちゃんは、
元々散歩の時間帯が違うからそんなに居ないけれど、
びいすけ がパピーの頃からの知り合いは、
はるちゃん と ミッキー だけになっちゃった。

      20141115佐倉時代まつり26


はるちゃん、元気で長生きして頂戴ね。







2014/12/04 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北総花の丘公園ドッグラン  (2014年11月15日)(千葉県印西市) 

11月15日  公休日

単発休みのこの日。
そして16日〜20日まで日勤5連ちゃんが続く前の休日。
遠出は控え、でもそれなりに びいすけ には満足感のある外出と言うことで
対して悩みもせず、一応土曜日だし、人も犬も来るだろうと、
無難な所で出かけた先は..................北総花の丘公園ドッグラン


朝、9時過ぎに自宅を出て、ドッグランの駐車場には9時半過ぎに到着。
既に7〜8台の車が停まっている。

さすが土曜日。
今日は相性の良いワンちゃんと出会えるといいなぁ。

そんな期待に胸膨らみ、ドッグランへと急ぎます。


入口に入ると、何やらいつもと雰囲気が違う。

竹箒を持った人が数人。
ビニール袋やバケツとチリバサミ(?)を持った人もいる。
おまけに北総花の丘公園の職員の人も居る。


どうやら、月に一度のボランティア有志の活動、
ドッグランの清掃日だったようです。

せっかくだから、ボランティア活動に一緒に参加させて頂きました。


バケツとチリバサミ(って言うのかな?)を持って
ドングリを拾います。

      20141115北総ドッグラン01



かなりの量のドングリが転がっています。
土に埋れたドングリも有るので、竹箒の人が掻き出して
それを広い集めます。

      20141115北総ドッグラン02




確かに、ドングリをたべちゃうワンちゃんもいるので
この時期のドングリの撤収も重要な仕事。

何だかんだと、10時半過ぎまでドングリ拾い。
頑張りましたです。はい。

      20141115北総ドッグラン03



公園職員の方の集合の合図で、本日の作業終了。
皆さん、お疲れ様でした。

      20141115北総ドッグラン04


途中参加ですが、自己満足の完結。
仕事が必ずしも土日休みではないので、
毎回は参加は出来ないけれど、
日程が合えば次回も参加しよう!
と、言うことでボランティア登録をしちゃいました。

思えば、普段何気に利用させて貰っているドッグランですが
利用者のモラルやマナーだけじゃ、ここまで綺麗ならんにはならない。
ボランティアさんたちの力があってこそ、楽しく快適に利用させて貰っていることを
改めて感じてしまいました。




さて、ドングリ拾いの間、放ったらかしにしていた びいすけ 。

何度か『ワン! ワン!!』と吠えていた。
どうやら、何頭かのワンちゃんの洗礼を受けていたようです。

      20141115北総ドッグラン06

今日は意外に人気者?(笑)。


びいすけ のあとを付いているのは、チョコラブのボブくん。

      20141115北総ドッグラン05




どうやら、 びいすけ がお気に入りのようです。

      20141115北総ドッグラン08


      20141115北総ドッグラン09




しかし、 びいすけ が気に入ったのは、別なワンちゃん。

びいすけ の隣にいる、白いワンちゃん。

      20141115北総ドッグラン07





そうです。
何度かこの北総のランでお会いしている ノアくん。

      20141115北総ドッグラン10



前回も一緒に遊んで貰いました。

びいすけ、しっかりと ノアくん の事を憶えているみたいです。


期待通り、ワンプロとなりました。

      20141115北総ドッグラン11


いやぁ、久しく びいすけ のワンプロに興じる姿を見てないから
ちょっぴり感動。(大袈裟ですね)(笑)

      20141115北総ドッグラン12



いやぁ、しばし見とれておりました。

      20141115北総ドッグラン13


      20141115北総ドッグラン14



見とれるだけじゃありません。
しっかり、カメラのシャッターも押しまくり。

      20141115北総ドッグラン15


      20141115北総ドッグラン16


      20141115北総ドッグラン17



体格差は若干あるものの、まるで柔道の組手?

      20141115北総ドッグラン18



はたまた、北総犬相撲秋場所?

      20141115北総ドッグラン19



はたまた、クリスマスのダンパの練習?

      20141115北総ドッグラン20


      20141115北総ドッグラン21




びいすけ と ノアくん がジャレあっていると
黙っていられないのが、 ボブくん 。

      20141115北総ドッグラン22



何とか仲間に入りたい?
それとも びいすけ と遊びたい?

      20141115北総ドッグラン23


しかし、 びいすけ のひと吠えで、そこから先が始まりません。

3頭で仲良く遊べば良いのにと思うのですが
こればっかりは難しいようです。


結局、 ノアくん と再びバトル。

      20141115北総ドッグラン24


      20141115北総ドッグラン25


      20141115北総ドッグラン26


      20141115北総ドッグラン27


3歳ぐらいから、ドッグランに来てもあまり走らないし
他のワンちゃんとも絡むことがめっきり無くなり、
いつも匂い嗅ぎに没頭し、自分の世界に入り、
そして他所の飼い主さんに擦り寄って行くことが多い びいすけ 。



でも今日は、いつもとはちょっと違うようです。


この勢いで他のワンちゃんとも絡んでくれると嬉しいんですが............




この子はラッキーくん。
ドッグランのフェンスまではよく散歩に来るんだけれど
中には入って来ない。
保護犬だったから、ランにはまだまだ時間が掛かるかもしれない。

      20141115北総ドッグラン28

先代犬のゴン太くんとは、ランでワンプロして遊んだから
出来れば仲良くして欲しいなぁ。


この子は、ビーグルのビアラちゃん。
以前もココでお会いしたけれど、今日も絡まない。

      20141115北総ドッグラン29

飼い主さんには、寄っていく びいすけ 。
どうせなら、わんこにも寄って行けぇ〜!




初めて会ったJRT。
何気に一緒に走っている。

      20141115北総ドッグラン30

よく見ると、ボブくん も ノアくん も ビアラちゃん もいる。

一瞬だけど、仲良く遊んでいるように見えるのですが............。

こんな姿が毎回見ることが出来れば
飼い主てしても大満足なんですが..................



時刻もお昼になりました。


そろそろ帰る時間となりました。

帰る雰囲気が分かるのか?
帰る気配を察したのか?
駆け寄って来る びいすけ 。

      20141115北総ドッグラン31


何と無く名残り惜しい気もするけれど、
午後から佐倉で行きたい所もある。

大満足した北総のドッグラン。

また、土曜日の休みがあったら来ることにしよう...................






2014/12/03 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

我孫子のいろいろ八景 公園八景 その①  《  五本松公園  》                  (2014年11月12日)(千葉県我孫子市) 

11月12日 公休日

将門神社をあとにして、向かった先は............五本松公園



五本松公園はR356沿いの手賀沼を眼下に見下ろす台地にあります。
無料の駐車場も完備され、キャンプ場も隣接していて
手軽にBBQも出来ることも有って、我孫子市民の憩いの場所となっているようです。

休日だと混みそうなので、平日の曇り空と条件の悪いこの日、
敢えて、五本松公園に訪れてみました。


こちらが、五本松公園の入口。
駐車場の入口でもあります。

      20141112五本松公園01




駐車場隅にある公園の案内板。

      20141112五本松公園02



気をつけなきゃいけないのは、いきなり案内板に犬の散歩NGなんて言うのがあるから、
しっかりとチエックしましょう。

      20141112五本松公園23

犬連れ散歩に対する注意書きがあると言うことは、問題無いようですね。


では、五本松公園の散策を開始いたしましょう。


駐車場脇の芝生広場。

      20141112五本松公園24

五本松公園は花見の名所でもあるようで
この芝生広場の外周には桜の木が多い。



園内には舗装された散策路が整備され
木立の中を散策できるようになっています。

      20141112五本松公園03



公園の南端には四阿が設けられているらしい。
とりあえず、四阿目指して歩いて行きます。

      20141112五本松公園04


      20141112五本松公園05


      20141112五本松公園06



しばらく歩いていると、前方に四阿が見えて来ました。

      20141112五本松公園07





こちらが、四阿。

意外に大きい。

      20141112五本松公園08



四阿の先がちょっとした展望エリアになっていて
手賀沼の眺望を味わえます。

でも、ちょっびり木が邪魔しているかな?

      20141112五本松公園09




望遠レンズでぐっと寄ってみました(200mm)。

      20141112五本松公園10

晴れていれば、手賀沼ももっと綺麗に見えるかもしれない。



敢えて、四阿ではなく展望エリアのベンチで小休止。
何とか天気も持ちそうです。

      20141112五本松公園11


      20141112五本松公園12




四阿脇にある石碑。

      20141112五本松公園13



「薄氷張りたる沼に 白鷺はひとり立ちをり われに似てあり」


加瀬完氏の歌碑です。

      20141112五本松公園14

加瀬完って誰?
調べてみると............
我孫子第二小学校・我孫子第一小学校・我孫子中学校の校長を務め、
教育界から政界に転じ、1977年 参議院副議長を務めた人らしい。
さしずめ、地元の名士ってところでしょうか?




石碑近くの広葉樹は、まだ色づいてはいない。
紅葉にはまだまだ早いようです。

      20141112五本松公園15



舗装された遊歩道から離れ、未舗装の遊歩道を選んで歩いてみます。


前日と午前中?の小雨の影響か?
所々ぬかるんでいて、滑りやすい。

カメラを首からぶら下げて歩いているから気をつけましょう。

      20141112五本松公園16


      20141112五本松公園17



やがて、木製の橋が現れました。

『あいあい橋』と言うらしい。
この橋の向こうがキャンプ場になるらしい。

      20141112五本松公園18


      20141112五本松公園19



橋を渡り、キャンプ場に足を伸ばそうとしたら
いきなり、こんな看板。

      20141112五本松公園20

どうやら、キャンプ場はペット連れ込み、持ち込み禁止らしい。



仕方が無いので、あいあい橋の下を通って公園に戻ります。

      20141112五本松公園21



なんか、一気にテンションが下がってしまいました。
公園入口の案内板にキチンと明記されていれば
キャンプ場へは行かなかったんだけどなぁ。


結局、この道を歩き駐車場に戻ることになりました。

      20141112五本松公園22


別に、キャンプ場で注意をされたわけでは無いけれど、
あからさまに、ペットの立ち入り禁止って書かれると
愛犬家としては、あまり気分の良いモノではない。

とかく、ペット(特に犬)立ち入り禁止、連れ込み禁止と言う公園も多い。
ウンチの問題やブラッシング、はたまた園内へ放すなど
飼い主側のモラルの低さで禁止になる場合もある。

びいすけ との公園散策も楽しみの一つとしているから
ペットNGの公園がこれ以上増えないことを期待するしかない。
そして、それには飼い主たちのモラルの向上を願うしかない。



あとで調べて分かったことなんですが
数年間に我孫子市で『我孫子市いろいろ八景』と称し
我孫子市民にいろいろなテーマで八景を募ったらしい。
その中には公園八景なるテーマがあり、
この五本松公園も公園八景に選定されたらしい。

我孫子いろいろ八景 公園八景............

八景巡りファンとしては、これも追いかけてみようかな..................?






 
2014/12/02 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

将門神社  (2014年11月12日)(千葉県我孫子市) 

11月12日 公休日

北総のドッグランをあとにして、向かった先は............将門神社


以前、たまたま通りかかった柏市(旧沼南町)の将門神社を訪れた時に
あとで、色々調べたら我孫子市にも将門神社が有ることを知りました。

いつか訪れてみようと思いながら、ついつい時間だけが過ぎてしまいました。


将門神社
社号は将門神社で祭神は平将門公です。
一般には将門神社と言われていますが、
一部では日秀将門神社とも呼ばれているようです。
日秀将門神社は、我孫子市日秀にある神社です。
日秀将門神社の創建年代等は不詳ながら、
当地日秀は平将門が幼少のころ過した地で、
承平2年(932)には軍用に供したと伝える古式の井戸も掘られており、
平将門の三十三回忌に旧・沼南町岩井に将門神社が祀られたのを機として、
所縁のある地に将門神社が祀られるようになったといい、
こちらもその一つだと言われています。



通りに面して案内板が2個。
左側に行けば、将門の井戸。
右側に行けば、将門神社です。

      20141112将門神社01



先ずは、将門神社に向かいます。

      20141112将門神社03




こちらが、将門神社。

      20141112将門神社04


      20141112将門神社05



そして、鳥居。

      20141112将門神社06



鳥居の神額には『 平親王 将門大明神 』と記されています。

      20141112将門神社07



名前からして、立派と言うか、仰々しく感じてしまうけれど
神社そのものは小さく、こじんまりとしたもの。
境内も意外に狭い。

      20141112将門神社08



石灯籠。

      20141112将門神社09



そして、石祠。

      20141112将門神社10



簡素な神社と言ってしまえば、それまでだが
本当に何もない(?)神社のようです。

      20141112将門神社11


      20141112将門神社12



石祠の脇にあるのは、御神木なのだろうか?
それなりの樹齢の木のようです。

      20141112将門神社13



鳥居脇の石碑群。
この神社の鳥居の改築や石祠の改築を記念して建てられたモノのようです。

      20141112将門神社14




名前からして、由緒ありそうな将門神社ですが
説明板と言った類いのモノは一切ありません。

ちょっぴり、期待ハズレと言うのが正直な所です。




将門神社近くにある将門の井戸に向かいます。

      20141112将門神社02



案内板から50mほど坂を下った所に将門の井戸はありました。

      20141112将門神社15

民家の前にある将門の井戸。
正直、感想は............

『えっ!? これが井戸?』

      20141112将門神社16



木にくくり付けられた標柱が無ければ、気が付きませんでした。

      20141112将門神社17


こちらも正直言って、期待倒れ。
そして期待ハズレの感が強い。

      20141112将門神社18


将門が幼少の頃を過ごした地であるらしいけれど
何かイマイチな気がしてならない。



逆に気になったのは、将門の井戸の裏の台地。

      20141112将門神社19



まるで、腰曲輪のような削平地となっている。

      20141112将門神社20



一見、何処の城跡のような雰囲気はしないでもない。

      20141112将門神社21


      20141112将門神社22


城址巡りの際に、いつも参考にさせて頂いている諸氏のサイトを閲覧してみても
この辺りが城址だったと言う情報はない。

ひょっとしたらと言う期待感がちょっぴりあっただけに
残念と言えは残念です。

しかし、この地の将門伝説があるらしいのだか、どうなっているんだろうか............?
意外に盛り上がらないモノなんだろうか.......?





2014/12/01 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit